「原宿だけじゃない、日本のファッション:暮らしから生まれた多様なスタイルの話」

    1. ◆ “おしゃれ=ファッション”だけじゃない、日本の感覚
    2. ◆ 原宿だけじゃない、地域ごとの“ローカルおしゃれ”
    3. ◆ ファッションは“生活の一部”であり、“生き方の表現”
    4. ◆ 海外から見える「派手な日本」と、実際に暮らす「静かな日本」
    1. ◆ 戦後、“足りない時代”から生まれた美意識
    2. ◆ 高度経済成長期:“みんなと同じ”が安心だった理由
    3. ◆ 主婦ファッションという“知恵の宝庫”
    4. ◆ 都会と地方、それぞれの“ファッション方言”
    5. ◆ そして芽生えた“隠れた個性”――サブカル誕生の土壌
    6. ◆ 承のまとめと、次章への予告
  1. 色が叫び、服が語り始めた場所 ― 原宿カルチャー誕生の真実
    1. ◆ 竹の子族は、ただ踊っていたんじゃない。叫んでいた。
    2. ◆ 原宿は“反抗の街”ではなく、“逃げ場の街”だった
    3. ◆ ただのファッションじゃない、“家出できない日本人の家出”
    4. ◆ 派手すぎる服には、実は“恥ずかしさ”が混ざっている
    5. ◆ 主婦として歩いた原宿で、見えたもの
    6. ◆ “転”のまとめ:日本のファッションは、叫びではなく、祈りだった
  2. 服は戦うためじゃなく、生き延びるためにある ― 日常に戻るファッションの話
    1. ◆ 地味でもいい。でも、完全に自分を消さないこと。
    2. ◆ 毎日の“3秒おしゃれ”で、自分を見失わない
    3. ◆ 原宿で見た若者たちと、スーパーで出会う主婦はつながっている
    4. ◆ 「私服」は“私の福”。もっと大切にしていい
    5. ◆ あなたの毎日は、ランウェイじゃない。でも、舞台ではある。
    6. ◆ 結論:ファッションとは、『私は今日もここにいる』というサイン
    7. 🌱 今日からできる「静かな自己表現リスト」
    8. 🌍 海外のあなたへ

「日本のファッションって、やっぱり原宿?カラフルな髪に、厚底靴で、みんな個性的なんでしょ?」
――海外の友人にそう聞かれたとき、私は思わず笑ってしまいました。いやいや、近所のスーパーでそんな人には滅多に会わないから、と。むしろ、私たち主婦は朝からエプロンを巻いて、子どもの支度と洗濯物との戦いです。髪を染める暇なんてあるなら、5分でも寝たいというのが本音です。

でも、そこで気づいたんです。
**「日本のファッションの本当の姿って、案外知られていないんだな」**と。

原宿や渋谷のような華やかなサブカルチャーは、確かに日本を象徴する一面です。けれど、それは“全部”じゃありません。むしろ、私たちの日常――朝のゴミ出しや、スーパーの特売、子どもの送り迎え――そういう生活の中にも、ちゃんと根ざしたファッション文化があるんです。

◆ “おしゃれ=ファッション”だけじゃない、日本の感覚

日本のファッションって、ただ見た目のおしゃれだけじゃなくて、**「TPO(時と場所と場合)」**がすごく重視されるんです。たとえば、幼稚園の行事の日は「黒・紺・白」が暗黙のルールだったり、近所付き合いでは“派手すぎないこと”が安心感につながったり。これって海外から見るととても不思議みたいで、「どうして皆、似たような格好なの?」とよく聞かれます。

でも、その裏には日本独特の価値観――
“目立たず、調和することがおしゃれ” というスタイルがあるんです。

そしてその感覚は、実は戦後の歴史や社会の変化とも深くつながっています。敗戦直後の物不足の時代、人々は布を無駄に使わないよう工夫し、限られた素材で「きれいに見せる」知恵を育ててきました。それがやがて、上品さや控えめな美しさへと形を変えていくんです。

