それって「お節介」? 日本の「思いやり」が持つ意外なパワー
さて、「思いやり」と聞くと、皆さんはどんなイメージを持ちますか?
「親切(Kindness)」や「共感(Empathy)」と似ているようで、実はちょっと違う。私はそう感じています。
「親切」は、具体的な行動ですよね。席を譲るとか、ドアを開けておくとか。
「共感」は、相手の気持ちが「わかるよ〜!」と、心で寄り添う感じ。
でも、「思いやり」は、辞書で調べると「相手のことを思い、やること」と出てきます。
そう、ポイントは「思う(想像する)」ことと、「やる(行動する)」ことのセットなんです。
相手が今、何を考えて、何に困っていて、どうして欲しい「だろうか」と想像力を働かせる。そして、その想像に基づいて、先回りして「そっと」行動に移す。
これが、日本の「思いやり」のニュアンスかな、と。
「そっと」というのがまたミソで、相手に「やってあげたよ!」と恩を着せる感じは、あまり「思いやり」とは呼ばれない気がします。
でもね、海外の文化に触れている皆さんなら、もしかしたらこう思うかもしれません。
「それって、ちょっと『お節介(Osekkai)』じゃない?」
「放っておいてほしい時もあるんだけど…」
わかります。すごくわかります。
日本の「思いやり」は、時に、相手の領域に踏み込みすぎたり、同調圧力のようになったりする危うさも持っていますよね。
「言わなくてもわかるでしょ?」という、あの独特の空気感。
海外の、もっと「言葉にして伝える(Explicit)」文化、「個人(Individual)」を尊重する文化の中で生活していると、日本の「察する」文化は、時にもどかしく、面倒に感じることさえあるかもしれません。
でも、
今日は、あえて、この「思いやり」が持つ**「ポジティブな力」**について、実体験ベースでお話ししたいんです。
特に、この「思いやり」が、実は**「私たち自身を強くする力(Resilience)」**を持っているんじゃないか、ということ。
先日、私、すごい体験をしたんです。
もう、これぞ「思いやり」の真髄!と思った出来事です。
その日は、夕方からどしゃ降りの雨。
私は週に一度のまとめ買いで、スーパーにいました。特売の牛乳やら、重たい根菜やら、トイレットペーパーやら…もう、カートは山盛り。
しかも、運が悪いことに、レジが一番混む時間帯に当たってしまったんです。
レジの列に並びながら、外の「ザーッ」という激しい雨音を聞いて、心底ウンザリしていました。
「うわぁ…これ、どうやって車まで運ぼう…」
駐車場は屋根なし。傘をさしても、荷物をカートから車に移す間に、絶対に紙袋が濡れて破けるパターンです。
(あぁ、なんで今日こんなに買っちゃったかな…)
(子供がもし一緒だったら、もう最悪だった…)
そんなネガティブな思考がぐるぐる頭を巡る中、やっと私の番が来ました。
レジを担当してくれたのは、私より少し年上くらいの、ベテランっぽいパートの女性。
テキパキと商品をスキャンしながら、彼女はチラッと、レジ横の窓から外の雨の様子を見ました。
そして、私が「あ、袋、結構です(マイバッグ持ってるので)」と言おうとした矢先。
彼女はスキャンを終えた商品をマイバッグに入れる私の手元を見ながら、こう言ったんです。
「お客様、今日、雨がすごいですから」
そう言うと、彼女はレジ台の下から、スーパーのロゴが入った、大きな透明のビニールシート(よく、雨の日にサッカー台に置いてある、あのシートです)をサッと2枚取り出しました。
そして、私のマイバッグの**「上から」**、そのビニールシートをフワッ、とかけて、持ち手のところをキュッと結んでくれたんです。
「これで、駐車場まで少しは濡れずに済みますから。お気をつけて」
と、にっこり。
私は、もう、びっくりして。
「え!? あ、ありがとうございます! わざわざ…!」
としか言えませんでした。
正直、感動しました。
彼女の仕事は、商品をスキャンして、会計をすること。
私が「ビニールシートをください」と頼んだわけでもありません。
でも彼女は、
1.外がどしゃ降りであること(事実の認識)
2.私が大量に買い物をして、マイバッグがパンパンであること(状況の把握)
3.私が車(あるいは自転車)まで運ぶのに苦労する「だろう」こと(未来の想像)
4.紙袋やマイバッグが濡れたら中身が大変なことになる「だろう」こと(結果の予測)
これらを瞬時に「思い」、そして、レジの混雑をさばきながらも「ビニールをかける」という行動を「やった」。
これこそ、「思いやり」だと思いませんか?
