「守る親から、“導く親”へ。日本の家庭から見えてくる、思春期との向き合い方」**

変わりゆく子どもとの距離感(サブタイトル:

“いつの間にか大きくなっていた背中”)**
※約3000字


 日本で子育てをしていると、子どもの成長の節目節目で「なんだか、昨日までとは違うな」と感じる瞬間が必ずあります。特に思春期。あれほど毎日べったりくっついてきた子が、急に部屋へ閉じこもったり、こちらの言葉に少し距離を置くようになったり。初めてその変化に気づいた日のことを、私は今でもよく覚えています。

 夕方、学校から帰ってきた息子が「ただいまー」とドアを開けた瞬間、ふっといつもより背が伸びているように見えたんです。靴を脱ぐ姿、ランドセルの下ろし方、そして返ってくる声のトーンまで、どこか“大人の入り口”に足を踏み入れたような雰囲気がありました。だけど、そんな変化に私の心が追いついていなかったんですよね。
 「今日学校どうだった?」「友達と何して遊んだの?」と小学生の頃と同じように聞くと、彼は少し困ったように「まあ、いろいろ」としか答えません。その“いろいろ”の中身を知りたくてたまらないのに、そこに踏み込みすぎると、スッと距離を取られてしまう。
 このあたりから、「子どもを守るために全部を把握したい母親」と「自分で世界を広げたい子ども」のズレが、ゆっくりと生まれ始めました。


■「守る」ことが当たり前だった時期

 思い返せば、小さい頃は親がすべての“前提条件”でした。体調管理から友達づきあい、遊ぶ場所、食べるもの、寝る時間まで。日本の家庭では特に、「きちんと」「ちゃんと」「周りに迷惑をかけないように」といった価値観も強く、親としてある程度コントロールすることは自然とされてきました。

 公園で転びそうになれば手を伸ばし、宿題をし忘れていれば「やったの?」と声をかける。明日の持ち物を一緒にチェックして、失敗しないようにサポートする。
 日本は“予防文化”の国なんだと思います。
 雨が降りそうなら早めに洗濯物を取り込むし、季節の変わり目が近づけば早めに布団を変える。食材も“使い切る工夫”をするし、家事や時間配分も「どうすれば失敗しないか」を考えるクセがあります。

 だからこそ、子どもに対しても「先まわりして守る」「問題が起きる前に予防する」という考え方が染み込んでいるのかもしれません。
 親としては当たり前のつもりだったその姿勢も、子どもが思春期に入ると途端に“重い”と感じられてしまう。これは多くの日本の親が通る、ある種の“共通ルート”なんじゃないかと思います。


■思春期は「小さな自立の積み重ね期」

 ただ、子どもが日々大きくなり、自分の考えを持ち始めると、その“予防型の関わり方”は少しずつ形を変える必要が出てきます。
 私自身、最初はそれをうまく飲み込めませんでした。

 学校のこと、友達のこと、SNSのこと、最近ハマっているゲームのこと。親が知らない世界がどんどん増えていく。
 「大丈夫かな?」
 「変なトラブルに巻き込まれていないかな?」
 「ちゃんと正しい方向に進んでいるのかな?」
 そんな不安が心のどこかで常にくすぶっていました。

 でも、ある日ふと気づいたんです。
 —親が心配するスピードより早く、子どもは自分で世界を学ぶ準備を進めているんだ、と。

 思春期は、“自分の判断で行動できるようになるための練習期間”なんですよね。
 私が「何でも聞きたい、話してほしい」と願っていたのは、実は子どもの成長というより“私が安心したいだけ”の時もあったのかもしれません。


■日本の家庭に根づく「空気を読む文化」とのズレ

 もう一つ、実体験から感じるのは、日本特有の“察する文化”が親子関係にも影響しているということ。

 例えば、食卓に座っているとき。子どもが少し元気がない。日本の親ならつい「何かあったの?」と聞く前に、「今日は学校で嫌なことがあったのかな…」と察してしまい、つい余計に気を回してしまいます。

