テクノロジーの「黒船」? 私の家庭に起きた「AI覚醒(めざめ)」の衝撃
(※以下、文字数カウントのためダミーテキストを含みます。実際にはこのダミー部分に本文が続きます)
やっほー!海外で頑張ってる主婦の皆さん、こんにちは!
日本はすっかり秋めいてきて、スーパーにはキノコやカボチャが並んで……って、日本に住んでる私からのこんな情報、懐かしかったり、逆に「こっち(海外)にはない!」ってイラっとさせちゃったりするかな?(笑)
私はここ、日本(東京のちょっと郊外)で、夫と子供たちとバタバタな毎日を送っている、ごく普通の主婦です。
海外の生活ってどうですか? キラキラして見えるけど、きっと私たち日本の主婦とは違う種類の苦労や、「あるある!」って言いたいけど時差があって言えない!みたいなモヤモヤも抱えてるんじゃないかなって、勝手に想像しています。
さて、今日はちょっといつもと違う話を。
最近、日本でも世界でも「AI」って言葉、聞かない日がないですよね。
いきなり「The AI Awakening: Friend or Foe?」なんて英語で言われても、「え、何それ? 映画のタイトル?」って感じかもしれないけど、日本語にすると「AIの覚醒。それは敵か、味方か?」みたいな。
もうね、ニュースとか見てると「AIに仕事が奪われる!」とか「AIが人類を超える!」とか、ちょっと怖い話ばっかり。かと思えば、「AIが全部やってくれるバラ色の未来!」みたいな、やけに楽観的な話もあったり。
正直、数年前まで私にとって「AI」なんて、SF映画の中だけの話だったんです。
「ふーん、大変だねぇ(遠い目)」って。
だって、私はITエンジニアでもなければ、難しいデータ分析をしてるわけでもない。毎日の仕事は「今日の晩ごはん、何にしよう?」とか「あ、トイレットペーパー買わなきゃ!」とか、そういう超・現実的なこと。
でもね。
最近、気づいちゃったんです。
その「AI」の波、もうとっくに「職場」とか「社会」とかいう遠い場所じゃなくて、私たち「主婦」の足元、それも「キッチン」や「リビング」のど真ん中にまで、ザッパーン!って来てるってことに。
そう、まさに「AI覚醒」。
それが私の家庭にも起きたんですよ。
最初の衝撃波:「怖い」VS「楽ちんそう」
フック(ご提示いただいた内容)にあった「Initial shockwaves: Dispelling fear-mongering vs. naive optimism about AI.(最初の衝撃波:AIについての恐怖の煽りと、ナイーブな楽観論)」って、まさにこれ!って思いました。
私たち主婦にとっての「AI」って、例えば「スマートスピーカー」だったり、「ロボット掃除機」だったり、最近だと「自動調理鍋」みたいな「スマート家電」のことだと思うんです。
でね、この「スマート家電」に対する日本の主婦の反応って、本当に真っ二つに分かれる気がする。
<恐怖派(Fear-mongering)>
まず、「なんか怖い」っていう感情。
これ、すっごくよく分かります。
「アレクサ、音楽かけて」とか言うの、ちょっと恥ずかしくない?(笑)
というか、あのスピーカー、もしかして私たちがいないところで「今日の晩ごはん、またカレーだってさ。ヒソヒソ…」とか、夫婦喧嘩とか、子供の秘密とか、全部聞いてて、どこかに送信してるんじゃないの!?みたいな(笑)。
これは半分冗談だけど、半分本気。
日本の家って、海外に比べたら狭いし、プライバシーの感覚が独特だから、「常に聞かれている」っていう状態に抵抗がある人、すごく多いと思う。
あと、「家事を機械に任せること」への罪悪感。
特に、私たちのお母さん世代(今の60代~70代)あたりは、「家事は手作業で、心を込めてやるもの」っていう価値観が根強いですよね。