もしこれが「親切」だけなら、私が「すみません、雨がすごいので、袋を二重にしてもらえますか?」と頼んで、彼女が「はい、どうぞ」と応じる形だったかもしれません。
もし「共感」だけなら、彼女は「雨、すごいですね。大変ですね」と声をかけてくれただけかもしれません。
でも、彼女は私の**「困るだろう未来」を想像し、先回りして解決策を「行動」で**示してくれたんです。
この時、私が感じたのは、「助かった」という安堵感だけではありませんでした。
どしゃ降りの雨や、重い荷物に対する「憂鬱(ゆううつ)」な気持ちが、一瞬で吹き飛んだんです。
「あぁ、もう、最悪」と思っていた心が、なんだか「よし、頑張って運ぶぞ!」と、前向きなエネルギーで満たされた。
彼女の小さな行動が、私の**「心のキャパシティ」**を回復させてくれたんです。
これって、すごくないですか?
私たちはよく「強さ」というと、「一人で耐える力」「Gaman(我慢)する力」をイメージしがちです。
特に海外で、言葉や文化の壁と戦いながら生活している主婦の皆さんなら、なおさら「私がしっかりしなきゃ」と、日々、気を張っていることも多いと思います。
でも、本当の強さって、もしかしたら、そういうことじゃないのかもしれない。
あのレジの女性のように、誰かの「ちょっとした大変さ」を想像して、そっと手を差し伸べられること。
そして、私たち自身が、誰かのそういう「思いやり」に救われて、心のエネルギーをチャージしてもらうこと。
お互いに「思いやる」ことで成り立つコミュニティ(それは家族かもしれないし、ご近所さんかもしれないし、あの日のスーパーのレジのような一瞬の繋がりかもしれない)は、すごく強靭な**「セーフティネット」**になる。
「思いやり」=「相手を理解し、サポートすること」は、巡り巡って、**「自分自身の感情的なキャパシティを強化する」**ことにつながる。
そして、「思いやり」をベースにしたコミュニティは、私たちが困難な時期(タフな時)を迎えた時に、そっと支えてくれる**「安全網」**として機能する。
私は、あの雨の日のスーパーで、日本の「思いやり」が持つ、この「しなやかな強さ」と「再起する力(レジリエンス)」を、身をもって体験した気がしたんです。
このブログでは、そんな「思いやり」という、日本社会に息づく生活の知恵であり、最強の人生術について、「起承転結」の構成で、これからじっくりと深掘りしていきたいと思っています。
今回は「起」として、私の実体験と、このテーマの「とっかかり」をお話ししました。
次回、「承」では、この「思いやり」が、具体的にどうやって私たちの「強さ」に変わっていくのか、もう少し掘り下げてみたいと思います。
なぜ「察する」は疲れるのに、「思いやる」は心を強くするのか?
こんにちは![あなたのブログ名や名前]です。
前回の「起」では、どしゃ降りのスーパーで体験した、レジのパートさんの「ビニールシート・神対応」のお話をしました。
あの時、私が感じたのは「助かった」という安堵感だけでなく、「よし、頑張ろう!」という、心が「回復」する感覚でした。
「思いやり」が、私自身の「レジリエンス(再起する力)」をぐっと引き上げてくれた瞬間でした。
でも、ここで一つ、正直な疑問が湧いてきませんか?
