すれ違う「ありがとう」の形。それ、本当に「無関心」ですか?
「ミキ、これ、この前のパーティの写真! あなたが写ってるやつ、プリントしてきたの!」
以前、近所に住んでいたアメリカ人の友人、サラが満面の笑みで私に数枚の写真を渡してくれたことがあります。彼女はいつも明るくて、感情表現がストレート。大好きだった彼女の、その日の笑顔も太陽みたいでした。
写真は、本当に素敵に撮れていました。私が娘と笑っている、自分でも知らなかった「いい顔」の瞬間。
私は、ぱっと顔を上げて、サラの目を見て、
「わぁ…! わざわざ、ありがとう…!」
と言いました。
でも、今思えば、その時の私の声は、たぶん、サラが期待していたボリュームよりずっと小さかった。そして、アメリカのドラマで見るみたいに「オーマイガーッシュ! サラ! アイラブユー!」と抱きついたりもしなかった。たぶん、少しはにかみながら、嬉しそうに、でも静かに写真を見つめていたんだと思います。
サラは、「どういたしまして!」と明るく言ったものの、その顔には一瞬、「…あれ?」という戸惑いが見えたのを、私は見逃しませんでした。
(もしかして、私、リアクション薄かった…?)
後で聞いた話ですが、サラは当初、「ミキは、あの写真、あんまり嬉しくなかったのかな? もしかして、迷惑だった?」と、少し不安に思っていたそうなんです。
これ、たぶん、日本に来たことがある多くの外国の方が、一度は経験する「すれ違い」じゃないでしょうか。
何かをしてもらったり、親切にしてもらったりした時。
あなたの国では、きっと「Thank you so much!」「That’s so kind of you!」と、はっきり、笑顔で、時にはハグを交えて感謝を伝えるのが「当たり前」ですよね。言葉にしないことは、むしろ「感謝していない」「無関心だ」と受け取られることさえあるかもしれません。
でも、ここ日本では、特に年配の方や、少しフォーマルな関係性になると、その「ありがとう」が、すごく小さかったり、あるいは「ありがとう」の代わりに「すみません」と言ったり、もっと言えば、ただ黙って、深くお辞儀をするだけ、なんてこともザラにあります。
あなたがカフェのドアを開けてあげた時。
後ろから来た日本人が、会釈だけ、あるいは無言で通り過ぎていった。
あなたが重い荷物を持つのを手伝った時。
相手が「あ、どうも…」と、なんだか歯切れの悪い反応をした。
こういう時、きっとあなたは思うはずです。
「え、私、何か悪いことした?」
「日本人は礼儀正しいって聞いてたのに、お礼も言えないの?」
「もしかして、私のこと嫌い…?」
そう感じてしまうのは、無理もありません。あなたの文化では、それは「NO」や「無関心」のサインかもしれませんから。
でもね、ちょっと待って!
それは、99%の確率で、誤解です。
その日本人は、たぶん、あなたが想像している「10倍」くらい、あなたに感謝しています。
その沈黙は、「無関心」のサインじゃありません。
その「すみません」は、「謝罪」じゃなくて、最上級の「ありがとう」なんです。
なぜ、こんな面倒なことになるんでしょう?
なぜ、日本人は「ありがとう」とストレートに言わない(ように見える)んでしょうか?
