桜舞う季節、娘のため息と「もののあわれ」の正体
海外にお住まいの皆さん、こんにちは!
日本は今、ちょうど季節の変わり目を迎えています。皆さんの住む国では、どんな風が吹いていますか?
今日の私の住む街は、少し湿った、でもどこか懐かしい匂いのする雨が降っています。窓の外を見ると、先日まで誇らしげに咲き誇っていた桜が、雨に打たれてハラハラと散っていくのが見えます。アスファルトが薄いピンク色に染まっていくこの光景、私はすごく好きなんです。「あぁ、今年の桜も終わっちゃうな」という寂しさと、「今年も綺麗に咲いてくれてありがとう」という感謝が入り混じる、なんとも言えない時間です。
さて、今日はそんな少しセンチメンタルな日本の空気感に乗せて、私たち日本人が大切にしている**「もののあわれ(Mono no Aware)」**という感覚について、ちょっと個人的なエピソードを交えながらお話ししたいと思います。特に、誰もが一度は経験する「初恋」や「若い頃の恋」と絡めて。
リビングに響く、重たい溜め息
事の発端は、数日前のこと。
高校生になる私の娘が、リビングのソファでこれ以上ないくらい深い溜め息をついていたんです。もう、部屋中の空気がズーンと沈むような、重たい溜め息(笑)。
手にはスマートフォン。画面をつけては消し、つけては消し。典型的な「彼からの連絡待ち」の状態です。
「ママ、どうしよう。LINEの返信が3時間もない。嫌われたのかな。もう終わりなのかな」
彼女の目には涙が浮かんでいました。初めてできた彼氏との、些細なすれ違い。
海外にお住まいの皆さんも、きっと経験がありますよね?
若い頃の恋愛って、どうしてあんなに「永遠」を求めてしまうんでしょう。「ずっと一緒にいたい」「この幸せが壊れるのが怖い」。その気持ちが強すぎて、逆に今の時間を楽しめなくなってしまう。未来への不安で、今目の前にある幸せを塗りつぶしてしまう。
娘の背中をさすりながら、私はふと、日本の古文の授業で習った、そして今では生活の一部として染み付いている「ある言葉」を思い出しました。
それが**「もののあわれ」**です。
「もののあわれ」って、ただの悲しみじゃないの?
海外の方に「Mono no Aware」を説明するとき、よく「Pathos(ペーソス/哀愁)」や「Sadness(悲しみ)」と訳されることがあります。でも、日本で暮らす私たちが感じているニュアンスは、少し(いや、だいぶ!)違うんです。
もし、これを単なる「悲しみ」と捉えてしまうと、日本文化はなんだか暗くてジメジメしたものに見えてしまうかもしれません。でも違うんです。
「もののあわれ」とは、「変化していくもの、消えゆくものに対して心が大きく動かされること」。そして、**「終わりがあるからこそ、その一瞬が美しく輝くのだと知っていること」**なんです。
例えば、桜。
もし桜がプラスチックでできていて、一年中ずーっと満開だったら、日本人はあんなに桜を愛さないと思います。「いつか散る」と分かっているから、満開の数日間にお祭り騒ぎをして、散りゆく姿に涙するんです。
花火もそう。一瞬で消えるから美しい。
蛍の光もそう。儚いからこそ、目に焼き付けたいと思う。
この**「儚さ(Transience)を愛でる」**という感覚こそが、日本人のDNAに刻まれた人生術であり、実は恋愛の苦しみを救う特効薬にもなり得るんじゃないか。娘の悩みを聞きながら、私はそう確信しました。
恋の賞味期限と、日本的な「諦め」の良さ
少し哲学的な話をしましょう。
海外、特に欧米の映画や小説を見ていると、「愛を勝ち取る」「運命を変える」というような、強い意志や永続性をテーマにしたものが多いように感じます。「Happily Ever After(いつまでも幸せに暮らしました)」という結末は、変わらない安定こそがゴールだというメッセージにも見えます。
一方で、日本の古典文学(例えば『源氏物語』など)には、この「もののあわれ」が溢れています。
恋は移ろいゆくもの。人の心も季節のように変わるもの。
それを「裏切りだ!」と怒るのではなく、「ああ、人の心とはそういうものだなぁ(=あわれ)」としみじみ受け入れる。
ここには、日本独特の**「諦観(ていかん)」という考え方があります。「諦める」というとネガティブに聞こえるかもしれませんが、仏教的な意味での「諦(あきら)め」は、「明らめる(あきらめる)」、つまり「真理を明らかにして、あるがままを受け入れる」**という意味なんです。
「恋はいつか終わるかもしれない」
「彼の気持ちは変わるかもしれない」
「私も変わるかもしれない」
これを認めることは、決してネガティブなことではありません。むしろ、**「終わりがあるかもしれないからこそ、今、隣にいてくれるこの瞬間が奇跡なんだ」**と、強烈に意識することにつながります。
娘が苦しんでいるのは、「彼との関係が永遠であってほしい(変わらないでほしい)」という執着と、「現実は思い通りにならない(返信が来ない)」という事実のギャップです。
もし彼女が、「関係性とは常に流動的なものだ(=諸行無常)」という「もののあわれ」の視点を少しでも持てたら?
