埃をかぶった「木の音」と、息子の前に立ちはだかる赤い壁
こんにちは!日本で主婦をしているYukiです。
皆さんの住んでいる国では、子供たちは放課後どんな遊びをしていますか?
デジタルゲームやYouTubeももちろん人気だけど、ここ日本では、ふとした瞬間に「昔ながらの知恵」が詰まった遊びが見直されることがあるんです。今日は、そんな我が家のある雨の日の午後、予期せぬドラマを生んだ「あるモノ」についてお話ししようと思います。
日本には四季があって、それぞれの季節に良さがあるんだけど、梅雨時や秋の長雨のシーズンはどうしても家の中で過ごす時間が増えちゃうよね。エネルギーを持て余した7歳の息子が、リビングのソファで退屈そうにゴロゴロしている姿は、万国共通の親の悩みなんじゃないかな(笑)。
「ねえママ、何か面白いことない?」
そう言われても、テレビゲームは時間を決めているし、新しいおもちゃをすぐに買い与えるのもちょっと違う。日本の主婦の間では、**「モノを大切にする(Mottainai)」**という精神や、あるもので工夫して遊ぶことが美徳とされる考え方が根強くあるんです。これは単なる節約術というよりは、限られた環境の中で楽しみを見つける「心の豊かさ」を育てるという、一種の人生哲学みたいなものかもしれません。
そんな時、ふと押し入れ(日本の家にある大きな収納スペースね!)の奥底に眠っていたある木箱のことを思い出したの。
私が子供の頃に使っていた、そして祖父から譲り受けた**「けん玉(Kendama)」**です。
知ってるかな? 十字状の木製ボディ(剣と皿)と、紐でつながった赤い玉。
これ、ただのおもちゃに見えて、実はすごいポテンシャルを秘めた道具なんです。最近ではストリートカルチャーとして海外でも「KENDAMA」としてクールに進化しているって聞いたことがあるけれど、本来は日本の子供たちが集中力や膝の使い方、そして「呼吸」を学ぶための伝統的な遊び道具。
「これ、やってみる?」
埃を払って息子に手渡すと、彼は不思議そうな顔でその木の塊を見つめました。
プラスチックでもない、電子音もしない。ただの木と糸。
でも、そのシンプルさが逆に新鮮だったのか、息子の目がキラッと光ったのを私は見逃さなかった。
「どうやるの?」
「この赤い玉をね、引っ張り上げて、このお皿に乗せるんだよ。簡単そうでしょ?」
私はあえて、一番大きなお皿「大皿(Ozara)」に乗せる基本技を見せてみました。
カチッ。
小気味良い木の音がリビングに響いて、赤い玉が見事に皿に収まる。
長年のブランクがあっても、体って覚えているものですね。この「カチッ」という音、日本家屋の静けさにとってもよく合うんです。なんだか心が整う音というか。
「すげー!僕もやる!」
息子が勢いよくけん玉を奪い取って、挑戦が始まりました。
でもね、ここからが「試練」の始まりだったんです。
けん玉って、見た目は地味だけど、実は物理法則と身体感覚の塊のような遊び。
ただ手で玉を投げ上げても、皿には絶対に乗らない。膝を柔らかく使ってクッションにし、玉の重さを感じながら、体全体で玉を迎えに行かなきゃいけない。
これって、日本の武道や茶道にも通じる**「道(Do)」**の精神、つまり「型(Kata)」の重要性を子供ながらに体感する最初のステップなんです。
案の定、息子はいきなり壁にぶつかりました。
ブンッ!……カツン(玉が剣に当たる音)。
ブンッ!……コロコロ(床に転がる音)。
「あれ? おかしいな」
最初は笑っていた息子も、10回、20回と失敗が続くと、明らかに表情が曇り始めました。
現代のゲームって、チュートリアルが親切で、最初の数分で「できた!」という快感をくれるように設計されていることが多いじゃないですか。でも、昔ながらの遊びは違う。
「習うより慣れよ(Narau yori nareyo)」 ——つまり、理屈よりも経験と反復練習で体得しろ、という厳しさがそこにはあるんです。
「もう! なんで乗らないんだよ!」
30回目くらいでしょうか。息子が苛立ちを露わにして、けん玉をソファに投げ出しそうになりました。
その顔には、期待していた「楽しさ」ではなく、思い通りにならない自分への「怒り」が浮かんでいました。
日本の母親として、ここでどう振る舞うか。これが結構難しいところなんです。
すぐに「こうやるのよ」と手取り足取り教えることもできる。
「難しかったね、やめようか」と慰めることもできる。
でも、日本には**「見守る(Mimamoru)」**という素晴らしい子育ての言葉があります。
直訳すると “Watch over” だれど、ニュアンスとしては「過干渉せず、でも関心を寄せながら、子供が自分で答えを見つけるのを信じて待つ」という、とても温かくて忍耐のいるスタンス。
私はキッチンで夕飯の下ごしらえをするフリをしながら、背中越しに息子の様子を感じていました。
彼の中で今、小さな葛藤が起きている。
「諦めるか」それとも「もう一度挑むか」。
カツン、カツン。
乾いた失敗の音が、雨の日のリビングに虚しく響く。
この音を聞いていると、なんだか人生そのものだなって思えてくるんです。
私たち大人だって、新しい仕事を始めた時や、海外で文化の違いに戸惑った時、何度も何度も「カツン、カツン」と壁にぶつかる音が心の中で響くことがあるでしょう?