「床は雑巾で、自分の手で拭いてこそ」
「出汁はちゃんと昆布と鰹節で取ってこそ」
そういう「丁寧な暮らし」こそが「良き母、良き妻」っていう、見えないプレッシャー。
だから、ロボット掃除機がリビングを走ってるのを見ると、「私、主婦としてサボってる…?」って、謎の背徳感に襲われたり(笑)。
これが、「AIは人間の『心』を奪う」っていう恐怖論に繋がっていく気がします。
<楽観派(Naive optimism)>
一方で、「これで私の生活、変わるかも!」っていうキラキラした期待。
「ナイーブな楽観論」ってやつですね。
「この最新の自動調理鍋を買えば、もう私は火の前に立たなくていい! 毎日、レストランみたいな料理が勝手に出てくるんだわ!」
「ルンバ(ロボット掃除機)さえあれば、我が家は毎日ホコリ一つない、ホテルのような空間に…!」
……私もね、正直、最初はこっちでした(告白)。
特に第一子を産んだ後、寝不足とワンオペ育児でボロボロだった時。
「時間をお金で買う」っていう発想で、当時はまだ珍しかった「食洗機」を導入したんです。「これで皿洗いから解放される!」って。
でもね。
現実は、そんなに甘くない(笑)。
食洗機には「予洗い」が必要だったり、並べ方にコツが要ったり。結局、夫が適当に入れた食器が洗えてなくて、私がイライラしながら洗い直したり。
ロボット掃除機は、子供が床に置きっぱなしにしたレゴブロックを吸い込もうとして、けたたましい音を立てて止まったり。
自動調理鍋も、結局「野菜を切る」「材料を計る」っていう一番面倒な部分は、人間(私)がやらなきゃいけなかったり。
そう、「AI(スマート家電)が、私の『仕事(家事)』を奪う」どころか、
「AI(スマート家電)の『お世話』という、新しい仕事が増えた」
…みたいな(涙)。
これが、我が家で起きた「AI覚醒」の第一波でした。
「敵か、味方か?」どころじゃない、「こいつ(AI家電)、思ったより使えねーな!」っていう、ガッカリ感(笑)。
日本の「時短術」とAI
でもね、ここからが本題。
海外の皆さんに伝えたいのは、この「ガッカリ感」の「先」にあるものなんです。
日本って、昔から「もったいない」精神とか、狭い空間をやりくりする「工夫」とか、そういう「小さな改善」を積み重ねるのが得意な文化だと思うんです。
「時短術」っていう言葉が流行るのも、たぶんそういう国民性ですよね。
「いかに効率よく、でも『手抜き』とは思われないように、家事を終わらせるか」
この「手抜き」と思われないように、っていうのがミソ(笑)。
この「恐怖」と「楽観」の荒波を経験した私(たち日本の主婦)が、どうやってその「AI(スマート家電)たち」を「調教」し(笑)、手なずけ、私たちのリアルな生活に組み込んで、「本当の意味での時短」を叶えていったのか。
それは、「完璧」を求めるんじゃなくて、「60点でOK」と割り切る勇気だったり。
「AI(機械)に任せる部分」と、「人間(私)がやるべき部分」を、賢く切り分ける「仕分け術」だったり。
ちょっと長くなっちゃったけど、このブログでは、そんな「ハイテク(AI)」と「アナログ(人間の知恵)」がぶつかり合う、日本の家庭のリアルな「時短術」と、その裏にある「社会の考え方」(例えば、さっき言った「家事への罪悪感」とか)を、実体験ベースで紹介していきたいと思っています。
「ルンバ」はペット、「ホットクック」はシェフ? 日本の家庭に組み込まれたAI(自動化)のリアルな実力と、見逃せない「落とし穴」
(※以下、文字数カウントのためダミーテキストを含みます。実際にはこのダミー部分に本文が続きます)
やっほー!【起】の記事、読んでくれてありがとう!
