「ありがとう」と言わない国の「ありがとう」? 日本の主婦が毎日感じる「感謝のハミング」の正体

「ありがとう」だけじゃない? 感謝の国の「ハミング」

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こんにちは!

海外で家族のために、そしてご自身のために毎日を頑張っていらっしゃる皆さん、お元気ですか?

日本はすっかり秋が深まって、朝晩は「寒いね」が合言葉になる季節になってきました。そちらの気候は今、どんな感じでしょう。

遠く離れた場所で暮らしていると、日本で当たり前だったことが急に恋しくなったり、逆に「あれってどういう意味だったんだろう?」って、日本の文化や習慣を客観的に見つめ直す瞬間ってありませんか?

私も、ごく普通の日本の主婦として、毎日スーパーに買い物に行ったり、ご近所さんと立ち話をしたり、子ども(や夫)の世話を焼いたりする中で、ふと「日本って面白いな」と感じることがたくさんあります。

今日は、そんな日常の中で見つけた「日本の生活の知恵」や「人生観」について、皆さんとシェアしたいなと思っています。

今回のテーマは「感謝」。

先日、すごく素敵な英語のフレーズを見かけたんです。

“The Universal Hum of Thankfulness”

(訳すと「世界共通の、感謝のハミング」みたいな感じでしょうか)

これ、すごく分かりませんか?

感謝の気持ちって、世界中どこにでもある、静かだけど確かに響いている「ハミング(鼻歌)」みたいなものだ、っていうニュアンス。

例えば、旅先で道を教えてもらって「Thank you!」って言う時。

カフェでコーヒーを受け取って「Merci!」と笑顔を交わす時。

市場でおまけしてもらって「Gracias!」って心が温かくなる時。

言葉やジェスチャーは違っても、そこには瞬時に「ありがとう」の温かい空気が流れますよね。これが、フックにあった「世界共通のシンプルな言葉」であり、「即座に生まれる温かさと繋がり」なんだと思います。

この「ありがとう」のストレートな温かさって、本当に素敵です。

でも、日本で主婦として暮らしていると、この「感謝のハミング」、なんだかちょっと違う周波数で聴こえてくる気がするんです。

もちろん、日本でも「ありがとう」は毎日何度も使う、一番大切な感謝の言葉です。

でも、それと同じくらい、あるいはそれ以上に、別の言葉で「感謝のハミング」を奏でているシーンが、この国には溢れているな、と。

例えば、朝。

家族で食卓を囲んで、両手を合わせる。

「いただきます」

これは、目の前の食事を作ってくれた人(私だったり夫だったり)への感謝だけじゃありません。お米を作ってくれた農家さん、野菜を運んでくれた運転手さん、お肉になってくれた動物、つまり「命」そのもの。そのすべてに「あなたの命や労力を、私の命のために頂きます。ありがとう」という感謝が込められています。

例えば、夕方。

仕事を終えて帰ってきた夫に(あるいは私がパートから帰った時に)、

「お疲れ様」

これは「今日も一日ご苦労様」というねぎらいの言葉ですが、その根っこには「家族のために働いてくれて(家事を守ってくれて)ありがとう」という感謝があります。

そして、何より面白いのが、これです。

スーパーのレジで、店員さんがカゴをさっと取ってくれた時。

「あ、すみません」

エレベーターで、他の人が「開」ボタンを押して待っていてくれた時。

「すみません」

ご近所さんから、旅行のお土産をいただいてしまった時。

「わあ、すみません!こんな立派なもの……!」

……あれ?

私たち日本人、感謝する場面で、なんでこんなに「謝って」いるんでしょうか(笑)

海外で暮らしている皆さんなら、この感覚、懐かしくないですか?

あるいは、海外のお友達に「なんで日本人はすぐ謝るの?」って聞かれた経験、ありませんか?