 相手の気持ちを想像すること自体は良いことですが、思春期の子どもにとっては、それが「勝手に決めつけられた感じ」になり、心を閉ざすきっかけにもなります。

 ある日息子がこんなことを言いました。
 「お母さんは、僕が何も言ってないことまで勝手に心配しすぎ。」
 胸にズキッと刺さりました。でもそのとき、私は初めて“親の役割が変わる瞬間”を実感した気がします。


■「守る親」から「導く親」へ——その始まり

 親はいつまでも“守り役”でいたい。
 だけど、子どもは“守られる世界”から一歩外へ出ようとしている。
 そのギャップに気づいたとき、私は少しずつ心の構えを変えていく必要があると感じました。

 すべてを知ろうとするのではなく、聞かれたときに答えられる存在であること。
 先回りして整えるのではなく、つまずいたときに一緒に考えられる余白を残すこと。
 間違いを防ぐのではなく、間違っても戻れる“安全基地”になること。

 そうして、「守る親」から「導く親」へと役割が移り始めるのです。
 この変化は一朝一夕ではありません。むしろ、ゆっくり、じんわり、時間をかけて進むものです。

 そしてこの“役割の変化”こそが、これから書く「承・転・結」につながっていくテーマとなります。

寄り添い方を変える時期(サブタイトル:

“口を出すより、耳を貸す勇気”)**
※約3000字


 思春期の子どもとの距離感に戸惑い始めた私が、次にぶつかったのが「どう寄り添うのが正解なのか」という問題でした。小さかった頃は、子どもの表情を見れば一発で気持ちが読めるような気がしていたのに、中学生になるとその“読み”がまったく当たらない。むしろ外れることのほうが多い。
 それまで当然だと思っていた“母親としての勘”のようなものが、急に通用しなくなったのです。

 そこで私はまず、「今までと同じやり方の延長線上ではうまくいかない」と覚悟することから始めました。これは簡単なようでいて、実はとても難しいことでした。なぜなら、日本の家庭文化では親が“あれこれ面倒を見る”のがある意味で普通だったからです。朝起こしたり、忘れ物をチェックしたり、必要以上に心配したり。親が先回りしてサポートするのが「優しさ」であり「愛情」だと、多くの親が信じてきました。

 だけど、思春期の子どもにとっては、それこそが「うっとうしい」「干渉されている」という感覚につながってしまうのです。


■“聴く”ことは案外むずかしい

 子どもとの関係をよくするために、よく「話を聞きましょう」と言われます。
 でも、実際にやってみるとわかるのですが、これはただ相手の言葉を受け取るだけではありません。

 ある日の夜、息子がリビングでぼーっとしていたので、「学校で何かあった?」と声をかけました。すると息子は「別に…」とそっけない返事。これは典型的な“話したくない合図”です。
 昔の私なら「絶対なんかある!」と深堀りして、結果、息子がイライラして部屋へこもるパターンになるところでした。でもこの日は違いました。

 私は一呼吸おいて、「そっか。話したくなったら、いつでも聞くよ」とだけ伝えて、あとはごく普通に夕食の準備を続けました。すると、10分くらいしてからポツリと「今日、友達とちょっとしたことがあってさ」と話してくれたんです。

 このとき私は、心の中でガッツポーズをしました。
 “聞こうとしないほうが、話してくれることもある。”
 そんな当たり前のことすら、私は忘れていたのかもしれません。


■アドバイスは“求められたら”与える

 もう一つ、気づいた大事なポイントがあります。
 アドバイスは、相手が求めたときだけ渡す。

 これは大人同士なら当たり前なのですが、日本の家庭では親が子どもに対して「アドバイス=愛情」と勘違いしてしまうことがとても多い。
 例えば勉強のやり方、人間関係のトラブル、部活の悩み。どれも経験豊富な親からすれば「こうしたほうがいいよ」という助言の引き出しが無限にあります。でも、子どもが欲しいのは助言ではなく、“ただ気持ちを受け止めてもらうこと”。
 特に思春期は、正しい答えよりも「わかってくれる人がいる」という安心感が絶対的に必要なのです。

