「おすそ分け」はモノじゃない? 日本の日常にあふれる「気持ち」のやり取り
やっほー! 海外で暮らす皆さん、お元気ですか? 日本はすっかり(季節の挨拶。例えば:秋らしくなってきて、金木犀の香りがどこからともなく漂ってくる季節です)!
日本に住んでいる主婦の私、〇〇(あなたの名前やニックネーム)です。いつもブログを読んでくれてありがとう!
さて、海外の皆さんから見て、「日本」っていうと、どんなイメージがありますか?
やっぱり、「メイド・イン・ジャパン」の高品質な工業製品? それとも、精巧なアニメやゲーム? もちろん、それも日本のすごいところ(クラフトマンシップ!)だし、私も大好きです。
でもね、最近私がこの日本でフツーに主婦として生活していて、しみじみ「あぁ、これぞ日本だなぁ」って感じる瞬間って、そういう「すごいモノ」に触れた時だけじゃないんですよね。
むしろ、もっと日常の、なんてことない「人とのやり取り」の中にこそ、日本の「本質」が隠れてる気がするんです。
(ここから実体験エピソード)
ついこの間の話なんですけど。
うちのお隣さん、たぶん80代くらいのおばあちゃんなんですけど、家庭菜園が趣味で。その日も、庭先でせっせと何かやってるなぁと思ってたら、ピンポーンってチャイムが鳴ったんです。
出てみると、そのおばあちゃんが、カゴいっぱいの、採れたてピカピカのキュウリを持って立ってて。
「〇〇さん、ごめんねぇ。また採れすぎちゃって! 食べきれないから、もらってくれない?」
って。
もうね、そのキュウリがツヤッツヤで! まだ土の匂いがするような、新鮮そのもの。スーパーで買うのとは全然違うんです。
私は「わー! ありがとうございます! 美味しそう!」って大喜びで受け取って。
「でも、こんなにたくさん、いいんですか?」
「いいのいいの。うちじゃもう、おじいさんと二人だからねぇ。腐らせちゃうともったいないし、新鮮なうちに食べてもらった方が、キュウリも喜ぶわ(笑)」
私はありがたくいただいて、その日の夕飯に、さっそく浅漬けとサラダにして食べたんです。…もう、シャッキシャキで最高!
でね、数日後。
ちょうど私がデパ地下で美味しそうな和菓子を見つけたので、「この間のキュウリのお礼に」って、そのおばあちゃんに持って行ったんです。
そしたら、おばあちゃん、
「あらやだ、そんなつもりじゃなかったのに! 気を使わせちゃってごめんねぇ」
って、すごく恐縮してるんです。
「でも、ありがとう。和菓子大好き。お茶にしていただくわね」
って、嬉しそうに受け取ってくれました。
(エピソード終わり)
これ、日本に住んでると、たぶん「あー、よくある話だね」って感じだと思うんです。いわゆる「おすそ分け」。
でも、これって単なる「モノ(キュウリや和菓子)」の交換じゃないんですよね。
おばあちゃんは、「食べきれないから助けて」という顔をしつつ、「採れたての美味しいのを、あなたにも味わってほしいわ」っていう「気持ち」をキュウリに乗せて、私に「サービス」してくれた。
私も、「美味しいキュウリをありがとう」っていう感謝の「気持ち」を、和菓子に乗せてお返しした。
これって、お金のやり取りは一切発生してないけど、めちゃくちゃ豊かで、温かい「サービス」のキャッチボールだと思いませんか?
