あふれかえる通知と「余白(Ma)」の喪失
〜なぜ私たちはデジタルのゴミを溜め込むのか〜
こんにちは!日本に住んでいる主婦のブログへようこそ。
今日もこちら日本は、四季の移ろいが美しい穏やかな一日……と言いたいところなんだけど、現実はちょっと違うのよね。
私の朝は、優雅に抹茶を点てる音ではなく、スマートフォンのバイブレーションの音で始まるの。
皆さんもそうじゃない? ベッドの中で目を覚まして、最初に手に取るのがスマホ。画面を明るくした瞬間に目に飛び込んでくるのは、未読メールの山、山、山。「50%オフのクーポン期限が迫っています!」「あなたの注文の確認」「ニュースレター:今週のトップ記事」……。
まだ布団から出てもいないのに、頭の中だけはもう満員電車に乗せられたような気分。日本の朝のラッシュアワー、見たことあるかな? あの「寿司詰め」状態が、私の脳内でも起きている感じ。
ここ日本には、古くから大切にされている**「間(Ma)」**という概念があるの。
これは英語で説明するのが少し難しいんだけど、”Negative Space” や “Empty Space” に近いかな。でも、単に「何もない」っていう意味じゃないの。
例えば、日本の水墨画を見てみて。描かれている対象物(例えば梅の木)と同じくらい、あるいはそれ以上に「描かれていない白い余白」が重要視されているでしょ?
その余白があるからこそ、描かれているものが引き立つし、見る人の想像力が入り込む隙間が生まれる。
私たちの生活空間もそう。日本家屋にある「床の間(Tokonoma)」は、掛け軸や花を飾るための聖域のような場所だけど、そこには余計なものを置かない。その空間がスッキリと整っていることで、部屋全体に凛とした空気が流れるの。
「整う(Totonou)」という言葉、最近の日本ではサウナ用語としても流行っているけれど、本来は心や場が調和して乱れがない状態を指す素敵な言葉なんです。
でもね、現代の私たちのデジタルライフはどうだろう?
私のメールの受信箱(Inbox)を見てみると、「間」なんてこれっぽっちもない!
床の間に、読み終わった古新聞や、いつか使うかもしれない割引券、近所のスーパーのチラシを山積みにしているようなものよ。そんな部屋にお客さまを招ける? ううん、自分自身だってくつろげないわよね。
日本には**「もったいない(Mottainai)」**という精神があることは、海外の皆さんもご存知かもしれない。
物を大切にする、無駄にしないという素晴らしい精神。私も子供の頃から、お米一粒も残さず食べるように教わって育ちました。
でも、この「もったいない」精神が、デジタル世界では悪さをしてしまうことがあるの。「このメルマガ、いつか役に立つかも……」「このクーポン、捨てたら損かも……」。
そうやって「いつか」のために情報を溜め込みすぎると、今度は私たちの「時間」と「心の平穏」が、ものすごく「もったいない」ことになってしまう。これって皮肉だと思わない?
先日、ある出来事があったの。
久しぶりに海外に住む友人からメールが届いていたらしいんだけど、私はそれに気づくのに3日もかかってしまった。なぜかって?
