決めた!私は「完璧な主婦」をやめました。〜日本から送る「わびさび」な暮らしのヒント〜

「キラキラ主婦」の幻想と、わが家の「ちょっと欠けた」湯呑み

(ここから本文「起」です)

こんにちは!はじめまして。日本のとある街で、夫と子供二人、そしてマイペースな猫一匹と暮らしている、ごくごく普通の主婦、アキです。

海外で暮らしている皆さん、お元気ですか?

異国の地での子育てや家事、本当にお疲れ様です。言葉の壁や文化の違い、日本とはまた違ったご近所付き合いなど、毎日が新しい挑戦の連続ですよね。

そんな忙しい毎日の中、ふとSNSを開くと……どうでしょう。

そこには、チリ一つないピカピカのキッチン、完璧にコーディネートされたインテリア、毎朝手作りされる色とりどりの「萌え断」サンドイッチ、そして、そんな素敵な暮らしを送りながら、自分のキャリアや趣味も楽しんでいる「キラキラ主婦」たちの姿が溢れていませんか?

もちろん、海外から見た「日本」のイメージも、そうかもしれません。

丁寧に出汁をとり、季節の手仕事(梅仕事とか、らっきょう漬けとか!)をこなし、家はいつもミニマリストのように整っている……。そんな「丁寧な暮らし」こそが日本の主婦のスタンダードだ、なんて思われていたらどうしよう(笑)

先に謝っておきます。ごめんなさい!

少なくとも、私は違います。

朝はもう戦争です。子供を叩き起こし、自分は顔も洗わずにとりあえず朝食(という名の、昨日の残りとパン)を食卓に並べ、洗濯機を回しながら「あ!ゴミの日今日じゃん!」と慌ててパジャマの上にコートだけ羽織ってゴミ捨て場に走る。そんな毎日です。

やっと一息ついてリビングに戻れば、脱ぎっぱなしの靴下、食べこぼしのついたテーブル、そして「また後でやろう」と後回しにされた、乾いた洗濯物の山……。

「ワークライフバランス」なんて言葉が流行って久しいですが、私たち主婦にとっての「ワーク(家事・育児)」と「ライフ(自分の時間)」の境界線って、どこにあるんでしょうね?

正直、365日24時間、オンもオフもない。それが現実じゃないですか?

「完璧な主婦」になろうとすればするほど、理想と現実のギャップに「私って、ダメだなあ…」と落ち込む。

特に海外で頑張っている皆さんなら、「日本の主婦は、もっとちゃんとしてるはずなのに」「私が海外にいるから、うまくできてないのかも」なんて、自分を責めてしまう瞬間もあるかもしれません。

でもね、もしそうだとしたら、一回深呼吸。大丈夫です。

私たち日本人は、昔から「完璧じゃないこと」を受け入れる、とっても素敵な「心の知恵」を持っているんです。

それが、今回のテーマである**「わびさび(Wabi-Sabi)」**という考え方。

聞いたこと、ありますか?

海外だと「禅(Zen)」とか「ミニマリズム」みたいに、ちょっと高尚な、アートや哲学の世界の言葉だと思われがちです。

でも、私にとっての「わびさび」は、もっと生活に密着した、すごく「現実的」な人生術なんです。

すごく簡単に、私なりの言葉で言ってしまうと、

  • 「さび(寂び)」= 時間が経って、古くなったり、欠けたり、色褪せたりすること。
  • 「わび(侘び)」= その「不完全さ」を「ダメなこと」として否定するんじゃなくて、「味わい」や「愛おしさ」として見つめる心。

この二つが合わさったのが、「わびさび」です。

例えば、わが家には、私が嫁入り道具として持ってきた湯呑みが一つあります。もう10年以上使っていて、何を思ったか子供が小さい時に落としてしまい、フチが小さく欠けています。

