テストの点数より大切なもの — 日本の「部活動(Bukatsu)」が子供たちに教える、教室では学べない人生の授業

日本の学校の不思議な光景?「部活」という名のもう一つの学校

みなさん、日本の夕方の学校を見たことはありますか?

授業が終わるのはだいたい午後3時か4時くらい。でも、日本の学校、特に中学校や高校は、夕方の6時や7時になっても明かりが消えることはありません。校庭からは野球部の掛け声、体育館からはバスケットボールのダムダムという音、そして音楽室からは吹奏楽部の楽器の音色が響き渡っています。

これが**「部活動(Bukatsu)」**です。

海外のドラマを見ていると、学校が終わればすぐ帰宅したり、アルバイトをしたり、あるいは地域のクラブチームに通ったりするのが一般的だと聞きます。もちろん日本にも塾(Juku)に通う子は多いですが、それと同じくらい、いやそれ以上に生徒たちの生活の中心にあるのが、この学校単位で行われる部活動なんです。

正直に言うと、親としては心配になることもあります。「そんなに遅くまで学校にいて、勉強する時間はあるの?」「毎日毎日、休みなしで疲れないの?」って。

私の娘も高校に入学した当初、朝早くから朝練に行き、放課後はクタクタになるまで練習して、泥だらけのユニフォームで帰宅する日々が続きました。玄関を開けた瞬間、「ただいま」の声よりも先に、重たいスポーツバッグがドサッと床に置かれる音。その背中を見るたびに、私は「ああ、今日も戦ってきたんだな」と感じたものです。

でも、ある時ふと思ったんです。

なぜ、日本の子供たちはここまでして部活動に打ち込むのでしょうか?

先生たちも、なぜ勤務時間を超えてまで指導してくれるのでしょうか?

そこには、単なる「スポーツを楽しむ」とか「趣味を極める」というレベルを超えた、日本特有の社会教育の場としての機能があるからなんです。

日本では昔から「文武両道(Bunbu-ryodo)」という言葉が好まれます。これは「勉強(文)」と「スポーツや武道(武)」の両方を極めることが理想的だという考え方です。でも、現代における部活の意味合いは、もう少し精神的な部分、つまり「心の成長」に重きが置かれているように感じます。

娘が所属していたのは、決して強豪校とは言えないバレーボール部でした。

それでも、彼女にとってその場所は、単なる「バレーをする場所」ではありませんでした。そこは、**「自分の居場所(Identity)」を確認するサンクチュアリ(聖域)であり、日々の勉強のストレスを解放する「はけ口(Outlet)」**でもあったのです。

日本の学校社会は、時として窮屈です。

「みんなと同じでなければならない」という同調圧力や、偏差値という数字だけで評価されてしまうプレッシャー。教室の中では、どうしても「成績の良い子」「おとなしい子」「目立つ子」というレッテルが貼られがちです。

でも、部活のジャージに着替えた瞬間、その序列はリセットされます。

勉強が苦手な子が、コートの中では誰もが頼りにするキャプテンになるかもしれない。普段は口数の少ない子が、楽器を持てば情熱的なソロを奏でるかもしれない。

部活動は、子供たちが「生徒」という役割から離れ、「一人の人間」として輝ける、別のステージなんですよね。

私が特に興味深いと感じるのは、この部活というシステムが、今の子供たちに**「数値化できないスキル(Non-cognitive skills / Soft skills)」**を叩き込んでいる点です。

