完璧な「ショールーム」のような家、疲れませんか? — 不完全さを愛する“わびさび”への招待状
皆さん、こんにちは。日本の冬の空気を感じながら、温かいお茶を片手にこの記事を書いています。
さて、いきなりですが、皆さんに質問です。
Hook: Beyond Perfection – The Secret to a Truly Beautiful Home
(完璧のその先へ — 本当に美しい家の秘密)
- Ever felt the pressure for a flawless home, perfectly curated and always “guest-ready”?(「いつ誰が来ても大丈夫なように」と、チリひとつない完璧に整えられたモデルルームのような家じゃなきゃいけない……そんなプレッシャーを感じたことはありませんか?)
- What if I told you the true secret to beauty lies not in perfection, but in embracing the imperfect, the aged, and the natural?(もし私が、「本当の美しさの秘密は完璧さにあるのではなく、不完全なもの、古びたもの、そして自然のままの姿を受け入れることにある」とお伝えしたら、どう思いますか?)
- Today, we’re stepping into a world where flaws are features and transience is treasured – welcome to the Wabi-Sabi home.(今日は、傷や欠けこそが魅力となり、移ろいゆく時間の儚さが宝物となる世界へ皆さんをご案内します。ようこそ、「わびさび(Wabi-Sabi)」のある暮らしへ。)
実はこれ、私自身が長く抱えていた悩みでもあったんです。
SNSを開けば、海外のインフルエンサーやお洒落なインテリアアカウントが、生活感の一切ない、まるで美術館のようなリビングの写真をアップしていますよね。色味は完全に統一され、クッションのシワひとつなく、子供のおもちゃなんてどこにも落ちていない。
「ああ、素敵な家だなぁ」とため息をつくと同時に、「それに比べて私の家は……」と、なんだか自分がダメな主婦のように思えて落ち込んでしまう。海外で暮らしている皆さんの中にも、現地の友人たちのホームパーティーに招かれて、その完璧な演出に圧倒されて帰ってきた経験がある方もいるかもしれません。
でもね、日本にずっと住んでいる私が、歳を重ねるごとに強く実感していることがあるんです。それは、「人が本当に安らげる場所は、完璧な場所ではない」ということ。
日本には、古くから伝わる**「わびさび(Wabi-Sabi)」**という言葉があります。
おそらく皆さんもどこかで耳にしたことがあるかもしれません。「Wabi-Sabi」は今や世界中のデザイン用語として使われていますが、私たち日本人が生活の中で感じている「わびさび」は、単なるインテリアのスタイル(例えば、コンクリート打ちっぱなしや、錆びた鉄を置くこと)とは少し違うんです。
それは、もっと心の奥底にある「生き方」や「人生観」に近いものなんです。
私たちが美しいと感じるのは、ピカピカの新品の家具よりも、おばあちゃんが何十年も使い込んで少し角が丸くなった木のテーブルだったりします。あるいは、満開の桜よりも、散り際の花びらが風に舞って川面を流れていく風景に、どうしようもなく心を動かされたりします。
なぜでしょうか?
