【海外のあなたへ】日本の主婦が送る、日常ストレスを「光」に変える「木漏れ日マインドセット」のすすめ

【木漏れ日マインドセット】見失いがちな「今」に光をあてる

やっほー! こんにちは。日本で二人の子育てと家事に追われる、ごく普通の主婦、サチです。

この記事を読んでくれているあなたは、今、世界のどこにいますか?

ヨーロッパの石畳の街? 広大なアメリカ大陸のどこか? それとも、アジアのエネルギッシュな都市?

住む場所は違っても、きっと「海外で頑張る主婦」として、毎日めまぐるしく過ごしているんじゃないかなって思います。

慣れない土地での生活、言葉の壁。

「今日はゴミの日、いつだっけ?」「あれ、このスパイス、スーパーのどこにあるの?」「学校からのあのお便り、なんて書いてある!?」

……なんて、日本にいたら一瞬で終わるようなことに、倍の時間とエネルギーを使ったり。

かと思えば、日本の家族や友達との時差。

「ちょっと聞いてよ!」って愚痴りたくても、向こうは真夜中だったり。

そして何より、世界共通、終わりなき「主婦業」。

朝ごはんを作って、送り出して、掃除して、洗濯機を回して、たたんで、買い物に行って、お昼(自分だけだと超テキトー)を食べて、ほっと一息……つく暇もなく、もう夕飯の心配(笑)

「私、今日、いったい何回『あー、忙しい!』って言ったかな?」

「なんだか、毎日『やることリスト』を消すためだけに生きてる気がする……」

そんな風に感じて、ふと我に返って、キッチンの隅でため息をついちゃう。

そんな日、ありませんか?

すごく分かります。

何を隠そう、私自身がそうだから。

日本に住んでいるとはいえ、主婦の「やること」は基本的に同じ。

特に子供が小さい頃なんて、本当に「カオス」でした。

ある雨上がりの午後。

泥だらけになって帰ってきた子供たち。玄関は砂と水たまりでぐちゃぐちゃ。

やっとお風呂に入れたと思ったら、兄弟ゲンカで脱衣所まで水浸し。

「もーーーーー! いい加減にして!!」

その日一番の、自分でもびっくりするくらいの大きな声が出ちゃったんです。

泣き出す子供たちを見て、ハッと我に返る。

(ああ、私、またやっちゃった……)

怒りたかったんじゃない。ただ、疲れてた。

心が、タスクと焦りで「いっぱいいっぱい」になって、もう1ミリも余裕がなかった。

自己嫌悪で落ち込んで、その日の夜、夫に「私、母親失格かも」なんてこぼしたら、

「大丈夫、サチは頑張りすぎてるだけだよ」

って。

その優しさが嬉しくて、また泣けてきちゃったり(笑)

きっと、あなたも同じような経験、あるんじゃないかな。

「頑張りすぎてる」

そう、私たちは毎日、本当に頑張ってる。

家族のために、自分のために、異国の地で、必死に「日常」を回してる。

でもね、その「頑張り」が、いつの間にか自分を追い詰める「ストレス」に変わってしまうこと、ありますよね。

心がギューッと縮こまって、カチカチになっていく感じ。

周りの景⾊も、家族の笑顔も、なんだか白黒に見えちゃう。

そんな、日々の忙しさやプレッシャーに「圧倒されそう……」と感じているあなたに、今日は日本から、一つの「お守り」のような言葉と、それにまつわる「考え方」を紹介したいんです。

それが、「木漏れ日(Komorebi)」

聞いたこと、ありますか?

そう、「木」の「漏れる」「日(光)」と書きます。

これは、英語や他の多くの言語に、一言でピタリと当てはまる翻訳がない、日本語独特の言葉だと言われています。

(だから、そのまま “Komorebi” として知られ始めているみたい!)

情景を説明すると……

例えば、あなたが静かな森の中を歩いているとします。

見上げると、たくさんの木々が青々と葉を茂らせている。

空は、その葉っぱたちで覆われているんだけど、完全な「陰」じゃない。

葉と葉の「すき間」から、太陽の光が、まるでシャワーのように、キラキラと差し込んできている。

風が吹くと、その光は、地面の上でゆらゆらと踊る。

あの、「葉っぱの間から差し込む、やわらかくて、不規則で、美しい光」。

それが「木漏れ日」です。

ね、なんだか想像するだけで、ちょっと深呼吸したくなりませんか?(笑)

「うん、サチさん、言いたいことは分かるよ。キレイな言葉だね」

「でも、それが私の『ストレス』と何の関係があるの?」

って思いますよね。

ここからが、今日の本題。

私は、この「木漏れ日」を、単なる「美しい風景」としてじゃなく、

「現代のストレスフルな日常を乗り切るための、超実践的な心の持ち方」

……ちょっとカッコつけて言うと、

「木漏れ日マインドセット (Komorebi Mindset)」

として、あなたに提案したいんです。

え? 「マインドセット」だなんて、急に意識高い系?

