以心伝心の魔法が解けるとき ― 曖昧な文化の中で「No」を言う勇気
1. 察する文化の美しさと、その危うさ
私の住む日本には、昔から**「以心伝心(いしんでんしん)」とか「空気を読む」**という言葉があります。言葉にしなくても相手の気持ちを察する、言わなくても通じ合う……これって、日本の美徳として長く大切にされてきました。
例えば、有名な文豪・夏目漱石が「I love you」を「月が綺麗ですね」と訳したという逸話は、みなさんも聞いたことがあるかもしれません。直接的な言葉を避け、情景に想いを乗せる。それはとても奥ゆかしくて、ロマンチックな文化です。
でもね、主婦として、そして母として現代の日本を生きていると、ふと思うんです。「この美しい文化が、時には私たちの首を絞めているんじゃないか?」って。
特に「人間関係の構築」や「パートナーシップ」において、この「言わなくても察してほしい」「言わなくてもわかるはず」という期待は、とんでもないすれ違いや、もっと深刻な問題を引き起こす種になることがあります。
海外のドラマを見ていると、”Can I kiss you?”(キスしてもいい?)って聞くシーンがありますよね。昔の日本人の感覚からすると「そんな無粋なこと聞くなんて!」って感じだったかもしれません。でも、今、私たち親世代が子供たちに教えなきゃいけないのは、まさにその**「確認する勇気」と「同意(コンセント)の重要性」**なんです。
曖昧さは、時に暴力を隠す霧になります。「嫌だと言わなかったからOKだと思った」という悲しい言い訳を許さないために、私たちは今、伝統的な「察する文化」と、現代に必要な「明確なコミュニケーション」の間で、新しいバランスを見つけようともがいています。
2. 「和」を重んじるあまりに見失うもの
日本には**「和(わ)」**の精神があります。「和を以て貴しとなす」。聖徳太子の時代から続く、調和を大切にする心です。これは集団生活において素晴らしい知恵ですが、個人の人間関係、特に恋愛や夫婦関係においては、時に「我慢」と同義語になってしまうことがあります。
「私が我慢すれば、丸く収まる」
「相手の機嫌を損ねたくないから、笑ってやり過ごす」
これ、日本の女性(もちろん男性も)あるあるなんです。私たちは小さい頃から「人に迷惑をかけないように」「相手の気持ちを考えなさい」と教えられて育ちます。素晴らしい教えです。でも、「自分の気持ちを大切にしなさい」と教えられる時間は、それに比べると圧倒的に少なかった気がします。
ここ最近、日本でも「モラハラ(モラルハラスメント)」や「デートDV」という言葉が広く知られるようになりました。
身体的な暴力だけでなく、言葉や態度で相手を支配しようとする行為。これが見過ごされがちなのは、私たちが「多少のことは我慢するのが大人の対応」「相手にも事情がある」と、過剰なまでの**「思いやり」**を発揮してしまうからかもしれません。
健全な人間関係のインジケーター(指標)って何でしょう?
それは、ドキドキするような高揚感でも、相手に尽くす献身でもありません。私が思うに、それは**「恐れずに本音を言える安心感」**です。
「それは嫌だ」「私はこうしたい」
そう言ったときに、不機嫌になったり、無視したり、暴れたりしない相手かどうか。
日本の伝統的な「夫唱婦随(夫が唱え、妻が従う)」なんて言葉はもう博物館行きです。現代の私たちが目指すのは、互いに自立した個人として、リスペクトし合える関係。でも、そのための「スキル」を、私たちは学校であまり習ってこなかったんですよね。
3. レッドフラグは「違和感」という名の直感
私の友人の話をしましょう。彼女はとても優しくて、料理上手で、いわゆる「大和撫子」的な女性です。彼女が以前付き合っていた彼氏は、とてもエリートで、外見も良く、周りからは「お似合い」と言われていました。
でも、彼女は時々、小さな違和感を口にしていました。
「彼、私が友達と遊びに行くと、すごく心配して10分おきにLINEしてくるの。愛されてるなぁ」
「私の服、彼が選んでくれるの。私センスないから助かるけど、たまにはジーンズも履きたいな」
みなさん、どう思いますか?