今回いただいたテーマフックに「サービス・ベースの革命(Service-Based Revolution)」ってカッコいい言葉がありましたけど、私にとっての日本の「サービス」って、こういう日常の「お役立ち精神」や「おもてなしの心」そのものなんです。
何も、立派な料理教室(Washoku)を開いたり、完璧な整理整頓(KonMari)を教えたりすることだけが「サービス」じゃない。
海外の皆さんの暮らしの中にも、こういう「気持ちのやり取り」ってありますか? もしかしたら、日本とはまた違った形で、素敵な「お役立ちの輪」があるのかもしれないですね。
日本人は昔から、茶道や華道みたいに、何かを「習う」時も、技術(Craft)だけじゃなくて、その背景にある「心構え」や「相手への配慮」をすごく大切にしてきました。
それって、結局は「相手に喜んでもらう」ため。つまり、生活のすべてが「サービス」に繋がってるんじゃないかな、って。
このブログでは、そんな大げさじゃないけど、日々の生活をちょっと豊かにしてくれるかもしれない、日本の「お役立ち精神」や「人生の知恵」みたいなものを、私の実体験ベースで掘り下げていきたいと思っています。次回(承)は、まさにその「料理」の話。
単にレシピを学ぶだけじゃない、日本の「食」に込められた「おもてなし」の心について、私が体験したちょっと面白い(そして、ちょっと失敗した!?)話をお届けしますね!
お楽しみに!
「いただきます」に隠された、レシピを超えた「おもてなし」の心
やっほー! 〇〇(あなたの名前やニックネーム)です。
前回の「起」では、お隣のおばあちゃんとの「おすそ分け」エピソードを書かせてもらったんだけど、読んでくれたかな?
(まだの人はこっちも読んでみてね! → [前回の記事へのリンク])
あの「キュウリ」みたいに、日本にはモノのやり取り以上に、「気持ち」をサービスする文化が根付いてるよねーって話でした。
でね、予告した通り、今回は「料理(Culinary experiences)」の話。
今、世界中で「Washoku(和食)」って大人気だよね!
海外でも、オンラインで和食を教えるクッキングクラスとか、すごく流行ってるって聞きます。お寿司とか、天ぷらとか、ラーメンとか。
もちろん、そういう「作り方(Craft)」を学ぶのも、すっごく楽しいし、大事!
私も料理は大好きだから、レシピ本や動画を見て「うわー、このテクニックすごい!」って興奮すること、しょっちゅうです(笑)
でもね。
私が日本で「主婦」として毎日キッチンに立っていて感じるのは、和食の本当のすごさって、**「レシピ(Craft)の外側」**にこそあるんじゃないかなってこと。
それこそが、究極の「おもてなし(Service)」だと思ってるんです。
ここでまた、私の(ちょっと恥ずかしい)実体験をひとつ。
私が結婚したての頃の話。
夫(日本人)の両親、つまりお義父(とう)さん・お義母(かあ)さんが、初めて我が家にご飯を食べに来てくれることになったんです。
もう、私、気合入っちゃって!
「よーし! 腕によりをかけて、お義母さんをビックリさせちゃうぞ!」って(笑)
当時の私は、とにかく「完璧な料理(Craft)」を作ることしか頭になかった。
有名なフレンチのシェフが雑誌で紹介してた、「牛ほほ肉の赤ワイン煮込み」に挑戦することにしたんです。…今思うと、なぜ初手でそれを選んだのか、謎すぎる(笑)
材料集めから大変で、当日は朝からずーっとキッチンにこもりっきり。
何時間もかけてコトコト煮込んで、ソースを漉(こ)して、付け合わせの野菜もオシャレにカットして…。
夕方、お義父さんたちがいらっしゃって。
「はじめまして、よろしくお願いします!」なんて緊張しながらご挨拶して、いよいよディナーの時間。
ジャーン!って感じで、その「牛ほほ肉の赤ワイン煮込み」を出したんです。
お義父さんとお義母さん、一瞬、目が点になって(笑)
「あらまぁ、〇〇さん、すごいわねぇ…! レストランみたい!」
って、一応、褒めてはくれました。
味も、たぶん、悪くはなかったはず。レシピ通りに完璧に作ったから。
でもね…なんか、空気が、重い。
みんな、ナイフとフォークをカチャカチャさせながら、緊張して食べてる感じ。