これがまさに、フックにあった「”ありがとう”という言葉以上の、感謝の驚くべき核心」の、日本バージョンだと思うんです。

日本の「すみません」という感謝は、ストレートな「Thank you!(あなたがしてくれた事、嬉しい!)」とは、少し響きが違います。

あえて言葉にするなら、

「(嬉しい!ありがとう!……と同時に)私のために、あなたの大切な時間や労力を使わせてしまって、申し訳ないです」

という、相手への「負担」を思いやる気持ち。

そして「こんな私なんかのために……」という、ちょっとした「謙遜(けんそん)」や「恐縮(きょうしゅく)」の気持ち。

これが、日本の「感謝のハミング」の、すごくユニークなところ。

ただ「嬉しい!」と受け取るだけじゃなく、相手が差し出してくれた「親切」や「手間」の重みをちゃんと感じ取って、「申し訳ない」という形で最大の感謝を表す。

これは、単なる言葉のテクニックじゃなくて、日本の社会に根付いた「人に迷惑をかけちゃいけない」「お互い様(おたがいさま)で支え合う」という文化、そのものなんです。

「ありがとう」というポジティブな言葉だけでは拾いきれない、相手の「コスト(手間や時間)」への想像力。

それこそが、日本人が古くから大切にしてきた「生活の知恵」であり、人間関係を円滑にするための「人生術」なのかもしれません。

この「すみません」という一見ネガティブな言葉に隠された、日本人ならではの深い深い感謝の心。

そして、感謝したら「必ずお返しをしなきゃ」ってソワソワしちゃう、あの独特の感覚(笑)

このブログでは、そんな「ありがとう」の言葉だけじゃ語り尽くせない、日本社会に流れる「感謝のハミング」の正体を、私の主婦としての実体験(ご近所付き合いとか、PTAとか、親戚付き合いとか!)を交えながら、解き明かしていきたいと思います。

まずは次回、【承】のパートで、この「すみません」という言葉の奥深〜い世界について、もっと突っ込んでみようと思います!

「すみません」に隠された、相手を思う心のカタチ

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皆さん、こんにちは!

前回の「起」の記事、読んでいただけましたか?

(まだの方は、ぜひそちらから読んでいただけると嬉しいです!)

前回は、「感謝」という世界共通の温かいハミング(The Universal Hum of Thankfulness)があるけれど、ここ日本では「ありがとう」と同じくらい、いや、もしかしたらそれ以上に「すみません」という言葉で感謝を伝えているよね、というお話をしました。

エレベーターで「開」ボタンを押して待っててくれた人に「すみません」。

ご近所さんからお野菜をおすそ分けしてもらって「すみません」。

これ、海外で「Thank you!」のストレートな感謝に慣れていると、「え、なんで謝るの?」って不思議に思われてしまう、日本独特のコミュニケーションですよね。

でも、私たち日本人主婦の肌感覚からすると、あれは「謝罪」じゃない。

まぎれもなく「最上級の感謝」なんです。

今日は、この「すみません」という一見ネガティブな言葉に、一体どんな「人生観」や「生活の知恵」が隠されているのか、その「心のカタチ」を、じっくりと深掘りしてみたいと思います。

この感覚、海外に住んでいる皆さんも「あー、分かる!懐かしい!」と思っていただけるんじゃないかな。


まず、なぜ「ありがとう」だけではダメ(な気がする)のか。

例えば、私がすごく仲の良いママ友から、手作りのクッキーをもらったとします。

「わあ、美味しそう!ありがとう!」

これは、100%ポジティブな「喜び」の表現ですよね。嬉しい!やったー!っていう。

では、シチュエーションを変えて。

私が子どものお迎えでバタバタしていて、うっかり近所のスーパーにエコバッグを忘れてきてしまったとします。

それに気づいたご近所の奥様(そこまで親しくないけど、挨拶はする仲)が、わざわざ私の家までそのエコバッグを届けてくれた。

「……!(ピンポーン)あ、〇〇さん!」

「さっきスーパーに忘れてたでしょ、これ」

「わーーーーっ!すみません!! わざわざ届けていただいて……! 本当にすみません、助かります!」

……ほら、出ました(笑)

この時、「ありがとう!」と満面の笑みで言うのって、なんだかちょっと「軽く」感じませんか?

