静かな“間”がつくる、豊かな家族時間
こんにちは。私は日本に住む主婦で、家事・育児・毎日の“ちょっとした時短術”を通して、日常の中にある「らしさ」や「余白」を大切にしています。今日は、私が暮らす日本での「ママとしての時間」を、海外に住むママたちにも共感してもらえるようにお話ししたいと思います。「活動」ばかりで埋め尽くされるのではなく、“間(Ma)”を意識して、そして完璧ではなくてもいい“侘び-寂び(Wabi-Sabi)”の考え方を取り入れながら、家族との関係を育む暮らし方を少しずつ実践しています。まずはその「起」、つまり出発点のお話を。
「間(Ma)」を意識する暮らし
日本語には“間(ま/Ma)”という言葉があります。これは単なる「空き時間」や「休憩」だけでなく、「時間・空間の余白」「活動と活動のあいだの静けさ」を指す概念です。学術的には、「間=物理的な空白、時間的な余白、そしてそれがもたらす“余韻”」という捉え方があります。(castle.eiu.edu)
私も子どもが小さい頃、次から次へと「やること」が続いてしまって、「あれ?気づいたら夕方」なんて日常がしばしば。家事・育児・送り迎え・準備・片付け――気忙しさに追われて、“心のゆとり”がゼロになることもありました。でもある日、「この“あいだ”を意識してみよう」と思ったんです。具体的にはこんな感じです。
- 朝、子どもを幼稚園に送ったあと、急いで掃除機をかける前に “1分”でコーヒーを淹れて窓の外を眺める。
- お昼ごはんのあと、お皿を片付けてすぐ次のタスクに行くのではなく、“ほんの数分”スマホを置いて深呼吸。
- 夜、子どもが布団に入ったあと、自分の手を洗ったまま座って「今日1つ良かったこと」を思い浮かべる余白を作る。
こうした小さな“間”が、私の中では「活動→活動→活動」というリズムから、「活動→(余白)→活動」というリズムに変えてくれたのです。その余白は、ただ「休む」ためではなく、「家族・自分自身・暮らしとのつながりを感じる」ためのもの。
例えば、子どもと遊び終わった後、すぐ次の片付けに取りかかるよりも、少しだけ机に背を向けて「ありがとうね、楽しかったね」と頭の中で声かけをする。片付けは後でもできるけれど、この“ありがとう”や“繋がったなぁ”という感覚を、余白に置いておく。そんな“間”のある暮らしが、親子の関わりを深めてくれたように感じています。
また、この余白を意図的につくることで、私自身が“いつも働いているママ”という状態から少しだけ“1人の人”になれる瞬間が生まれます。誰かに頼まれたわけでもない、自分自身のための「ちょっと立ち止まる時間」。それがあると、次のタスクに入る時に、「あ、ここからまた動くぞ」と意識を切り替えやすくなります。
日本の暮らしに根づく“余白”の文化
日本の暮らしには、元々「余白」を尊ぶ文化が根づいています。例えば和室の畳のスペース、障子の向こうに広がる庭、湯の間が終わった後に残る静けさ…。それらはただ無駄なスペースではなく、「思いをめぐらす」「次を準備する」「心を落ち着ける」ための“間”です。学術的な論文でも、「間=空白・余韻・呼吸のようなもの」として、日本の美意識の重要な要素として取り上げられています。(castle.eiu.edu)
私の暮らす家でも、小さな工夫があります。例えば、リビングのソファ横に小さな丸いサイドテーブルを置き、その上には“今日の一冊”として子どもが選んだ本と、小さな湯呑み。子どもが遊んでいる間、そのテーブルの前に座って子どもの遊びを眺めながら、お茶を飲む。遊びの途中でも、私が「よし、座ってひと息」と立ち止まることで、子どもにも“ママが立ち止まる”という姿勢が伝わるようになりました。そして、その“ママが立ち止まる”ことで、子どもも自然とおもちゃを置いて私の方を見て、「ママ、どうしたの?」と問いかけてくる瞬間が生まれるのです。そこには活動的な“何か”がなくても、“つながり”が育まれています。
このように「間をつくる」ことは、特別な仕掛けや高価な道具を必要としません。むしろ、毎日動き回る中で、少しだけ“動きを止める”余白をつくること。忙しくても、日常の家事や育児の“合間”に、1〜2分の余白を設けるだけでも、親として・人としての“つながり”の質が変わってくるように感じています。
