完璧主義の罠と、日本古来の美意識「侘び寂び」との出会い
みなさん、こんにちは。日本のとある街から、今日のブログをお届けしています。
今日の日本は、しとしとと雨が降っています。窓の外を眺めると、雨に濡れた庭の木々が少し寂しげで、でもどこか落ち着いた深い緑色を放っていて、とても風情があります。みなさんが住んでいる国や街は、今どんな季節を迎えていますか?
さて、突然ですが質問です。みなさんは「完璧でありたい」と思ったことはありますか?
海外で生活されているみなさんなら、日々の家事や育児、あるいは新しい言語の習得やキャリアの構築など、たくさんの「やらなければならないこと」や「達成したい目標」に囲まれて過ごしていることと思います。
私も日本で主婦をしていますが、正直に言うと、毎日が「理想」と「現実」の戦いです。
Instagramを開けば、そこには塵ひとつ落ちていない真っ白なリビング、栄養バランスも彩りも完璧な朝食、笑顔でポーズをとる美しい家族の写真が溢れていますよね。「素敵な生活だなぁ」とため息をつくと同時に、「それに比べて私の家は……」と、散らかった部屋やお惣菜に頼ってしまった夕飯を見て、ズンと心が重くなること、ありませんか?
「もっと頑張らなきゃ」「どうして私は完璧にできないんだろう」
そうやって自分を責めてしまう気持ち、すごくよく分かります。目標が高ければ高いほど、そこに至るまでの「今の自分」の至らなさが目についてしまうんですよね。私たちはいつの間にか、「完璧であること」こそが正解で、少しでも欠けていたり、散らかっていたり、失敗したりすることは「悪」だという思い込みに縛られてしまっているのかもしれません。
でもね、ここ日本には、そんな私たちの肩の荷をふっと下ろしてくれる、とても古くて、とても優しい考え方があるんです。
それが、今日のテーマである**「侘び寂び(Wabi-Sabi)」**です。
海外のインテリア雑誌やデザイン界隈でも、最近よくこの「Wabi-Sabi」という言葉を耳にするようになったかもしれません。でも、これは単なる「古ぼけたスタイル」や「ミニマリズム」のことではないんです。もっと心の奥底にある、人生を楽に、そして豊かに生きるための「哲学」のようなものなんですよ。
今日は、雨の音を聞きながら、少しだけこの「不完全さの美学」について、私自身の体験や日本の空気感を交えてお話しさせてください。
「侘び寂び」って、結局どういうこと?
言葉の響きからして、なんだか難しそうですよね。「侘び(Wabi)」と「寂び(Sabi)」。日本人の私たちでさえ、これを明確に言葉で説明するのは難しいものです。でも、感覚としてはみんな持っています。
簡単に言うと、「侘び」とは、足りないことや貧しいことの中に心の豊かさを見出すこと。派手さや豪華さを追い求めるのではなく、質素で静かなものの中に美しさを見つける心です。
そして「寂び」とは、時間の経過とともに古くなったり、色あせたりしたものに、独特の深みや美しさを感じること。新品のピカピカした状態よりも、使い込まれて少し角が取れたり、苔が生したりした状態を「趣がある」と愛でる感覚です。
つまり、「侘び寂び」を合わせて考えると、**「不完全なもの、未完成なもの、移ろいゆくものの中にこそ、本当の美しさがある」**という世界観なんです。
これって、現代社会が私たちに求めてくる「常に若々しく、常に新しく、常に完璧であれ」というプレッシャーとは、真逆の考え方だと思いませんか?
例えば、日本庭園を想像してみてください。
西洋の庭園(たとえばベルサイユ宮殿のような)は、木々が幾何学模様に刈り込まれ、左右対称で、圧倒的な「人工的な完璧さ」を誇りますよね。それはそれで素晴らしい美しさです。
一方で、日本の庭園はどうでしょう。木々は自然な枝ぶりを生かされ、石には苔が生え、落ち葉が一つ落ちていても、それが「風情」として許容されます。左右非対称で、どこか隙があり、自然のままの不揃いな姿。そこに私たちは、言葉にできない安らぎを感じるのです。
この感覚を、私たちの「人生」や「目標達成」のプロセスに当てはめてみたらどうなるでしょうか?
