タスクの海と「名もなき家事」、消耗する心
海外の皆さんから見ると、日本の主婦ってどんなイメージでしょう? 丁寧な和食を作って、家をピカピカにして、なんだか穏やかに暮らしている…?
もしそんなイメージがあったら、半分正解で、半分は「うーん!」と首を横に振りたい感じです(笑)。
確かに「丁寧さ」を求められるプレッシャーは、日本の生活の至る所に潜んでいます。それが、フックにあった「Overwhelmed(圧倒される)」感覚に直結している気がするんです。
朝5時半。まず、お弁当作りから私の「Grind(労働)」は始まります。
皆さん、日本の「BENTO」ってご存知ですか? あれ、ただ詰めるだけじゃないんですよね…。彩り(赤・黄・緑)を考え、栄養バランスを考え、さらに子供が喜ぶようにちょっと可愛く(キャラ弁まではいかなくても!)。夫の分と子供の分、最低2つ。
それが終わると、洗濯機を回しながら朝食の準備。
日本の朝食って、ご飯、味噌汁、焼き魚、卵焼き、納豆…みたいに、地味に品数が多いのが「理想」とされがち。毎朝そんな完璧にはできませんが、「パンとコーヒーだけ」というわけにもいかないプレッシャーが、うっすらとあります。
そして、最大の難関の一つが「ゴミ出し」。
日本、特に私の住む地域は、ゴミの分別が信じられないくらい細かいんです。
月曜は「燃えるゴミ」、火曜は「プラスチック資源」、水曜は「古紙・古布」、木曜は「燃えないゴミ」、金曜は「缶・ビン・ペットボトル」…。
これ、ただ分ければいいんじゃないんです。
ペットボトルは、キャップとラベルを剥がし、中をすすぐ。
プラスチック資源も、汚れたトレイは洗って乾かす。
牛乳パックは開いて乾かす。
スプレー缶は中身を使い切り、穴を開ける(自治体によりますが)。
これを一つでも間違えたり、出し忘れたりすると、ご近所さんの目が…。日本は「世間体」や「和」を重んじる文化なので、「あの家、ゴミ出しのルール守れないのね」と思われるのが、地味にすごいストレスなんです。
子供を送り出し、夫を送り出す。
ホッと一息…つく間もなく、第二ラウンドです。
ここで登場するのが、最近日本で話題の**「名もなき家事」**というやつです。
フックの「swamped by daily tasks(日々のタスクに忙殺される)」って、まさにこれ。
「料理」「洗濯」「掃除」といった名前のある家事じゃなくて、その合間に発生する、無限の「小さな作業」。
- トイレットペーパーの芯を替えて、新しいのを補充する。
- シャンプーや洗剤の詰め替えパックを、こぼさないように慎重に入れる。
- 麦茶を沸かして、冷まして、ポットに移す。
- 濡れた洗面台の鏡や蛇口を拭く。
- 郵便物を確認し、「重要な手紙」「広告」「後で見るもの」に仕分ける。
- 子供が脱ぎっぱなしにした靴下を拾う。
- 観葉植物に水をやる。
- 玄関のたたきを掃く。
一つひとつは5分もかからない。
でも、これが一日中、エンドレスに発生するんです。
これらをやっても、誰も「ありがとう」とは言わない。だって、家族はそれが「そこにあって当たり前」だから。トイレットペーパーが勝手に補充されていると思っている(笑)。
フックの「Overlooked(見過ごされ)」というのは、まさにこの「名もなき家事」のことだと感じます。
そうこうしているうちに、あっという間にお昼。
自分一人のために手の込んだランチなんて作る気力もなく、昨日の残りで済ませる。
午後は買い物。日本のスーパーは食材が豊富で楽しいですが、同時に「旬のものを使わなきゃ」「国産を選ばなきゃ」という無言の圧力を感じつつ、献立を必死で考える。
帰宅すれば、子供が帰ってくる。
「ただいま!」の後の「おやつは?」「今日の晩御飯なに?」。
宿題を見てやり、習い事の送迎(日本は子供の習い事、本当に多いです…)。
夕飯の支度。洗濯物を取り込む。畳む。お風呂の準備。
夕飯を食べさせ、片付け、お風呂に入れ、明日の準備(これがまた!)。
子供の学校からの連絡帳(れんらくちょう)をチェックして、ハンコを押す。
体操服や給食袋が汚れていれば、夜のうちに手洗いする。
気づけば夜10時。
ソファに倒れ込む。
家は(一応)リセットされた。家族は(一応)満足している。
でも、私自身は?