それは、彼女からの大切なメッセージが、何十通もの「セールのお知らせ」や「SNSの通知」というデジタルの雑草の中に埋もれてしまっていたから。
大切な友人からの便りを見逃した自分に、すごく自己嫌悪を感じたわ。
「私は一体、何を大切にしているんだろう?」って。
日本には**「断捨離(Danshari)」**という片付けの哲学があります。
- 断(Dan):入ってくる不要なものを断つ
- 捨(Sha):家にある不要なものを捨てる
- 離(Ri):物への執着から離れる
これはヨガの行法哲学に基づいているんだけど、今の私の受信箱にこそ、この断捨離が必要だと痛感したの。
家の中が散らかっていると、心も散らかる。これは真実。
そして現代においては、「受信箱が散らかっていると、人生の優先順位がわからなくなる」というのもまた、新しい真実なんだと思う。
私たちは毎日、何千もの情報にさらされている。
「これを知らないと遅れるよ」「これを買わないと損するよ」という無言のプレッシャー。
でも、日本の禅(Zen)の教えでは、**「知足(足るを知る)」**という言葉があるの。今の自分に必要なものは、もうすでに十分持っていると知ること。
情報の海に溺れている私たちは、もっと情報を得る(Add)ことではなく、情報を削ぎ落とす(Subtract)ことでしか、心の平穏を得られないんじゃないかしら。
日本の茶室(Tea room)を想像してみて。
狭くて、薄暗くて、窓も小さい。必要最小限のものしかない空間。
でも、だからこそ、そこで点てられる一杯のお茶の香り、お湯が沸く音、そして主客の会話に、全神経を集中させることができる。あそこは、世界で一番豊かな「情報のない空間」なのかもしれない。
私の目指す「Serene Inbox(静寂な受信箱)」は、まさにこの茶室のようなもの。
必要なメールだけが届き、一つ一つのメッセージに心を込めて向き合える場所。
「そんなの理想論だよ」って思う?
毎日仕事や家事に追われている私たち主婦に、そんな優雅なことはできないって?
私も最初はそう思っていたわ。
でもね、これは単なる「メール整理」の話じゃないの。
これは、自分の人生における「結界(Kekkai)」を張る作業なのよ。
「結界」っていうのは、神社やお寺にある、聖域と俗界を分ける境界線のこと。
デジタルの洪水から自分の心を守るために、自分だけの結界を張る。
誰でも彼でも自分のテリトリー(受信箱)に入れない。
自分の時間は自分のものだと、高らかに宣言する。
そのためには、少しの勇気と、具体的なテクニックが必要になってくる。
日本人が得意な「空気を読む」ことは、この際やめましょう。
デジタルの世界では、空気を読んで「とりあえず登録しておく」「解除したら悪いかな」なんて思う必要はないの。
もっとドライに、もっと戦略的に。
まるで侍(Samurai)が刀を研ぐように、受信箱を研ぎ澄ませていくの。
これからお話しするのは、私が実践してみた「デジタル断捨離」の具体的なステップ。
特に、「Practical Steps for a Serene Inbox」として海外でも注目されているメソッドを、日本の主婦の視点で解釈し直して実践してみた記録です。
- Unsubscribing ruthlessly(容赦なく登録解除する)
- Leveraging automation(自動化を活用する)
- Batching email responses(返信をまとめて行う)
これらのカタカナ言葉の響きだけ聞くと、なんだか冷たくてビジネスライクに聞こえるかもしれない。
でも、実際にやってみると気づくの。
これは、自分自身を大切にするための「おもてなし(Omotenashi)」であり、相手に対する誠意(Sincerity)の表れでもあるんだって。
どういうことかって?
余計なメールがなければ、本当に大切な人への返信に時間をかけられるでしょ?
自動化できることは機械に任せれば、私たちはもっと人間らしいこと(例えば、子供の話を聞くとか、季節の花を飾るとか)に時間を使える。
つまり、デジタルツールを使いこなすことは、より人間らしく、日本的な「丁寧な暮らし」を取り戻すための現代の修行(Practice)なのかもしれないわね。
私の受信箱が、まるでゴミ屋敷のような状態から、枯山水(Karesansui)の石庭のようにスッキリと整うまでの道のり。
決して難しいことじゃないの。
必要なのは、「変えたい」という小さな決意と、ほんの少しのルールだけ。
さあ、お茶でも飲みながら、一緒にデジタルの大掃除を始めましょうか。
準備はいい?