毎日の「messy」な現実を愛せるか
私たちが何か新しいゴールに向かって進むとき、その道のりは決して一直線ではありません。
英語を勉強しようと決意しても、三日坊主で終わってしまったり。
ダイエットを誓ったその夜に、甘いケーキを食べてしまったり。
完璧な母親でいようと思ったのに、子供にイライラして怒ってしまったり。
現実はいつだって、泥臭くて、散らかっていて(messy)、計画通りにはいきません。これを「失敗だ」「私はダメだ」と捉えてしまうと、苦しくなって途中で投げ出したくなります。
でも、「侘び寂び」のメガネをかけて、その状況を見てみてください。
三日坊主で終わったそのテキストの汚れも、頑張ろうとした証拠(寂び)。
完璧にできなかったその悔しさも、より良くありたいと願う心の表れ(侘び)。
不完全であることは、恥ずかしいことではなく、あなたが「生きている」そして「変化している」という証拠なんです。「Wabi-Sabi」は、私たちにこう語りかけてきます。
「その凸凹(デコボコ)した道のりこそが、あなたの人生の味わい深い景色なんだよ」と。
私がこの考え方に救われた具体的な出来事があります。
以前、私は海外からのお客様をお招きして、自宅でお茶会を開こうとしたことがありました。「日本のおもてなしを見せなきゃ!」と意気込んで、部屋を隅々まで掃除し、最高級のお茶を用意し、着物を着て……と、完璧な準備を目指しました。
でも、当日になって緊張のあまり、お出しするはずだった大切な和菓子を崩してしまったんです。形が崩れたお菓子を見て、私はパニックになりました。「もうダメだ、完璧なおもてなしが台無しだ」と泣きそうになりました。
その時、同席していた年配の日本人の友人が、崩れたお菓子を見て微笑みながらこう言ったんです。
「あら、崩れた様子もまた、愛嬌があっていいじゃない。形あるものはいつか崩れる。その儚さが、このお菓子の甘さをより引き立ててくれるわよ」
目から鱗が落ちる思いでした。
私は「形が整っていること」だけに価値を置いていましたが、彼女は「崩れたその瞬間」にも美しさを見出していたのです。結果、その場は私の失敗のおかげで緊張が解け、お客様とも「失敗談」で盛り上がり、とても温かい、忘れられないお茶会になりました。
もし私が完璧を目指して、崩れたお菓子を隠したり、自分を責めて暗い顔をしていたら、あの温かい時間は生まれなかったでしょう。
不完全さを受け入れた時、そこには予定調和ではない、本物の「つながり」や「物語」が生まれたのです。
スタートラインに立つための「許し」
目標を追いかける多くの人が、最初の一歩を踏み出せない、あるいは途中で止まってしまう原因の多くは、「準備が完璧にできていないから」という理由ではないでしょうか。
「もっと知識をつけてから」
「もっとお金が貯まってから」
「子供の手が離れてから」
そうやって「完璧なタイミング」や「完璧な状態」を待っているうちに、時間はどんどん過ぎ去ってしまいます。
でも、自然界を見てください。桜の花は、満開の瞬間だけが美しいわけではありません。蕾(つぼみ)の状態も、散りゆく花びらも、葉桜になっても、それぞれの瞬間に美しさがあります。
私たちも同じです。「成功した自分」だけが素晴らしいのではなく、「迷っている自分」「試行錯誤している自分」もまた、美しいプロセスの途中なのです。
「Wabi-Sabi」の心を取り入れるということは、自分自身に「未完成のままで進んでいいんだよ」という許可を出してあげることでもあります。
ぐちゃぐちゃのままでいい。
分からないことがあってもいい。
途中で転んでもいい。
その「いびつさ」こそが、あなたという人間のオリジナルな魅力になり、誰かの共感を呼ぶストーリーになるのですから。
さて、ここまで「侘び寂び」という、不完全さを肯定する日本の心についてお話ししてきました。
「欠けていること」や「古いこと」を愛でる心が、いかに私たちを完璧主義の呪縛から解放してくれるか、少し感じていただけたでしょうか?