フックの言葉がリフレインします。
「Modern life’s relentless pace leaves us depleted(現代の無情なペースは私たちを消耗させる)」
「rarely content(めったに満足できない)」
まさに、**「消耗(depleted)」**してるんです。
一日中動き回ったのに、「私、今日、何かを生み出したっけ?」と虚しくなる。
「家族のお世話係」として、ただただタスクを処理しただけ。
海外で暮らす皆さんも、慣れない環境で完璧な家事をこなそうとして、こんな風に「消耗」していませんか?
「もっと効率よく」「もっと完璧に」と自分を追い詰めて、フックの言う「constantly seeking more(常により多くを求めて)」いませんか?
でも、このフックは最後にこう問いかけます。
「What if cultivating inner peace was as simple as applying a few practical tweaks to our routine?」
(もし、内なる平和を育むことが、日常にいくつかの実用的な調整を加えることと同じくらい簡単だとしたら?)
そう、私も最近気づいたんです。
この「圧倒される」日常の中にこそ、日本ならではの「内なる平和(inner peace)」を見つけるヒントが隠されているんじゃないかって。
完璧を目指すプレッシャーも強いけど、同時に、日本には「不完璧さ」や「小さなもの」を愛でる文化も、深く根付いているんです。
次回、「承」では、私がこの「名もなき家事」の嵐の中で見つけた、ちょっとした「心の整え方」について、具体的にお話ししていきたいと思います。
完璧じゃなくてOK。「間(ま)」と「見立て」の知恵
「起」で書いたようなタスクの嵐から抜け出すために、私が意識し始めたのは、二つの日本の伝統的な考え方です。
それが、「間(ま)」と「見立て」。
これ、なんだか難しそうに聞こえますか?
大丈夫、全然そんなことなくて、むしろ「ズボラ」になるためのおまじないみたいなものです(笑)。
1. 意図的に「何もしない」を作る。「間(ま)」の力
「間」とは、空間や時間における「余白」のこと。
日本の絵画や建築、音楽では、この「間」がすごく大切にされます。
あえて「何もない」部分を作ることで、全体のバランスが取れ、かえって豊かさや深みが生まれる、という考え方です。
でも、私たち主婦って、この「間」が死ぬほど苦手じゃないですか?
子供が学校に行った後の、ほんの15分。
ソファに座ったかと思えば、スマホで今日の特売情報をチェック。
洗濯機が止まるまでの、ほんの5分。
その間に、テーブルの上だけでも拭いちゃおう。
私たちは、時間を「埋める」ことのプロです。
スケジュール帳はびっしり。5分でも「間」ができると、そこに「名もなき家事」をねじ込んでしまう。
だから「relentless pace(無情なペース)」が生まれ、息切れしてしまうんです。
そこで、私の「practical tweak(実用的な調整)」その①。
**「一日一回、強制的に『間』を作る」**です。
私の場合、朝、家族を全員送り出した直後。
一番「よーし、今から掃除するぞ!」と戦闘モードになる、その瞬間。
あえて、何もしません。
その代わり、自分だけのために、丁寧に一杯のお茶(煎茶でもほうじ茶でも)を淹れます。
そして、ベランダ(海外ならお庭や窓辺)に出て、そのお茶を「味わうことだけ」に集中する10分間を作るんです。
ここでのポイントは「ながら」をしないこと。
- スマホは、見ない。
- 「今日の夕飯どうしよう」とか、考えない。
- 「あ、あの窓汚れてるな」とか、見ない(笑)。
ただ、お茶の香り、湯気の温かさ、空の色、風の音…。そういう「今、ここ」にあるものだけを感じる。
これ、最初はソワソワしますよ。「こんなことしてる場合じゃないのに!」って。
でも、このたった10分の「間」が、暴走しがちな思考のスピードを、一度「ゼロ」に戻してくれるんです。
PCの再起動みたいなものですね。
この「間」があるだけで、その後の家事の効率が上がるというより、家事に向き合う「心の余裕」が全く違ってきます。「圧倒される」感覚が和らぐんです。
海外での生活は、日本にいるより「ちゃんとしなきゃ」という緊張感が強いかもしれません。だからこそ、一日10分、いや5分でもいい。「何もしない」ことを「する」勇気。
それが、フックの言う「inner peace(内なる平和)」への第一歩かなって思います。
2. つまらない作業を「修行」に変える。「見立て」の術
さて、二つ目の知恵が「見立て」です。
これは、茶道や日本庭園なんかでよく使われる言葉で、平たく言えば「(あるものを)別のものとして捉える・楽しむ」という、高度な遊び心です。