最近、教育の世界でもよく言われますよね。「IQや学歴よりも、やり抜く力(GRIT)やコミュニケーション能力の方が、将来の成功には重要だ」って。

日本の部活は、まさにこの「ソフトスキル」の道場なんです。

先輩・後輩という厳しい上下関係の中で学ぶ礼儀やコミュニケーション。

レギュラー争いに負けた時の悔しさと、そこから這い上がる粘り強さ。

チーム全員で一つの目標に向かう協調性。

これらは、教科書をどれだけ読んでも身につきません。汗を流し、時には涙を流し、仲間とぶつかり合う実体験の中でしか得られないものです。

娘を見ていて気づいたことがあります。

最初は「楽しいから」という理由で始めた部活が、いつの間にか「自分を磨く場所」に変わっていったことです。

「ママ、今日は先輩に怒られちゃった。でも、私の動きが遅かったからなんだよね。明日はもっと早く動けるように工夫してみる」

夕食のテーブルで、箸を動かしながら娘がそう言った時、私はハッとしました。

彼女は今、学校の成績(Grades)以上のものを学んでいる。

それは、社会に出た時に最も必要となる**「理不尽な状況でも腐らずに、自分で考えて前に進む力」**の基礎を作っているんじゃないか、と。

海外の方に向けて日本を紹介する時、どうしても「お寺」や「アニメ」、「美味しい寿司」の話になりがちですが、私はこの**「部活動という青春(Seishun)」**こそが、日本人の勤勉さやチームワーク、そして他者を思いやる精神(Omoiyari)を育んでいる土壌だと思っています。

このブログでは、実際に部活動を通して子供たちがどう変わり、何を学んでいるのか。そしてそれが、大人になった時の人生観にどう繋がっていくのか。

次回からは、具体的なエピソードや、子供たちの生の声を交えながら、その「成長の秘密」に迫っていきたいと思います。

「ただの課外活動でしょ?」なんて思っていたら大間違い。

そこには、大人の私たちもハッとさせられるような、人生の哲学が詰まっているんです。

さあ、次の章では、実際にどんなドラマが起きているのか、もう少し深いところまで降りていってみましょう。準備はいいですか?

涙と汗と、時々笑い。子供たちが語る「友情・リーダーシップ・回復力」のリアル

1. 「友達」以上の存在 — 同じ釜の飯を食うということ

日本の部活動のハイライトの一つに、夏休みなどに行われる「合宿(Gasshuku)」があります。これは数日間、学校や合宿所に泊まり込み、朝から晩まで練習漬けになるトレーニングキャンプのことです。

海外の方にはクレイジーに映るかもしれませんが、これが子供たちにとっては魔法の時間なんです。

私の娘が高校2年生の時のことです。合宿から帰ってきた彼女は、真っ黒に日焼けして、体中あざだらけ。でも、その表情はどこか誇らしげでした。

「ねえママ、本当にもうダメかと思った。練習がきつすぎて、みんなで夜、部屋で泣いたんだよ」

そう言いながら、彼女は見せてくれました。チーム全員でお揃いで買ったという、安っぽいキーホルダーを。

「でもね、誰かが『あと一本!』って叫ぶと、足が動くの。不思議だよね。クラスの友達とは話さないような深い話もしたし、すっぴんで寝癖のひどい顔も見せ合った。今のメンバーは、ただの友達(Friends)じゃないの。**戦友(Comrades)**って感じかな」

この**「同じ釜の飯を食う(Eating from the same pot)」という日本の古い慣用句がありますが、まさにこれです。

ただ楽しい時間を共有するだけの友情ではありません。限界ギリギリの辛さを共有し、それを一緒に乗り越えたという経験が、彼らの間に「Kizuna(絆)」**と呼ばれる、簡単には切れない太いパイプを通すのです。

この経験をした子供たちは、大人になってからも人間関係の構築において強い自信を持ちます。「表面的な付き合い」と「信頼できる関係」の違いを肌で知っているからです。

2. 教科書にはない「リーダーシップ」と「空気を読む力」

次に、部活動が育てる**「ソフトスキル」についてお話ししましょう。

特に日本特有の「先輩・後輩(Senpai-Kohai)」システムは、海外では「上下関係が厳しすぎる」とネガティブに捉えられがちです。確かに理不尽な側面も昔はありました。でも、今の子供たちはこのシステムの中で、非常に高度なコミュニケーション能力**を磨いています。