「なんでうまくいかないんだろう」「自分には才能がないのかな」
そんな大人の悩みと、今、目の前で赤い玉と格闘している7歳の悩みは、スケールは違えど本質は同じ。
日本社会ではよく**「我慢(Gaman)」**という言葉が使われます。これは単に「耐える」という意味で捉えられがちだけど、ポジティブに捉えれば「目標のために粘り強くあること」や「感情をコントロールして状況に向き合う強さ」を意味します。
今、息子はまさにその「Gaman」の入り口に立っている。
でも、ただ我慢させるだけじゃ、面白くないし続かないよね。
ブログを読んでくれているママさんたちも、子供が癇癪を起こした時の対応には苦労しているはず。
「楽しくない努力」は子供にとって苦行でしかないから。
ふと、息子が叫びました。
「ママ、これ壊れてるんじゃない!? 玉が暴れるもん!」
道具のせいにする、出ました、典型的な反応(笑)。
でも私はここで、ちょっとした「視点の転換」を提案することにしたんです。
ただの「遊び」を、ちょっとした「プロジェクト」に変える魔法。
日本企業が世界に誇るあの概念、**「カイゼン(Kaizen)」**を、このリビングルームのお遊びに取り入れてみようかなって。
「壊れてないよ。でもね、その玉、生き物みたいに動くでしょ? 暴れん坊のペットを手懐けるみたいにしないとダメかもね」
私は包丁を置いて、もう一度息子の隣に座りました。
教えるんじゃなくて、一緒に研究する。
「先生」になるんじゃなくて、「研究パートナー」になる。
「ねえ、今の動き、あと1センチ右だったら乗ってたんじゃない?」
「今の膝の曲げ方、忍者みたいでカッコよかったよ。でも玉を見る目がちょっとよそ見してたかも?」
まだ成功の予兆は見えない。
ただ、息子の顔つきが「怒り」から「分析」へと少しずつ変わっていくのが分かりました。
赤い玉が描く放物線。
それは単なるおもちゃの動きではなく、息子が自分の身体と心をコントロールしようとする、小さな、でも確実な闘いの軌跡。
彼がこの後、どうやってこの「赤い壁」を乗り越えるのか。
そして、その先にどんな「Mastering Moment(習得の瞬間)」が待っていたのか。
それは、単に玉が皿に乗るという物理的な現象以上の、心震えるドラマだったんです。
「できない」を「できた」に変える、魔法の言葉と日本の「KAIZEN(改善)」
リビングには相変わらず雨音がBGMとして流れていて、時折、遠くでカエルの鳴き声が聞こえる。日本の梅雨はジメジメしていて嫌われることも多いけれど、家の中の空気を「しっとり」と落ち着かせてくれる効果もあるから、私は嫌いじゃありません。
でも、ソファの上の空気は、湿気とは別の理由で重たくなっていました。
「もうやめる! こんなの無理だもん!」
息子がついに、けん玉をカーペットの上に放り投げました。
赤い玉がコロコロと転がり、まるで「ここまでおいで」と挑発しているように見えます。
息子の頬は悔しさで膨らみ、目にはうっすらと涙が。
これこそが、現代っ子が直面する「アナログの洗礼」です。ボタン一つでリセットできない、課金しても強くならない。そこにあるのは、自分自身の身体能力と重力だけ。
さあ、ここが母親の腕の見せ所であり、日本流ライフハックの出番です。
私はキッチンから、冷たい麦茶(日本の夏の定番!)が入ったグラスを二つ持って、彼の方へ歩み寄りました。
「休憩タイム! まあ、一杯飲みなよ」
ふてくされながらも麦茶を一口飲んで、少しクールダウンした息子に、私はこう切り出しました。
「ねえ、パパが仕事の話でよく『カイゼン(Kaizen)』って言ってるの、聞いたことない?」
「カイゼン? 何それ、怪獣の名前?」
「ふふ、違うよ。漢字で書くと『改善』。これはね、悪いところを直すって意味だけじゃなくて、『今よりもっと良くするために、工夫し続けること』っていう、日本のすごい魔法の考え方なんだよ」