それは、私たちが「言葉」というものを、世界の他の多くの場所とは、少し違うふうに捉えているからかもしれません。
日本では古くから、「言霊(ことだま)」といって、言葉には魂が宿ると考えられてきました。言葉を口にすると、それが現実になる。だから、大切なことほど、軽々しく口にしない、という文化が根付いています。
感謝も同じです。
本当に、本当に心の底から「ありがとう」と思っている時。
その気持ちが深ければ深いほど、「ありがとう」というたった5文字の言葉では、この気持ちは表現しきれない、と感じてしまうんです。
「ありがとう」と口にした瞬間に、この、胸がいっぱいになるような温かい感情が、なんだか軽くて、陳腐なものになってしまうような気がして。
だから、私たちは、言葉の代わりに「態度」で示そうとします。
深く、長く頭を下げる「お辞儀」。
それは、「あなたの親切に対して、私は言葉も出ないほど感謝し、敬意を表しています」というサイン。
あるいは、照れたように目を伏せて、小さな声で「すみません…」。
これは、「こんな私のために、あなたに貴重な時間と労力を使わせてしまって…申し訳ない。それくらい、あなたの行動は価値がありました。本当にありがとう」という、感謝と謙遜が入り混じった、非常に日本的な感情表現なんです。
この「起」のパートでは、まず、この「最大の誤解」—日本人の沈黙や曖昧な態度は、無関心や冷淡さの表れではない—ということを、声を大にしてお伝えしたいと思いました。
サラがくれた写真、私は今でも大切にアルバムに貼っています。
あの時、私がもし「サンキュー!」と大声でハグしていたら、それはそれでサラは喜んだかもしれない。
でも、私が「言葉にできなかった」あの瞬間の、じわーっと胸に広がった温かい感謝の気持ちも、本物でした。
問題は、その「気持ちの表現方法」が、あまりにも違っていた、ということ。
このブログでは、この「すれ違い」の正体を、もっと深く掘り下げていきます。
なぜ私たちは「察する」ことを期待し、言葉を飲み込むのか。
そして、もしあなたが日本で「あれ?」と思う瞬間に遭遇したら、その「沈黙の裏」にある本当の気持ちをどうやって読み解けばいいのか。
言葉にならないコミュニケーションの奥深さを知れば、日本人の「分かりにくさ」も、少しだけ「愛おしさ」に変わるかもしれませんよ。
察して、ごめんね。言葉にしない「和」と「謙遜」の美学
「起」でお話しした、私のアメリカ人の友人、サラとの「写真すれ違い事件」。
あれは、本当に典型的な例だったと今でも思います。
サラは「言葉(とハグ)」で、100%の感謝を伝えてほしかった。
私は「言葉にならない表情(とはにかみ)」で、120%の感謝を伝えた つもり だった。
この差って、一体どこから来るんでしょう?
「ありがとう」って、世界共通のポジティブな言葉のはずなのに、なぜ日本人はそれをストレートに言うのを、時々「ためらって」しまうのか。
今日はその核心、「日本人の心のOS」とも言える、3つのキーワードを解き明かしていきたいと思います。
これを知ると、「あ、あの時のあの人の反応、そういうことだったのか!」って、パズルのピースがハマるかもしれませんよ。
キーワード1:「察する」— 言葉は、答え合わせ。
まず、日本で生きていく上で、必須スキルとも言えるのが、この**「察する」(さっする)**という能力です。
英語に訳すのがすごく難しい言葉ですよね。「to infer」「to sense」「to read between the lines」… どれも近いけど、ちょっと違う。
「察する」というのは、相手が言葉にしていない気持ちや意図を、表情、声のトーン、その場の雰囲気、これまでの関係性など、あらゆる情報から読み取って理解すること。
これが、日本のコミュニケーションの「土台」になっています。
海外、特に欧米の文化(ローコンテクスト文化と呼ばれます)では、
「言葉 = 自分の意思」
ですよね。思っていることは、はっきり口に出して伝えることが「誠実」であり、「責任」である、と。言わなかったら、それは「思っていない」のと同じ。すごくクリアです。
でも、日本(ハイコンテクスト文化)では、
「言葉 = 最終確認(答え合わせ)」
なんです。
え、どういうこと?って思いますよね(笑)
例えば、4人で食事をしていて、そろそろお開きかな、という雰囲気になったとします。
一人が、チラッと時計を見た。
もう一人が、テーブルの上に残った最後の一つのおつまみに、誰も手を付けないのを見て、店員さんを呼ぶボタンにそっと指を伸ばしかけた。