例えば、庭園の「枯山水(かれさんすい)」。あれは、石を「島」に、砂利を「海」に「見立てて」いますよね。
これを、あの忌まわしき「名もなき家事」に応用するんです。
前回の「起」で、「名もなき家事」は「Overlooked(見過ごされる)」、やっても誰にも感謝されないから「depleted(消耗する)」と書きました。
その通り。
でも、「見立て」を使えば、その作業の「意味」を自分の中で変えることができるんです。
私の「practical tweak(実用的な調整)」その②。
**「単なる家事を、自分のための『修行』や『儀式』に見立てる」**です。
例えば、私が一番嫌いだった「食器洗い」。
これを、私は「水の瞑想(めいそう)」と見立てることにしました(笑)。
- 「あー、めんどくさい」と思いながら洗うのではなく、「今、私は『無心』になる修行をしている」と設定を変える。
- お皿の油汚れを「心のモヤモヤ」に見立てて、「これが綺麗になることで、私の心もスッキリする」と、勝手に意味付けする。
- 水の音、泡の感触、お皿が「キュッ」と鳴る音。五感を研ぎ澄ますマインドフルネスの時間にする。
大げさですかね?(笑)
でも、不思議なもので、「やらされてる雑用」から「自分のためにやってる修行」に変わった瞬間、あの「消耗感」がスーッと消えていくんです。
他にも、
- 床の雑巾がけ(日本の家はよくやります!)は、「体幹を鍛えるヨガのポーズ」に見立てる。
- 細かすぎるゴミの分別は、「頭を使うパズルゲーム」に見立てる。
- トイレットペーパーの補充は、「次の人が気持ちよく使えるようにする『徳積み』の儀式」に見立てる。
どうでしょう?
タスクそのものは、1ミリも変わっていません。
でも、私の「心の持ちよう」は180度変わります。
「見立て」のすごいところは、誰にも感謝されなくても、自分がその行為に「意味」と「価値」を与えられることです。
「Overlooked(見過ごされ)」ていた作業が、「自分を整えるための大切な時間」に変わる。
これこそ、フックが問いかけた「What if cultivating inner peace was as simple as applying a few practical tweaks to our routine?(内なる平和を育むことが、日常の調整と同じくらい簡単だとしたら?)」への、一つの答えだと思うんです。
もちろん、毎日こんな聖人みたいにはできませんよ!
「あー!もう全部めんどくさい!」って放り出す日もあります(笑)。
でも、「間」で一度立ち止まること。
「見立て」で作業の意味を変えること。
この二つの「知恵」は、お金も時間もかけずに、あの「The Daily Grind(日々のすり減る労働)」から、自分の心を守るための、強力な武器になってくれると思っています。
とはいえ、心構えだけじゃどうにもならない「モノの多さ」に圧倒されている部分もありますよね…。
そもそも、家事が多すぎる!
次回、「転」では、その根本的な原因である「モノ」との付き合い方について、日本ならではの、あの言葉をヒントにお話ししたいと思います。
それは「MOTTAINAI」! モノと自分を整える暮らし
海外で暮らしている皆さんも、一度は
「MOTTAINAI(もったいない)」という言葉
を聞いたことがあるかもしれません。
環境活動家のワンガリ・マータイさんが
広めてくれたことで、世界的に有名にな
りましたよね。
「資源を無駄にして、もったいない」
一般的にはこういう「エコ」な文脈で使
われます。
でも、この「MOTTAINAI」という言葉、
元々はもっと深い、日本人の「人生術」
というか、「心のあり方」を示す言葉だ
と私は思っています。
「もったいない」を漢字で書くと、「勿体
無い」。
「勿体(もったい)」とは、「物のあるべ
き本来の姿」という意味があります。
つまり、「そのモノが持つ本来の価値を
失わせてしまうのは、悲しいし、恐れ多
いことだ」という感覚なんです。
これ、ただの節約(Save money)とは似て非
なるもの。
モノを「価格」ではなく「価値」で見る
思想です。
この「MOTTAINAI」精神こそが、フックの
言う「constantly seeking more(常により多くを
求める)」という現代の病から私たちを
救い、結果として「The Daily Grind(日々の
労働)」を減らしてくれる、強力な人生
術になると私は確信しています。
「捨てる」から「迎えない」へ
数年前、日本(そして世界でも)「断捨離」
や「こんまりメソッド(ときめくモノだ
けを残す)」が大流行しました。
私もやりましたよ! 45リットルのゴミ袋
に何十袋も…。
確かに、モノが減ると、家はスッキリし
ます。掃除もラクになる。
でも、しばらくすると、またモノが増え
ている。「リバウンド」です。
なぜか?