 私自身、息子から相談されたとき、つい“解決モード”に入りがちでした。
 「じゃあこうすれば?」
 「それはやめたほうがいいよ」
 「もっとこう考えてみたら?」
 これらは確かに善意ですが、子どもからすれば“正論で押しつけられた”という気持ちになりやすいのです。

 そこで私は、まず気持ちをそのまま返すように意識しました。
 「そっか、それはしんどかったね」
 「そんなこと言われたら誰だって傷つくよ」
 こんなふうに。

 すると、息子の表情が少しずつやわらぐのを感じました。
 アドバイスをする前に、まず心を同じ場所に置く。それができると、驚くほどコミュニケーションが変わるのです。


■子どもの“独立心”を邪魔していたのは、実は親の不安

 その頃、私はもう一つ大きな気づきを得ました。
 「子どもを心配する」という行為は、実は“親自身の不安”から生まれることがあるということ。

 小さな頃なら、子どもの不安や危険を取り除くことは間違いなく必要です。でも思春期にもなると、親が抱えているのは“過去の危険”や“想像上のリスク”であることも多いのです。

 例えば、SNSでのトラブル。
 例えば、学校の友だち関係。
 例えば、成績や進路のこと。

 たしかにどれも大事ではあります。でも、だからと言って親が全部を管理するわけにもいかない。
 むしろ、その管理が子どもの自主性を奪ってしまう可能性すらあるんです。

 「もし失敗したらどうしよう」
 「間違った選択をしたら?」
 「嫌な思いをするんじゃない?」
 そう思うからこそ、親はつい手や口を出したくなる。でも、子どもはその“過剰な安全装置”を外して自分の足で歩こうとしている。
 ここにギャップがある限り、親子はどうしてもぶつかってしまいます。

 私はあるとき、ふっと気づいたんです。
 —私が怖がっていたのは、子どもの失敗じゃない。“子どもが自分だけで世界を歩きはじめること”そのものだったんだ、と。

 その気づきは、私にとって小さな衝撃でした。


■思春期は「親の成長期」でもある

 この頃になると、子どもの変化以上に、親の内面の変化を強く感じるようになりました。
 子どもは自分の意思を持ち始め、自分の言葉で世界と向き合い、自分の選択で道を選ぶようになる。
 その一歩一歩を、親としてただ見守る時間が増えていきます。

 だけど、見守るって本当に難しいんですよね。
 “何もしない”ことが、実は一番の努力だったりする。

 日本の家庭では特に「子どものために頑張る」「手をかける」ことが称賛されがちですが、本当に大事なのはその逆であることも多い。
 手を放す勇気、子どもの選択を尊重する覚悟。
 このふたつは、親にとって大きな成長ポイントです。

 思春期の子育ては、ある意味で“親の卒業試験”なのかもしれません。


■「聞ける親」に変わることで、関係が深まる

 実は、親子関係がこじれる家庭ほど、“親が話す量のほうが多い”という傾向があります。
 一方、関係が良い親子は、総じて“親が聞き役”です。

 私も昔は「親なんだから、ちゃんと方向を示してあげないと」と思っていました。でも今では、方向を示すことよりも、子どもが自分で考えられる余白を残すことのほうがずっと重要だと感じています。

 そして何より、
 「この人には何を言っても大丈夫」
 という安心感が、思春期の子どもにとって最大の支えになる。

 その基盤をつくるのは、親の“聞く姿勢”です。


■“導く親”への準備期間

 承の段階まで来てはっきりしているのは、
 思春期の親の役割は「管理」ではなく「サポート」へ、
 そして「監視」ではなく「信頼」へと変わっていくということ。

 起の章では、変化に気づくところまでが物語でした。
 この承では、親がその変化にどう対処するか、どんな心の整理が必要かを描きました。

 次の「転」では、
 具体的にどんな行動が“導く親”につながるのか、
 そしてどんな実体験が私の考え方を大きく変えたのか

 を深く書いていきます。

導く親になるために(サブタイトル:

“手を離しても、心は離さない”)**
※約3000字


 思春期に入り、子どもが少しずつ自分の世界を広げていく中で、私はある日ふと立ち止まりました。
 「私は、この子の“未来の邪魔”をしていないだろうか?」
 そんな疑問が、胸の奥に重く沈んでいたからです。承の章で書いたように、私は自分の不安を“心配”の名のもとに正当化し、必要以上にチェックしたり、アドバイスを押し付けたりしていました。

 そして気づいたのです。
 親が過剰に支えるということは、子どもから“成長の機会”を奪うことでもあるのだと。

 ここから私の“親としての再学習”が始まりました。


■親としての「成功」より、子どもの「挑戦」のほうが価値がある

 ある夕方、息子が「明日テストだけど、まだ全然勉強できてない」と言い出しました。
 私は反射的に「じゃあ早く机につきなさい!今からでも間に合うから!」と言いそうになりました。しかし、同時に、胸の奥でひっかかったのです。

 ——これは、私が“テストで恥をかいてほしくない”という気持ちが先に立っただけでは?
 ——そして“失敗から学ぶチャンス”を奪うことになるのでは?

 私は深呼吸して言い方を変えました。

 「どうする?自分で決めていいよ。」

 息子は少し戸惑ったような顔をしていました。今までの私は、“勉強しなさい”と言うのが当たり前だったからです。でもそのあと、「もう少しだけゲームしてからやる」と自分なりのペースで動き始めました。

 結果、テストは散々でした。
 だけど、その翌日息子は言いました。
 「今回は痛い目みた。次は計画立てるわ。」

 ——ああ、この気づきこそが、私が与えるべき“経験”だったんだ。

 私はその瞬間、初めて“導く親”の意味を体で理解した気がしました。

 子どもが自分で選び、自分の責任で結果を受け取る。それを見守るのが、導く親。

 これは決して「放置」でも「無関心」でもありません。
 そこには確かな愛情と、子どもを信じる覚悟が必要なのです。


■「正しさ」よりも「プロセスの尊重」

 日本の親は、どうしても「正しいアドバイス」をしようとしてしまいます。
 これは文化的な背景もあり、“答えを知っている大人”が“答えを教える側”になりがちだからです。

 しかし、思春期の子どもが求めているのは「正しい道」ではありません。
 むしろ、「遠回りでも自分で選べた道」を欲している。

 そこに気づけたとき、私は子どもとの関わり方を大きく変えました。

 例えば、部活の選択。
 息子は当初、友達に合わせて無難な部活を選ぼうとしていました。でも本当は別の競技に興味があるのを私は知っていました。
 昔の私なら、「本当にやりたいほうを選びなさい」と言っていたはずです。でもそれは、私の価値観を押し付けることでもある。

 だから私はこう言いました。
 「どっち選んでも応援するよ。後悔しないほうを、自分で考えて決めたらいいと思う。」

 息子は数日迷っていましたが、最終的に自分の興味を優先して部活を選びました。
 その姿を見た私は、胸がじんわりと温かくなるのを感じました。

 ——そうだ、私はこの“プロセス”のために親をやっているんだ。


■“導く親”は、答えより「問い」を渡す

 承の章で書いたように、思春期では“聞く姿勢”がとても大切です。
 そして転の段階では、その先にもう一歩踏み込む必要があります。

 導く親は、答えを与えない。
 代わりに“問い”を渡す。

 例えば、こんな感じです。

 「どうしたらうまくいくと思う?」
 「その選択をしたら、どんな未来があると思う?」
 「もしうまくいかなかったら、そのときどうする?」

 これらの問いは、子どもに“自分の頭で考える力”を与えます。
 答えを教えてしまうと、子どもの思考はそこで止まってしまいます。
 でも、問いを渡すと、その思考は広がっていく。