私(ミキ)は、みんなの飲み物のグラスが空になっていることに気づく。
この時点で、もう、この4人の間では
「(あ、そろそろ出たいんだな)」
「(お腹もいっぱいになったし、満足したな)」
「(じゃあ、お会計かな)」
という**「合意」**が、ほぼ出来上がってるんです。
そこで、誰かが言う。
「じゃあ、そろそろ…行きますか」
この一言は、「提案」じゃないんです。
みんなが「察した」ことが合っているかどうか、その**「答え合わせ」**のための一言。
だから、誰も「えー! まだ帰りたくない!」とは(よほど親しくない限り)言いません。言ったら、「え、この人、空気が読めない(=察する能力がない)」と思われてしまうから。
感謝の場面も、これと全く同じなんです。
サラが私に写真をくれた時。
私が「わぁ…!」と、本当に嬉しそうな、でも、はにかんだ顔をした。
この瞬間に、日本のコミュニケーションOSでは、
私:「(言葉にできないくらい、すごく嬉しい! あなたの親切が心に染みました!)」
という気持ちを**【発信】**しているんです。
そして、サラがもし「日本的OS」を持っていたら、
サラ:「(あ、この表情。ミキは本当に喜んでる。わざわざプリントしてきて良かったな)」
と、その「無言のサイン」を**【受信】**して、コミュニケーションが完結するはずでした。
でも、サラのOSは「アメリカ(低コンテクスト)版」。
彼女のOSは、「ありがとう」という「言葉」のデータを待っていました。
私が送った「表情」というデータは、彼女のOSでは「意味不明のファイル」か「不完全なデータ」として認識されてしまった…。
これが、「すれ違い」の正体です。
日本人は、言葉よりも先に「察してほしい」という信号を、常に全身から発しているんです。
キーワード2:「すみません」— それは、最上級の「ありがとう」。
「察する」文化と並んで、皆さんを混乱させるのが、これですよね。
「なぜ、日本人はお礼を言う時に『謝る』の?」
重いドアを開けてあげたら、「すみません」。
落とした物を拾ってあげたら、「あ、すみません」。
「なんで謝るの!? 私、悪いことした!?」って、不安になりますよね。
違うんです。断言します。
この時の「すみません」は、あなたの想像を超える「感謝」と「敬意」の表れなんです。
これも、ちょっと面倒な、日本人の「謙遜(けんそん)」の心が関係しています。
例えば、あなたが私に、素敵な誕生日プレゼントをくれたとします。
私がもし、アメリカのドラマみたいに
「Wow! Thank you! This is EXACTLY what I wanted!(わー!ありがとう!これ、まさに欲しかったやつ!)」
と、100%の喜びを表現したとします。
これは、一見、素晴らしい反応ですよね。
でも、日本人の心の中では、コンマ1秒、こんな「ブレーキ」がかかることがあるんです。
(あれ、私がこんなに喜ぶと、まるで「このプレゼントを期待していた」みたいに思われないかしら…?)
(こんなに高価なものをもらって、私、それにふさわしい人間かな…?)
(というか、私のために、こんなに時間とお金を使わせてしまって…申し訳ない…!)
そう。最後の、「申し訳ない」という気持ち。
これが「すみません」の正体です。
**「ありがとう」**という言葉は、ベクトルが「自分」に向かっています。
「(私が)嬉しい!(私が)感謝してる!」という、自分の感情の表現です。
でも、**「すみません」**は、ベクトルが「相手」に向かっているんです。
「(あなたが)私のために、貴重な時間と労力を割いてくれたことに対して、恐縮しています(=申し訳ない)」
「(あなたの)その素晴らしい親切に対して、私はまだ何もお返しができていなくて、申し訳ない」
つまり、「すみません」は、相手の行動の「価値」を最大限に認め、相手を立てるための言葉なんです。
自分の喜びを表現する以上に、相手の「してくれたこと」の尊さを讃える。
これが、日本的な「謙遜の美学」であり、最上級の敬意表現なんですね。
だから、もしあなたが「すみません」と言われたら、「謝られた」とは思わないでください。
それは、「あなたの親切は、私が『ありがとう』の一言で軽く流せるようなものじゃなく、本当に価値のある、恐縮してしまうほど素晴らしいものでした」という、**超・丁寧語の「ありがとう」**なんだと、自信を持って受け取ってください。
キーワード3:「和」(わ)— みんなが「気持ちいい」空間を守る。
じゃあ、なんで私たちは、こんなに面倒くさい「察する」だの「謙遜」だのを発達させてきたんでしょう?