まずは、その手に持っているスマホの「通知」の意味を、根本から変えていくところからスタートしましょう。
容赦なき「1分ルール」と自動化の魔法
〜義理と人情をデジタルに持ち込まない〜
さて、前回の記事で「受信箱は心の床の間だ」なんてちょっと格好いいことを言ったけれど、じゃあ実際にどうやってその床の間を片付けるの? という話よね。
ここからは、私が実際にやってみて効果絶大だった具体的なステップをお話しします。
でもその前に、私たち日本人がデジタル断捨離をする時に、どうしてもぶつかってしまう「心の壁」について触れておかないといけないわ。
それは、「義理(Giri)」と「人情(Ninjo)」。
海外の皆さんも聞いたことがあるかしら?
日本社会の潤滑油とも言えるこの概念。「お世話になった人には礼を尽くす」「相手の気持ちを推し量る」……。
これ自体は本当に美しい文化なの。でもね、メールの受信箱において、この「義理」は最大の敵になってしまうのよ。
例えば、一度名刺交換しただけの方から送られてくるメルマガ。「解除したら失礼かな?」
昔よく行っていたけど最近はご無沙汰なオンラインショップのお知らせ。「いつかまた買うかもしれないし、縁を切るのは悪い気がする……」
年末年始に送り合う「年賀状(Nengajo)」を想像してみて。毎年、「今年こそはやめようかな」と思いつつ、相手から来たら返さなきゃ悪いと思って、結局ズルズル続けてしまう……あのアリ地獄のような感覚!
あれと同じことが、毎日の受信箱でも起きているの。
だからこそ、最初のステップは**「Ruthless(無慈悲)」**になること。
日本語で言うと「心を鬼にする」ってやつね。
デジタルなゴミに対して、仏のような慈悲の心を持つ必要はありません。だって相手は自動送信プログラムなんだから!
ステップ1:容赦なき「登録解除」と「1分ルール」
私が最初に取り入れたのは、欧米のライフハックでよく言われる**「1-minute rule(1分ルール)」**。
これは本来、「1分で終わるタスクなら、後回しにせず今すぐやる」というものなんだけど、私はこれをメルマガの選別にこう応用したの。
「タイトルを見て1分以内に中身を読みたくならなければ、即・登録解除(Unsubscribe)!」
これ、最初はすごく勇気がいったわ。「Unsubscribe」のボタンを押すたびに、なんだか相手に「絶交状」を叩きつけているような罪悪感がチクリとしたの。
「せっかく書いてくれたのに」「お得な情報かもしれないのに」って。
でもね、考えてみて。
開封もしないメールを送り続けられる相手(サーバー)にとっても、それは無駄なリソースでしょう?
日本の「三方よし(売り手よし、買い手よし、世間よし)」の精神でいけば、興味のないメールを受け取り続けることは、誰のためにもなっていないのよ。
私はある日曜日の朝、コーヒー片手に「Unsubscribe祭り」を開催したの。
ショップのセール情報、読んでいないニュースレター、ログイン通知……。
「ごめんなさい、今までありがとう、さようなら!」
心の中でそう唱えながら、ひたすら解除ボタンをクリックし続けたわ。
まるで、庭に生い茂った雑草を抜く作業に似ているかも。
最初は面倒だけど、抜いた後の地面が見えてくると、なんだか心がスッキリしてくる。
日本庭園の美しさは、庭師さんが毎日毎日、不要な葉を落とし、苔を整えているからこそ保たれているの。
私たちの受信箱も同じ。手入れをしなければ、すぐに雑草(スパムや不要なメール)で埋め尽くされてしまう。
「Unsubscribe」ボタンは、私たちが美しいデジタル庭園を保つための、切れ味鋭い「剪定バサミ」なのよ。
ここで大事なのは、**「迷ったら捨てる」こと。
こんまり(Marie Kondo)さんの「ときめき(Spark Joy)」を思い出して。
その件名を見て、心がときめく? ワクワクする?
もし「うーん、まあ一応……」という程度なら、それは今のあなたには必要ないもの。
日本には「縁(En)」**という言葉があるけれど、本当に必要な縁なら、一度手放しても必ずまた別の形で繋がるものよ。
だから、恐れずに手放して大丈夫。
ステップ2:自動化(Automation)とスマートフィルターの活用
さて、雑草を抜き終わったら、次は「そもそも雑草が生えにくい環境」を作る番。
ここで登場するのが、**「Automation(自動化)」と「Smart Filters(スマートフィルター)」**です。
「自動化」なんて聞くと、なんだか冷たくて機械的な響きがする?
