「ありがとう」って言わなくても伝わる? 日本の主婦が毎日感じる「言葉にならない感謝」のカタチ

はじめに:空気みたいだけど、そこにあるモノ

みなさん、こんにちは! 日本でごくごく普通の主婦をしているミカです。

海外にお住まいのみなさん、突然ですが、日々の生活の中で「ありがとう」や「愛してる」って、どれくらい口に出して伝えていますか?

私が海外ドラマや映画を見ていると、もう本当に、びっくりするくらいストレートに感謝や愛情を表現しますよね! 「ディナーをありがとう、最高よ!」「愛してる、君は私の太陽だ!」みたいな。

そういうの、すごく素敵だなって思います。素直に憧れちゃう。

じゃあ、翻って日本ではどうでしょう。

もちろん、私たちだって「ありがとう」は言います。言いますよ!(笑)

でも、もしかしたら、みなさんが想像するよりも、言葉で「直接的」に感謝を伝える回数は少ないかもしれません。

「え、じゃあ感謝してないの?」

「日本人は冷たいの?」

って思われちゃうかもしれないんですけど、それが、ちょっと違うんですよね。

なんて言うのかな…日本には、言葉にして「渡す」感謝と同じくらい、いや、もしかしたらそれ以上に、「言葉にしない」感謝が溢れている気がするんです。

それはまるで、空気みたい。

いつもそこにあるから当たり前すぎて、普段はあまり意識しないんだけど、なくなったら絶対に生きていけないもの。

今日は、そんな日本の家庭にひっそりと存在する、「言わないけれど、確かに伝わってくる感謝」について、私、一主婦の実体験からお話ししてみたいと思います。

例えば、昨日の夜のこと。

私はリビングで、アイロンがけの残りと格闘していました。子どもたちの給食着やら、夫のワイシャツやら。週末にまとめてやろうと思ってサボっていたツケが回ってきたんです(苦笑)。

時間は夜の10時。夫はまだ書斎で仕事をしています。

「ふー、やっと終わった…」

と、私が最後の一枚を畳み終えた、まさにその時。

カチャリ、と書斎のドアが開く音がしました。

夫が出てきて、私を一瞥(いちべつ)したけど、別に何も言いません。

「お疲れ様」とも、「まだ起きてたの?」とも言わない。

私も、「お仕事お疲れ様」とは言いませんでした。

彼はそのままキッチンに向かい、冷蔵庫を…開けない。あれ?

おもむろに、彼はヤカンに水を入れて、コンロの火をつけました。

そして、戸棚からドリッパーとコーヒーフィルターを取り出したんです。

私はアイロン台を片付けながら、それを横目で見ていました。

夫は、私が最近ハマっている、ちょっと高級なコーヒー豆の袋(私のお小遣いで買った、とっておき!)を棚から見つけ出し、丁寧に豆を挽き始めました。

ゴーリ、ゴーリ、と静かな夜のリビングに、豆を挽く音だけが響きます。

やがて、ふわっと香ばしい匂いが漂ってきて。

彼はゆっくりとお湯を注ぎ、丁寧にコーヒーを二つ、淹れてくれました。

一つを私の前に、コトン、と。

もう一つを自分の分として、テーブルの向かい側に。

その間、やっぱりお互い無言なんです(笑)。

彼は「はい、コーヒー」とも言わないし、

私は「わぁ、ありがとう!」とも、すぐには言いませんでした。

でもね、そのマグカップから伝わる温かさが、私には全部「伝えて」くれたんです。

(あぁ、私がアイロンがけしてるの、見ててくれたんだな)

(「お疲れ様」って、思ってくれてるんだな)

(私がこのコーヒー豆、大事にしてるの、知ってたんだな)