もちろん「ありがとう」も言うんですが、第一声は絶対に「すみません」なんです。

この「すみません」には、何が詰まっているのか。

分解してみると、たぶんこんな感じです。

  1. (喜び) ああ、見つかった!助かった!
  2. (感謝) わざわざ届けてくれて、ありがとうございます!
  3. (恐縮) 私の不注意のせいで、〇〇さんの貴重な時間を使わせてしまった……!
  4. (申し訳なさ) 家まで歩かせるという「手間」をかけさせてしまった……!

そうなんです。

「ありがとう」が「自分が嬉しい!」という(ある意味、自分軸の)ポジティブな感情の爆発だとしたら。

「すみません」は、「相手がかけてくれたコスト(手間・時間・労力)」を想像し、それを「申し訳ない」という形で表現する、徹底的な「相手軸」の感謝なんです。

エコバッグを届けてくれた奥様は、もしかしたら夕飯の準備を中断してくれたかもしれない。

ちょっと一息つこうと思っていたお茶の時間を、私のために使ってくれたかもしれない。

その「見えないコスト」に瞬時に思いを馳せて、「あなたの貴重なリソースを、私のために使わせてしまって、ごめんなさい。そして、本当にありがとう」という気持ちを、「すみません」の一言にぎゅーーーーっと凝縮している。

これこそ、日本の社会で生きていく上で、めちゃくちゃ大切な「相手の立場に立つ」という人生術であり、人間関係の潤滑油なんだと思うんです。


この「すみません」の感覚って、語源をたどるとすごく腑(ふ)に落ちるんです。

「すみません」は、もともと「済まない(すまない)」という言葉から来ていますよね。

じゃあ、何が「済んでない」のか?

それは、「このままでは、私の気持ちが収まらない(済まない)」ということ。

相手から一方的に親切やモノを受け取ってしまった。

私は嬉しいけれど、相手は時間やお金や労力を「使って」くれた。

この「借り(かり)」がある状態。

この、心がソワソワするアンバランスな状態では、気持ちが「済まない」んです。

だから、

「こんなに良くしてもらって、**(このままでは気持ちが)済みません」

「あなたの手間を考えると、(申し訳なくて気持ちが)**済みません」

となるわけです。

これって、日本人の「迷惑をかけたくない」という美徳や、「お互い様(おたがいさま)」という相互扶助の精神と、深く結びついています。

自分がしてもらった「親切」を、単なるラッキー!として消費しない。

その裏にある「相手の負担」をちゃんと想像できる「心の解像度」の高さ。

それこそが、日本社会で「あの人は、ちゃんと思いやりがある人だ」と信頼されるための、大切な物差しなんですよね。

海外の、特に欧米の文化だと、「Thank you!」と笑顔で受け取ることが、相手への最大の感謝(=あなたの親切を、私は100%ポジティブに受け取りましたよ!)になることが多いと聞きます。