その答えが、日本社会の根底に流れる、最も重要な価値観、**「和」(わ)**です。
「調和」の「和」。グループハーモニー、ですね。
日本は、ご存知の通り、小さな島国です。
昔から、狭い土地で、みんなで田んבוץを植え、水を分け合い、協力しないと生きていけませんでした。
一人だけ目立ったり、自分の意見だけを主張したりすると、村全体の「和」が乱れる。
「和を乱す」ことは、コミュニティの崩壊、つまり「死」に直結する、最も恐ろしいことだったんです。
そのDNAは、現代の私たちにも、深く、深く、刻み込まれています。
私たちは、自分がどうしたいか、よりも、
「この場の空気(和)を、どうしたら快適に保てるか」
を、無意識のうちに最優先で考えています。
ここで、最初の「感謝」のシーンに戻ってみましょう。
もし、サラが私に写真をくれた時、私が
「うわーーーー! サラ! 大好き! 信じられない! なんて素敵なの!!!」
と、周りに響き渡るような大声で、10分間くらいハグし続けたとします。
サラは喜んでくれるかもしれません。
でも、周りにいた他のお客さんたちはどうでしょう?
(…なんか、あの人たち、すごい盛り上がってるね…)
(ちょっと、声が大きくない…?)
(こっちは静かにコーヒー飲みたいんだけどな…)
と、周りの人たちを「不快」にさせてしまうかもしれない。
つまり、私たちの「過剰な喜びの表現」が、その場の「和」を乱してしまう可能性があるんです。
さらに言えば、私に親切をしてくれた**「サラ自身」**も、もしかしたら
「あ、いや、そんな大したことじゃないから…(恥ずかしいな…)」
と、周りから注目を浴びて、かえって気まずい思いをさせてしまうかもしれません。
日本人は、この「(自分が原因で)他人に気まずい思いをさせる」ことを、極端に嫌います。
だから、私たちは、感謝を伝える時でさえ「最適な音量」を探します。
サラには、ちゃんと「嬉しい!」という気持ちが伝わる。
でも、周りのお客さんの邪魔にはならず、
そして、サラ自身も「いやぁ、ちょっとやりすぎちゃったかな」と恥ずかしくさせない。
その、全ての「和」を保つための、絶妙なバランスポイントが、
あの時の私の、「(はにかみながらの)わぁ…! わざわざ、ありがとう…!」
だったんです。
それは「無関心」でも「喜びが少ない」のでもありません。
自分と相手、そして「その場にいる全員」にとって、最もスムーズで、誰も不快にしないための、日本人が長い歴史の中で培ってきた、高度な「コミュニケーション技術」であり、「知恵」なんですよ。
「察する」ことで、相手の真意を読み取り、
「謙遜(すみません)」で、相手への最大限の敬意を払い、
「和」を重んじることで、その場にいる全員が快適でいられるように配慮する。
私たちが「言葉」を少なくするのは、決してコミュニケーションをサボっているわけでも、冷たいわけでもありません。
むしろ、言葉という「分かりやすすぎる」ツールに頼らず、もっと深く、もっと繊細に、お互いの気持ちをやり取りしようとする、不器用だけど、とても豊かな「心の文化」が背景にあるんです。
「察して」は無理!から、「見て」みようへ。実践・日本人の「本音」デコーダー
「承」で、日本人がなぜ言葉を少なくするのか、その背景にある「察する」「すみません(謙遜)」「和」の文化について、熱く語ってしまいました(笑)
でも、今、これを読んでくださっているあなたは、きっとこう思っているはずです。
「ミキさん、理屈は分かった。すごく興味深い。…でも、無理!!」
「私は日本人じゃないんだから、空気なんて読めないよ!」
「『察しろ』って言われても、こっちがイライラしちゃう!」
わかります。
わかりますよー! その気持ち、痛いほど!
