完璧なママはもう卒業!日本で見つけた「不完全さ」を愛する暮らしのヒント

息苦しかった「完璧な暮らし」への憧れ

海外に住む皆さんから見ると、日本の主婦って、どんなイメージがありますか?

やっぱり、あの「丁寧な暮らし」っていうやつでしょうか。

毎朝きっちり引いたお出汁(だし)でお味噌汁を作って、栄養バランスばっちりの彩り豊かなお弁当を持たせて、お家の中はチリ一つないミニマルな空間……。

SNSを開けば、そんな「理想の日本」が溢れていますよね。

かくいう私も、何を隠そう、その「丁寧な暮らし」に憧れ、取り憑かれていた一人でした。

結婚して、子供が生まれて。「母親として」「妻として」「一人の女性として」ちゃんとしなきゃ。いや、どうせなら「完璧」を目指さなきゃ。

そう思っていました。

朝5時に起きて、まずは部屋のリセット。洗濯機を回しながら、朝ごはんの準備。朝ごはんだって、ただパンを焼くだけじゃダメ。野菜とタンパク質、果物も添えて「完璧な」食卓にしなきゃ。

子供を送り出したら、掃除機は隅々まで。床は水拭き。

それが終わったら、今度は買い出しと夕飯の下ごしらえ。

午後には子供が帰ってくるから、おやつは手作り。市販のクッキーなんて「手抜き」だ。

……もうね、書いてるだけで息が詰まりそう(笑)。

当時の私は、まさに「常時最適化(constant optimization)」の鬼でした。

今日のフック(テーマ)にもある「常時最適化の必要性からの解放」の、まさに「真逆」を生きていたんです。

1分1秒を無駄にしないためのタイムスケジュール。冷蔵庫の中身を最適化するための作り置きリスト。子供の教育を最適化するための習い事の組み合わせ。

でもね、そうやって「最適化」すればするほど、どうなったと思いますか?

自由になるどころか、めちゃくちゃ不自由になったんです。

スケジュール通りにいかないと、イライラする。

子供がジュースをこぼしただけで、私の「完璧な」水拭きが台無しになったと、鬼の形相(ぎょうそう)になる。

手作りにこだわったおやつを「これ嫌い」と言われた日には、もう大爆発。

「こんなに頑張ってるのに、なんで誰もわかってくれないの!?」

「こんなに最適化してるのに、なんで私の時間は無いの!?」

そう。

当時の私は、家族のためじゃなく、「完璧な私」という幻想を守るために家事をしていたんです。

もちろん、そんな状態だから、心はいつもザワザワ。

「あそこのお家は、もっとちゃんとしてる」

「あのママは、仕事も家事も完璧にこなしてる」

「私なんて、まだまだだ」

SNSで見るキラキラした「丁寧な暮らし」と、目の前の「ジュースでベトベトの床」「散らかったおもちゃ」「泣き叫ぶ子供」そして「イライラした自分」とのギャップ。

このギャップが、私の不安やストレス(フックにあった anxiety around performance ですね!)を、どんどん大きくしていきました。

「パフォーマンス(=家事育児)を完璧にこなせない私は、ダメな主婦だ」

本気でそう思い詰めていたんです。

そんなガチガチの完璧主義者だった私が、日本で暮らしながら、ふとした瞬間に見つけた「ある考え方」。

それは、ピカピカの新品でも、ミニマルで無機質なものでもなく、むしろその逆。

たとえば、お気に入りのカフェで出てきた、ちょっと歪(いびつ)な形のコーヒーカップ。

たとえば、おばあちゃんの家にある、少し欠けてしまったけど、ずっと大切に使われているお皿。

たとえば、雨上がりの苔(こけ)むしたお庭の、不揃いな緑。

それらは、「完璧」とはほど遠い。

最適化もされていない。

なのに、それを見ていると、なぜか心が「スーッ」と落ち着くんです。

「これで、いいんだな」って。

この感覚こそが、日本古来の「わびさび(Wabi-Sabi)」の入り口でした。

海外にいる皆さんも、もしかしたら「Wabi-Sabi」という言葉を聞いたことがあるかもしれません。

でも、それは単なる「古いものが好き」っていう趣味の話じゃない。

むしろ、ガチガチに「完璧」を求めて息苦しくなっている現代の私たちにこそ必要な、「不完全さ」を受け入れ、そこにこそ価値を見出すという、壮大な人生術だったんです。

このブログでは、ガチガチの完璧主義主婦だった私が、どうやって「わびさび」的な考え方に出会い、日々の暮らしに取り入れ、そしてどれだけ心が軽くなったか。

その「心の波及効果(Ripple Effect)」を、実体験ベースでお伝えしていきたいと思います。

今回は「起」の部分、つまり私の「失敗談」と「問題提起」まで。

次回、「承」では、この「わびさび」マインドが、具体的にどうやって日々のストレスを減らしてくれるのか、掘り下げていきますね!