彼は、私に「お疲れ様」という「言葉」をかける代わりに、

「お疲れ様」という「行動」で、私に感謝を伝えてくれた。

私がもし、アイDOMO!「サンキュー!」って明るく言ったら、彼も「どういたしまして」って返したでしょう。

でも、その時、私はあえて言葉にしませんでした。

ただ、淹れてくれたコーヒーを一口飲んで、「…ん、美味しい」とだけ呟いたんです。

そしたら彼も、自分のマグカップを傾けながら、

「…そうだな」

って。

これ、海外の方から見たら、めちゃくちゃ奇妙な光景かもしれませんね(笑)。

「なんでそこで『ありがとう』って言わないの!?」

「なんで旦那さんは『君のために淹れたよ』って言わないの!?」

って、ツッコミが入りそう。

でも、これが日本の家庭でよく見られる、「言外の感謝」のやり取りなんです。

言葉にしないからこそ、相手がその「意図」を汲み取ってくれた時の喜びは、実はすごく大きい。

「言わなくても、わかってくれてる」という、深い安心感。

もちろん、これは「言わなくていい」という意味じゃありません。

言葉はすごく大事です。

でも、言葉がなくても成立する「感謝のやり取り」が、日本の日常生活にはゴロゴロ転がっている。

それは、相手の行動を「観察」し、その裏にある気持ちを「察する」という、ちょっと高度なコミュニケーションなのかもしれません。

日本人は、自分の気持ちを直接的に表現するのが苦手だ、とよく言われます。

それは、相手に「察してもらう」ことを、どこかで期待しているから。

私の夫がコーヒーを淹れたのは、「アイロンがけお疲れ様」という「行為」そのもの。

私が「美味しい」と呟いたのは、「淹れてくれてありがとう」という「受領」のサイン。

言葉の「ありがとう」は交わしていないけれど、そこには間違いなく「感謝」が存在していました。

お互いに、「与えること」と「受け取ること」の行為そのものに、感謝が宿っていたんです。

…と、こんな感じで、私たちの日常には「言わない感謝」が満ちています。

この「起」では、まず我が家の「コーヒー事件」(笑)を例に挙げてみましたが、次の「承」では、これがどれだけ日本の生活の隅々にまで浸透しているか、もっと具体的な例…例えば、あの「お弁当」や「ご近所付き合い」の話を交えながら、さらに深く掘り下げてみたいと思います!