でも、私はこれを**「現代のからくり(Karakuri)」**と呼んでいるの。
江戸時代、日本には「からくり人形」という精巧な自動人形があったわ。お茶を運んでくれたり、矢を射たり。
あれは、人の労力を減らし、生活を楽しませるための知恵と技術の結晶だった。
メールのフィルター機能も、まさに現代の優秀な「からくり人形」や「番頭さん(Banto – ヘッドクラーク)」のようなもの。
私が設定している「からくり」のいくつかをシェアするわね。
- 「お買い物」専用の裏口を作るAmazonや楽天からの発送通知、領収書メール。これらは大切だけど、今すぐ読む必要はないし、人生を変えるようなメッセージでもない。だから、これらが届くと同時に「Inbox(受信箱)」をスキップして、勝手に「Orders/Shopping」というフォルダに入るように設定したの。これは、日本の家の**「勝手口(Katte-guchi)」**のようなもの。お酒屋さんや御用聞きさんが入ってくる裏口。正式な玄関(Inbox)は、大切なお客様(友人や仕事の重要連絡)のためだけに空けておくの。
- ニュースレターは「週末の楽しみ」にどうしても読みたくて残したお気に入りのメルマガたち。これらも平日の忙しい時間に届くとただのノイズになってしまう。だからこれもフィルターで「To Read Later」フォルダに直送。そして週末の朝、ゆっくりとお茶を飲みながらまとめて読むことにしたの。こうすることで、ただの情報の羅列が、**「読み物(Yomimono)」**としての価値を取り戻すのよ。
- 「Unsubscribe」という言葉を逆手に取るこれはちょっとした裏技(Life hack)。本文に「Unsubscribe」や「配信停止」という言葉が含まれているメールは、ほぼ間違いなく自動配信のメルマガやプロモーションよね?だから、この単語が含まれるメールは全て「Low Priority(低優先)」のラベルがつくように設定してみたの。これだけで、受信箱の中の「人間が書いたメール」と「機械が書いたメール」が一目瞭然になったわ。
こうやってフィルターを設定していく作業は、まるで**「重箱(Jubako)」**におせち料理を詰めている時の気分。
一の重には祝い肴、二の重には焼き物……と、決まった場所に決まったものを美しく収めていく。
混ざり合わないから美しいし、何がどこにあるかすぐにわかる。
自動化やフィルターを使うことは、手抜きじゃないの。
むしろ、自分が入ってくる情報に対して**「お行儀(Manners)」を求めているということ。
「あなたはこっちの部屋で待っていてね」「あなたは急ぐからすぐ通してあげる」
そうやって情報の交通整理をしてあげることは、自分自身の脳に対する「おもてなし(Omotenashi)」**でもあるのよ。
私たちの脳の処理能力には限界がある。
日本には**「キャパオーバー(Capacity Over)」**なんて和製英語もあるけれど、まさに現代人は常にキャパオーバー状態。
だからこそ、テクノロジーの力を借りて、脳のメモリを節約する。
「メールを見逃したかも」という不安を、仕組み(System)で解消する。
フィルターを設定し終えた後の受信箱を見た時、本当に感動したわ。
朝起きても、通知がほんの数件しかない。
しかもそれは、本当に私が目を通すべき、大切な連絡だけ。
まるで、早朝の神社の境内に立っているような清々しさ。
そこには、騒がしい宣伝の声も、焦らせるような通知音もない。
ただ、静寂と、必要な言葉だけがある。
「便利にする」だけじゃない。「静けさを作る」ためのテクノロジー。
これこそが、禅の国・日本に住む私たちが目指すべきデジタルの付き合い方なんじゃないかしら。
でも、ここまで整えてもまだ一つ問題が残るわよね。
そう、届いたメールにどう「返信」するか。
即レスが正義? それとも……?