比べない、求めすぎない。「わびさび」がくれた心の余裕

(前回の「起」では、私が「丁寧な暮らし」という名の完璧主義に囚われ、どれだけ息苦しい毎日を送っていたかをお話ししましたね。)

さて、そんなガチガチだった私が「わびさび(Wabi-Sabi)」——つまり「不完全さ」を受け入れるマインド——に出会って、どう変わったのか。

今回は、フック(テーマ)にもあった**「この考え方が、どうやってパフォーマンス(=完璧な家事育児)への不安やストレスを減らしてくれたのか」、そして「『常時最適化』しなきゃ!という強迫観念から、どうやって自由になれたのか」**について、私の具体的な変化をお話ししますね。

特に海外で暮らしていると、「日本の主婦として、ちゃんとしなきゃ」とか「海外のママたちみたいに、スマートにこなさなきゃ」とか、無意識に自分と誰かを「比較」してしまう場面って、日本にいる時より多いと思うんです。

私もそうでした。いつも誰かの「完璧な」姿と、自分の「できていない」部分を比べては、勝手に落ち込んでいました。

でも、「わびさび」を知って、まず私がやめたこと。

それは、「100点(完璧)を目指す」という考え方そのものです。

え、それってただの「手抜き」じゃない? サボってるだけじゃない?

そう思いますよね(笑)。

かつての私も、そう思っていました。「100点」以外は、全部「0点」だと。

でも、違ったんです。

「わびさび」が教えてくれたのは、「60点でも、そこに『良さ』がある」という視点でした。

例えば、夕飯づくり。

以前の私は、「一汁三菜(いちじゅうさんさい)、栄養バランス完璧、彩りも美しく」が100点だと思っていました。

だから、仕事で疲れて帰ってきても、そこを目指して無理をする。

でも、ある日。

疲れすぎて、本当にお味噌汁とご飯、それと納豆しか出せなかった日があったんです。

以前の私なら、「ああ、私ってダメな主婦だ…」と自己嫌悪でストレスMAXでした。これがまさに「パフォーマンスへの不安(anxiety around performance)」ですよね。

でも、その時ふと、「わびさび」の考えが頭をよぎったんです。

「……いや、待てよ」と。

お味噌汁は、ちゃんと朝、出汁(だし)を引いたものだ。

お米は、美味しいお水で炊いたものだ。

納豆は、発酵食品で体にいい。

「完璧」じゃない。彩りなんて、茶色ばっかり(笑)。

でも、温かいご飯と、ホッとするお味噌汁がある。

家族は「おいしいね」って食べてくれている。

「これで、いいじゃん」

そう思えた瞬間、心が「フワッ」と軽くなるのを感じました。

100点(完璧な一汁三菜)じゃなくても、60点(お味噌汁と納豆ごはん)には、60点の「良さ」や「価値」がある。

むしろ、無理して100点を目指してイライラした鬼の形相の私(0点)より、茶色い食卓でもニコニコしている私(60点)の方が、家族にとってはよっぽど「良い食卓」だったわけです。

この「60点OK」マインドは、まさに波及効果(Ripple Effect)!

私を「常時最適化(constant optimization)」の呪縛から解き放してくれました。

「最適化」って、つまり「最短距離で100点を取る方法」を探し続けることですよね。

掃除もそうでした。

以前は「週に一度、この手順で、この洗剤を使って、家全体をリセットする」という「最適化」されたスケジュールを組んでいました。

でも、子供が熱を出したり、自分が疲れていたりして、そのスケジュールが崩れると、もうパニック。

「最適化」が崩れることが、許せなかったんです。

でも、「60点でOK」と思えるようになってからは、

「今日は、リビングの床に掃除機をかけるだけ。それで良し(60点)」

「今週は忙しいから、お風呂掃除はシャワーで流すだけ。良し(50点)」

と、自分を許せるようになったんです。

「最適化」のレールから外れること = 失敗、ではなく、

「最適化」のレールから外れること = 状況に合わせた「今日のベスト(60点)」

こう捉え直しただけで、どれだけ自由(Freedom)を感じたことか!

