毎日がカオス! あなたも「心の平和」見失っていませんか?
やっほー!こんにちは。
日本で二人の子育てに奮闘中の主婦、Ayaです。このブログは、海外から日本に興味を持ってくれているあなたや、海外で「日本のあの感じ、懐かしいな」と思っているかもしれないあなたに向けて、私が日本で暮らす中で見つけた「ちょっと人生が豊かになるヒント」を発信しています。
さて、突然ですが、最近いつ「あー、心が平和だなぁ」って感じましたか?
…なんて聞かれても、「え、そんな時間どこにあるの?」って思っちゃいますよね。
わかります、わかりますとも!
朝、目が覚めた瞬間から、頭の中は「今日のタスクリスト」でいっぱい。
子供を叩き起こし、朝ごはんの支度をしつつ洗濯機を回し、ゴミ出しの曜日を必死で思い出す。子供を送り出したら、今度は仕事のメールチェック。リモートワークの合間に掃除機をかけて、気づけばもうお昼。午後はスーパーへ買い出しに走り、夕飯の献立に頭を悩ませ、子供が帰ってきたら宿題のバトルが始まり…。
(もしあなたが海外在住なら、これに加えて慣れない言語の壁や、日本の家族との時差を考えた連絡、異文化での子育ての悩みなんかも乗っかってくるかもしれませんね)
気づけば、一日中「何か」に追われてる。
スマホを開けば、キラキラした友人たちのSNS、次から次へと流れてくるニュース、返さなきゃいけないメッセージの山。
「効率よくやらなきゃ」「時間を無駄にしちゃいけない」って、まるで誰かに見張られているみたいに、常に自分のお尻を叩いている感じ。
そして、夜。
ようやく全てのタスク(という名の家事育児)が終わり、ソファに倒れ込む。
ホッとするのも束の間、ふと鏡に映った自分を見て愕然とするんです。
「あれ、私、今日一回でも心から笑ったっけ?」
「なんだか、眉間にシワが寄ったまま固まってる…」
そう。忙しすぎて、「今、ここ」にあるはずの幸せや、穏やかな時間を感じる「心の余白」が、ゼロになっちゃってるんです。
正直に白状しますね。
数年前までの私、まさにこれでした。
日本で主婦をしていると、特に「ちゃんとやる」ことへの無言のプレッシャーを感じることがあるんです。もちろん、誰も私に「完璧な主婦になれ」なんて言ってないんですよ。でも、雑誌を開けば「丁寧な暮らし」、SNSを見れば「完璧なキャラ弁」、スーパーに行けば「栄養バランスの取れた献立」。
勝手に自分でハードルを上げて、勝手に息切れして。
ある雨の日、最悪な出来事がありました。
夕飯の準備でバタバタしている時に、下の子が牛乳のコップを盛大にひっくり返したんです。床は牛乳の海。
その瞬間、私、プツンと何かが切れちゃって。
「なんで今なの! ママがどれだけ忙しいかわかってるでしょ!」
自分でも驚くような大きな声で、子供を怒鳴りつけてしまったんです。
びっくりして泣きじゃくる子供と、散らかった床。
その光景を前に、私は怒りよりも強烈な自己嫌悪に襲われました。
「私、こんな母親になりたかったんだっけ?」
「牛乳こぼしたくらいで、なんでこんなにイライラしてるんだろう」
理由はわかっていました。
「忙しさ」が、私の心の余裕を全部奪っていたからです。
やるべきことに追われすぎて、一番大切にしたかったはずの家族との穏やかな時間さえ、イライラのタネにしてしまっていた。
このままじゃダメだ。
もっと肩の力を抜いて、心から笑える毎日を取り戻したい。
高価なものが欲しいわけじゃない。特別なイベントがしたいわけでもない。
ただ、日常の中にある「小さな平和」を感じられるようになりたい。