それは、そこに「時間」と「命」を感じるからだと思うんです。
完璧なものには、隙がありません。隙がない場所では、人は緊張します。
一方で、少し古びていたり、形が歪んでいたり、自然のままの素材で作られた空間には「余白」があります。その余白があるからこそ、私たちは肩の力を抜いて、深く呼吸ができるんです。
私がまだ新米主婦だった頃、完璧主義を目指して毎日イライラしながら掃除をしていました。「ここも汚れてる!」「なんで片付かないの!」と、家族に対してピリピリした空気を撒き散らしていたんです。家は綺麗になりましたが、家族の笑顔は減っていました。
そんな時、京都にある古いお寺を訪れる機会がありました。そこには、何百年も風雨にさらされた木の柱があり、苔むした庭石がありました。決してピカピカではありません。むしろ、あちこち傷んでいるし、色はあせています。
でも、その空間に座った瞬間、涙が出るほど心が落ち着いたんです。「ああ、このままでいいんだ」と、許されたような気がしました。
その時、気づいたんです。「完璧を目指すこと」と「美しく暮らすこと」はイコールではないんだ、と。
むしろ、不完全であることを愛し、時間の経過を慈しむことこそが、家を本当の意味で「サンクチュアリ(聖域)」に変えてくれるのだと。
日本人が大切にしてきた「わびさび」とは、決して難しい哲学ではありません。
それは、「完璧じゃなくてもいいよ」「今のままで十分美しいよ」と、私たちを肯定してくれる優しい知恵なんです。
これから続く記事では、この「わびさび」の精神を、どうやって現代の私たちの家に取り入れればいいのか、そしてそれがどうやって私たちの人生観や幸福感に繋がっていくのかを、具体的にお話ししていきたいと思います。
難しいリノベーションも、高い家具も必要ありません。必要なのは、物を見る「視点」を少し変えることだけ。
次の章では、具体的な「モノ」の見方についてお話しします。傷がついたフローリングや、欠けてしまったお気に入りのマグカップが、実はゴミではなく、あなただけの宝物に変わる瞬間について深掘りしていきましょう。
さあ、完璧主義の鎧を脱ぎ捨てて、もっと自由で、もっと深呼吸ができる暮らしの扉を一緒に開けてみませんか?
“傷”は劣化ではなく“歴史”。— 日本の古民家と道具から学ぶ、経年変化という美学
皆さんがお住まいの地域では、モノが壊れたり古くなったりしたとき、どう捉えられますか?
「あーあ、ボロくなっちゃった。買い替えどきかな」
そんなふうに思うのが、現代社会の一般的な感覚かもしれません。新しいものは良くて、古いものは悪い。ピカピカな状態が100点で、そこから時間が経つごとに減点されていく……。
でも、日本の「わびさび」の感覚は、これと真逆なんです。
新品の状態はあくまで「スタート地点」。そこから人が使い込み、時間が経つことで味わいが増し、むしろ価値が上がっていく。これを日本語で**「経年変化(Keinen-henka)」**と呼びます。
英語で言うと “Aging” ですが、アンチエイジング(Anti-aging)という言葉があるように、どうしても「劣化」のニュアンスが含まれがちですよね。でも、日本の「経年変化」には、「年を重ねることでしか出せない美しさ」という、とてもポジティブな意味が込められているんです。
■ 我が家のダイニングテーブルの物語
ここで、少し我が家の話をさせてください。
私の家には、結婚した時に買った無垢材(本物の木)のダイニングテーブルがあります。もう15年以上使っています。
正直に言うと、今のこのテーブル、傷だらけなんです。
娘がまだ小さかった頃、フォークを力一杯突き立ててつけてしまった穴。
息子がお絵かきをしていて、紙からはみ出して描いてしまったマジックの跡。
熱い鍋をうっかり直接置いてしまってできた、白っぽい輪染み。
もし、完璧主義だった頃の私なら、この傷を見るたびに「ああ、資産価値が下がった」「みっともない」とため息をついていたでしょう。実際、傷がついたその瞬間は「ちょっと!何やってるの!」と子供を叱ってしまったこともあります(笑)。
でも、わびさびの視点を持ってこのテーブルを眺めてみると、景色が一変します。
その無数の傷は、ただのダメージではなく、私たち家族がここで生きてきた**「歴史の証(あかし)」**に見えてくるんです。
フォークの穴を指でなぞると、「あの頃、娘は一生懸命自分でご飯を食べようとしていたんだな」という当時の必死で可愛い姿が蘇ります。マジックの跡は、息子のクリエイティビティが爆発した瞬間の名残です。
ピカピカのコーティングされた新しいテーブルには、この「物語」は宿りません。
傷つき、汚れ、色が飴色に変化していく。そのプロセスそのものが、家族の成長記録であり、世界に一つだけの「我が家の味」になっていくのです。
日本には**「古民家(Kominka)」**という、築100年以上の古い家をリノベーションして住む文化があります。
柱は煤(すす)で黒くなり、床板はすり減ってデコボコしています。でも、日本人はそれを「汚い」とは思いません。「何世代もの暮らしを見守ってきた温かみがある」と感じて、あえてその古さを残したまま暮らすことを粋(いき)だと感じるのです。
■ 壊れた場所を“金”で飾る魔法「金継ぎ」
この「傷を歴史として愛でる」究極の形が、皆さんももしかしたら聞いたことがあるかもしれない**「金継ぎ(Kintsugi)」**です。
金継ぎとは、割れたり欠けたりした陶器を捨てずに、漆(うるし)で繋ぎ合わせ、その継ぎ目を金粉で装飾して仕上げる伝統技法です。
これ、本当にすごい考え方だと思いませんか?