「確かに、思いやり『される』のは嬉しいよ。でも、『する』側は、正直しんどくない?」
「いつも相手の気持ちを『察して』先回りしなきゃいけないなんて、疲れるだけじゃない?」
海外で生活していると、日本のように「言わなくてもわかるでしょ」という暗黙のルール(=察する文化)よりも、
「私はこう思う」「私はこれが欲しい」と、ちゃんと言葉にして伝え合う文化の方が、よっぽどラク!と感じる場面も多いと思います。
私もそう思います。「察して」と「思いやり」って、すごく似ているようで、実はエネルギーの使い方が全然違うんじゃないかな、と。
「察する」は、どちらかというと「相手の期待に応えなきゃ」「波風を立てないようにしなきゃ」という、ちょっと受け身(Passive)で、時には自己防衛的なニュアンスがありませんか?
相手の顔色をうかがって、自分の行動を決める。だから、すごく疲れる。
でも、「思いやり」は、もっと**能動的(Active)**なものだと思うんです。
「あの人、今こうしたら助かるかも」と、自分が主体となって相手の状況を「想像」し、ポジティブな行動を「選択」する。
ここに、**「思いやりが私たち自身を強くする」**秘密が隠されている気がするんです。
今日は、この「思いやり」という能動的な行動が、なぜ私たちの「心のキャパシティ」を強くし、レジリエンス(再起力)に繋がるのか、そのメカニズムを実体験ベースで深掘りしてみたいと思います。
1.「自分にもできる」という自己効力感(アンプル)
突然ですが、皆さん、誰かに「ありがとう、すごく助かった!」と、心から感謝された時のことを思い出してみてください。
(……ちょっと、思い出してみましたか?)
どうでしょう。
もちろん、相手が喜んでくれたことが一番嬉しい。でも、それと同時に、自分自身の心も、なんだか「ポカポカ」と温かくなりませんでしたか?
「あぁ、私、ちょっと役に立てたかも」
「私がやったことで、誰かが笑顔になった」
これって、心理学でいう**「自己効力感(Self-efficacy)」**——つまり、「自分はできる」「自分には価値がある」と思える感覚——が、ぐぐっとチャージされる瞬間だと思うんです。
私はよく、この「自己効力感」を、RPGゲームの「回復薬(アンプル)」みたいだな、と思っています。
海外での暮らしは、正直、この「アンプル」が手に入りにくい。
日本では当たり前にできていたことが、言葉の壁や文化の違いでうまくいかない。
スーパーで欲しいもの一つ探すのも一苦労。役所の手続きなんて、ラスボスとの戦いみたい(笑)。
「私、こんなこともできないなんて…」
「私、ここで何やってるんだろう…」
そんな風に、日々の小さな「できない」の積み重ねで、自分のHP(ヒットポイント)はじわじわ削られていきますよね。
でも、そんな時でも「思いやり」は実践できるんです。
例えば、
- 慣れない土地で、自分と同じように道に迷っている人を見かけて、「(カタコトの英語や現地語で)大丈夫? どこ探してる?」と声をかけてみる。
- 子供の学校のママ友が、なんだかすごく疲れた顔をしていたら、「(たいしたことできなくても)コーヒーでも飲む?」と、温かい飲み物を渡してみる。
- 日本の家族や友人に、「こっちでこんなの見つけたよ」と、ちょっとした写真を送ってみる。(これも立派な「あなたのことを思ってますよ」という行動ですよね)
大げさなことじゃなくていいんです。
ほんの小さな「思いやり」のアクションを起こした時。
相手が「Thank you! You saved me!(ありがとう!助かったわ!)」と言ってくれたら、最高。
たとえ相手の反応がイマイチだったとしても(笑)、
「私、今、あの人のために何か行動を起こせた」という事実が、自分の「アンプル」になる。
「私、言葉が完璧じゃなくても、誰かの役に立てるかも」
「私、この土地でも、ちゃんと人との繋がりを作っていけるかも」
この「自己効力感」というアンプルこそが、心が折れそうな時に「いや、まだ大丈夫」と踏みとどまらせてくれる、レジリエンスの源泉になるんです。
相手を助ける行動(思いやり)は、実は、自分自身を回復させるための「アンプル」を自ら作り出す作業なんですね。
2.「想像力」という、最強の感情トレーニング
「思いやり」の第一歩は、「相手の状況を想像すること」だと、「起」でお話ししました。
これって、実は、めちゃくちゃ高度な「感情のトレーニング」だと思うんです。
「自分がこの立場だったら、どう感じるだろう?」
「あの人が今、口に出さないけど、本当に求めていることは何だろう?」
この「想像力」を鍛えることって、一見、自分を疲れさせるように見えますよね。「考えすぎ」になっちゃう、と。
でも、このトレーニングを積むと、どうなるか。
自分の「感情の解像度」が、めちゃくちゃ上がるんです。
「あ、今、私、イライラしてる。なんでだ? あぁ、寝不足で、お腹が空いてるからだ」
「今、あの人のあの言葉に、ちょっと心がチクッとした。それは、私が『認められたい』と思っていたからだ」
というふ(笑)。
自分の感情の「輪郭」が、はっきり見えるようになる。
なぜこれが「強さ」になるのか?