普通なら、お客様にも出せないし、「危ないから」と捨ててしまうかもしれません。

でも、私はその湯呑みが大好きなんです。

その小さな「欠け」を見るたびに、「あー、あの子もこんなに小さかったんだよなあ」とか「この湯呑みで、何度夫婦で夜中にお茶を飲んで、いろんな話をしたかなあ」とか、完璧だった新品の頃にはなかった「時間」と「物語」を感じるんです。

もちろん、ピカピカの新品の食器は気持ちがいい。

でも、この「欠けた湯呑み」が持つ「愛おしさ」は、新品には絶対にない価値。

これこそが、私の日常にある「わびさび」です。

私たちは、いつの間にか「完璧であること」「新品であること」「すべてがバランス良く整っていること」を「善」とする価値観に、ちょっと縛られすぎていたのかもしれません。

家事が完璧じゃなくてもいい。

暮らしがいつも整っていなくてもいい。

「ワーク」と「ライフ」のバランスが、ぐちゃぐちゃに崩れる日があったっていい。

むしろ、その「うまくいかない部分」や「ちょっと欠けてしまった部分」にこそ、あなただけの「物語」や「人間らしさ」=「味わい」が宿るんじゃないでしょうか。

このブログでは、そんな「完璧じゃないけど、なんだか愛おしい」毎日を送るための、日本の主婦のリアルな知恵や人生観を、私の実体験ベースでお話ししていきたいと思っています。

目指すのは、「パーフェクトな未来」じゃない。

あなただけの**「不完全で、ちょうどいい未来(Your Imperfectly Balanced Future)」**です。

ピカピカのキッチンじゃなくても作れる美味しいごはんの話、完璧じゃないからこそ愛おしい家族の話、そして、そんなデコボコな毎日を機嫌よく乗りこなすための「わびさび」な考え方。

次回からは、もっと具体的に「じゃあ、日常のどこに『わびさび』があるの?」という話を、掘り下げていきますね。

ピカピカじゃない毎日と、「わびさび」の本当の意味

(ここから本文「承」です)

さて、前回の「起」では、わが家の「欠けた湯呑み」の話をしました。「完璧じゃなくても、そこに時間や物語が宿るものを愛おしく思う心」が、私なりの「わびさび」の解釈だ、というお話でした。

とはいえ、ですよ。

「わびさび、わびさび」って言ったって、最初から私がそんな「悟り」みたいな境地にいたわけじゃありません(笑)。むしろ、真逆でした。

特に結婚して子供が生まれたばかりの頃なんて、もう「完璧な主婦」「理想の母親」を目指して、自分で自分をガッチガチに縛り付けていました。

海外で暮らす皆さんの中にも、「日本の主婦って、みんなこうなんでしょ?」という、ある種の「理想像」みたいなもの、ありませんか?

例えば、「料理」

日本の食卓といえば、「一汁三菜」が基本。

白いごはん、具沢山のお味噌汁、焼き魚(メイン)、ほうれん草のおひたし(副菜)、きんぴらごぼう(副菜その2)、そしてお漬物……。

SNSを開けば、料亭みたいに美しく盛り付けられた、栄養バランス完璧な食卓が並んでいます。海外にいればなおさら、「子供にちゃんとした和食を食べさせなきゃ」って、プレッシャーを感じている方もいらっしゃるかもしれません。

私もそうでした。「ちゃんと作らなきゃ」って。

でも、現実は?

仕事から帰ってきて、保育園のお迎えに行って、子供が「お腹すいたー!」と泣き叫ぶ中、そんな品数、作れますか!?(泣)

ある日、私は「完璧な肉じゃが」を作ろうと必死になっていました。レシピ本通りに、ジャガイモはきっちり面取りして、煮崩れないように丁寧にアクをとって……。

でも、その間に子供がジュースをこぼして大泣き。慌ててそっちの対応をしていたら、肉じゃがは焦げ付く寸前。

ジャガイモの角は取れても、私の「心の角」はトゲトゲのまま(笑)。

食卓に出した肉じゃがは、味は濃いし、ジャガイモは煮崩れている。それを見た夫が「お、今日の肉じゃが、味が染みてて美味いね!」と言ったんです。

私としては「失敗作」なのに。

その時、ふと思ったんです。

私が目指していた「完璧な肉じゃが」って、誰のためだったんだろう?って。

レシピ本の著者のため? それとも、SNSの向こう側にいる、誰かも知らない「いいね!」のため?