「返信が来ない時間」を「嫌われた証拠」として恐怖するのではなく、「今はそういうタイミングなんだ」と、季節の移ろいのように受け流せるかもしれない。そして、次に彼から連絡が来たときの喜びを、当たり前と思わずに「有り難い(有ることが難しい)」こととして、もっと深く味わえるかもしれない。
現代社会にこそ必要な「余白」の美学
皆さんがお住まいの国ではどうですか?
SNSの普及で、世界中どこにいても「即レス」が求められる時代になりました。「既読」がついたかどうかに一喜一憂し、相手の行動を全て把握しようとする。これは日本も海外も同じ、現代病とも言える状況です。
すべてをコントロールしようとするから、苦しくなる。
白か黒か、好きか嫌いか、0か100か。
そんなデジタルな思考に疲れた時、日本のアナログな感性である「もののあわれ」は、心に優しい「余白」を作ってくれます。
「もののあわれ」は、グレーゾーンを愛する心です。
言葉にできない感情、割り切れない関係、夕暮れ時の空のような曖昧なグラデーション。
「好きだけど、苦しい」「会いたいけど、今は待つ」。そんな矛盾した感情さえも、「それもまた、いとあわれ(趣深いね)」と肯定してあげる。
私がブログを通して皆さんに伝えたいのは、単なる日本文化の解説ではありません。
この、ちょっと不便で、でも温かい日本的な感性を、皆さんの日々の生活や恋愛観に取り入れることで、**「心がふっと軽くなる瞬間」**を作ってほしいのです。
娘に伝えた、ひとつの言葉
泣きそうな娘に、私はこう声をかけました。
「ねぇ、桜って散るのが怖いから咲くのをやめたりしないでしょ? 散るってわかってても、精一杯咲くじゃん。彼とのことも、終わることを怖がるより、今『好きだ』って思えてる自分の気持ちを、桜みたいに綺麗だなって眺めてみたら?」
娘は「ママ、何ポエマーみたいなこと言ってんの」と笑いながらも、少し肩の力が抜けたようでした。そして不思議なことに、その直後に彼から「ごめん、寝てた!」と返信が来たんです(笑)。
人生なんて、そんなものですよね。
執着を手放して、流れに身を任せた時に、ふと良い流れが向こうからやってくる。
今回のブログシリーズでは、この「もののあわれ」という視点を使って、若き日の恋の悩みや、人間関係の不安をどう乗り越えていくか、具体的な「心の持ちよう」を深掘りしていきたいと思います。
次回の【承】のパートでは、もう少し深く心の内側に潜ってみましょう。
なぜ私たちは「変わること」をこんなにも恐れるのか?
そして、どうすれば「変化」を「美しさ」として楽しめるようになるのか?
そのメカニズムと、不安をトキメキに変える魔法のような思考法についてお話しします。
日本茶でも飲みながら、ゆったりとした気持ちで待っていてくださいね。
窓の外の雨音も、なんだか素敵なBGMに聞こえてきませんか? これもまた、今日の「もののあわれ」です。
永遠じゃないから美しい。不安をトキメキに変える思考法
こんにちは、Momokoです。
前回の記事で、娘の「返信待ち」の溜め息と、散りゆく桜の話をしたところ、読者の皆さんから「私も若い頃、同じように悩んだ!」「日本の美意識がそんな風に恋愛に関係するなんて新鮮」といったメッセージをいただきました。ありがとうございます。
さて、今日はその続きです。
私たちの心を締め付ける「不安」の正体と、それを解きほぐす日本古来のマインドセットについて、もう少し深くお話ししていきましょう。
なぜ私たちは「永遠」を約束したがるのか?
突然ですが、皆さんの国では、愛を誓う時にどんな言葉を使いますか?