「察する」というのは、もう何十年もそのOSで生きてきた日本人同士だから、なんとなく通じてしまう「裏ワザ」みたいなもの。それを、違うOSで育ってきた皆さんに「あなたも読み取って!」と要求するのは、あまりにもアンフェアですよね。
じゃあ、私たちは、日本人の「分かりにくい」沈黙や会釈に、ただモヤモヤし続けるしかないんでしょうか?
いいえ、そんなことはありません!
ここからが、今回の「転」—視点の転換—です。
「察する(Mind Reading)」のは無理でも、
**「見る(Watching)」こと、そして「聞き方を変える(Reframing)」**ことはできます。
日本人は、言葉(テキスト)で感情を伝えるのが下手な代わりに、それ以外の「データ」を全身から発信しています。
今日は、皆さんがその「隠されたデータ」を受信するための、超・具体的な「本音デコーダー(解読機)」を、こっそりお教えしますね!
実践テクニック1:言葉を「聞く」のをやめて、「目」と「お辞儀の角度」を見る
もし、あなたが親切をした相手が、期待した「Thank you!」を言ってくれなかった時。
ガッカリして、相手の「口元」を見るのを、いったんやめてみてください。
その代わり、**「目」と「頭の動き」**を、よーく観察してみてください。
A) 「目は口ほどに物を言う」は、本当。
日本人は、感情が昂(たかぶ)ると、欧米の方のように「わー!」と表情を全開にするのではなく、逆に、はにかんだり、目を伏せたりすることが多いです。
でも、その瞬間、**「目」**は絶対に笑っています。
- 口は「すみません…」と困ったように言っていても、目尻が優しく下がって、本当に嬉しそうに「くしゃっ」となっていないか?
- 一瞬、あなたと目を合わせた後、照れたようにフッと視線を落として、でも口元は緩んでいないか?
それが、彼らの**「120%の『ありがとう』」のサイン**です。
彼らは、喜びや感謝が大きすぎて、直視するのが恥ずかしい(=相手への敬意)と感じているんです。
その「照れ」こそが、本音の証拠。
B) 「お辞儀の深さ」=「感謝の音量」
日本人は、言葉のボリュームを上げる代わりに、「お辞儀の角度」を深くします。
- 軽い会釈(首をコクン、と曲げる程度):これは、「どうも」くらいの軽い感謝。日常のサインです。
- 普通のお辞儀(腰から30度くらい):「ありがとうございます」。丁寧な感謝です。
- 深いお辞儀(45度以上、時には90度):これが、あなたの期待していた「オーマイガーッシュ! サンキューソーマッチ!!」の代わりです。
もし相手が、言葉は小さく「あ…すみません、本当に…」としか言わなくても、その場で深く、そしてゆっくりと頭を下げたなら。
それは、「あなたの親切に、私は言葉も出ないほど感動し、深く敬意を表します。このご恩は忘れません」という、**最大級の敬意と感謝の「シャウト(叫び)」**なんです。
言葉が小さいからとガッカリしないで。その人は、態度で「ありがとう!」と絶叫しているんです。
実践テクニック2:『どうでしたか?』と聞かない。『迷惑じゃなかったですか?』と聞く
日本人にプレゼントをあげたり、何かをしてあげたりした後。
「Do you like it?(気に入った?)」
「どうでしたか?」
と、ストレートに感想を聞くのは、実は**「悪手」**(あまり良くない手)なことが多いんです。
なぜなら、「承」で話した「和」と「謙遜」の文化があるから。
もし、万が一、1ミリでも気に入らない点があった場合、彼らは「NO」と言えません。相手(あなた)をガッカリさせたくないから。
だから、「あ、はい、良かったです…(汗)」と、なんとも言えない曖昧な笑顔で固まってしまいます。
そんな時、彼らの「本音の喜び」を引き出す、魔法の質問があります。
それは、
「(もしかして)迷惑じゃなかったですか?」
