えっ、6歳が一人で通学!? 日本の「自立(Jiritsu)」文化が教えてくれる、しなやかに生きるヒント

衝撃! 日本の「ちびっこ自立戦士」たち

ねえ、皆さんの住んでいる国では、小学校1年生(6歳とか7歳ですよね)の子供って、どうやって学校に行ってますか?

やっぱり、スクールバス? それとも、パパやママが毎日送り迎えするのが当たり前かな?

この前、アメリカに住んでる友達が日本に遊びに来た時、朝の通勤ラッシュの時間帯に、すっごい目を丸くしてたんですよ。

「ねえ、見て! あの小さい子たち、親もなしに歩いてる! しかも、すっごく重そうなリュック(ランドセルのことね)背負って!」

そう、日本では、小学校に上がると、多くの子が「集団登校」といって、近所の子供たちだけで列になって学校に行くんですよね。中には、本当に一人でトコトコ歩いてる子もいる。黄色い帽子をかぶって、自分の身長の半分くらいありそうなランドセルを背負って。

友達は「信じられない!」「誘拐されたらどうするの?」「あんな重いもの持たせて、虐待じゃないの?」って、もうパニック寸前(笑)。

確かに、日本が比較的安全な国だから、っていうのは大きな理由の一つです。それは間違いない。

でもね、それだけじゃないんですよ。

あれって、親が「楽をしたい」からでも、「危険を顧みない」からでもなくて、「自分のことは自分でやる」「自分の荷物は自分で持つ」っていう、「自立」への第一歩として、社会全体がある種「期待」している風景なんです。

もちろん、最初は親も心配で、こっそり後をつけたり、通学路の途中まで一緒に行ったりするんですよ(笑)。私も娘が1年生の時は、曲がり角からそーっと覗いてました。

でも、「あなたを信じてるから、一人で行かせるね」っていうメッセージでもあるんですよね。

この「自立」の英才教育(?)は、学校生活でさらに加速します。

皆さんの国では、学校の「掃除」って誰がやってますか?

おそらく、「清掃員(Janitor)」の人が、放課後とかに専門の道具でピカピカにしてくれるのが普通ですよね?

日本は、違います。

生徒が、自分たちでやるんです。

これ、海外の人が聞くと、登下校の比じゃないくらい驚くみたいで。「え、トイレ掃除も!? 子供が!?」って。

そう、トイレ掃除もやります(笑)。

小学校に入ると、「掃除の時間」っていうのが毎日(!)カリキュラムに組み込まれていて、生徒全員が、自分たちの教室はもちろん、廊下、階段、特別教室、そしてトイレまで、分担して掃除するんです。

ほうきとチリトリを持って床を掃いて、雑巾を持って、みんなで「よーいドン!」で床の雑巾がけレースみたいにしながら拭いて。

これ、欧米のいくつかの国だと、「子供に労働させるなんて!」とか「衛生管理上、プロがやるべきだ」っていう考え方から、まずあり得ないことらしいんですよね。

でも、日本ではこれが「罰ゲーム」でも「労働」でもなく、「教育の一環」として当たり前に行われています。

なぜか?

それは、フック(冒頭のテーマ)にあったように、「コミュニティへの貢献」と「個人の責任」を学ぶため、なんですよね。

「自分たちが使った場所は、自分たちで綺麗にするのが当たり前」

「みんなが気持ちよく過ごせるように、自分の役割を果たす」

この考え方が、すっごく小さい頃から叩き込まれる(笑)。

だから、日本の子供たちって、学校で自分の机を汚したら自分で拭くし、床に何かこぼしたら「あーあ」とか言いながらも自分で雑巾を取りに行く。それが「特別なこと」じゃなくて、「普通のこと」なんです。

家庭でもそう。

フックに「幼い子供でさえもタスクを与えられる」ってありましたけど、これも本当にそうで。

もちろん、家庭による差はありますよ。

でも、例えば食卓の準備。

「お箸を並べるのは、〇〇ちゃん(子供の名前)のお仕事ね」

「自分のお皿は、自分でキッチンまで持っていく」

こういう小さな「タスク(役割)」が、本当に2歳とか3歳とか、そういうレベルから始まったりする。

「おもちゃ、自分で片付けようね」は、もう序の口。

これって、ただ「お手伝いさせて、えらいねー」って褒めたいわけじゃなくて、「あなたは家族の一員として、やるべき役割があるんだよ」っていうメッセージなんです。

つまり、日本の「自立(Jiritsu)」って、「自分の面倒は自分が見る(Independence)」っていう側面に加えて、「自分はコミュニ(家族や学校や社会)の一員として、責任を果たす(Responsibility)」っていう側面が、めちゃくちゃ強く結びついてるんです。

