「完璧な子供時代」という神話。あえて“転ばせる”?日本の子育て観が海外ママに伝えたいこと

「転ばぬ先の杖」だらけ?海外で感じる“完璧な”子育てへの違和感

海外で子育て奮闘中のママさんたち、こんにちは!

日本で、今日も今日とて子供の靴下の片方を探しております、[あなたの名前や愛称]です。

皆さん、そちらでの生活、楽しんでいますか?

とはいえ、文化が違えば、子育ても違う。毎日「えっ、そうなの!?」の連続じゃないですか?(わかります、わかります。私も海外に住んでいた友人から話を聞くたび、目を丸くしています…!)

最近、海外のドラマや、そっちに住む友人たちのSNSを見ていて、すっごく感じることがあるんです。それが、今日のテーマにもした**「“完璧な”子供時代」っていう神話**について。

どういうことかと言うと、特に欧米の(もちろん全部じゃないですよ!)子育ての理想像って、なんだか「子供をありとあらゆる不快感や失敗から守り抜くこと」が、親の最大のミッションみたいに見えませんか?

公園の遊具は、角が一切ないフカフカの素材。

お友達とのやり取りは、親が常に監視していて、ちょっとでもトラブルになりそうなら即介入。

学校の評価は、子供の自尊心が傷つかないように、最大限配慮された言葉が選ばれる。

誕生会を開けば、アレルギー対応はもちろん、「あの子が仲間外れにならないように」「この子が嫌な思いをしないように」と、親が完璧なシナリオを組む…。

もちろん、子供を危険から守るのは親として当たり前!それは大前提です。

でも、なんだかその「守り方」が、日本にいる私の感覚とはちょっと違う気がして。

まるで、「子供時代は、一点の曇りもなく、ハッピーで、安全で、成功体験だけで満たされるべきだ」という、強〜いプレッシャーがあるような。

**「転ばぬ先の杖」**って言葉がありますけど、その「杖」を100本くらい持って、子供が進む道の前に敷き詰めてあげている感じ。

「さあ、この安全な道を歩きなさい。あなたは一切、痛い思いも、悔しい思いも、悲しい思いもする必要はないのよ」って。

これ、海外で子育てしているママさんたち、正直、プレッシャーじゃないですか?

「完璧な親」でいなきゃ、って。

「うちの子が失敗したら、それは私のせいだ」って、追い詰められちゃいませんか?

