言わない「ありがとう」と、おすそ分け。日本の”察し”のコミュニケーション術

その「ありがとう」、本当に伝わってる?

こんにちは! 日本でふたりの子どもを育てながら、毎日ドタバタと暮らしている主婦の(※ここにあなたのブログ名を入れます)です。

このブログは、海外から日本に興味を持ってくれている皆さんに向けて、教科書には載っていない、日本人の「リアルな感覚」や「生活の知恵」みたいなものを、私の日常から切り取ってお届けしています。

さて、突然ですが、皆さんに質問です。

誰かに、ものすごーくお世話になった時。本当に「助かった!」と心の底から思った時。

「ありがとう」

この一言で、あなたの気持ち、全部伝わっていますか?

「え、当たり前でしょ? Thank you so much! って、ちゃんと心を込めれば伝わるよ!」

うんうん、そうですよね。もちろん、言葉にして伝えることは、めちゃくちゃ大事です。日本でも、もちろん「ありがとう」は魔法の言葉です。

でもね、日本で暮らしていると、時々「ありがとう」という言葉が、なんだかすごく「軽く」感じてしまう瞬間があるんです。

「いや、私が言いたい『ありがとう』は、こんなもんじゃない! もっとこう、ずっしり重いやつ!」

って、胸がソワソワするというか、ムズムズするというか。

この間、まさにそんな出来事がありました。

うちの地域、ちょっとした丘の上にあって、風がすごく強い日が多いんです。先日の台風は、本当にすごかった。夜中じゅう、家が揺れるくらいの暴風で、子どもたちも怖がってなかなか寝付けないほど。

朝、恐る恐るカーテンを開けたら…あぁ、やっぱり。

うちは小さな庭があるんですが、そこに設置していた自転車用の簡易的なビニールハウス(ガレージ?)が、無残にも骨組みだけになって、ビニールのカバーが半分引きちぎれて隣の家のフェンスに引っかかってる…。

「うわー…最悪だ…」

雨は止んでたけど、風はまだ強い。

「これ、どうしよう。私ひとりで片付けられるかな…いや、そもそも危ないし…」

夫は朝早くから出勤していて、こういう時ワンオペだときついんですよね。

途方に暮れて、とりあえず庭に出て、フェンスに絡まったビニールを引っ張ってみた、その時。

「おはようございます。大変でしたね」

声をかけてくれたのは、隣に住む、普段は会釈する程度のおじいちゃん(たぶん70代くらい?)。

「あ、おはようございます! 本当にすごい風で…お宅は大丈夫でしたか?」

「うちは平気平気。それより、そっち。手伝いますよ」

え? と思う間もなく、おじいちゃん、慣れた手つきで絡まったビニールをフェンスから外し、飛ばされた骨組みをテキパキと集め始めちゃったんです。

「あ! すみません! ありがとうございます! 助かります!」

私は慌ててそう言いました。

でも、おじいちゃんは「いやいや」と手を軽く振るだけ。

「こういうのは、お互い様だから。ひとりでやったら危ないよ」

15分くらいでしょうか。ふたりで作業したら、あっという間に散乱していた残骸が庭の隅にまとまりました。

私は、もう、感謝しかなくて。

「本当に、本当に助かりました! 何とお礼を言ったらいいか…!」

深々と頭を下げて、何度も「ありがとうございます!」って言ったんです。

でもね、その時感じたのが、さっき言った「ムズムズ感」でした。

(私の「ありがとう」、軽いな…)

だって、もしおじいちゃんが手伝ってくれなかったら、私はあの強風の中、いつまでも片付けられず、ビニールがもっと遠くまで飛んでいって、別のご近所さんに迷惑をかけていたかもしれない。その不安とストレスから、一瞬で解放してくれたんです。

なのに、私から出た言葉は「ありがとう」だけ。

もちろん、おじいちゃんは「いいってことよ」と笑って家に戻っていきました。

この時、もしここがアメリカだったら(私の勝手なイメージですが!)、

「Oh my gosh! You’re a lifesaver! I owe you big time!(うわー!命の恩人よ!すごい借りを作っちゃった!)」

みたいに、もっと大げさに、感情的に感謝を伝えて、後でスタバのギフトカードとか、ビールの一箱でも持って行ったりするのかな?