海外で暮らしていると、こういう「当たり前」の違いに日々直面するんじゃないかなって思います。

「え、これ、自分でやらなきゃいけないの!?」とか、逆に「え、こんなことまでやってもらえるの!?」とか。

日本で育った私は、この「自分のことは自分で」とか「周りに迷惑をかけないように」っていう「自立」のプレッシャーを、時々ちょっと重たく感じることもありました。

でも、今こうして主婦になって、海外の文化に触れる機会が増えてみると、この「Jiritsu」の考え方って、実はすごく合理的で、困難に直面した時に自分を助けてくれる「問題解決能力」や「主体性」(まさにフックの言葉!)のタネになってるんじゃないかなって、思うようになってきたんです。

ピカピカの床と「個人の責任」。学校掃除が育むもの

日本の小学校の「掃除の時間」。

あれってね、「罰」としてやらされるんじゃないんです。

「授業」なんです。

だから、時間割にちゃんと「掃除」って組み込まれてる。

そして、必ず「当番制」なんですよね。

「今週は、〇〇さんと〇〇さんが、教室の後ろのロッカー担当」

「あなたはトイレの洗面台担当」

「僕は廊下の雑巾がけ担当」

この「当番制」っていうのが、実はミソ。

これは、「あなたは、この期間、この場所をキレイに保つ『責任者』ですよ」っていう任命なんです。

フック(冒頭のテーマ)にあった「個人の責任(Personal Responsibility)」っていう考え方が、ここでガツンと注入されます(笑)。

もし、自分がサボったら?

その場所は、汚いまま。

次の日、みんなが使う時に、気持ち悪い思いをする。

これ、子供心に結構なプレッシャーですよ。

私が小学生だった頃、トイレ掃除の当番が本当に嫌で(笑)。

でも、当時は今みたいにピカピカの学校ばかりじゃなかったので、サボると本当に大変なことになる。

ある時、一緒の当番だった子が「やだー」って言って、ちゃんとやらなかったことがあったんです。

当然、次の日、先生や他のクラスメイトから「なんか昨日より汚くない?」「ちゃんとやったの?」って言われるわけです。

その時、先生が怒るより先に、私たち子供同士で「ちょっと、ちゃんとやってよ!」「昨日サボったでしょ!」って、小さな「会議」が始まるんですよ。

「じゃあ、どうする?」

「今日は昨日より時間かけてやろう」

「〇〇ちゃんはこっち拭いて、私はこっちやるから」

これ、気づきました?

これこそが、「問題解決(Problem-solving)」の第一歩なんです。

「問題(=トイレが汚い、当番が機能していない)」が発生した時、

「誰か(先生)が解決してくれる」のを待つんじゃなくて、

「自分たち(当事者)で、どうするか話し合う」んです。

もちろん、全部が全部、子供だけで解決できるわけじゃないですよ。

でも、「自分たちの問題は、まず自分たちで考える」という姿勢を、あの雑巾やほうきを持ちながら、毎日毎日、文字通り「体で」学んでる。

雑巾がけだってそうです。

ただ拭くんじゃない。

どうやったら、この広い廊下を、制限時間内(だいたい15分くらい)にピカピカにできるか?

そうすると、賢い子が出てきて、

「みんなで横一列になって、端から端まで『よーいドン』で競争しながらやろうよ!」

「そうすれば早いし、拭き残しもない!」

とか、謎の「最適化」が始まる(笑)。

これって、フックにあった「主体性(Agency)」そのものだと思いませんか?

「やらされてる」掃除を、いかに「自分たちで工夫して」効率よく終わらせるか、というゲームに変えちゃう。

海外で暮らしていると、時々「え、なんでこれ、誰もやらないの?」って思う瞬間ありませんか?