しかし、日本にはもう一つ、失敗や傷ついた経験をさらに力強い美しさに変える、魔法のような伝統技法があります。
ただ「欠点を受け入れる」だけではなく、その傷を「黄金」で彩り、以前よりも価値あるものへと昇華させる技術。
それが、次にお話しする**「金継ぎ(Kintsugi)」**です。
割れてしまったお気に入りの器。みなさんならどうしますか? 普通ならゴミ箱行きかもしれません。でも、日本ではそれを漆(うるし)と金粉で繋ぎ合わせ、壊れる前よりも芸術的で、世界に一つだけの器として蘇らせるのです。
この「金継ぎ」の哲学こそが、私たちが人生で直面する大きな挫折や失敗を、どう乗り越え、どう輝かせていくかの大きなヒントになります。
次回のパートでは、この「金継ぎ」について、その深遠な意味と、私たちの日常への活かし方をじっくりと掘り下げていきたいと思います。傷つくことを恐れているあなたに、きっと勇気を与えてくれるはずです。
それでは、また次の記事でお会いしましょう。雨上がりの庭のように、みなさんの心もしっとりと潤いますように。
壊れたものを愛でる「金継ぎ」の哲学:傷跡は強さの証
前回の記事では、少し欠けているくらいが丁度いいという「侘び寂び」のお話をしました。
「完璧じゃなくていいんだ」と、少し肩の力が抜けましたか?
さて、今回はそこからもう一歩踏み込んでみましょう。
私たちは生きていれば、時に「欠ける」どころか、派手に「割れて」しまうことがあります。心がポッキリと折れるような失敗、積み上げてきた信頼が崩れるようなミス、あるいは人間関係の断絶……。
「もう元には戻らない」
「すべて終わってしまった」
そう感じて、絶望した経験は誰にでもあるはずです。
そんな時、私たちはその「割れてしまった事実」をどう扱えばいいのでしょうか。なかったことにする? 捨てて新しく作り直す?
いいえ、日本には**「金継ぎ(Kintsugi)」**という、壊れたものに新たな命と価値を吹き込む、魔法のような技法があります。
今日は、私のちょっとした失敗談と、そこから学んだ「再生の物語」を聞いてください。
ある日、お気に入りの器が粉々になったとき
あれは数年前の、ある冬の朝のことでした。
私はキッチンで、いつものように朝食の準備をしていました。手には、結婚のお祝いに友人からいただいた、作家もののマグカップ。土の温かみを感じる、私の一番のお気に入りでした。
忙しさに追われていた私は、つい手が滑り、そのカップを硬い床に落としてしまったのです。
「ガシャン!」という乾いた音と共に、カップは無残にも三つの破片に割れてしまいました。
時が止まったようでした。
ただの食器と言われればそれまでですが、そこには友人の想いや、毎朝コーヒーを飲んだ思い出が詰まっていました。「やってしまった……」という後悔と、自分の不注意さへの怒りで、涙が滲んでくるほどでした。
欧米の文化や、現代の効率主義で考えれば、このカップの運命は「ゴミ箱」一択でしょう。「また新しいのを買えばいいじゃない」と。
あるいは、強力な接着剤でくっつけて、割れ目が目立たないように「隠す」ことが正解とされるかもしれません。
でも、私はどうしても捨てられませんでした。
そこでふと思い出したのが、以前テレビで見かけた「金継ぎ」のことでした。
「割れた器を漆(うるし)で繋ぎ、その継ぎ目を金粉で装飾する」という、日本の伝統的な修復技法です。
私は近所の金継ぎ教室のドアを叩くことにしました。
「先生、これ、直せますか?」
粉々になった破片を差し出す私に、先生は優しく微笑んでこう言いました。
「ええ、直せますよ。しかも、割れる前よりもっと素敵な景色が見られるようになりますよ」
この言葉の意味を、私はその後の修復プロセスを通して、深く理解することになるのです。
隠すのではなく、傷を「黄金」で称える
金継ぎの作業は、驚くほど手間と時間がかかります。
現代の瞬間接着剤なら30秒で終わるところを、本漆を使った金継ぎは、漆が乾くのを待つために何週間、時には何ヶ月も時間をかけます。