次回は、時間を区切ることで生まれる集中力と、メール返信における「一期一会」の精神についてお話しします。
「Batching(まとめ処理)」こそが、現代の茶道に通じる道だったなんて、信じられる?
「返信まとめ」は茶道の作法?
〜時間を区切ることで生まれる一期一会の集中力〜
ここまで、不要なメールを捨て(Unsubscribe)、入ってくるメールを自動で振り分ける(Automation)方法をお話ししてきました。
受信箱はだいぶスッキリしたはず。
でも、ここで最後の、そして最大の「敵」が立ちはだかります。
それは……「即レス(Soku-resu)」の呪いです。
日本には「即レス(即座にレスポンス=返信すること)」を良しとする文化が根強くあります。
ビジネスでもプライベートでも、「早い返信=誠意がある」「仕事ができる」と見なされがち。逆に返信が遅いと「だらしない」「相手を軽んじている」と思われてしまうのではないか……そんな強迫観念めいた空気が、日本の社会には漂っているの。
皆さんの国ではどう? “ASAP (As Soon As Possible)” のプレッシャー、感じていませんか?
かつての私もそうでした。
料理中でも、洗濯物を畳んでいる最中でも、子供と遊んでいる時でも。
「ピローン♪」と通知音が鳴れば、パブロフの犬のようにスマホに飛びつき、濡れた手のまま画面をフリックして、「了解です!」「後で確認します!」と打ち返していた。
まるで、飛んでくるボールをひたすら打ち返す卓球マシーンのように。
でも、ある日、ふと気づいたの。
「私、この人のメール、ちゃんと読んでる?」って。
ただ文字を目で追って、反射的に指を動かしているだけ。そこに「心」はあったかしら?
相手の顔を思い浮かべていたかしら?
これって、日本人が一番嫌う**「失礼(Shitsurei)」**なことなんじゃないかって。
そこで私が導入したのが、欧米の生産性向上メソッドとして有名な**「Batching(バッチ処理)」**。
これは「似たような作業は、都度やるのではなく、まとめて一気にやる」という手法。
工場での生産管理みたいな響きで、最初は「主婦の生活に馴染むのかな?」と懐疑的だったわ。
でも、これを日本的な解釈で実践してみたら、驚くべき化学反応が起きたの。
私はこれを、**「メール茶道(Email Tea Ceremony)」**と呼ぶことにしました。
受信箱を開くのは「お点前」の時間だけ
茶道(Sado/Tea Ceremony)の世界を想像してみて。
お茶の先生は、お湯が沸くのを待ちながら洗濯物を畳んだりしないわよね?
茶室という結界に入ったら、外の世界のことは一切忘れて、目の前のお茶と、目の前のお客様のことだけに全神経を集中させる。
これを**「一期一会(Ichigo Ichie)」**と言うわね。「この出会いは一生に一度きり」という覚悟で向き合うこと。
私は、メールの返信時間を「1日2回」と決めました。
例えば、午前10時の30分間と、午後4時の30分間。
それを「Inbox Time(受信箱の時間)」と呼ぶのは味気ないから、「お点前の時間」と捉えることにしたの。
この時間以外は、メールアプリを一切開きません。通知もオフ。
これが最初は怖いのなんの!