海外の感覚だと、これはもう巨大な**レッドフラグ(危険信号)**がバタバタと振られている状態に見えるかもしれません。でも、日本の「愛され信仰」の中では、これが「心配性な彼」「リードしてくれる彼」として美化されてしまうことがあるんです。
コントロールは、ケア(Care)の顔をしてやってきます。
「君のためを思って言っているんだ」
この言葉は、日本社会の上下関係や家族関係でよく使われる常套句です。だからこそ、私たちは見極める目を養わなければなりません。
それが「愛」なのか、それとも「支配」なのか。
その見極めの鍵となるのが、**「自己肯定感」**だと私は思っています。日本人は謙虚であることが美徳とされるあまり、自己肯定感が低い傾向にあります。「私なんて…」と思っていると、「こんな私を愛してくれるんだから、彼の言うことを聞かなきゃ」という思考の罠にハマってしまう。
だからこそ、子供たちに、そして私たち自身に、「あなたは尊重されるべき存在だ」と言い続ける必要があります。レッドフラグに気づくためには、まず自分自身が「大切に扱われて当たり前の存在」だと信じることがスタート地点なんです。
4. 日常の食卓から学ぶ「境界線(バウンダリー)」
さて、ここからは少し生活感のある話を。
日本の食卓には「大皿料理」という文化があります。大きな皿に盛られた料理を、みんなで取り分けて食べる。家族の団欒の象徴ですよね。
「これ食べていい?」
「お父さんの分、残しておきなさいよ」
「遠慮しないで食べなさい」
実はこの食卓の風景にこそ、人間関係の縮図があります。
大皿料理は「シェアする喜び」を教えますが、同時に「個人の境界線(バウンダリー)」を曖昧にしがちです。誰かの皿に勝手に料理を取り分けることが「親切」とされるように、日本人は他人の領域に土足で踏み込むことを「世話焼き」として肯定する側面があります。
「あなたのことを思ってやってあげたのに」
これが押し付けがましさ(Preachiness)や、相手の自律性を奪う行為になることに、私たちはもっと敏感になるべきかもしれません。
海外の個人主義(Individualism)は、日本では時に「冷たい」と誤解されますが、私は最近、それが**「健全な距離感」**なのだと理解するようになりました。
「私はここまで。あなたはそこまで」
そのラインを引くことは、相手を拒絶することではなく、お互いが心地よく過ごすためのマナーなんですよね。
私の家でも最近、意識的に「No」を言う練習をしています。
子供が「今日のご飯、これ食べたくない」と言ったとき、昔の私なら「せっかく作ったのに!」と怒っていたかもしれません。でも今は、「そうか、今は食べたくない気分なんだね。OK」と受け止めるようにしています。(栄養バランスのことは一旦置いておいてね!笑)
家庭という最小の社会で、自分の意見が尊重される経験。自分の「No」が受け入れられる経験。それが、外の世界で誰かと関係を築くときに、「嫌なことは嫌と言っていいんだ」という自信に繋がると信じているからです。
タテマエの鎧を脱がせる技術 ― 健全な距離感と「間(Ma)」の美学
1. 「お客様は神様」の国で見抜く、究極のレッドフラグ
日本には「お客様は神様です」という有名な言葉があります。日本のサービス品質が世界一と言われる所以(ゆえん)ですが、実はこの文化、パートナーの本性を見抜くための最強のリトマス試験紙になるんです。