普通、お気に入りのマグカップが割れたらショックですよね。「壊れちゃった、もう使えない」と捨ててしまうのが普通です。
でも金継ぎは違います。
「割れた」という事実を隠すのではなく、むしろ金で目立たせるんです。「ここが割れたんですよ!そして、直したんですよ!」と主張するかのように。
なぜそんなことをするのか。
それは、**「割れたことさえも、その器の歴史の一部であり、美しさである」**と捉えるからです。
金継ぎされた器は、元の新品の時よりも、アーティスティックで深い景色を持ちます。一度壊れて、また繋がった。その「回復の物語」が、器に新たな命を吹き込むのです。
これを私たちの生活や人生に置き換えてみてください。
私たちは普段、自分の家の「傷」や「不備」を隠そうと必死になります。壁の汚れを隠し、散らかった部分を隠し、来客用には一番いい皿を出す。
でも、わびさびの精神、そして金継ぎの精神があれば、こう思えるようになります。
「この家の傷も、生活感も、私たちが一生懸命生きてきた証拠だよね」と。
■ 完璧じゃないから、リラックスできる
少し科学的な話をすると、人間は「完璧すぎる空間」にいると、無意識に緊張状態になるそうです。
直線ばかりの部屋、真っ白すぎる壁、チリひとつない床。そういう場所は「交感神経」を刺激し、常に「汚してはいけない」というプレッシャーを脳に与えます。
一方で、わびさびを感じる空間——例えば、木目が不揃いな家具や、手作りで少し歪んだ形の陶器、生成り(きなり)色のリネンなどは、人間に「1/fゆらぎ」のようなリラックス効果を与えてくれます。
自然界に完璧な直線や完全な同一色が存在しないように、私たち人間もまた自然の一部。だから、少し不揃いで、少し古びているものに囲まれている方が、本能的に「副交感神経」が優位になり、心が休まるのです。
海外での生活、特に欧米では「左右対称(シンメトリー)」や「ゴージャスな装飾」が美の基準とされることが多いかもしれません。
そんな中で、あえて「非対称(アシンメトリー)」や「枯れた風合い」を取り入れることは、勇気がいることかもしれません。
でも、想像してみてください。
週末の朝、少しヒビが入って金継ぎをしたマグカップでコーヒーを飲む時間。
長年使い込んでくたっとしたリネンのクロスに触れる感触。
それは、新品の高級品に囲まれるよりも、ずっと深く、あなたの心を包み込んでくれるはずです。
「モノ」は、ただの物質ではありません。
時間を共有するパートナーです。
私たちがモノの「老い」を許し、愛することができたとき、不思議なことに、私たち自身の「老い」や「失敗」に対しても、少し寛容になれるような気がしませんか?
「私も年を取ってシワが増えたけど、このテーブルと同じで、いい味が出てきたってことかな」
そんなふうに笑って言えるようになれたら、人生はもっと楽で、豊かになるはずです。
さて、ここまで「傷や古さを愛する」というモノへの向き合い方についてお話ししてきました。
でも、「そうは言っても、散らかった部屋を見るとイライラするし、やっぱり綺麗な家がいい!」と思う気持ち、わかります(笑)。
そこで次の【転】のパートでは、視点をガラリと変えてみましょう。
モノの見方を変えるだけでなく、私たちの「心の持ちよう(マインドセット)」をどう変えれば、散らかった現実の中でも「わびさび」を見つけられるのか。
「足るを知る」という言葉と共に、日本人の精神性の核心に迫っていきたいと思います。
家が変われば、生き方が変わる。— 「足りない」ことを嘆くのをやめて、「余白」を楽しむマインドセット
皆さんは、部屋の隅がポツンと空いていたり、壁に何も飾られていなかったりすると、どう感じますか?