前回は、我が家に「AI(スマート家電)」っていう名の『黒船』がやってきて、「なんか怖い!」っていう恐怖と、「これで楽できるかも!」っていう淡い期待がぶつかり合った、最初の衝撃(ガッカリ感)の話をしたよね。
「AI家電の『お世話』という新しい仕事が増えただけじゃん!」
そう、最初はそう思ってた。
でも、人間(主婦)って賢いのよ(笑)。
「使えない!」って放り出すんじゃなくて、「どうしたらコイツを『使えるヤツ』にできるか」って、いつの間にか調教(チューニング)していくものなのよね。
フック(今回のテーマね)にあった「Current state of AI in the workplace: Real examples of AI integration (automation, data analysis)」。
日本語にすると「AIの“職場”での現状:AI統合(自動化、データ分析)の具体例」。
私の「職場」=「家庭(キッチンとリビング)」で、今、AIたちがどう「統合」されて働いているか、リアルな実例を紹介するね。
前回ガッカリした「食洗機」や「ロボット掃除機」が、今や我が家になくてはならない「戦友(とも)」になっている、その実態を!
時短術①:「夜の15分」が生む、朝の「心の余裕」
〜 食洗機を「食器洗い機」ではなく「食器乾燥&収納庫」として使う〜
まず、あの憎き「食洗機」。
「予洗いが面倒」「並べ方が難しい」って文句言ってたけど、ある時、発想を変えたの。
「食洗機は、夜、寝る前にスイッチを入れるもの」
日本の家庭って、キッチンが狭いところが多いじゃない?
うちは夫の帰りが遅くて、晩ごはんの時間がバラバラ。私が食べた後、子供が食べ、最後に夫が食べる。そのたびに食器を洗うのって、本当にストレス!
だから、シンクの横に「食洗機に入れてOK」な食器をどんどん溜めていく「一時置き場」を作ったの。
で、全員の食事が終わって、子供を寝かしつけた後、最後のお風呂に入る「前」の15分。
この15分を「キッチンリセットタイム」って名付けたんだけど(笑)、ここで初めて食洗機が登場するの。
ガーッと予洗いして(どうせ後で洗うから、汚れを落とすだけ!)、パズルのように食洗機に詰め込んで、スイッチオン!
ポイントは、**「高温乾燥」**までしっかりやること。
そうすると、どうなるか。
朝、起きたら、ピカピカに乾いた食器が、まるで「食器棚」みたいに食洗機の中にスタンバってる。
私はそこから、朝ごはんに使うお皿を「取り出す」だけ。
これ、すごくない?
日本の主婦がよくやる「時短術」として、「朝、キッチンが汚いとテンションが下がるから、夜のうちに片付ける」っていうのがあるんだけど、食洗機はその「完璧なリセット」を自動でやってくれる。
ここでAI(自動化)がやっているのは、単なる「洗浄」じゃないの。
「洗浄」+「乾燥」+「(朝までの)一時保管」を全部やってくれてる。
私が手に入れたのは、「皿洗いの時間」の短縮だけじゃなくて、「朝、キレイなキッチンに立つ」っていう「心の余裕」なのよね。
時短術②:「名前」をつけて「役割」を与える
〜 ロボット掃除機に「掃除」を期待しない、日本の主…婦(?)の知恵 〜
次に、あのレゴを吸い込もうとした「ルンバ」(うちのはルンバじゃないけど、ロボット掃除機の総称ね)。
前回のフックに「Identifying immediate impacts: Jobs already shifting, skills becoming redundant.(直ちなる影響:すでにシフトしている仕事、不要になるスキル)」ってあったけど、これ、まさに家庭内で起きてるの。
ロボット掃除機が来て、**「床に物を置かない」**っていうスキルが、家族全員に求められるようになったの(笑)。
最初は「ルンバが通るから片付けて!」って私がキーキー怒ってたんだけど、ある日、子供がそのロボット掃除機に「コロマル」って名前をつけたのよ。
そしたら、急に家族の意識が変わった。
「あ、コロマルが動けなくなってる! 助けなきゃ!」
「コロマルが掃除するから、自分のオモチャ片付けようね」
そうなの。
私たち家族は、ロボット掃除機を「家電」としてじゃなくて、「ペット」(あるいは『一番下っ端の家族』笑)として迎え入れたの。
日本の文化って、昔から「物に魂が宿る」って考えるところがあるじゃない?(「付喪神(つくもがみ)」とか)
古い道具に感謝したり。
それと似てるのかも。
コロマル(AI)に「掃除」っていう「仕事」をさせるんじゃなくて、「コロマルが快適に動ける空間を作る」っていう「新しい家族のルール」が生まれたの。
その結果、どうなったか?