でも、日本、特にご近所付き合いで、それはちょっと「やりすぎ」というか、かえって相手を困らせてしまうこともある。

じゃあ、私のあの「感謝しきれない気持ち」は、どこへ行けばいいんでしょう?

ここで、日本のちょっと面白い文化的な習慣が登場します。

それが**「無言の感謝」、あるいは「行動で示す感謝」**です。

あの時、おじいちゃんが私にかけた言葉は「お互い様だから」でした。

これ、日本人がめちゃくちゃよく使うフレーズです。

直訳すると「We are in the same boat (お互いに同じ立場ですね)」みたいな感じですが、ニュアンスとしては「困った時は助け合うのが当たり前。だから、あなたは私に『借り』を感じる必要はないですよ」という、相手を気づかうメッセージなんです。

ここで私が「いえ! お礼をしなきゃ気が済みません!」と現金や高価な品物を渡そうとすると、おじいちゃんが作ってくれた「お互い様」という心地よい関係性を、私がお金で壊してしまうことになる。

「私はあなたの親切を『買いました』」という意味になりかねない。それは、すごく失礼なことなんです。

だから、私は「ありがとう」という言葉は(もちろん言いますが)そこそこにして、**別の形で感謝を「返す」**準備をします。

例えば、数日後。

うちの実家から、ちょうど美味しいみかんがダンボールで送られてきました。

私は、そのみかんを綺麗なかごにいくつか分けて、おじいちゃんの家にピンポンします。

「こんにちはー。この間はありがとうございました!」

…とは、言いません。

こう言うんです。

「こんにちはー。実家からみかんがたくさん送られてきたんですけど、うちだけじゃ食べきれなくて。よかったら、召し上がりませんか?」

これが、日本の「暗黙のありがとう」です。

おじいちゃんも、私が「台風の時のお礼だな」と100%分かっています。

でも、彼は「あぁ、この間の。悪いねぇ」とは言いません。

「おや、それはどうも。じゃあ、遠慮なく」

と受け取ってくれる。

この一連の流れ、どう思いますか?

すごく「遠回し」で、面倒くさいって思いますか?(笑)

でも、ここには日本人の「和(わ)」、つまりコミュニティの調和をすごく大切にする感覚が詰まっているんです。

「助けた」「助けられた」という貸し借りの関係をハッキリさせすぎると、人間関係ってギスギスしちゃう。

そうじゃなくて、「なんだかんだ助け合ってるよね、私たち」という、ふんわりとした「お互い様」の空気感で包んでおく。

これが、日本の社会で昔から大事にされてきた、一種の「感情的な知恵(エモーショナル・インテリジェンス)」なんじゃないかな、と私は思うんです。

言葉で「Thank you!」とストレートに伝える文化も、もちろん素敵です。

でも、あえて言葉にせず、行動や「おすそ分け」という形で、静かに、でも確実に感謝を伝える。

そんな「サイレントな感謝」のやりとりが、日本人の生活の根底には流れている気がします。

じゃあ、なんでこんな「察し」の文化が生まれたんでしょう?

一説には、日本が島国で、昔から同じコミュニティ(村)でずっと暮らしてきた歴史が関係しているとも言われます。

また、和を重んじる仏教の考え方や、上下関係や礼儀を大切にする儒教の教えなんかも、少しずつ影響しているのかもしれません。

次の【承】のパートでは、この「お互い様」や「おすそ分け」の文化が、日常生活のどんな場面に隠れているのか、もう少し深掘りしてみたいと思います!

「お互い様」と「おすそ分け」に隠された、本当の気持ち

【起】のパートでは、台風の朝、隣のおじいちゃんに助けてもらった話と、私が直接的な「ありがとう」の代わりに「みかんのおすそ分け」で感謝を伝えた、というエピソードをお話ししました。

これって、一見すると「遠回しだな~」と思いますよね。

でも、この「おすそ分け」こそが、日本人のコミュニケーションにおける「潤滑油」であり、ある種の「人生術」でもあるんです。

今日は、この「お互い様」と「おすそ分け」カルチャーについて、もう少し深く潜ってみたいと思います!