私がまだ独身だった頃、母から口酸っぱく言われた教訓があります。
「あなたへの態度ではなく、店員さんへの態度を見なさい」
これ、万国共通の真理かもしれませんが、日本のような上下関係や「奉仕」が重視される社会では、より顕著に人間性が現れます。
デート中、私には「寒くない?」「何食べたい?」と至れり尽くせりの優しい彼。でも、レストランでオーダーが遅れた瞬間に、店員さんに対して「おい、まだかよ」と舌打ちをしたり、横柄な態度を取ったりする。
これは明確な**レッドフラグ(危険信号)**です。
なぜなら、今の彼が私に見せている優しさは「タテマエ(Tatemae:社会的仮面)」であり、店員さんに見せている攻撃性が「ホンネ(Honne:本性)」だからです。今は私が「落としたい相手(ターゲット)」だから優しくしているだけで、関係が安定して「自分の所有物(身内)」になった途端、その攻撃性は私に向けられるでしょう。
日本では「内弁慶(うちべんけい)」という言葉があります。外ではいい人ぶっているけれど、家の中では暴君のように振る舞う人のことです。
「釣った魚に餌をやらない」なんて古い言葉もありますが、私たちは「餌をくれるかどうか」ではなく、**「誰に対しても敬意(リスペクト)を払える人かどうか」**を見極めなくてはいけません。
海外の皆さんにアドバイスするなら、彼があなたをどう扱うかだけでなく、**「彼が、彼に利益をもたらさない人(タクシー運転手、清掃員、店員など)をどう扱うか」**を観察してください。そこに彼の本当の「品格」が宿っています。
2. 「間(Ma)」がない関係は窒息する
日本の芸術や武道には、**「間(Ma)」**という非常に重要な概念があります。
音楽なら音のない時間、生け花なら花のない空間、歌舞伎なら静止する瞬間。この「何もないスペース」こそが、全体の調和を生み出し、美しさを際立たせます。
これは人間関係も全く同じです。
健全な関係(Green Flags)には、必ず美しい「間」が存在します。
- 一緒にいても、沈黙が怖くない。
- 離れていても、不安にならない。
- お互いに「一人の時間(Me time)」を持つことを尊重できる。
逆に、レッドフラグが立っている関係は、この「間」を埋めようと必死になります。
「今どこにいるの?」「誰といるの?」「なんで返信くれないの?」
スマホという便利なツールができてから、日本の若者たちの間でも「即レス(すぐに返信すること)」が愛の証だと思い込んでいるケースが増えました。でも、それは愛ではなく**「依存」や「監視」**です。
私が夫と上手くいっている(と信じていますが!笑)秘訣は、お互いに**「不可侵領域」を持っているからだと思います。
彼は趣味の釣りをしている時、私は完全に放置します。私はブログを書いたり、好きな本を読んでいる時、彼に話しかけられても「今、集中してるから後でね」と言います。
日本には「親しき仲にも礼儀あり」という言葉がありますが、どれだけ愛していても、相手の「間」=「個人の領域」に土足で踏み込まない。この「スペースへの敬意」**こそが、長く続く関係の必須条件です。
もし、あなたのパートナーがあなたの「間」を許さず、すべての時間や思考を共有・支配しようとするなら、それは「熱烈な愛」ではなく、「あなたの人生の乗っ取り」の始まりかもしれません。逃げて!