「Forever(永遠に)」「Always(いつも)」という言葉、よく使われますよね。結婚式の誓いもそうですし、ポップソングの歌詞でも「永遠の愛」は鉄板のテーマです。ダイヤモンドが婚約指輪として愛されるのも、「傷つかない、変わらない、永遠の輝き」の象徴だからでしょう。
でも、ちょっと意地悪な見方をすると、私たちが「永遠」を口にする時って、実は**「今ある幸せが壊れるのが怖い」**という裏返しの心理が働いていることが多い気がします。
「今のこの最高に幸せな瞬間を、冷凍保存したい!」
「彼が私を好きな気持ちを、真空パックして腐らせたくない!」
そんな風に思ってしまう。
でも、冷静に考えてみてください。人間は生きています。細胞は毎日入れ替わり、気分は天気によって変わり、環境も年齢とともに変化します。生きている人間同士の関係において、「変わらないこと(=永遠)」を求めるのは、実はとっても不自然なことなんです。
川の水を手ですくって「この形のまま留まって!」と願うようなもの。水は指の隙間からこぼれ落ちていきます。その時、私たちは「あぁ、失ってしまった」と絶望します。これが、恋愛における「不安」の正体です。
自然の摂理(変化すること)に逆らおうとするから、苦しくなるのです。
日本の「四季」が教えてくれること
ここで、日本人が昔から大切にしてきた**「四季(Four Seasons)」**の感覚を思い出してみましょう。
日本は四季の変化がとてもはっきりしている国です。
春の桜、夏の入道雲、秋の紅葉、冬の雪景色。
私たちは、それぞれの季節が「終わること」を知っています。春が来れば「もうすぐ冬が終わるね」と喜び、秋が来れば「夏が行ってしまったね」と少し寂しくなる。
もし日本が、一年中ずーっと春で、ずーっと桜が咲いている国だったらどうでしょう?
きっと私たちは、花見なんてしません(笑)。「あー、今日も咲いてるね」と素通りするでしょう。
「春は過ぎ去るもの」だと知っているからこそ、今目の前にある桜の花びら一枚一枚が、宝石のように愛おしく感じられるのです。
この感覚こそが「もののあわれ」の真髄です。
「変化=劣化・喪失」と捉えるのではなく、**「変化=命の輝き・趣(おもむき)」**と捉える。
恋愛も同じではないでしょうか。
「彼との関係が変わってしまうのが怖い」と怯えるのではなく、季節が移ろうように、「二人の関係も春から夏へ、そして秋へと色を変えていくのだな」と捉えてみる。
最初のドキドキした「春」のような時期が過ぎ去ることは、悲しいことかもしれません。でも、それは「終わり」ではなく、次の「夏」のような、もっと情熱的で、あるいは「秋」のような、穏やかで深みのある関係へとシフトしていくプロセスなんです。
「無常(Mujou)」はニヒリズムではない
仏教用語に**「諸行無常(しょぎょうむじょう)」**という言葉があります。「この世のあらゆるものは、絶えず変化し続け、一瞬たりとも同じ状態には留まらない」という意味です。
海外の方にこの話をすると、「なんて悲観的なの!」「虚しい(Empty)考え方だね」と言われることがあります。確かに、「どうせ終わるんだから意味がない」と捉えればニヒリズム(虚無主義)になります。
でも、日本の「もののあわれ」や「無常」の捉え方は、もっとポジティブで、生命力に溢れています。
「永遠には続かない。だからこそ、今この瞬間(This very moment)が強烈に輝く」
これが、私たちのスタンスです。
いつか終わるパーティーだからこそ、思いっきり踊る。
いつか冷めるかもしれない熱だからこそ、今の体温を記憶に刻む。
不安を感じるのは、あなたが未来を見ているからです。「未来の喪失」を想像して、今の時間を犠牲にしている。
でも「もののあわれ」は、視点を「今」に引き戻してくれます。
「明日のことは分からない。でも、今、彼と食べたアイスクリームは甘かった。今、繋いだ手は温かかった。それだけで十分じゃないか」と。
不安を「トキメキ」に変換する魔法
では、具体的にどうすれば、この「変化への恐怖(不安)」を「美しさへの感度(トキメキ)」に変えられるのでしょうか?