1. 「借り」を作らない、作らせない。

まず、根本にあるのは、日本人が「借り」という感覚にすごく敏感だ、ということです。

「借り」っていうのは、”debt”(借金)というほど重くはないんですが、「相手に何かをしてもらったまま、お返しができていない状態」のこと。

これ、多くの日本人は、なんだか落ち着かないんです。

「あの人に、あれしてもらったままだ…」

「申し訳ないな…」

って、心のどこかに小さなトゲが刺さったみたいに、ちょっとチクチクする。

海外の(特に欧米の)ドラマなんかを見ていると、「You owe me one!(ひとつ借りね!)」みたいに、貸し借りをカラッとジョークっぽく言い合うシーンがありますよね。あれはあれで、すごくフランクでいいなと思います。

でも日本だと、特にご近所さんとか、これから長く付き合っていく相手に対して、「あなたに貸しがありますよ」という空気を出すのは、かなり「野暮(やぼ)」、つまりダサいこと、とされています。

台風のおじいちゃんが「お互い様だから」と言ったのは、「あなたは私に借りなんて感じなくていいですよ」というサイン。

彼は、私を「申し訳ない」というチクチクした気持ちから解放してくれたわけです。

じゃあ、私は本当に「ラッキー! 借りなし!」と思って、何もしなくていいのか?

…というと、そうじゃない(笑)

ここが日本の面白いところで、「借りを作らせない」という相手の配慮に対して、こちらも**「いやいや、そうは言っても助かったんで」という配慮**で返す。

この「配慮のキャッチボール」こそが、日本の人間関係の醍醐味なんです。

だから私は「みかん」を持って行った。

もし私があの時、「この間の台風のお礼です!」とハッキリ言って渡したら、どうでしょう?

おじいちゃんは「いやいや、だからお互い様だって言ったじゃない。そんなつもりじゃ…」と、せっかくの親切が台無しになったような、ちょっと気まずい気持ちになるかもしれません。

でも、「実家から送られてきたんだけど、食べきれないから」という**「言い訳」**(これ、超重要です!)を使うことで、

「あなたにお礼がしたいから、わざわざ買ったんじゃないですよ」

「たまたま余ってるから、捨てるくらいならもらってくれませんか?」

というテイで、相手に「受け取るプレッシャー」を与えずに済むんです。

おじいちゃんも、「食べきれないなら、そりゃもらってあげたほうがいいな」と、**「親切に品物を受け取ってあげる」**という、また別の親切で返してくれる。

ほら、ややこしいでしょ?(笑)

でも、このやり取りのおかげで、「助けた人」「助けられた人」という上下関係が生まれず、「ご近所さんA」「ご近所さんB」というフラットな関係のまま、お互いに気持ちよくいられるんです。

2. 「いつも気にかけてますよ」という非言語メッセージ

この「おすそ分け」、もう一つの重要な役割があります。

それは、「私はあなたのことを忘れていませんよ」「いつも気にかけていますよ」というサインを送ること。

日本は昔、「村社会」でした。

みんなが顔見知りで、田植えも稲刈りも、お祭りも、冠婚葬祭も、全部コミュニティ総出でやっていました。

誰かがサボればすぐにバレるし、誰かが困っていれば誰かが助けるのが当たり前。

そういう「共同体」の中で生きていくためには、「私はこのコミュニティの一員として、ちゃんと役割を果たしますよ」という意思表示が不可欠でした。

現代は都会暮らしが増えて、隣に誰が住んでいるかも知らない、なんてことも珍しくありません。

でも、やっぱり心のどこかに、あの「共同体」の感覚が残っているんだと思います。

例えば、うちのマンション。

エレベーターで一緒になった人に、子どもが「こんにちは!」って挨拶しますよね。

そうすると、相手の方も「こんにちは、元気だねぇ」と返してくれる。

そんなやり取りが何回か続くと、「いつも元気ね」「今日は静かね、眠いの?」なんて、ちょっとした会話が生まれます。

そうすると、ある日。

「うちの田舎からジャガイモが送られてきたんだけど、食べきれなくて。よかったら、どうぞ」

と、小分けにしたジャガイモをいただくことがあるんです。

これ、単にジャガイモをくれているんじゃない。

「いつもあなたとあなたのお子さん、見てますよ。ちゃんと認識してますよ。私たちは『敵』じゃなくて、『ご近所さん』ですよね」

という、**「関係性の確認」**なんです。

特に、私みたいに小さい子どもがいると、泣き声とか、走り回る足音とかで、周りに迷惑をかけていないか、いつもビクビクしているところがあります。

そんな時に、ご近所さんから「おすそ分け」をもらうと、

「あぁ、うるさいって怒ってるわけじゃないんだな…」

「私たちのこと、受け入れてくれてるんだな…」

って、めちゃくちゃホッとするんです。

これは、言葉で「いつもお子さん元気でいいわね!」と言われるのとは、また違う安心感。

「ジャガイモ」という「モノ」を介すことで、お互いの本音――「迷惑かけてすみません」「いえいえ、お互い様ですよ」――が、言葉なしで交換されているんです。

3. 「お返し」のループが、コミュニティを強くする

さて、「おすそ分け」をもらったら、どうするか?