日本にいると、もちろん安全への配慮は年々高まっています。昔みたいに、頭から血を流すまで遊ばせるなんてことは(さすがに)ないです(笑)。

でもね、根本的なところで、「ちょっと違う空気」を感じるんです。

この間、近所の公園でのこと。

4歳くらいの男の子が、ちょっと高めのジャングルジムに挑戦していました。お母さんは、ちょっと離れたベンチから見ています。

男の子は、あと一段というところで足を滑らせて、お尻をゴンッ!と打ち付けました。

「うわーん!」と泣き出す男の子。

私がドキッとして見ていると、お母さん、慌てて駆け寄りません。

ゆっくり立ち上がって、男の子のところまで歩いて行って、こう言いました。

「あらら、痛かったね。どこ打った?お尻か。大丈夫、大丈夫。でも、もうちょっとだったね。惜しかったね。どうする?もう一回やってみる?」

彼女は、子供が「痛い」と感じたことを否定しない。でも、過剰に同情もしない。「失敗」を「大変なこと」として騒ぎ立てない。

ただ、「事実(痛かったね)」と「努力(惜しかったね)」を認めて、「次(どうする?)」を促したんです。

男の子は、数分泣いた後、お尻をさすりながら、またジャングルジムに向かっていきました。

その光景を見たとき、ハッとしたんです。

もしかして、日本の子育ての根っこには、「逆境や不快感は、避けるべきものではなくて、成長のために必要な“材料”である」っていう考え方があるんじゃないか、と。

もちろん、これは一つの例です。日本だって、親によって考え方は千差万別。過保護な親もいれば、放任主義の親もいます。

でも、社会全体の「なんとなくの空気」として、

「子供は、転んで、泣いて、悔しがって、自分で立ち上がるもんだ」

っていう、ある種の“信頼”みたいなものがある気がするんです。

“完璧な”子供時代なんて、そもそも存在しない。

むしろ、ちょっとくらい不格好で、泥だらけで、傷だらけの子供時代の方が、その先の長い人生を生きていく上で、よっぽど“完璧な”準備になるんじゃないか——。

そんな、日本の生活の中で私が肌で感じている「人生観」や「人生術」について、次の「承」のパートから、もっと深く掘り下げていきたいと思います。

海外の「完璧」を求めるプレッシャーの中で頑張るママさんたちに、「こういう考え方もあるんだな」って、ちょっと肩の力が抜けるようなヒントを届けられたら嬉しいです。

なぜ日本の子はたくましい?「七転び八起き」に隠された人生の知恵

さて、「起」のパートで、ジャングルジムから落ちた男の子と、すぐには駆け寄らなかったお母さんの話をしましたよね。

海外のママさんから見たら、「ちょっと冷たいんじゃない?」とか「ネグレクト(育児放棄)と間違われない?」なんて、ヒヤヒヤしちゃう光景かもしれません。

あの時、お母さんが慌てて駆け寄って、「痛かったね!大変!もうやめようね!」と“過剰に”反応していたら、あの子はどうなっていたでしょう。

きっと、「ジャングルジム=危険なもの、怖いもの」「失敗=もう二度とやってはいけないこと」と学習したかもしれません。

でも、あのお母さんはそうしなかった。

なぜか。

それはきっと、あのお母さん(そして、多くの日本人)の心の奥底に、ある「人生の知恵」が根付いているからだと、私は思うんです。

それが、皆さんも聞いたことがあるかもしれない、**「七転び八起き(ななころびやおき)」**という、超メジャーな日本の“人生術”です。

文字通り、「7回(たくさん)転んでも、8回(必ず1回多く)起き上がればいい」という意味。

これって、すごくないですか?

「起」で話した「完璧な子供時代」という神話が、もし「転倒ゼロ」を目指す(=転ばぬ先の杖を100本敷き詰める)思想だとしたら。

日本古来のこの考え方は、**「転ぶこと(=失敗、逆境)は、人生のデフォルト(初期設定)である」**と、最初から認めてしまっているんです。

「ゼロ回しか転んじゃダメ」じゃない。

「いや、どうせ7回は転ぶでしょ、人間だもの」と(笑)。

そして、ここが一番大事なんですが、この言葉のキモは「転ぶこと」じゃなくて、**「起き上がること」**にあります。

7回転んだら、7回起き上がるんじゃない。「8回」なんです。

必ず、転んだ回数より、1回多く起き上がる。つまり、「最後は必ず立っている」という、ものすごい前向きな宣言なんです。

この「七転び八起き」の精神が、日本の子育てや教育の、いろんな場面に隠れている気がします。

例えば、学校の「マラソン大会」(持久走大会とも言います)。

これ、海外の学校にはあまりない、と聞いたことがあります。

真冬の、すっごく寒い時期に、学校のグラウンドや近所の河川敷を、延々と走らされるアレです。

私の子供たちも、毎年やっています。

運動が得意な子はいいですよ。でも、苦手な子にとっては、まさに「逆境」です。

寒い、苦しい、ビリになるかもしれない(というか、なる)。

「なんでこんなことしなきゃいけないの!?」って、泣きながら走っている子もいます。

もし「子供を不快感から守る」のがゴールなら、マラソン大会なんて、真っ先に廃止すべきイベントですよね。

「足の遅い子が、全校生徒の前で恥をかく」なんて、欧米の「自尊心を傷つけない教育」の観点からしたら、あり得ないかもしれません。

でも、日本の学校(や親たち)は、それをやらせる。

なぜか。

それは、子供たちに**「人生の予行演習」**をさせているんだと、私は解釈しています。

「苦しい」「しんどい」「やめたい」

——そういうネガティブな感情から逃げるんじゃなくて、そういう感情を抱えたまま、どうにかこうにかゴールまでたどり着く(=自分で不快感を乗り越える)という経験を、積ませているんです。

先生や親が、ゴールで待っていてかける言葉は、

「1位、すごいね!」(←これは結果)

だけじゃありません。ビリの子にも、

「最後まで、よく頑張ったね!」(←これはプロセス)

と声をかけます。

そう、私たちが子供に学んでほしいのは、「転ばない方法」じゃなくて、「転んでも立ち上がる方法」であり、「苦しい時に、もう一歩だけ足を前に出す力」なんです。

もう一つ、いい例があります。

**「お掃除の時間」**です。

日本の公立学校では、子供たちが自分たちで教室や廊下、なんならトイレまで掃除しますよね。

これも、「子供に雑用をさせるなんて!」と驚かれることがあると聞きます。

(ちなみに私、小学生の時、冬の冷たーい水で、雑巾を絞るのが本当に嫌いでした…)