「ちゃんとしなきゃ」というパフォーマンスへのプレッシャーは、**「他人の目(理想の主婦像)」**を気にしているから生まれるもの。

でも、「わびさび」の視点は、**「自分(や家族)が、今、心地よいか」**に焦点を当ててくれるんです。

ピカピカに磨き上げられた「完璧」な家じゃなくても、

少しホコリが積もっていても、

お花が一輪飾ってあって、家族が笑っていれば、

それは「わびさび」的には、最高に「味のある」空間なんです。

ちょっと欠けてしまったお気に入りのカップ。

以前は「失敗作だ」と捨てていたかもしれません。

でも今は、「金継ぎ(きんつぎ)」をして、その「欠け(=失敗の歴史)」ごと愛でる。

私たちの人生や、日々の家事も同じ。

失敗したり、うまくいかなかったり、最適化できなかったりする「欠け」こそが、その人らしさであり、愛おしい「味」になる。

「完璧」という幻想を追いかけるのをやめた時、

私は初めて、「今のままの自分(60点)」を許すことができ、

心の底からの「安心感(Well-being)」を手に入れることができたんです。

さあ、次回「転」では、この「わびさび」マインドが、私だけじゃなく、他の人たちの人生をどう変えたのか、具体的な「 testimonials (体験談)」を交えながら、さらに深く掘り下げていきますね。

私だけじゃなかった!「金継ぎ(きんつぎ)」で輝く友人たちの人生

(前回、「承」では、私自身が「60点OK」という「わびさび」マインドを持つことで、「完璧な家事」という呪縛から解放され、どれだけ心が自由になったかをお話ししましたね。)

「完璧」を目指すのをやめたら、心が軽くなる。

「最適化」を手放したら、本当に大切なものが見えてくる。

この「心の波及効果(Ripple Effect)」、実は私一人の小さな話では終わらなかったんです。

この「不完全さをOKとする」考え方って、すごく伝染(でんせん)しやすい、素敵な「ウイルス」みたいなんです(笑)。

私がイライラしなくなったことで、まず家族がリラックスし始めました。

そして、その「ちょっと肩の力が抜けた」空気は、不思議と周りの友人たちにも伝わっていったんです。

今日は、フック(テーマ)にもあった**「わびさび的なアプローチで人生が好転した人たちの、短いケーススタディ(Testimonials)」**を、私の周りで起こった実例としてご紹介しますね。


友人A子:「完璧なホームパーティー」の呪縛

海外に住んでいると、お互いの家に招いたり招かれたり、ホームパーティーの機会って日本より多いかもしれません。

私の友人A子も、人を招くのが大好きな明るい人。……だったんですが、ある時期からすごく疲弊していました。

理由は、まさに「パフォーマンスへの不安(anxiety around performance)」。

「せっかく海外に来たんだから、日本の『おもてなし』を完璧に見せなきゃ」

「でも、こっちのママ友さんたちは、もっとオシャレで洗練されたパーティーをしてる」

そう言って、一週間前から完璧なメニューを考え、家中をピカピカにし、テーブルコーディネートに悩む…。まさに「常時最適化」です。

そして、パーティー当日は疲れ果てて、本人は全然楽しめていない。

そんなA子に、私は自分の「60点主義」の話をしました。

「お皿、ちょっと欠けてたっていいじゃん」

「料理なんて、一品だけ得意なものを作って、あとはピザでも頼んじゃえば?」

「A子に会いたくて皆来るんだから、A子が笑ってないのが一番ダメだよ」って。

A子は最初、「えー、そんな手抜き、申し訳ないよ」とためらっていましたが、あまりに私が「大丈夫、大丈夫!」と言うので、ある時、ついに「手抜きパーティー」を決行したんです。

結果、どうなったと思いますか?