そう、「お返し」です。

でも、これも「ジャガイモのお返しです!」とストレートに返すのは、ちょっと違う。

もらってすぐに返すのも、「あなたの施しは受けません」という拒絶のサインになりかねないので、ちょっと間を空けます。

数週間後、たとえば旅行に行った時。

「この間のお返しに」ではなく、

「旅行に行ってきたんですけど、お土産買いすぎちゃって。よかったらどうぞ」

と、また別の「言い訳」をつけて、クッキーの箱なんかを渡す。

そうすると、今度は相手が「あら、ありがとう」と受け取る。

またしばらくして、今度は相手から「家庭菜園でトマトが採れすぎて…」

…もう、お分かりですね?

これが永遠に続くんです(笑)

「おすそ分け」→「(別の形の)お返し」→「(また別の形の)おすそ分け」…

この**「好意のループ」**が、コミュニティの「絆」そのものなんです。

貸し借り1回で「チャラ」にするんじゃなくて、あえて「チャラ」にしない。

小さな「借り」と「貸し」を、みんなで薄く、広く、持ち続ける。

そうすることで、「私たちは助け合う関係だよね」という共通認識を、常にアップデートし続けるんです。

これは、お金や契約では作れない、「情緒的なセーフティネット(心の安全網)」なんだと思います。

もし、私が病気で倒れたら? 子どもが怪我をしたら?

きっと、あのジャガイモをくれた人が「大丈夫?」って声をかけてくれるだろう。

台風の時のおじいちゃんが、また「お互い様だから」って助けてくれるかもしれない。

そういう「信頼感」が、この「おすそ分けループ」によって育まれている。

だから日本人は、面倒くさくても、この「見えない感謝」のやり取りを、無意識に続けているんじゃないでしょうか。

もちろん、これは「理想的な」ご近所付き合いの話。

最近はこういう関係が「面倒だ」と感じる人も増えていますし、アパートやマンションでは、もっとドライな関係が主流かもしれません。

でもね。

「言わなくても伝わる」って、便利なようで、実はすごく難しい。

この「察し」の文化が、時として私たちを苦しめることもあるんです。

次の【転】のパートでは、この日本の「美徳」が、逆に「すれ違い」や「ストレス」を生んでしまう側面について、お話ししてみたいと思います。

「察して」は甘え? すれ違いを生む日本の”美徳”

前の【承】パートでは、「おすそ分け」や「お互い様」という文化が、いかに日本のコミュニティを円滑にし、私たちに「情緒的なセーフティネット(心の安全網)」を与えてくれているか、という(ちょっとイイ)話をしました。

「あぁ、日本ってなんて奥ゆかしくて、思いやりのある文化なんだろう!」

って、思ってくれましたか?(笑)

うん、そうなんです。私も、そういう「あうんの呼吸」がピタッとハマった瞬間は、「日本人でよかったな」って思います。

でもね。

でも、ですよ。

この「言わなくても伝わるよね?」「察してくれるよね?」という文化、正直言って…

めちゃくちゃ、疲れませんか!?

これ、日本に住んでいる人なら、一度は「キーッ!」ってなったことがあるはず。

今日は、この日本特有の「美徳」が引き起こす、リアルな「すれ違い」と「ストレス」について、主婦目線でぶっちゃけたいと思います!

1. 家庭内に潜む「察して」という名の地雷

一番この「察して」が暴発しやすい場所。それは、何を隠そう**「家庭」**です。

特に、夫婦間!