海外生活って、「なんで今、こんなに不安なんだろう」「なんで、あの人の何気ない一言が、こんなに突き刺さるんだろう」と、**「正体不明のモヤモヤ」**に襲われること、多くないですか?
言葉にできない不安や焦りが、一番メンタルをすり減らします。
でも、「思いやり」のトレーニングで「想像力」を鍛えていると、
まず、「他人の感情」に振り回されにくくなります。
「あぁ、あの人は今、きっと仕事で疲れてて、八つ当たりしたいモードなんだな。私(のせい)じゃなくて、あの人(の問題)だ」と、冷静に受け流せるようになる。
そして何より、「自分の感情」を客観視できるようになります。
「正体不明のモヤモヤ」の正体を、自分で突き止められるようになるんです。
「不安」の正体がわかれば、「じゃあ、今できることは?」と、次の行動に移せる。
「思いやり」とは、相手の心を想像すること。
それはつまり、巡り巡って、**「自分自身の心を理解する」**訓練でもある。
自分の感情をちゃんと理解し、コントロールできるようになること。
これこそが、「思いやり」が育む、もう一つの「強さ(レジリエンス)」なんです。
3.「情けは人の為ならず」の本当の意味
日本には「情けは人の為ならず」という、素晴らしいことわざがあります。
(「情けをかけると、その人のためにならない」と誤解されがちですが、違いますよ!)
本当の意味は、「人に情けをかける(思いやりを持つ)と、それは巡り巡って、自分に良いこととして返ってくる」という意味ですよね。
これ、スピリチュアルな話でもなんでもなくて、すごく現実的な「サバイバル術」だと思うんです。
私がスーパーでレジの女性に「思いやり」をもらって、心が回復したように。
私が誰かに「思いやり」を渡せば、その人の心がちょっと回復するかもしれない。
そうやって、小さな「思いやり」を、自分が受け取ったり、渡したりする。
そのキャッチボールが、あちこちで起きているコミュニティって、想像してみてください。
すごく「安全」じゃないですか?
私が本当に困った時、
私がもう一人では立ち上がれないくらい落ち込んだ時、
きっと誰かが、あの日のレジの女性のように、
「大丈夫?」「これ、使う?」
と、そっとビニールシートをかけてくれるかもしれない。
そんな**「期待感」というか、「信頼感」**。
「思いやり」のキャッチボールを続けることは、自分と自分の周りに、目には見えないけれど、すごく強固な「セーフティネット」を編んでいく作業なんです。
「私は一人じゃない」
「いざとなったら、誰かがきっと助けてくれる」
この「信頼感」こそが、私たちが異国の地で、未知の困難にぶつかった時に、「まぁ、なんとかなるか」と、一歩踏み出す勇気をくれる。
最大の「レジリエンス(再起力)」の土台になるんです。
「察する」だけでは、疲弊してしまう。
でも、「思いやり」という能動的なアクションは、
1.「自分にもできる」という**自己効力感(アンプル)**を生み出し、
2.「自分と他人を理解する」**想像力(感情トレーニング)を鍛え、
3.「いざという時、大丈夫」という信頼感(セーフティネット)**を築く。
これら全てが、私たちの心をしなやかに、強くしてくれるんです。
だから、日本の「思いやり」は、面倒な「お節介」なんかじゃなく、私たちがタフな時代や環境を生き抜くための、最強の「サバイバル術」であり「人生術」なんだと、私は思うのです。
次回、「転」では、この「思いやり」を、海外の文化の中でどう活かしていくか、逆に、海外の文化から私たちが学ぶべき「思いやり」の形について、考えてみたいと思います。
その「良かれ」がアダになる? 文化の壁を越える「ハイブリッド思いやり」のススメ
こんにちは![あなたのブログ名や名前]です。
いやぁ、前回の「承」では、日本の「思いやり」が、
1.自己効力感(アンプル)
2.感情トレーニング(想像力)
3.セーフティネット(信頼感)
という3つの側面から、私たちを強くしてくれる「最強のサバイバル術」だ!なんて、熱く語ってしまいました。
日本で暮らす主婦の私としては、「そうそう、これぞ日本の素晴らしさ!」と、ちょっと誇らしい気持ちで書いていたんです。
でも。
このブログを読んでくださっている、海外で生活する主婦の皆さん。
今、こんな風に思っていませんか?