私が日本での生活の中で実践している、ちょっとした思考の転換法をご紹介します。それは**「観察者(Observer)になる」**ということです。
恋に落ちて渦中にいる時、私たちはどうしても主観的になりすぎて、感情の波に溺れてしまいます。「返信が来ない!辛い!」「彼が他の子を見た!嫉妬!」と、反応するだけで精一杯。
そこで、自分の中に「もう一人の自分」を作ってみてください。
そして、自分の感情や二人の状況を、まるで「映画のワンシーン」や「小説の一節」のように眺めてみるのです。
例えば、連絡が来なくて切ない夜。
×「なんで連絡くれないの? 私のこと嫌いなの? 最悪!」
○「あぁ、今の私は『恋しい人を待つ』という、古来から多くの詩人が歌ってきた切ない時間を過ごしているんだな。窓の外の雨音が、今の私の心模様にぴったりだわ。なんてセンチメンタルで、ある意味で贅沢な時間なんだろう」
……どうですか? ちょっとナルシストみたいですか?(笑)
でも、これが「もののあわれ」を味わうコツなんです。
自分の悲しみや不安さえも、「あわれ(深い情緒)」として客観的に愛でてしまう。
「辛い」という感情を否定せず、「辛いと感じている自分もまた、一生懸命生きていて美しいな」と認めてあげる。
そうすると、不思議なことに、不安の「重さ」が消えて、代わりに「透明な感覚」が生まれます。
胸がキュッとなる痛みは残りますが、それは嫌な痛みではなく、**「私が今、誰かを愛している」という生きた証(proof of life)**としての痛みに変わるのです。これが、不安がトキメキ(Poignancy)に昇華される瞬間です。
若き日の私の失敗談
偉そうなことを言っていますが、私も若い頃はこれが全くできませんでした。
20代の頃、大好きだった彼にフラれるのが怖くて、常に彼の顔色を伺い、彼の理想の女性になろうと必死でした。「私が変わらなければ、彼も変わらないはず」と信じて。
でも、私が無理をして「変わらない自分」を演じれば演じるほど、二人の関係はギクシャクしていきました。まるで造花のように、見た目は綺麗だけど、香りも生命力もない関係。
結局、その彼とはお別れすることになりました。
最後の別れ話の時、彼に言われた言葉が今でも忘れられません。
「Momokoは、僕と一緒にいる時、いつも未来の心配ばかりしていたね。僕は、今のMomokoと笑い合いたかったんだよ」
ガーン、ですよね(苦笑)。
私は「永遠」を守ろうとして、「今」を殺していたんです。
その時に気づきました。散ることを怖がって蕾のままでいようとする花なんてないんだ、と。咲いて、散って、また次の季節が巡ってくる。そのサイクルに身を任せる勇気こそが、愛を楽しむ秘訣なんだと。
流れる水のように愛する
日本の茶道に**「一期一会(Ichigo Ichie)」**という言葉があります。
「この出会い、この時間は、一生に一度きりのもの」という意味です。
これは、見知らぬ人との出会いだけでなく、毎日顔を合わせる家族やパートナーとの時間にも当てはまります。
今日の彼は、昨日の彼とは違います。
今日の私も、昨日の私とは違います。
「今日の私たち」がこうして向かい合って話していることは、二度と再現できない奇跡のような確率で起きていること。
そう思うと、相手に求めるハードルが下がりませんか?
「完璧な彼氏でいてほしい」「私の思った通りの反応をしてほしい」という要求(Clinging)よりも、「今日も生きていて、私と関わってくれてありがとう」という感謝(Appreciation)が湧いてきます。
「もののあわれ」を知ることは、「期待(Expectation)」を手放し、「鑑賞(Appreciation)」へとシフトすることです。
美術館で絵を見るように、相手をコントロールしようとせず、「ほう、今日はそういう気分なんだね」「今の二人はこういう色合いなんだね」と、あるがままを味わう。
そうすれば、例え彼からの返信が遅くても、「今は彼の中で静寂の時間が流れているんだな」と、その余白さえも楽しめるようになる……かもしれません(さすがに修行が必要ですが!笑)。
次回の予告
さて、ここまで「変化を受け入れること」「不安を味わい深く感じること」についてお話ししてきました。
少し気持ちが軽くなってきたでしょうか? それとも、「頭ではわかるけど、やっぱり執着しちゃうよ!」と感じているでしょうか。
大丈夫です。執着を手放すのは、私たち日本人にとっても至難の業です。
次回の【転】のパートでは、この「執着(Attachment)」という厄介な感情とどう向き合うか、さらに実践的な視点でお話しします。
「失うのが怖い」という気持ちの裏側には、実は「所有したい(Possess)」という強い欲求が隠れています。
愛することは、所有することなのか?
日本の文化や仏教的な視点も交えながら、**「手放すことで手に入る、本当に豊かな愛の形」**について、一緒に考えていきましょう。
次回は、少し視点を変えて、私と夫の現在の関係性――「枯れた愛」の美しさ(笑)――についても少し触れたいと思います。
それでは、また次のブログでお会いしましょう!
Momokoより。
執着を手放す勇気。失う恐怖よりも「今」を味わうこと
こんにちは、Momokoです。
ここまで、日本の美意識「もののあわれ」を通して、移ろいゆく季節や感情を愛でることの大切さをお話ししてきました。
「なるほど、変化を楽しむのね。頭ではわかった!」
そう思っていただけたかもしれません。でも、実際に愛する人を前にした時、私たちはどうしてもぶつかってしまう「巨大な壁」があります。
それが、**「執着(Shū-chaku)」**です。
今日の【転】のパートでは、この少し厄介で、でも人間らしい感情について、真正面から向き合ってみたいと思います。綺麗事だけではない、少し痛みを伴う「大人の愛の哲学」です。
「愛している」のか、「所有したい」のか?