「何か置かなきゃ」「寂しいから絵を飾ろう」「収納棚を置いてスペースを有効活用しなきゃ」
そんなふうに、無意識に**「埋めること」**を考えてしまいませんか?
欧米のインテリア雑誌を見ていると、壁一面のアートや、棚いっぱいに飾られたコレクション、ボリュームのあるソファとクッションで埋め尽くされた空間がとても素敵に見えます。それは「足し算の美学」であり、豊かさの象徴なのかもしれません。
でも、日本の「わびさび」の美学は、その正反対を行きます。
それは**「引き算の美学」であり、「余白(Yohaku)」**を楽しむ文化です。
■ 「何もない」ことの豊かさ — 「間(Ma)」の魔法
日本には**「間(Ma)」**という独特の概念があります。
これは単なる「Empty space(空っぽの場所)」ではありません。そこには、「何もないからこそ、想像力が入り込む余地がある」という、とてもポジティブで豊かな意味が込められています。
例えば、日本の伝統的な家にある「床の間(Tokonoma)」。
そこには、掛け軸が一つと、季節の花が一輪だけ飾られています。
もしこれが、「たくさんの花束」と「何枚もの絵画」だったらどうでしょう? きっと豪華には見えますが、一つ一つの存在感は薄れてしまいますよね。
たった一輪の花がそこにあることで、その花の命の輝きが際立つ。
周囲の何もない空間(余白)が、その一輪の花を引き立て、見る人の心に静寂をもたらす。
これが、日本人が大切にしている「間」の感覚です。
私は以前、リビングをおしゃれにしたくて、雑貨屋さんで買った可愛い小物をあちこちに飾っていました。でも、飾れば飾るほど、掃除は大変になるし、なんだか部屋がごちゃごちゃして落ち着かない……。「何かが足りないから素敵にならないんだ」と思って、さらに新しい雑貨を買い足す悪循環に陥っていました。
でもある日、思い切って棚の上の飾りを全部片付けて、小さな一輪挿しだけを置いてみたんです。
すると、どうでしょう。
今までごちゃごちゃしていた空気が一変し、凛とした空気が流れ始めたんです。
「ああ、足りなかったんじゃない。多すぎたんだ」と気づいた瞬間でした。
「わびさび」のある家とは、モノが少ないミニマリストの家とも少し違います。
必要なもの、愛着のあるものだけを残し、それ以外の「ノイズ」を取り除く。そして生まれた「余白」を、埋めようとせずにそのまま愛でる。
その余白が、日々の忙しさでパンパンになった私たちの心に、深呼吸する隙間を与えてくれるのです。
■ 「足るを知る」 — 不満を消し去る魔法の言葉
「わびさび」の根底には、日本の仏教(禅)の教えである**「足るを知る(Taru wo shiru / Chisoku)」**という考え方が流れています。
英語で言うなら “Knowing what is enough” や “Finding satisfaction in what you have” でしょうか。
私たちは現代社会で生きていると、常に「もっと(More)」を求められます。
もっと広い家、もっと最新の家電、もっとおしゃれな家具、もっと便利な収納……。
SNSを見れば、「これを持っていれば幸せになれますよ」という情報が溢れています。だから私たちは、今の自分の家を見て「あれがない、これが古い」と欠点ばかりを探してしまいがちです。
でも、「わびさび」のレンズを通して世界を見ると、評価軸が変わります。
「この古いソファ、色は褪せているけれど、座り心地は最高だよね」
「部屋は狭いけれど、家族の話し声がどこにいても聞こえるのは幸せなことだよね」
「今日は天気が悪くて部屋が暗いけれど、その分、照明の灯りが暖かく感じるね」
「ないもの」を数えるのをやめて、「今あるもの」の価値を再発見する。
これが「足るを知る」ということであり、わびさびの実践です。
私がこの考えを取り入れてから、衝動買いが劇的に減りました(夫も喜んでいます笑)。
お店で素敵な雑貨を見ても、「可愛いけど、今の我が家にはもう十分お気に入りのものがあるから、必要ないな」と穏やかに思えるようになったのです。
これは我慢ではありません。今の暮らしに満足しているからこそ、新しいものを必要としなくなったのです。
■ 散らかった部屋も「諸行無常」?