「侘び-寂び(Wabi-Sabi)で、完璧じゃない毎日を愛おしく」
朝、キッチンでお味噌汁をつくっているとき。
ふと窓から差し込む光が、昨日洗い忘れたコップを照らしている。
「またやっちゃったな」と思いながらも、
その光景に少しだけ笑ってしまうことがあります。
そんな瞬間に、私はいつも「侘び-寂び(Wabi-Sabi)」のことを思い出します。
「Wabi-Sabi」って、完璧じゃなくていいという許し。
日本の美意識のひとつ「侘び-寂び」は、英語に訳すのがとても難しい言葉です。
簡単に言うと、「不完全の中にある美しさを受け入れる心」。
ピカピカに磨かれたものよりも、少し傷ついていたり、色あせていたり、
時間を重ねたものに“味わい”を見出す考え方です。
たとえば、日本の伝統的な茶道の茶碗。
少し欠けた茶碗でも、金継ぎ(きんつぎ)をして大切に使い続けます。
「欠けたもの=壊れたもの」ではなく、
「欠けも、その物の一部として愛でる」という心。
それが、Wabi-Sabiの根本にあります。
母親としての「完璧主義」とのたたかい
私も子育て初期のころは、いつも“完璧なママ”を目指していました。
子どものお弁当は色も形も整っていないとダメ。
家の中は、いつでも人を呼べる状態にしておかないと。
洗濯物が一枚でも山になったら、自分を責めてしまう。
でも、ある日気づいたんです。
完璧を目指すほど、自分も子どもも疲れてしまうって。
そんなとき、ふと訪れた京都の小さな寺の庭で、
苔むした石や、崩れかけた塀を見ながらお茶をいただいた瞬間、
「壊れかけているのに、なんて美しいんだろう」と感じました。
そのとき、心の奥で“何か”がほどけたんです。
それ以来、私は家の中の“完璧じゃない部分”を
少しずつ“味わい”として見るようにしました。
たとえば――
- 子どもの描いた壁の落書き。怒る前に、「芸術的ね」と笑って写真に撮る。
- お弁当の卵焼きがちょっと焦げても、「今日のは香ばしい味」と言って出す。
- 洗濯物が山になったら、「山があるということは、今日も元気に過ごせた証拠」と思う。
そうやって、少しずつ“ゆるめる”ことで、
私の中の「母親である自分」が、“人間らしい自分”へ戻っていった気がします。
“侘び-寂び”の心で見つける、時短のヒント
意外かもしれませんが、Wabi-Sabiの考え方は「時短」にも通じています。
なぜなら、完璧を目指さないことで、「やらなくてもいいこと」が減るから。
たとえば、私は以前まで「お弁当の盛り付け」に30分以上かけていました。
キャラ弁を作って、果物を星型にくり抜いて、彩りを完璧に整えて…。
でも、ある日「詰め方がちょっと雑でも、味が美味しければいい」と思って、
時間を15分に減らしたんです。
その浮いた15分で、私は朝の“間(Ma)”をつくる。
コーヒーをゆっくり飲んで、子どもと少しだけ“たわいもない会話”をする。
結果として、
「ごはんの見た目」は前より少し不揃いになったけど、
「朝の空気のゆとり」はぐっと豊かになりました。
もう一つの例を挙げると、
掃除を「完璧にやる日」と「軽く整える日」を分けるようにしました。
毎日全力で掃除をするよりも、
“今日は気になる場所だけ”という柔軟さを持つことで、
気持ちにも“余白”ができたんです。
子どもにも伝わる、“ゆるさの力”
おもしろいのは、親の“ゆるさ”は子どもにも伝染するということ。
以前は、私が慌ただしく家事をしていると、
子どもも何となく落ち着かず、遊びを途中で投げ出していました。
でも、私が“焦らない・急がない・完璧を求めない”姿を見せると、
子どもも自然と「できなくてもいいや」と思えるようになったんです。
ある日、娘が失敗した折り紙を見せながらこう言いました。
「これ、ちょっとぐちゃってるけど、なんかかわいいでしょ?」
その瞬間、
“ああ、この子の中にもWabi-Sabiが育ってる”と感じました。
「欠け」も「しわ」も、「今」の証
侘び-寂びは、
“欠け”や“汚れ”を「失敗」とは見ません。
それは、「時間と一緒に生きてきた証」なのです。
子育ても同じ。
理想通りに進まない日もあるし、