それは、「捨てる」ことばかりに集中し
て、「なぜモノが増えるのか」という入
り口を見ていなかったからです。
「seeking more(より多くを求める)」とい
うマインドが変わっていなかった。
そこで私は、「MOTTAINAI」の考え方を、
「捨てる」ことではなく、「家に迎える」
ことに使うことにしました。
例えば、スーパーでの買い物。
「あ、これ安いから買っておこう」
「新発売のドレッシング、美味しそう」
とカゴに入れる前に、一度立ち止まる。
そして、自問します。
「これは、本当に我が家に必要か?」
「これを買ったとして、私はこれを使い
切る(=モノの勿体を全うさせる)こと
ができるか?」
「これを管理するための『名もなき家事』
(冷蔵庫の場所確保、賞味期限の管理)
は、今の私にできるか?」
便利そうな100均グッズも同じです。
「これを『100円だから』という理由で
買って、結局使いこなせずゴミにしてし
まうのは…MOTTAINAI」
この「MOTTAINAIフィルター」を通すよう
にしてから、私が家に「迎える」モノの
量が、劇的に減りました。
モノが減ると、「名もなき家事」が消える
モノを「迎える」基準を厳しくすると、
面白いことが起こります。
あんなに私を苦しめていた「名もなき家
事」が、勝手に消えていくんです。
- 例①:食器「お客様用」とか「和食用」「洋食用」と細かく分けていたお皿を、「本当に気に入って、毎日使いたいモノ」だけに絞りました。(これが私の「勿体」を全うさせるということ)結果、食器棚はスカスカ。洗った後、どこに何を仕舞うか、迷う「名もなき家事」が消えました。食器洗いの総量も減り、「承」で話した「水の瞑想」の時間も短縮です(笑)。
- 例②:洋服「流行遅れだけど、高かったから…」と取っておいた服。「いつか痩せたら着る」服。これらを「着ないまま収納スペースを占拠させ続けるのは、服に対してもMOTTAINAI」と考え、手放しました。結果、クローゼットの衣替え(日本の主婦の大仕事です!)が、1時間で終わるようになりました。「あの服どこだっけ?」と探す時間も、クリーニング代も激減です。
- 例③:洗剤「お風呂用」「トイレ用」「窓用」「キッチン油汚れ用」…。これをやめ、環境にも優しい「重曹」「クエン酸」「石鹸」といった基本的なものに絞りました。結果、「洗剤の詰め替え」「在庫管理」「買い出し」という、あの地味に面倒な「名もなき家事」が、ほぼゼロになりました。
どうでしょう?
「constantly seeking more(常により多くを求め
る)」ことをやめ、「MOTTAINAI」の精神
で「本当に必要なモノ」だけを選ぶ。
それは、一見ストイックに見えるかも
しれません。
でも、実際は、モノに振り回されていた
状態から自分を解放し、「管理する」と
いう見えない労働(Overlooked tasks)から
自由になる、最高に合理的な「人生術」
なんです。
モノが減ると、空間に「間(ま)」が生
まれます。
空間に「間」ができると、時間に「間」
ができます。
時間に「間」ができると、心に「間」が
できる。
フックの言う「inner peace(内なる平和)」
は、モノでぎゅうぎゅう詰めの部屋では
育めない。
「MOTTAINAI」は、その平和な心を取り戻
すための、モノとの「別れ」と「出会い」
の哲学なんだと思います。
さて、こうして「モノ」と向き合い、心
の「間」を取り戻した私ですが、最後
の「結」では、フックの冒頭にあった
「appreciate the little things(小さなことに感謝
する)」という部分に立ち返りたいと思
います。
タスクに追われる日常の中で、どうやっ
て「感謝」や「満足(content)」を見つけ
ていくのか。
日本人が得意とする、ある「幸せの捉え
方」についてお話ししますね。
日常こそが宝物。「小確幸(しょうかっこう)」を見つける日本の感性
「間」と「MOTTAINAI」で日常の「chaos(混乱)」を減らした今、私たちには「little things(小さなこと)」を見る余裕が生まれているはずです。
でも、これが意外と難しい。
特に私たち主婦は、「粗(あら)」を見つけるプロですから(笑)。
「あ、あそこにホコリが溜まってる」
「子供のシャツ、シミが落ちてない」
「夫、靴下を裏返しに脱いでる…!」
「感謝」どころか、「減点法」で日常を見がちです。
これでは、いくらタスクが減っても「content(満足)」はできません。
そこで、私が最後の「人生術」として提案したいのが、この「減点法」の日常を「加点法」に変える、ある日本の素敵な「感性」です。