突然ですが、皆さんに質問です。
あなたがパートナーに対して「愛している」と言う時、その心の中には、以下のような成分が何パーセントくらい混じっていますか?
- 「私だけを見てほしい」
- 「私の思い通りに動いてほしい」
- 「どこにも行かないでほしい」
- 「私のことを一番に考えてほしい」
もし、これらの気持ちが100%を占めているとしたら、厳しい言い方になるかもしれませんが、それは日本的な感覚で言うと「愛(Love)」ではなく**「所有欲(Possession)」**に近いのかもしれません。
仏教的な視点を含む「もののあわれ」の世界観では、この「所有したい」「つなぎ止めたい」と願う心を「執着」と呼び、苦しみの根源だと考えます。
前回の記事で、水をすくう話をしましたね。
水(=愛や関係性)を手に入れたくて、ギュッと強く握りしめれば握りしめるほど、水は指の間から溢れてなくなってしまいます。逆に、ふわりと優しく掌(てのひら)を開いていれば、水はそこに留まり続けます。
私たちの多くは、恋をするとつい「拳(こぶし)」を握ってしまいます。「絶対に離さない!」と力んでしまう。でも、握りしめられた相手は息苦しい。蝶々を捕まえた時のことを想像してください。羽を傷つけないように捕まえるのは至難の業です。一番美しいのは、花にとまっている姿を「わぁ、綺麗だな」と眺めている時なのに、私たちはつい「虫かご」に入れたがってしまうのです。
スマートフォンという「現代の虫かご」
現代社会において、この「執着」を加速させているのが、皮肉にもテクノロジーです。
位置情報アプリ、SNSのログイン状況、メッセージの既読機能。
これらは全て、相手をデジタルな「虫かご」に入れて監視するためのツールになり得ます。
私の娘もそうでした。「彼、インスタは更新してるのに、なんで私には返信くれないの?」
これは、「彼のリソース(時間・関心)は私が所有しているはずなのに、なぜ納品されないのか」という、無意識の所有権の主張なんですよね。
でも、「もののあわれ」の視点に立つと、人は誰のものでもありません。
彼は彼の人生という川を流れていて、娘は娘の川を流れている。たまたま今、二つの川が合流して一緒に流れている奇跡。
「所有できないからこそ、尊い」
この感覚への転換(パラダイムシフト)こそが、今回お伝えしたい最大のポイントです。
日本の美学「間(Ma)」が教える距離感
ここで、もう一つ日本の重要な概念をご紹介しましょう。
それは**「間(Ma)」**です。
日本の家屋、生け花、水墨画、そして会話。全てにおいて、日本人はこの「間」=「何もない空間(Empty Space)」をとても大切にします。
西洋の美学が、キャンバスを油絵具で隙間なく埋め尽くす「足し算の美」だとしたら、日本の美学は、余白を残すことで想像力を掻き立てる「引き算の美」です。
人間関係においても、この「間」は不可欠です。
相手と一体化したい、隙間なく密着したいと願うのが「若き恋」の情熱ですが、息が詰まってしまいます。
長く続く良い関係には、必ず心地よい「風通しの良い隙間」があります。
「もののあわれ」を感じる心は、この「間」を恐れません。
連絡が来ない時間、会えない週末、沈黙の瞬間。
それを「愛が足りない欠損」と捉えるのではなく、**「二人の関係を豊かにするための余白」**と捉えるのです。
「今は、彼が彼自身に戻るための『間』なんだな」
「この会えない時間が、次に会った時の喜びを熟成させてくれるんだな」
そうやって、相手をコントロールしようとする手を離し(Let go)、二人の間にあえて「スペース」を作ること。それが、結果として相手を惹きつけ、関係を長続きさせる秘訣になります。これを日本人は「手放す(Te-banasu)」という言葉で表現します。諦めるのではなく、信頼して自由にすることです。
「月」をポケットに入れることはできない
私が大好きな日本の習慣に「お月見(Tsukimi)」があります。
秋の美しい満月を眺めて、お団子を食べて楽しむ行事です。
私たちは月を見て「美しい!」と感動しますが、「あの月をゲットして、私の部屋に飾ろう!」とは思いませんよね(笑)。手が届かないと知っているし、遠くにあるからこそ美しいと知っているからです。
「愛する」とは、相手を「月」のように扱うことではないでしょうか。
自分のポケットに入れることはできない。コントロールもできない。
ただ、同じ空の下で、その輝きを眺めさせてもらっていることに感謝する。
「今日もそこにいてくれてありがとう」と見上げる。