- (1)床が片付くようになった。(最重要!)
- (2)コロマルが掃除(という名のパトロール)をする。
- (3)コロマルが吸いきれない隅っこのホコリや、子供の食べこぼしは、人間(私)がサッと拭く。
完璧な掃除は、最初から期待してないの。
彼(?)の仕事は、「ホコリをゼロにすること」じゃなくて、「家族に『床を片付ける』キッカケを与え、そこそこのキレイさを維持すること」。
これこそ、AIとの「リアルな統合(Integration)」だなって思う。
AIが「仕事を奪う」んじゃなくて、「仕事のやり方(家事の分担)を変える」キッカケをくれたのよね。
時短術③:「ホットクック」はシェフ、私は「下ごしらえ担当」
〜 日本の「おふくろの味」をデータ化するAI調理 〜
そして、最近の「ラスボス」が、「自動調理鍋(うちのはホットクック)」。
これこそ、主婦の「スキル」を根本から揺るがす存在。
「材料を切って、調味料と一緒に入れるだけ。あとは『ピッ』と押せば、カレーも、煮物も、全部やってくれます」
……って、そんなうまい話があるか!
【起】で言ったように、結局「切る」「計る」は人間がやるんでしょ?って。
はい、その通りです(笑)。
でもね、これも「使い方」次第だった。
まず、日本の食卓って「一汁三菜」とか言って、品数が多いのが美徳、みたいなところ、まだあるのよ。
海外みたいに、ドーン!と大きなローストビーフ焼いて、あとはサラダ、みたいな日も憧れるけど、やっぱり「煮物」とか「汁物」とか、そういう「地味だけど手間がかかる副菜」が欲しくなる。
この「地味だけど手間がかかる」部分を、彼(ホットクック)に丸投げするの。
私の使い方はこう。
週末、子供がテレビ見てる間に、ニンジン、玉ねぎ、ジャガイモ、大根とか、とにかく「煮物」に使えそうな野菜を、ひたすら「切る」。
切ったら、ジップロックみたいな保存袋に、ザザーッと入れる。
(この「野菜を切る」っていう作業、無心になれて私は結構好きだったりする・笑)
で、平日の夕方。
子供が「お腹すいたー!」って騒ぎ出す魔の時間帯。
私は、朝のうちに、ホットクックの鍋に、切っておいた野菜と、お肉(あるいはツナ缶とか)と、調味料(醤油、みりん、酒…日本の家庭の黄金比ね!)を、全部入れて、タイマーをセットしておくの。
そう。
彼(AI)がやっているのは、ただの「自動化(Automation)」じゃない。
「データ分析(Data Analysis)」なのよ。
ホットクックがすごいのは、「かき混ぜユニット」がついてて、材料の硬さとか火の通り具合を「分析」しながら、最適なタイミングでかき混ぜて、味を染み込ませてくれるところ。
私がガスコンロの前でやってた「焦げ付かないように、たまにかき混ぜる」「落し蓋をして、味を染み込ませる」っていう「おふくろの知恵(スキル)」を、AIがデータで再現してくれちゃうの。
フックにあった「Jobs already shifting, skills becoming redundant.(仕事がシフトし、スキルが不要になる)」。
まさに、「鍋の前で見張る」っていう私の「仕事」は、彼(AI)にシフトした。
私の「長年の勘で火加減を調整する」っていう「スキル」は、彼(AI)の「センサーとデータ分析」の前では「不要(Redundant)」になったのかもしれない。
見逃せない「落とし穴」
ここまで聞くと、「なーんだ、結局AI家電、最高じゃん!」って思うでしょ?