そう真剣に悩んでいた時、私は日本の生活の中に、昔からずっと息づいている「ある考え方」に、改めてハッとさせられることになります。
それは、海外から見ると「日本的」で、もしかしたら少し古風に聞こえるかもしれません。
でも、その考え方こそが、情報過多で忙しすぎる現代社会を生きる私たちにとって、最強の「心の平和を保つ知恵」なんじゃないかって気づいたんです。
海外の皆さんが日本に興味を持つきっかけって、アニメや美味しい和食、ハイテクな技術、美しい四季や京都のような伝統文化かもしれません。
でも、私が今日シェアしたいのは、そういう華やかなものじゃなくて。
もっと地味で、当たり前すぎて見過ごされがちな、日本人の「日常の哲学」みたいなもの。
きっかけは、近所のおばあちゃんが、道端に落ちた小さな梅の実を一つ、大事そうに拾い上げる姿だったり、
子供がご飯粒を一つ残した時に、私が無意識に「もったいないよ」と口にしていたことだったり。
そう、キーワードは「もったいない」。
あ、でも、「節約」の話をしたいわけじゃないんです。
この「もったいない」という言葉の奥に隠されている、もっと深くて温かい「ある感覚」。
それは、何かを「足す」ことで幸せになろうとするんじゃなくて、今「在る」ものに目を向けるという、とてもシンプルな視点の転換でした。
もしあなたが今、「毎日忙しくて、心がカサカサしてるな…」
「もっと穏やかな気持ちで毎日を過ごしたいな」
そう感じているなら、ぜひこの先も読んでみてください。
私がどうやってカオスな毎日から抜け出して、日常に「小さな平和」を見つけられるようになったのか。
そのヒントは、きっとあなたの生活にもすぐに取り入れられる、とっても簡単な「日本の知恵」なんです。
「もったいない」は、「ありがとう」の裏返しだった
さて、「起」の最後で、私がイライラ主婦から抜け出すキッカケが「もったいない」という言葉にあった、という話をしました。
「え、もったいない? それって、ご飯粒を残すなとか、電気をこまめに消せとか、そういう節約の話でしょ?」
って思った、そこのあなた。
半分正解で、半分、違います。
もちろん、節約やエコも大事。でも、私が気づいたのは、そのもっと、もーっと奥にある、日本人の「心」の部分なんです。
「もったいない」という言葉、英語にしようとすると、”What a waste!”(なんて無駄!)って訳されがちですよね。でも、この “Waste”(無駄)という言葉、なんだかすごく冷たくて、事務的な感じがしませんか? 「効率が悪い」とか「コストの無駄」みたいな。
でも、日本人が「あー、もったいない」って言う時って、そこにはもっと「感情」がこもってる。
そこには「あぁ、ごめんなさい」とか「あぁ、申し訳ない」みたいな、ちょっと切ない「心残り」のニュアンスがあるんです。
何に対して「申し訳ない」のか?
それは、そのモノの「背景」に対して、なんです。
私の「カオスな毎日」の中で、その「気づき」をくれた、ある日の実体験をお話ししますね。
あの日も私は、時間に追われていました。
夕飯の支度で、人参を3本、ものすごいスピードでピーラー(皮むき器)で剥いていたんです。ガッガッガッて。
早く終わらせたくて、皮をかなり「厚く」剥いていたんですね。まな板の上には、オレンジ色の皮が山盛り。
それを、何も考えずに手でかき集めて、シンクの三角コーナー(生ゴミ入れ)に「ポイっ」と捨てた瞬間。
なぜか、ふと、頭の中で近所の農家のおじいちゃんの顔が浮かんだんです。
いつも腰を曲げながら、畑で泥だらけになって野菜を育てている、あのおじいちゃんの顔。
(あ…)
って、手が止まりました。
(私、今、何を捨てたんだろう?)