「急ぎの連絡があったらどうしよう?」「無視してると思われないかな?」
心の中のザワザワ(Noise)が止まらない。
でも、よく考えてみて。本当に緊急なら電話がかかってくるはず。メールで送られてくる時点で、相手も「相手の都合のいい時に読んでくれればいい」と思っている(はずなのよ、本来は!)。
そして、いざ「お点前の時間(返信タイム)」が来たら、私はスマホではなくPCの前に座り、姿勢を正します。
キッチンタイマーを30分にセット。これが私の茶室の入り口。
そこからは、怒涛の集中力でメールに向き合うの。
「ながら作業」を辞めたら、言葉が変わった
Batching(まとめ処理)の真髄は、スピードアップだけじゃない。
**「マルチタスク(Multitasking)からの解放」**こそが最大のメリットなの。
日本には**「ながら族(Nagara-zoku)」なんて言葉が昭和の時代にあったけれど、現代人はみんな「スマホながら生活」。
でも、脳科学的にもマルチタスクは脳に負担をかけるだけと言われているわよね。
禅の教えに「喫茶喫飯(Kissa Kippan)」**という言葉があります。
「お茶を飲む時はお茶のことだけ、ご飯を食べる時はご飯のことだけになりきりなさい」という意味。
目の前の行為に没入することこそが、悟りへの道だと。
メールも同じ。
「料理の片手間に返信」するのをやめて、「返信することだけになりきる」時間を作った。
すると、どうなったと思う?
不思議なことに、私の紡ぐ「言葉」が変わったの。
慌てて打った「了解です。」だけの冷たい返信が減り、
「今日はいいお天気ですね」「先日はありがとう」といった、相手を気遣う一言(Seasonal greetings or heartfelt words)が自然と添えられるようになった。
時間を制限しているはずなのに、逆に心には余裕が生まれている。
パラドックス(逆説)だけど、「時間を区切る(Restrict)」ことで、私たちは「自由(Freedom)」になれるのよ。
これを日本文化では**「メリハリ(Merihari)」**と言います。
元々は邦楽(日本の伝統音楽)の用語で、低い音(める)と高い音(はる)の抑揚のこと。
転じて、緩むところと締めるところの区別がはっきりしていることを指すわ。
ダラダラと一日中スマホを気にしているのは「メリハリ」がない状態。
「今は見ない!」「今は見る!」と決めることで、生活にリズムが生まれ、メール返信という作業が、ただの事務処理から、人との繋がりを確認する豊かな時間へと昇華されたの。
具体的な「メール茶道」の作法
私が実践している「メール茶道」の具体的なステップ(Batchingの手順)はこんな感じ。
- 「結界」を張る(Create a Boundary)まず、通知(Notifications)は完全にオフ。これが現代の結界。そして、「今から30分はメールタイム」と家族にも宣言する(心の中でもOK)。
- 「仕分け」と「点て出し」を分ける(Separate Sorting and Writing)最初の5分で、溜まったメールをざっと見て「要返信」「読むだけ」「削除」に振り分ける。これは茶道で言うなら、道具を清めて準備する段階。
- 一客一亭の精神で書く(Focus on one person at a time)「要返信」のメールを開いたら、その人への返信を書き終えるまで、他のメールは見ない。絶対に見ない。その人だけに集中する。これが「一期一会」。30分経ったら、途中でもスパッとやめる。「残りはまた次の回(夕方)に」と割り切るのも、心を引きずらないコツ。
- テンプレートは「型(Kata)」であるよく使う返信文面を登録しておくこと(Canned Responses)。これを「手抜き」と呼ぶ人もいるけれど、私は**「型(Kata)」**だと思っているわ。武道でも茶道でも、日本には「型」がある。基本の型があるからこそ、そこに応用や心が乗せられる。定型文という「型」を用意しておけば、入力の手間が省けた分、相手に合わせたちょっとした追伸を書く余裕が生まれるでしょ?