もし、相手が雲に隠れて見えなくなっても(=気持ちがわからなくなったり、すれ違ったりしても)、「まぁ、そういう日もあるよね」と、また月が出てくるのを待つ。あるいは、雲の切れ間から漏れる光を楽しむ。
これが、「もののあわれ」を極めた先にある、究極の「大人の愛」の形です。
「私のものにならない」という事実を受け入れた時、逆説的ですが、私たちは「失う恐怖」から解放されます。だって、最初から持っていないのだから、失うこともないのです。あるのは「今、一緒にいる」という事実だけ。
私の実体験:夫との関係における「転」
偉そうなことを書きましたが、私自身、夫との関係でこの境地に達するまでには、長い葛藤がありました。これが私のストーリーの「転(Twist)」の部分です。
結婚当初、私は夫に対して強い執着を持っていました。
「なんで私の気持ちを察してくれないの?」
「休日は絶対に一緒に過ごすべきでしょ?」
理想の夫婦像という型に、夫を押し込めようとしていました。当然、夫は窮屈そうで、喧嘩が絶えませんでした。私は常に「愛されているか」を確認したくて、不安で仕方なかった。
転機は、子育てや仕事で忙殺され、私が夫にかまう余裕がなくなった時に訪れました(笑)。
物理的に夫を放置し、「もういいや、彼は彼の好きに生きればいい」と、半ば投げやりに「手放した」のです。
いわば、私の心の中から夫への執着(という名の監視カメラ)を取り外した状態です。
すると、どうなったと思いますか?
夫の方から、話しかけてくるようになったのです。
「今日の月、綺麗だね」とか「このお茶、美味しいね」とか。
私が追いかけるのをやめた途端、彼は安心して私の隣に戻ってきました。
今、私たち夫婦の間には、適度な距離感、つまり「間」があります。
同じ部屋にいても、私はブログを書き、彼は本を読んでいる。会話がなくても気まずくない。お互いに干渉しないけれど、気配だけは感じている。
これは、若い頃の私が求めていた「燃え上がるようなロマンス」とは違います。でも、もっと静かで、深く、壊れにくい絆です。
日本庭園に「枯山水(Kare-san-sui)」という、水を使わずに石と砂だけで山水を表現する様式があります。一見、殺風景でドライに見えるかもしれません。でも、そこには無駄なものが削ぎ落とされた、本質的な美しさがあります。
私の今の夫婦関係は、まさにこの枯山水。「好き」「愛してる」という言葉のシャワー(水)はもうありませんが、揺るがない信頼という「岩」がどっしりと置かれている感じです。
「もののあわれ」を知ると、派手な愛情表現よりも、こうした「静けさの中にある繋がり」に深い幸せを感じられるようになります。
「愛とは、見つめ合うことではなく、同じ方向を見つめることである」
サン・テグジュペリの言葉ですが、これぞまさに「お月見」の精神であり、「もののあわれ」的パートナーシップのゴールだと私は思います。
娘へのアドバイス:「追うな、咲け」
さて、話を冒頭の娘に戻しましょう。
「返信が来ない」と嘆く娘に、私はこの「お月見」の話と、「手放す勇気」の話をしました。
「〇〇ちゃん(娘の名前)、彼を虫かごに入れようとしちゃダメよ。彼は飛んでいっちゃうかもしれない。でもね、蝶々は『捕まえよう』とする人のところには来ないけど、『綺麗な花』には勝手に寄ってくるの」
「え、私が花になるってこと?」
「そう。彼がどう思ってるか、彼が何をしてるか、そんなコントロールできないことにエネルギーを使うのをやめて、そのエネルギーを自分自身に使いなさい。あなたが自分の人生を楽しんで、笑顔で咲いていれば、彼はその居心地の良さに惹かれて必ず戻ってくる。もし戻ってこなかったとしても、あなたという美しい花は残るでしょう?」
「追うな、咲け(Don’t chase, just bloom)」
これは、「もののあわれ」の教えを、現代の女子向けに翻訳した私の造語です(笑)。
花は散るからこそ、今この瞬間を精一杯咲いています。
散ることを恐れて蕾のまましぼむのではなく、誰かのために咲くのでもなく、ただ自分の命を輝かせるために咲く。
その潔さと美しさが、結果として人を魅了するのです。
執着を手放した先に見える世界
執着を手放すことは、決して「どうでもよくなる」ことではありません。
むしろ逆です。
「私のもの」というフィルターを通さずに相手を見ることで、相手の本当の姿、本当の美しさが見えてきます。
「彼が私の彼氏だから好き」なのではなく、「彼という人間が、ただそこに存在していること自体が尊い」と思えるようになる。
これって、すごく楽ちんで、無敵の愛し方だと思いませんか?