「…いや、わかるよ? わかるけどね?」
「その日本式の『そっと察する思いやり』、こっち(海外)でやったら、十中八九、引かれるか、キョトンとされるんですけど…!」
「『良かれ』と思ってやったのに、『なんで勝手なことするの?』って顔をされた時の、あの気まずさ、知ってる?」
…ですよね!
声が聞こえてくるようです(笑)。
そうなんです。
「転」でお話ししたいのは、まさにそこ。
私たちが「美徳」として学んできた「思いやり」が、文化という壁にぶち当たった時、どうなってしまうのか。
そして、その時、私たちはどうすればいいのか、というお話です。
1.「良かれ」が「お節介」に変わる瞬間
私にも、昔、短期留学していた頃に、苦い経験があります。
ホームステイ先のファミリーが、風邪でちょっと咳き込んでいたんです。
日本人の私、ピーンと来ました。
(あ、風邪には「生姜湯」だ!)
日本の家族が風邪を引いたら、すりおろした生姜とはちみつにお湯を注いで、「はい、これ飲んで寝てなさい」が、私の中の「愛情」であり「思いやり」でした。
もちろん、今回も「良かれ」と思って、キッチンを借りて、せっせと生姜湯を作ったんです。
そして、
「(つたない英語で)これ、日本のスペシャルドリンク! 風邪に効くから!」
と、ホストマザーに差し出したんですね。
彼女の反応は、
「Oh…(眉間にシワ)…what’s this? ginger?(何これ? 生姜?)」
明らかに、困惑。
というか、ちょっと迷惑そう(笑)。
彼女としては、
「私はただ咳が出てるだけ」
「飲みたかったら自分で薬を飲む」
「ていうか、得体の知れない(しかもちょっとスパイシーな匂いのする)茶色い液体、飲みたくない…」
というのが本音だったんでしょう。
結局、一口だけ「Thank you…」と飲んでくれましたが、あとはそっと流しに置かれていました。
(チーン…)
あの時の私、「思いやり」のつもりで行動しました。
相手の状況を「想像」し(風邪でしんどいだろう)、行動を「選択」した(生姜湯を作った)。
「承」で話したメカニズム、そのままです。
でも、何が間違っていたのか?
それは、**「私の『当たり前』が、相手の『当たり前』とは限らない」という、ごくごく基本的な視点が、すっぽり抜け落ちていたこと。
そして、「助けが必要か」「それを求めているか」という「確認」**をすっ飛ばして、自分の「良かれ」を押し付けてしまったこと。
日本国内のように、文化や生活習慣の「当たり前」がある程度そろっている場所なら、「察して行動」は、最高の「思いやり」として機能します。前回のスーパーのレジ係さんのように。
でも、バックグラウンドが全く違う海外では、
「察して行動」=「(相手の許可なき)お節介、プライバシーの侵害」
と受け取られてしまう危険性が、常にあるんです。
ああ、切ない。あんなに心を込めて生姜すりおろしたのに…。
2.彼らに「思いやり」はないのか?――いいえ、形が違うだけ
じゃあ、海外の人たちって「思いやり」がない、冷たい人たちなの?