世界中の工場やビジネスで使われている “KAIZEN”。
これを7歳の子供の遊びに応用するなんて大げさかもしれないけれど、本質は同じ。
「失敗をただの失敗として終わらせず、次の成功のためのデータにする」 ということだから。
「さっき見てて思ったんだけど、失敗する時って、いつも同じ音がしてたの気づいた?」
「音?」
「そう。『カツン!』って硬い音。あれはね、玉と喧嘩してる音だよ」
私は床に転がっていたけん玉を拾い上げました。
ここからは、お説教ではなく「実験(Experiment)」の時間です。
「けん玉はね、手で取るんじゃないの。膝で取るんだよ」
日本には**「腰を入れる(Koshi wo ireru)」とか「膝を使う」**という身体操作の基本があります。武道でも、和太鼓でも、そしてお辞儀一つにとっても、下半身の安定と柔軟性がすべて。
ガチガチに固まった上半身(=執着心)を解き放つには、下半身のリズムが必要なんです。
「見ててね。イチ、ニ、サン!」
私は大げさに膝を曲げ伸ばしして見せました。
1で膝を曲げ、2で伸び上がる力を使って玉を引き上げ、3でもう一度膝をクッションのように柔らかく曲げて玉を受け止める。
カチッ。
さっきの「カツン!」という衝突音ではなく、吸い込まれるような優しい音。
「うわ、音が違う!」
息子の目が丸くなりました。
「でしょ? 膝がクッションになるから、玉が痛くないんだよ。これを『膝のクッション作戦』と名付けよう!」
子供って、「練習しなさい」と言われると嫌がるけれど、「作戦」とか「ミッション」と言われると途端に燃える生き物ですよね。
さらに私は、もう一つの日本的なエッセンス、**「言霊(Kotodama)」**の力を借りることにしました。
日本では古くから、言葉には魂が宿り、口に出したことが現実になると信じられています。
ネガティブな言葉はネガティブな結果を、ポジティブな言葉は幸運を引き寄せる。
「それとね、もう一つルール追加。『無理』『できない』は禁止ワードです。その代わりに、失敗したら『惜しい!(Oshii!)』って言うこと」
「オシイ?」
「そう、Almost! って意味。たとえ全然入らなくても、チャレンジしたことが偉いんだから、全部『惜しい!』なの。さあ、膝のクッション作戦、スタート!」
息子は半信半疑でけん玉を手に取りました。
最初はやっぱり、手だけでひょいと上げてしまう。
「カツン!」
「あ、無理……じゃなくて、惜しい!」
言い直す息子。その顔から、さっきまでの悲壮感が少し消えています。
「そうそう! 今のは膝が棒立ちだったから『惜しい』だったね。次は忍者みたいに膝をフニャフニャにしてみようか」
ここからの変化は、見ていて本当に興味深いものでした。
「膝、膝、膝……」とブツブツ呟きながら、彼は自分の身体と対話し始めました。
今まで「玉をどう皿に乗せるか(結果)」ばかり見ていた意識が、「自分の体をどう動かすか(プロセス)」にシフトしたのです。
これは日本の伝統芸事における**「守破離(Shu-Ha-Ri)」**の最初のステップ、「守(型を守る)」に近いかもしれません。
自己流を捨てて、まずは基本のフォームを真似る。
10分ほど経った頃でしょうか。
ブンッ。
玉が上がり、息子が深く膝を曲げました。
カポッ……コロン。
玉は大皿のふちに当たり、一瞬だけ止まってから落ちました。
「ああーー! 今、乗ってたよね!? 乗ってたよね!?」
「見た見た! すごい! 今の音、『カツン』じゃなかったよ! 『カポッ』だった!」
これです。この瞬間。
Show a clear, tangible improvement.(明確で具体的な改善を示す)
完全に成功したわけではない。でも、明らかにさっきとは違う「手応え」を彼自身が感じ取ったのです。