「美味しい?」って聞いても、「え、ええ、美味しいわよ…」みたいな。
私、もう、大失敗したー!って。
その時、悟ったんです。
私がやったのは、「私のすごいでしょ!(Craft)」っていう自己満足の押し付けだったんだなって。
お義父さんたちが、その日、本当に食べたかったもの。
それは、何時間も煮込んだフレンチじゃなくて、たぶん、息子の家で食べる、ホッとする「いつものご飯」。
例えば、炊き立ての白いご飯と、具だくさんのお味噌汁、それと、ちょっと甘めの「だし巻き卵」とか、そんなんじゃなかったかなって。
私がやるべきだったのは、「完璧な料理(Craft)」を披露することじゃなくて、「長旅でお疲れでしょうから、胃に優しくてホッとするもの(Service)」を考えることだったんです。
この「失敗」以来、私の料理に対する考え方って、ガラッと変わりました。
和食の基本って、よく「一汁三菜(いちじゅうさんさい)」って言うじゃないですか。
(ご飯と、汁物と、主菜1品、副菜2品のことね)
これって、栄養バランス(Craft)のためだけじゃなくて、「食べる人」へのサービス精神の塊だと思ってるんです。
- 「旬」を大切にする:その季節に一番美味しいもの、栄養があるものを食べる。これは、自然のサイクルに合わせる(Craft)と同時に、「今、あなたに一番元気になってほしい(Service)」っていうメッセージ。
- 「彩り(いろどり)」を考える:赤・黄・緑・白・黒の5色を揃えるといいよー、なんて言われます。これは単に「映え」のためじゃなくて、視覚からも「わぁ、美味しそう!(嬉)」って感じてもらうための「おもてなし(Service)」なんです。
- 「だし」を引く:昆布やカツオ節から丁寧に「だし」を取る。これは、もちろん料理を美味しくする技術(Craft)だけど、それ以上に、「食べる人の体に、すーっと染み込むような優しさを届けたい」っていう「思いやり(Service)」なんだよね。
オンラインの料理教室で「正しいだしの引き方」を学ぶのは「Craft」。
でも、「今日は寒いから、このだしを使って、生姜をたっぷり入れた温かいお吸い物を作ってあげよう」って考えるのが「Service」。
日本の食卓で、ご飯を食べる前にみんなが言う「いただきます」って言葉。
あれも、単なる挨拶じゃないんです。
そこには、「この食材を作ってくれた農家さん、ありがとう」「運んでくれた人、ありがとう」「料理してくれた人、ありがとう」そして「この命(食材)を、私の命にさせてもらいます」っていう、すべてへの「感謝」が詰まってる。
料理を作る側も、食べる側も、見えない「サービス」と「感謝」で繋がってるんです。
だからね、もし皆さんがこれから和食を学ぶ機会があったら、ぜひ「レシピ」だけじゃなくて、その裏にある「誰かのための気持ち」も一緒に感じ取ってみてほしいな、と思います。
日本人が料理に込める「おもてなし」の心。
それって、実は料理だけじゃなくて、日本の「家」そのものにも、よーく表れてるんですよ。
次回(転)は、その「家」の話。
世界的に有名になった「コンマリ(KonMari)」メソッド。あのお片付け術も、実は単なる「整理術(Craft)」じゃなくて、日本的な「ある考え方(Service)」がベースになってるんです。
その秘密について、また私の実体験からお話ししますね!
お楽しみに〜!
「ときめき」は手段? 日本の片付け術が「空間」でサービスする理由
やっほー! 〇〇(あなたの名前やニックネーム)です。
前回の「承」では、私の大失敗「牛ほほ肉の赤ワイン煮込み」事件(笑)をカミングアウトしました。
読んでない人はぜひ読んでみて! → [前回の記事へのリンク]
料理って、すごいレシピ(Craft)を披露することじゃなくて、食べる相手を想う「おもてなし(Service)」こそが和食の神髄だよね、って話でした。
さて、今回はテーマフックにある「Home organization & aesthetics(家の整理整頓と美学)」について。
これ、もう、世界的に超有名になった言葉がありますよね。
そう、「KonMari(コンマリ)」こと、こんまりさんの「ときめく片付け術」!