そこで「Sorry」なんて言ったら、「え、なんで謝るの? 嫌だった?」と逆に相手を不安にさせてしまうかもしれない。

それはそれで、素晴らしい文化です。すごく合理的で、お互いに気を使わなくていい。

でも、日本の「すみません」文化は、ちょっと面倒くさいかもしれないけれど、すごく「しっとり」しているな、と思うんです。

親切を「受け取って、終わり」にしない。

「すみません」という言葉で、「私は、あなたがしてくれたことの価値(コスト)を、ちゃんと分かっていますよ」というサインを相手に送る。

だからこそ、相手も「ああ、この人にあげてよかったな」「この人のために動いてよかったな」と、温かい気持ちになれる。

「いえいえ、とんでもないです」「お互い様ですよ」

という、次の優しいコミュニケーションが生まれる。

この「すみません」という名の「感謝のハミング」は、決して謝罪の音色ではなくて、

「あなたの優しさに、私はちゃんと気づいています」

という、深い共感と、尊敬のハーモニーなんです。

主婦としてのご近所付き合い、PTA活動、親戚付き合い……。

こういう「コミュニティ」の中で円滑に生きていくために、私たちはこの「すみません」という名の「相手軸の感謝」を、無意識に使いこなしているんですよね。

さて。

この「すみません(=気持ちが済まない)」という「借り」の感覚。

これが、次のステップに繋がります。

そう。

借りたら、返したくなるのが人情。

日本人なら、なおさらです(笑)

次回【転】のパートでは、この「済まない」気持ちが、日本の「お返し(おかえし)」という、一大文化(というか、時に悩ましい一大イベント!)にどう繋がっていくのか。

「お中元・お歳暮」から「旅行のお土産」「内祝い」まで……

あの「お返ししなきゃ!」ってソワソワしちゃう感覚の正体について、主婦目線で語ってみたいと思います!

「お返し」は義務じゃない。喜びを繋ぐための「循環」の知恵

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皆さん、こんにちは!

日本は本格的に寒くなってきて、スーパーにはお鍋の素がずらりと並ぶようになりました。そちらの食卓は、今どんな感じですか?

さて、前回の【承】のパートでは、日本人が感謝の場面で使う「すみません」の正体について深掘りしました。

それは単なる謝罪じゃなくて、「私のために、あなたの貴重な時間や手間を使わせてしまって、申し訳ない」という、相手への深い想像力。

そして、親切を一方的に受け取ったままでは「気持ちが済まない(すまない)」という、心のアンバランスな状態、つまり「借り」の感覚だ、というお話でしたよね。

さあ、ここからが日本文化の面白いところです。

私たち日本人、特に「家」を切り盛りする主婦は、この「借り」を、絶対に「借りっぱなし」にしないんです。

というか、「借りっぱなしにできない」性分(しょうぶん)なんですよね(笑)

この「済まない(sumanai)」というソワソワした気持ちが、

「返さなきゃ!」

という強いエネルギーに変わる。

そう、今回のテーマは、日本社会を語る上で欠かせない、あの習慣。

「お返し(Okaeshi)」です。


海外で生活されている皆さん。

もしかしたら今、「あーーー、懐かしい!でも、正直ちょっと面倒だったアレね!」と思っていませんか?(笑)

そうなんです。

正直に告白します。

日本で主婦をやっていると、この「お返し」文化、時として、ものすごくヘビーです。

例えば、

  • 旅行に行ったら、必ず買う「お土産(おみやげ)」
    • 「ご近所の〇〇さん、いつもお世話になってるから」
    • 「夫の会社、部署の皆さんで分けてもらえるように個包装のクッキーを」
    • 「子どもの習い事の先生にも……」
    • 旅行の荷物の半分は、お土産。もはや「誰かのために」買いに行ってるような感覚になることも(笑)
  • 季節のご挨拶、「お中元(おちゅうげん)・お歳暮(おせいぼ)」
    • 「去年、あのお宅から頂いたから、今年も送らなきゃ」
    • 「あそこのご主人が昇進されたから、今年は品物のランクを少し上げたほうが……?」
    • 「この時期にこの『のし紙』で合ってる?」
    • リストとにらめっこしながら、カタログをめくる日々。家計を預かる主婦としては、なかなかの大仕事です。
  • そして極め付けが、「内祝い(うちいわい)」
    • 結婚や出産、新築祝いなどで「お祝い」を頂く。
    • そうしたら、「頂いた額の、だいたい3分の1から半額(半返し)」の品物を「内祝い」としてお返しする。
    • ……え? お祝いしてもらったのに、なんでこっちがお金使うの?
    • 海外のお友達にこれを説明するの、めちゃくちゃ難しくないですか?(笑)「祝ってくれたお礼に、プレゼントを返すんだよ」「Why??」って。

「ありがとう!」とシンプルに喜び合えば済むはずなのに、なぜ、こんなにも複雑で、お金も手間もかかる「お返し」というシステムが、この国にはガッチリ根付いているんでしょうか。

これって、ただの「義務」なんでしょうか。

「社会のルールだから、やらないと恥ずかしい」という、体裁(ていさい)だけのもの?