近所の男の子、ケンタくん(仮名)の話をしましょう。

彼は元々、人前で話すのが苦手で、少し内気な性格でした。でも、サッカー部で副キャプテンに任命されたことで、彼の何かが変わりました。

「キャプテンはカリスマ性があるけど、あいつが突っ走りすぎると後輩がついてこれないんだ。だから僕が、後輩の愚痴を聞いたり、キャプテンの言葉をわかりやすく翻訳して伝えたりしてるんだよ」

これを聞いて、私は驚きました。

彼は部活という組織の中で、**「中間管理職(Middle Management)」**としての役割を自然と学んでいたのです。

  • どうすればやる気のないメンバーを動かせるか?
  • 感情的にぶつかったチームメイトをどう仲裁するか?
  • 先生(監督)の意図をどう噛み砕いてチームに落とし込むか?

これらは全て、将来社会に出た時に最も必要とされるスキルです。

日本の部活動では、最高学年になると自分たちで練習メニューを考えたり、後輩の指導を任されたりします。つまり、彼らは高校生にして、小さな組織の**「マネジメント」**を実践しているのです。

この経験を通して、子供たちは「リーダーシップ」とは、ただ命令することではなく、**「周りを見て(Reading the air)、他者のために動くこと」**だと学びます。これは、どんな高価なリーダーシップセミナーに通うよりも実践的な学びではないでしょうか。

3. 「レギュラーになれない」という挫折 — 回復力(Resilience)の芽生え

もちろん、部活動は綺麗事だけではありません。残酷な現実もあります。

一生懸命練習しても、試合に出られる人数は決まっています。

「レギュラー落ち」——この経験は、子供たちにとって初めて味わう、人生レベルの大きな挫折かもしれません。

私の友人の娘さん、サキちゃんは吹奏楽部でフルートを担当していました。コンクールのメンバー発表の日、彼女の名前は呼ばれませんでした。

彼女はその日、家に帰って一晩中泣き明かしたそうです。「もう辞めたい。私には才能がない」と。

でも、ここからが部活動のすごいところです。

彼女は辞めませんでした。

翌日、腫らした目で学校に行き、レギュラーメンバーのために楽譜を整理し、楽器の手入れを始めました。そしてこう言ったそうです。

「悔しいけど、ここで逃げたらもっと悔しいから。私は私の場所で、チームのためにベストを尽くす」

これこそが、近年教育界で注目されている**「レジリエンス(精神的回復力)」「GRIT(やり抜く力)」**です。

人生は、思い通りにいかないことの連続です。受験の失敗、就職活動の苦戦、仕事でのミス。

部活動という守られた環境の中で、「努力が報われない経験」を若いうちにしておくこと。そして、「腐らずに次の役割を見つける」というプロセスを経ること。これは、将来彼らが社会の荒波に出た時に、心を折れさせないための**「心の防具」**になります。

サキちゃんのお母さんは言っていました。

「あの子、楽器は上手くならなかったかもしれないけど、人間として一回り大きくなった気がするわ」と。

テストの点数や偏差値では決して測れない成長が、そこには確かにありました。

4. 自分を取り戻す「サードプレイス」としての部活

最後に、現代の子供たちにとっての部活動のもう一つの重要な側面について触れておきましょう。

それは、**「ストレス発散とアイデンティティの形成」**の場としての機能です。

日本の高校生は忙しいです。学校の授業、山のような宿題、そして塾。常に「評価」されるプレッシャーに晒されています。

そんな彼らにとって、部活動は唯一、**「自分が自分でいられる時間」**なのかもしれません。

娘がよく言っていました。

「バレーボールをしている時だけは、嫌なことを全部忘れられるの。ボールを叩く瞬間の音とか、シューズがキュッとなる音とか、それだけに集中できるから」

これは心理学でいう**「フロー状態(Flow State)」**に近いものでしょう。

何かに没頭することで脳がリフレッシュされ、精神的なバランスが保たれる。

教室では「成績が中くらいの子」として埋もれてしまっていても、部活に行けば「チームのムードメーカー」だったり、「守備の要」だったりと、自分だけの輝ける役割(Identity)があります。