海外に住む皆さんの間でも、「 Kondo-ing(コンドーする=片付ける)」って動詞になっちゃうくらい、すごいブームになったって聞きました。
私ももちろん、彼女の本、読みましたよー!
「触った時に『ときめく』モノだけを残す」
「捨てるモノには『ありがとう』と感謝を伝える」
「服はたたんで立てて収納する」
これって、一見すると、家をキレイにするための「技術(Craft)」、つまり「片付けのノウハウ」に見えますよね。
でもね、私が思うに、こんまりメソッドが(もちろん彼女のキャラクターも素敵だけど)あれだけ世界中の人の心を掴んだのって、あれが単なる「片付け術(Craft)」じゃなかったからだと思うんです。
あれこそ、日本の伝統的な「空間を使ったおもてなし(Service)」の考え方そのものなんです。
「転」のパートなので、ここでちょっと視点を「転換」してみましょう。
「起」(おすそ分け)も「承」(料理)も、「人から人へ」のサービスでした。
でも、今回の「片付け」は、「空間が、人に」提供するサービス、のお話です。
(ここから実体験エピソード)
ちょっと恥ずかしい話、うちもね、子どもが小さい時、もう家の中がとんでもないことになってた時期があったんです(笑)
リビングの床には、子どものおもちゃと、保育園のプリントと、昨日脱ぎ捨てた夫の靴下が混在し…。
ダイニングテーブルは、食べ終わった食器と、読みかけの雑誌と、謎のネジ(?)で、もはや「モノ置き場」。
私、毎日イライラしてて。
「もー! なんで片付けないの!」
「パパの鍵、どこ置いたか知らない!?」
って、家族に当たり散らしてばっかり。
当時の私、家が散らかっている「状態(Craft)」にイライラしてたんです。
でもある日、ハッとした。
イライラしてるの、私だけじゃなかった。
子どもも、おもちゃが散らかりすぎてて、お気に入りのミニカーが見つからなくて泣いてる。
夫も、朝出かける時に「鍵がない!」「財布がない!」って、毎朝バタバタしてる。
…これって、この「家(空間)」が、住んでる私たち家族に対して、まったく「サービス」してない状態じゃん!って。
家って、本来は、私たちを「守って」「癒やして」「明日への活力をくれる」ための、究極の「サービス空間」であるべきなのに。
むしろ、私たちのエネルギーを奪う「ストレス空間」になっちゃってたんです。
そこに気づいてから、私の「片付け」は変わりました。
「ときめくモノを残す」っていうのは、自分の好きなモノに囲まれる(Craft)ためだけじゃない。
自分が「本当に大切にしたいモノ(=ときめくモノ)」を厳選することで、そのモノたちに「最高の場所」を提供し、モノからも「最高のサービス(癒やし、喜び)」を受け取るための「相互サービス」なんです。
そして、「モノに感謝して手放す」。
これは、前回の「いただきます」の心と、まったく同じ。
「今まで私の生活を支えて(Serviceして)くれて、ありがとう」という感謝の儀式。
モノを「道具(Craft)」としてだけじゃなく、命あるものみたいに扱うこの感覚、すごく日本的だなって思うんです。
(エピソード終わり)
私が「片付け」を「Craft(作業)」から「Service(おもてなし空間づくり)」に切り替えてから、やったこと。
それは、「見た目をキレイにする」ことじゃなくて、「家族が“サービス”を受けられる指定席」を作ることでした。
- 夫が帰ってきたら、カバンと鍵と財布を、無意識でも置ける「指定席トレイ」を玄関に作る。
- 子どもが自分で服を選べるように、「ときめく服」だけを、その子の目線の高さの引き出しに入れる。
- 家族みんながホッとするために、ダイニングテーブルの上だけは「何もない空間(=余白のサービス)」を死守する。
これって、フックにあった「creating bespoke interior items(オーダーメイドのインテリアアイテムを作る)」ってことにも繋がると思うんです。
別に、高級な家具をオーダーするってことじゃなくて。
100円ショップの箱に可愛い布を貼って、「夫の充電ステーション」を作る。これだって立派な「Bespoke(その人専用)」の「サービス・アイテム」です。
日本の「おもてなし」って、旅館のピシッと整えられた和室とか、茶室の季節の花一輪とか、そういう「空間」にすごく表れます。
余計なモノを置かず、空間そのものの「清らかさ」で、訪れた人を癒やす。
あれは、「何もしない」という「究極のサービス」なんです。
家を片付ける(KonMari)のって、家を「ミニマリストの作品(Craft)」にすることが目的じゃない。
家を、「そこに住む家族に、最高の癒やしと活力を提供してくれる“サービス空間”に育てる」ことなんだと、私は思っています。
「おすそ分け」で心をやり取りし、「料理」で体を思いやり、そして「空間」で心を整える。
もうね、これ全部、日本人の根っこにある「相手(時にはモノも)を思いやる」っていう精神なんですよね。
じゃあ、この「思いやりの精神」が、一番ダイレクトに、そして一番ややこしく(!)表れるものって、何だと思いますか?