◆ 原宿だけじゃない、地域ごとの“ローカルおしゃれ”

さらに言えば、日本には原宿とはまったく違う“地域ファッション”もあります。
たとえば――

  • 大阪:ヒョウ柄のおばちゃんはネタじゃなく本当に存在する
  • 京都:落ち着いた伝統色、季節で変える和のコーデ
  • 東北:冬の防寒が最優先。おしゃれは“丈夫さ”との折り合い

私が昔、夫の転勤で関西に住んでいた時、最初に驚いたのは「色と柄」への大胆さでした。東京では浮きそうな派手なパーカーも、関西では“むしろ普通”。スーパーのレジの方が豹柄のマスクをしていて、「それ、どこで買ったんですか?」と聞いたら、「これ?ダイソーやで」が返ってきたときは衝撃でした。

◆ ファッションは“生活の一部”であり、“生き方の表現”

こうして振り返ってみると、日本のファッションって、決して雑誌の中だけの話じゃないんです。
生活の知恵、節約、地域との関係、そして時には“空気を読む”ための装い。
その全部が混ざり合って、日本独特のスタイルを作っている。

そしてここで、もうひとつ大事なことに触れたい。
ファッションは、主婦の世界にもちゃんと存在するということ。
「今日は子どもの送りだけだから、服は適当でいいや」と思いながらも、どこかで“見られているかも”と感じて、髪だけは整えたり、シミだけは隠したり。そういう小さな努力も、私たちなりの“毎日のファッション”なのだと思います。

◆ 海外から見える「派手な日本」と、実際に暮らす「静かな日本」

原宿のカラフルな世界は、確かに日本のファッション文化の象徴のひとつ。けれど、日本の街を歩けば、ほとんどの人は落ち着いた色の服を着て、行列では静かに並び、季節の変化に合わせてコートを変えています。
その中には、戦後の節約精神、美徳とされた清潔感、四季に寄り添う暮らし――そうした、日本ならではの背景が隠れているのです。

だからこそ、私は今回のシリーズで、こう問いかけたいんです。

「日本人のファッションって、本当は何から生まれているんだろう?」
「なぜ私たちは、“派手”より“整える”ことを選ぶのだろう?」

次の「承」では、戦後から始まる“日本の装いの歴史”をたどりながら、やがて原宿カルチャーへと続く道を一緒に旅してみましょう。
スーパーのエコバッグや、運動会の服装からも、日本文化のヒントが見えてきます。

日本のファッションを語るとき、どうしても「派手なスタイル」や「奇抜な個性」が注目されがちです。でも、それはあくまで氷山の一角。本当はもっと深い場所に、“静かな服の文化”が流れているのを忘れてはいけません。
そして、その静かなスタイルは、日本の戦後の暮らし――つまり、私たちの祖母や母たちの日常から始まっているのです。


◆ 戦後、“足りない時代”から生まれた美意識

戦争が終わった直後、日本にはとにかく物がありませんでした。服を買うどころか、布自体が貴重で、古い着物をほどいて洋服に仕立て直したり、子どもの服を大人の服から作ったり。
私の祖母もよく話していました。「布は捨てるもんじゃないの。端切れも、ぞうきんになるんだから」と。

この頃の“おしゃれ”とは、派手さや流行ではなく、**“清潔に見せること”“きちんと整えること”**だったのです。
シワがなく、ほつれていない。襟元が乱れていない。――それだけで、その家庭の“暮らしぶり”がわかる時代でした。

つまり、見せるためのファッションではなく、生きるためのファッション。
これが、日本のファッションの原点だったのです。


◆ 高度経済成長期:“みんなと同じ”が安心だった理由

昭和30〜40年代、日本は急速な成長を迎え、街には洋服店やデパートが増えていきました。制服のようなスーツ、シンプルなワンピース――“量産できる服”が広がり、初めて「何を着るか」を選べる時代が来ました。