これは、ただの「人参の皮」じゃない。
あのおじいちゃんが、何ヶ月もかけて、暑い日も雨の日も畑に出て、土を耕し、種をまき、雑草を抜いて、ようやく収穫した人参の「一部」だ。
そこには、おじいちゃんの「時間」と「労力」が詰まってる。
それだけじゃない。
この人参を育てるために、太陽の光が降り注ぎ、雨が土を潤してくれた。
この人参が、スーパーに並ぶまでには、運んでくれた人がいて、お店に並べてくれた人がいる。
そして、私が今こうして料理できるのは、夫が働いてくれた「お金」のおかげ。
その「ぜんぶ」を、私は今、「忙しいから」っていうたったそれだけの理由で、三角コーナーに投げ捨てた。
……なんてもったいないことをしたんだろう。
これって、おじいちゃんや、太陽や、運んでくれた人、その「すべて」に対して、ものすごく失礼なことをしたんじゃないか。
そう思った瞬間、「もったいない」という言葉の意味が、私の中でガラッと変わったんです。
「もったいない」 = モノを無駄にすること。
じゃなくて、
「もったいない」 = モノに込められた「時間」や「労力」や「命」を、無かったことにしてしまうこと。
そして、その「背景」にあるたくさんの働きに気づくことって、つまり、
「あぁ、私、こんなに色々なものに支えられて生きてるんだ」
って実感することですよね。
これって、つまり「感謝」じゃないですか?
そうなんです。
「もったいない!」と感じる心は、「ありがとう!」の裏返しだったんです。
日本には昔から、「いただきます」という言葉があります。
これは、食材そのものの「命」と、それを作ってくれた人への「感謝」を込めた言葉。
「あなたの命を、私の命にさせていただきます」という、ちょっとスピリチュアルな響きさえある、深い感謝の表現です。
でも、忙しい毎日の中で、私、すっかり忘れてたんですよね。
料理は「作業(タスク)」になっていたし、食材は「モノ(材料)」になってた。
だから、牛乳をこぼした子供に、あんなにイライラしたんです。
(こぼれた牛乳)+(床を拭く手間)+(私のイライラ)=「最悪!」って。
でも、もしあの時、「もったいない」の本当の意味をわかっていたら?
(あぁ、この牛乳、牛さんから分けてもらった命だ)
(酪農家さんが、朝早くからお世話してくれたおかげだ)
(それをこぼしちゃったのは、確かに「もったいない」な)
そう思えたら、子供への言葉は、
「なんで今なの!」じゃなくて、
「あーあ! もったいなかったね。牛さんに『ごめんなさい』だね。さ、一緒に拭こうか」
に、変わっていたかもしれない。
この「視点の転換」こそが、私の「心の平和」への第一歩でした。
「効率」や「スピード」ばかりを追い求めていると、私たちは「今、ここにあるもの」の背景を見失ってしまう。
足元にある「支え」に気づけなくなってしまう。
でも、「もったいない」というフィルターを通して世界を見てみると、
「あ、私、別に一人で頑張ってるわけじゃないんだ」
「こんなにたくさんのものに、助けられてるんだ」
って、気づくことができる。
人参の皮一枚から、私は「感謝する」っていう、人間として一番大事なことを、もう一度学び直した気がします。
これは、食べ物だけの話じゃありません。
例えば、時間。
子供が「ママ、あのね!」って話しかけてきてるのに、スマホを見ながら「うん、うん、あとでね」って流してしまう。
これって、子供が私と共有したがっている、その瞬間しかない「今」という時間を「もったいない」ことにしてる。
例えば、モノ。
子供が雑に扱って壊してしまったオモチャ。「もう捨てなさい!」って怒るんじゃなくて、「あー、もったいない。作った人が悲しむよ。一緒に直してみようか」って言えたら。
「もったいない」という言葉は、私たちを「消費する人」から「感謝する人」へと変えてくれる、魔法の言葉だったんです。
この「感謝の視点」を持つことは、実は、海外で注目されている「マインドフルネス(今、ここに集中すること)」や、心の平穏(Peaceful Existence)に、直結していると思いませんか?
ただ、この「もったいない精神」、わかったのはいいけれど、じゃあ具体的に、どうやって日々のカオスな生活の中で「実践」していけばいいの?