毎日の「当たり前」に潜むサイン

さて、昨日の夜、夫が淹れてくれたコーヒー。

あれは「アイロンがけ、お疲れ様」の「行動」でした、という話をしました。

「言葉にしない感謝」って、言い換えると**「相手の行動を観察して、その意図を察する」という、一種のゲームみたいなものかもしれません。

そして、その最たる(そして最も重労働な)舞台が、私たち主婦にとっては「食」の場、特に「お弁当」**なんです。

海外でも「BENTO」って、ちょっとしたブームになっていると聞きます。

カラフルで、小さなおかずに仕切られていて、健康的。

でも、あれがどれだけの「想い」と「メッセージ」の塊か、ご存じでしょうか(笑)。

私の朝は、午前5時半に始まります。

まだ薄暗い中、キッチンで最初にするのは、卵焼き器をコンロにかけること。

ジュワッという音と共に、甘い香りが立ち上ります。これは娘の大好物。

隣のコンロでは、小さなフライパン。

夫の好きな、ちょっとピリ辛の生姜焼きを炒めます。昨日の夜、こっそり下味をつけておいたものです。

「昨日、仕事で遅くまで頑張ってたみたいだしな」

なんて思いながら。

そして、忘れてはいけないのが、息子のための「タコさんウインナー」。

もう中学生なのに、いまだにこれが入っていないと、朝からブーブー文句を言うんです(笑)。

赤いウインナーに包丁で切り込みを入れて、フライパンで転がすと、パッと足が開く。

私にとっては、「今日も元気に学校行くんだよ」という、小さなおまじないみたいなものです。

ご飯を詰めて、おかずを詰めて。

緑(ブロッコリー)、赤(タコさん)、黄(卵焼き)、茶(生姜焼き)、白(ご飯)。

小さな箱の中に、私は「今日の分の愛情」と「サポート」を全部詰め込みます。

もちろん、「愛してるわよ!」なんて書いた手紙を入れるわけじゃありません。

「生姜焼き、昨日頑張ってたから特別よ!」なんて、口に出しても言いません。

でも、これが**「与える側」の「言わない感謝(と応援)」**なんです。

「いつも学校(会社)お疲れ様」

「家族のためにありがとう」

「今日も一日、頑張ってね」

その全部を、この小さな箱に「翻訳」して入れている感覚です。

さて、ここで大事なのが、昨日のフックにもあった**「受け取る側」**のアクションです。

この「言わない感謝」は、与えて終わり、じゃない。受け取って初めて、コミュニケーションが成立するんです。

夕方、子どもたちや夫が帰ってきて。

私が一番に見るのは、彼らの顔…ではなく、キッチンに置かれた**「空のお弁当箱」**です。

ピカピカに、一粒も残さず食べてくれている。

娘が苦手なはずのピーマンのきんぴらも、ちゃんとなくなってる。

夫のお弁当箱の隅っこに忍ばせた、デザートのブドウも、皮だけになってる。

これが、彼らからの「返事」なんです。

「お母さん、今日も美味しかったよ!」

「タコさんウインナー、サンキュー!」

「生姜焼き、気づいたよ。パワー出た!」

彼らは言葉でそうは言いません。

せいぜい「ごちそうさま」くらい(笑)。

でも、その**「完食」という「行動」**こそが、私への最大級の「ありがとう」であり、「美味しかった」のサイン。

もし、娘がピーマンを残してきたら、それは「今日のピーマン、苦かった」という静かな抗議。

もし、夫が生姜焼きを残してきたら、「ちょっと体調が悪いのかな?」という心配のサイン。

お弁当箱は、言葉を交わさない家族の、静かな「交換日記」みたいなものなんです。

朝5時半に起きて、面倒な思いをしながらも、私が毎日お弁当を作り続けられるのは、この「空っぽのお弁当箱」という「サイレントな感謝」が、ちゃんと私に届いているから。

もし、毎日おかずが半分以上残って返ってきたら…?

私、たぶん、3日でストライキ起こします(笑)。

この「察する」文化は、家庭の外、ご近所付き合いにも色濃く出ます。

私、この間、隣の奥さん(鈴木さん)から、採れたてのトマトをたくさんいただいたんです。

スーパーの袋に、パンパンに入ってて。

「ミカさん、ごめんね!実家から送られてきたんだけど、ウチだけじゃ食べきれなくて!お裾分け!」

これが、日本独特の**「お裾分け(おすそわけ)」**という文化です。

文字通り、「裾(すそ)を分ける」。自分が得た良いものや、たくさんあるものを、周りの人にも分けてあげる、という習慣。

もちろん、トマトをくれたのは純粋な親切。

でも、ここにも「言外のメッセージ」が隠れています。

「いつもお世話になってます」

「これからも仲良くしましょうね」

「この前の回覧板、回してくれてありがとうね」

そういう、日々の細々とした「ありがとう」の積み重ねが、「トマト」という「モノ」に姿を変えてやってくるんです。

さあ、ここでまた「受け取る側」のミッションが発生します。

私はトマトをありがたく受け取って、

「わぁ!嬉しい!鈴木さんとこのトマト、いつも美味しいから!ありがとうございます!」

と、まず「言葉で」感謝します。

そして数日後。

私は、トマトが入っていたスーパーの袋(きれいに洗って畳んでおく)に、うちで焼いたクッキーを数枚入れて、鈴木さんにお返しに行きます。

「鈴木さん、この間のトマト、すっごく甘くて美味しかったです!パスタにしたら最高でした。これ、口に合うかわからないけど、クッキー焼いたんで、よかったらどうぞ」

ポイントは、「お返し」をすること。

でも、それは「トマト代」としてお金を払うのとは、まったく意味が違います。

トマトのお礼に、高価なデパートのお菓子を買って行ったりしたら、鈴木さんは逆に恐縮してしまいます。

「え、私そんなつもりじゃ…!もう何もあげられないわ!」って。

そうじゃない。

大事なのは、「あなたの親切、ちゃんと受け取りましたよ」という「受領」のサインと、「私もあなたのこと、気にかけてますよ」という「返事」のサインを、「行動」で示すこと。

だから、お返しは「大したものじゃないけど」というのがポイント。

うちで採れたゴーヤでもいいし、旅行先のお土産の「おまんじゅう一個」でもいい。

この「お裾分け」のキャッチボール。

「モノ」を交換しているように見えて、実は「これからも良好な関係を続けましょうね」という「安心感」を交換しているんです。

言葉で「私たちは友達ですよね!?」なんて確認し合うより、よっぽど強固な「つながり」を、この何気ないやり取りが作ってくれている。

お弁当も、お裾分けも。

そこに込められた「本当の意味」を「察する」こと。

そして、それに対して「言葉じゃない形」できちんと「お礼」をすること。

これが、日本人が日々実践している、「言葉にならない感謝」のコミュニケーション術なんです。

…と、ここまで話すと、「わぁ、素敵!日本人の繊細さ、最高!」って思われるかもしれません。

家族の絆、ご近所の絆。美しく見えますよね。

でもね…(ニヤリ)。

この「察してちゃん」文化、もちろん良いことばかりじゃ、ないんです(笑)。

ここが、日本人のややこしくて、面白い(?)ところ。

次の「転」では、この「言わない」文化が引き起こす、ちょっとした「すれ違い」や「ストレス」について、また私の実体験からぶっちゃけてみようと思います!