……いえいえ、全然そんなことないです(笑)

むしろ逆。もっと「ゆるく」て「自然」な、人生の知恵みたいなもの。

この「木漏れ日マインドセット」の核となるコンセプトは、フックにも書いた通り、

「自然(あるいは日常の些細なこと)を観察することで、心に静かな瞬間と深い洞察を見つけること」。

……うーん、まだちょっと、カタいかな?

もっと簡単に、私の解釈で言っちゃいますね。

「木漏れ日」って、どうしてできると思いますか?

当たり前だけど、「葉っぱ」がぎっしり、隙間なく詰まっていたら、光は地面まで届かない。

暗い「日陰」になるだけ。

光が差し込むには、「葉と葉のすき間」 が絶対に必要なんです。

これって、私たちの「心」や「日常」と、すごく似てると思いませんか?

私たちの毎日を「木」だとすると。

「家事」「育児」「仕事」「人間関係」「将来の不安」「過去の後悔」……

いろんな「やること」や「考えること」が「葉っぱ」みたいに、私たちの心を覆い尽くそうとする。

それが「ぎっしり」詰まって、もうパンパンな状態。

それが、さっき私が子供に怒鳴っちゃった時みたいな「いっぱいいっぱい」の状態。

心の「日陰」です。

この状態じゃ、どんなに太陽(=幸せ、喜び、リラックス)が輝いていても、心の地面(=私たち自身)まで光は届かない。

だから、必要なのは、「すき間」

「木漏れ日マインドセット」っていうのは、

「全部の葉っぱ(タスク)をなくそう!」

っていう、非現実的な話じゃありません。

(主婦業からタスクがなくなる日なんて、来ないですからね!)

そうじゃなくて、

「ぎっしり詰まった葉っぱ(日常)の中に、意識的に『すき間』を見つけて、そこから差し込む『光』を感じる技術」

のことなんです。

それは、大掛かりな「自然体験」じゃなくていい。

わざわざ森に行かなくても、ハイキングの準備をしなくてもいいんです。

  • 食器洗いをしながら、窓から見える雲の形が面白いな、って10秒だけ見とれてみる。
  • 洗濯物を干しながら、ベランダのプランターに昨日より育った小さな芽を見つける。
  • 子供の寝息が、規則正しいリズムを刻んでいるのを、そっと聞いてみる。
  • スーパーからの帰り道、名前も知らない花がアスファルトの隙間から咲いているのに気づく。

そういう、ほんの些細なこと。

日常の「タスク」と「タスク」の間に、ほんの数秒でもいいから「すき間」を見つけて、

「ああ、今、私、ちゃんと生きてるな」

って感じる。

それが「木漏れ日マインドセット」の第一歩。

「でも、そんなことで、あのイライラが消えるの?」

「結局、目の前のタスクは減らないじゃない」

その通りです(笑)

タスクは減らない。

でもね、「タスクに向き合う自分の心」 が、確実に変わってくるんです。

カチカチに乾いたスポンジが、水を吸ってふっくらするみたいに。

心に「すき間」と「うるおい」ができると、同じ「忙しさ」でも、受け止め方が全然違ってくる。

これは、気休めの「キレイごと」や、スピリチュアルな「お祈り」とは違います。

むしろ、日本人が昔から大切にしてきた、とても**「実用的(プラクティカル)」**な生活の知恵であり、人生術なんです。

なぜ、これが単なる「美しいアイデア」ではなく、

現代を生きる私たち、特に海外という慣れない環境で奮闘する主婦にとって、強力な「ストレス対処法」になるのか。

次の「承」のパートでは、この「木漏れ日」的な考え方が、

どうやって日本の文化――例えば「お茶」の時間や「生け花」、「禅」の考え方なんかに繋がっているのか。

そして、それがなぜ「心のすき間」を作るトレーニングになるのか、もう少し深く、私の実体験も交えながら掘り下げていきたいと思います。

この「木漏れ日マインドセット」の旅、もう少しだけ、一緒に歩いてみませんか?