お説教みたいになっちゃったけど(笑)、大丈夫。
私が次に始めたのは、この「感謝の視点」を、どんなに忙しくても忘れないようにするための、とっても簡単な「ある習慣」だったんです。
カオスな日常で「ありがとう」を忘れない、たった一つの習慣
さて、「承」で私は、「もったいない」は「ありがとう」の裏返しだ!と、人参の皮を前に大発見(?)をしたわけです。
まるで「私は何も見失っちゃいないわ!」とばかりに、心機一転、穏やかな主婦になれる……
と、思いきや。
現実はそんなに甘くないんですよねー(笑)
頭ではわかったんです。「背景にある労力に感謝しよう」って。
でも、翌日の朝。
鳴り響くアラーム、寝ぼける子供、「ママ、水筒どこー!?」の叫び声、トーストの焦げる匂い…。
はい、カオスな日常、カムバーック!
もうね、脳みそが「タスク処理モード」に切り替わった瞬間、「人参の背景」なんて、宇宙の彼方に吹っ飛ぶんですよ。
結局、また効率重視で野菜の皮を厚く剥きそうになって、「あ、いかんいかん」と我に返る。
子供がジュースをこぼせば、「もったいない(感謝)」より先に、「チッ(舌打ち)」が出そうになる。
ダメだこりゃ、と。
「意識改革」なんて、忙しさの前では無力。
悟りを開いたお坊さんじゃないんだから、「常に感謝の心で」なんて無理ゲーすぎる。
私みたいな凡人主婦に必要なのは、「意識」じゃなくて「仕組み」だ。
どんなに忙しくても、どんなに眠くても、強制的に「感謝モード」に切り替わるスイッチ。
歯磨きみたいに、「やらないと気持ち悪い」レベルの「習慣」にしなくちゃダメなんだ。
そこで私が始めたのが、超シンプル、誰でも今すぐできる**「“いただきます”の儀式化」**です。
「え、いただきます? 日本人なら毎日言ってるけど?」
そうですよね。
でも、多くの人が言う「いただきます」って、ただの「食べ始めの合図」になってませんか?
私もそうでした。なんなら、子供に「はい、いただきますは!?」って怒るくせに、自分はスマホ見ながら片手で「(……ます)」みたいな(笑)。
それを、全部やめたんです。
そして、たった「10秒」だけ、ルールを決めました。
<私が決めた「10秒いただきます」の儀式>
- 料理が全部並んだら、スマホは机の(ちょっと手の届かない)向こう側に置く。
- 座って、両手を合わせる。(これは日本のオーソドックスなスタイル)
- 目を閉じる。(←これが最重要!)
- 「いただきます」と(心の中か、小さな声で)言う。
- そのまま10秒間、目の前の食事の「背景」を、一つだけでいいから想像する。
たったこれだけです。
例えば、今日の朝ごはんが「卵かけご飯と、お味噌汁」だったとします。
目を閉じて、10秒。
(この卵、鶏さんが産んでくれたんだよな…)
(このお米、農家さんが汗水たらして…)
(いや、そもそもこれを買えたのは、夫(or 私)が働いたお金のおかげだ)
(今朝、こうして家族で食卓を囲めてるって、実は奇跡じゃない?)