でも、あれも「逆境トレーニング」の一種です。

「みんなが使う場所は、みんなで綺麗にする」という公徳心を養うと同時に、「面倒くさい」「やりたくない」という気持ちを、ぐっとこらえて「やるべきこと(義務)」を果たす、という訓練です。

人生って、楽しいことばかりじゃない。

むしろ、大人になればなるほど、「やりたくないけど、やらなきゃいけないこと」の連続じゃないですか(主婦の皆さんなら、うんうん!って頷いてくれるはず…!)。

ジャングルジムから落ちること。

マラソン大会でビリになること。

冷たい水で雑巾を絞ること。

これらは全部、小さな、安全な範囲での「失敗」であり、「逆境」です。

日本の子育ては、こういう**「ワクチン(予防接種)」みたいな小さな逆境を、あえて子供時代にたくさん経験させることで、将来、彼らがもっと大きな「本物の逆境」に出会った時に、心をポキッと折らずに乗り越えられるように、「心の免疫」**をつけてあげようとしているんじゃないかな、と思うんです。

海外で主流の「無菌室(=完璧な子供時代)」で、一切の失敗や不快感から守られて育った子が、突然、社会という荒波(=失敗だらけ)に放り出されたら…?

どうやって立ち上がったらいいか、わからなくなってしまうかもしれません。

だから、あの公園のお母さんは、慌てて「転ばぬ先の杖」を差し出さなかった。

子供が自分で「痛かった」という現実を受け止めて、「さあ、どうしようか?」と考える時間を与えた。

それは、子供の「起き上がる力」を、心の底から“信頼”しているからこそ、できる行為なんです。

「起」で見た「違い」の背景には、この「七転び八起き」という、たくましい人生観が流れている。

そんな気がしてなりません。

「かわいい子には旅をさせよ」—それは“放置”ではなく“信頼”

「承」のパートで、日本の子育ては「転ぶこと」を前提にした「心のワクチン」みたいなものだ、という話をしました。

マラソン大会や学校掃除…どれも、子供にとっては「ちょっと不快」で「面倒」な、小さな逆境ですよね。

でも、これらは学校という「集団」の中で、ある程度「安全」が確保された上で経験する逆境です。

じゃあ、家庭では?親は?

もっとダイレクトに、子供の「生きる力」を育てるために、何をしているのか。

ここで、海外で子育て中のママさんたちが、おそらく「えええ!?信じられない!」と一番驚くであろう、日本の“日常”をご紹介しなきゃいけません。

それは…**「子供が、子供だけで、行動する」**ことです。

例えば、小学校に上がれば、ほとんどの子が(よほどの危険地域でない限り)子供たちだけで集団登校します。親が毎日送り迎えするケースは、日本ではまだ少数派です。

放課後、公園で遊ぶのも、子供たちだけ。

そして、極めつけは…**「初めてのおつかい」**です。

皆さん、どうですか?

特に北米やヨーロッパの一部の国では、子供を一人で留守番させたり、一人で外に出したりすること自体が、「ネグレクト(育</i> *放置)」とみなされ、場合によっては法的に罰せられることもある、と聞いたことがあります。

「子供は常に親の監視下に置くべき」

「子供の安全は、親が100%確保するもの」

それが、海外での「常識」であり、「完璧な親」のスタンダードかもしれません。

その物差しで見たら、日本の親は、なんて「無責任」で「冷たい」んだ、と映るでしょうね。

近所の八百屋さんまで、5歳の子に「お豆腐買ってきて」と頼むなんて…「誘拐されたらどうするの!?」と。

わかります。その心配、痛いほどわかります。

私も親ですから、自分の子が一人で外に出ている時は、正直、気が気じゃありません。

でも、それでも、日本の親は子供に「旅」をさせます。

なぜか。

ここに、日本の「人生術」の真髄とも言える、もう一つのことわざが登場します。

それが、**「かわいい子には旅をさせよ」**です。

これは、文字通り「本当に自分の子供がかわいくて大切なら、甘やかして手元に置いておくのではなく、あえて世の中の荒波(=旅)に出して、苦労や経験を積ませるべきだ」という意味です。

「起」で話した「転ばぬ先の杖」を100本敷き詰める西洋の理想像と、真逆だと思いませんか?

「完璧な子供時代」が、親が敷いた安全なレールの上を歩かせることだとしたら、

日本の「かわいい子には旅をさせよ」は、**「レールは自分で敷きなさい」**と、子供を荒野に送り出すようなものです。

…というと、あまりに乱暴に聞こえますね(笑)。

もちろん、本当にライオンがいる荒野に放り出すわけじゃありません。

この「旅」の裏には、海外の「監視」とは全く異なる、日本的な「愛情」の形が隠されています。

それが、**「信頼」**です。

「転ばぬ先の杖」を用意し続けること。

子供が転びそうになるたびに、先回りして助け船を出すこと。

それは、一見すると、ものすごい「愛情」に見えます。

でも、それって、もしかしたら…

心のどこかで「この子は、私がいなければ何もできない」「この子は、転んだら一人で立ち上がれない」と、子供の力を“信頼していない”ことの裏返し、ではないでしょうか?