なぜ日本人は「あいまいさ」に美を見出すのか?

(「起」からの続き)

さて、前回の「起」では、「木漏れ日マインドセット」っていうのは、

「忙しい日常(ぎっしり詰まった葉っぱ)の中に、意識的に『すき間』を見つけて、そこから差し込む『光』を感じる技術だよ」

って話をしました。

キッチンの窓から見える雲とか、アスファルトに咲く小さな花とか。

そういう「タスクじゃないもの」に、ほんの数秒、心を寄せる「すき間」。

でも、読んでくれたあなたの中には、こう思った人もいるんじゃないかな。

「サチさん、分かるけどね」

「こっちは今、目の前の『現実』で手一杯なのよ!」

「『すき間』を見つける前に、次の『タスク』が弾丸みたいに飛んでくるんだけど!」

……って(笑)

本当、そうですよね。

特に海外での生活って、日本にいるよりも「ハッキリ」を求められる場面が多くないですか?

契約書、学校への提出物、お店でのやり取り。

「Yes」なのか「No」なのか。

「できる」のか「できない」のか。

「好き」なのか「嫌い」なのか。

「えーっと、ちょっと考えさせてください」とか「まあ、悪くはないんですけど……」みたいな、日本でなら許される「グレーゾーン」が、通用しにくい。

「で、結論は?」って、スパッ!と求められる感じ。

それはそれで、物事がスピーディに進むし、分かりやすいというメリットも絶対ある。

私も最初は戸惑ったけど、海外旅行に行った時なんかは「楽だな」って感じたこともあります。

でもね、私たち日本人が、心のどこかでずっと大切にしてきたのって、実はその「逆」かもしれないな、って最近思うんです。

「白」か「黒」か、じゃなくて。

「100点」か「0点」か、でもなくて。

その**「間(あいだ)」**。

それこそが、今回のサブタイトル

「なぜ日本人は『あいまいさ』に美を見出すのか?」

っていう話につながってきます。

そして、この「あいまいさ」こそが、「木漏れ日マインドセット」の「肝(キモ)」なんです。

ちょっと思い浮かべてみてください。

「木漏れ日」って、まさに「あいまい」な光だと思いませんか?

カンカン照りの「日なた(白)」でもない。

真っ暗な「日陰(黒)」でもない。

風で葉っぱが揺れるたびに、光の形は変わり、強さも変わる。

くっきりとした輪郭なんてない。

光と影が、お互いに溶け合って、美しいグラデーションを作っている。

私たち日本人は、たぶん、太古の昔から、こういう「ハッキリしないもの」に、なぜか心を惹かれてきた民族なんだと思います。

例えば、「水墨画」。

使うのは「黒い墨」だけ。

でも、その「濃淡」や「かすれ」で、雨の湿気や、霧に包まれた山の「空気感」まで表現しようとする。

輪郭をハッキリ描くんじゃなくて、あえて「ぼかす」ことで、見る人に「その先」を想像させる。

「和食」 もそう。

もちろん、お寿司の「わさび」みたいにハッキリした刺激もあるけれど(笑)、

和食の基本って、やっぱり「だし(出汁)」ですよね。

「塩味」とか「甘味」みたいに、舌で「ガツン!」と感じる味じゃない。

「旨味(Umami)」っていう、じんわりと口の中に広がる、あの「あいまい」で「奥深い」味わい。

「何が入ってるか分からないけど、なんだかホッとする」

あの感覚。

じゃあ、なんで私たちは、そんな「あいまい」なものを大切にしてきたんだろう?

それはたぶん、

「ハッキリしない部分(=すき間、余白)」にこそ、「心の豊かさ」や「平穏」が宿る

ってことを、経験的に知っていたからじゃないかな。

これ、別に芸術や料理の世界だけの話じゃないんです。

昔から日本に伝わる「道(どう)」と呼ばれるもの――。

そう、「茶道(さどう)」とか「華道(かどう=生け花)」とか、あと「禅(ぜん)」なんかも、そう。

これらって、海外から見ると「日本の伝統的な趣味」とか「ちょっとストイックな習い事」って思われがち。

でも、私、これって全部、

「日常に『すき間』を作るための、超・高度なマインドセット・トレーニング」

だと思うんです。

私ね、結婚前にほんのちょっとだけ、茶道をかじったことがあるんです。

(もう作法なんて、キレイさっぱり忘れちゃったけど!)