「学校に行くのが辛い時もあったけど、部活があるから行こうと思えた」

そう語る卒業生は少なくありません。

部活動は、彼らにとっての家庭でも教室でもない、**「第三の居場所(Third Place)」**として、多感な時期の彼らの心を支えているのです。


こうして見ると、部活動というのは、単なるスポーツや趣味の時間ではないことがわかりますね。

そこは、**「人間関係の実験室」であり、「心のトレーニングジム」であり、そして何より、彼らが「自分自身の人生の主人公」**になれるステージなのです。

泣いて、笑って、ぶつかり合って。

彼らは知らず知らずのうちに、教科書よりも分厚い「人生のテキスト」を書き上げているのかもしれません。

さて、ここまで良いことばかり書いてきましたが、もちろん全てが順風満帆なわけではありません。

これほど熱中するからこそ、時には限界を超えてしまい、「辞める・辞めない」の大きな壁にぶつかることもあります。

次回の【転】では、私の娘が実際に直面した「最大の危機」——もう部活に行きたくないと言い出した夜のエピソードを通して、そこからどうやって立ち直り、何を掴み取ったのか。よりディープな親子の葛藤と成長の物語をお話しします。

ハンカチの準備はいいですか?

それでは、また次の記事でお会いしましょう。

挫折こそが最強の肥料?「辞めたい」と言われた夜と、そこから得た心の武器

1. 突然の告白 — 「もう、行きたくない」

それは、高校2年生の秋のことでした。

窓の外では冷たい雨が降っていて、家の中もどこか冷え冷えとしていました。

いつもなら「お腹すいたー!」と元気に帰ってくるはずの娘が、その日は違いました。

玄関のドアが開く音はしましたが、「ただいま」の声がありません。

リビングに入ってきた娘の顔を見て、私は息を呑みました。目は真っ赤に腫れ上がり、制服の肩は雨で濡れたまま震えていました。

「どうしたの?」と声をかけるより先に、彼女はその場に崩れ落ちるように座り込み、絞り出すような声で言いました。

「もう、部活辞めたい」

心臓がドクンと鳴りました。

ついにこの日が来たか、と思いました。

日本の部活動は、高校2年生の秋になると、3年生が引退し、自分たちの代が中心となる「代替わり」の時期を迎えます。娘も副部長のような立場を任され、責任がのしかかっていました。

後輩への指導、先生からのプレッシャー、そして思うように伸びない自分の実力。

それらが積み重なって、彼女の中の張り詰めていた糸が、プツンと切れてしまったのです。

「私なんていなくてもチームは回るし」

「みんなに迷惑かけるだけだから」

「もう疲れた。朝起きるのが怖い」

娘の口から溢れ出るのは、自己否定の言葉ばかり。

普段、ブログで「ポジティブに生きよう!」なんて書いている私ですが、この時ばかりはどう声をかけていいか分かりませんでした。

2. 日本の母親としての葛藤 — 「頑張れ」と言うべきか、「逃げていい」と言うべきか

ここで、少し日本の文化的な背景をお話しさせてください。

日本には**「石の上にも三年(Ishi no ue ni mo sannen)」**ということわざがあります。冷たい石の上でも3年座り続ければ暖まる、つまり「辛くても我慢して続ければ、いつか報われる」という意味です。

私たち親世代も、「一度始めたことを途中で投げ出すのは恥ずかしいことだ」と教えられて育ってきました。

だから、私の喉元まで出かかっていたのは、「今が踏ん張りどきだよ」「ここで逃げたら負け癖がつくよ」という、いわゆる**「激励(Encouragement)」**の言葉でした。

でも、目の前で泣きじゃくる娘を見て、私はその言葉を飲み込みました。

彼女はもう十分に頑張っている。これ以上「頑張れ(Ganbare)」と言うのは、溺れている人に重石を持たせるようなものではないか?

