こんまりの「片付け」の先にあるもの。日本在住主婦が実践する「カイゼン」と「イキガイ」の暮らし術

心がザワつくのは、部屋が散らかっている「だけ」じゃない?

こんにちは!

海を越えて、世界各地で毎日を頑張っていらっしゃる主婦の皆さん。日本で、やんちゃ盛りの子供二人と格闘しながら(笑)、なんとか日々を暮らしております、[あなたのブログ名や名前]です。いつも読んでくださり、本当にありがとうございます。

海外での暮らし、いかがですか?

日本にいた頃とは違う景色、違う空気、違うルールの中で、ご家族のために、そしてご自身のために、毎日を丁寧に、でも必死に紡いでいらっしゃるんだろうなと想像しています。

きっと、日本の家族や友人と電話で話すとき、「そっちは素敵でいいわねぇ」なんて言われることもあるかもしれません。もちろん、素敵なこともたくさんあるけれど、現実はそんなキラキラした部分だけじゃないですよね。

慣れない言語での学校や役所とのやり取り、日本では秒で終わる手続きが丸一日かかったり、「あれ、この食材どう使うの?」という小さな戸惑いの連続。そして何より、日本にいたら当たり前に得られた「ちょっとした情報」や「阿吽(あうん)の呼吸」が通じない環境での子育てや人間関係…。

「私、ちゃんとやれてるのかな?」

「なんだか、ずっと空回りしている気がする」

そんな風に、ふと心がザワつく瞬間。きっと、私だけじゃないはずです。

さて、ここ数年、世界中で「Kondo」や「Tokimeki(ときめき)」という言葉が、一種の共通言語になりましたよね。

そう、ご存知「こんまり」さんこと、近藤麻理恵さん。

彼女が世界に広めた「片付けの魔法」は、単なる整理整頓術を遥かに超えて、一つの大きなムーブメントになりました。

海外にお住まいの皆さんも、現地の友人との会話で「コンマリ、試してみた?」なんていう話題が出た経験がおありかもしれません。

彼女のメソッドが、なぜあんなにも文化や言語を超えて、世界中の人々の心を鷲掴みにしたのか。

私、あれは単に「部屋がスッキリする」からだけじゃない、と思うんです。

モノと一つ一つ向き合い、「ときめく」かどうかで判断し、感謝して手放す。

あのプロセスって、実は「自分自身の心と向き合う」作業そのものなんですよね。

物理的な空間(部屋)を整えることを通じて、精神的な空間(心)を整える。

特に、現代社会って、情報もモノも常に「過剰」じゃないですか。

常に何かに追われ、スマホを開けば新しいニュースや誰かの「素敵な暮らし」が流れ込んでくる。そんな中で、自分でも気づかないうちに「心の疲れ」を溜め込んでいる人々に、彼女の「捨てる(手放す)」という行為が、ある種の救いのように感じられたんじゃないかな、と。

「そうか、全部を抱え込まなくていいんだ」

「私にとって本当に大事なものだけを選んでいいんだ」

そう許可をもらえたような、そんな感覚。

…でもね、ここで私、ふと思うんです。

こんまりさんのメソッドで家をピカピカにした。ときめくモノだけに囲まれて、スッキリした。

「よし、これで私も丁寧な暮らしができる!」と意気込んだ。

…でも、どうでしょう。

しばらくすると、なんだかまた心がザワザワしてくる。

部屋は片付いているはずなのに、なぜか焦る。

家族のスケジュール管理、次から次へと降ってくる「名もなき家事」、育児の悩み、パートナーとの小さなすれ違い。

そして、海外で暮らしているからこその、「私、このままでいいのかな?」「社会から取り残されていないかな?」という、漠然とした将来への不安。

そういう「心の散らかり」って、残念ながら、モノを捨てただけじゃ、なかなか片付かないんですよね。

むしろ、家がきれいになったからこそ、そういう「内面の問題」や「日々のオペレーションの非効率さ」が、よりくっきりと見えてきてしまう…なんてこともあるかもしれません。