 そして何より、問いかけには“尊重”が含まれている。
 「あなたには考える力がある」
 というメッセージになるからです。


■日本文化だからこそ、「見守る勇気」が重要になる

 日本は世界的に見ても「親の関与が強い文化」です。
 学校の連絡帳、PTA、塾、習い事、地域の目。
 あらゆるところに“子どもの行動は親の責任”という空気があります。

 だからこそ、親は“子どもを手放す”ことに強い抵抗を感じます。
 我が家も例外ではありませんでした。

 でも、海外の主婦の方からすると、日本の“親の過保護さ”は驚かれることが多いのです。
 私の海外在住の友人に聞くと、
 「日本のママはめっちゃ頑張りすぎてる!」
 と言われることが何度もありました。

 だけど私は、日本の親が頑張りすぎてしまう背景も理解できます。
 社会全体で“子どもはこうしなければいけない”という無言の圧力があるからです。

 だからこそ言いたいのです。

 見守る勇気は、日本では特に“意識的に身につけるべきスキル”だと。

 押す勇気ではなく、引く勇気。
 助ける勇気ではなく、任せる勇気。
 守る勇気ではなく、見守る勇気。

 これが日本の親に求められる新しいスタイルなのだと思います。


■“導く親”は、子どもの人生を信じる親

 転の章の最後に、私が最も大事だと思うことを書きたいと思います。

 それは、
 「子どもの人生を信じる」という姿勢こそが、導く親の本質だということ。

 信じるとは、コントロールしないことです。
 信じるとは、「自分より劣っている存在」ではなく「自分と同じ高さで歩く小さな大人」として扱うことです。
 信じるとは、その子がどんな選択をしても、その未来に可能性があると認めることです。

 そして、親が子どもを信じたとき、子どもは自分自身を信じられるようになる。

 これは思春期の子どもにとって、大きな力になります。
 自分を信じられる子は、どんな困難があっても乗り越える力を持ちます。
 親が常に隣で支えてあげる必要はない。
 その代わり、「あなたなら大丈夫」という静かなメッセージを、毎日の態度で伝えてあげればいい。


■承から転へ — 学びの深化

 承では、私自身が“見守る親”へと変わる覚悟の部分を書きました。
 そして転では、その覚悟が実際の行動へ変わった瞬間、そしてその裏にある考え方を深掘りしました。

 次の「結」では、
 “導く親”としての在り方が、長期的に親子関係をどう豊かにしていくのか。
 そして子どもの人生にどんな影響があるのか。

 私自身の体験をもとにまとめていきます。

日本の「暮らしの知恵」は、世界に誇れる“静かな強さ”

こうして振り返ってみると、日本の生活文化には大きな声で語られないけれど、暮らしのあらゆる場面に溶け込んだ“静かな強さ”があります。
派手ではないけれど、人を思いやり、自然と折り合いをつけ、感謝を忘れず、日々を丁寧に生きる。
その姿勢こそ、日本が長い歴史の中で育んできた、ほかの国にはない魅力のひとつです。

海外の方からすると、
「どうして日本の家庭はこんなに落ち着いているの?」
「なぜ小さな工夫でこんなに快適に暮らせるの?」
と不思議に思えることも多いようです。

でも、それは特別なことをしているわけではなく、“毎日をなんとなく大切にする”という習慣が積み重なっているだけなんですよね。

私たち日本に住む主婦が日々行っていること、当たり前すぎて言葉にしたことのない習慣も、海外の方にとっては新鮮で学びになることがあります。
だからこそ、これからも日本の暮らしの知恵や価値観を、ゆっくり、丁寧に、実体験を交えながら発信していきたいと思っています。

「もっと日本のことを知りたい」
そう思ってくれる、世界中の誰かの生活が少しでも豊かになりますように。

次のテーマも、また一緒に作っていきましょうね。

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