例えば、公共のスペースがちょっと汚れてても、みんな「清掃員の仕事でしょ」って感じでスルーしたり。

役所の手続きが全然進まなくても、「まあ、担当者がやるまで待つしかないよね」ってなったり。

もちろん、それが文化の違いだし、役割分担がハッキリしてるっていう良さでもあるんです。

でも、日本で「掃除当番」を経験して育つと、

「あーもう、汚れてるの気持ち悪い! 誰かやるの待つより、自分で拭いちゃった方が早い!」

とか、

「なんで進まないの? こっちから連絡して、どうなってるか確認して、次何すればいいか聞いちゃおう!」

っていう思考になりがち(笑)。

「誰かがやる」を待つんじゃなくて、「自分が動く」。

この「Jiritsu」マインドって、言葉も文化も違う海外でトラブルにぶち当たった時、すごく強い武器になると思うんです。

「どうしよう、誰も助けてくれない…」って落ち込むんじゃなくて、

「さて、どうやってこの問題を解決しようか?」って、主体的に動けるかどうか。

あの薄汚れた(失礼!)雑巾で床を磨いた経験が、意外と今、異国の地で踏ん張る力になってるのかもしれないな、なんて思うんです。

そして、もう一つの「Jiritsu」トレーニングジムが、「給食当番」。

これも経験しましたよね?

あの白い割烹着(かっぽうぎ)と帽子とマスク。完全防備で(笑)。

「給食当番」って、単なる「ご飯をよそう係」じゃないんですよ。

あれは、小さな「プロジェクト管理」です。

まず、とんでもない「責任(Responsibility)」が伴います。

1. タイムマネジメント(時間厳守)

給食当番は、みんなより早く準備を始めて、昼休み時間内に全員に配り終え、自分たちも食べて、片付けまで終わらせないといけない。モタモタしてたら、みんなの(そして自分の)昼休みがなくなる!

2. リソース管理(公平な分配)

これが一番難しい(笑)。

クラス全員分(30〜40人分)のカレーやおかずを、大きな食缶から「公平に」分けなきゃいけない。

「〇〇くんだけ、お肉が多い!」なんてクレームが出たら、一大事です。

限られたリソース(食料)を、どうやってコミュニティ(クラス)全員に納得いく形で分配するか。これ、高度な政治ですよ(笑)。

3. リスク管理(安全と衛生)

特に今の子達は大変ですけど、「アレルギー対応」。

「〇〇ちゃんは卵抜きだから、こっちのお皿ね」

「牛乳は飲めないから、お茶を渡す」

これを間違えたら、命に関わる。

熱いスープをこぼさないように運ぶとか、衛生管理とか、小さな「リスク」が山積みなんです。

これら全部を、たかだか10歳そこそこの子供たちが、毎日当番制で回してる。

「自分たちの『食』という、生きていく上で超重要なインフラを、自分たちで管理・運営する」

これこそ、フックにあった「コミュニティへの貢献(Contribution to the community)」の、最たる例だと思いませんか?

「誰かが作ってくれて、配ってくれるのが当たり前」じゃない。

「みんなが食べるために、今日は自分たちが責任を持って動く」。

この経験って、主婦になった今、めちゃくちゃ生きてるなーって思うんです。

家族の好みもアレルギーもバラバラな中で、どうやって献立を組み立てて、時間通りに温かいご飯を食卓に出すか。

買い物、下ごしらえ、調理、片付け…。

主婦の毎日の「段取り力」って、あの給食当番で培った「プロジェクト管理能力」の延長線上にある気がして(笑)。

海外で、手に入る食材も違う、キッチンの勝手も違う中で、なんとか家族のご飯を作ってる皆さん。

そのタフな「段取り力」の原点は、もしかしたらあの白い割烹着にあるのかもしれませんね。

こうして見ると、「掃除」も「給食当番」も、単なる「お手伝い」や「雑用」じゃなくて、

「自分の役割を果たして、コミュニティ(クラス)を支える」

「そのために、自分で考えて、問題を解決する」

っていう、「Jiritsu」の訓練なんですよね。

「個人の責任」を学ぶ場。

ただね、この「個人の責任」とか「コミュニティへの貢献」っていう意識が、日本社会では時々、ちょっと強すぎる方向に働いちゃうこともあるんです。

それが、「起」でも少し触れた、「重たさ」の正体。

日本人が、口癖のように言う、あの言葉。

「迷惑をかけないように」

この一見ネガティブにも聞こえる言葉が、実は日本の「Jiritsu」と深く、ふかーく結びついていて、良くも悪くも、日本の社会の独特な空気感を作っているんです。

次回、「転」では、この「迷惑をかけない」っていう文化が、一体どういうもので、それが海外生活でどういう「摩擦」や「気づき」を生むのか。

そんな話をしてみようと思います。

迷惑をかけない、はネガティブじゃない? 「Jiritsu」が作る社会のカタチ

「人に迷惑をかけないように」。

これ、日本の親が子供に教える「しつけ」の、多分トップ3に入りますよね(笑)。

「Jiritsu(自立)」と「Meiwaku(迷惑)」は、コインの裏表なんです。

「自立しなさい」の裏には、「(自立できていないと)人に迷惑をかけるから」っていう動機が、透けて見える。

この「迷惑」っていう言葉、英語だと「Trouble」とか「Bother」「Inconvenience」って訳されるけど、日本の「迷惑」が持つニュアンスは、もっと重くて、広い。