「ときめき」だけじゃ、回らない。

それが、家事と育児と、時には異文化ストレスとも戦う、私たち主婦の「リアル」なんじゃないでしょうか。

そこで今日、皆さんとシェアしたいのが、「こんまりの次」とも言えるかもしれない、もう一つの、そしてもっと日常の「動作」に根付いた、日本古来の知恵なんです。

それが、今回のテーマである**「カイゼン(Kaizen)」「イキガイ(Ikigai)」**。

「カイゼン」って聞くと、多くの方が「トヨタの工場?」みたいな、ちょっとお堅いビジネス用語を思い浮かべるかもしれません(笑)。

実際、私もそうでした。「品質管理」とか「生産性向上」とか、そういうイメージ。

でも、この「カイゼン」=「継続的な改善」という考え方。

これを、主婦の聖域である「キッチン」や「日々の家事」に応用してみたら…

これが、驚くほど私たちの「心の安定」に効いたんです。

そして、もう一つの「イキガイ(生き甲斐)」。

「生き甲斐」なんて言うと、「人生を捧げるような壮大な目標」とか「世界を変えるような仕事」とか、なんだかすごくハードルが高いものに感じませんか?

特に、海外で暮らしていると、キャリアを中断していたり、自分の「居場所」が不安定に感じたりして、「私なんかに、生き甲斐なんて…」と思ってしまうこともあるかもしれません。

でも、日本人が本来大切にしてきた「イキガイ」って、実はもっと足元にある、ささやかで、でも確かな「喜び」や「手応え」のことなんじゃないかな、と私は思うようになりました。

大げさに言えば、「朝、ベッドから起き上がる理由」になるような、小さな「楽しみ」のこと。

このブログで深掘りしていきたいのは、まさにそこなんです。

日本人が昔から大切にしてきたのって、実は「一発逆転」や「完璧な状態」を目指すことじゃなくて、

「昨日よりちょっとだけ良くする」という日々の工夫(=カイゼン)や、

そのプロセス自体に喜びを見出す(=イキガイ)という、地道な姿勢なんじゃないか、と。

それは、派手さはないけれど、すごく実用的で、私たちの「心の幸福度」や「日々の感謝」に直結する考え方。

こんまりさんが教えてくれたのが「空間(モノ)」の整え方だとしたら、

「カイゼン」と「イキガイ」は、「時間(コト)」と「感情(ココロ)」の整え方、と言えるかもしれません。

私、思うんです。

本当の「効率」って、タスクを猛スピードで終わらせることじゃなくて、

「意図(Intentionality)」を持って一つ一つを丁寧に行い、結果として**「心に平穏が訪れる」**ことなんじゃないかな、って。

この記事から続く「承・転・結」では、そんな「カイゼン」と「イキガイ」を、日本で暮らす一主婦である私が、具体的にどうやって日々のドタバタな育児や家事に取り入れているのか。

例えば、

「なんで私ばっかり!」が消えた、夕飯準備の「カイゼン」術とか。

「どうせ誰も見てないし…」という虚しさから救ってくれた、小さな「イキガイ」の見つけ方とか。

そんな、超・具体的な「実体験ベース」のお話を、たっぷりとご紹介していこうと思います。

「片付け」の次の一歩、もしご興味があれば、ぜひ一緒(いっしょ)に探求(たんきゅう)してみませんか?