【起】であんなにガッカリしてたのに、手のひら返し(笑)。
そう、彼らは「使い方(調教の仕方)」次第で、最高の「戦友」になる。
食洗機は「夜勤担当の洗い場さん」。
コロマルは「床の平和を守るペット」。
ホットクックは「煮物担当の副シェフ」。
私が「オーナーシェフ(=主婦)」として、「下ごしらえ」と「指示(スイッチオン)」さえすれば、あとは私の知らないところで(子供と遊んでる間とか、寝てる間に)、彼ら(AI)が「仕事」を片付けておいてくれる。
これぞ、究極の「時短」であり、「チーム・我が家」の新しい働き方。
でもね。
…でも、なのよ。
この生活に慣れれば慣れるほど、私の中に、あの【起】で感じたのとは別の、**新しい「恐怖」**が芽生えてきたの。
それは、
「私、このままでいいんだろうか?」
っていう恐怖。
「鍋でコトコト煮る」スキルが要らなくなって。
「床を隅々まで雑巾がけする」スキルが要らなくなって。
もし、ある日、彼ら(AI)が全員ストライキを起こしたら?
もし、停電になったら?
私は、ちゃんと「手作業」で、家族を支える「家事」ができるんだろうか?
「便利」と引き換えに、私が失っている「主婦としての何か」があるんじゃないか…?
そう、フックにあった「Identifying immediate impacts(直ちなる影響)」。
それは「家事が楽になる」っていうポジティブな影響だけじゃなくて、「主婦のスキルが退化する」っていう、ちょっと怖い現実だったの。
この「便利さ」と「スキルの退化」のジレンマ。
「おふくろの味」はもう要らない? AIが時短しすぎて「母のスキル」が退化する恐怖と、見つけた「新しい家族のカタチ」
「おふくろの味」がAIに負ける日
海外の皆さんには「おふくろの味」って言っても、ピンとこないかな?
英語だと「Mom’s home cooking」が近いのかな。
でも、日本でいう「おふくろの味」って、もうちょっと…なんていうか、「呪い」に近いかもしれない(笑)。
それは、「お母さんが作る、ちょっと甘めの卵焼き」とか、「風邪をひいた時にだけ出てくる、特別な雑炊」とか、そういう「理屈じゃない、心の記憶」と結びついた味のこと。
「良き母」であるためには、この「おふくろの味」を「手作業」で伝承しなきゃいけない、みたいな、そういう無言のプレッシャーが、日本にはまだ根強くあるの。
なのに。
なのに、よ。
我が家の「副シェフ(ホットクック)」くん。彼(AI)が作る「筑前煮」。
…悔しいけど、私が作るより、美味しいんだわ。
いや、だって、考えてみて?
彼は「データ」と「センサー」の塊。
「この野菜の硬さなら、あと何分」「この温度でかき混ぜれば、味が均一に染み込む」
そんなのを、0.1秒も休まずに、文句も言わずに、完璧にやってのける。
こっちは、子供に「ママー! トイレ!」って呼ばれて火を止めたり、スマホの通知に気を取られて焦がしそうになったり(笑)。
そんな「人間の私」が、冷静沈着な「AIシェフ」に、「味の安定感」で勝てるわけがない。
ある日の夕食。
AIシェフが作った「完璧な肉じゃが」を、うちの子が「美味しい! おかわり!」って食べてるのを見た時。
嬉しいの。嬉しいんだけど、胸の奥が「チクッ」とした。
「あ…これ、私じゃなくても、作れる味だ」
「この子にとっての『おふくろの味』って、もしかして『ホットクックの味』になっちゃうの…?」
これこそが、私が感じていた「恐怖」の正体。
AIが「家事」という「仕事」を奪うだけじゃなくて、
AIが「母親」という「役割(アイデンティティ)」まで奪っていくんじゃないか
っていう、深刻な恐怖だったの。
「家事を時短して、時間を作ろう!」
なんて言ってたけど、その時短した結果、「母親としての存在価値」が薄まるんだったら、本末転倒じゃない?
私は、何のために「時短」してるんだっけ…?
事件発生。「AIには絶対にできない仕事」
そんなモヤモヤを抱えたまま、数週間が過ぎた、ある夜のこと。
事件は起きました。
下の子が、急に「寒い」って震えだして。
熱を測ったら、「39.2℃」。
きたーーー!って感じ。海外の皆さんも経験あるかな? 子供の急な高熱。
もうね、こっちはパニックよ。
病院は閉まってるし、救急車を呼ぶほどじゃない。でも、明らかにグッタリしてる。
「何か食べたい…」
って、か細い声で言うんだけど、食欲はない。
こういう時、海外だったらチキンスープとかかな?