ただの偶然ではなく、自分のコントロール下で玉が反応した感覚。
「ねえママ、もう一回見てて! 今度は『呼吸』も使うよ!」
彼は、最近ハマっているアニメ(たぶん『鬼滅の刃』の影響かな?笑)の真似をして、「全集中……!」なんて言いながら、深く息を吸い込みました。
実はこれ、すごく理にかなっているんです。
日本には**「間(Ma)」**という概念があります。
動作と動作の間の静寂、タイミング。
呼吸を整えることで、その「間」が生まれます。
焦って闇雲に振り回していた時は、この「間」がなかった。
でも今は、玉が一番下で静止するのを待ち、呼吸を整え、膝を沈める……その一連の流れに、独特のリズムが生まれていました。
それはもはや、ただの遊びではなく、小さな**「パフォーマンス」**のようでした。
「よし、次は『もしかめ』のリズムでやってみる!」
『もしかめ』とは、「もしもし亀よ〜♪」の童謡に合わせて大皿と中皿を交互に乗せる技のことですが、もちろんまだ彼には早すぎます。
でも、彼はその歌のリズムだけを借りて、膝を上下させ始めました。
「もーし、もーし、かめよー……えいっ!」
ブンッ。
玉が真上にまっすぐ上がりました。
さっきまではあっちこっちに暴れていた赤い玉が、まるで目に見えないレールの上を通っているかのように、スッと垂直に上昇したのです。
これは、まぐれじゃない。
彼の中で何かが「繋がった」瞬間でした。
脳からの指令が、筋肉に正しく伝わり、道具へと伝播する。
その回路が開通したのが、見ている私にもはっきりと分かりました。
「惜しい! 玉がちょっと回転してたから乗らなかったけど、高さは完璧!」
私がそう声をかけると、彼はニカっと笑って、汗ばんだおでこを拭いました。
「なんかさ、玉がゆっくり見えるようになった気がする」
スポーツ選手がよく言う「ゾーンに入った」状態に近いのかもしれません。
あるいは、禅でいうところの**「無心(Mushin)」**。
結果への執着を手放し、ただ目の前の行為に没頭することで、逆にパフォーマンスが上がるというパラドックス。
日本の子供たちは、こうやって遊びの中で無意識に「精神統一」の入り口に触れているのかもしれません。
掃除の時間に雑巾掛けレースをするのも、給食当番で均等に盛り付けるのも、すべては「型」と「集中」のトレーニング。
けん玉もその一つ。
「ママ、僕、絶対に今日中に乗せるから。ご飯の時間まで待ってて」
さっきまで「やめる」と泣き言を言っていた子が、今は自分から期限(デッドライン)を設定して、目標に向かおうとしている。
この「やらされている」から「やりたい」への変化こそが、KAIZENの真髄であり、最大の成果です。
そして、その時は突然訪れようとしていました。
夕食の支度をする包丁の音がトントンと響く中、リビングの空気がふっと変わったのを肌で感じました。
あの「カチッ」という音が響く一瞬前の、張り詰めたような静寂。
雨足が少し弱まり、雲の切れ間から夕日が差し込んできた、ちょうどその時です。
静寂を破る乾いた音、そして訪れた「その瞬間」の奇跡
リビングの窓の外、しとしとと降り続いていた雨が上がり、雲の隙間から夕焼けのオレンジ色が差し込んできた頃。
家の中には、出汁(Dashi)の香りが漂い始めていました。
日本の家庭の夕方といえば、お味噌汁の香り。この匂いを嗅ぐと、大人も子供もふっと肩の力が抜ける、そんな魔法のアロマです。
私はキッチンのカウンター越しに、まだけん玉と向き合っている息子の小さな背中を見ていました。
正直に言うと、もう飽きてYouTubeを見ているかと思っていました。
でも、彼はやめなかった。
「イチ、ニ、サン……」
小さな呟きと共に、膝がリズムよく沈み込む。
1時間前の、怒りに任せてブンブン振り回していた姿はそこにはありません。
そこにあったのは、まるで小さな修行僧のような、静かで鋭い集中力でした。