それは、「他人のリソース(時間、労力、精神)を、自分の都合で奪ってはいけない」っていう、超・強力な社会規範なんです。

例えば、日本の電車の中。

なんであんなに静かか、不思議に思いません?

電話はもちろんNG、友達とのおしゃべりも、ボリュームは最小限。

あれは、「自分の出す音で、他人の静かな時間を邪魔する」=「音の迷惑」をかけてはいけない、っていう暗黙のルールが徹底されてるから。

風邪をひいたら、みんな速攻でマスクしますよね。

(コロナで世界標準になったけど、日本はそのずっと前からそうでした)

あれも、「自分の菌を他人にうつす」=「衛生的な迷惑」をかけてはいけない、っていう意識から。

これ自体は、すごく良いことですよね。

社会全体がスムーズに、清潔に、静かに回るんだから。

でも、この「迷惑をかけちゃいけない」プレッシャーが、海外に出た途端、私たちを苦しめることがある。

皆さんも、こんな経験ありませんか?

ケース1:「助けて」が言えない問題

海外で暮らし始めたばかりの頃。

ビザの書類の書き方が分からない。

スーパーで、欲しい食材がどこにあるか見つからない。

子供が熱を出したけど、どこの病院に電話すればいいか分からない。

もう、パニック寸前!

でも、頭をよぎるのは、

「こんなことで、忙しい〇〇さん(先に住んでる日本人)の手を煩わせるのは…迷惑だ」

「隣の△△さん(現地の人)に聞きたいけど、拙い英語で時間を使わせたら…迷惑だ」

そう。**「助けを求めること」=「迷惑」**っていう、強烈な刷り込みが発動しちゃうんです。

「Jiritsu(自立)」の精神が、「自分で解決しなきゃ!」「人に頼るのは恥ずかしい!」って、自分に鞭を打つ。

その結果、一人で何時間も抱え込んで、泣きそうになりながらネットで検索して…。

で、後日、その話を知った現地の友達に、こう言われるんです。

え!? なんで私に聞かなかったの!? 水くさいじゃない! すぐ電話してくれれば、5分で教えられたのに!」

…ガーン。ですよね(笑)。

多くの国(特に欧米)では、「助けを求めること」は「迷惑」じゃなくて、「コミュニケーション」であり、「信頼の証」だったりする。

「私を頼ってくれたのね!」って、むしろ喜んでくれることさえある。

なのに、私たちは「迷惑だから…」って、そのコミュニケーションの扉を、自分から閉めちゃってる。

ケース2:「お互い様」のラインが違いすぎる問題

逆に、海外の「お互い様」の感覚に、こっちが戸惑うパターン。

「ねえ、今からうちに来ない? ちょうどピザ焼いたの!」

(え、今から!? アポなし!?)

「ごめん、車が修理中で。悪いんだけど、スーパーまで乗せてってくれない?」

(え、結構ですけど…)

「この子の迎え、30分だけ遅れそう! ちょっとだけ見ててくれる?」

(え、私、ベビーシッターじゃないんだけど…)