見返りを求めない。所有しない。ただ、その存在を愛でる。
これなら、不安が入る隙間なんてありません。
もちろん、人間ですから、時々は嫉妬もするし、寂しくもなります。
そんな時は、「おっと、また執着心が出てきたな。いとおかし(面白いね)」と、自分自身を客観視して、苦笑いすればいいんです。完璧な聖人君子になる必要はありません。その揺れ動く心さえも「もののあわれ」なのですから。
さて、ここまで「起」「承」「転」と、かなり深い精神論の話をしてきました。
「考え方はわかったけど、じゃあ具体的に明日からどうすればいいの?」
「ついスマホを見ちゃう癖はどう治せばいい?」
そんな声が聞こえてきそうです。
安心してください。最終回となる次回の**【結】**のパートでは、この「もののあわれ」マインドを日常生活に落とし込むための、具体的なアクションプランをご紹介します。
キーワードは、**「書く瞑想」と「心の茶道」**です。
誰でも簡単にできて、心がスッと整う日本の知恵。
これを実践すれば、あなたも「不安な恋する乙女」から、「凛とした大和撫子(やまとなでしこ)」へと進化できるはずです。
それでは、また次回のブログでお会いしましょう。
今夜は、スマホを置いて、夜空の月を見上げてみませんか?
手に入らないものの美しさを、ぜひ体感してみてください。
Momokoより。
心を整える「恋の茶道」。ジャーナリングとマインドフルネスの実践
こんにちは、Momokoです。
全4回にわたってお届けしてきた「もののあわれ」と「恋」のシリーズ、最後までお付き合いいただきありがとうございます。
ここまで読んでくださった皆さんは、もう「変化への恐怖」や「執着心」の正体には気づいているはず。でも、こんな声も聞こえてきそうです。
「Momokoさん、理屈はわかった! でも、いざ彼から連絡がなかったり、喧嘩したりすると、やっぱり心がザワザワしちゃうの!」
わかります、痛いほどわかります(笑)。
私たちは人間ですから、いきなり悟りを開いた僧侶のようにはなれません。心の筋肉も、体の筋肉と同じで、毎日のトレーニングが必要なんです。
そこで最終回の今日は、私が実践している、「もののあわれ」の心を育てるための2つの習慣をご紹介します。名付けて、「書く瞑想」と「おうち茶道」です。
実践1:感情を客観視する「お天気ジャーナリング」
一つ目のツールは、ノートとペンです。
皆さんは日記を書いていますか? 日本では今、「ジャーナリング(書く瞑想)」がブームになっていますが、「もののあわれ」流の書き方は少し独特です。
辛い時、私たちはつい「彼が悪い」「私が可哀想」という物語(ドラマ)を書いてしまいがちです。でも、これだと感情の渦に巻き込まれたまま。
私がお勧めするのは、自分の心を**「空(Sky)」に見立てて、感情を「天気(Weather)」**として記録する方法です。
【やり方】
- ノートを開き、今の自分の感情を一歩引いて観察します。
- 「私は悲しい」と書くのではなく、**「今、私という空に、悲しみという雨が降っている」**と書きます。
- その雨の色や強さを描写します。「土砂降りだな」「しとしと降ってるな」「少し晴れ間が見えてきたな」。
これを私は「お天気ジャーナリング」と呼んでいます。
ポイントは、**「雨を止めようとしないこと」**です。
現実世界で雨が降った時、「なんで雨なんだ! 止まれ!」と空に向かって叫ぶ人はいませんよね?(笑) 「あ、雨だ。じゃあ傘をさそう」とか「雨音を聞きながらお茶でも飲もう」と対応するはずです。
感情も同じです。
「不安」や「嫉妬」が出てきたら、「おっ、今日は風が強いな(嫉妬してるな)」とただ観察する。
「あわれだなあ」と、その荒れた天気さえも味わってみる。
書くことで感情を自分の外に出し(外化し)、客観的な「現象」として捉える。これができるようになると、不思議と感情に飲み込まれなくなります。「天気は必ず変わる」と知っているからです。
私の娘にもこれを勧めました。
彼女のノートには最近、「今日は彼へのイライラ警報発令中。雷が落ちそう。でも午後から晴れるかも」なんて書かれています(笑)。自分の感情を実況中継することで、深刻になりすぎずに済んでいるようです。
実践2:一瞬を永遠にする「5分間の茶道」
二つ目のツールは、もっと身体的なアプローチです。
日本の「茶道(Sadō)」の精神を、現代風にアレンジした**「マインドフルネス・ティータイム」**です。
茶道の本質は、お茶を飲むという日常の行為に、全神経を集中させることにあります。