親が子供の能力を低く見積もって、「あなたには無理よ」と、失敗する“権利”すら奪ってしまっている。

…なんて言ったら、言い過ぎでしょうか。

対して、日本式の「旅をさせる」という行為。

例えば、うちの息子が5歳の時。

初めて、歩いて5分の場所にあるコンビニへ、「牛乳を1本買ってきて」と頼んだ時のことです。

私は、息子の首から小さなお財布をぶら下げて、言い聞かせました。

「車に気をつけるんだよ」「お店の人には『こんにちは』って言うんだよ」「お金を払ったら、ちゃんとお釣りをもらうんだよ」

息子は、緊張と興奮が入り混じった顔で、「うん!」と頷いて、出ていきました。

…もう、そこからです。私の「旅」は(笑)。

ドアが閉まった瞬間から、生きた心地がしません。

「今、横断歩道かな…」「ちゃんと左右見たかな…」「変な人に声をかけられてないかな…」

ベランダからこっそり覗いたり、時計を何度も見たり。

「完璧な親」を目指すなら、今すぐ追いかけて、陰から見守るべきだったかもしれません。

でも、私は、ぐっとこらえました。

なぜなら、これは息子の「旅」であると同時に、親である私の**「子供を信頼する力を試す“旅”」**でもあったからです。

「あの子なら、大丈夫」

「もし、何かあっても(例えば、お金を落としたり、道に迷ったりしても)、きっと自分で考えて、泣きながらでも帰ってくる」

そう信じて、「待つ」こと。

これ、実は、先回りして助けることの、何倍もエネルギーがいる行為です。

親としての不安や心配と戦いながら、「手を離す」んですから。

そして、15分後。

ガチャリ、とドアが開いて、「ただいまー!」と、牛乳のパックを誇らしげに掲げた息子が立っていました。

その顔!

「オレ、やったよ!」

という自信に満ち溢れた、もう、人生で一番じゃないかと思うくらいの、輝かしい顔をしていました。

彼があの時ゲットしたのは、牛乳1本だけじゃありません。

「自分は、お母さんに頼りにされた」という自己有用感。

「自分は、一人で“社会”(=お店)と関わって、ミッションをコンプリートできた」という、強烈な自己肯定感です。

これって、「転ばぬ先の杖」の上を歩いて、親に「上手ね」と褒められて得る自信とは、まったく“質”が違うと思いませんか?

「完璧な子供時代」という無菌室で、親がすべての障害物を取り除いてあげた子供時代は、確かに快適でしょう。

でも、そこでは、「自分で逆境を乗り越えた」という、本物の自信は育ちにくいのかもしれない。

「かわいい子には旅をさせよ」

それは、日本人の親が、子供の可能性を「信頼」しているからこそできる、究極の愛情表現。

それは「放置」なんかじゃなく、親が自分の不安と戦いながらも、子供が「転んで、自分で立ち上がる」チャンスをあえて与える、という積極的な「教育」なんです。

海外で「完璧な親」のプレッシャーにさらされているママさんたち。

時には、その「杖」をそっと置いて、お子さんを「信頼」して、小さな「旅」に出してみる勇気を持ってみるのも、いいかもしれませんよ。

失敗を恐れないマインドセット。私たちが子供に渡せる、一番の「お守り」

ここまで、本当にお付き合いいただき、ありがとうございました。

海外で子育てを頑張るママさんたちと、日本の「子育て観」や「人生術」について、深く語り合ってきたこのテーマも、いよいよ最後です。

「起」では、海外の(特に欧米の)「子供を一切の不快感や失敗から守る」という“完璧な子供時代”へのプレッシャーについてお話ししました。

親が「転ばぬ先の杖」を100本も敷き詰めて、子供を無菌室で育てるような、そんな息苦しさ。

「承」では、それとは対照的な日本の「七転び八起き」の精神を見ました。

人生は「転ぶ」のが当たり前。だからこそ、マラソン大会や学校掃除のような「小さな逆境=心のワクチン」をあえて経験させ、転んでも立ち上がる「心の免疫」をつけるんだ、という話でしたね。