どれか一つでいいんです。
10秒で想像できる「ありがとう」のタネを、無理やり一つ見つける。
これを、最初は「儀式」として、ゲーム感覚で始めました。
「感謝の筋トレ」みたいなものです。
最初は「めんどくさ…」と思う日もありましたよ。
でも、不思議なもので、これを3日、1週間と続けていくうちに、私の中で確実に「変化」が起きたんです。
まず起きた変化は、「イライラの沸点が変わった」こと。
以前は、子供が牛乳をこぼしたら、「(怒)なんで今!」が0.1秒で出てきました。
でも、「いただきますの儀式」を始めてから、牛乳をこぼされた瞬間、第一声が
「あーあー! もったいない!(牛さんごめん!)」
に変わったんです。
怒る前に、「もったいない(=感謝の対象)」が先に頭に浮かぶようになった。
もちろん、片付けるのは面倒ですよ! 面倒ですけど、心のダメージが全然違う。
「(怒)なんで私の仕事増やすの!」っていう被害者意識から、
「(あちゃー)食べ物を粗末にしちゃったね」っていう、ちょっと一歩引いた視点になれたんです。
二つ目の変化は、「効率の呪縛」から解放されたこと。
以前の私は「時短・効率・コスパ」の鬼でした。
家事をいかに早く終わらせて「自分の時間」を作るか、そればかり考えてた。
でも、そうやって必死に捻出した「自分の時間」で、何をしていたかというと、結局スマホでSNSを見て、「あー、あの人いいな…」とか「これ買わなきゃ」とか、余計な情報に振り回されて、全然、心が休まってなかった。
でも、「感謝の筋トレ」が習慣になってくると、家事そのものへの向き合い方が変わったんです。
例えば、あの日以来、人参の皮は捨てずに「きんぴらごぼう」ならぬ「人参の皮きんぴら」にするようになりました。
これ、客観的に見たら「非効率」ですよね?
皮をわざわざ細く切って、炒めて、味付けして…。そんなの作るより、さっさと皮を捨ててメイン料理に集中した方が「時短」です。
でも、その「きんぴら」を作っている時の私、すごく「心が平和」なんです。
「あ、私、今、食材の命を使い切ってるな」
「捨てられるはずだった部分が、美味しい一品になるって、すごいな」
って、料理という「作業」が、「感謝の表現」に変わる。
これこそが、私が求めていた「Peaceful Existence(心の平和な存在)」そのものじゃないか!って気づいたんです。
効率化で得た「空っぽの時間」よりも、非効率でも「満たされた時間」の方が、よっぽど人生を豊かにする。
(しかも、結果的に食費の節約にもなるし、ゴミも減る。これぞ “efficient principles”(効率的な原則)の究極形かも!)
そして三つ目の変化。これが一番大きいかもしれません。
「私、このままでいいんだ」って思えるようになったこと。
以前は、SNSのキラキラした「丁寧な暮らし」と、自分のカオスな日常を比べて、勝手に落ち込んでいました。
「私はちゃんとした主婦じゃない」
「もっと効率よく、完璧にやらなきゃ」
って、ずっと自分にダメ出ししてた。
でも、「いただきますの儀式」を始めてから、比べる相手が「他人」じゃなくて、「昨日までの自分」と「食材や家族」に変わったんです。
「あ、昨日よりイライラしなかったな、私、えらい」
「今日もご飯が美味しい。ありがとう」
完璧なキャラ弁なんて作れない。部屋だって毎日ピカピカにはできない。
でも、そんなことはどうでもいい。
「今ここにあるもの」に「ありがとう」って気づける自分でいられれば、それで十分じゃん。
「もったいない」という、たった一つの日本の知恵。
それは、私を「タスクに追われる主婦」から、「日常に感謝を見つけられる主婦」へと、ゆっくりと、でも確実に変えてくれました。
この小さな「感謝の筋トレ」、最初は私一人でこっそり始めたんです。
でも、毎日やっているうちに、不思議なことが起きました。
いつもは「早く食べたい!」と騒いでいた子供たちが、私が10秒目を閉じているのを、静かに待つようになったんです。
そして、ある日。
下の子が、両手を合わせて、つたない発音でこう言いました。
「にんじんさん、つくってくれたひと、ありがとー!」
あなたの「心の平和」は、どこにありますか?