3. 「お邪魔します」の精神とConsent(同意)
日本の家に入る時、私たちは必ず「お邪魔します(Ojamashimasu)」と言います。直訳すると “I am going to disturb you” や “I am intruding” に近い謙虚な言葉です。
これは、「ここはあなたのテリトリーであり、私は部外者ですが、許可を得て入らせていただきます」という境界線(バウンダリー)の確認の儀式です。
この感覚、実は現代社会で最も重要な**「Consent(同意)」**の概念と深く通じています。
身体的な接触はもちろん、精神的な領域においても、私たちは常に「お邪魔します」というノックが必要です。
たとえ夫婦であっても、相手の心の中にズカズカと入り込んでいい権利なんてありません。
「今、話しても大丈夫?」
「こういう話をしたいんだけど、聞く準備できてる?」
これを省略して、「夫婦なんだから何でも話すべき」「隠し事はなし」と詰め寄るのは、玄関の鍵を壊して押し入る強盗と同じです。
健全な関係においては、「NO」と言う権利が常に保障されています。
「ごめん、今は疲れていて話せない」
そう言われた時に、「わかった、じゃあまた今度」と引き下がれるか。それとも「俺の話より疲れが大事なのか!」と逆上するか。
日本の伝統的な家屋には「縁側(Engawa)」という、内と外の中間スペースがあります。
いきなり核心(座敷)に入り込むのではなく、まずは縁側でお茶を飲みながら、相手の様子を見る。そんな**「心の縁側」**を持てるかどうかが、衝突を避け、お互いを尊重するために重要だと私は感じています。
4. 良い関係は「ぬか床」のように育てるもの
最後に、もう一つ日本の生活の知恵から、**「良い関係のインジケーター(指標)」**についてお話しします。
日本には「ぬか漬け(Nukazuke)」という発酵食品があります。米ぬかの中に野菜を漬け込んで作るのですが、これには「ぬか床(Nukadoko)」というベースが必要です。
このぬか床、毎日手でかき混ぜて空気を入れないと、すぐにダメになってしまいます。でも、手をかけすぎてもいけないし、放置してもいけない。適切な世話を続けると、何十年、時には100年も受け継がれる素晴らしい味が生まれます。
「健全な愛」は、完成品として落ちているものではなく、この「ぬか床」のように日々メンテナンスしていくものです。
初期の燃え上がるような情熱(Honeymoon phase)は、長くは続きません。それは花火のようなものです。
一方、本当のGreen Flagは、**「地味なメンテナンスを継続できる誠実さ」**にあります。
- 何か問題が起きた時、感情的に爆発するのではなく、「どうすれば解決できるか」を話し合えるか。
- 「ありがとう」「ごめんね」という基本的な挨拶を、何年経っても忘れずに言えるか。
- 相手の変化(年齢、体調、価値観)を、柔軟に受け入れられるか。
私の周りの幸せそうな老夫婦を見ていると、彼らは決して「完璧な王子様とお姫様」ではありません。むしろ、お互いの欠点をよく知った上で、「まあ、しょうがないわね」と笑い合って、日々小さなメンテナンスを続けてきた「戦友」のような関係です。
刺激的なドラマはありませんが、そこには深い**「安心感」**という根が張っています。
もしあなたが今、ハラハラドキドキするような不安定な関係にいるなら、一度立ち止まって考えてみてください。
「この人と一緒にいて、私は私のままで、呼吸ができているだろうか?」
「この人は、私の心をメンテナンスする意思があるだろうか?」
傷ついた器はもっと美しい ― 争いと再生の「金継ぎ」メンタリティ
1. 真正面からぶつからない「合気道(Aikido)」の喧嘩術
どれだけ相性の良いカップルでも、喧嘩はします。文化や言語が違えばなおさらです。
みなさんはパートナーと意見が対立した時、どうしますか?
西洋的なディベート文化では、自分の正当性を主張し、論理(Logic)で相手を打ち負かすことが「解決」とされがちかもしれません。ボクシングのように、パンチを打ち合うイメージですね。
でも、日本の武道、特に**「合気道」や「柔道」には、「柔よく剛を制す(Softness overcomes hardness)」**という極意があります。