……その日のパーティーが、一番盛り上がったんです(笑)。

ピザを床に落とすハプニングも、紙皿が風で飛ぶアクシデントも、全部「あはは!」と笑い話。

「完璧」を諦めたA子が、誰よりもリラックスして笑っていたから、その「リラックスした空気」が全員に伝染したんです。

「完璧なおもてなし(最適化)」を手放した時、彼女は初めて「心からのおもてなし(=自由で楽しい空間の提供)」を手に入れたんです。これぞ「Freedom」ですよね。


友人B子:「キャリアの空白」という「欠け」

もう一人は、元々バリバリのキャリアウーマンだったB子。

旦那さんの転勤で海外に来て、今は子育てに専念しています。

彼女の悩みは、「私、このままでいいのかな」という焦り。

日本にいる同期は昇進しているのに、自分は「キャリアの空白」を作ってしまった。

この「最適化されていない」自分の経歴は、「失敗」であり「不完全」だ、と。

彼女もまた、「完璧なキャリアパス」という幻想に苦しんでいました。

私はB子に、日本に古くからある「金継ぎ(きんつぎ)」の話をしました。

海外にいる皆さんは、もうご存知かもしれませんね。

割れたり、欠けたりしてしまった器を、漆(うるし)と金(きん)で修復する、あの技法です。

「わびさび」の美意識が凝縮された金継ぎの最大の特徴は、「傷(=欠け、不完全さ)を隠さない」こと。

それどころか、その「傷」を「金」で美しく縁取ることで、その器が元々持っていた以上の「新しい価値」や「景色」を与えるんです。

B子の「キャリアの空白」は、決して「失敗」や「隠すべき傷」じゃない。

それは、海外という新しい環境で、子育てという命を育む大仕事と格闘した「証(あかし)」。

「その『欠け』があるからこそ、B子の人生という器は、他の誰とも違う、めちゃくちゃ味のある『景色』になるんじゃない?」

そう話した時、B子はポロポロと泣き出して。

「私、ずっと自分のキャリアを『割れた器』だと思ってた。もう元には戻れないって。……でも、これが『金』になるんだとしたら、私、この時間も無駄じゃなかったんだね」

そう言って、スッと顔を上げたんです。


そう。

「わびさび」が教えてくれる「不完全さの受容」とは、単なる「諦め」や「手抜き」じゃない。

自分の人生に起きた「欠け」や「歪み」、つまり「最適化」できなかった部分を、

「ああ、失敗しちゃった」と捨てるのではなく、

「これが私の『金継ぎ』のタネだ」と、愛おしく見つめ直す作業なんです。

完璧なパフォーマンスを追い求めて不安になるより、

自分の「欠け」を直視して、

「さて、ここにどんな『金』を蒔(ま)こうかな?」

と考えるほうが、よっぽどクリエイティブで、ワクワクしませんか?

次回、「結」では、この「わびさび」マインド、そして「金継ぎ」の考え方を、私たちが明日から具体的にどう生活に取り入れていけばいいか、その第一歩についてお話しして、このブログを締めくくりたいと思います。

あなたの「欠け」こそが愛おしい。今日から始める「わびさび」な第一歩

(「起」で私の完璧主義の失敗を、「承」で「60点OK」という心の解放を、そして「転」では「金継ぎ」のように「欠け」すらも価値になる、という友人たちの実例をお話ししてきました。)

ここまで読んでくださった皆さんは、きっと、かつての私と同じように、真面目で、頑張り屋さんで、そして「完璧」という見えないプレッシャーと戦っている方なんじゃないかと思います。

「ちゃんと、しなきゃ」

その一言が、どれだけ私たちを縛り付け、息苦しくさせてきたことか。

このブログを通して私がお伝えしたかったのは、ただ一つ。

もう、「完璧」を目指さなくてもいいんです。

「わびさび(Wabi-Sabi)」——つまり「不完全さ」を受け入れ、そこにこそ美しさや価値を見出すという考え方は、決して「諦め」や「怠惰」ではありません。

「60点でいい」というのは、何もしないことじゃない。

他人やSNSが決めた「100点満点(=最適化された完璧な暮らし)」のモノサシから、スッと降りること。

そして、「今の自分」にとって、本当に心地いいものは何か、自分だけの「60点」を探し、それを「これで最高!」と認めてあげるという、とても積極的で、クリエイティブな「人生術」なんです。