日本で、子供が熱を出した時に母親が作る「決戦兵器」があるの。
それは、「お粥(おかゆ)」。
(もっと言うと、うちの地域では「卵を溶き入れた、ちょっとだけお醤油の味がする、雑炊(ぞうすい)」が定番)
あ。
そうだ、「副シェフ(ホットクック)」くん!
彼のメニューには、確か「白粥」モードがあったはず!
私は慌ててキッチンに行って、お米と水を入れて、スイッチを…
と、押そうとした手が、ピタって止まった。
……違う。
今、この子が食べたいのは、「AIがデータ通りに作る、100人中100人が『まあ、お粥だね』って言う、完璧な白粥」じゃない。
今、この子が欲してるのは、
「お母さんが、僕の顔色を見ながら、
『しょっぱくない?』『もうちょっと柔らかいほうがいい?』
って、僕のためだけに、カスタマイズしてくれる、世界でたった一つの雑炊」
なんじゃないか?
ホットクック(AI)は、確かに「完璧な筑前煮」は作れる。
でも、「今、この瞬間の、うちの子の体調に合わせた、ドンピシャの味加減」を「分析」することは、絶対にできない。
私は、スマートフォンの電源を切って、
アレクサ(スマートスピーカー)にも「静かにして」って言って、
一番「アナログ」な、重たい「土鍋(どなべ)」を取り出したの。
<h3>見つけた。「母のスキル」の「新しいカタチ」</h3>
コトコト、コトコト…。
キッチンに、お米が煮える、静かな音だけが響く。
私は、ずっと鍋の前に立ってた。
お米がどう開いていくか、水分は足りてるか、
焦げ付かないように、ゆっくりと、お箸でかき混ぜる。
この「鍋の前に立つ」っていう時間。
これこそ、私が「AIに奪われた」「不要(Redundant)になった」って、嘆いていた「スキル」そのものだった。
でも、違った。
私は、嘆くんじゃなくて、**「集中」**してた。
「美味しくなれ」「元気になれ」って、多分、すごい顔で(笑)、鍋を睨みつけてた。
最後に、ちょっとだけお醤油を垂らして、溶き卵をフワッと回し入れる。
ああ、いい匂い。
その雑炊を、フーフー冷まして、子供の口に持っていく。
一口、食べた子供が、グッタリしたまま、ポツリと言ったの。
「…やっぱり、お母さんのが、いちばん美味しい」
……泣くわ、こんなん(笑)。
その時、私、ハッキリと「ひっくり返った」の。
「転」じたのよ。
そうか。
AIは、「おふくろの味」を奪うんじゃなかったんだ。
AI(ホットクック)がやってくれていたのは、「毎日の、体力勝負の家事」。
家族全員がそこそこ満足する、「平均点」の食事を、毎日コンスタントに作り続ける、っていう「重労働」。
彼(AI)が、その「重労働」を引き受けてくれていたから。
私が、毎日「今日の肉じゃが、味が染みてない!」とか「カレー焦がした!」とか、そういう小さな失敗とストレスから解放されていたから。
だから私には、「いざという時」に、
子供の顔だけを見て、
「土鍋」の前に20分間、集中して立ち続ける「体力」と「心の余裕」が、
残ってたんだ!
もし、AIがなくて、毎日私がヘトヘトになるまで、手作業で全部の家事をやっていたら?