そう。
次回(結)は、いよいよ最後のフック。
「Language and cultural immersion(言語と文化体験)」です。
日本人が毎日、無意識に使っている「言葉」や「察する文化」。
それこそが、日本の「サービス精神」の集大成であり、同時に、海外の人が一番「ナニソレ!?」って戸惑うポイントかもしれません(笑)
その「言葉の裏に隠されたサービス」について、いよいよ最後の結論(結)をお届けしますね!
お楽しみに〜!
「察して!」は最大のサービス? 日本人の「言葉」に隠された本当の知恵
やっほー! 〇〇(あなたの名前やニックネーム)です。
長かったこの「モノより『コト』が大事?」シリーズも、ついに最終回!
「起」では、お隣さんとの「おすそ分け」に隠された「気持ちのサービス」の話。
「承」では、私の大失敗談(笑)から学んだ、和食の「おもてなしのサービス」の話。
「転」では、こんまりメソッドに代表される、「空間が人に与えるサービス」の話。
…と、日本人の生活に根付く「Craft(技術)」を超えた「Service(心)」について、私の実体験ベースでお話ししてきました。
(まだ読んでない人は、ぜひ最初から読んでみてね! → [シリーズ一覧へのリンク])
今日は、そのすべてをまとめる「結」。
フックの最後の一つ、「Language and cultural immersion(言語と文化体験)」についてです。
これ、ハッキリ言って、今回のテーマの「ラスボス」だと思ってます(笑)
今、海外では日本語を学ぶ人、すごく多いですよね。
アニメやマンガがきっかけだったり、日本文化が好きだったり。
オンラインで「日本語をチュータリング(個人レッスン)します」っていうサービスも、たくさんあります。
でもね、日本語って、たぶん世界で一番「タテマエ」と「ホンネ」がややこしい言語。
一生懸命、教科書で文法(Craft)を勉強して、「です・ます」とか「尊敬語・謙譲語」とか、完璧に覚えて、「よし、これで日本人とコミュニケーションできるぞ!」と思って日本に来た海外の人が、十中八九、ぶち当たる「壁」があります。
それは、
「日本人は、大事なことをハッキリ言ってくれない!」
っていう壁(笑)
例えば、ビジネスの場で「前向きに検討させていただきます」って言われたら、それは「99%お断りします」って意味だったり。
友達を家に誘って「あ、ごめん、その日はちょっと…」ってモゴモゴされたら、「行きたくない(キッパリ)」って意味だったり。
これ、海外の人からしたら「ウソつき!」「ハッキリNoって言えよ!」ってイライラしちゃいますよね。わかります。
でも、これもね、日本人が長年培ってきた、**究極の「おもてなし(Service)」**の形、なんですよ。
(ここから実体験エピソード)
私もね、日本で主婦やってて、いわゆる「ママ友」とのお付き合いの中で、この「言葉の裏サービス」に日々鍛えられてます(笑)
この間、公園で子どもたちを遊ばせてて、私もママ友のAさんとおしゃべりしてたんです。
もう夕方4時半くらい。
だんだん日も暮れてきて、風も冷たくなってきて…。
私、内心(あー、そろそろ夕飯の準備しなきゃ。寒いし帰りたいな…)って思ってたんです。
でも、Aさんがすごく楽しそうに話してくれてるから、「じゃ、そろそろ帰ります」って私から切り出すのも、なんか申し訳なくて。
どうしようかなーってモジモジしてたら、Aさんが、ふっと空を見上げて、