最初、お茶会の練習に行った時、正直、退屈で(笑)

(ごめんなさい、先生)

「早くお菓子食べて、お茶飲みたいなー」

「正座、足しびれたー」

って、雑念だらけ。

お茶を「飲む」っていう**「ゴール(結果)」**しか見てなかったんです。

それなら、正直、家でペットボトルのお茶を飲んだ方が、早いし、楽じゃないですか。

でも、先生は違った。

お湯を釜からくむ時の「音」。

畳の上を歩く時の「足の運び」。

茶筅(お茶を点てる泡だて器みたいなやつ)を振る時の「手首の角度」。

一つ一つの「プロセス(過程)」に、ものすごく集中しているのが伝わってきた。

その先生の周りだけ、空気が「シーン」と澄んでいる感じ。

ハッとしました。

ああ、茶道って、「お茶を飲む」のがゴールじゃないんだ。

「お茶を点てる」という、あえて非効率な「プロセス」にどっぷり浸かることで、

「あー、今日の夕飯どうしよう」

「あの人からのメール、返さなきゃ」

っていう、日常の「タスク(雑念)」を、強制的に「シャットアウト」する時間なんだ、って。

それこそが「すき間」であり、「木漏れ日」を感じる時間。

「華道(生け花)」も、同じですよね。

西洋のフラワーアレンジメントが、お花を「たくさん」使って、空間を「埋める」ことで美しさを作る(ことが多い)としたら、

日本の生け花は、むしろ「空間(=すき間、余白)」を、どう生かすか、が勝負。

たった一輪の花でも、その周りにある「何もない空間」とのバランスで、凛とした美しさが生まれる。

「足し算」じゃなくて「引き算」の美学。

私、恥ずかしながら華道は習ったことないんですけど(笑)、

その代わり、どんなにキッチンがごちゃごちゃでも、

子供が食べこぼしたお米が床に落ちていても(!)

出窓のところに、スーパーで買ってきたお花を「一輪だけ」、小さな瓶に挿すようにしてるんです。

その「一輪」があるだけで、その周りの「空間」が、なぜか「聖域」みたいになる(笑)

ごちゃごちゃした現実の中で、そこだけが「心の避難場所」になる。

私にとっての、超カンタンな「木漏れ日タイム」です。

「禅」の「座禅」なんて、まさに「すき間」のトレーニングそのもの。

よく「無になる」って言われるけど、お坊さんだって「無」にはなれないんだって。

(「あー、お腹すいたな」とか思うらしいですよ)

大事なのは、「雑念(=タスク、不安、葉っぱ)」が浮かんでくるのを、

「ダメだ!」って否定することじゃなくて、

「あ、私いま、夕飯の献立のこと考えてるな」

「あ、またあの時のイヤなこと思い出してる」

って、ただ「気づく(観察する)」こと。

そして、その「雑念」が、空に浮かぶ雲みたいに、スーッと流れていくのを見送る。

「雑念」と「次の雑念」の間に、ほんの一瞬、必ず「静けさ(=すき間)」がある。

その「すき間」に、意識を戻す練習。

……どうでしょう?

茶道も、華道も、禅も。

ハッキリした「答え」や「効率」を求めるんじゃなくて、

あえて「あいまい」で「非効率」な「プロセス」や「すき間」に身を置いて、

そこから「光」を感じ取ろうとする。

これって、すごく「木漏れ日」的だと思いませんか?

「白黒ハッキリ!」

「効率! スピード! 結果がすべて!」

っていう「日なた」だけの世界は、最初は気持ちいいかもしれないけど、ずっとそこにいると、心が日焼けして、ヒリヒリして、疲れちゃう。

かといって、「どうせ私なんて……」

「やっても無駄」

っていう「日陰」にずっといたら、心は冷たく、暗くなってしまう。

私たちが本当に必要なのは、

「日なた(効率)」と「日陰(休息)」を、行ったり来たりしながら、

その「あいまいなグラデーション(=木漏れ日)」の中に、

「ああ、今、私、ちゃんと生きてるなあ」

ってホッとできる瞬間。

それが、私たち日本人が昔から培ってきた「生活の知恵」であり、「ストレスから心を守る術」なんじゃないかな。

「OK、サチさん」

「理屈は分かったよ」

「あいまいさ、大事だよね。すき間、欲しいよね」

「でもね!」

「現実問題、子供が『ママー! ママー!』って10秒おきに呼んでくるこの状況で!」

「『今、私、禅のトレーニング中だから』とか言えないんだけど!」

「日常の『ギャー!』っていう騒音(ノイズ)を、どうやったら『木漏れ日』みたいに美しく感じられるわけ!?」

……はい、最大にして、最強の「ギモン」が来ました(笑)

おっしゃる通り!