それが、**「小確幸(しょうかっこう)」**という考え方です。
これは、日本の有名な作家、村上春樹さんがエッセイの中で使った造語です。
「小さくても、確実な幸せ」
(英語にすると “small but certain happiness” とか “a little sure thing” と訳されるみたいです)
これは、宝くじに当たるとか、海外旅行に行くとか、そういう大きな「非日常」の幸せではありません。
フックの言う「seeking more」の先にある、派手な幸せでもない。
そうではなく、
- 焼きたてのパンの香り。
- 買ってきたばかりの真っ白なシーツにくるまる瞬間。
- 洗濯物が、風ひとつない青空の下でカラリと乾いたこと。
- 信号に一度も引っかからずに、目的地に着いたこと。
- 子供が、頼んでもいないのにお風呂掃除をしてくれていたこと(これはレアですが!)。
日常に転がっている、本当にささやかで、見過ごしてしまいそうな「ラッキー」や「心地よさ」。
それらを「見過ごさず」、一つひとつ「あ、今、私ちょっと幸せかも」と、ちゃんと「認識」してあげること。
これが「小確幸」です。
「Grind(労働)」を「小確幸」に変える
この「小確幸」の視点を持つと、私たちを苦しめていた、あの「The Daily Grind(日々の労働)」の景色すら変わって見えます。
例えば、
「承」で話した、私の一人のお茶の時間(=間)。
あれはまさに、私にとっての「小確幸」を「作り出す」ための儀式です。
「あー、この一杯のお茶、美味しいなぁ…」としみじみ感じる。
この「加点(+1点)」があるから、その後の家事も頑張れる。
「転」で話した「MOTTAINAI」の結果、モノが減った食器棚。
ガラガラの棚を開けて、一番お気に入りの一枚をスッと取り出す瞬間。
これも「小確幸」です。
私をあれだけ苦しめていた「名もなき家事」の中にも、「小確幸」は隠れています。
- ぐちゃぐちゃだった冷蔵庫を整理し終え、扉を開けた時の「整然とした美しさ」。
- 新しいトイレットペーパーの、フワフワの手触り。
- 家族が「今日のご飯、美味しい!」と言ってくれた一言。
これら全部、「小確幸」ですよね。
私たちは、「Overwhelmed(圧倒され)」ていた時は、これらすべてを「Overlooked(見過ごし)」ていた。
タスクを処理することに必死で、「今、ここ」にある小さな幸せを感じるセンサーが、完全にオフになっていたんです。
海外で暮らす皆さんへ
海外での生活は、日本にいるよりもっとストレスフルだと思います。
文化の違い、言葉の壁、頼れる人がいない孤独感。
「ちゃんとしなきゃ」というプレッシャーの中で、日本の主婦以上に「減点法」で自分や家族を見てしまう瞬間も多いかもしれません。
だからこそ、この「小確幸」センサーをオンにすることが、海外で「inner peace(内なる平和)」を保つための、最強の「人生術」になると私は信じています。
- スーパーで、探していた日本の調味料を見つけた。
- 子供が、現地の言葉で楽しそうに友達と話していた。
- 散歩の途中で、桜(あるいは桜に似た花)を見つけた。
- 勇気を出して話しかけたご近所さんが、笑顔を返してくれた。
その一つひとつを、絶対に「見過ごさない」でください。
「私、今日、ラッキーだったな」と、心の中で小さくガッツポーズする。
「content(満足)」できる人生とは、大きな幸せを一発当てることじゃない。
この「小確幸」を、毎日どれだけ「加点」し続けられるか、ということなんだと思います。
フックは「What if cultivating inner peace was as simple as applying a few practical tweaks to our routine?(内なる平和を育むことが、日常の調整と同じくらい簡単だとしたら?)」と問いかけました。
その答えは、イエス、です。
それは、「間」「見立て」「MOTTAINAI」、そして「小確幸」という、日本に古くからある(あるいは新しく生まれた)「感性」を、ほんの少し日常に「tweak(調整)」するだけ。
完璧な主婦なんて目指さなくていい。
「The Daily Grind」にすり減るなんてもったいない。
私たちは、日常に隠された無数の「小確幸」を見つけ出し、感謝できる「感性」を育てるために、今日を生きている。
私は、そう信じています。

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