でも、この時代にも日本独特の価値観が働きます。
それは、**“周りと同じであることが安心”**という空気。

運動会のお母さんたちは、ほぼ全員ジーンズと白シャツ。
入学式は、紺かベージュのスーツ。
「浮かないこと」、それが最大のマナーでした。

これは単なる同調ではなく、戦後に生まれた“平等への願い”でもあったのです。
みんなが同じ服を着る = 誰もが同じスタートに立っているという願い。
だから、当時のファッション誌には「目立つな、調和せよ」というメッセージが繰り返し載っていました。


◆ 主婦ファッションという“知恵の宝庫”

ここで改めて、主婦の視点に戻ってみましょう。
海外の人からすると、日本の主婦ファッションは地味に見えるかもしれません。でも、その裏には膨大な実用性と工夫があります。

たとえば――

  • 割烹着(かっぽうぎ):料理、洗濯、掃除…どれだけ動いても服が汚れない万能服
  • エプロンのポケット文化:ハサミ、輪ゴム、ゴミ袋…“台所用ツールベルト”
  • アイロンの徹底:シワがある服は“だらしない”と見なされる社会

実際、私自身、子どもが幼稚園の頃、毎朝「アイロンしたハンカチ」を持たせなければなりませんでした。面倒だけど、あれはただの清潔の問題じゃなく、“丁寧に暮らしています”という合図なんです。服で暮らし方を語る…。それが、日本の装いの深層です。


◆ 都会と地方、それぞれの“ファッション方言”

やがてテレビや雑誌が全国にファッションを届け始めましたが、それでも地域性は根強く残りました。

地域ファッションの特徴背景
東京落ち着き・無難・ベーシック社会全体の“調和”
大阪派手・柄物・ヒョウ柄自己表現と会話の文化
京都四季・和色・上品伝統と格式
東北機能・耐久・重ね着気候と生活優先

私は以前、大阪の商店街でおばちゃんにこう言われました。
「東京の人って、黒と白ばっかりやん。もっと遊ばな、服がかわいそうやで」と。
なるほど、服に対する考え方そのものが違う。これが“地域ファッション文化”なのだと気づかされました。


◆ そして芽生えた“隠れた個性”――サブカル誕生の土壌

1970〜80年代、日本は大衆ファッションの時代に入りました。みんな似たような服を着ているように見えて、実はその下で、“自分だけの好き”をそっと隠す人たちも増えていったのです。

  • 制服の裾を1cmだけ短くする女子高生
  • 見えないところにキャラクターバッジをつける若者
  • 地味なスーツに、派手な靴下だけを忍ばせる会社員

そう、原宿カルチャーやパンクスタイルは、実は“突然の爆発”ではなく、この静かな抵抗の積み重ねから生まれたものだったのです。

「みんなと同じ」が当たり前だった社会で、
**「でも、私はこうしたい」**と、そっと呟いた人たちがいた。
その声が、やがてあのカラフルな街を作ることになるのです。


◆ 承のまとめと、次章への予告

こうして見ていくと、日本のファッションの土台には――
派手さでも流行でもなく、**“暮らし”と“価値観”**がありました。

  • 足りない時代 → 清潔こそ装い
  • 豊かになる時代 → 調和こそおしゃれ
  • 自由を求める時代 → 静かな個性の芽

そして、次はいよいよ……
「原宿の誕生」= 静かな社会から生まれた鮮烈な叫び の章へ入ります。

色が叫び、服が語り始めた場所 ― 原宿カルチャー誕生の真実

あの頃、原宿はまだ“観光スポット”なんかじゃなかった。
私が初めて原宿に行ったのは、高校生のとき。駅を出た瞬間、目の前に現れたのは――
ピンクの髪、巨大なリボン、フリルでふくらんだスカート。
まるで絵本から飛び出してきたような人たち。

けれど、不思議なことに、そこには“怖さ”はなかった。
むしろ私は思ったんです。
**「ああ、この人たちは、ただ“自分になろうとしてる”だけなんだ」**と。


◆ 竹の子族は、ただ踊っていたんじゃない。叫んでいた。

1970〜80年代、竹の子族と呼ばれる若者たちが、原宿の歩行者天国で踊っていました。
多くの大人は言いました。
「非常識」「奇抜」「理解不能」
でも、彼らの服に込められていたのは、“怒り”とは少し違いました。