トヨタ式「カイゼン」をキッチンで。私が見つけた「小さな達成感」という貯金

さて、前回の「起」の記事を読んでくださった方、ありがとうございます。

「こんまり」の次、「カイゼン」と「イキガイ」が私たち主婦の心を救うかも?なんて、ちょっと大げさな問題提起をしちゃいました。

で、今日はその「カイゼン」について。

「カイゼン」って、やっぱりあの「世界のトヨタ」のイメージ、強いですよね。

ヘルメットをかぶった作業員の方々が、「ムダ・ムラ・ムリ」をなくすために、工場のラインをストップウォッチ片手に見直す…みたいな。

「いやいや、うち、工場じゃなくてキッチンだし!」

「そんなビジネス理論、ドタバタな家事育児に持ち込まれても…」

そう思われる気持ち、よーーーく分かります。

私も最初はそうでした。

「カイゼン」なんて言葉、夫がビジネス書で読んでるのを横目で見るくらいで、自分ごとだなんて、これっぽっちも思っていなかったんです。

私にとっての「カイゼン」との出会い(と言うと大げさですが)は、本当にささいな、でも積もり積もれば大きな「イライラ」がきっかけでした。

我が家で一番の戦場、それは、平日の夕方、17時から19時のキッチンです。

たぶん、これは世界共通ですよね?(笑)

保育園からヘトヘトになって帰ってきた子供たちが、「お腹すいたー!」「ママ、これ見てー!」「(兄弟げんかが始まって)うわーん!」の大合唱。

片や、私も仕事(パートですが)から帰ってきて、息つく暇もなくエプロンを締める。

「ちょっと待っててね!」を50回くらい繰り返しながら、頭の中はフル回転です。

(えーっと、まずお米といで、セットして、冷蔵庫からお肉出して…あ、お肉解凍し忘れてるじゃん!最悪!じゃあ先に野菜?人参と…あれ、玉ねぎどこいった?あ、こないだ使い切ったんだ。うわー、どうしよう。メニュー変更?あ、でもお肉解凍しなきゃ…)

…みたいな(笑)。

もうね、頭の中がごちゃごちゃ。

こんまりさんのおかげで、キッチンツール自体はスッキリ「ときめく」ものだけになっているはずなのに、私の「動き」と「思考」が、まったく片付いていない。

あっちの棚を開けて、こっちの引き出しを開けて。

冷蔵庫とコンロの間を、無駄に何往復もしている。

調味料(さしすせそ)がバラバラの場所にあるから、味付けのたびにウロウロ。

結果、なんとかご飯は完成するけれど、私はもうグッタリ。

「なんで私ばっかり、こんなに大変なの!」

「せっかく作ったのに、子供はこぼすし、夫はスマホ見ながら食べてるし!」

イライラが最高潮に達して、せっかくの夕食が、なんだかギスギスした空気になっちゃう。

これって、すごく悲しくないですか?