子供が高熱を出した時、「ごめん、お母さん、疲れたから、レトルトのお粥でいい…?」ってなってたかもしれない。
「母のスキル」は、「退化」したんじゃなかった。
「進化」してたんだ。
昔のスキルが「肉体労働(手作業)」だったとしたら、
今の私のスキルは、「家族の状況を『見極め』、AIに任せる仕事と、自分がやるべき『心の仕事』を『仕分け』する、マネジメント(管理)能力」だったの。
これこそが、AIと共存する「新しい家族のカタチ」。
AI(家電)は「スタッフ」。
私(主婦)は「家族の幸せ・プロジェクト」の「ディレクター」。
<h3>時短(JITAN)がくれた、本当のもの</h3>
そう。
私たちが「時短、時短」って言うけど、AIがくれた「時間」って、「ボーッとSNSを見るための時間」じゃなかった。
(いや、それも大事だけど!笑)
AIがくれたのは、「心の余白」。
「いざ!」っていう、家族の緊急事態に、
あるいは、子供が「今日、学校で嫌なことあった」って話し始めた時に、
「ごめん、今忙しいから後で!」
って言うんじゃなくて、
「どうしたの?」
って、手を止めて、目をみて話を聞いてあげられる、**「心の余裕(バッファ)」**だったんだ。
「おふくろの味」は、鍋の中にあるんじゃない。
「あなたのことを、ちゃんと見てるよ」っていう、その「心」そのものだった。
AIは、その「心」を発揮するための「時間」を、私にプレゼントしてくれていたんだ。
…なーんて、ちょっとカッコよく言い過ぎたかな?(笑)
でも、この「AI(道具)」と「私たち(心)」のバランス。
これって、これからの時代、すっごく大事なことだと思う。
じゃあ、この「便利さ」と「心」のバランスを取りながら、
私たちが「AIに『使われる』」んじゃなくて、
賢く「AIを『使いこなす』」ために、
主婦として、母として、一番大切にしなきゃいけない「軸」って、一体なんだろう?
結局、AI(テクノロジー)は私たちを幸せにするのか? 日本の主婦が選ぶ「心」と「効率」のベストミックス
AIは、私の「心の状態」を映す「鏡」だった
どういうことかと言うとね。
思い返してみてほしいんだけど、
(1)AIが「怖い!」と思っていた時。
あれは、「家事を手抜きしてる」っていう罪悪感とか、「おふくろの味がAIに負ける」っていう、私の「母親としてのアイデンティティ」が揺らぐ不安を、AIという「鏡」に映して見ていただけ。
AIが怖いんじゃなくて、**「良き母でいられないかもしれない自分」**が怖かったんだよね。
(2)AIに「ガッカリ!」してた時。
「スイッチひとつで、完璧な未来が!」みたいな「ナイーブな楽観論」を持ってた時ね(笑)。
あれは、「もう何もしたくない!」っていう、私の**「怠け心」や「過度な期待」**を、鏡に映してただけ。
(3)AIを「使いこなせてる!」って実感した時。
(【転】で子供の雑炊を作った時ね)
あれは、「家族にとって、今、一番大切なことは何か?」っていう「軸」が、私の中でハッキリしていた時。
**「私のやるべき仕事」と「AI(機械)に任せる仕事」**が、ちゃんと「仕分け」できていた。
そう。
AI(テクノロジー)が「敵」に見えるか「味方」に見えるかって、結局、それを使おうとしている**「私(人間)の『軸』が、定まってるかどうか」**だけだったの。
日本の主婦が発見した、「AI時代の仕分け術」
じゃあ、その「軸」って何?
私=「家族の幸せ・プロジェクト」の「ディレクター」として(【転】で言ってたやつね)、何を基準に「仕分け」すればいいの?