デジタルの中に「静寂」を見つける
こうして「まとめ処理(Batching)」を実践し始めてから、私のデジタルライフは劇的に変わったわ。
以前は、受信箱は「私を急かすモンスター」だった。
でも今は、決まった時間にだけ会う「礼儀正しい来客」になった。
PCを閉じた瞬間の、あの静寂。
「ふぅ」と一息ついて、顔を上げると、窓の外の景色が以前より鮮やかに見える気がする。
風の音、鳥の声、お湯が沸く音。
それまで通知音にかき消されていた「世界」が、戻ってきた感覚。
私たちは、便利さと引き換えに「待つ時間」や「空白の時間」を失ってしまった。
でも、自分なりのルール(作法)を作ることで、デジタルの世界にも「床の間」のような余白を取り戻すことができる。
あえて「繋がらない時間」を作ることが、結果的に「繋がる時間」の質を高める。
これが、私がたどり着いた「Serene Inbox(静寂な受信箱)」の核心部分。
効率化のためにBatchingをするんじゃない。
「私の人生の主導権(Ownership of Life)」を、スマホから取り戻すためにやるの。
さて、不要なものを捨て、自動化で整理し、時間を決めて向き合う。
この3つのステップ(起・承・転)を経て、私の受信箱と心はどのように変化したのか。
そして、このデジタル断捨離が、最終的に私の「人生観」にどんな影響を与えたのか。
次回、いよいよ最終回(結)。
静寂を取り戻したその先に待っていた、思いがけない「ギフト」についてお話しします。
それは単に「メールが減ってスッキリした」という以上の、もっと深くて温かい気づきでした。
静寂を取り戻した受信箱が教えてくれた、人生の優先順位
〜「何もない」からこそ、大切なものが満ちてくる〜
長い旅にお付き合いいただき、本当にありがとう。
「起」で情報の洪水に溺れていた私が、「承」で雑草を抜き、「転」で時間の結界を張る方法を学んできました。
そして今、私の目の前にあるPCの画面には、信じられない光景が広がっています。
「No new mail(新着メールはありません)」
受信箱には、あの白い余白が戻ってきました。
最初の頃は、この白さが怖かった。「私、世界から取り残されているんじゃない?」って。
でも今は、この白さが愛おしい。
それはまるで、早朝に掃き清められた神社の境内のようであり、一輪の花だけが飾られた床の間のよう。
今日はシリーズ最終回として、この**「静寂な受信箱(Serene Inbox)」**が私の人生にもたらした、予期せぬ変化についてお話しさせてください。
空っぽの空間が連れてきた「ゆとり(Yutori)」
日本には**「ゆとり(Yutori)」**という、とても美しい言葉があります。
直訳すると “Space” や “Room” だけど、精神的な「余裕」や「余白」を意味するの。
「ゆとりがある生活」「心にゆとりを持つ」。
これまで私は、この「ゆとり」をお金や時間で買おうとしていた気がします。
時短家電を買ったり、週末に高いランチを食べに行ったり。
でも、受信箱を空っぽ(Empty)にすることで、一銭も使わずに「ゆとり」が手に入ったの。
驚きでしょう?
常に頭の片隅で「あ、メール返さなきゃ」「あの通知なんだっけ」と鳴り響いていたノイズが消えた時、初めて自分がどれだけ緊張状態にあったかに気づいたわ。
肩の力が抜け、呼吸が深くなる。
日本の禅(Zen)には**「無(Mu)」**という概念があります。
「無」は単なる「Nothingness(ゼロ)」ではありません。
そこには「無限の可能性(Potential)」が詰まっていると考えるの。
器(Bowl)は、中が空っぽだからこそ、水を満たすことができるでしょう?