家族は、煮崩れて味が染みまくった「不完全な肉じゃが」を、「美味しい」と言って食べてくれている。

それで、いいじゃん。

「わびさび」って、何も「古いもの」や「欠けたもの」だけを指すんじゃないんです。

「今、ここにある現実」を、どう受け止めるか、という心の技術なんだと思います。

完璧な「一汁三菜」じゃなくても、冷蔵庫の残り物で作った「名前のない炒め物」だって、家族が「美味しい」と言ってくれたら、それは立派な「ごちそう」です。

彩りが悪くても、盛り付けが雑でも、「まあ、いっか。お腹に入れば同じ!」と思える心の余裕。

それこそが、主婦の毎日を救う「わびさび」だと思うんです。


もう一つ、私たち主婦を苦しめる「完璧」の呪縛。

それは、**「掃除」と「片付け」**です。

特に最近は、「ミニマリスト」とか「持たない暮らし」がブームですよね。モデルルームみたいに、生活感のない、スッキリと整った空間。憧れます。

私も一時期、本気で目指しました。

「床に物を置かない」「毎日、寝る前にキッチンをリセットする」「子供のおもちゃは、決まったカゴに、色別に分類する」……。

結果、どうなったと思います?

私が、鬼になりました(笑)。

子供が遊んだおもちゃを、片っ端から「コラー!」と片付け、夫が脱いだ服がソファにかかっていようものなら、「なんで洗濯カゴに入れないの!」とイライラする。

私が目指した「ピカピカの空間」は、手に入ったかもしれません。

でも、その代償として失ったのは、「家族がリラックスできる、居心地のいい空気」でした。

家は、モデルルームじゃない。

「生活」する場所です。

子供が元気に遊べば、おもちゃは散らかる。

家族がくつろげば、クッションは潰れるし、読みかけの雑誌も置きっぱなしになる。

その「散らかり」や「生活感」こそが、家族が「ここで生きている」という「さび(時間の経過)」の証拠なんです。

もちろん、衛生的に保つことは大切ですよ?(笑)

でも、「完璧な整頓」と「家族の心の平穏」を天秤にかけた時、どちらが大切か。

最近の私は、「完璧なリセット」を諦めました。

寝る前、リビングに子供のおもちゃがいくつか転がっていても、「ああ、今日もこれで一生懸命遊んでたんだな」と、その「不完全さ」を眺めてから電気を消す。

その「ちょっと欠けた状態」を許せるようになってから、私自身が一番、楽になりました。

「わびさび」を「ただの汚い状態」や「手抜き」と勘違いしちゃいけません。

そうじゃなくて、**「完璧じゃない状態を、否定しない」**という訓練なんです。


海外で暮らしていると、日本にいる時よりも「日本の良さ」を意識したり、逆に「日本の常識」に縛られたりすること、ありませんか?

「海外の人から見て、恥ずかしくないように」

「日本の主婦として、ちゃんとしなきゃ」

そんなふうに、無意識に「完璧な日本人の主婦」を演じようとして、疲れてしまっていませんか?