割れた破片と破片を漆で接着し、湿度の高い箱(室・むろ)に入れてじっくりと固める。
段差があれば漆で埋め、また乾かす。
そして最後に、その傷跡の上に、筆で丁寧に金を蒔(ま)いていくのです。
この工程の中で、私が最も衝撃を受けたのは、**「傷を隠そうとしない」**という点でした。
通常の修復(Repair)とは、いかに「新品同様に戻すか」を目指しますよね? 傷跡は「欠陥」であり、恥ずべきものだから、なるべく見えないように修正します。
しかし、金継ぎは真逆です。
あえて傷跡を、煌びやかな「金」でなぞるのです。
「ここが割れていたんですよ」「ここが私が一番苦労して直した場所ですよ」と主張するかのように、傷跡を一番目立つ「主役」にしてしまうのです。
出来上がった私のマグカップは、以前とは全く違う表情をしていました。
素朴な土色のカップに走る、稲妻のような一本の金のライン。それはまるで、暗い夜空に光る雷のようであり、あるいは大地を流れる黄金の川のようにも見えました。
それを見た瞬間、私は「美しい」と息を呑みました。
割れる前の「無傷のカップ」も素敵でしたが、割れて、繋がり、金の傷跡を持った今のカップには、何とも言えない深みと、物語性があったのです。
「傷は隠すべき恥ではない。それは、その器が生き延びてきた歴史であり、強さの証明なのだ」
そう教えられた気がしました。
人生の「クラッシュ」を金継ぎする
この金継ぎの哲学は、私たち人間の生き方、そして目標達成のプロセスにも、そのまま当てはまると思いませんか?
私たちは、完璧なキャリア、完璧な夫婦関係、完璧な自分を目指して走ります。
でも、人生には予期せぬ事故がつきものです。
・期待されていたプロジェクトで大失敗をした。
・信じていたパートナーとの関係に亀裂が入った。
・病気や燃え尽き症候群(バーンアウト)で、立ち止まってしまった。
・ダイエットのリバウンドで、自己嫌悪に陥った。
これらはすべて、人生における「器が割れた」瞬間です。
私たちはこの「傷」を恐れ、恥じ、必死に隠そうとします。「私は失敗なんてしていない」「私の家庭は円満だ」と、ファンデーションで厚塗りして隠したり、見なかったふりをしたりします。
でも、金継ぎの視点を持てば、その捉え方は180度変わります。
その失敗は、あなたの人生が終わったことを意味しません。
むしろ、そこからがあなたの「ユニークな物語」の始まりなのです。
私がブログを通じて出会った、ある海外の女性読者の方の話をしましょう。
彼女はキャリアウーマンとしてバリバリ働いていましたが、激務がたたって体調を崩し、職を失ってしまいました。「私の人生はもう粉々だ。キャリアのレールから外れた私は価値がない」と、彼女は深く落ち込んでいました。
私は彼女に、金継ぎの話をしました。
「今は、漆を乾かしている時間(Healing time)なのよ。焦って接着剤でくっつけなくていい。じっくり時間をかけて自分を癒やして。そしていつか、その経験という『金』を蒔いて、社会に戻っていけばいい」
数年後、彼女は以前とは違う、もっと自分のペースを大切にする働き方を見つけ、再出発しました。
彼女は私にこうメッセージをくれました。
「あの挫折があったから、私は本当に大切なものに気づけました。あの時の苦しみは、今の私の強み(Gold)になっています。同じように苦しむ人の気持ちがわかるようになったから」
彼女の人生という器には、今、美しい金のラインが入っています。それは、一度も失敗せずに順風満帆に来た人には決して出せない、人間としての「深み」と「優しさ」という輝きです。
傷跡こそが、あなたを「オリジナル」にする
新品の量産品の器は、どれも同じ顔をしています。
100個あれば、100個とも同じ完璧さです。
でも、「金継ぎ」された器は、世界に一つしかありません。
なぜなら、「どう割れたか」は、その器だけのオリジナルの歴史だからです。
二つとして同じ割れ方はありません。だから、二つとして同じ金継ぎの模様も生まれないのです。
私たちも同じです。
失敗のない、傷のない人生なんて、どこか味気ないと思いませんか?