家族のために、良かれと思って頑張っているのに、その頑張りが自分のイライラを生んで、家族に当たってしまうなんて、本末転倒もいいところです。

そんな日が続いていたある時、ふと、思ったんです。

「私、このキッチンで、無駄な動き、しすぎじゃない?」と。

例えば、料理酒。

なぜかコンロから一番遠い、シンク下の奥にしまってあったんです。料理中、毎回そこまで取りに行く。なぜって、昔から「そこが定位置」だったから。なんとなく。

「…これ、今使うんだから、コンロの横にあれば、私、一歩も動かなくていいじゃん」

その日、料理酒のボトルを、コンロ横の引き出し(ちょうどスペースが空いていた)に、えいっと移しました。

たった、それだけ。

でも、翌日。

炒め物をしながら、引き出しにスッと手を伸ばし、料理酒を取って、ジャーっと入れる。

…シンク下まで、歩かなくていい。

その時感じた、「あ、ラクだ」という、本当に小さな、小さな手応え。

これが、私の「キッチン・カイゼン」の第一歩でした。

トヨタ式カイゼンの本質って、たぶん「完璧なシステムを一気に作ること」じゃないんです。

そうじゃなくて、**「現場の人間が、日々の『ん?』という小さな違和感を見逃さず、今日できる範囲で、ちょっとだけ変えてみる」**こと。

そして、それを「続ける」こと。

「料理酒の移動」で味をしめた私(笑)、そこから「カイゼンごっこ」が始まりました。

カイゼン①:「動線」を見直す。

トヨタで言うところの「ムダな動き」をなくす、です。

私、まな板で切った野菜を、フライパンに入れるまでに、なぜか一回シンク側(逆方向)に体をひねって、ボウルに入れていたんです。なんでだろう(笑)。

それを、「切る」→「(すぐ横の)フライパンに入れる」という流れになるよう、まな板とコンロの位置を徹底的に見直しました。

具体的には、コンロのすぐ横の作業スペースを「絶対死守エリア」に決めて、そこには「今から使う食材」と「まな板」以外、絶対に置かないルールにしたんです。

これだけで、夕飯作りの「歩数」が、体感で半分くらいになりました。

カイゼン②:「探す」時間をゼロにする。

これも「ムダ」ですよね。

「あれ、ピーラーどこいった?」「軽量スプーンは?」

この「探す」時間って、数秒なんですけど、料理中の集中力とテンションを、ものすごく削いでくる。

そこで、こんまりさんの「定位置管理」を、さらに一歩進めました。

「使用頻度」で分けたんです。

一軍(毎日使う:包丁、まな板、お玉、菜箸)は、手を伸ばせば届く「ゴールデンゾーン」に。

二軍(週1〜2回使う:ピーラー、軽量スプーン、ボウル)は、その一段下。

三軍(月1回くらい:泡立て器、型抜き)は、もう吊り戸棚の上の方へ。

「探す」がなくなると、思考が止まらない。料理がスムーズに進むんです。

カイゼン③:「名もなき家事」に名前をつける。

「カイゼン」って、「問題の見える化」がすごく大事だそうで。

私たちがイライラするのって、「なんとなく忙しい」から。

だから、何にイラついているのか、「見える化」してみました。

例えば、「麦茶ポットを洗って、お茶パック入れて、お湯沸かして、冷まして、冷蔵庫入れる」…これ、地味に面倒じゃないですか?

こういう「名もなき家事」を全部書き出して、「あ、私、こんなにやってたんだ」と自分で自分を認めてあげる。

その上で、「じゃあ、この作業、土曜日にまとめてできないかな?」「お湯じゃなくて水出しにしたら、冷ます時間、いらないじゃん」と、一つ一つ「カイゼン」していく。

こういう、本当に地味で、誰にも褒められないような、小さな工夫。

でもね、これを毎日、一つずつでも積み重ねていくと、どうなると思いますか?

昨日より今日、今日より明日、確実に「私」がラクになっていくんです。

料理酒を移動させた日の「あ、ラクだ」。

探さなくても菜箸が取れた日の「よっし」。

麦茶を作る手間が半分になった日の「私、天才かも(笑)」。

この、「小さな達成感」。

これこそが、私が「カイゼン」で見つけた、一番大きな宝物なんです。

サブタイトルに「小さな達成感という貯金」と書きました。

まさに、その感覚。

誰かに褒められるための、大きな「100万円」じゃない。

自分だけが分かる、小さな「1円玉」の貯金。

でも、チャリン、チャリンって、毎日確実に貯まっていく。

その貯金(=心の余裕)が、私をイライラから守ってくれるお守りになっていくんです。

コンロの前でイライラしながら「なんで私ばっかり!」と怒っていた私が、

「カイゼン」を始めてからは、「よし、今日は昨日より5秒早くできた」「この動線、完璧じゃない?」なんて、一人でニヤニヤしながら料理してる(ちょっと怪しいですが。笑)。

心が平穏だと、どうなるか。

あんなにうるさく感じていた子供の「ママ、お腹すいたー!」の声が、

「そっかー、お腹すいたか!今、最高に美味しいハンバーグ作ってるからね!」と、穏やかに返せるようになる。

「手伝ってよ!」とイライラしていた夫にも、「よかったら、お皿並べてくれると助かるな」と、素直に頼めるようになる。

これって、こんまりさんが教えてくれた「感謝して手放す」の、次のステップだと思いませんか?