泣きたくなる夜もある。
でも、それも全部“生きている証”。
完璧じゃなくていい。
むしろ、不完全な瞬間こそが「人らしさ」であり、
家族とのつながりを深めてくれるものだと、
私は今では信じています。
「“量より質”の家族時間 ― 間(Ma)と侘び-寂び(Wabi-Sabi)で深めるつながり」
夕方、夕飯の支度をしながら時計を見る。
子どもはリビングで宿題、夫はまだ帰ってこない。
一日が終わりに近づくこの時間帯、
「今日、ちゃんと子どもと向き合えたかな」と思うことがあります。
私たち母親は、
「家族の時間=長く一緒にいること」だとつい考えてしまいます。
でも最近、私は少しずつその考えを変えました。
それは、“どれだけ一緒にいたか”より、“どれだけ心を通わせたか”
が大事だと気づいたからです。
この「転」では、“間(Ma)”と“侘び-寂び(Wabi-Sabi)”の考えをもとに、
家族時間の“質”を高める実践についてお話しします。
1. 「間」をデザインする家族時間
家族の時間は、ただ長ければいいわけじゃない。
むしろ、「間(Ma)」をどう使うかで、つながりの深さが変わります。
たとえば、
夕飯の後の10分間。
テレビを消して、テーブルの上を片付ける前に、
「今日一番楽しかったこと」を一人ずつ話す時間をつくってみます。
ほんの10分でも、“心を向ける時間”にすることで、
その日一日が、ただの「作業の連続」ではなくなります。
私の家では、この時間を「お茶タイム」と呼んでいます。
お菓子がある日もない日も、
ただ湯呑みにお茶を注ぎながら、
「今日、誰かにありがとうって言った?」とか、
「明日はどんな日になりそう?」なんて会話をする。
この“間”の時間には、
正解も、ゴールも、目的もありません。
それでも、
**心が近づく“音のない時間”**が確かに流れているのを感じます。
2. 「Wabi-Sabi」を通して、完璧じゃない家族を愛する
以前の私は、家族の時間を「完璧に過ごさなきゃ」と思っていました。
お出かけの日はスケジュールをびっしり、
写真も“映える角度”を探して、
「せっかくだから、楽しい一日にしなきゃ!」と力が入っていました。
でも、ふとした瞬間に気づいたんです。
“予定通りにいかない瞬間”こそ、家族らしさがあふれているって。
たとえば、ピクニックでおにぎりを落として笑ったとき。
雨で中止になった公園遊びを、
家のリビングで“即席キャンプ”に変えて笑いあった夜。
それらの「計画外」な出来事が、
今では家族の宝物のような記憶になっています。
Wabi-Sabiの考え方は、
“欠け”や“失敗”をそのまま美しいと感じる心。
それを家庭に持ち込むことで、
「完璧じゃない家族」こそ温かいと思えるようになります。
そしてこの「受け入れる姿勢」は、
家族関係のストレスを驚くほど軽くしてくれます。
3. 「忙しさ」を“丁寧な短さ”に変える時短の知恵
“量より質”の家族時間をつくるには、
実は「時短」がとても重要です。
でも、時短といっても、
「早くこなす」ことではありません。
**“やることを減らす”のではなく、“丁寧に短くする”**こと。
たとえば、朝の支度。
以前は「朝食→片付け→着替え→送り出し」と、
バタバタしていました。
でも今は、朝食の後に“2分だけ静かに座る時間”を家族で持つようにしています。
その2分で、子どもが「今日、学校で何したい?」と話してくれる。
夫も、「今日は遅くなるかも」と自然に伝えてくれる。
わずか2分なのに、
朝の空気が一気に“家族のリズム”で整うんです。
これも立派な時短術。
「情報のすれ違い」が減る=後の手間が減る。
そして心のバッファが増える。
忙しいママこそ、
“時短”を「効率」ではなく「心の余白を取り戻す手段」として
使ってほしいと思います。
4. 「一緒にいなくても、つながれる時間」
間(Ma)を意識して暮らしていると、
“物理的に一緒にいる時間”が少なくても、関係が深まることがあります。
たとえば、
出かけた夫にお弁当のふたに「今日もありがとう」と書く。
子どもに「帰ったらおかえりハグしよう」とメモを残す。
たったそれだけで、
“離れている時間”も、“つながりの時間”に変わります。