日本文化には**「静寂(Seijaku)」**の美学があります。
茶道でお茶を点てる音、弓道で矢が放たれる瞬間、そして書道で筆が紙を滑る音。
音のない空間にこそ、最大のエネルギーが満ちている。
息子の周りにも、まさにその「静寂」のオーラが漂っていました。
私が大根を切る手を止めた、その時です。
「カチッ!」
それは、今まで聞いてきた失敗音(プラスチックのような軽い音や、鈍い衝突音)とは明らかに違う音でした。
硬質な木と木が完璧な角度で噛み合った時にだけ鳴る、高く、短く、そして美しい音。
まるでパズルの最後のピースがハマったような、快感の響き。
時が止まりました。
本当に、スローモーションのように。
息子は動かない。
赤い玉は、まるで最初からそこにあったかのように、大皿の上にちょこんと鎮座しています。
微動だにしません。
Capture genuine surprise and delight on the child’s face.(子供の顔に浮かぶ、純粋な驚きと喜び)
息子の目が、これ以上ないほど大きく見開かれました。
自分の手元と、私の顔を、交互に二度見、三度見する。
「え? 入った? 本当に入ってる?」
信じられないという表情。
そして次の瞬間、彼の顔がくしゃくしゃになり、満面の笑みが爆発しました。
「ママーーーーッ!! 見て!! 見てーーーッ!!」
彼はけん玉を乗せたまま、そろりそろりと、でも心は全力疾走で私の方へ歩み寄ってきました。
まるで、壊れやすい宝物を運ぶように。
膝はまだ少し震えている。
「やった! ついに乗った! KAIZEN成功だ!」
「すごい! すごいよ! 本当に乗ってる!」
私も思わず駆け寄って、彼を抱きしめそうになりましたが、「ああっ、揺らさないで! 落ちちゃう!」と制止されました(笑)。
その赤い玉は、彼にとってただのボールではなく、1時間半の苦闘の末に手に入れた「トロフィー」そのものだったのです。
でも、この物語の「転(Twist)」は、ここからなんです。
ただ「できた、よかったね」で終わらなかった。
ここから、彼の中で予期せぬスイッチが入ったのです。
Demonstrate how the skill can be incorporated into everyday play or a mini-performance.(そのスキルが日常の遊びやミニパフォーマンスにどう組み込まれたか)
「ママ、ちょっと待ってて。パパが帰ってきたら『発表会』をするから」
発表会(Happyokai)?
彼は急に忙しなく動き始めました。
散らかっていたクッションを端に寄せ、リビングの中央にスペースを作る。
そして、おもちゃ箱からサングラス(なぜ?)と、お祭りで買った法被(Happi coat)を引っ張り出して着込みました。
彼なりの「正装」なのでしょう。
ただの「遊び」が、彼の中で「パフォーマンス」へと進化した瞬間でした。
ガチャ。
玄関が開く音。「ただいまー」と疲れた声で夫が帰宅しました。
「パパ! 座って! 今からショーが始まります!」
夫は何が何だか分からないまま、とりあえずソファに座らされます。
リビングの照明を少し暗くして、私が懐中電灯でスポットライト係をやらされる羽目に(笑)。
「レディース・アンド・ジェントルマン! 見てください!」
息子はリビングの中央に立ち、深呼吸を一つ。
そして、私たちが練習した通り、いや、それ以上に堂々とした所作を見せました。
- 礼(Rei): まず深々と一礼。武道の基本、「礼に始まり礼に終わる」をどこで覚えたのか。
- 構え(Kamae): 足を肩幅に開き、膝をリラックスさせる。
- アクション: 「イチ、ニ……」のリズムで膝を使い、赤い玉をフワリと引き上げる。
正直、私はドキドキしていました。
さっきのはマグレだったかもしれない。失敗したら泣いちゃうかな?