というと、絶対にそんなことはないですよね。
皆さんも、現地で生活する中で、彼らなりの「温かさ」に触れた瞬間が、きっとあるはずです。
ただ、その「表現方法」が、私たちとは違う。
彼らの「思いやり」は、
「察する」ではなく、「言葉にして確認する」。
私が生姜湯事件でショックを受けていた時、ホストシスター(同い年くらい)が、こう声をかけてくれました。
「Hey, [私], you look down.(なんか落ち込んでない?)」
「No, I’m fine…(ううん、大丈夫…)」
「Really?(本当?)」
「…Actually,(実は…かくかくしかじか…)」
「Oh, I see!(あー、なるほどね!)」
彼女は、私のために生姜湯は作ってくれません(笑)。
でも、「Are you OK?(大丈夫?)」と**「言葉で」**私の状態をノックしてくれた。
そして、私が「実は…」と話すのを、ちゃんと聞いてくれた。
これ、すごく「ラク」じゃないですか?
こっちは「察してよ!」とモヤモヤしなくていい。
あっちも「何に怒ってるんだ?」と勘ぐる必要がない。
彼らにとっての「思いやり」は、「個人の境界線(Boundary)」をすごく大事にします。
「あなたの領域には、勝手に入りませんよ」
「でも、もしあなたが『助けて』と言うなら、話は聞くよ。手伝えることある?」
このスタンスなんです。
だから、スーパーで重い荷物を持っていても、誰も手伝ってくれないかもしれない。
(「彼女は自分で持てる」と思われているから)
でも、もし、あなたが「Excuse me, could you help me?(すみません、ちょっと手伝ってもらえませんか?)」と言えば、きっと多くの人が「Sure!(いいよ!)」と快く手を貸してくれるはず。
日本の「思いやり」が、**「相手のニーズを先回りして満たす」という「おもてなし」型だとしたら、
海外の「思いやり」は、「相手のSOSに、対等な立場で応答する」**という「サポート」型なのかもしれません。
3.最強の「ハイブリッド思いやり」という人生術
ここまでくると、
「じゃあ、日本式はダメで、海外式が正しいの?」
という話になりそうですが、私はそうじゃない!と強く思っています。
私たち、日本で育ち、今、海外で暮らしている(あるいは、海外に目を向けている)主婦は、
両方の「いいとこ取り」ができる、最強のポジションにいるんですよ!
私が大推奨したい、これからの時代の人生術。
それが、**「ハイブリッド思いやり」**です。
作り方はカンタン。
<材料>
- 日本の「想像力」(察する力)… 相手の状況や表情の「ちょっとした変化」に気づくアンテナ。
- 海外の「確認力」(言葉にする力)… 相手の境界線を尊重し、ニーズを尋ねる勇気。
<作り方>
- まず、私たちの得意な**「想像力」**をフル活用します。「あ、あのママ友、いつもより元気ないかも」「隣の家のおばあちゃん、最近ゴミ出しの時、ちょっと足元がふらついてない?」「夫、なんか最近、ため息多くない?」…この「気づく力」、間違いなく私たちの「強み」です。
- ここで、日本式(生姜湯事件)に走らない!(笑)「元気がないに違いないから、甘いものを作って持って行こう!」と、即・行動に移さない。
- ここで、**「確認力」**を投入します。「Hi, [ママ友]. Are you OK? You look a bit tired.(元気? ちょっと疲れてない?)」「(おばあちゃんに)Good morning! Anything I can help with?(おはようございます! 何かお手伝いできることありますか?)」「(夫に)最近、忙しそうだね。ちょっと話聞こうか?」
たったこれだけ。
「察する」で終わらせず、「お節介」にもせず、
**「想像したから、確認する」**というワンクッションを入れる。
これこそが、最強の「ハイブリッド思いやり」です。
これなら、生姜湯事件のような「悲劇」は生まれません(笑)。
「疲れてる?」と聞かれて、「そうなんだよ、実は…」と話してくれれば、そこからサポートが始まる。
「いや、大丈夫!」と言われたら、それ以上は踏み込まない。それが相手への「尊重」です。
「察する」文化の「言わなくてもわかってよ」という「甘え」の部分を捨て、
「言葉にする」文化の「言わなきゃ助けないよ」という「ドライ」な部分を、
日本の「想像力」で補う。
この「ハイブリッド思いやり」を身につけること。
それは、文化の壁を越えて、相手を本当に尊重しながら、しなやかな人間関係を築いていくための、最も実践的な「技術(スキル)」であり「人生術」だと、私は思うんです。
海外で暮らす皆さんは、この「ハイブリッド思いやり」を、日々、肌感覚で実践している、最先端の人たちなのかもしれませんね。
さて、次回はいよいよ「結」。
この「ハイブリッド思いやり」というサバイバル術が、巡り巡って、どう「私たち自身の強さ」として完成するのか。
このブログの「まとめ」に入っていきたいと思います。
あなたが「強い」本当の理由。日常に隠された「思いやり」というお守り
こんにちは![あなたのブログ名や名前]です。
いやー、長い旅にお付き合いいただき、本当にありがとうございます!