日本人の感覚からすると、「うわ、なんて図々しい(厚かましい)!」って、ちょっと引いちゃうような「お願い」が、海外では「Hi!」くらいの軽さで飛んでくる。

彼らにとって、それは「迷惑」じゃなくて、「当たり前の助け合い(Community Support)」なんですよね。

「困った時はお互い様でしょ?」っていう。

もちろん、日本にも「お互い様」はあります。

でも、そのラインがすごく慎重。

「相手に負担をかけすぎない範囲で…」

「お返しは、ちゃんとしなきゃ…」

って、すごく気を遣う。

この「Jiritsu」と「Meiwaku」の感覚の違いが、海外で友達を作る時の、見えない壁になることがあるんです。

日本人は「遠慮」しているつもりでも、相手からは「冷たい」「壁がある」「何を考えてるか分からない」って思われちゃう。

「空気を読む」という名の「Jiritsu」

この「迷惑」文化の究極系が、「空気を読む(KY)」ですよね。

日本では、「自分の意見を言うことで、場の和を乱す」=「空気的な迷惑」をかけてはいけない、というプレッシャーがあります。

だから、「みんながどう思ってるか」を必死で察して、自分の行動を決める。

でも、海外、特に議論が好きな文化圏でこれをやると、

「なんで黙ってるの?」

「意見がないの?」

「やる気ある?」

って、マイナス評価になっちゃう。

「Jiritsu」を叩き込まれた私たちは、「自分の足で立って、自分の問題を解決し、他人に負担をかけない」ように訓練されてきました。

その結果、「自分の意見を(相手に迷惑をかけないように)飲み込む」ことにも慣れてしまった。

これが、「転」。

あの「掃除当番」で培った素晴らしい「Jritsu(主体性・責任感)」が、

「Meiwaku(迷惑)」という社会規範フィルターを通ると、

「一人で抱え込む」「助けを求められない」「自己主張ができない」

という、異国での「生きづらさ」に、ひっくり返ってしまう。

これ、皮肉ですよね。

日本の良さである「秩序」や「清潔さ」は、間違いなくこの「迷惑」文化が支えています。

それは誇るべきこと。

でも、海外という「正解」が一つじゃない場所で生きる私たち主婦は、この「Jiritsu」と「Meiwaku」の価値観を、一度アンインストール(!)して、再構築する必要があるんじゃないか。

そうじゃなきゃ、せっかくの海外生活が、「迷惑かけちゃいけない」っていうプレッシャーだけで、息苦しくなっちゃうから。

じゃあ、どうやって?

あの「Jiritsu」の良いところ(問題解決能力とか、責任感)は活かしつつ、

「迷惑」の呪い(?)から解き放たれて、しなやかに「頼る」ことができるようになるのか?

それこそが、私たちが海外で身につけたい、新しい「人生術」だと思うんです。

次回、いよいよ「結」。

この「Jiritsu」と「Meiwaku」のジレンマをどう乗り越えて、もっと楽に、もっと楽しく海外生活を送るか、私なりのヒントをまとめてみたいと思います!

自分の足で立つ」を楽しむ。Jiritsuを人生術に変えるヒント


「転」で、私たちは「Jiritsu」の呪い(?)にかかってしまった、という話をしました。

「迷惑をかけないように」と自分を律するあまり、一人で抱え込み、孤立しがちになる、と。

でもね、ここで、あの「承」で話したことを思い出してほしいんです。

私たちが「掃除当番」で学んだことって、なんでしたっけ?

「問題が発生した(=汚れている)」

「どうする?(=誰がどこをやる? どうやったら時間内に終わる?)」

「みんなで協力して、解決する(=ピカピカにする)」

そう。

日本の「Jiritsu」の根っこにあるのは、「問題を解決する力」なんです。

「一人で全部やれ」なんて、実は先生は一言も言ってなかった。

むしろ、「当番」っていうチームで、どうやって「協働」してタスクを終わらせるかを学んでたんです。

なのに、私たちはいつの間にか、「自立=一人で完結すること」と思い込んじゃってる。

特に、海外に来て「自分がしっかりしなきゃ!」って気負えば気負うほど。

でも、もし「自立」の定義を、「問題を解決できること」だとしたら?

海外生活で、ビザの書類が分からない。これは「問題」ですよね。

この問題を「解決する」一番早い方法は?

そう、「知ってる人に聞くこと」 です。

つまり、「人に助けを求めること」は、「Jiritsu(自立)」に反する「甘え(Amae)」や「迷惑(Meiwaku)」なんかじゃなくて、

「問題を解決する」ための、最も合理的で、最も主体的な「戦略(Strategy)」なんです!

これ、すごくないですか?