「(こんなことして)余計なお世話じゃなかったですか?」
です。
ええ!? なんでそんなネガティブなこと聞くの!? と思いますよね。
これが、「転」の発想です。
日本人にとって、「NO(いいえ)」は、相手を否定する「強い言葉」です。
でも、**「そんなことないです!」**は、**ものすごく言いやすい「強い肯定」**なんです。
あなたが「迷惑じゃなかった?」と、あえて自分を下げて質問すると、相手は「待ってました!」とばかりに、
「とんでもないです! むしろ、本当に嬉しくて…!」
「いえいえ! まさか! こんなに良くしてもらって、逆に申し訳ないくらいで…!」
と、さっきまでの小さな「ありがとう」が嘘だったみたいに、堰(せき)を切ったように本音の感謝を伝えてくれます。
これは、彼らが「謙遜」して本音を言うための「言い訳(=大義名分)」を、あなたが作ってあげたことになるから。
「いやぁ、本当は嬉しかったんだけど、自分から『嬉しい!』って言うのは『和』を乱すかなって思って…でも、あなたが『迷惑じゃない?』って聞いてくれたから、全力で否定(=感謝)できる!」
というロジックです。
面倒くさいですよね(笑) でも、効果は絶大です。
相手の「本音のありがとう」が聞きたい時は、ストレートに感想を聞くのではなく、「恐縮させてごめんね」という形で、相手が感謝を表現する「道」を作ってあげてみてください。
実践テクニック3:『本当の感謝』は、後からやってくる(時差を理解する)
これも、非常に重要なポイントです。
日本人の感謝の表現は、**「リアルタイム」ではなく、「ディレイ(遅延)」**することが多々あります。
あなたが、何か素晴らしい手助けをした。
その場では、「あ、すみません…助かります…」と、またしてもリアクションが薄い。
(ああ、まただ…ガッカリ…)
…と、思うのはまだ早い!
翌日、あるいは数日後。
あなたのデスクに、小さなクッキーの箱と、丁寧な手紙が置いてあったり。
「昨日は、本当にありがとうございました。ミキさんのおかげで、どれだけ助かったか…」という、昨日とは別人のような、心のこもった長文のメールが届いたり。
これこそが、**「日本人の本当のありがとう」**です。
「承」で話した「すみません(=申し訳ない)」の気持ち。
日本人は、親切を受けると「嬉しい!」と同時に「(こんなに良くしてもらって)申し訳ない。借りができてしまった」と無意識に感じます。
そして、その「借り」を、きちんとした「形」(=お返し)で返さないと、気持ちが落ち着かないんです。
その場での「ありがとう」は、あくまで「(親切を)確かに受け取りました」という**「受領印」**のようなもの。
本当に伝えたい「心のこもった感謝」は、一度家に持ち帰って、冷静になってから、「どうお返ししようか」とじっくり考え、準備して、後日、改めて届けられるのです。
その場でのリアクションが薄くても、「ああ、この人は今、感謝の気持ちを『チャージ』してるんだな。きっと数日後に、素敵な『お返し』という形で届けてくれるはずだ」と、どっしり構えて待ってみてください。
その「時差」こそが、日本文化の奥深さでもあるんです。
視点の転換:「言わない」のは、「信頼」の証
ここまで、具体的なテクニックをお話ししてきました。
でも、最後に、一番大切な「視点の転換」をお伝えします。
私たち外国人は、「言葉にしない=気持ちがない」と捉えがちです。
でも、日本では、時として、
「言葉にしない」=「あなたを深く信頼している」
という、真逆の方程式が成り立つことがあります。
例えば、あなたが親しい日本の友人と、素晴らしい景色を見ているとします。
夕日が海に沈んでいく、息をのむような光景。
その時、横にいる友人が、何も言わず、ただ、静かにそれを見つめていたとしたら。
あなたは「ねえ、キレイだと思わないの!?」と不安になりますか?