そして「転」。

「かわいい子には旅をさせよ」ということわざを紐解き、「初めてのおつかい」に象徴される日本の子育ては、「放置」なのではなく、親が自分の不安と戦いながらも子供の力を信じる、究極の「信頼」という形の愛情表現なのだ、と確認しました。

さて、これらすべてを通して、私たちがたどり着いた答えは、何でしょうか。

私が、日本での主婦生活の実体験を通して、海外のママさんたちに一番お伝えしたい「人生の知恵」とは、何なのか。

それは、「完璧な子供時代」という神話は、子供のためではなく、親の不安を解消するための一時的な“気休め”にすぎないのではないか、ということです。

親が先回りして、すべての石を取り除いてあげたフカフカの道。

子供は確かに、その上を歩いている間は、笑顔でいられるでしょう。

親も、子供が泣かない姿を見て、「私は良い親だ」と安心できるかもしれません。

でも、その道は、いつか必ず途切れます。

親が用意した安全なレールは、いつか終わり、その先には、石だらけの、道なき道が待っている。それが「人生」というものです。

その時、フカフカの道しか歩いたことのない子は、どうなってしまうでしょう?

初めて石につまずいた時。

初めて泥に足を取られた時。

「痛い」「苦しい」という感情に、どう対処していいかわからず、立ち上がれなくなってしまうかもしれない。

「こんなはずじゃなかった」と、人生そのものに絶望してしまうかもしれない。

そう考えると、私たちが子供に本当に渡すべきものって、何でしょう。

傷一つない、ピカピカの子供時代でしょうか?

「あなたは一度も失敗しなかった」という、脆い成功体験でしょうか?

違う、と私は思います。

私たちが子供に本当に手渡すべきもの。

それは、どんな道に迷い込んでも、どんなに派手に転んでも、

「大丈夫、私は(僕は)また立ち上がれる」

と、自分を信じられる力。

泥だらけになった自分を見て、「あーあ、やっちゃった!」と笑い飛ばし、

どうやったらこの泥を落とせるか、どうやったら次の石を避けられるか、と、自分で考え、試行錯誤できる力。

そう、**「失敗を恐れないマインドセット」**です。

これこそが、親が子供に渡せる、最強にして、一生モノの「人生術」であり、「お守り(おまもり)」なんだと、私は確信しています。

海外で子育てをしているママさんたち。

今、皆さんの周りには、「完璧な親」であること、「完璧な子供」を育て上げることへの、ものすごいプレッシャーがあるかもしれません。

現地のママ友が、子供のスケジュールを分刻みで管理し、すべてに付き添い、完璧なサポートをしているのを見て、

「それに比べて、私は…」「日本のやり方じゃ、ダメなのかな…」

と、不安になることも、きっとありますよね。

でも、そんな時こそ、思い出してください。

私たち日本人には、「七転び八起き」のDNAが流れています。

「かわいい子には旅をさせよ」と、あえて子供を突き放す(ように見える)「信頼」の強さを持っています。

ジャングルジムから落ちた子に、すぐに駆け寄らなくてもいいんです。

(もちろん、大怪我をしていないかは、ちゃんと見ていますよ!)

「痛かったね」と共感し、そして「どうする?」と、彼が自分で立ち上がるのを「待つ」勇気を持つ。

「初めてのおつかい」を頼んで、家でドキドキしながら待っている、あの時間。

あれこそが、子供の「生きる力」と、親の「信じる力」が、同時に育まれている、何物にも代えがたい「愛情」の時間なんです。

「完璧な子供時代」という神話を、追いかけるのはやめましょう。

そんなものは、どこにもないんですから。

それよりも、

転んだら、一緒に「痛かったねー!」と笑い(泣き)、

立ち上がったら、「よく頑張った!」と思いっきり抱きしめる。

失敗したら、「さあ、どうする?ママ(パパ)も一緒に考えるよ」と、隣に座る。

そんな、不格好で、泥だらけで、でも「本物の逆境」と「本物の信頼」に満ちた子供時代こそが、

彼らが将来、どんなに困難な人生の局面に立たされたとしても、

しなやかに、たくましく、そして最後には必ず「起き上がって」自分の足で歩いていくための、

最高のお守りになるはずです。

海外という、日本とは違うプレッシャーの中で、自分らしい子育てを見失いそうになった時。

「あ、日本には“七転び八起き”があったっけ」

「“かわいい子には旅をさせる”のが、愛情だったな」

と、このブログを思い出して、少しでも肩の力を抜いてもらえたら、こんなに嬉しいことはありません。

お互い、「完璧じゃない」ことを楽しみながら、子供の「起き上がる力」を信じて、いきましょうね!

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