でも、やっぱり言葉も大事(笑)

「察する」ことの美しさ。それは、「起」や「承」で書いた通り、確かに存在します。

でも、その美しさが成立するには、一つの絶対条件があるんです。

それは、**「送ったサイン(感謝や意図)を、相手が100%正しく受信してくれる」**という、奇跡的な信頼関係。

…でも、私たち、人間ですよね?

夫婦だって、親子だって、元は他人。エスパーじゃありません。

この「受信」が、まぁ、うまくいかない日もあるわけで(苦笑)。

あれは、とある土曜日の午後でした。

天気は快晴。絶好のお洗濯日和。

私は朝からフルスロットルでした。

シーツにタオルケット、家族全員分の通常洗濯物。洗濯機を3回、回しました。

干して、取り込んで、たたむ。その間に、掃除機をかけ、昼食を作り、シンクを磨き…。

一方、その頃。

リビングのソファには、見事なまでに「無」になっている、夫。

スマホを片手に、ゴロゴロ。

(あ、言っときますけど、私は夫のことが大好きですよ!でも、この時は別・笑)

私、アピールしたんです。

これぞ、「言わないサイン」。

まず、彼が寝転んでいるソファのすぐ横で、わざとらしく、ちょっと大きめな音で、掃除機をかけました。

「ブオォォォン!!(…気づけ!)」

彼は、足をちょっと上げて、掃除機を通過させてくれました。…それだけ。

次に、彼の視界に絶対に入る場所で、山積みになった乾いた洗濯物をたたみ始めました。

しかも、**「ふぅぅぅぅぅぅ…」**と、全世界に発信するんじゃないかってくらいの、深いため息をつきながら。

彼、気づきません。スマホの画面に夢中です。

私のイライラゲージは、もう80%を超えています。

(なんなの!?)

(私、こんなに朝から動いてるのに!)

(「手伝おうか?」の一言が、なぜ、ない!?)

(普通、この状況見たら、察するでしょ!?)

これが、「察してちゃん」モードに突入した、主婦の姿です(笑)。

私は、「手伝ってほしい」と**「言葉で頼む」のが、なんだか「負け」のような気がしていたんです。

頼んでやってもらう「作業」が欲しいんじゃない。

「大変そうだね」と「気づいて、自主的に動いてくれる」**という「心」が欲しかった。

でも、夫は私の「サイン」を何一つ受信してくれませんでした。

そして、ついに。

私が、たたんだ洗濯物のタワー(夫の分)をドン!と床に置いた音で、彼が顔を上げました。

「…なに、怒ってるの?」

カッチーーーーーン!!

(私の何かが、キレた音)

「怒ってるように見える!? 見えるんだったら、なんでそうなったか、ちょっとは考えてみない!?」

(もう、めちゃくちゃです・笑)

「朝から誰が洗濯して、掃除して、ご飯作ってると思ってるの!? あなたはソファでゴロゴロ!スマホ! いいご身分ですね!!」

夫、きょとん、です。

「え…? いや、だって、土曜日だから休んでるだけで…」

「手伝ってほしかったら、言ってくれればいいじゃん。『洗濯物たたんで』って」

出た。

出ました、彼の正論。「言ってくれればいいじゃん」。

これ、海外の皆さんには、夫のセリフのほうが「合理的」に聞こえますよね?

そうなんです、合理的なんです。

でも、その時の私は、合理性なんて求めてなかった!

「言われてからやるの」と「気づいてやるの」は、私にとっては天と地ほども違う!

「言ってくれればやる」って、それじゃ新人のバイトじゃないのよ!

あなたは私の「パートナー」でしょうが!!