  • 制服社会で押しつぶされそうだった学生
  • 勉強より好きなことに夢中になって叱られた少年
  • 女らしくしなさい、大人しくしなさいと言われ続けた少女

彼らは叫ばず、服で喋った。
「みんなと同じじゃ、私の心は伝わらない」と。


◆ 原宿は“反抗の街”ではなく、“逃げ場の街”だった

日本社会は優しいけれど、狭い。
学校でも職場でも、“ちゃんとしていること”が求められ、
間違えることより“浮く”ことの方が怖い。

だから原宿は生まれた。
**「浮いたっていい場所」**として。

そこでは誰も驚かない。
うさぎの耳をつけていても、白塗りのパンクでも、誰も説教しない。
むしろ「それ、どこで買ったの?」と聞かれる。

原宿は、“異端”じゃなく、“許された普通”だったんです。


◆ ただのファッションじゃない、“家出できない日本人の家出”

日本では、家を飛び出すことは簡単じゃない。
親への心配、世間体、生活。
だから、多くの若者は“家出”の代わりに、“服で家出”をしたのです。

  • 本当は泣きたいのに、笑顔のプリントTシャツ
  • 黒しか着なかった子が選ぶ、真紅のドレス
  • 誰にも理解されなかった言葉を、袖に縫い込む

服は、彼らの紙飛行機でした。
投げるしかないから、投げた。
届くかどうかは、風まかせ。


◆ 派手すぎる服には、実は“恥ずかしさ”が混ざっている

海外の人はよく言います。
「日本のストリートはクレイジーで大胆!」
でも、日本人として見ると、それは同時にとても繊細で、恥ずかしがり屋な表現でもあります。

日本の若者は、叫びません。
「私はこうだ」と言わずに、
**“わかる人だけ、わかって”**というメッセージを服に込める。

だから、あのファッションには“目立ちたい”と同じくらい、
**“本当は怖いけど、それでも伝えたい”**という震える心が宿っているのです。


◆ 主婦として歩いた原宿で、見えたもの

私は結婚してからも、時々原宿を歩きます。
ベビーカーを押しながら竹下通りを歩いたとき、
ゴスロリの女の子が、そっと道を譲ってくれたことがありました。

その瞬間、妙に胸が熱くなったんです。
あの厚底とフリルは、ただの“反抗”じゃない。
あれは、**「私も生きてるよ」**という小さな手 waving だったんだ、と。

ファッションって、派手になるほど“本当の心”に近づくことがある。
原宿は、そういう街なんです。


◆ “転”のまとめ:日本のファッションは、叫びではなく、祈りだった

ここまで見てきたように、日本のサブカルチャーは単なる奇抜な流行ではありません。

💬 服で語った願いとは――

  • 誰か、私を見つけて
  • 私にも好きなものがある
  • 怒っているんじゃない、ただ“ここにいる”と言いたいだけ

それは、決して攻撃的ではなく、むしろ儚い祈りのようなものでした。

そして次へ――

服は戦うためじゃなく、生き延びるためにある ― 日常に戻るファッションの話

原宿やサブカルチャーの世界を歩いたあと、私はいつも不思議なくらい落ち着いた気持ちになります。あんなに色であふれているのに、心は静かになる。それはきっと、あの街が「自分を隠さない練習」をする場所だからだと思うんです。

でも、私たちが毎日生きているのは、原宿のようなカラフルな舞台ではありません。
朝ごはんを作って、洗濯をして、スーパーへ行って、子どもの送り迎えをして――
そこに派手なファッションは必要ない。
だけど、“好き”は必要です。


◆ 地味でもいい。でも、完全に自分を消さないこと。

日本の主婦ファッションは、とても控えめです。
ベージュ、ネイビー、ブラック――安全で、落ち着いていて、間違いがない。
でも、いつの間にか“似合う服”より、“無難な服”を選ぶようになっていませんか?