日々の動作を整えることで、自分の心に余裕(=貯金)が生まれ、その余裕が、家族への実用的な「感謝」や「優しさ」の土台になっていく。

「カイゼン」は、工場のためでも、誰かに評価されるためでもない。

私たち主婦が、日々の暮らしの中で「小さな達成感」を見つけ、自分をご機嫌にし、結果として家族に優しくなるための、最高に実用的な「人生術」なんじゃないかな、と。

これが、私がキッチンで実践している「カイゼン」のお話です。

…と、ここまで「動作」や「効率」の話をしてきました。

でも、ふと思うんです。

「じゃあ、その『カイゼン』して生まれた余裕(貯金)で、私、いったい何がしたいんだっけ?」

ラクにはなった。イライラも減った。

でも、その先に何があるんだろう?

ただ家事を効率化するだけが、私の人生?

…そこで、次に出てくるのが、もう一つのキーワード、「イキガイ(生き甲斐)」なんです。

次の「転」では、この「カイゼン」によって手に入れた「心の余裕」という小さな貯金を、どうやって自分の「生き甲斐」という大きな喜びに変えていくか。

それも、海外で暮らしている皆さんだからこそ、きっと共感してもらえるような、「大きな夢」じゃなくていい、というお話をしたいと思います。

「イキガイ」は大きな夢じゃなくていい。雨の日のコーヒーが教えてくれたこと

前回の「承」で、私はえらそうに(笑)、「キッチン・カイゼン」で心の余裕、いわば「心の貯金」ができました!なんてお話をしました。

トヨタ式の「ムダ」をなくし、動線を見直し、名もなき家事を「見える化」する。

そうやって、昨日より5分、10分と、時間と心の余裕を生み出すことに成功したんです。

…で、ここで、クイズです(笑)。

そうやって血と汗の(?)努力で生み出した「10分の余裕」。

私が最初、その10分を何に使ったと思いますか?

「やったー!10分浮いた!じゃあ、その間に、普段できない窓のサッシでも拭いちゃおう!」

「あ、そうだ。子供部屋の散らかったおもちゃ、今のうちに片付けちゃえ!」

…そう。

悲しいかな、私、せっかく「カイゼン」で生み出した貴重な時間を、**「別の家事」**で埋めてしまったんです。

もう、体に染み付いちゃってるんですよね。「主婦は常に動いていなければならない」みたいな、謎の呪い(笑)。

結果、どうなったか。

家は、前よりもっとピカピカになりました。

タスクをこなすスピードは、格段に上がりました。

でも…あれ?

私、なんのために「カイゼン」したんだっけ?

「ラクになる」ためじゃなかったの?

家事を効率化して、さらに別の家事を詰め込むなんて、それって、ただの「高性能なお掃除ロボット」になっただけじゃない…?

家は片付いている。

家事も回っている。

でも、私の心は、なんだか空っぽ。

そうなんです。

「カイゼン」は、あくまで「手段」なんです。

日々の暮らしを「改善」すること自体が「目的」になってしまうと、私たちは、ただただ効率を追い求める、息苦しいマシーンになってしまう。

そこで、ようやく、もう一つのキーワード、「イキガイ(生き甲斐)」の出番なんです。

「カイゼン」が、心の「貯金」を生み出す技術だとしたら、

「イキガイ」は、その貯金を「何に使うか」という、使いみち、そのもの。

…とはいえ、この「生き甲斐」って言葉、なんだかすごく重たくないですか?

「あなたの生き甲斐は何ですか?」

なんて、真顔で聞かれたら、「えっ…」って固まっちゃいますよね。

特に、海外で暮らしていらっしゃる皆さん。

日本でのキャリアを一度中断されていたり、今は「〇〇ちゃんのママ」や「駐在員の妻」という立場がメインになっていたりして、

「私自身の、生き甲斐…?」

と問われると、答えに詰まってしまう、という方も少なくないかもしれません。

「昔はバリバリ働いて、それが生き甲斐だったけど、今は…」

「子育てが生き甲斐、と言えればいいんだろうけど、それ『だけ』だとなんだか虚しくて…」

「世界を変えるような、そんな立派な夢なんて、私にはないし…」

そう。まるで、「生き甲斐」=「人生を捧げるような壮大な目標」とか「社会的に認められる大きな功績」みたいに、ハードルを高く設定しがちです。

でも、日本人が昔から大切にしてきた「イキガイ」って、本当にそんなに「デカい」ものだったんでしょうか?