…と、まぁ、こういう「すれ違い」が、この「察する」文化の最大の落とし穴なんです。

「言わない」側は、「これだけサインを出してるんだから、わかって当然」と期待値(きたいち)を上げすぎる。

「言われない」側は、「何も言われないから、不満はないんだろう」と油断する。

そして、期待が裏切られた時、

「なんでわかってくれないの!」

「なんで言ってくれないんだよ!」

という、不毛な戦いが勃発するわけです。

「承」で話した「お弁当」も、そうです。

私が心を込めて、息子の健康を願って「ひじきの煮物」(※日本の伝統的な、ちょっと地味な海藻の煮物です)を入れたとします。

私からのサインは「あなたの健康を願っているわよ」。

でも、息子がそれを「ガン無視」して、丸ごと残してきた日。

私の心は穏やかじゃありません。

「せっかく作ったのに!」

「体にいいもの、わかってない!」

でも、息子の言い分はこうです。

「だって、なんか黒くて、美味しくなさそうだったんだもん」

…終了です(笑)。

私の「言わないサイン」は、彼には「謎の黒い物体」としか受信されなかった。

ここで私が「なんで残したの!」と怒るのは、私の「察して」の押し付けでしかないんですよね。

ご近所の「お裾分け」だって、そう。

トマトをもらったら、クッキーを焼いてお返しする。

それは美しいキャッチボール。

でも、ある時、私がインフルエンザで寝込んでいたとします。

そこに、ピンポーン、と。

向かいの奥さんが、「これ、煮物作ったから!」とタッパーを差し出してきた。

…ありがたい。ありがたい、けど!

私は今、起き上がるのも辛い。

でも、「察する」文化で育った私は、こう思ってしまうんです。

(あぁ、このタッパー、洗って、何か入れて返さないと…)

(でも、今、何も作れない…どうしよう…)

(お返しが遅れたら、非常識だと思われる…)

純粋な「親切」が、受け取った瞬間に「返さなければならない」という「プレッシャー」に変わってしまう。

これもまた、「言わなくていい」文化がもたらす、ちょっとした「しんどさ」なんです。

「言わない感謝」は、お互いの受信感度がバッチリ合っている時は、言葉を超えるほどの強い絆を生み出します。

夫のコーヒーのようにね。

でも、一度その周波数がズレると、

「言わないこと」は、「不満」や「無関心」のサインに早変わりしてしまう。

そして、お互いに「なんでわかってくれないの?」というストレスを溜め込むことになる。

あんなに美しいと思っていた「言外のコミュニケーション」が、一転して、私たちを縛る「重たい鎖」みたいに感じられる瞬間です。

じゃあ、どうすればいいの?

この「察して」文化、もうやめちゃう?

全部、海外ドラマみたいに「愛してる!」「ありがとう!」「手伝って!」って、言葉にすればいいの?

…いや、でも、それはそれで、日本人の私にはちょっと恥ずかしいというか、照れくさいというか…(笑)。

そう、私たちは、この「言わない美学」と「言わない面倒くささ」の、ちょうど真ん中で、毎日ゆらゆら揺れながら、生きているんです。

じゃあ、この「面倒くさい」を乗り越えて、本当に心地よい関係を築くには、何が必要なんでしょうか?

次の「結」では、この「言わない」と「言う」のバランスについて、私なりの「人生術」みたいなものを、お話ししてみたいと思います。

あなたの「見えない感謝」はなんですか?

「転」であれだけ「言わないと伝わらない!」と騒いでいた私ですが、じゃあ、「察する」文化が嫌いかと言われたら、答えは「ノー」なんです。

むしろ、大好き。

夫が何も言わずに淹れてくれた、あの夜中のコーヒー。

もし彼が、「はい、君のためにコーヒー淹れてあげたよ! 感謝してよね!」なんて言いながら持ってきたら(※彼はそんな人じゃありませんが・笑)、嬉しさは、たぶん半分以下になっていたと思います。

「言わなくても、私の疲れに気づいてくれた」

「私が大事にしている豆を選んでくれた」

その「行為」にこそ、彼の優しさが100%詰まっていたから、私は嬉しかった。

そう、私が「転」でイライラしたのは、**「察してもらえなかった」**から、じゃないんです。

(いや、それもゼロじゃないけど・笑)

私が間違っていたのは、「察してもらうこと」を「期待」しすぎたことです。

夫はエスパーじゃない。

私だって、夫が仕事で何に悩んでいるか、全部「察する」ことなんてできません。

「言わなくても伝わる」というのは、たまに起きる「奇跡」みたいなもの。

その奇跡が起きた時(=コーヒー事件)は、それを思いっきり喜べばいい。

でも、奇跡が起きなかった時(=土曜の掃除機事件)に、「なんで奇跡を起こさないのよ!」と相手を責めるのは、やっぱり違うんですよね。

だから、私、最近は決めました。

「察してほしい」という甘えは、できるだけ捨てる。

特に「不満」や「手伝ってほしい」という**「マイナス」の感情や「リクエスト」は、ちゃんと「言葉」にする**。

「ごめん、今、洗濯物で手が回らないから、掃除機かけてくれると助かる!」

って。

そう「言葉」で伝えると、夫は「あ、ごめんごめん、気づかなかった」と、すぐにスマホを置いて動いてくれます。

彼も「言ってくれればやる」人だったんです。

これで、土曜の午後のケンカは、9割減りました(笑)。

「言葉」は、すれ違いを防ぐための「保険」なんです。

じゃあ、「言わない感謝」は、もういらないの?