あなたがこれまでに経験した悲しみ、恥ずかしい失敗、挫折。それらの一つひとつが、あなたという人間を形作る、世界に一つだけの「模様」になるのです。
「Flaws help us become stronger and more beautiful.(欠点は私たちをより強く、より美しくしてくれる)」
これは単なる慰めの言葉ではありません。
一度壊れた部分は、漆で繋ぐことで、実は元の部分よりも強固になると言われています。
私たちの心も、傷ついて、それを乗り越えた場所の方が、以前よりずっとタフになっているはずです。痛みがわかる分、人にも優しくなれます。
だから、もし今、あなたが何かに失敗して「割れて」しまっているとしても、どうか自分をゴミ箱に捨てないでください。
その破片を拾い集めましょう。
そして、時間をかけて、自分なりの「金」で継いでいけばいいのです。
さて、ここまで「金継ぎ」を通して、失敗や傷を肯定し、それを新しい価値に変える力についてお話ししてきました。
割れたことを嘆くのではなく、「どう継ぐか」に意識を向けること。
でも、頭では分かっていても、実際に失敗の渦中にいるとき、私たちはどうしても「なぜ私が?」「やっぱりダメだ」というネガティブな感情に飲み込まれてしまいがちです。
そこで次回は、この「金継ぎ」のマインドセットを、より具体的な行動や思考の習慣に落とし込むための「視点の転換(Perspective Shift)」についてお話ししたいと思います。
失敗を「行き止まり(Roadblocks)」ではなく、ある別のものとして捉え直すための、ちょっとしたコツがあるんです。
次回の記事で、その秘密を解き明かしていきましょう。
失敗を「行き止まり」から「景色」に変える視点の転換
ここまで読んでくださったみなさん、ありがとうございます。
「欠けていてもいい」「傷ついても美しい」。そんな日本の美意識が、少しずつみなさんの心に浸透してきているのを感じます。
でも、ここで少し意地悪な質問をさせてください。
頭では「失敗は美しい経験だ(金継ぎだ!)」と分かっていても、いざ実際に大きなミスをして上司に怒られたり、頑張っていたダイエットが挫折したりしたその瞬間に、心から「わあ、美しい! 成長のチャンスだ!」と思えますか?
……正直、難しいですよね。
私だってそうです。失敗した瞬間は、やっぱり落ち込むし、穴があったら入りたいし、「もう全部投げ出したい!」と思います。それは人間として当たり前の反応です。
しかし、ここで大切なのは「感情」と「行動」を切り離すことです。
この【転】の章では、失敗を単なる「嫌な出来事」で終わらせず、それを燃料にして前に進むための、日本的な**「視点の転換術」**をお伝えします。
これは、失敗を「行き止まり(Dead End)」と捉えるか、「工事中の看板(Under Construction)」と捉えるか、という大きな違いなんです。
「七転び八起き」の本当の意味
日本には、金継ぎと同じくらい、挫折した人を勇気づける有名なことわざがあります。
それは**「七転び八起き(Nana-korobi Ya-oki)」**です。
直訳すると「Fall down seven times, stand up eight.」。
7回転んでも、8回起き上がればいい。とてもシンプルで力強い言葉ですよね。
でも、ちょっと待ってください。算数が得意な方なら、「あれ?」と思うかもしれません。
7回転んだなら、起き上がるのも7回でいいはずですよね? なぜ「8回」なのでしょうか?