「助けて」って言うのは、私たちが「掃除当番」でやっていた「ねえ、そっちの雑巾持ってきて!」「ここ、どうやって拭く?」っていう「連携プレー」と、何も変わらない。

「Jiritsu 2.0(海外バージョン)」とでも呼びましょうか。

日本で学んだ「自分の責任」をベースに持ちつつ、海外で「効率的な問題解決」のために、「他人の力(リソース)」を積極的に活用していく。

これこそ、私たちが身につけるべき、新しい「人生術」だと思うんです。


「頼る」と「もたれる」は、違う。

日本で「人に頼るな」って言われた時、その言葉が本当に意味していたのは、「人に“もたれかかる”な」ってことだったんじゃないかな、と。

「もたれる」っていうのは、相手に全部やってもらおうとすること。自分の足で立とうとせず、体重を全部預けちゃう感じ。これは、確かに「迷惑」だし、「自立」とは程遠い。

でも、「頼る(Tayoru)」っていうのは違う。

「自分は、自分の足で、ちゃんと立っている(=Jiritsu)」。

その上で、「ごめん、そこの荷物、手が届かないから取ってくれる?」って、手を差し伸べてもらうこと。

「自分なりに、ここまで調べたんだけど(=Jiritsu)、ここの専門用語だけが、どうしても分からなくて。ここだけ教えてくれない?(=Tayoru)」

これなら、どうでしょう?

これって、すごく建設的だし、相手も「ああ、ちゃんと自分で努力したんだな。じゃあ、そこだけ手伝おう」って、気持ちよく力を貸してくれるはず。

海外で「あ、この人素敵だな」って思う人って、この「Jiritsu」と「Tayoru」のバランスが、絶妙にうまい人たちなんですよね。

普段はすごく自立してるんだけど、困った時は「Help me!」って、すごく上手に周りを巻き込む。


じゃあ、どうやって、その「頼る」スキルを磨くか?

フック(冒頭のテーマ)にあったように、「Jiritsu」は「Agency(主体性)」を育む、と。

だったら、その「主体性」を使って、新しい環境に飛び込んでみましょう。

1. まずは、「小さな声」で頼る練習

いきなり「ビザの手続き全部やって!」は無理でも(笑)、

スーパーで「すみません、これ(欲しい食材)って、どこにありますか?」って、店員さんに聞いてみる。

ママ友に、「この辺で、美味しいパン屋さん知らない?」って、軽い情報を聞いてみる。

「聞いても迷惑じゃないんだ」

「あ、聞いたら、5秒で解決した」

っていう「成功体験」を、小さく小さく積んでいくんです。

これ、リハビリです(笑)。

2. 自分の「Jiritsu」を、先に差し出す

「転」で、海外の人は「ピザ焼いたから来ない?」って軽く誘ってくる、って話をしました。

あれ、私たちもやればいいんです!

私たち日本人、特に主婦は、「Jiritsu」の訓練のおかげで、得意なことがいっぱいあるはず。

「お菓子作るの得意だから、今度持っていくね!」

「子供服のボタン付けくらいなら、やっとくよ!」

先に、自分の「Jiritsu(=できること)」を差し出す。

そうやって「お互い様」の土壌を作っておけば、いざ自分が困った時に、「ねえ、この前のお返しじゃないけど、ちょっとお願いしていい?」って、すごく言いやすくなる。

3. 「迷惑」の物差しを、アップデートする

これが一番大事かも。

日本での「迷惑」の基準を、一旦リセットしましょう。

海外では、

「黙って、一人で抱え込んで、コミュニティに参加しないこと」

「助け合えるはずの場面で、壁を作って遠慮すること」

そっちの方が、よっぽど「迷惑(=円滑な関係を阻害する)」だ、って思われてるかもしれない。

その国には、その国の「お互い様」のリズムがあります。

日本の「迷惑」っていう物差しを捨てて、現地の「助け合い」のリズムに、思い切って乗っかってみる。


「Jiritsu」って、漢字で「自(みずか)ら、立つ」って書きますよね。

日本の教育で、私たちは「自分の足で立つ」訓練は、もう嫌っていうほど(笑)やってきました。

あのトイレ掃除で、あの重いランドセルで。

だから、私たちの「足腰」は、本当はすごく強いはずなんです。

海外生活は、その「強い足腰」があるからこそ挑戦できる、応用編。

「自分の足で、しっかり立つ(Jiritsu)」

だからこそ、

「人に手を差し伸べられるし、人の手も、しなやかに借りられる(Tayoru)」

これこそが、あのちびっ子たちの「自立」が目指していた、本当のゴールじゃないかなって、私は思うんです。

海外で暮らす皆さん。

私たちは、すでに最強の「Jiritsu」トレーニングを受けてきた精鋭です(笑)。

「迷惑」の呪いだけをそっと解いて、「頼る」という名の「連携プレー」を覚えれば、もう無敵。

日本の「Jiritsu」を誇りに思いつつ、しなやかに世界と繋がって。

せっかくの海外生活、もっともっと楽しんでいきましょうね!

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