私もずっと、そう思っていました。

「あー、またお歳暮の季節か、面倒だな」って。

でも、ある時、ふと思ったんです。

もしこれが本当に「イヤイヤやっている義務」だけだったら、とっくに廃(すた)れているはず。

こんなに面倒なのに、なぜみんな律儀に続けているんだろう?

その答えが、前回の「すみません」の感覚に隠されていました。

「すみません」=「(親切をもらったままで)気持ちが済まない」

この「済まない」というソワソワ感は、ネガティブな「借金」とはちょっと違います。

あえて言うなら、「嬉しさのエネルギーが、自分の器から溢れちゃってる状態」なんです。

「わあ、こんなにしてもらっちゃった!嬉しい!どうしよう!」

この、嬉しくて、ありがたくて、でもちょっと申し訳なくて……という、ごちゃ混ぜになった温かいエネルギー。

これを、自分の中だけで留めておけない。

だから、「お返し」という**「カタチ」**にして、相手に「循環(じゅんかん)」させようとするんです。

そう、「お返し」は「義務」や「清算」じゃない。

**「感謝のエネルギーの循環」**なんです。

「お返し」の品物を選ぶ時、

「〇〇さんは、甘いものがお好きだったかしら」

「このタオルなら、家族で使ってもらえるかな」

と、相手の顔を思い浮かべますよね。

その品物に「のし紙」をかけて、名前を書いて、送る。

この一連の「手間」そのものが、

「あなたの親切、ちゃんと受け取りましたよ」

「あなたの親切のおかげで、私も温かい気持ちになりましたよ」

という、「ありがとう」の言葉だけでは伝えきれない「感謝の証(あかし)」なんです。


この「循環」の知恵が、一番シンプルに現れているのが、ご近所同士の「おすそ分け」です。

「実家からカボチャが送られてきすぎて、食べきれなくて。よかったらどうぞ」

と、ご近所さんがタッパーに入れて持ってきてくれる。

「わあ、すみません!助かります!美味しそう!」

と、ありがたく頂く。(ここで「借り」が発生)

後日、そのタッパーを返す時。

皆さんなら、どうしますか?

……そうですよね。

絶対に、空(から)のまま返さない。

そのタッパーをキレイに洗って、

  • 旅先で買ってきた、ちょっとしたお菓子の小袋を入れる。
  • 「うちも、これ作りすぎちゃって」と、手作りの煮物を少し入れる。
  • せめて、可愛いキャンディを2、3個ころんと入れておく。

そして、「この間はごちそうさまでした!」の一言を添えて、お返しする。

これなんです。

この、**「空の皿で返さない」**という小さな小さな習慣こそが、日本の「お返し」文化の原点であり、人生術なんだと思います。

もし、洗っただけのタッパーを「はい、ありがとう」とポンと返したら……

なんだか、すごく「冷たい」感じがしませんか?

そこで、人間関係が「プツン」と切れてしまうような。

あえて大げさな「お返し」をする必要はないんです。

でも、「あなたの親切、嬉しかったですよ」という温かい気持ちを、キャンディ一つに託して「循環」させる。

「まあ、すみません!こんなものまで!」

「いえいえ、この間のカボチャ、本当に美味しくて!」

この、温かいキャッチボール。

これこそが、「ありがとう」という言葉の先にある、**日本社会の「感謝のハミング」**そのものなんです。

「お中元」も「内祝い」も、この「空の皿を返さない」という知恵が、社会のルールとして洗練されていったもの。

それは「義務」で相手を縛るためじゃなく、

「あなたとのご縁を、これからも大切にしたいです」

という、**関係性を「繋ぐ」ための、美しい儀式(ぎしき)**なんですよね。


こうして見てくると、「すみません」という「相手への想像力」から始まり、「お返し」という「感謝の循環」が生まれる、この日本の文化。

面倒だけど、すごく温かくて、合理的だなって思いませんか?