もし、そうなら。

「わびさび」という言葉を、思い出してみてください。

それは、「失敗してもいいよ」「完璧じゃなくてもいいよ」という、昔から日本人が持っていた「心のゆとり」であり、厳しい現実を生き抜くための「しなやかな強さ」です。

子供が、お気に入りすぎてシミだらけになったTシャツを「これじゃなきゃ嫌だ!」と言うなら、無理に新しい服に着替えさせなくてもいい。その「シミ」こそが、あの子の「大好き」の証拠だから。

あなたが、頑張って作ったけど失敗しちゃった料理も、家族にとっては「お母さんの味」。

その「不完全さ」や「うまくいかなかったこと」を、笑い飛ばせる強さ。

そこにこそ、「わびさび」の本当の意味=人生術としての価値があると、私は思うのです。

完璧なバランスなんて、もともと幻想だったのかもしれません。

じゃあ、その「完璧なバランス」を手放した先に、何があるのか?

次回は、いよいよ「あえて手放す勇気」について、お話ししていきたいと思います。

「完璧なバランス」をあえて手放す勇気

(ここから本文「転」です)

前回(承)では、料理や掃除といった日常の中で、「完璧じゃない状態を否定しない」ことこそが、主婦を救う「わびさび」の知恵だ、というお話をしました。

「失敗した肉じゃが」も、「ちょっと散らかったリビング」も、それもまた「家族の物語」の一部として愛おしむ。

……と、ここまで読んでくださった皆さんの中には、こう思う方もいるかもしれません。

「言いたいことはわかる。でもね、アキさん」

「不完璧を『許す』だけじゃ、何も解決しないのよ!」

「毎日、やることが多すぎる。家事、育児、仕事(パートや在宅ワーク)、地域の付き合い、夫のケア……。どうやって『バランス』を取ればいいの?」

わかります。

痛いほど、わかります。

私たち主婦、特に海外という慣れない環境で頑張っている主婦にとって、「バランス」という言葉は、希望であると同時に、最大の「呪い」の一つですよね。

「ワークライフバランス」

「家事と育児のバランス」

「自分時間と家族時間のバランス」

まるで、私たちは綱渡りをしているサーカスのピエロみたい。

右に傾けば「育児」が落ちる。左に傾けば「仕事」が落ちる。

「あ、自分の時間、忘れてた!」

常にグラグラしながら、全部のボールを必死でジャグリングしている。

それが私たちの日常かもしれません。

私も、この「完璧なバランス」という幻想に、長いこと取り憑かれていました。

特に子供が小学校に上がる前、私の「完璧病」はピークに達しました。

「子供には、今のうちに完璧な日本語を身につけさせなきゃ!」

(海外在住の皆さんなら、「バイリンガル教育」で同じようなプレッシャーを感じているかもしれませんね)

と思い立ち、毎日手作りのひらがなカードで勉強させ、日本の童謡を歌わせ、寝る前の読み聞かせは1時間!

「でも、家のことも完璧にしなきゃ!」

と、子供が寝静まった後に、床をピカピカに磨き上げ、アイロンがけを夜な夜なこなす。

「夫のサポートも妻の役目!」

と、疲れて帰ってくる夫のために、栄養バランス完璧な夜食を用意し、愚痴を聞く。

「もちろん、自分の『輝き』も忘れずに!」

と、美容雑誌を読み漁り、隙間時間でストレッチ(三日坊主)。

……その結果、どうなったか。

ある日、プツン、と何かが切れました。

子供が、いつものように「絵本読んでー」と言ってきた時、私は何の感情もない声でこう言っていました。

「……今、忙しいから、あとに……できない、かな?」

その時の、子供の「え?」と不安そうに揺れた目。

私は、全部のボールを空中にあげようと必死になるあまり、一番大切にしたかったはずの「子供の笑顔」というボールを、地面に叩きつけていたんです。

床はピカピカ。アイロンがけも完璧。

でも、私の心はカサカサ。家の中の空気はギスギス。

完璧なバランスを目指した結果、手に入れたのは「完璧な孤独」と「完璧な疲労」でした。

もう、やめよう。

全部を100点にするのは、無理だ。

その時、私を救ってくれたのも、やっぱりあの「わびさび」の考え方でした。

でも、前回までの「わびさび」とは、ちょっと使い方が違います。

前回が「起きてしまった不完全さを受け入れる(受容)」だとしたら、

今回の「わびさび」は、**「あえて、不完全さを選ぶ(選択)」**という、もっと積極的な(?)人生術です。

どういうことか?