日本の社会では、長らく「逃げること」は「悪」とされてきました。

しかし、最近の日本では「心の健康(Mental Health)」への意識も高まっています。「辛い場所からは逃げてもいい」という考え方も少しずつ浸透してきました。

私は迷いました。

ここで無理に続けさせることが、彼女のためになるのか?

それとも、辞めさせて楽にしてあげることが、親の愛なのか?

キッチンで温かいココアを作りながら、私は自分の心に問いかけました。

そして、ある一つの決断をしました。

3. 魔法の言葉 — 逆転の発想

ココアを娘の前に置き、私は隣に座りました。そして、こう言ったのです。

「そっか。本当によく頑張ったね。辞めてもいいよ

娘は驚いて顔を上げました。まさか母親から「辞めていい」と言われるとは思っていなかったのでしょう。

「ただね」と私は続けました。

「明日、退部届を出す前に、3日間だけ部活を休みなさい。学校には行って、放課後はすぐに帰ってきて、好きなことをして過ごそう。辞める手続きは、その3日間が終わってから考えよう」

これは賭けでした。

「辞めなさい」と突き放すのでもなく、「続けなさい」と強制するのでもない。

**「一時停止(Pause)」**という選択肢を与えたのです。

そこからの3日間、娘は本当に部活に行きませんでした。

久しぶりに家でゆっくりお菓子を食べたり、撮り溜めていたドラマを見たり。泥だらけの洗濯物もありません。

私は何も言わず、ただ普通に接しました。

そして3日目の夜。

娘が私のところに来て、ボソッと言いました。

「ママ、明日から部活行くわ」

「え? 辞めるんじゃなかったの?」とわざと聞く私に、彼女は少し照れ臭そうに、でも力強い目でこう答えました。

「休んでみて分かったの。部活がない放課後はすごく楽。体も痛くないし。でもね……すごくつまらなかった

4. 「壁」の向こう側に見えたもの

ここが、彼女にとっての本当の**「転機(Turning Point)」**でした。

部活から離れてみたことで、彼女は自分が「なぜバレーボールをしているのか」を客観的に見つめ直すことができたのです。

彼女を苦しめていたのは、バレーボールそのものではなく、「完璧にやらなきゃいけない」という自分自身が作ったプレッシャーだったことに気づいたのです。

「辞めるのはいつでもできる。だから、もうちょっとだけ、自分が納得するまでやってみる。下手くそでもいいから、みんなと一緒にいたいんだ」

その言葉を聞いた時、私は鳥肌が立ちました。

これはもう、親に言われてやらされている部活ではありません。

彼女が自分の意志で選び取った、**彼女自身の人生(Her Life)**になった瞬間でした。

翌日、部活に戻った彼女を待っていたのは、チームメイトたちの「遅いよバカ!」という言葉と、温かい笑顔だったそうです。

彼女が休んでいる間、みんなが心配して連絡をくれようとしたのを、キャプテンが「今はそっとしておこう。あいつなら戻ってくるから」と止めてくれていたことも後で知りました。