でも、この「お返し」って、いつも「モノ」じゃないといけないんでしょうか?

毎日、家族のためにご飯を作る。

「ありがとう」って言われるけど、それって「借り」?

毎日、仕事で疲れて帰ってくる夫に「お疲れ様」。

それも「お返し」?

最後の【結】のパートでは、この「モノ」を介さない、もっと日常に溶け込んでいる「感謝の循環」……

つまり、私たちが毎日を生き生きと暮らしていくための、本当の「人生術」としての感謝について、お話ししたいと思います。

感謝の「ハミング」を、明日へのエネルギーに変えて

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皆さん、こんにちは!

この「感謝」をめぐる長いブログも、いよいよ最後になりました。

ここまでお付き合いいただいて、本当にありがとうございます。

【起】では、日本の感謝には「ありがとう」以外に「すみません」という不思議な言葉があることを。

【承】では、「すみません」は相手の「コスト(手間)」を想像する、深い思いやり(=借り)の感覚であることを。

【転】では、その「借り」のソワソワ感が、「お返し(おすそ分け)」という「モノ」の形で「感謝を循環」させる、美しい文化を生み出していることをお話ししてきました。

「空の皿で返さない」という、あの小さな知恵。

それは、「あなたとのご縁を繋ぎたい」という、温かいメッセージでしたよね。

さて、ここで一つの疑問が残ります。

この「感謝の循環」って、いつも「モノ」のやり取りじゃないとダメなんでしょうか?

私たち主婦は、毎日、家族のために「モノ」ではない、たくさんの「コト」を提供しています。

朝早く起きてお弁当を作り、汚れた洗濯物を洗い、散らかった部屋を片付け、夕飯の献立に頭を悩ませる……。

これら一つひとつは、誰かから「おすそ分け」されたワケじゃない。

でも、明らかに私たちの「時間」と「労力」という「コスト」を支払っていますよね。

これって、「借り」なんでしょうか?

だとしたら、その「お返し」は、一体どこにあるんでしょう?

今日は最後の章として、「モノ」を介さない、私たちの日常の「空気」のように流れている、**本当の「感謝のハミング」**について、お話ししたいと思います。

これこそが、私たちが毎日を何とか乗り越えて、明日もまた頑張ろうと思える、最強の「人生術」なんだと、私は思うんです。


例えば、私が一日かけてコトコト煮込んだカレー。

「ただいまー」と帰ってきた夫や子どもたちが、食卓について一口食べ、

「わ、今日(きょう)のカレー、なんか分かんないけど、すごく美味しい!」

と言ったとします。

……その瞬間。

私の中に、ブワーッと温かいエネルギーが湧き上がってくるのを感じます。

これって、まさしく「お返し」じゃないですか?

私は「時間と労力」というコストを払って、カレーを作った(=親切を差し出した)。

家族は、「美味しい!」という「喜びの言葉」と「笑顔」で、私に「感謝」を返してくれた。

ここに「モノ」のやり取りはありません。

でも、「転」でお話しした「おすそ分け」と、エネルギーの流れは全く同じ。

私が差し出した温かい気持ち(カレー)のタッパーが、「美味しい!」というキラキラした言葉で満たされて、ちゃんと私の心に返ってきたんです。

逆に、仕事を終えてクタクタになって帰ってきた夫。

ソファにどさっと座り込んで、「疲れた……」とため息をついている。

その背中に、

「今日(きょう)も一日、お疲れ様。大変だったね」

と声をかけ、温かいお茶を一杯いれる。

これも、「お返し」なんです。

夫は「家族のために働く」という「コスト」を支払ってくれた。

私は「お疲れ様」という「ねぎらい」と「承認」の言葉(と、お茶)で、その「借り」を「循環」させている。

夫が「ああ、ありがとう。生き返るよ」と言ってくれたら、そこでキャッチボールは成立です。


この、日常のささやかな「お疲れ様」や「美味しいね」。

これこそが、「お中元」や「内祝い」という「ハレの日」の儀式(ぎしき)の原型であり、もっとも大切な「感謝の循環」なんだと思うんです。

この感覚を、日本では昔から、とても素敵な言葉で表現してきました。

お互い様(おたがいさま)