これには諸説ありますが、私はこう解釈しています。
**「最初の1回は、そもそも立っている状態から始まるのではなく、人生は『起き上がる』ところからスタートするからだ」**と。
私たちは生まれた時、誰もが何もできない状態(寝ている状態)から始まります。そこから立ち上がり、歩き出し、そして転びます。
つまり、転ぶことは「マイナス」になることではなく、挑戦しているプロセスの一部に過ぎないのです。
多くの人は、失敗を「道路の行き止まり」だと勘違いしています。
「あ、間違えた。もうこの道は通れない。引き返さなきゃ」と思ってしまう。だから怖くなるんです。
でも、「七転び八起き」の精神を持っていると、失敗は行き止まりの壁ではなく、ただの「段差」に見えてきます。
「おっと、つまずいた」
そう思ったら、また立ち上がればいいだけ。
転んだ数(失敗の数)よりも、起き上がった数(再挑戦の数)が1回でも多ければ、私たちは確実に前に進んでいるのです。
この「+1(プラスワン)」の精神こそが、レジリエンス(回復力)の正体です。
「完璧に歩くこと」が目標ではありません。「転んでも起き上がり続けること」こそが、人生という長い旅を続ける唯一の方法なのです。
「反省」は自分を責めることではない
さて、転んだ後にどう起き上がるか。ここに日本の「知恵」があります。
日本ではよく**「反省(Hansei)」**という言葉を使います。
海外のビジネスシーンでも「HANSEI」として知られているかもしれませんが、多くの人がこれを「後悔(Regret)」や「自己批判(Self-criticism)」と混同しています。
「私が悪かったんだ」「私はダメな人間だ」と自分を鞭打つことが反省だと思っていませんか?
それは違います。
正しい「反省」とは、**金継ぎにおける「欠けた破片を探す作業」**のことです。
感情的に自分を責めるのではなく、客観的に「どこが割れたのか」「なぜ割れたのか」を見つめること。
・準備が足りなかったのかな?
・体調が悪かったのかな?
・期待値が高すぎたのかな?
事実を淡々と見つめ、「次はどうすれば、ここを金(Gold)で継げるか」を考える。これが「反省」です。
一方で「後悔」は、ただ割れた器の前で泣いているだけの状態です。これでは何も生まれません。
私がブログを書くときもそうです。
「全然アクセスがなかった! 誰も読んでくれない!」と落ち込む(後悔)のではなく、
「タイトルが分かりにくかったかな? アップする時間が悪かったかな?」と分析(反省)する。
そうやって「割れた原因」を見つけ出し、そこに「工夫」という金を流し込む。
すると、次の記事はもっと良くなります。
失敗は「あなたの能力不足」を証明するものではなく、「改善のヒント(Feedback)」をくれているだけなのです。
失敗のコレクションが「深み」を作る
ここで少し、視点を未来に向けてみましょう。
みなさんが憧れる「素敵な人」を思い浮かべてみてください。
その人は、一度も失敗したことのない、ピカピカの完璧な人でしょうか?