「一期一会」――この一杯のお茶は、二度と同じ条件では飲めない。
そう思うと、お茶の温度、香り、器の手触り、全てが愛おしくなります。
これを、恋愛や生活の不安解消に応用します。
彼のことばかり考えて心が落ち着かない時、スマホを置いて、一杯のコーヒー(紅茶でも緑茶でもOK)を丁寧に淹れてみてください。
【やり方】
- **「今ここ」**に意識を戻します。過去の失敗も、未来の不安も一旦脇に置きます。
- お湯が沸く音、注ぐ時の香り、カップの温かさを五感で感じます。
- 一口飲んで、その味が体に染み渡る感覚だけを味わいます。
- 心の中でこう呟きます。「今、私は温かい飲み物を飲んで、生きて、ここにいる。それだけで完璧だ」
これが「もののあわれ」のトレーニングです。
「ないもの(彼の返信)」を数えるのではなく、「あるもの(目の前の一杯のお茶、温かい部屋、生きている自分)」を深く味わう。
この「味わう力」がつくと、彼と一緒にいる時の時間の質が劇的に変わります。
スマホを見ながらの「ながらデート」ではなく、彼の笑顔、声のトーン、繋いだ手の温もりを、まるで「最後の一杯のお茶」のように大切に味わえるようになるからです。
相手もそれを敏感に感じ取ります。「あ、この人は今、僕との時間を本当に楽しんでくれているんだ」と。それが安心感を生み、二人の絆を強くします。
「感謝」は最強の美容液
「もののあわれ」を知る旅のゴールは、**「感謝(Gratitude)」**です。
「変化して消えてしまうもの」だからこそ、今あることが「有り難い(Arigatai=めったにない、奇跡だ)」。
朝、目が覚めたこと。
家族が元気なこと。
彼と出会えたこと。
たとえ別れが来たとしても、その痛みを感じられるほど誰かを愛せたこと。
その全てに対して「あわれだな(しみじみと尊いな)」と感じ、「ありがとう」と言えるようになった時、女性は内側から発光するような美しさを纏います。これはどんな高級な美容液よりも効きますよ(笑)。
私が日本で見てきた「素敵な大人の女性」たちは、みんなこの雰囲気を持っています。
ガツガツと何かを追い求めるのではなく、与えられた季節を楽しみ、去りゆくものには静かに手を振る。その余裕、その「間(Space)」が、周りの人を惹きつけ、癒やすのです。
エピローグ:娘のその後
さて、最後にあの溜め息をついていた私の娘の話をして締めくくりましょう。
ブログシリーズを書き進める中で、彼女も少しずつ変わってきました。
相変わらず彼からの返信に一喜一憂することはありますが、以前のように「世界の終わり」のような顔はしなくなりました。
先日、彼女がポツリと言いました。
「ママ、私わかったかも。彼とずっと一緒にいられるかは分からないけど、昨日のデートで見た夕焼けがすごく綺麗で、隣に彼がいるのが嬉しくて、なんか泣きそうになったんだよね。これが『もののあわれ』?」
私はキッチンでガッツポーズをしました(笑)。
「そうよ! それを感じられたら、もう大丈夫。その切なくて温かい気持ちこそが、恋の醍醐味なんだから」
彼女は今、「追う花」ではなく、「咲く花」になろうと、自分の趣味や勉強にも力を入れ始めています。すると不思議なことに、彼の方から「会いたい」という連絡が増えたそうです。「最近、なんか綺麗になったね」なんて言われて。
やっぱり、古人の知恵は偉大ですね。
終わりに:世界中のあなたへ
海外にお住まいの皆さん。
文化や言葉が違っても、人を愛する気持ち、失うことを恐れる気持ちは世界共通です。
もし、あなたが今、恋愛や人間関係で苦しんでいるのなら、ぜひこの日本の古い魔法の言葉、**「もののあわれ」**を思い出してください。
永遠なんてなくていい。
完璧じゃなくていい。
移ろいゆくからこそ、美しい。
その儚さを愛せるようになった時、あなたの人生は、雨の日も風の日も、味わい深い「最高の一日」に変わります。
不安な夜は、窓を開けて月を見てください。日本にいる私や、世界中のどこかにいる誰かも、同じ月を見上げて「綺麗だな」と思っているかもしれません。
私たちはみんな、同じ「時」という川を流れる旅人同士なのですから。
長い間、このブログシリーズにお付き合いいただき、本当にありがとうございました!
皆さんの心に、優しい桜のような「もののあわれ」の花が咲きますように。
日本から愛を込めて。
Momoko

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