きっと、ならないはずです。
その「沈moku」は、「無関心」ではありませんよね。
それは、「こんなに素晴らしい気持ち、言葉にしなくても、隣にいるあなたなら、きっと同じように感じてくれてるよね」という、二人の間でしか成立しない、究極の「共感」と「信頼」のサインなんです。
日本人が、あなたの親切に対して、時に言葉を失い、ただ、はにかんだり、深く頭を下げたりするのは。
「ありがとう」という言葉で、この込み上げる温かい感情を「安っぽく」終わらせたくない、という気持ちの表れかもしれません。
そして、「こんなに素晴らしい親切をしてくれるあなたなら、私が今、言葉にできないほど感謝していることも、きっと『察して』くれるはずだ」という、あなたへの深い「信頼」を、無意識のうちに寄せている証拠なんです。
そう考えると、あの分かりにくかった「沈黙」や「小さな会釈」も、なんだか少し、愛おしく見えてきませんか?
「ありがとう」と「会釈」。どっちも正解! 二つの文化を繋ぐ「心の翻訳機」
ここまで、本当にお疲れ様でした!
日本人の「沈黙」や「すみません」の謎を、私なりに解き明かしてきたわけですが…
たぶん、今、皆さんの心の中には、こんな「モヤモヤ」が残っているんじゃないでしょうか。
「ミキさんの言いたいことは、よーーく分かった」
「日本人の『和』とか『謙遜』も、美しい文化だと思う」
「でも! なんで、私たち(外国人)ばっかりが、その『察する』努力をしなきゃいけないの!?」
「日本人も、グローバル社会なんだから、もっとハッキリ『ありがとう!』って言ってくれても、いいんじゃないの!?」
はい。
もう、心の底から、その通りだと思います!!
あなたがそう感じるのは、100%、当然のことです。
コミュニケーションは、キャッチボール。
片方だけが、相手の分かりにくい「魔球」を必死で受け取ろうと努力し続けるのは、フェアじゃないですよね。
私たち日本人も、もっと「伝わる」ボールを投げる努力をすべきだ。私も、海外に住む(あるいは住んでいた)日本人として、心の底からそう思います。
私(ミキ)の「大失敗」の話
実は、私も、この「OSの違い」で大失敗したことがあるんです。
それは、私が初めて一人で海外旅行(ロンドンでした)に行った時。
大きなスーツケースを持って地下鉄の階段を上ろうとしていたら、後ろから来た体格のいい男性が、ひょいっとスーツケースの反対側を持って、一緒に運んでくれたんです。
私は、もう、びっくりして、嬉しくて。
そして、階段を上りきったところで、彼に向かって、日本での「最上級の感謝」をしました。
そう。
「(小さな声で)あ、すみません…」
と言いながら、深く、深く、お辞儀をしたんです。
その時の、彼の顔!
今でも忘れられません。
「…???」
「Why are you sorry?(なんで謝ってるの?)」
「Are you okay?(大丈夫? 頭でも打った?)」
彼は、満面の笑みで「You’re welcome!」と言われるのを待っていたのに、目の前の日本人が、なぜか深々と頭を下げて「謝って」いる。
彼にしてみれば、意味不明、というか、ちょっと怖かったかもしれません(笑)
私はパニックになって、「No! No! Thank you!」と慌てて言い直しましたが、時すでに遅し。
彼は「Okay…? Have a nice day…」と、なんとも言えない顔で去って行きました。
私は、その場で(あぁ、やっちゃった…)と、猛烈に反省しました。
私の「感謝」は、1ミリも伝わらなかった。
それどころか、親切にしてくれた彼を、不気味な気持ちにさせてしまったかもしれない…。
あの時、痛感したんです。
「私のOS(日本の常識)は、ここでは通じないんだ」
「ここはロンドンだ。ここでは、『ありがとう』と『笑顔』を、はっきり言葉と態度にしないと、感謝は『存在しない』のと同じなんだ」と。
「架け橋」は、両側から作るもの
このブログでお話ししてきた「日本人の沈黙の謎」。
それは、私たちがロンドンで「すみません」とお辞儀をしてしまったのと同じことなんです。
どちらかが「正しくて」、どちらかが「間違っている」んじゃない。
ただ、「OS(文化)」が違う。それだけなんです。
「起」でお話しした、友人のサラと私。
サラは、「言葉」で感謝を伝えてほしいOS。
私は、「態度」で感謝を察してほしいOS。
この二人が、お互いに自分のOSだけを主張していたら、どうなるでしょう?