ここまでの話は、いわば「理論編」。

次の「転」のパートでは、いよいよ「実践編」です。

この「木漏れ日マインドセット」という「理論」を使って、

私が日常で実際にやっている、

**「うるさい日常の『ノイズ』を、心地よい『BGM』に変える」**ための、

超・具体的な「私の実践法」をお話ししたいと思います。

お茶を点てなくても、座禅を組まなくても大丈夫(笑)

明日から、いや、この記事を読んだ5分後からできるヒントを、お伝えしますね。

日常の「ノイズ」を「BGM」に変える私の実践法

(「承」からの続き)

さてさて、理論編(承)では、

「日本人は『あいまいさ』や『すき間』に美を見出してきたんだよ」

「茶道や禅は、その『すき間』を作るトレーニングなんだよ」

なんて、ちょっと「それっぽい」話をしました(笑)

でも、分かります。

あなたの心の声、聞こえてますよ。

「サチさん! だから、こっちは今、リアルに戦場なの!」

「さっきから3歳児が『うんちー!』って叫びながら走り回ってるの!」

「『あいまいな美』とか言ってる場合じゃない!」

「この『ギャー!』っていう現実のノイズを、どうしろっていうのよ!」

はい、もう、おっしゃる通りです!

100万回「いいね!」押したいです。

私も、子供がイヤイヤ期マックスだった頃、本当にそう思ってました。

「禅? 座禅? 何それ美味しいの?」

「『すき間』どころか、息吸う『ヒマ』もないわ!」って。

家の床は、踏んだら「パリッ」と音がする(たぶん、お菓子のカス)。

洗濯物は、畳む前の「山」と、これから洗う「山」が、リビングで領土争い。

そんな中で、優雅にお茶を点てたり、座禅を組んだりなんて、どう考えても無理ゲー(=クリア不可能なゲーム)ですよね。

でもね。

「承」で話した「茶道」や「禅」の「エッセンス(=本質)」だけなら、

この「戦場」みたいな日常でも、盗むことができる。

「形」から入るのは無理でも、「心」だけなら真似できる。

それが、私がここ数年、試行錯誤しながら見つけた、

「日常の『ノイズ』を『BGM』に変える」

ための、超・具体的な「実践法」なんです。

今日は、私が実際にやっている、この「木漏れ日マインドセット」の実践法を、こっそりシェアしますね。

大丈夫、お金も時間もかかりません。

必要なのは、あなたの「意識」を、ほんのちょっとだけ「ズラす」技術です。


Z Z. Practice 1:【音】の解釈を変える(「実況中継」マインド)

まず、最大の敵。「音」のノイズ。

子供の「ママー!」「ねえ、見てー!」

兄弟ゲンカの「ギャー!」

食器がガチャガチャぶつかる音。

以前の私は、これらを全部「私を邪魔するイヤな音(ノイズ)」として聞いていました。

だから、すぐ「うるさい!」「静かにして!」って言っちゃう。

(で、自己嫌悪、の悪循環)

でもある時、気づいたんです。

「ノイズ」か「心地よい音」かなんて、結局、「自分がどう解釈するか」 でしかないんだ、って。

例えば、ライブハウスの爆音。

興味ないバンドなら「騒音(ノイズ)」だけど、大好きなアーティストなら「最高の音楽(BGM)」ですよね?

音の大きさは同じなのに。

そこで、私が編み出したのが、

「禅的・実況中継マインド」 です。

子供が「ギャー!」と叫び始めたら、

以前の私:「(イラッ!)また始まった!うるさい!」

今の私:「(お、始まったな)はい、A選手、今日もすごい声量ですねー」「これは高音の伸びをアピールしてますねー」「元気な証拠だ、素晴らしい」

……と、心の中で「実況中継」しちゃうんです(笑)

バカみたいでしょ?