私、ある雨の日に、ふと気づかされたんです。

その日も、私はキッチン・カイゼンの成果で、夕飯の準備がいつもより15分も早く終わりました。

外は、ザーザー降りの雨。

子供たちは、リビングで静かに(珍しく!)ブロック遊びに夢中。

いつもの私なら、ここで「よし、今のうちに!」と、お風呂掃除でも始めていたはずです。

でも、その日は、なぜか、ふと手が止まった。

(…私、今、何がしたい?)

自問自答しました。

(あ、そういえば、朝からバタバタで、まともにお茶も飲んでないな)

(…コーヒー、飲みたい。あの、ちょっといい豆で)

私は、お風呂掃除に向かおうとしていた足を、くるりと反転させました。

そして、キッチンの棚から、週末に夫が買ってきてくれた、ちょっとお高めのコーヒー豆の袋を取り出したんです。

インスタントで済ませれば、30秒。

でも、私は、あえて、ゆっくりと豆をミルで挽くことから始めました。

ゴリゴリゴリ…という、不揃いだけど心地よい音。

フワッと立ち上る、香ばしい匂い。

お湯を沸かし、丁寧にハンドドリップする。

ポタ、ポタ、と落ちる雫(しずく)。部屋中に広がる、豊かな香り。

そして、淹れたてのコーヒーをマグカップに注ぎ、リビングの窓辺に持っていく。

雨に濡れる紫陽花(あじさい)を眺めながら、その熱いコーヒーを、一口、ふーふーしながら、すする。

「……あぁ、美味しい」

心の底から、その一言が漏れました。

たった10分。

誰に褒められるわけでもない。

生産性なんて、ゼロ。

家事のタスクは、何一つ進んでいない。

でも、その10分間。

私の心は、ものすごく、満たされていました。

「私、今、この瞬間のために、朝から頑張ってたのかも」

そう思ったんです。

これって、すごく小さな、でも、すごく確かな「イキガイ」じゃないか、と。

「朝、ベッドから起き上がる理由」

それが「イキガイ」のシンプルな定義だと聞いたことがあります。

私にとって、それは「世界平和」でも「キャリアでの大成功」でもなかった。

それは、「カイゼン」によって生み出した、たった10分の「自分のためだけの時間」で、丁寧に淹れたコーヒーを飲む、という、ささやかな「喜び」でした。

この瞬間の「あぁ、幸せだ」という実感。

この「小さな喜び」を味わいたいから、

「よし、明日も、この10分を確保するために、夕飯準備のカイゼン、もうちょっと頑張ってみようかな」

と、思える。

分かりますか?

「カイゼン」と「イキガイ」が、ここで初めて、繋がったんです。

  • 「カイゼン」は、「イキガイ」のための時間を生み出す「手段」。
  • 「イキガイ」は、「カイゼン」を続けるための「動機(喜び)」。

この二つは、車の両輪なんです。

どっちが欠けても、ダメだった。

家事の効率化(カイゼン)だけを追い求めていたら、私は「空っぽの高性能ロボット」になっていた。

かといって、「イキガイ」だ!と叫んで、日々の家事を疎かにしていたら、生活は回らず、結局は「やりたいことができない」イライラが募っていたはず。

「イキガイ」は、壮大な夢じゃなくていい。

海外で暮らしている皆さんなら、

「カイゼン」で生み出した10分で、日本の家族と気兼ねなくLINE電話をすること、かもしれません。

現地の言葉の勉強を、たったワンフレーズでも進めること、かもしれません。

大好きだった小説を、たった2ページでも読むこと、かもしれません。

大事なのは、その時間を**「意図的(Intentionality)」に、**

「自分の喜びのためだけ」に使う、と決めること。

その「小さな喜び」の積み重ねこそが、「ときめき」だけでは埋まらなかった、私たちの「心のザワザワ」を、静かな「感謝」と「満足感」で満たしてくれるんじゃないでしょうか。