私の心も、デジタルなゴミで満杯だった時は、新しい感動や、家族の言葉を受け止めるスペースがなかった。
でも今は違う。
空っぽになった心の器に、本当に大切なものが、ぽたぽたとしずくのように満ちてくるのを感じるのです。
見えてきた「季節」と「人の温もり」
デジタル断捨離をしてから、私の五感が鋭くなった気がします。
例えば、子供の話し声。
以前はスマホ片手に「へー、すごいね(生返事)」と聞いていた息子の話。
今は、彼が話しかけてきた時、PCを閉じて、目を見て話を聞くことができる。
するとね、気づくの。彼のまつ毛が長いこと、今日あった出来事を話す時の目の輝き、そして少し大人びた言葉遣いをするようになったこと。
**「成長」**という、二度と戻らない尊い瞬間が、そこにあった。
もし私がスマホの画面を見続けていたら、この微細な変化を見逃していたかもしれない。そう思うと、ゾッとするわ。
そして、季節の移ろい。
日本人は古来、「花鳥風月(Kacho Fugetsu)」(花、鳥、風、月=自然の美しさ)を愛でることを大切にしてきました。
メールチェックに追われていた朝は、窓の外を見る余裕なんてなかった。
でも今は、「お点前の時間(メール返信タイム)」が終われば、PCを閉じて窓を開ける。
頬に当たる風の冷たさで「あ、秋が来たな」と感じたり、夕焼けのグラデーションに涙が出そうになったり。
世界はこんなにも美しかったんだって、再発見した気分。
スマホの画面の中にある「映え(Insta-worthy)」な世界よりも、目の前にある日常の方が、ずっと解像度が高くて、鮮やかなのよ。
私たちは、遠くの誰かのキラキラした生活を覗き見るために、自分の目の前の幸せを犠牲にしすぎていたのかもしれません。
「足るを知る」〜デジタル時代の新しい豊かさ〜
この一連のプロセスを通じて、私がたどり着いた結論。
それは、**「Less is More(少ないことは、豊かなこと)」**という、ある種使い古された言葉の本当の意味でした。
日本の伝統的な美学である**「わび・さび(Wabi-Sabi)」**は、不完全なものや質素なものの中に美を見出す心です。
最新の情報を追いかけ、常にオンラインで繋がり、大量のデータを消費する生き方は、派手で華やかかもしれない。
でも、必要な情報だけを選び取り、静かな時間を愛し、丁寧な言葉で少数の人と深く繋がる生き方。
これこそが、現代における「わび・さび」であり、究極の贅沢(Luxury)なんじゃないかしら。
以前お話しした**「知足(足るを知る)」**。
私の受信箱はもう、セールのお知らせやニュースで溢れてはいません。
入ってくるのは、本当に必要な連絡と、大切な友人からの手紙だけ。
数は少ない。でも、それで十分(Enough)。
「もっと欲しい」「もっと知りたい」という渇望から解放された時、人は初めて自由になれる。
私が実践した「1分ルール」も「自動化」も「まとめ処理」も、すべては手段に過ぎません。
目的は、「自分の人生の主導権を取り戻すこと」。
テクノロジーに使われるのではなく、テクノロジーを使いこなす主(Master)になること。
主婦である私たちには、守るべき生活がある。
温かい食事、清潔なリネン、家族の笑顔、そして自分自身の平穏な心。
それらを守るために、私はこれからも受信箱の庭手入れ(Gardening)を続けていくつもりです。
さあ、次はあなたの番
ここまで読んでくれたあなた。
もしかしたら、「日本人の主婦だからできるんでしょ?」「几帳面な性格だからでしょ?」と思っているかもしれない。
でも信じて。私は元々、片付けが大の苦手なズボラ主婦だったのよ(笑)。
そんな私でも変われた。
だから、あなたにも絶対にできる。
いきなり全てをやる必要はありません。
まずは今日、たった一つでいい。
もう何ヶ月も読んでいないメルマガを一つ、解除してみて。
あるいは、寝る前の10分間だけ、スマホを別の部屋に置いてみて。
その小さな「余白」に、何が入り込んでくるか。
それを楽しんでほしいの。
もしかしたら、久しぶりに淹れる紅茶の香りかもしれないし、読みかけだった本の続きかもしれない。
あるいは、ただただ静かな、自分だけの時間かもしれない。
それが、あなたにとっての「床の間」の始まりです。
日本の片隅から、あなたの「Serene Inbox(静寂な受信箱)」と、そこから始まる豊かなデジタルライフを心から応援しています。
デジタルの霧が晴れたその場所で、またお会いしましょう。
それじゃあ、今日はこの辺で。
PCを閉じて、夕飯の支度を始めるとするわ。今日はお出汁(Dashi)のいい香りで、家の中を満たしたい気分だから。
ありがとう。そして、元気でね!

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