でも、これが効くんです。

「禅」で、「雑念が浮かんだら、それをただ『観察』する」って言いましたよね。

あれと一緒。

イライラに「飲み込まれる(一体化する)」んじゃなくて、

一歩引いて「実況(観察)」する。

その瞬間、私の心と「ノイズ」の間に、ほんの数センチの「すき間」が生まれるんです。

その「すき間」こそが、「木漏れ日」。

「うるさい!」が「元気だね(笑)」に変わる。

「邪魔しないで!」が「おお、今日も生きてるね」に変わる。

もちろん、危険な時や、人に迷惑をかける時はビシッと叱りますよ。

でも、家の中での、あの「どうでもいいけどイライラする音」は、この「実況中継」で、だいぶ「BGM」として聞けるようになりました。

「今日の我が家のテーマソングは、ハードロックだな」みたいな(笑)


Z Z. Practice 2:【視界】に「聖域」を作る(「15cm四方」の生け花)

次、目から入ってくる「ノイズ」。

そう、「散らかった部屋」 です。

主婦にとって、これはラスボス級のストレス源ですよね。

私も、以前は「全部片付けなきゃ!」って思ってました。

でも、片付けても、30分後には子供たちによって「リセット(=カオスに戻る)」される。

もう、心が折れる。

「華道(生け花)」が、「空間(余白)」の美学だって話をしましたよね。

でも、家全体に「余白」を作るなんて、無理。

だから、発想を逆転させました。

「家全体をキレイにするのは、諦める」

(ええー!)

その代わり、「15cm四方の『聖域(サンクチュアリ)』」 を作るんです。

私の場合、それはキッチンのカウンターの隅っこ。

どんなにシンクに洗い物が山積みでも、

どんなに床がベタベタでも(笑)、

その「15cm四方」だけは、絶対にキレイにして、

「私のお気に入りのマグカップ」と、「道端で摘んだ小さな花(一輪挿し)」だけを置く。

そこだけが、私の「木漏れ日スポット」。

「華道」の「空間」を、超・ミニマムに実践するんです。

周りがどんなにカオス(=ぎっしり詰まった葉っぱ)でも、

その「一点」だけは、光が差し込む「すき間」として守り抜く。

忙しい家事の合間、その「聖域」を見て、コーヒーを飲む。

たったそれだけで、

「ああ、私、まだ大丈夫」

「私には、まだ『美』を感じる余裕がある」

って、リセットできるんです。

部屋全体を見て「あれも、これもやらなきゃ(日陰)」って絶望するんじゃなくて、

「ここだけは、守った(木漏れ日)」

っていう、小さな「達成感」にフォーカスする。

視界の「ノイズ」対策は、これで十分なんです。


Z Z. Practice 3:【時間】に「句読点」を打つ(「一口だけ」の茶道)

最後。「時間」のノイズ。

主婦の仕事って、本当にエンドレス。

「料理」が終わったら、休む間もなく「洗濯」。

「洗濯」が終わったら、すぐ「お迎え」。

「ぜんぶ終わったら、休もう」

これが、一番キケンな考え方でした。

だって、「ぜんぶ終わる時」なんて、永遠に来ないから!!(断言)

私たちは、タスクからタスクへ、息継ぎなしで泳いでるようなもの。

これじゃあ、心が「日陰」になるのも当たり前。

「茶道」が、あえて「非効率」なプロセスを踏むことで、「すき間」を作ると言いましたよね。

これを、日常に応用します。

私がやっているのは、

「意図的な『句読点』を打つ」

という儀式。

「5分休憩する」とかじゃないんです。

「5分」って決めると、「あと3分だ」とか「タイマーかけなきゃ」とか、結局「時間(タスク)」に追われちゃうから。

そうじゃなくて、「動作」で区切る。

例えば、

「料理が終わって、シンクに食器を置く」

(ここで、次のタスク=洗濯、に行かない!)

【句読点】

「窓を開けて、外の空気を『3回』だけ、深く吸い込む」

「よし、次、洗濯物、取り込もう」

とか。

「洗濯物を畳み終わる」

【句読点】

「熱いお茶(コーヒーでも水でもOK)を淹れて、『一口だけ』、舌の上で味をじっくり感じてから飲む」

「よし、次、買い物リスト、作ろう」

たったこれだけ。10秒もかかりません。

でも、この「句読点(=すき間)」があるだけで、

「タスクに『追われている』」という感覚が、

「タスクを『こなしている』」という「主体的な感覚」に、切り替わるんです。

「あー疲れた(日陰)」じゃなくて、

「うん、今、リセットした(木漏れ日)」

って。

これは「サボり」じゃない。

次の葉っぱ(タスク)に向かうために、光(エネルギー)を補給する、大事な「儀式」です。

私なりの、超・インスタントな「茶道」なんです。


どうでしょう?