おそらく違うはずです。
多くの困難を乗り越え、人の痛みが分かり、それでも笑顔で立っている人ではないでしょうか。
私たちは、無傷の人形よりも、傷を金で継いだ器の方に、より強い魅力を感じるのです。
そう考えると、今あなたが抱えている失敗やコンプレックスは、将来あなたを魅力的にするための「材料」になります。
海外生活での失敗談、言葉が通じなくて恥をかいた経験、文化の違いで誤解された悲しみ。
これらはすべて、将来誰かに話す時の「最高のネタ(Story)」になります。
私はよく自分に言い聞かせます。
「今は辛いけど、これ、1年後にはブログで笑い話にしてやるぞ」と。
そう思うと、不思議と勇気が湧いてくるんです。
失敗を「隠すべき汚点」から、「未来の武勇伝」「誰かを励ますためのエピソード」へと定義し直すのです。
これが、私が提案したい最大の**「視点の転換(Perspective Shift)」**です。
「Mistakes are not roadblocks. They are building blocks.」
(間違いは障害物ではない。積み上げるためのブロックだ。)
もし英語の勉強で行き詰まっているなら、それは「向いていない」のではなく、「今のやり方が合わない」という発見(ブロック)です。
もし人間関係で傷ついたなら、それは「自分が大切にしたい価値観」を知るための経験(ブロック)です。
金継ぎの職人は、割れた器を見て「あちゃー」とは思いません。「さて、どうやってこの傷を景色に変えてやろうか」とワクワクするそうです。
私たちも、自分の人生の職人になりましょう。
「おっと、また派手に転んだな。でも大丈夫。私には『金継ぎ』という魔法があるし、『七転び八起き』の精神がある」
そう思えるようになった時、私たちはもう無敵です。
失敗を恐れて立ち止まっていた足が、自然と一歩前へ踏み出したくなりませんか?
さあ、いよいよ物語は結末へ向かいます。
不完全さを愛し(侘び寂び)、傷を強さに変え(金継ぎ)、転ぶことを恐れなくなった(七転び八起き)私たちが、最終的にたどり着く場所。
それは、完璧なゴール地点ではなく、もっと穏やかで、もっと自分らしい「ある境地」です。
次回の【結】では、この長い旅の締めくくりとして、明日からすぐに使える小さな習慣と、みなさんへの最後のエールをお届けします。
不完全さを抱きしめて、しなやかに進み続ける明日へ
ここまでお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
日本からお届けしてきたこのブログシリーズも、今回で最後になります。
書き始めた時、私の住む街には冷たい雨が降っていましたが、今は雲の隙間から柔らかい日差しが差し込んできました。雨に濡れた庭の木々は、キラキラと雫を輝かせています。
まさに、雨(試練)があったからこそ見られる、美しい景色です。
私たちはこれまで、3つのステップで心を整えてきました。
- **【侘び寂び】**で、完璧主義を手放し、「不完全な自分」を許すこと。
- **【金継ぎ】**で、過去の失敗や傷を隠さず、あなただけの「黄金の歴史」として愛でること。
- **【視点の転換】**で、転ぶことを恐れず、「七転び八起き」の精神で淡々と起き上がること。
この最終章では、これらの哲学を、明日からの具体的な日常にどう落とし込んでいくか、私からの「小さな提案」と「エール」をおくります。
難しい修行は必要ありません。毎日の生活の中で、ふとした瞬間に思い出してほしい魔法の言葉と習慣です。
魔法の言葉「まぁ、いっか(Ma, ikka)」
日本人の主婦である私が、毎日を笑顔で乗り切るために、一番大切にしている魔法の言葉があります。
それは、**「まぁ、いっか(Ma, ikka)」**です。
これを英語で直訳するのは難しいのですが、ニュアンスとしては “Well, it’s fine.” や “It is what it is.”、あるいは “I let it go.” に近いでしょうか。
でも、もっと温かくて、自分を許す響きがあります。
家事が終わらなくて部屋が散らかっていても、「まぁ、いっか。今日は頑張ったし」。
子供に少しイラッとしてしまっても、「まぁ、いっか。私も人間だし」。
ブログの更新が止まってしまっても、「まぁ、いっか。また書きたい時に書こう」。
真面目な人ほど、この言葉を「諦め」や「妥協」だと捉えて、使うのを怖がります。「もっと向上心を持たなきゃ!」と。
でも、ここで思い出してください。「侘び寂び」の心を。
「まぁ、いっか」は、決して投げやりな言葉ではありません。
これは、「自分の力の及ばないこと(天気や他人の感情、過去の失敗)」に対する執着を手放し、「今あるもの」に感謝するためのスイッチなのです。
完璧を目指してカリカリしている時の私たちは、眉間にシワが寄って、呼吸も浅くなっています。そんな状態では、良いアイデアも浮かばないし、家族にも優しくなれませんよね。
そこで「まぁ、いっか」と呟いてみてください。
ふっと肩の力が抜け、呼吸が深くなり、視界が広がるのが分かるはずです。
そのリラックスした状態(Relaxed state)こそが、次の「起き上がる(八起き)」ためのエネルギーをチャージする瞬間なのです。
明日から、もし何かが思い通りにいかなくてイライラしたら、空を見上げて、日本語で呟いてみてください。
「Ma, ikka(まぁ、いっか)」と。
その一言が、あなたの心に「侘び寂び」の風を吹かせてくれますよ。
あなたの人生は、あなただけの「作品」
みなさんは、ご自身の人生を「タスクのリスト(To-Do List)」だと思っていませんか?