私にもそんな時期がありました。
産後、毎日スウェット。体型を隠すためのチュニック。
「オシャレなんて時間がない」「どうせ汚れるし」と思っていました。

でも、ある朝、ふと鏡を見て思ったんです。

「これ、私じゃない。」

その日、ほんの小さな変化をしました。
普段は選ばない、深いグリーンのニット。
ただそれだけで、朝のコーヒーの味が少し違って感じたんです。


◆ 毎日の“3秒おしゃれ”で、自分を見失わない

海外の読者に伝えたいのは、
「日本の主婦は地味だから美しくない」のではなく、
“静かなファッション哲学”を持っているから控えめなのだ、ということ。

そのうえで、こんな簡単な“3秒の遊び”を入れてほしい。

✅ ピアスだけ好きな色にする(服は地味でもOK)
✅ 靴下だけはちょっとふざける(実は原宿精神)
✅ リップ1本で気分を変える(時短最強アイテム)
✅ ストールやスカーフで“季節ごっこ”をする

時間がなくても、これだけはできる。
自分を“透明”にしないために。


◆ 原宿で見た若者たちと、スーパーで出会う主婦はつながっている

昔、原宿で出会ったゴスロリの女の子が、私に言いました。

「服をつくるのは大変だけど、作ってる間だけは、自分が嫌いじゃなくなるんです。」

それを聞いたとき、私は思いました。
ああ、この子はファッションで生き延びてるんだと。

そう考えると、スーパーでエコバッグに野菜を詰めている私たち主婦も、
実は似たようなものかもしれません。

  • 今日の献立で家族を守る
  • 買い物リストで失敗しない
  • エプロンのポケットに“日常の武器”を入れる

戦う場所が違うだけで、みんな同じなんです。


◆ 「私服」は“私の福”。もっと大切にしていい

日本語って不思議ですよね。
“私服”という言葉は、ただのclothesではありません。

私(わたし)を、服(ふく)にするもの。

それは、他人への見せ物ではなく、
自分にとっての“お守り”でもあります。

だから、たとえば――

  • 使い込んだエプロンにも、歴史がある
  • シミのあるトレーナーにも、戦績がある
  • くたびれたスニーカーにも、旅の記憶がある

それを恥じる必要なんて、一つもないんです。


◆ あなたの毎日は、ランウェイじゃない。でも、舞台ではある。

海外メディアは、よく「日本のストリートは大胆」と言います。
でも、本当に大胆なのは、
“日常を淡々と生きる日本の主婦” かもしれません。

  • 誰にも気づかれない努力
  • 誰にも褒められない家事
  • 誰にも見せない疲れ

そのなかで一つ、自分だけの色を選ぶ。
それは、誰にも見せない強さです。


◆ 結論:ファッションとは、『私は今日もここにいる』というサイン

原宿の若者がフリルで叫び、
私たち主婦がエプロンで生きる。

どちらも同じ言葉を発していると思うんです。

“I AM HERE.”(私は、ここにいる)

それなら、もうファッションは怖くない。
戦わなくていい。ただ、生き延びるために着ればいい。


🌱 今日からできる「静かな自己表現リスト」

行動かかる時間心への効果
リップをひとつ変える5秒自分だけの秘密
好きな色の靴下を履く8秒歩くたび嬉しい
エプロンを新調する1分家事がステージに
ハンカチを丁寧にたたむ10秒暮らしに敬意

🌍 海外のあなたへ

日本のファッションは、Harajukuだけではありません。
静かな住宅街、朝のゴミ出し、子どもの通学路。
そこにも、見えないランウェイ がある。

そして、その道を歩く主婦たちは、
誰よりも自分を隠しながら、
誰よりも自分を守っている人たちです。


💌 もしあなたが今、“私なんて”と思っているなら――
どうか、一枚の服でつぶやいてみてください。

“I am here.”
今日は、ちゃんと、生きています。

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