これが、雨の日のコーヒーが教えてくれた、私の「イキガイ」論です。

さて、これで「空間(こんまり)」が整い、「動作(カイゼン)」が整い、「目的(イキガイ)」が見えてきました。

じゃあ、これら全部が揃った時、私たちの暮らしは、一体どうなるんでしょう?

最後の「結」では、これら全てをひっくるめた、

「本当の効率とは、スピードじゃなくて『心の平穏』だった」

という、私なりの結論について、お話ししたいと思います。

本当の効率とは「意図」を持つこと。私たちが目指す「心の平穏」

ここまで、とっても長い道のりにお付き合いいただき、本当に、本当に、ありがとうございます。

日本の片隅で暮らす一主婦の、ドタバタな日常から生まれた「気づき」の話。

海を越えて頑張る皆さんの心に、何か一つでも、小さな石ころを投げ込むことができていたら、こんなに嬉しいことはありません。

私たちは、この記事の始まり(「起」)で、ある共通の「ザワザワ感」について語り合いました。

それは、こんまりさんの魔法で家をピカピカにした「はず」なのに、なぜか消えない、心のモヤモヤ。

モノは片付いた。

でも、「時間」や「日々のタスク」や「感情」は、相変わらず散らかったまま。

「私、ちゃんとやれてる?」という焦り。

「なんで私ばっかり!」というイライラ。

その正体は、物理的な「モノ」ではなく、目に見えない「コト」の散らかりでした。

そこで私は、日本の工場で生まれた知恵、「カイゼン(Kaizen)」を、無謀にも(笑)我が家の戦場=キッチンに持ち込んでみました(「承」)。

最初は「工場じゃあるまいし」と思っていたけれど、やってみたら、世界が変わりました。

「なんとなく」やっていた作業の「ムダ」に気づき、

「なんとなく」置いていた料理酒の場所を変えてみる。

その結果、手に入れたのは、「時短」という無機質なものではなかった。

それは、「あ、私、昨日よりラクになった」「私、天才かも!」と思える、**「小さな達成感」という、温かい「心の貯金」**でした。

イライラを「感謝」に変えるための、大切な原資です。

でも、人間って欲張りなもの(笑)。

そうやって苦労して貯めた「心の貯金(=空いた時間)」を、私はあろうことか、「別の家事」に再投資してしまった(「転」)。

より高性能な「家事ロボット」になるために。

そして、空っぽな気持ちになりました。

そこで気づいたんです。

「カイゼン」は「手段」でしかない、と。

私たちには、その貯金(時間)を何に使うか、という「目的」が必要なんだ、と。

それが、もう一つのキーワード、「イキガイ(Ikigai)」でした。

そして、この「イキガイ」もまた、私たちが誤解しがちな、重たい言葉でした。

「人生を捧げる壮大な夢」なんて、そんなもの、今すぐ見つからなくてもいい。

海外という慣れない土地で、家族のために日々を奮闘している私たちにとっての「イキガイ」は、もっと足元にある、ささやかな喜びでいい。

「カイゼン」で生み出した、たった10分。

その10分を、「家族のため」でも「家事のため」でもなく、**「ただ、自分の喜びのためだけ」**に使うと「決める」こと。

私にとっては、それが「雨の日に丁寧に淹れたコーヒーを飲む」ことでした。

そのコーヒーが格別においしかったのは、豆が高かったからじゃない。

そこには、私の「この時間を、自分のために味わう」という、明確な**「意図(Intentionality)」**があったからです。

…そうなんです。

「こんまり」から始まり、「カイゼン」を経て、「イキガイ」にたどり着いた、この長い旅。

私が、最終的に見つけた答え。

それは、

本当の「効率」とは、「スピード」のことではなかった

という、至極(しごく)当たり前の、でも、見失いがちな真実でした。