硬い木(樫の木など)は強風でポッキリ折れてしまいますが、柔らかい柳の木は、風を受け流して生き残る。この知恵は、夫婦喧嘩や対人トラブルで魔法のような効果を発揮します。
相手が感情的になって「なんでわかってくれないんだ!」と強いエネルギー(剛)でぶつかってきた時、同じ強さで「あなたこそ!」と返せば、どちらかが怪我をする大惨事になります。
ここで「柳」になるのです。
「そうか、あなたは今、そう感じていて辛いんだね」
これは負けを認めることではありません。相手の攻撃エネルギーを一度ふわりと受け止め(受容)、そのベクトルをずらすのです。
日本語には**「相槌(Aizuchi)」**という会話の技術があります。「うん、うん」「なるほど」と相手の話に頷くことですが、これは「あなたの存在を認めていますよ」というサインです。
喧嘩の最中、論破しようとするのをやめて、まずは深呼吸して「相槌」を打つ。
「あなたの言い分はわかった(I hear you)。じゃあ、どうしたら私たちにとってベストか一緒に考えよう」
と、相手の隣に並んで同じ方向を見る。
対立(Face to Face)から、協調(Side by Side)へ。
これが、日本の母たちが家庭という道場で密かに実践している、争いを泥沼化させない「黒帯」級のスキルです。
2. 世間体(Seken-tei)という「見えない敵」との戦い
人間関係の悩みにおいて、実はパートナーそのものよりも厄介な敵がいます。
それは**「ピアプレッシャー(同調圧力)」**です。
日本ではこれを**「世間体(せけんてい)」**と呼びます。「世間(Seken)」は社会や近所の人々、「体(Tei)」は外見や体裁。つまり、「周りからどう見られているか」という強迫観念です。
「30歳過ぎてまだ独身なの?」
「子供はまだ?」
「旦那さんの稼ぎはどうなの?」
日本はこの圧力が世界でもトップクラスに強い国かもしれません。でも、だからこそ私たちは、この「ノイズ」をシャットアウトする術を身につける必要があります。
もしあなたが、友人たちがSNSにアップする「完璧なカップル写真」や、親からの「安定した人と結婚しなさい」というプレッシャーに押しつぶされそうになったら、日本の禅(Zen)の言葉を思い出してください。
「本来無一物(ほんらいむいちもつ)」
人は裸で生まれ、裸で死んでいく。何も持っていないのが本来の姿であり、執着するものなど何もない、という意味です。
他人の評価、社会のステータス、平均的な幸せの基準。これらはすべて後から張り付けられたラベルに過ぎません。
私の友人で、周りの反対を押し切って、定職につかない夢追い人のアーティストと結婚した女性がいます。周りは「苦労するぞ」と言いましたが、彼女はこう言いました。
「世間と結婚するわけじゃない。彼と結婚するの」
今、彼女は慎ましくも最高にクリエイティブで笑いの絶えない家庭を築いています。
ピアプレッシャーを感じたら、「それは私の幸せ? それとも誰かの脚本?」と自問自答してください。
「よそはよそ、うちはうち(Other people are other people, we are us)」
この、日本のオカン(お母さん)が子供を諭すときに使う最強のマントラを、ぜひあなたのお守りにしてください。
3. ハートブレイクを芸術に変える「金継ぎ(Kintsugi)」の哲学
どんなに努力しても、関係が終わってしまうことはあります。失恋、裏切り、離別。
心が粉々に砕け散った時、西洋的な消費社会の感覚だと「壊れたから捨てる(Move on)」「新しいものを探す」となるかもしれません。あるいは、傷ついたことを隠して「私は大丈夫」と振る舞うか。
でも、日本には**「金継ぎ(きんつぎ)」という世界に誇るべき修復の技法があります。
割れてしまった茶碗などを、漆(うるし)で繋ぎ合わせ、その継ぎ目を金粉で装飾するのです。
ここで重要なのは、「割れた事実を隠そうとしない」こと。むしろ、その傷跡を金で彩り、「この器は壊れた歴史があるからこそ、新品よりも美しくて価値がある」**と捉えるのです。
これは、私たちの心(Heart)も同じではないでしょうか。
深い悲しみや失恋を経験した人は、人の痛みがわかる優しさを持っています。
信頼していた人に裏切られた経験がある人は、誠実さの重みを知っています。