「実況中継」「15cmの聖域」「句読点の深呼吸」。

どれも、現実の「ノイズ」や「カオス」を、物理的に「消す」ものじゃありません。

(子供は叫ぶし、部屋は散らかるし、タスクはなくならない)

でも、「起」で言ったことを、思い出してください。

「木漏れ日」は、「葉っぱ(タスク)」が「ない」状態じゃない。

「葉っぱ」と「葉っぱ」の「すき間」から差し込む「光」。

私たちがやるべきことは、

「現実(葉っぱ)」を変えようと、もがくことじゃなくて、

「現実の『見方』(すき間)」を、見つけること。

「ノイズ」を「BGM」に。

「カオス」を「聖域」の背景に。

「エンドレスタスク」を「句読点のある文章」に。

解釈を変える「すき間」さえ見つければ、どんな日常(森)だって、必ず「木漏れ日」は差し込んでくる。

この、小さな「すき間」を見つける練習を続けていくと、

あなたの日常は、そしてあなた自身の「人生観」は、一体どう変わっていくのか?

いよいよ、この長い旅も、次が最後。

「結」のパートで、この「木漏れ日マインドセット」の先にある、

あなただけの「光」の見つけ方について、お話ししたいと思います。

あなたの毎日が輝きだす「木漏れ日」の見つけ方

(「転」からの続き)

いやー、長い長い、おしゃべりにお付き合いいただき、本当にありがとうございます!

「起」で、「木漏れ日マインドセットっていうのは、『すき間』から光を感じる技術だよ」と提案し、

「承」で、「日本の伝統文化も、実はその『すき間』を大事にしてるんだよね」と、ちょっと理屈っぽい話をしました。

そして「転」で、

「うるさい子供の声は『実況中継』!」

「散らかった部屋には『15cmの聖域』!」

「エンドレスタスクには『句読点(深呼吸)』!」

という、私の超・具体的な(そして、ちょっと笑える)実践法をご紹介しました。

もうお分かりですよね。

私が「転」で紹介した3つの実践法は、

「子供を静かにさせる方法」でもなければ、

「部屋が一瞬で片付く魔法」でも、

「タスクが半分になる裏ワザ」でも、

ありません。

子供は今日も元気に叫ぶし(笑)、部屋は3分後にはカオスに戻るし、主婦の仕事は明日も明後日も、絶っ対になくならない。

私たちがやったのは、

「変えられない現実(葉っぱ)」

を前にして、絶望したり、イライラしたりする代わりに、

「現実の『見方』(すき間)」

の方を、ほんの数ミリ、意識的にズラしてみる、という練習でした。

「ノイズ」を「BGM」に。

「カオス」を「背景」に。

「疲労感」を「達成感」に。

私たちは「現実」そのものをコントロールすることはできなくても、

「現実の解釈」をコントロールする力だけは、誰にも奪われない、最強の「自由」として持っている。

「木漏れ日マインドセット」っていうのは、

その「解釈の自由」を使って、自分のご機嫌を自分で取るための、とっても実用的な「道具(ツール)」なんです。


ここで、私がこのマインドセットを大切にする、一番の理由をお話ししますね。

私たち主婦って、特に海外で頑張っているあなたのような人は、

無意識のうちに「完璧」を目指しちゃう(あるいは、求められちゃう)ことが多くないですか?