「わびさび」の美学って、もともとは「足し算」じゃないんですよね。

西洋の豪華絢爛な(例えばベルサイユ宮殿みたいな)美しさとは真逆で、余計なものを徹底的に削ぎ落として、最後に残った「本質」に美しさを見出す、という「引き算」の美学です。

これを、私たちの「バランス問題」に応用してみるんです。

「完璧なバランス」=「全部(家事・育児・自分)を100点にする」という足し算の発想を、まず、捨てる。

そして、こう考えるんです。

「今の私にとって、本当に『捨てられない』ものは何?」

「逆に、今日『あえてやらない』と決めてもいいものは何?」

これが、「完璧なバランスを手放す勇気」です。

例えば、私の例で言えば。

あのプツンと切れた日以来、私は「あえてやらないこと」リストを作りました。

  • やめたこと①:夜の完璧なアイロンがけ。夫のワイシャツ? クリーニングに出すことにしました(ちょっと高くなったけど、私の心の平穏には代えられない)。子供のTシャツ? シワがあっても死なない!
  • やめたこと②:完璧な日本語教育のプレッシャー。毎日1時間の読み聞かせ? 無理。でも、「寝る前の10分だけ」は、何があっても必ず一緒に布団に入って、今日あったことを話したり、短い絵本を1冊だけ読む「濃密な時間」にする。
  • やめたこと③:毎日、一汁三菜。週に2回は「麺の日」と決めました。うどんか、パスタ。以上! それか、「お惣菜の日」。スーパーで買ってきたコロッケだって、温かいお味噌汁とご飯があれば、立派な夕食です。

どうでしょう?

これ、「手抜き」って言われそうですか?(笑)

でも、違うんです。これは「手抜き」じゃなくて、**「戦略的撤退」**です。

全部を頑張ろうとして、全部が50点になる(そして私が倒れる)くらいなら、

「これはやらない」と決めて0点にする勇気を持つ。

その代わり、空いた時間と心の余裕(エネルギー)を、

「これだけは絶対に譲れない、たった一つのこと(私にとっては『子供と笑い合う時間』)」に、100点を注ぐ。

「70点 × 5科目 = 350点」を目指すんじゃなくて、

「100点 × 1科目」と「0点 × 4科目」で、合計100点を目指す。(極端な例えですが!)」

この「アンバランスさ」こそが、私にとっての「わびさび的バランス術」なんです。

海外で暮らしていると、きっといろんな「べき論」に板挟みになりますよね。

「日本人らしい母親でいる『べき』」

「現地の文化にも溶け込む『べき』」

「子供の教育(日本語も現地語も)は完璧にやる『べき』」

もう、その「べき」を手放しませんか?

全部を完璧にやろうとしなくていい。

むしろ、あなたが「あえてやらない」と決めた「不完全さ」の部分にこそ、あなたらしい「余白」が生まれるんです。

その「余白」にこそ、家族の笑顔や、あなた自身の「ホッとする時間」が流れ込んでくる。

完璧なバランスのシーソーから、一度、思い切って降りてみる。

グラグラ揺れることを、怖がらない。

それこそが、「不完全で、ちょうどいい未来」を手に入れるための、一番の近道なんだと、私は信じています。

さて、次回は「結」。

この「わびさび的バランス術」を、皆さんの日常でどうやって「小さく」始めていくか。

その具体的な「第一歩」について、お話ししますね。

あなただけの「不完全で、ちょうどいい未来」の見つけ方

(ここから本文「結」です)