うちの夫は、典型的な日本人男性。優しいし、真面目に働いてくれるし、感謝はしてるんです。感謝は。

でも、彼は「家事・育児は、言われればやる」タイプ。

いや、違うな。「言われても、やらないこともある」タイプです(笑)

ある日の夕方。

私はもう、朝から子どものイヤイヤ期に付き合い、掃除機をかけ、洗濯物を3回まわし、昼寝もろくにできず、夕飯の準備をしながら子どもの相手をし…と、HP(ヒットポイント)がほぼゼロの状態でした。

もうね、立ってるのがやっと。

そこに、夫が帰宅。

「ただいまー」

リビングで、私がソファにぐったりと倒れ込んでいるのを見ても、彼の第一声はこれです。

「おー、おつかれ。なんか今日、お腹すいたなー。ご飯まだ?」

………。

カッチーン。

私の中で、何かがブチ切れる音がしました。

いや、わかるよ。あなたも仕事でお腹すTPOすいてるよね。

でもさ。

(私、こんなにぐったりしてるの、見えてるよね?)

(シンクに洗い物が山積みになってるの、気づいてるよね?)

(子どもがギャーギャー泣いてるの、聞こえてるよね?)

(だったら、「大丈夫か?」「何か手伝おうか?」とか、「今日はもう、ピザでも頼む?」とか、そういうのが先にこない!?)

(なんで「ご飯まだ?」なの!?)

これが、日本人が抱えがちな「察して」の呪いです。

私は、「疲れたから、今日はご飯作れない。あなたが何とかして」と言葉で言えばいいんです。

でも、言えない。

なぜなら、「言わなくても、この状況を見れば『察する』のが当たり前でしょ?」という、とんでもない**「甘え(あまえ)」**が私の中にあるから。

そして、彼がそれを「察して」くれないことに、一方的に失望し、勝手にイライラしている。

これ、海外の皆さんから見たら、どうですか?

「いや、言えよ!」

って思いません?(笑)

「Why didn’t you just ask for help?(なんで助けを求めなかったの?)」って。

ごもっとも!

でも、「察するのが思いやり」という文化で育つと、「言葉にしないと伝わらない」という現実が、すごく「冷たい」ものに感じてしまう。

「私ばっかり我慢して」「なんで私だけがこんなに大変なの」という被害者意識が、どんどん膨らんでいくんです。

(まぁ、翌日冷静になって「昨日、マジで死んでたから、ああいう時はピザ頼むとか『察して』よ!」ってキレて、夫に「いや、言わなきゃわかんないよ…」ってドン引きされるまでがワンセットですが)

2. 「空気を読む」という、終わらない神経衰弱

この「察し」の文化は、家庭の外でも猛威をふるいます。

それが、日本人の(ほぼ)全員が持つ特殊スキル、**「空気を読む(Kuuki wo Yomu)」**です。

文字通り「Read the Air」、その場の雰囲気や、相手が「口には出さないけど望んでいること」を読み取る能力のこと。

これができない人は「KY(Kuuki Yomenai=空気が読めないヤツ)」と呼ばれ、コミュニティから弾き出される(かもしれない)という恐怖と、常に隣り合わせなんです。

例えば、子どもの幼稚園の「ママ友」たちとのランチ会の予定決め。

Aさん:「来週、ランチどうですか? 私は火曜日か水曜日なら空いてます!」

Bさん:「あ、私、火曜日はちょっと用事が…」

Cさん:「水曜日も、午前中はもしかしたらバタバタするかも…」

はい、出ました。

Bさんの「ちょっと用事が…」。これ、本当に外せない用事があるのか、単に「Aさんとはあまり行きたくないな」という「察して」のサインなのか、微妙ですよね。

Cさんの「バタバタするかも…」。これも、「12時からならOK」なのか、「できれば水曜は避けたい」なのか、全然わからない(笑)

誰も、「その日は無理です!」とか「私は行きたくありません!」とは絶対に言いません。

言うと、「和を乱す人」「自己中心的な人」だと思われるのが怖いから。

だから、ここから地獄の「空気の読み合い」が始まります。

「あ、Bさん火曜日ダメなら、水曜はどうですか? Cさん、午前中だけなら、13時からとか?」

「うーん、13時だと、今度はDさんがお迎えに間に合わないかな…?」

「じゃあ、いっそ来月にする…?」

…もう、面倒くさい!!(心の叫び)

全員が「いい人」であろうとし、全員が「相手の空気を読んで」自分の意見を引っ込めるから、物事が一向に決まらない。

みんな、お互いに「本音」を隠して、ニコニコしながら「どうしようか~」とか言ってる。

この「全員が気を遣い合って、全員が疲弊する」感じ。これぞ、日本文化の「闇」の一面だと私は思います。

3. 「お返し」という名のプレッシャー

【承】で「おすそ分け」のループは素晴らしい、と書きました。

でも、これも「義務」になった瞬間に、とんでもないストレスに変わります。

うちの近所にも、すごく律儀な奥さんがいるんです。

私がほんの軽い気持ちで、「うちの子どもが食べなかったんで」とお菓子をあげたとします。

すると、翌日。

ピンポーン、とチャイムが鳴り、その奥さんが、

「この間はありがとうございました! これ、つまらないものですが…」

と、私があげたお菓子より、明らかに2ランクくらい高い、デパートの包装紙に包まれたクッキーを渡してくるんです。

ひえーっ!