「サラは、どうして私の『察して』を分かってくれないの!」
「ミキは、どうして『ありがとう』を言ってくれないの!」
きっと、二人の友情は、そこで終わってしまっていました。
じゃあ、どうしたか?
私たちは、お互いの「OSの仕様」について、ちゃんと話し合ったんです。
私は、あの時の「写真事件」の後、サラに正直に言いました。
「サラ、あの写真、本当に嬉しかったんだ。でも、日本人は、嬉しすぎると、逆に言葉が出なくなっちゃうことがあるの。『ありがとう』って言葉じゃ、足りないくらい嬉しくて。リアクション薄く見えたら、ごめんね」と。
サラは、目を丸くして言いました。
「Ehhhhh!? Really!?(えええ!?そうなの!?)」
「私はてっきり、ミキはあの写真が嫌だったのかと思って、すごく不安だった! なんだ、言ってよー!」
そして、私たちは「私たちのルール」を作りました。
サラ(外国人)側は、
「ミキ(日本人)が黙ったり、はにかんだりしたら、それは『最大級の感謝』のサインなんだな」と、「見る」努力をしてくれるようになりました。
私(日本人)側は、
「サラ(外国人)が何かしてくれたら、恥ずかしがらずに、まず『ありがとう!』と声に出して、できればハグ(これは私には難易度高かったですが・笑)をする」という、「伝える」努力をするようになりました。
そう。
「架け橋」は、いつだって、両側から作るものなんです。
言葉にならない「心」を翻訳する、ということ
このブログを読んで、皆さんは「日本人の『本音』デコーダー」を手に入れました。
「転」で紹介したように、
- お辞儀の角度が「感謝の音量」であること。
- 「迷惑じゃなかった?」と聞けば、本音の「ありがとう」が返ってくること。
- 本当の感謝は、クッキー(お返し)になって、後からやってくること。
これらは、確かに「テクニック」です。
でも、私は、これを単なるテクニックとして使ってほしくない、と思っています。
これは、**「人生の知恵」**でもあるんです。
私たちは、つい「言葉」だけを信じてしまいます。
「ありがとう」と言われれば、OK。
言われなければ、NG。
でも、本当の「心」って、そんなに単純でしょうか?
言葉にはならないけれど、確かにそこにある「温かいもの」。
照れたように伏せられた目。
ぎこちないけれど、深く下げられた頭。
「すみません」という言葉に隠された、相手への最大限の敬意。
皆さんが、その「言葉にならないサイン」を読み取れた時。
それは、あなたが「日本文化を理解した」というだけじゃありません。
あなたは、「言葉というツールを超えて、相手の『心』そのものと繋がれた」ということなんです。
それって、すごく、すごく素敵なことだと思いませんか?
日本人が「察して」と、言葉を飲み込むのは、
「あなたなら、言葉にしなくても、きっと分かってくれるよね」
という、相手への「究極の信頼」の表れかもしれない、と「転」で書きました。
その「信頼」に、
「大丈夫。言わなくても、ちゃんと伝わってるよ」
と、笑顔で応えられたら。
これ以上の「異文化コミュニケーション」があるでしょうか。
結び:あなたの「心の翻訳機」
日本に興味を持ってくれて、本当にありがとう。
日本の「分かりにくさ」に戸惑いながらも、こうして「知りたい」と思ってくれたこと、一人の日本人として、本当に嬉しく思います。
私たち日本人も、変わろうとしています。
海外から来てくれた皆さんに、もっと「伝わる」ように、はっきり「ありがとう」と「I LOVE YOU」を言おうと、今、一生懸命「OSのアップデート」をしている最中です。
だから、どうか、あなたも。
あの「沈黙」や「小さな会釈」に出会った時、
「あ、出たな。これが『無関心』じゃなくて、『日本のありがとう』のサインだな」
と、あなたの心の中で、そっと「翻訳」してみてください。
その「心の翻訳機」こそが、
日本人と、そして世界中の「分かり合えない」人たちと、
深く、温かく繋がるための、最強の「架け橋」になるはずですから。

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