そしてもう一つ、主婦として皆さんにお伝えしたい「わびさび」の救いがあります。
それは**「諸行無常(Sho-gyo Mu-jo)」**という考え方です。
「全てのものは移ろいゆき、永遠に変わらないものはない」という意味です。
家が散らかっているとイライラしますよね。
脱ぎ捨てられた靴下、出しっぱなしのおもちゃ、積み上がった洗濯物。
「なんでいつもこうなの!?」と叫びたくなります。
でも、「わびさび」視点でこれを見てみると……少し切なくも見えてきませんか?
子供が床におもちゃを広げている風景。
それは、子供が小さいうちだけの、ほんの数年間の「期間限定の景色」です。
いつか子供は巣立ち、家は静まり返り、床にはチリひとつ落ちていない完璧な状態が訪れるでしょう。でもその時、私たちはきっと、あの騒がしかった「散らかった部屋」を懐かしく思い出すはずです。
散らかった部屋も、永遠には続きません。
今のこの「生活感」こそが、今ここに家族が生きて、活動しているという、儚くも愛おしい瞬間の連続なのです。
完璧に片付いた状態を「正解」として固定しようとするから、崩れた時に苦しくなる。
「家は生きている。状態は常に流動している(諸行無常)」と受け入れれば、「まあ、今は散らかる時間帯だよね。寝る前にリセットすればいいか」と、現状を許せるようになります。
こうして考えてみると、「わびさび」とは単なるインテリアのスタイルではなく、**「自分自身を許し、現状を肯定するための優しい哲学」**であることが分かってきませんか?
完璧でなくていい。
古くてもいい。
余白があってもいい。
そして、散らかっていても、それは今生きている証拠。
このマインドセットを手に入れた時、あなたの家は「他人に見せるためのショールーム」から、「あなたがあなたらしくいられる、世界で一番安心できる場所」へと生まれ変わります。
さあ、心構えは整いましたね?
最後の【結】では、これまでの話を総まとめにして、今日からすぐに始められる「わびさびライフ」の具体的なアクションプランをお渡しします。
高い壺を買う必要はありません。庭の雑草一本から始められる、小さな幸せの見つけ方をお伝えします。
今日からできる、わびさびライフ。— 花一輪、欠けた器から始める、自分自身を許すための儀式
わびさびのある暮らしとは、言い換えれば**「季節の移ろいに寄り添い、五感を研ぎ澄ます暮らし」**です。
特別な道具は要りません。必要なのは、ほんの少しの「気づき」だけ。
私が普段実践している、とても簡単な3つのステップをご紹介します。
1. 「名もなき草花」を一輪、飾ってみる
海外のフラワーショップに行くと、色とりどりのゴージャスな花束が売られていますよね。もちろんそれも素敵ですが、わびさびの世界へ一歩踏み出すなら、視点を少し下げてみてください。
庭の隅に咲いている小さな野花、散歩道で見つけた面白い形の枝、あるいは秋に枯れて茶色くなった紫陽花(あじさい)のドライフラワー。
そんな「売り物ではない植物」を、家にある空き瓶や、少し欠けたマグカップに一輪だけ挿してみてください。
日本には**「投げ入れ(Nageire)」**という花の生け方があります。
剣山やオアシスでガチガチに固定して「美しく見せよう」と作為的に整えるのではなく、花が自然に傾く姿、重力に逆らわず「あるがまま」の姿を大切にする生け方です。
一輪だけ飾ることで、その花の生命力が驚くほど際立ちます。
「ああ、この枝の曲がり具合、一生懸命お日様の方を向こうとしたんだな」
そんなふうに植物の「命の物語」を感じられたら、それはもう立派なわびさびの実践です。
枯れていく花をすぐに捨てないでください。
散りゆく花びら、茶色く変色していく葉っぱ。その「終わっていく姿」にも、静かな美しさがあります。
「お疲れ様、ありがとう」と声をかけて見守る時間は、私たち自身の「老い」や「衰え」をも優しく肯定してくれるレッスンになるはずです。
2. 照明を落として、「影(Shadow)」をデザインする
欧米の家は日本よりも間接照明が上手なイメージがありますが、わびさびの観点からもう一度、夜の部屋を見渡してみてください。
日本の有名な作家、谷崎潤一郎は『陰翳礼讃(In Praise of Shadows)』というエッセイの中で、**「美は物体にあるのではなく、物体と物体との作り出す陰翳(かげ)のあや、明暗にある」**と説きました。
蛍光灯のような白い光で部屋の隅々まで明るく照らすことは、機能的ですが、どこか情緒がありません。影を消してしまうことは、空間の奥行きを消してしまうことだからです。
今夜は、メインの明るい電気を消して、小さなスタンドライトやキャンドルだけで過ごしてみませんか?