全4回にわたってお届けしてきた、「『完璧な主婦』やめました!」宣言。

ここまで読んでくださって、本当にありがとうございます。

最初の「起」では、「キラキラ主婦」の幻想と、わが家の「欠けた湯呑み」を例に、不完全さの中にある愛おしさ=「わびさび」の入り口についてお話ししました。

続く「承」では、私の失敗談(焦げた肉じゃが、鬼と化した片付け)を交えながら、「わびさび」とは「完璧じゃない現実」を否定せず、そのまま受け入れる「心の知恵」だとお伝えしました。

そして前の「転」では、単に受け入れるだけでなく、もっと積極的に「完璧なバランス」という幻想そのものを手放す勇気、つまり「あえてやらないことを決める」という「戦略的撤退」としての「わびさび」をご紹介しました。

私たちは、「全部100点」を目指して、結局全部が中途半端になって倒れてしまうより、「本当に大切なひとつ」を守るために、他の「べき論」をあえて捨てる。

そのアンバランスさこそが、私たち主婦を救うのではないか、と。

……さて。

ここまで、いろんなことを偉そうに(?)語ってきました。

でも、皆さんが一番知りたいのは、「じゃあ、どうすればいいの?」「明日から、何が変わるの?」ということですよね。

わかります。

「わびさびがいいのは分かった。バランスを手放す勇気も、理屈は分かった。でも、それができたら苦労しないのよ!」

そんな声が聞こえてきそうです。

そうなんです。

一番むずかしいのは、「知っている」ことと「できる」ことの間の、ふかーい溝を飛び越えること。

私たちは、頭では「完璧じゃなくていい」と分かっていても、いざ子供が床に牛乳をこぼしたり、夫が脱いだ靴下を丸めて放置したりすると、やっぱりイラッとして「もー!」って怒っちゃう(笑)。

それが人間だし、それが「主婦」という生き物です。

だから、お願いです。

この記事を読んだからといって、「よし、明日から私は『わびさび』を完璧にマスターするぞ!」なんて、絶対に思わないでください。

「わびさび」を完璧に実践しよう、と思った瞬間、それはもう「わびさび」じゃなくなってしまいます。

それは、新しい「完璧病」の始まりに過ぎませんから。

私がお伝えしたいのは、そんな立派な「悟り」じゃありません。

もっと泥臭くて、もっとささやかな、「生きるための技術」です。

では、どうやって、その「不完全で、ちょうどいい未来(Your Imperfectly Balanced Future)」への第一歩を踏み出すか。

私の提案は、とてもシンプルです。


🪷 今週、あなたが「手放す」小さな一歩

まず、深呼吸。

そして、今週の予定を、ぼんやりと思い浮かべてください。

今週、たったひとつ。

たったひとつでいいので、あなたが無意識に「完璧にやらなきゃ」と握りしめているものを、あえて「手放す」実験をしてみませんか?

これが、私から皆さんへの「コール・トゥ・アクション(行動のお願い)」です。

大掛かりな「断捨離」をする必要はありません。

いきなり「週2で夕飯作るのやめます!」と家族に宣言する必要もありません(笑)。

もっと、もっと、小さく。

誰にも気づかれないくらい、ささやかなことでいいんです。

例えば……

  • 「洗濯物の山」をひとつ、許してみる。いつもは「乾いたらすぐ畳む!」と決めているなら、今週一度だけ、その山を「明日でもいっか」と寝てみる。罪悪感を感じずに。
  • 「ピカピカのシンク」をひとつ、諦めてみる。夜、食器を洗った後、シンク磨きまでするのが日課なら、今週一度だけ、食器を乾かすカゴに入れっぱなしで、その時間にお茶を飲んでみる。
  • 「完璧なキャラ弁」をひとつ、手放してみる。もしお子さんのお弁当を作っているなら、今週一度だけ、「彩り」とか「栄養バランス」をちょっと忘れて、お子さんの「ただ好きなもの(ウインナーとか!)」だけを詰めてみる。
  • 「自分の時間」をひとつ、死守してみる。いつもは家族優先で後回しにしている「自分が読みたい本」を、今週一度だけ、夕飯の準備を10分遅らせてでも、先に読んでみる。

どうでしょう?