「傷物(Kizumono – damaged goods)」なんて言葉がありますが、金継ぎの精神で言えば、傷は「景色(Scenery)」です。あなたの人生の景色に深みを与えるものです。
もし今、あなたがハートブレイクの只中にいるなら、無理に忘れようとしなくていいし、自分を責める必要もありません。
「今、私の心は金継ぎの最中なんだ」と思ってください。
時間はかかります(漆が乾くのには時間がかかります!)。でも、修復が終わったあなたの心は、以前よりも強く、味わい深く、そして他者を受け入れる許容量が増した「美しい器」になっているはずです。
4. 「雨降って地固まる」― トラブルは絆のセメント
最後に、今回の「転」を象徴することわざを紹介します。
「雨降って地固まる(After the rain, the earth hardens)」
雨が降ると地面はぐちゃぐちゃになります(=トラブルや喧嘩)。歩きにくいし、泥だらけになるし、最悪の気分です。
でも、雨が上がって地面が乾いた時、その土は雨が降る前よりもギュッと締まって、強固になっているのです。
日本人は、自然災害の多い土地で生きてきたせいか、「悪いことの後には良いことがある」「試練が私たちを強くする」という、ある種の**諦念(Resignation)と希望が入り混じったレジリエンス(回復力)**を持っています。
衝突を恐れて、言いたいことを我慢して表面上の平和を保つ関係は、雨を知らないふわふわの土のようなものです。ちょっとした風で崩れてしまいます。
一方、本音でぶつかり合い、涙を流し、それでも「金継ぎ」のように修復してきた関係は、コンクリートのように強固です。
だから、コンフリクト(対立)を「関係の終わり」だと思わないでください。それは「地固め」のプロセスです。
「あ、今、私たちの関係、雨が降ってるな。これが乾いたら、もっと良い地盤になるな」
そう客観的に捉える余裕を持つこと。これが、長く続く関係の秘訣であり、人生という予測不能なドラマを楽しむコツなのです。
一期一会の心で、隣にいる人を愛する ― 私たちの旅の終わりに
1. 「空気を読む」から「共に空気を吸う」へ
長いシリーズにお付き合いいただき、本当にありがとうございます。
私たちは最初、「察する文化(起)」の危うさについて触れました。そして、「境界線を引くこと(承)」の大切さを学び、「金継ぎの精神(転)」で傷を癒す術を知りました。
これらを全部ひっくるめて、私が最後に伝えたいこと。それは、**「二人の間の空気を、美味しいものにする」**ということです。
日本には「空気を読む」という言葉がありますが、本当に大切なのは、パートナーと一緒にいる空間の空気が、澄んでいて、呼吸がしやすいかどうかです。
言いたいことを我慢して澱んだ空気にするのでもなく、感情を爆発させて嵐のような空気にするのでもなく。
お互いが自立した「個」として立ちながら、リスペクトという窓を開けて、常に新鮮な風を通しておく。
これを、昔の日本の言葉で**「和魂洋才(わこんようさい)」的にアレンジするなら、「日本的な深い思いやり(Omoiyari)」と、「欧米的な明確な対話(Communication)」**のいいとこ取り(Hybrid)を目指そうよ、という提案です。
私の家では、こんなルールがあります。
「感謝は言葉にする(欧米流)、でも、お茶を淹れるタイミングは相手の顔を見て察する(日本流)」
言葉と非言語、この両方のチャンネルを使うことで、関係はより立体的で、豊かになります。どちらか一つを選ぶ必要なんてないんです。
2. 魔法の言葉「お疲れ様(Otsukaresama)」の効能
さて、ここからは超実践編。明日からすぐに使える、日本の最強の「愛のメンテナンス・ワード」を教えます。
それは、**「お疲れ様(Otsukaresama)」**です。
直訳すると “You look tired” になってしまい、英語圏の人には「え、私疲れて見える? 老けた?」と誤解されがちですが(笑)、この言葉の真意は全く違います。
これは、**「あなたの労力、頑張り、そして今日一日を生き抜いたことへの敬意と労い」**を込めた挨拶です。
仕事から帰ってきたパートナーに、あるいは家事を終えた自分自身に。
「Hey」や「How was your day?」も素敵ですが、「Otsukaresama」というマインドセットを持ってみてください。
「あなたが今日、外の世界で戦ってきたことを私は知っているよ」