「わー、〇〇さん、見て! 一番星! …あ、ていうか、もう5時のチャイム(夕焼け小焼け)が聞こえてきそう! いやだ、私、今夜カレーなのに、まだジャガイモ買ってなかった!」
って言ったんです。
私、ピンときて。
「あ、わかる! 夕方ってバタバタだよね! うちも今夜、お魚焼かなきゃ!」
「「じゃ、またねー!!」」
(エピソード終わり)
…はい、この会話、わかりますか?(笑)
Aさんが「カレーのジャガイモ」を本当に買い忘れたかどうかは、どっちでもいいんです(たぶん本当だろうけど)。
彼女が私に提供してくれた「サービス」は、
「私(Aさん)のせいで、あなた(私)を帰らせてあげる」
っていう「お帰りの口実」なんです。
もしAさんが、「私、帰るんで」ってストレートに言ったら、私が「あ、私が話しすぎたせいだ、ごめん」って思っちゃうかもしれない。
もし私が、「私、帰ります」って言ったら、Aさんが「え、私の話、つまらなかった?」って傷つくかもしれない。
お互いにそんな「気まずさ」を感じさせないように、
「ジャガイモ(という、仕方のない理由)」をそっと提示する。
これが、Aさんが私にくれた、最高の「思いやり(Service)」なんです。
言葉を使った、「おもてなし」。
この4回のシリーズで話してきたこと、全部、根っこはこれなんです。
- (起)お隣さんが「食べきれないから」ってキュウリをくれたのも、私に「お返ししなきゃ」って気を遣わせないための「言葉のサービス」。
- (承)私が失敗した「牛ほほ肉」も、「食べる人の気持ちを“察する”」っていうサービスが足りなかった。
- (転)家を片付けるのも、家族が「言葉にしなくても」使いやすいように、「空間で“察して”」あげるサービス。
日本人が大切にしてきた「Craft(技術)」…料理も、整理整頓も、華道も茶道も、全部、この「察する(Sasshiru)」とか「思いやり(Omoiyari)」っていう「Service(心)」を表現するための「手段」に過ぎないのかもしれません。
今回いただいたテーマ「Beyond the Craft: The Service-Based Revolution(クラフトを超えて:サービスベースの革命)」。
私にとって、この「革命」って、何か新しいビジネスが生まれることじゃなくて、
「あ、あの人は今、何を求めてるかな?」
「私がこうしたら、あの人は喜ぶかな?」
って、日常の中で、相手の気持ちを想像してみること、そのものだと思っています。
それは、大げさなことじゃなくて。
採れすぎたキュウリを届けたり、
疲れてる夫のために、鍵を置くトレイを用意したり、
「そろそろ帰りたいかな?」って思って、相手のために「ジャガイモ買い忘れた!」って言ってみたり(笑)
そういう、お金にはならない、ちっちゃな「おもてなし」の連鎖が、日本の暮らしの「知恵」であり、「人生術」なんじゃないかなって。
海外で暮らす皆さんも、日本に興味を持ってくれる皆さんも、もし日本の「Craft(モノや技術)」に触れる機会があったら、ぜひ、その裏側にある「Service(なんで、そうなってるんだろう?)」っていう「心」の部分も、一緒に味わってみてくれたら、日本の主婦として、すっごく嬉しいです!
長いシリーズ、最後まで読んでくれて、本当にありがとう!
また次のブログで会いましょうね〜!

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