これくらいなら、できそうな気がしませんか?

ポイントは、「手放した」ことで生まれた「不完全さ」を、ジャッジしないこと。

畳まれなかった洗濯物を見て「私ってダメだな」と思うんじゃなく、

「ふふふ、これが私の『わびさび』第一歩だ」と、ちょっとニヤリとしてみる。

その「ちょっとした心のゆとり」こそが、あなたの「不完全で、ちょうどいい未来」の入り口です。


🐢 目指すのは「完璧」ではなく、「前進」です

そして、もうひとつ大事なこと。

この「わびさび実験」、たぶん、失敗します(笑)。

「よし、今日はシンク磨かないぞ!」と決めた日に限って、義理のお母さんが急に訪問してきて、慌てて磨き始める……とか。

「今日は怒らないぞ」と決めた日に限って、子供が壁に落書きする……とか。

人生って、そういうものですよね。

でも、そこで「あーあ、私ってやっぱりダメだ。わびさびなんて無理!」と落ち込まないでください。

私たちが目指すのは、「完璧(Perfection)」じゃありません。

昨日より0.1ミリでも前に進めた、と思える「前進(Progress)」です。

その「前進」とは、「完璧にできた日」のことじゃありません。

「ああ、今日も完璧にできなかったな。でも、まあいっか!」と、失敗した自分を許せたこと、それこそが「前進」です。

「わびさび」の道は、一日にして成らず。

三歩進んで二歩下がる、の繰り返し。

でも、二歩下がっても、一歩は前に進んでいます。

私たち主婦の毎日の「調和(ハーモニー)」は、ピタッと静止した完璧なバランスの上にあるんじゃない。

あっちに傾き、こっちに傾き、グラグラ揺れながら、「あ、ヤバい!」って言いながらも、なんとか倒れずに立っている。その「グラグラしている状態」そのものが、持続可能な「調和」なんだと思います。

だから、焦らないで。

あなたのペースで、あなたの「ちょうどいいグラグラ」を見つけていきましょう。


🍵 あなたの「不完全」を、ここでシェアしませんか?

そして、最後にお願いがあります。

この「わびさび実験」、もしよかったら、このブログのコメント欄でシェアしていただけませんか?

海外で暮らしていると、特に主婦は、社会から切り離されたような孤独を感じやすいかもしれません。

「こんなことで悩んでいるのは、私だけじゃないか」

「日本の友達は、みんなキラキラしてるのに……」

そう思って、一人で重い荷物を背負い込んでしまいがちです。

でも、きっと、そんなことはない。

あなたが「完璧じゃなくて、恥ずかしいな」と思っているその「不完全さ」は、海の向こうの、どこかの誰かにとって、「あ、私だけじゃなかった!」という、最大の「救い」や「勇気」になるかもしれません。

「今週、こんな『わびさび』やってみました!」

「こんな『完璧』を手放してみたら、こんな気持ちになりました!」

「手放そうと思ったけど、やっぱりイライラしちゃいました(笑)」

そんな、あなたの「不完全で、愛おしいバランスの旅(Imperfectly Balanced Journeys)」を、ぜひ聞かせてください。

ここは、ピカピカの「キラキラ主婦」が集まる場所じゃありません。

「ちょっと欠けた湯呑み」を持ち寄って、「いやー、うちの夫なんてさー」「うちの子も昨日さー」と、お茶を飲みながらホッと一息つく、「縁側」みたいな場所にしたいんです。

あなたの「不完全さ」は、あなたの「弱さ」じゃない。

あなただけの「味わい」であり、「魅力」です。

私たちは、完璧じゃなくても、大丈夫。

完璧じゃないからこそ、愛おしい。

さあ、一緒に。

あなただけの「不完全で、ちょうどいい未来」を、今日から始めてみませんか?

最後まで、長い長いおしゃべりにお付き合いいただき、ありがとうございました!

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