「家族のために時間を割いてくれたことに感謝しているよ」
このニュアンスを込めて、肩をポンと叩いたり、ハグをしたりする。
日本の夫婦は、アイ・ラブ・ユーを連発するのは照れくさいけれど、この「お疲れ様」の中に、万感の愛を込めます。
相手の「存在」ではなく、相手の「行為や努力」にスポットライトを当てるこの習慣は、マンネリ化した関係に「承認(Recognition)」という潤いを与えてくれます。
「私の頑張りを見てくれている人がいる」
その安心感さえあれば、人は明日もまた頑張れるし、その安心感をくれる人を大切にしようと思うものです。
3. 「一期一会(Ichigo Ichie)」をパートナーシップに
茶道に由来する言葉、「一期一会」。「一生に一度の出会い」という意味です。
これは、初対面の人に限った話ではありません。毎日顔を合わせる夫や子供、親友に対しても同じです。
「今日の彼は、昨日の彼とは違う」
「今日交わす会話は、二度と同じシチュエーションでは訪れない」
長く一緒にいると、私たちは相手のことを「知り尽くした」と錯覚します。「どうせこう言うだろう」「またあの癖だ」と、相手を過去のデータの蓄積として見てしまう。これを「慣れ」と呼びます。
でも、それは実はとても失礼なことであり、関係がつまらなくなる原因です。
今日のパートナーは、昨日とは違う細胞に入れ替わっています。昨日とは違うニュースを見て、違うことを考え、少しだけ変化しています。
「今日のあなたには、もう二度と会えない」
そう思って、朝の「行ってらっしゃい」や夜の「おやすみなさい」を言ってみる。もしかしたら、これが最後の言葉になるかもしれないという、ほんの少しの緊張感(良い意味での)を持つこと。
そうすると、スマホを見ながら適当に返事をすることができなくなります。相手の目を見て、話を聞こうという姿勢になります。
この**「瞬間への没入(Mindfulness)」**こそが、日本の生活の知恵が教える、愛を新鮮に保つ秘訣です。
4. あなたの人生の「主人公」はあなた
最後に、これから広い世界で人間関係を築いていくあなたへ。
どんなにスキルを磨いても、失敗することはあります。傷つくことも、裏切られることもあるでしょう。
でも、忘れないでください。
あなたの人生という物語の主人公(Protagonist)は、いつだって「あなた」です。
パートナーは、あなたの人生を彩る重要な「登場人物」ではありますが、あなたの人生の「脚本家」ではありません。
日本には**「自灯明(じとうみょう)」**という仏教の言葉があります。「自分を明かりとして、自分の足で進め」という教えです。
誰かに幸せにしてもらうのを待つのではなく、自分で自分を幸せにする覚悟を持つこと。
- 自分が笑顔になれる機嫌の取り方を知っていること。
- 一人でも楽しめる趣味や世界を持っていること。
- 自分の直感(あのレッドフラグを感じる力!)を信じること。
自立した二人が、それぞれの明かりを持って、同じ道を歩いていく。時には照らし合い、時には一人の夜を楽しみながら。それが、私が思う理想の「大人のパートナーシップ」です。
5. 旅の終わりに(エピローグ)
全4回にわたってお届けした「人間関係のスキル」シリーズ、いかがでしたか?
日本という極東の島国の一主婦の視点が、海の向こうのあなたにとって、何か少しでもヒントになったなら、これほど嬉しいことはありません。
私たちは文化も言葉も違いますが、「誰かと深く繋がりたい」「愛し、愛されたい」と願う心は同じです。
完璧な人間はいませんし、完璧な関係もありません。
あるのは、凸凹な私たちが、金継ぎで修復しながら、お互いを知ろうとし続けるプロセスだけ。
だから、恐れずに飛び込んでください。
傷ついたら、私が紹介した「金継ぎ」の話を思い出して。
迷ったら、「お邪魔します」の心で相手に聞いてみて。
そして、疲れたら、自分自身に「お疲れ様」と言ってあげてください。
あなたのこれからの旅路(Journey)に、たくさんの「良き縁(En – serendipity)」がありますように。
日本から、溢れんばかりの愛とエールを送ります!
それでは、また次の記事でお会いしましょう。
元気でね!(Take care!)

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