この経験を通して、娘は最強の武器を手に入れました。

それは、バレーボールの技術ではありません。

**「自分の弱さを認め、それを周りにさらけ出す勇気」**です。

以前の彼女は、リーダーとして「強くなければならない」と肩肘を張っていました。

でも復帰後の彼女は、「私、これ苦手だから助けて!」と素直に言えるようになりました。

不思議なことに、弱さを見せるようになってからのほうが、チームの結束力は高まり、彼女自身のプレーも伸び伸びとしたものに変わっていったのです。

5. 挫折は「終わりの合図」ではなく「成長の通過点」

海外の皆さんにお伝えしたいのは、日本の部活動における本当のドラマは、試合に勝った負けたの瞬間だけではないということです。

むしろ、こうした**「辞めたい」と葛藤する泥臭いプロセス**の中にこそ、日本的な精神性の真髄があるように思います。

日本のものづくりや伝統芸能の世界には**「守破離(Shu-Ha-Ri)」**という言葉があります。

基本を忠実に守り(守)、型を破り(破)、そして独自の境地へ離れていく(離)。

娘の挫折は、まさに既存の「良い子」という殻を破るための、必要な痛みだったのかもしれません。

「あの時、辞めなくて本当によかった」

引退試合の後、笑顔で泣きながらそう言った娘の顔は、今まで見たどの顔よりも輝いていました。

人生には必ず「壁」が現れます。

その壁の前で立ち尽くし、泣き崩れることもあるでしょう。

でも、その壁は「ここで引き返しなさい」という看板ではなく、「これを乗り越えたら、新しい景色が見えるよ」という扉なのかもしれません。

部活動という小さな社会での挫折経験は、間違いなく彼女の人生の「底力」になりました。

もし今、子育てで子供が壁にぶつかっている方がいたら、私はこう伝えたいです。

「焦らないで。その涙は、心の根っこを深く伸ばしている証拠だから」と。

さて、雨降って地固まる。

最大の危機を乗り越えた先に待っていたのは、想像もしなかった感動のフィナーレでした。

次回の最終回【結】では、すべての活動を終えた娘が何を得て、どう巣立っていったのか。

そして、日本の部活動が教えてくれた「人生の本当の勝利」とは何なのか。

私のブログシリーズの締めくくりとして、熱いメッセージをお届けします。

成績表には載らない「生きる力」。親として私たちが本当に守るべきもの

1. 最後のホイッスル — 「負け」が教えてくれた「勝ち」

3年生の夏、最後の大会。

体育館は、サウナのような熱気と、割れんばかりの歓声に包まれていました。

娘たちのチームは、決して強豪ではありません。

それでも、あの「辞めたい」と言った夜を乗り越え、彼女たちは勝ち進みました。

そして迎えた強豪校との対戦。

結果から言いましょう。負けました。

それも、ストレート負けです。

でも、試合終了のホイッスルが鳴った瞬間、私は不思議な光景を目にしました。

コートに崩れ落ちて泣く子もいましたが、娘は違ったのです。

彼女は真っ直ぐに前を向き、泣き崩れる後輩の肩を抱き、そしてネットの向こうの対戦相手に、誰よりも深く頭を下げていました。

その顔は、晴れやかでした。

「やりきった」という清々しさと、「負けたけれど、自分たちのバレーはできた」という誇りに満ちていました。

応援席で見守っていた私たち親に向かって、最後に部員全員で整列し、

「3年間、応援ありがとうございました!」

と叫んだ時、彼女たちの顔はもう、私が知っている「守ってあげなければならない子供」の顔ではありませんでした。

それは、自分の足で立ち、自分の責任で戦い抜いた、一人の「自立した若者」の顔でした。

2. 「感謝(Kansha)」— 日本の部活動が最後に教えること

日本の部活動では、技術よりも大切にされる精神があります。

それが**「感謝(Gratitude)」**です。

引退した後、家で娘がこんなことを言いました。

「ママ、毎日のお弁当ありがとう。ユニフォームの洗濯も、朝早く送ってくれたのも。当たり前だと思ってたけど、部活辞めたら、それがどれだけ大変なことか分かった気がする」

この言葉を聞いた時、私は洗面所で隠れて泣きました。

部活動を通して、子供たちは学びます。

自分一人の力でコートに立っているのではないことを。

親の支え、先生の指導、仲間の励まし、対戦相手の存在、そして審判や会場運営をしてくれる人々。

「お陰様で(Okage-sama de)」 —— 誰かのお陰で自分があるという、日本人が最も大切にする謙虚な心を、彼らは理屈ではなく体験として刻み込むのです。

この「感謝する力」こそが、将来彼らが社会に出た時、周りの人から愛され、助けてもらえる人間になるためのチケットになります。

どんなに仕事ができても、感謝を知らない人間は孤独です。

でも、部活でこの心を育んだ彼らは、きっとどこへ行っても大丈夫だと確信しました。

3. 成績表には載らない「見えない資産」

さて、3年間の部活動生活を終え、娘の手元に残ったものは何でしょうか?