これこそが、フック(テーマ)にあった**「真の幸福(True Well-being)」**に繋がる道だと、私は信じています。


🍵 あなたの日常に「小さなわびさび」を

とはいえ、「はい、じゃあ今日から完璧主義やめます!」なんて、急には難しいですよね(笑)。

あのガチガチだった私にも、できませんでした。

だから、海外という慣れない土地で日々奮闘している皆さんに、まず試してほしい「小さなわびさび」の第一歩を、3つ提案させてください。

1. 一日の「最適化」を、1つだけ手放してみる

まず、「常時最適化(constant optimization)」の呪縛から、物理的に逃れてみましょう。

「これをやらなきゃ」と強迫観念になっているルーティンを、勇気を出して1つだけ、やめてみるんです。

例えば…

「今日は疲れたから、夕飯のお皿は洗わずに寝る」

「子供のお弁当、冷凍食品で埋めてみる」

「朝の掃除機はかけずに、窓を開けるだけにする」

大丈夫、死にません(笑)。

家族も、たぶん気づきません。気づいても、機嫌のいいママの方が100倍いいはず。

そして、その「やめた」ことで生まれた数分、数十分の「余白(よはく)」。

その時間で、ただ温かいお茶を一杯飲む。窓の外をぼーっと眺める。

効率や生産性とは無縁の、その「何もしない」余白こそが、「わびさび」の心(=不完全さを受け入れる余裕)を育ててくれる、最初の栄養になります。

2. あなたの「金継ぎ(きんつぎ)」ポイントを探してみる

「転」でお話しした「金継ぎ」の考え方、覚えていますか?

あなたの「欠け」は、「隠すべき傷」ではなく、「金で輝かせるべき個性」です。

あなたが今、「ああ、私ってここがダメだ」と落ち込んでいる「欠け」は何ですか?

「英語がうまく話せない」

「キャリアが中断してしまった」

「つい子供にイライラしてしまう」

「他のママ友みたいに、オシャレな料理が作れない」

それが、あなたの「金継ぎ」ポイントです。

その「欠け」を、金で縁取ってみてください。

  • 英語がうまく話せないから → 必死に伝えようとする熱意が生まれ、言葉が通じた時の喜びを人一倍感じられる。
  • キャリアが中断したから → 「働く」以外の価値観に気づき、家族と過ごすかけがえのない時間を得た。
  • イライラしてしまうから → 自己嫌悪に陥り、その分、子供の寝顔を見て「ごめんね、大好きだよ」と心から思える。
  • オシャレな料理が作れないから → 素朴だけどホッとする「日本の家庭料理」の良さを、誰より深く理解できる。

ほら。

あなたの「欠け」は、そのままで「あなただけの美しい物語(景色)」になっているんです。

その「欠け」があるからこそ、あなたの人生は深みを増し、他の誰でもない「あなた」になるんです。

3. 「比べる」から「味わう」へ

SNSを開けば、キラキラした「完璧な暮らし」が溢れています。

でも、それは誰かの「100点」であって、あなたの「心地よさ」とは関係ない。

「常時最適化」された情報(パフォーマンス)を追いかける時間を、少しだけ減らしてみませんか?

そして、その代わりに、あなたの目の前にある「不完全なもの」を、ただ「味わう」時間を持ってみてください。

それは、形がちょっと歪(いびつ)な野菜かもしれない。

雨上がりの、濡れたアスファルトの匂いかもしれない。

子供が描いた、ぐちゃぐちゃだけどエネルギーに満ちた絵かもしれない。

「完璧」じゃない。

「最適化」もされていない。

でも、**「今、ここに、確かに在る」**もの。

それを「ああ、いいなあ」と感じる心。

それこそが、「わびさび」であり、あなたを「完璧」の呪縛から解き放つ、一番の鍵なんです。


「丁寧な暮らし」って、ピカピカに磨き上げられた無機質な空間で生きることじゃなかった。

むしろ、**ちょっと欠けたり、歪んだりしている自分の人生を、そのまま「うん、悪くない」と受け入れ、愛おしむ。その「心のあり方」**こそが、本当の意味での「丁寧な暮らし」なんだと、私は思います。

海外での生活は、きっと「完璧」とはほど遠い、ハプニングや「思い通りにいかないこと」の連続でしょう。

でも、その「歪み」や「欠け」こそが、あなたの人生を面白く、豊かに彩る「金継ぎ」の軌跡です。

完璧なママ、完璧な妻、完璧な日本人じゃなくていい。

不完全で、ちょっと不格好で、でも一生懸命で、よく笑う。

そんな「味のある」あなたのまま、どうかご自愛くださいね。

日本から、同じように日々奮闘する「不完全な」主婦仲間として、心からエールを送っています!

読んでくれて、ありがとうございました。

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