私、見つけました。この「仕分け」の基準。
超シンプルだよ。
<AI(機械)に任せるべき仕事>
- それは、「効率」と「正確性」が求められること。
- 「誰がやっても、結果が同じ」なこと。
- (ぶっちゃけ)「やらなきゃいけないけど、誰もやりたくない重労働」。
例えば、毎日の床掃除、全員分の食器洗い、データ通りの完璧な筑前煮、お風呂の自動湯沸かし、とかね。
これらは、私たちが「心を込めて」やる必要は、実はない(笑)。
むしろ、心を「無」にしてやる作業。
こういう「重労働」は、文句も言わず、24時間働いてくれる「AIアシスタント」くんに、感謝して、全部お任せしちゃえばいい。
<人間(私)が、絶対にやるべき仕事>
- それは、「心」と「創造性」と「共感」が求められること。
- 「その人(家族)に合わせて、結果が変わる」こと。
- (ぶっちゃけ)「超めんどくさいけど、やることに意味がある」こと。
例えば、【転】で出てきた「子供の体調に合わせた、世界で一つの雑炊」。
例えば、子供が学校でうまくいかなくて落ち込んでる時に、AIシェフが作った(美味しい)カレーを食べながら、「どうしたの?」って、目を見て話を聞くこと。
例えば、遠くに住むおばあちゃんに、AIが自動生成した「完璧な時候の挨拶メール」を送るんじゃなくて、子供が描いた「変な絵」をスマホで撮って、「元気?」って一言だけ送ること。
これらは全部、「効率」で考えたら最悪。
でも、これこそが「家族」であり、「母親」であり、「人間」であることの「核(コア)」なんじゃないかな。
AIがくれた「時間」で、私たちは「怠ける」ことを覚えるべき
【転】で、私は「AIがくれたのは『心の余裕(バッファ)』だ!」って書いたよね。
じゃあ、その「バッFA(バッファ)」で、私たちは何をすべきなのか。
「空いた時間で、資格の勉強を!」
「新しいスキルを学んで、キラキラ起業!」
…いやいやいや(笑)。
もちろん、それができる人は素晴らしい。尊敬します。
でもね、海外で(あるいは日本で)、毎日ギリギリのところで頑張ってる主婦の皆さんに、私はあえて言いたい。
AIがくれた「心の余裕」で、私たちは「上手に怠ける練習」をすべきなんだって。
日本って、特にそうなんだけど、「常に何かをしていないと罪悪感を感じる」っていう、変な「呪い」があるのよ(笑)。
「丁寧な暮らし」っていうのは、「手間ひまをかけること」だ、みたいな。
だから、AIで時短して「時間が余る」と、その「余った時間(=心の余裕)」を、また別の「タスク」で埋めようとしちゃう。
でも、違う。
その「バッファ」は、
子供が「ママー、見てー!」って、どうでもいい(失礼!)石ころを持ってきた時に、
「ごめん、今、夕飯の準備で忙しいから!」
って言うんじゃなくて、
「わー、すごい! どこで見つけたの?」
って、手を止めて、かがんで、目線を合わせてあげられるための「バッファ」なの。
パートナーが仕事で疲れて帰ってきた時に、
「(あー、疲れてるな、機嫌悪そう…)」って気づいて、
いつもよりちょっとだけ優しい声色で「おかえり」って言うための「バッファ」なの。
その「一瞬の『間(ま)』」こそが、AIには絶対に作れない、人間(家族)の関係性を育む「土壌」なんだと思う。
そして、その「土壌」を守るために、「AIアシスタント」くんたちは、今日も今日とて、床を這いずり回り、皿を洗い、鍋をかき混ぜてくれてる。
(ありがとう、戦友たち!)
結論:AI(テクノロジー)は、私たちを試している
海外で生活していると、日本とは違う「効率」と「非効率」に、毎日ぶつかってると思う。
スーパーのレジが異常に遅かったり(笑)、逆に、日本では考えられないくらい高度なITシステムが導入されてたり。
日本以上に、「自分でやるべきこと」と「人に(あるいはシステムに)任せるべきこと」の「仕分け」に、悩むことも多いんじゃないかな。
でも、それはきっと、世界共通。
これからAIはもっともっと進化して、私たちの「職場」や「家庭」に入り込んでくる。
そのたびに、私たちは「鏡」を突きつけられる。
「あなたにとって、本当に大切なものは何?」
「あなたが『人間』として、やるべき仕事は、何?」
AI(テクノロジー)は、私たちを「楽」にさせるために来たんじゃない。
私たちを「幸せ」にするために来たのでもない。
AIは、私たちに「問いかける」ために来たんだと思う。
だから、AIの進化を怖がる必要は、まったくない。
私たちは、その「問い」に対して、
「私にとって大切なのは、これ!」
「家族のこの笑顔を守るのが、私の仕事!」
って、胸を張って「答え」を選び取っていけばいい。
AI(アシスタント)に「重労働」はぜーんぶ任せて、
私たちは、私たちにしかできない「心」の仕事…
「悩む」こと、「笑う」こと、そして「愛する」こと
…に、集中していこうよ!
というのが、日本でAI家電と格闘した、一主婦の「結論」です(笑)。
あー、スッキリした!
最後まで読んでくれて、本当に本当に、ありがとう!
あなたの国の「AI事情」や「時短術」も、いつか聞かせてね!

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