「にんじんさん、つくってくれたひと、ありがとー!」
リビングに響いた、たどたどしい下の子の声。
その瞬間、私は、自分がずっと探し求めていたものの答えが、全部そこにある気がしました。
私が血眼になって追い求めていた「効率」や「時短」の先には、心の平和はありませんでした。
イライラしながら家事を最短で終わらせて、空っぽの時間を作ること。それは、ただの「空白」であって、「平和」ではなかった。
私が本当に欲しかった「心の平和(Peaceful Existence)」。
それは、ピカピカに磨かれたキッチンにあるんじゃなくて。
完璧に管理されたスケジュール表にあるんでもなくて。
こうして、慌ただしい日常のど真ん中で、
こぼれた牛乳を「あーあ」と笑いながら拭けること。
人参の皮を「美味しくなーれ」と炒められること。
そして、目の前にいる子供の小さな「ありがとう」に、心から「そうだね」って微笑み返せること。
そういう、温かくて、ちょっと非効率で、でも「命」のやり取りを感じられる瞬間にこそ、あったんです。
あの日、牛乳をひっくり返されて怒鳴ってしまった私。
あの時の私は、すべてを「自分のタスク」として背負い込み、自分一人が世界中の忙しさを引き受けているような顔をしていました。
でも、「もったいない」という日本の知恵が教えてくれたのは、
「あなたは、一人じゃないよ」
「こんなにたくさんのものに、支えられてるじゃない」
という、シンプルな事実でした。
「もったいない」という言葉は、モノを無駄にするな、という意味だけじゃありませんでした。
それは、**「あなたの心を、無駄にしちゃいけないよ」**という、昔ながらの生活の知恵だったんです。
イライラや焦りで、心をすり減らしてしまうこと。
「やらなきゃ」に追われて、目の前にある「ありがとう」を見失ってしまうこと。
それこそが、人生で一番「もったいない」ことだったんです。
あなたの「心の平和」への道(Your Path to a More Peaceful Existence)
このブログを読んでくれているあなたは、日本に興味を持ってくれたり、海外の地で日本の良さを再発見したいと思ってくれている、素敵な方だと思います。
日本の文化の魅力は、美しい着物や、繊細な和食だけじゃない。
こんな風に、毎日の生活の中に溶け込んでいる「心の持ちよう」にも、素晴らしいヒントがたくさん隠されています。
もし、あなたが私のように、日々の忙しさの中で「心の余白」を失いそうになっているなら。
「なんだか最近、心から笑ってないな」と感じているなら。
私から、一つ**【挑戦状】**です!
難しいことは言いません。
今週、たった一週間だけでいい。
私が実践した「10秒いただきますの儀式」を、一日一食、試してみませんか?
目を閉じて、両手を合わせて、10秒。
目の前の食事の「背景」にいる、誰かや何かへ、心の中で「ありがとう」と言ってみる。
たったそれだけです。
あなたが感謝したのは、何ですか?
太陽の光? それとも、遠い国の農家さん?
それとも、それを買うために働いてくれた、誰かさん?
この「日本にヒントを得た感謝の習慣」を実践してみて、あなたの中にどんな「小さな変化」が起きたか、ぜひ観察してみてください。
そして、もしよかったら、その経験を下のコメント欄でシェアしてくれませんか?
「こんなことに感謝してみたよ!」
「イライラがちょっと減ったかも?」
「家族にこんな変化があった!」
なんでも構いません。
ここは、完璧な暮らしを目指す場所じゃありません。
不器用でも、カオスな毎日でも、その中で「ちょっと心の平和を見つけたい」と願う人たちが集まる、温かい**「コミュニティ」**にしたいんです。
最後に、もう一度だけ。
心の平和は、「効率」からではなく、「感謝」から生まれます。
一貫した、小さな小さな感謝の行動こそが、あなたの人生を深く、豊かに、そして穏やかなものにしてくれると、私は信じています。
完璧な主婦じゃなくてもいい。
効率的な毎日じゃなくてもいい。
私たちはもう、十分に支えられているんですから。
さあ、まずは今日の、次の食事から。
一緒に、美味しく「いただきます!」しませんか?
最後まで読んでくれて、本当にありがとう。
また次の記事で会いましょうね!
Ayaより

コメント