でも、彼は違いました。
玉が空中に上がった瞬間、彼の手元を見る目が、さっきまでの「不安な目」ではなく、「確信を持った目」になっていたのです。
玉の軌道を完全に予測できている目。
カチッ。
二度目の成功。
しかも、さっきよりもスムーズに、吸い込まれるように皿に乗りました。
「おおーーっ!!」
夫が思わず拍手喝采。
息子は皿に乗った玉を私たちに見せつけながら、最後にビシッとポーズを決めました。
その顔には、数時間前の自信なさげな少年の面影はなく、何か大きな壁を自分の力で乗り越えた人だけが持つ、誇らしげな輝きがありました。
日本には**「残心(Zanshin)」**という言葉があります。
剣道などで一本を取った後も、油断せず、心を残して相手を注視する姿勢のこと。
息子が玉を乗せた後、すぐに喜んで飛び跳ねるのではなく、一瞬グッとポーズをキープしたのは、まさに無意識の「残心」でした。
その姿が、なんだか急に大人びて見えて、私はファインダー越し(慌ててスマホで動画を撮り始めたので)に少し涙ぐんでしまいました。
「どう? 僕の『膝クッション作戦』、すごいでしょ?」
得意げに話す息子。
「すごいな! いつ練習したんだ?」と驚く夫。
その後、夕食のテーブルでも、けん玉は主役でした(さすがにテーブルの上には置きませんでしたが、横に大事そうに置いてありました)。
息子は箸を持ちながら、「お味噌汁を飲む時も、膝を使うとこぼれないかもね!」なんてジョークを飛ばすほどご機嫌。
驚いたのは、その後の行動です。
「ねえママ、この技、名前つけていい?」
「いいよ、どんな名前?」
「うーん……『ライジング・サン(昇る太陽)』!」
「かっこいい!」
彼は、単に技を習得しただけでなく、それを自分の世界に取り込み、名前をつけ、演出を加え、遊びの一部として完全に消化していました。
Show a clear, tangible improvement in the child’s execution of the skill.(子供のスキル実行における明確で具体的な改善を示す)
ただ玉を乗せるだけの動作が、彼にとっては物語のある必殺技になったのです。
さらに、「明日は学校から帰ったら『中皿(Chuzara)』の練習をする。中皿は『ムーン・ランディング(月面着陸)』って名前にするから」と、もう次の目標を立てている。
「できない」という壁にぶつかり、道具のせいにし、一度は投げ出した。
でも、視点を変えて(KAIZEN)、言葉を変えて(Kotodama)、身体の使い方を変えたら、世界が変わった。
その小さな成功体験が、彼に「僕は、練習すればできるようになるんだ」という強烈な自己効力感(Self-efficacy)を植え付けたのです。
日本の狭いリビングで起きた、本当に些細な出来事。
でも、その「カチッ」という音は、彼の心の中で何かが開花する音だったのかもしれません。
さて、この予期せぬ勝利は、翌日以降の私たちの生活にどんな余韻を残したのでしょうか?
最後に、この小さなドラマから私が学んだ、人生を豊かにする「和の知恵」をまとめて終わりたいと思います。
成功体験が日常に溶け込むとき、それは「自信」という名の翼になる
嵐のような、でも輝かしい「けん玉ショー」から一夜明けた朝。
キッチンのテーブルには、いつものトーストとスクランブルエッグ、そしてその横には、誇らしげに置かれた「けん玉」がありました。
昨日までは「敵」に見えていた木の塊が、今ではすっかり彼の「相棒(Aibou)」のような顔をして鎮座しています。
「ママ、行ってきます! 帰ったらまた『月面着陸』の練習するからね!」
ランドセルを背負って家を出ていく息子の背中は、昨日よりもほんの少しだけ大きく、頼もしく見えました。
たかがおもちゃ、されどおもちゃ。
あの一つの「カチッ」という音が、彼の中で何かを劇的に変えたのです。
今回はシリーズ最終回。
この小さな「Mastering Moment(習得の瞬間)」が、私たち親子に何を残してくれたのか。そして、日本の知恵が教える「人生の楽しみ方」についてお話しして締めくくりたいと思います。
1. 「七転び八起き」の本当の意味
日本には有名なことわざがあります。
「七転び八起き(Nanakorobi Yaoki)」。
7回転んでも、8回起き上がればいい。つまり、何度失敗しても諦めずに立ち上がる不屈の精神を表す言葉です。
でも、今回のけん玉体験を通じて、私はこの言葉の「本当の深み」に気づきました。
ただ機械的に起き上がるだけじゃダメなんです。
息子は、転ぶたびに(失敗するたびに)、「なんで落ちたんだろう?」「膝が硬かったかな?」「呼吸が早すぎたかな?」と、転んだ理由を考えながら起き上がっていました。