これ、本当に深い言葉ですよね。

「すみません(=あなたに借りを作ってしまった)」

「お返し(=その借りをモノで循環させます)」

という二者間のやり取りを、もっともっと大きな時間軸と、コミュニティ全体で捉えた考え方。

それが「お互い様」。

「今は私が、あなたに助けてもらう番。

でも、いつか必ず、あなたも誰かに助けを求める日が来る。その時は、私が(あるいは他の誰かが)あなたを助けるから。

私たちはずっと、この社会で、お互いに助けたり、助けられたりしながら生きていく仲間なんだから」

という、未来への絶大な「信頼」。

それが、「お互いP様」という言葉の正体です。

だから、ご近所さんに「すみません!」とおすそ分けを頂いても、「いえいえ、お互い様ですよ」という言葉が返ってくる。

それは「いいえ、お返しなんて要りませんよ」という意味であると同時に、「(今は私が与える番なだけで)私もいつも、あなたや他の誰かから『見えない親切』をたくさん頂いてますから。だから、気にしないで」という、壮大な「感謝の循環」の確認作業なんです。


海外で生活されている皆さん。

異国の地での子育て、家族のサポート、本当に毎日お疲れ様です。

現地の言葉や文化の壁の中で、日本にいる私たちが想像する以上に、たくさんの「コスト」を支払って、家族の生活を守っていらっしゃることと思います。

もしかしたら、その頑張りが「当たり前」になってしまって、「お返し」としての「美味しい」や「お疲れ様」というハミングが、なかなか聴こえてこない日もあるかもしれません。

日本の「すみません」という「相手のコストを想像する文化」で育った私たちにとって、ストレートな「Thank you!」だけでは、時々、「私のこの見えない苦労、ちゃんと伝わってる?」って、心がソワソワしてしまう瞬間もあるんじゃないでしょうか。

でも、大丈夫。

感謝の本質は、「モノ」や「決まった言葉」のカタチをしているとは限りません。

パートナーが、そっとコーヒーを淹れてくれること。

子どもが、学校での出来事を夢中になって話してくれること。

遠く離れた日本の家族から「元気?」と短いメッセージが届くこと。

それら全てが、あなたが日々差し出している「親切」への、ささやかだけれど、かけがえのない「お返し」であり、「感謝のハミング」なんです。

“The Universal Hum of Thankfulness”

(世界共通の、感謝のハミング)

それは、オーケストラのような派手な交響曲じゃない。

ただ、私たちの日常のすぐそばで、静かに、でも確かに流れ続けている「BGM」のようなもの。

「ありがとう」という分かりやすいメロディもあれば、

「すみません」という、相手を深く思いやる日本の和音(わおん)もある。

「お疲れ様」という、お互いをねぎらう優しいリズムもある。

日本の主婦として私が感じる「感謝のハミング」の正体は、この**「お互い様」という信頼に基づいた、温かいエネルギーの「循環」**そのものでした。

その小さな音に耳を澄まし、「美味しいね」「お疲れ様」「ありがとう」と、自分からもそのハミングに声を重ねていくこと。

それこそが、私たちがどんな場所にいても、自分と、そして大切な家族の心を温め、明日を生きるエネルギーに変えていく、最強の「生活の知恵」であり「人生術」なんだと、私は信じています。

皆さんの周りでは、今日、どんな「ハミング」が聴こえてきましたか?

長い長い、感謝の旅にお付き合いいただき、本当にありがとうございました!

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