Maの考え方は、
沈黙や距離の中にも「関係性」が存在するということ。
会話がなくても、視線が合わなくても、
心が少しだけ向き合っていれば、それで十分なんです。
5. 家族の「音」を感じる
夕方、キッチンで夕飯を作っていると、
子どものピアノの音、洗濯機の回る音、
そして夫の帰宅する足音。
日本の家の中には、
そんな“生活の音”が静かに流れています。
Maの美学は、この“音のあいだ”にもあります。
「無音=静けさ」ではなく、
“音と音の間にある呼吸”が、家族のリズムを作る。
私の家では、
食器を洗う水の音、
「おかえり」と言う声、
寝る前の小さな「おやすみ」。
それら全部が、Wabi-Sabi的な家族のハーモニーなのだと思います。
6. “量より質”で心が満たされる
子どもと長く遊ぶことよりも、
「一緒に笑った3分」を大切にする。
夫と長く話すよりも、
「今日もありがとう」と一言を交わすことを大切にする。
その一瞬一瞬に、
「間(Ma)」と「侘び-寂び(Wabi-Sabi)」が流れている。
そしてそれが、
“忙しい毎日”の中でも、
“深くつながる家族時間”を生み出してくれる。
ゆとりの中にある、つながりのかたち
夕方のリビング。
洗濯物がまだ畳まれていないソファの上で、子どもが私の膝に頭を乗せてきました。
「あのね、きょうね——」と話し出す小さな声。
その瞬間、私は“何かをしながら”ではなく、“ただその声を聞く”ことを選びました。
それが、私の中での「Ma(間)」であり、「Wabi-Sabi(侘び寂び)」の実践だったのかもしれません。
かつての私は、“今日やるべきこと”のリストをいつも頭の中で数えていました。
ご飯の支度、掃除、洗濯、買い物、そして子どもの習い事の送り迎え。
けれど、気づけば——その忙しさの中で、
一番大切にしたかった“子どもとの会話”や“心の余裕”が少しずつ削られていったのです。
日本の暮らしには、「間(Ma)」という独特の考えがあります。
それは、何もしていない「空白」を大切にすること。
家の中でも、音のない時間や静けさを心地よく感じる感性です。
この「間」を育てることが、実は“心のゆとり”や“家族とのつながり”を深めてくれる。
それに気づいたのは、ある日の午後、子どもと庭でただ空を見上げていたときでした。
「ママ、雲がドラゴンみたい!」
そんな一言に笑って答えた瞬間、
“何もしない時間”が、いちばん記憶に残る時間になることを実感しました。
そしてもう一つ。
完璧じゃなくてもいい——という「Wabi-Sabi」の心。
部屋が散らかっていても、料理がうまくできなくても、
それは“生活の証”であり、“今を生きている形”なんですよね。
SNSでは、整った食卓や美しいお弁当が並びます。
でも、私たちの暮らしの本当の美しさは、
「ちょっと失敗したけどおいしかったね」と笑い合える瞬間にある。
そう思うと、心がすっと軽くなります。
母として、完璧を目指すことよりも、
「今、この時間をどう感じるか」を大事にする。
それが、私が見つけた“Wabi-Sabi Parenting”の形です。
そして気づけば、私の日々の中に小さな変化が生まれました。
朝、子どもを起こす前に1分だけ深呼吸をする。
夕食の支度中に、一度手を止めて外の空気を吸う。
そんな“間”の積み重ねが、
子どもとの会話を自然に生み出し、
家の中にやさしい空気をつくっていく。
「Ma」と「Wabi-Sabi」。
この二つの考え方は、
ただの哲学ではなく、日々を穏やかにする小さな知恵です。
それを母として実践することが、
子どもたちに「生きる余白」や「不完全さの美しさ」を伝える一番の方法なのかもしれません。
——完璧じゃなくていい。
慌ただしい毎日の中に、ほんの少しの“間”を置いてみる。
そのゆとりこそが、母であるあなた自身をやさしく包み、
家族を自然とつないでいく力になるのです。
今日、ほんの5分。
何もせず、ただお茶を飲む時間を作ってみてください。
そこから生まれる静けさの中に、
あなたの“Ma”と“Wabi-Sabi”がきっと見つかるはずです。

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