いいえ、ここからが大事なんです。

「不満」や「要求」は言葉にします。

その代わり、「感謝」は、「言葉」と「言わない行動」の、両方で伝えることにしたんです。

これが、私の見つけた「ハイブリッド感謝術」(笑)。

お弁当作りは、「いつもありがとう」の「言わない感謝」です。

そして、夫がそのお弁当箱を空にして、夜、キッチンに置いてくれた時。

以前の私なら、それを見て「(よしよし、伝わったな)」と、サイレントに満足して終わりでした。

でも、今は違います。

「お弁当箱、ありがとう。毎日ピカピカにしてくれると、作り甲斐があるよ」

と、あえて「言葉」にして、感謝の「答え合わせ」をするんです。

すると夫も、

「あぁ、いや。こっちこそ、毎朝ありがとう。今日の生姜焼き、美味しかった」

なんて、言葉で返してくれる。

「察する」という行為(空のお弁当箱)に、「言葉」の感謝を上乗せする。

これ、ものすごく効果があるんです。

「言わなくてもわかってくれてる」という安心感と、

「言葉にして伝えてくれた」という直接的な喜び。

両方ゲットできるから、関係がすごくスムーズになりました。

結局のところ、私たち日本人が美しいと感じる「感謝」って、

「ありがとう」という**「単語」**そのものにあるんじゃない。

その言葉の裏にある、「与える」という行為と、「受け取る」という行為、その「交換」そのものに、感謝の本質があるんだと思うんです。

お弁当を「作る」という行為。

それを「完食する」という行為。

トマトを「お裾分けする」という行為。

それをクッキーにして「お返しする」という行為。

この「行為のキャッチボール」こそが、感謝の正体。

そして「言葉」は、そのキャッチボールを、もっと楽しく、もっと正確にするための「潤滑油」なんだと思います。

ここまで、日本の、私という一主婦の、とてもローカルな話をしてきました。

でも、この「言葉にならない感謝」って、きっと日本だけのものじゃないですよね?

あなたの国では、どうですか?

感謝は、すべて言葉にして伝えますか?

それとも、あなたたちの文化の中にも、

「これをやることが、イコール『愛してる』のサイン」

「これをしてくれたら、それは『ありがとう』の証拠」

というような、**「暗黙のサイン」**はありませんか?

文化や背景が違っても、私たちはみんな、日々の生活の中で、言葉にならないほどの「ありがとう」や「お疲れ様」を、何かの「行為」に込めて、誰かに送っているはずです。

そして、悲しいかな、「転」の私のように、それを見過ごされている(あるいは、こっちが見過ごしている)ことも、たくさんあるはず。

だから、今日の私のブログを読んでくれた、あなたにチャレンジです。

今日一日、あなたの周りにある**「言葉にならない感謝のサイン」**を、意識して探してみませんか?

それは、あなたが朝飲むために、誰かがセットしておいてくれたコーヒーメーカーかもしれない。

あなたが通るからと、ドアを開けて待っていてくれた、見知らぬ人かもしれない。

当たり前のようにあなたのパソコンに届いている、電気やインターネットかもしれない。

(それを支えているのも、海外のエンジニアさんだったりしますよね!)

そして、もしそれを見つけたら。

心の中で「ありがとう」と思うだけじゃなくて、

できたら、「言葉」でも「行動」でも、何か一つ「お返し」をしてみませんか。

空になったマグカップを、相手の分も一緒に、そっと流しに運ぶ。

それだけでも、立派な「お返し」です。

本当の感謝は、「単語」の中にあるんじゃなく、「与えること」と「受け取ること」の、その「間」にある。

私は、日本で主婦をしながら、毎日そう感じています。

今日、あなたはどんな「言葉にならない感謝」を見つけますか?

そして、どんなふうに、その感謝を伝えますか?

よかったら、あなたの国の「言わない感謝のサイン」、コメントで教えてくださいね!

最後まで読んでくれて、ありがとうございました!

ミカでした。

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