優勝トロフィーはありません。プロ選手の契約書もありません。

学校の成績表(Report Card)には、「部活動:バレーボール部」と一行書かれるだけです。

でも、彼女の内側には、数値化できない莫大な資産が築かれました。

  • 折れない心(Resilience):理不尽なことや失敗があっても、「次はどうするか」と切り替える力。
  • 他者への想像力(Empathy):チームメイトの痛みを知り、言葉にしなくても相手の気持ちを察する力。
  • 役割を全うする責任感(Responsibility):自分が主役でなくても、チームのために黒子(Kuroko)に徹することができる献身性。

これらは、AIがどんなに進化しても代替できない、人間だけに許された**「生きる力(Life Skills)」**です。

よく「部活ばかりして勉強がおろそかになる」という議論がありますが、私は逆だと思います。

部活動という「小さな社会」で揉まれた経験があるからこそ、その後の受験勉強や仕事においても、「困難から逃げない」という粘り強さを発揮できるのです。

実際、引退後の娘の集中力は凄まじいものがありました。「あの練習に比べれば、机に向かっているだけなんて楽勝だ」と言わんばかりに。

4. 日本文化としての「道(Dō)」の精神

柔道、剣道、茶道、華道……。

日本の伝統的な習い事には、すべて**「道(Dō / The Way)」という字がつきます。

これは、単に技術を習得するだけでなく、そのプロセスを通して「人間形成(Character Building)」**を目指すという考え方です。

現代の部活動(Bukatsu)もまた、現代版の「道」なのだと思います。

バレーボール道、吹奏楽道、野球道。

ボールを追うこと、楽器を奏でることは手段であって、目的は「人としてどう生きるか」を探求すること。

海外の方から見ると、日本の部活動は「厳しすぎる(Strict)」とか「クレイジー(Crazy)」に見えるかもしれません。

でも、その厳しさの中にこそ、日本人が脈々と受け継いできた精神性——勤勉さ、協調性、礼節、そして不屈の魂——が息づいています。

それは、形を変えながら、次の世代へとバトンタッチされているのです。

5. 全世界の親御さんへ — 子供の背中を見守る勇気

最後に、世界中の子育て中のお父さん、お母さんへ。

もし、あなたのお子さんが何かに熱中し、そして壁にぶつかって苦しんでいたら。

どうか、手を出したい気持ちをグッとこらえて、見守ってあげてください。

「失敗させないように」と先回りして石を取り除くのではなく、転んで泥だらけになった彼らが、自分の力で立ち上がるのを待ってあげてください。

私の娘が教えてくれました。

**「子供は、親が思っているよりずっと強い」**と。

部活動というドラマは終わりましたが、彼女の人生という長い試合はまだ始まったばかりです。

でも私はもう心配していません。

あの夏の体育館で見た、凛とした彼女の横顔を覚えているから。

彼女なら、どんな荒波も、あの時のように仲間と共に、あるいは自分の足で、力強く乗り越えていけると信じています。

日本から愛を込めて。

テストの点数よりも、もっと大切な「人生の金メダル」を、すべての子どもたちが胸に輝かせることができますように。


これにて、私の「日本の部活動と子育て」に関するシリーズは完結です。

長きにわたりお付き合いいただき、本当にありがとうございました!

日本の文化や子育てについて、少しでも「へぇ、面白いな」と思っていただけたら嬉しいです。

また次回のブログでお会いしましょう!

さようなら!(Sayonara!)

コメント

タイトルとURLをコピーしました