こ、困る! 私はそんなつもりじゃなかったのに!

これ、「お互い様」じゃなくて、完全に「借り」を「利子付き」で返された感じ。

これじゃあ、もう気軽に「おすそ分け」なんてできません。

だって、次に私が何かをあげたら、彼女はまた、もっとすごい「お返し」をしなきゃいけない、とプレッシャーを感じてしまうから。

「好意のループ」だったはずが、「お返しのマウント合戦」みたいになってしまう。

これも、「相手の気持ちを察しすぎた」結果、起きてしまうすれ違いです。

「ありがとう」と言葉で軽く受け流し、「お互い様」で終わらせておくのが、本当の「思いやり」だったかもしれないのに。

**「言わない美徳」は、一歩間違えれば、「言わない無責任」「言わない意地悪」**にもなってしまう。

じゃあ、どうすればいいんでしょう?

この「察し」の文化を、全部捨ててしまえばいいんでしょうか?

「疲れた!」「無理!」「やりたくない!」って、全部ハッキリ言えば、楽になるんでしょうか?

でも、それはそれで、なんだかギスギスした、味気ない社会になっちゃう気もする…。

言葉にしなくても伝わる「温かさ」も知っている。

言葉にしないからこそ「こじれる」面倒くささも知っている。

このジレンマこそが、現代の日本人が抱える、一番大きな「悩み」かもしれません。

最後の【結】では、この超・面倒くさい「察し」の文化と、私たちがどうやって付き合っていけばいいのか。

私なりの「答え」というか、「もがき方」について、お話ししてみたいと思います。

言葉と”空気”、二刀流でいく。私なりの「感謝」の見つけ方

ここまで、日本の「言わないありがとう」の文化について、その「光」の部分(【承】で書いた、コミュニティを支える温かいループ)と、「闇」の部分(【転】で書いた、家庭や友人関係でのすれ違い)を、私の実体験からお話ししてきました。

【転】を書き終えて、たぶん皆さんもこう思ったんじゃないでしょうか。

「じゃあ、もう『察して』とか『空気読む』とか、全部やめちゃえばいいじゃん!」

「思ったことは全部、言葉で言ったほうが、ケンカにもならないし、効率的でしょ!」

うん、うん。

本当にそう思います。

特に、夫にイライラしたあの夜。「疲れたから無理!」って、たった一言が言えなかった自分。

ママ友とのランチ会で、誰も本音を言わずに時間が過ぎていく、あの不毛な感じ。

思い出すだけで、「あーもう!」ってなります(笑)

いっそのこと、この「察し」の文化、ぜんぶ捨てて、欧米のドラマみたいに「愛してる!」「ムカつく!」「助けて!」って、全部ストレートに言葉で言い合えたら、どんなに楽だろう…と。

でも、本当にそうでしょうか?

もし、日本から「察する」文化が、きれいさっぱり消えてしまったら?

【起】でお話しした、台風の朝。

私が庭で途方に暮れていた時、隣のおじいちゃんが「大変でしたね」とだけ言って、黙々と手伝ってくれた、あの出来事。

もし、彼が「察する」人じゃなかったら?

「あ、隣の人、困ってるな。でも、助けを求められてないしな」

と、家の中からカーテンの隙間で見てるだけ…だったかもしれません。

もし、私が「察する」文化を知らなかったら?

助けてもらった後、「Thank you!」とスタバのカードを渡して、それで「はい、おしまい」。

あの「みかんのおすそ分け」も、「お互い様」という心地よい関係も、生まれなかったかもしれません。

そう考えると、私、やっぱりこの「察し」の文化が、根っこでは好きなんだと思います。

言葉にしなくても、ふっと手を差し伸べてくれる優しさ。

「お礼」という形をとらずに、「おすそ分け」でそっと感謝を伝える奥ゆかしさ。

これを「非効率だ」の一言で切り捨ててしまうのは、あまりにも「もったいない」。

じゃあ、どうするの?