次々にクリアして、全部チェックをつけたら「成功」……そんな風に考えていると、人生はただの「作業」になってしまいます。
でも、「金継ぎ」の視点を持った今、私たちは違う捉え方ができます。
人生はタスクリストではなく、**「一つの大きな器(Art Piece)」**です。
生まれた時は、みんな同じような形をした、無垢な土の塊でした。
それが、海外移住という大きな決断で形を変え、カルチャーショックでヒビが入り、失敗や別れで欠け、時には粉々に砕かれたかもしれません。
でも、そのたびにあなたは、涙という漆で破片を繋ぎ、経験という金粉を蒔いてきました。
今、鏡で自分の顔を見てみてください。
目尻のシワ、増えた白髪、少し疲れた表情……それら全てが、あなたが懸命に生きてきた証であり、金継ぎの「景色」です。
海外で生活しているみなさんは、母国に留まっている人よりも、きっと多くの「ヒビ」や「欠け」を経験しているはずです。言葉が通じないもどかしさ、孤独感、アイデンティティの揺らぎ。
でも、だからこそ、みなさんの器は、とてつもなく美しいのです。
多くの傷を金で継いだその器は、人の痛みを受け止める深さと、異文化を受け入れる広さを持っています。
どうか、ご自身のその美しい器を、もっと誇ってください。
「あの時、あんなに辛かったのに、私よくここまで繋いできたな」と、自分で自分を褒めてあげてください。
誰かと比べる必要なんてありません。
あなたの隣にいるあのキラキラして見える人も、実は見えないところで必死に金継ぎをしている最中かもしれません。
みんな、それぞれの「不完全さ」を抱えながら、一生懸命に自分の器を作っているアーティストなのです。
終わりなき旅を、軽やかに
最後に。
私たちはこれからも、きっとまた転びます。
新しい挑戦をすれば失敗するし、大切なものを壊してしまうこともあるでしょう。
でも、もう大丈夫。
今の私たちには、「転んでもただでは起きない」どころか、**「転んだ場所で、綺麗な花を見つけてから起き上がる」**くらいの余裕があります。
失敗したら、「おっと、新しい金継ぎのチャンスが来た!」と思えばいい。
疲れたら、「侘び寂びの時間だ」と言って休めばいい。
「完璧(Perfect)」という重い荷物を下ろして、代わりに「愛嬌(Charm)」と「しなやかさ(Resilience)」を持って旅を続けましょう。
凸凹(デコボコ)した道の方が、歩いていて面白い発見がたくさんありますから。
日本という遠い国から、海を越えて、みなさんの日常に少しでも「心の安らぎ」が届いたなら、これほど嬉しいことはありません。
いつか、どこかの空の下で、お互いの金継ぎだらけの器を見せ合いながら、「いろいろあったけど、良い人生だったね」と笑い合える日が来ることを願っています。
ブログを読んでくださって、本当にありがとうございました。
あなたの明日が、不完全で、騒がしくて、とびきり美しい一日になりますように。
それでは、また。
日本より、愛を込めて。

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