「起」では、どしゃ降りのスーパーで出会った「ビニールシートの神対応」から、「思いやりって、実は私たちの『強さ(レジリエンス)』になるんじゃない?」という問いを立てました。
「承」では、「察する」のとは違う、能動的な「思いやり」が、「自己効力感」や「想像力」、「セーフティネット」という形で、私たちの心を確かに強くしてくれるメカニズムを深掘りしました。
そして「転」では、皆さんが今まさに直面しているであろう、「文化の壁」に挑戦。私の苦い「生姜湯事件」をさらしつつ(笑)、日本の「想像力」と海外の「確認力」を合わせた**「ハイブリッド思いやり」**こそが、最強の人生術じゃないか!という提案をさせていただきました。
さて、いよいよ「結」。
この旅の終わりに、私が皆さんに一番お伝えしたいことです。
それは、「思いやり」という視点で見た時、
「今、海外で頑張っている主婦の皆さんこそが、最強のレジリエンス(再起力)をすでに持っている」
という、揺るぎない事実です。
1.「ハイブリッド思いやり」は、最強の「お守り」
「転」でお話しした「ハイブリッド思いやり」——気づく力(想像力)と、確認する力(言葉にする勇気)。
これって、よくよく考えてみたら、海外で生活するために必須のスキルですよね。
現地の人の、微妙な表情やジェスチャーを「想像」しようと、必死にアンテナを張る。
でも、わからないから、「(つたない言葉でも)こういう意味?」「今、助けは必要?」と、勇気を出して「確認」する。
スーパーのレジの並び方一つ、ゴミの出し方一つ、子供の学校の保護者同士の付き合い方一つ…。
日本での「当たり前」が通用しない場所で、皆さんは、毎日、毎日、この「ハイブリッド思いやり」を実践しているんです。
「察する」だけでは、文化の違いに打ちのめされる。
「言葉」だけでは、汲み取りきれないニュアンスに疲弊する。
その両方の狭間で、なんとかバランスを取りながら、家族のために、自分のために、人間関係を築こうと奮闘している。
それって、ものすごく高度なコミュニケーションであり、とてつもなく「強い」ことだと思いませんか?