転ぶたびに何かを掴んで立ち上がる。
これこそが、本当の意味での「KAIZEN」であり、成長なんですよね。
その効果は、驚くほど早く他の場面にも現れました。
その日の午後、宿題の算数ドリルをやっていた時のことです。
いつもなら難しい問題にぶつかると「わかんない! 教えて!」とすぐに投げ出していた彼が、鉛筆を回しながら独り言を言っていたんです。
「うーん……これ、計算間違いじゃないな。式の立て方が『惜しい』のかも」
聞き覚えのある言葉ですよね(笑)。
彼は、私が教えた魔法の言葉**「惜しい(Oshii)」を、算数にも応用していたんです。
「できない」とシャッターを下ろすのではなく、「正解に近いところにいるけど、アプローチが少し違うだけ」と捉える。
この「マインドセットの転換」**こそが、今回の最大の収穫でした。
2. 「道(Do)」としての遊び 〜プロセスを愛する心〜
日本文化の多くには「道(Do)」という言葉がつきます。
柔道(Judo)、剣道(Kendo)、茶道(Sado)、書道(Shodo)。
これらは単なるスポーツや技術ではなく、その行為を通じて人間形成を目指す「修行の道」であることを意味しています。
私は、彼がけん玉を通じて、無意識のうちにこの「道」の入り口に立ったんじゃないかなって思います。
**「けん玉道(Kendama-do)」**とでも言いましょうか。
結果(玉が入ること)も大事だけど、そこに至るまでの呼吸、姿勢、心の整え方、道具を大切にする気持ち。
それらすべてが繋がっていると肌で感じた経験は、将来彼がどんな壁にぶつかったとしても、きっと「乗り越えるためのヒント」になるはずです。
「ママ、パパはまだ膝が硬いよね。もっとリラックスしないとダメだよ」
夜、仕事から帰ってきた夫に熱血指導をする息子(笑)。
教える立場になることで、彼の理解はさらに深まっていきます。
「教うるは学ぶの半ば(Oshiuru wa manabu no nakaba)」 —— 人に教えることは、自分にとっても半分の学びになる。
リビングが、家族みんなの小さな道場(Dojo)になったみたいで、なんだか温かい気持ちになりました。
3. 主婦Yukiの気づき 〜「待つ」という愛情〜
そして、私自身もまた、この体験から大きな学びを得ました。
それは**「信じて待つこと」**の難しさと尊さです。
親って、ついつい先回りして障害物を取り除いたり、正解を教えたくなっちゃう生き物ですよね。
「こうすれば入るよ」と言ってしまえば、楽だし早い。
でも、もしあの時、私が手取り足取り教えてしまっていたら、あの爆発的な笑顔と「できた!」という自信は生まれなかったでしょう。
彼が自分で試行錯誤し、イライラし、それを乗り越えるまでの「時間」を奪わなくて本当によかった。
日本の育児用語に**「自己肯定感(Jiko-kouteikan)」**という言葉があります。Self-affirmation や Self-esteem に近い言葉です。
これは「自分は大切な存在だ」「自分ならできる」と自分自身を認める感覚のこと。
この感覚は、人から褒められることよりも、今回のように「自分の力で何かを成し遂げた」という実体験(原体験)からこそ、強く深く育まれるものなのだと実感しました。
4. 終わりに:あなたにとっての「けん玉」は何ですか?
長いブログにお付き合いいただき、ありがとうございました!
今回、たまたま押し入れから出てきた古いおもちゃが、私たち家族に「あきらめない心」と「工夫する楽しさ」を思い出させてくれました。
デジタルな時代だからこそ、こういったアナログな「手触りのある成功体験」が、子供たちの心に深く刻まれるのかもしれません。
皆さんの日常の中にも、そんな瞬間はありませんか?
お子さんが、あるいはあなた自身が、何か小さな壁を乗り越えて「Unexpected Triumph(予期せぬ勝利)」を手にした瞬間。
それは、新しい料理のレシピがうまくいった時かもしれないし、苦手だったヨガのポーズができた時かもしれない。
どんなに小さなことでも、そこには必ず**「KAIZEN」**のストーリーがあり、自分だけのドラマがあります。
もしよければ、コメント欄で皆さんの「Mastering Moments」を教えてください。
日本の片隅から、皆さんの日々の小さな挑戦を応援しています!
それでは、また次の記事でお会いしましょう。
Yukiでした!

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