ストレスは嫌だ。でも、温かさは失いたくない。

私、最近こう思うようになりました。

これからの時代、私たちに必要なのは、「言葉」と「空気」、二刀流(にとうりゅう)でいく覚悟なんじゃないか、と。

「二刀流」って、野球選手が「投げる」のと「打つ」の、両方やる、あれです(笑)

どっちか一つ、じゃなくて、両方使いこなす。

まず、「言葉」の剣。

これは、「最低限のライン(ベースライン)」を伝えるための、大事な剣です。

夫とのケンカで言えば、「私、疲れてる」と伝えることが、まさにこれ。

「察して」と相手の能力に期待する(=甘える)んじゃなくて、「私はこう思っている」と、自分の気持ちに責任を持って、言葉で伝える。

これは、現代社会を生きる上で、絶対に必要。

ママ友のランチ会でも、「私は水曜の12時以降なら大丈夫です!」と、まず自分の「事実」を言葉で提示する。

これが無いと、みんな「空気」ばかり読み合って、誰も本音を言わないカオスな状態(【転】で書いたやつ)になっちゃう。

そして、もう一つの剣。「空気」の剣。

これは、「ベースライン」の上に積み重ねる、**「思いやり」や「温かさ」という名の「ボーナス」**だと思うんです。

夫の例で言えば、

私:「今日は疲れちゃった…」【言葉の剣】

夫:「そっか、お疲れ様。じゃあ、ご飯なんか頼もうか?」【言葉の剣】

…これが、最低限のコミュニケーション。

でも、もし夫が「空気」の剣も持っていたら?

私が「疲れた」と言う前に、私の顔色や家の様子を「察して」、

「お疲れ。なんかすごい大変そうだけど、大丈夫? 今日はピザにしない?」

と言ってくれたら…?

もう、最高ですよね!

「私のこと、ちゃんと見ててくれたんだ!」って、感動しちゃう(笑)

台風のおじいちゃんは、まさにこの「空気」の剣の達人でした。

私が「助けてください」と【言葉】で言う前に、私の困っている状況を「察して」【空気】、行動してくれた。

だから、私も彼に「ありがとう」という【言葉】だけじゃなくて、

「あなたの親切、ちゃんと心に響いてますよ」というサインとしての「みかん」という【空気】で返した。

これって、「言葉」と「空気」の、最高に美しいキャッチボールだったんだな、って今ならわかります。

問題なのは、どっちか「だけ」になっちゃうこと。

  • 「空気」だけに頼ると、「察してよ!」という甘えとストレスが生まれる。(【転】の私と夫)
  • 「言葉」だけになると、「ありがとう、はい終わり」という、ちょっとドライで、寂しい関係になる。(もし私がおじちゃんにギフトカードだけ渡してたら?)

だから、どっちも大事。

「言葉」で、ちゃんと「ありがとう」「ごめんなさい」「助けて」を伝える。

その上で、「言葉」だけじゃ足りない「もっと深い感謝」や「気遣い」を、「空気」や「行動」(=おすそ分け)でそっと添える。

これが、私がこの日本という国で、面倒くさいけど愛おしい「人間関係」をサバイブしていくために見つけた、一番しっくりくる「人生術」です。

もし皆さんが日本に来て、日本人とコミュニケーションを取る機会があったら、ぜひこの「二刀流」を思い出してみてください。

日本人は、なかなか「言葉」の剣でストレートに気持ちを伝えてくれないかもしれません。

でも、彼らの「行動」や「表情」という「空気」の剣を、よーく見てみてください。

あなたが困っている時に、何も言わずにそっとドアを開けてくれる。

会議でミスした時、「まぁまぁ」とコーヒーを淹れてくれる。

それは、彼らなりの、言葉にできない「大丈夫?」であり、「気にするな」であり、「お疲れ様」という「無言のメッセージ」なんです。

そして、あなたがもし「ありがとう」以上の気持ちを伝えたくなったら。

ストレートな言葉と一緒に、あなたの国の小さなお菓子でも「これ、よかったらどうぞ」って渡してみてください。

きっと、言葉の壁を越えた、もっと深い「ありがとう」が伝わるはずですから。

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