「承」で、「思いやりはセーフティネットを編む作業だ」と書きました。
この「ハイブリッド思いやり」は、文化の違う土地で、ゼロからセーフティネットを編み直すための、**唯一無二の「針と糸」**なんです。
うまくいかなくて、落ち込む日もあるかもしれません。
「生姜湯事件」みたいに、良かれと思ったことが裏目に出る日もあるでしょう。
でも、その「失敗」こそが、「あ、この国(この人)の『当たり前』は、これだったんだ」というデータを蓄積し、あなたの「ハイブリッド思いやり」の精度を上げてくれる。
だから、失敗を恐れないでください。
あなたが日々、アンテナを張って、言葉を紡ごうとしているその「努力」そのものが、あなたの周りに、そして何よりあなた自身の心の中に、強固な「お守り(=セーフティネット)」を作ってくれているんですから。
2.「思いやり」とは、自分を「満たす」技術
ここまで、「思いやり」=「相手のために」という文脈で語ってきました。
でも、最後に。
私が思う「思いやり」の最強の側面は、それが巡り巡って、**「自分自身を思いやる」**ことにつながる、という点です。
「転」で、海外の文化は「個人の境界線(Boundary)」を大事にすると書きました。
これ、私たちが日本で学ぶ「思いやり」に、一番欠けていた視点かもしれません。
日本では「自分を犠牲にしてでも、相手に尽くす」ことが、時に美徳とされがちです。
でも、海外生活は、そんな「Gaman(我慢)」や「自己犠牲」だけでは、乗り切れない。
自分のHP(ヒットポイント)がゼロなのに、人に回復薬(アンプル)を配っていたら、真っ先に自分が倒れてしまいます。
「承」で、「思いやりは感情トレーニングだ」と書きました。
相手の感情を「想像」する訓練を積むと、自分の感情の「解像度」が上がると。
これが、ここで効いてくるんです。
「あ、私、今、すごく疲れてる」
「今、あの人に『Yes』って言ったら、絶対に後で自分がしんどくなる」
「今、私に必要なのは、誰かのための生姜湯じゃなくて、自分一人のためのコーヒーだ」
そう、自分自身の「今、しんどいかも」「これが欲しいかも」に「気づいて(想像して)」あげること。
そして、
「(周りに)ごめん、今日は無理!」
「(自分に)よし、今日は休もう!」
と、「言葉にして」「行動して」あげること。
これこそが、**「自分自身への、最強のハイブリッド思いやり」**です。
海外で頑張る皆さん。
誰よりもまず、自分自身に、この「思いやり」をかけてあげてください。
あなたが元気で、心が満たされていて、初めて、周りの人にも本当の意味で「思いやり」を渡せるんですから。
相手の境界線を尊重する(=踏み込まない)ことを学ぶ。
それは同時に、自分の境界線を守る(=踏み込ませない)術を学ぶこと。
これこそ、海外生活が私たちに教えてくれる、最高の「人生術」だと思いませんか?
3.結び:あなたの「当たり前」が、誰かの光になる
「思いやり」というテーマで始まったこのブログも、これでおしまいです。
日本に住む主婦の私が、日本のスーパーで感じた「思いやり」。
それが、皆さんが住む海外の地で、どんな風に響くんだろう…と、ドキドキしながら書いてきました。
日本の「思いやり」は、時に息苦しいけれど、でも、あのレジの女性のような、言葉にならない「温かさ」がある。
海外の「思いやり」は、時にドライに感じるけれど、でも、「言葉にして尊重し合う」という「風通しの良さ」がある。
どちらが良い・悪い、ではない。
私たちは幸運なことに、両方を知っている。
両方の「いいとこ取り」をして、「ハイブリッド思いやり」という、自分だけの最強の「お守り」を作っていける。
そして、その「お守り」は、
「私、ここでやっていける」という「自己効力感」になり、
「きっと誰かが見ててくれる」という「セーフティネット」になり、
「私、今、疲れてる」と認めてあげる「自己肯定感」になって、
間違いなく、あなたの「強さ(レジリエンス)」になります。
今日、もし、道端で誰かが困っていたら。
「Hi, Are you OK?」
その一言をかけてみる。
今日、もし、自分がすごく疲れていたら。
「(自分に)お疲れ様。今日はもう寝よう」
その一声をかけてあげる。
そんな、日常の小さな小さな「ハイブリッド思いやり」の積み重ねこそが、異国の地で奮闘するあなたの毎日を支え、あなたの人生を、もっと豊かで、もっと「強い」ものにしてくれると、私は信じています。
私も、日本という場所で、海外の視点を持つ皆さんから学んだ「言葉にして確認する勇気」を、少しずつ実践してみたいと思います。
(まずは、夫に「察してよ!」と思う前に、「これ、やってくれると助かるんだけど、どう?」と聞いてみることから始めますかね…笑)
長い旅にお付き合いいただき、本当にありがとうございました!
皆さんのいる場所が、今日も温かな「思いやり」で満たされますように。

コメント