「現地の言葉も、ちゃんと話せなきゃ」

「子供の教育も、しっかりサポートしなきゃ」

「家事も、日本にいた時と同じクオリティでやらなきゃ」

「いつも笑顔で、素敵な奥さんでいなきゃ」

……まるで、太陽がカンカン照りの「100%の日なた」に、ずっと立ち続けているみたいに。

でも、そんなことしたら、絶対に倒れちゃいます。

日射病ならぬ、「完璧病」で、心が干からびてしまう。

だからと言って、

「もう無理」

「私には才能ないし」

「どうせ頑張っても誰も見てくれない」

と、すべてを諦めて「100%の日陰」にしゃがみ込んでしまったら、今度は心が冷え切って、カビが生えてしまうかもしれない。

そうじゃない。

私たちが生きるべき場所は、

「100%の日なた」でも「100%の日陰」でもない。

「日なた」と「日陰」が、美しく混じり合う、あの「あいまい」な場所。

そう、「木漏れ日」が降り注ぐ、あの場所なんです。

「ああ、今日は子供に優しくできた! 私、えらい!(日なた)」

「うわ、夕飯、見事に焦がした! ……まあ、いっか、ピザ頼もう(日陰)」

「語学学校のテスト、良い点だった!(日なた)」

「スーパーで、また欲しいものが伝わらなかった……(日陰)」

この「うまくいった私」も「ダメダメな私」も、どっちも「私」。

どっちも否定しないで、

「ああ、これが『生きる』ってことだよな」

って、その「まだら模様」こそを受け入れる。

「日陰(=ダメな部分、うまくいかない現実)」があるからこそ、

そこに差し込む「光(=小さな成功、人の優しさ、自分の気づき)」が、

どれほど温かく、ありがたいものか、私たちは知ることができる。

これって、すごく希望のある「人生術」だと思いませんか?


「サTwo, 太陽はいつも、そこにある」

私がこのブログで一番伝えたかったことは、これです。

「木漏れ日」の「光」は、どこか遠い特別な場所にあるんじゃない。

わざわざ日本に帰ってこなくても、有名なパワースポットに行かなくても、

あなたの「今、ここ」に、すでに降り注いでいます。

だって、太陽はいつも、空の上で輝いているから。

ただ、私たちの日常が「葉っぱ(タスク、不安、焦り)」で鬱蒼(うっそう)と茂りすぎていて、

その「光」が地面(あなたの心)まで届いていないだけ。

だから、あなたがやるべきことは、

「新しい光」を探しに行くことじゃなくて、

「今ある光」に気づくための「すき間」を、見つけること。

それは、

あなたが住む街の、名前も知らない花の色かもしれない。

言葉が通じなくても、笑顔で「サンキュー」と言ってくれた、見知らぬ店員さんの優しさかもしれない。

やっと寝息を立てた子供の、やわらかい頬の感触かもしれない。

日本から届いた、家族からの「元気?」という一言のLINEかもしれない。

特に、あなたが今いる「海外」という土地。

そこは、日本にいる私なんかより、ずっと「葉っぱ」が多い、深い森の中かもしれません。

慣習の違い、言葉の壁、孤独感。

でもね、深い森だからこそ、

ひとすじ差し込む「木漏れ日」の美しさと、ありがたさは、

きっと、私の何倍も、強く感じられるはずなんです。

日本なら「当たり前」にできていたことが、「当たり前」にできない。

その「不便さ」や「うまくいかなさ」という「すき間」からこそ、

「人の助けの温かさ」とか「自分の成長」とか「家族の絆」っていう、

今まで見えていなかった、まったく新しい「光」が差し込んできているんじゃないかな。

そう考えると、あなたの「今」は、

「木漏れ日マインドセット」を実践する、最高のステージなんです。


「すごい成功」や「完璧な毎日」を目指さなくていい。

(そんなの、疲れちゃうから!)

ただ、今日、一日の中で、

「たった一つ」でいいから、あなただけの「木漏れ日」を見つけてみる。

それは、

「実況中継」で、イライラを笑いに変えられた、一瞬の「すき間」?

「15cmの聖域」を見て、ホッと一息つけた、一瞬の「すき間」?

「句読点の深呼吸」で、空の青さを感じられた、一瞬の「すき間」?

なんでもいいんです。

その、小さな「光」に気づくこと。

それを「ああ、幸せだな」って、ちゃんと味わうこと。

その「積み重ね」こそが、

私たちの、ともすれば「タスク」に埋もれて白黒に見えがちな「日常」という風景を、

驚くほどカラフルで、豊かで、愛おしいものに変えていく。

これこそが、日本に住む一主婦である私が、

日々の生活の中で見つけた、ささやかだけど、最強の「人生術」です。

さて、ここまで読んでくれた、頑張り屋のあなた。

読み終わったら、まず何をしますか?

スマホを置いて、

熱いコーヒーでも淹れて、

その「一口」を、今日の世界で一番、じっくり味わう「儀式」をしてみませんか?

あなたは、一人じゃありません。

世界のどこかで、同じように家事に追われながら(笑)、

同じように「すき間」を探して、空を見上げている日本の主婦(私)が、ここにいます。

あなたのいる場所にも、

あなたの心の中にも、

今日も、美しい「Komorebi」が、

キラキラと降り注いでいますように。

読んでくれて、ありがとう!

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