私たちは、いつの間にか「効率化=スピードアップ」だと思い込んでいた。

夕飯の準備を30分で終わらせること。

掃除・洗濯・買い出しを、いかに短い時間でコンボを決めるか、ということ。

でも、もし、そのスピードアップの「目的」が、

「空いた時間で、別の家事をやるため」

「早く終わらせて、家族に『すごいね』と褒めてもらうため」

だとしたら?

私たちは、永遠に休まりません。

常にタスクに追われ、他人の評価に振り回される、「家事の奴隷」のままです。

それでは、どれだけ部屋が片付いていても、どれだけ家事が速く回っていても、私たちの心は、ずっとザワザワしたまま。

私がたどり着いた「本当の効率」とは、「意図(Intentionality)」を持つこと、そして、その結果として**「心の平穏(Peace)」**を手に入れることでした。

「カイゼン」とは、

「なんとなく」やっていた家事の一つ一つに、

「これは本当に必要?」「どうしたらもっと心地よくできる?」

という「意図」の光を当てる作業です。

「イキガイ」とは、

「なんとなく」過ぎ去っていく一日の中に、

「この5分だけは、絶対に私の喜びのために使う!」

という「意図」の杭(くい)を打つ作業です。

「スピード」を追い求めていた頃の私は、常にイライラしていました。

子供がジュースをこぼそうものなら、「キーッ!せっかく拭いたのに!」と。

夫が「ご飯まだ?」と言おうものなら、「今やってるでしょ!」と。

心が、いつも戦っていました。

でも、「意図」と「平穏」を追い求めるようになった今。

もちろん、イライラがゼロになったわけじゃありません(人間だもの。笑)。

でも、「カイゼン」のおかげで、作業には「小さな達成感」が伴う。

「イキガイ」のおかげで、「この後のコーヒー」という楽しみが待っている。

そう思うと、同じ家事をしていても、心の持ちようが、まったく違うんです。

ジュースをこぼされても、「はいはい、大丈夫よ」と、深呼吸ができる「心の貯金」がある。

それは、私が「カイゼン」によって自分自身をご機嫌にしてあげていて、「イキガイ」によって自分の魂を満たしてあげているから。

自分が満たされているから、人にも優しくできる。

こんまりさんが教えてくれたのが、モノへの「感謝」だとしたら、

「カイゼン」と「イキガイ」が教えてくれたのは、「自分自身の時間」と「日々の動作」への感謝、かもしれません。

海外という、日本とは違う文化、違う常識の中で、日々奮闘されている皆さん。

「周りの人は、もっとうまくやっているんじゃないか」

「私だけが、空回りしているんじゃないか」

そんな風に、孤独を感じる瞬間も、きっとたくさんあると思います。

でも、大丈夫。

あなたは、あなたの場所で、ものすごく頑張っています。

もし、心がザワザワして、疲れ果ててしまったら。

今日お話しした、この日本の知恵を、ちょっと思い出してみてください。

完璧な「カイゼン」なんて、目指さなくていいんです。

まずは、あなたが一日で一番よく使う「引き出し」を、一か所だけ見直してみる。

それだけで、立派な「カイゼン」です。

立派な「イキガイ」なんて、探さなくていいんです。

「カイゼン」で生み出した「3分」で、窓を開けて、外の空気を思い切り吸い込む。

それだけで、最高に尊い「イキガイ」です。

大切なのは、「スピード」ではなく、「意図」。

そして、その先にある、あなただけの「心の平穏」。

日本の片隅から、海を越えて頑張るあなたの「今日」が、昨日よりもほんの少し、意図的で、平穏なものでありますように。

心から、応援しています。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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