薄暗がりの中では、散らかった部屋の端っこは見えなくなります(これは主婦にとって嬉しいメリットですよね!笑)。
その代わり、お気に入りのコーナーや、先ほど飾った一輪の花のシルエットがぼんやりと浮かび上がります。
光と影のグラデーションの中に身を置くと、人の心は自然と静まります。
全てをはっきりと見なくていい。見えない部分があってもいい。
その「曖昧さ」の中にこそ、想像力が広がり、心の休息が生まれるのです。
3. 「お茶の時間」を、自分への許しの儀式にする
最後に、これが一番大切な実践です。
毎日忙しい皆さんは、コーヒーやお茶を「何かをしながら(ながら飲み)」していませんか?
スマホを見ながら、洗濯物を畳みながら、仕事のメールを返しながら。
1日1回、たった10分でいいので、**「ただ、お茶を飲むだけ」の時間を作ってください。
これが現代版の「茶の湯(Tea Ceremony)」**です。
お気に入りのカップ(少し欠けていても、金継ぎがしてあれば最高です!)にお茶を注ぎます。
湯気を眺め、カップの温かさを手で感じ、香りを深く吸い込み、一口味わう。
その瞬間だけは、「やらなきゃいけないことリスト」を頭から追い出してください。
「このカップの歪み、手に馴染むなぁ」
「今日のお茶は少し渋いけど、それもまた美味しいな」
「今日も一日、私はよく頑張ったな」
わびさびの精神で「今、ここ」にある感覚だけに集中すること。
それは、完璧を求めて走り続けている自分を一度立ち止まらせ、「そのままでいいんだよ」とリセットしてあげる儀式です。
最後に:あなたのシワは、年輪です
長い記事にお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
最後に、日本の主婦として、海を越えて頑張るあなたに伝えたいメッセージがあります。
家と同じように、私たち人間もまた、自然の一部です。
私たちも年齢を重ね、肌にはシワが増え、体型も変わり、昔のようにテキパキ動けなくなるかもしれません。
鏡を見て「ああ、老けたな」と落ち込むこともあるでしょう。
でも、どうか思い出してください。
使い込まれた木のテーブルが美しいように、苔むした石が趣深くなるように、
あなたが重ねてきた年月、笑って泣いて刻まれた目尻のシワ、出産や育児で変わった体、その全てが**「あなたという人間の歴史」**であり、かけがえのない美しさなのです。
Beyond Perfection.(完璧のその先へ)
完璧な若さや美貌は、いつか失われます。
でも、「経年変化」を楽しめるわびさびの心があれば、私たちは歳を重ねるほどに、もっと自由で、もっと味わい深い人間になれるはずです。
あなたの家が、完璧なショールームではなく、あなたと家族の歴史を優しく包み込む「わびさび」のある家でありますように。
そして、不完全な日常を、心から愛せますように。
日本から、愛と敬意を込めて。

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