言葉よりも深い? 日本の日常に隠された「サイン」
日本に住んでいると、言葉としての「ありがとう」と同じくらい、いや、もしかしたらそれ以上に「行動」や「態度」で感謝を示そうとする場面にたくさん出会います。
一番わかりやすいのが、フックにもあった「お辞儀(Ojigi)」かもしれません。
これ、単なる「Hi!」っていう挨拶だと思ったら、大間違い(笑)。日本の「お辞儀」は、本当に奥が深いんです。
例えば、コンビニ。
日本では、コンビニでお会計をした後、店員さんがレシートとお釣りを渡しながら、レジを出る私たちに向かって、声は出さずに(あるいは「ありがとうございました」と小声で言いながら)スッと頭を下げる光景が、ごく普通に見られます。
初めて見た海外の友人は、「え、なんで店員さんが私にお辞儀するの? 私、何か偉いことした?」なんて驚いていました。
確かに、お客さんと店員さんという関係性で、あんなに丁寧に頭を下げられると、びっくりするかもしれませんよね。
でも、あれは「お客様は神様です」的な、過剰なへりくだりとは、ちょっと違うと私は思っています。
もちろん、丁寧な接客(Service)という意味も強いですが、そこには「買ってくれてありがとう」「また来てね」という、言葉にならない「静かな感謝」が込められている気がするんです。
もし店員さんが、お釣りをポンと渡すだけで、何のリアクションもなかったら?
…多分、ちょっと寂しい(笑)。
あの「スッ」としたお辞儀があるからこそ、「あ、ちゃんと一人の客として扱ってもらえたな」という、小さな安心感と満足感を得られる。それが日本のコンビニ(そして多くのお店)のスタンダードになっているんですね。
宅配便のお兄さんもそうです。
重たい荷物を玄関先まで運んできてくれて、サインをもらった後。
私は「ありがとうございます、ご苦労様です!」と声をかけますが、お兄さんも「ありがとうございました!」と言いながら、エレベーターホールに向かう最後、くるっとこっちを向いて、もう一度「ペコッ」と深く頭を下げてくれることがよくあります。
もうお互い「ありがとう」は言い合った後なのに、です。
あの最後のお辞儀。
あれはもう、「言葉」の補足じゃないんです。
「言葉で言った『ありがとう』以上に、本当に感謝してますよ」という「気持ち」そのもののアクション。
あれをされると、「ああ、この人から受け取ってよかったな」と、とても温かい気持ちになります。
逆に、私たち受け取る側も、無意識にやっています。
荷物を受け取った後、玄関のドアを閉める時、少しゆっくり閉めたり、配達員さんが視界から消えるまで見送ったり。
これも「重いのに、ありがとうね。気を付けて帰ってね」という「静かな感謝」のサインなんです。
日本人がやたら「ペコペコ」しているように見えるとしたら、それは「ごめんなさい(Sorry)」の時だけじゃなく、「ありがとう(Thank you)」の気持ちが溢れちゃって、言葉だけじゃ足りない!って思っている時なのかもしれません。
じゃあ、なんでそんなに「静か」に表現するんでしょう?
なんで「Thank you so much!」ってハグしたり、ハイタッチしたり(笑)しないんでしょう?
その背景にあるのが、フックにもあった「おもいやり(Omoiyari)」という、日本独特の考え方だと私は思っています。
「おもいやり」。
これは、英語に訳すのがとても難しい言葉の一つだと言われています。「Consideration for others(他者への配慮)」や「Empathy(共感)」に近いですが、もう少し「行動的」なニュアンスがあるかな。
簡単に言えば、「相手が今、何を考えているかな?」「何をしたら喜ぶかな?」「何をされたら嫌かな?」と、相手の気持ちや状況を「察する(Sassuru)」こと。
そして、「察した」上で、相手が快適になるように「先回りして」行動すること。
これが、日本のコミュニケーションの土台になっているんです。
「言わなくても、わかるでしょ?」
これは、時々ネガティブな意味(=察してくれない相手への不満)で使われることもありますが、ポジティブな意味では、「言葉にしなくても、あなたの気持ち、ちゃんと察して行動しますよ」という、深い信頼関係の証でもあるんです。
例えば、私がまだ子供が小さくて、毎日てんてこまいだった頃。
ある日、ちょっと体調を崩して、一日中パジャマでぐったりしていたことがありました。
インターホンが鳴って出てみると、隣に住んでいる、普段は挨拶程度しかしない奥さんが立っていました。
「あの、これ…」
彼女が差し出したのは、スーパーの袋。
中には、スポーツドリンクと、いくつかのアイスクリーム、そして子供が喜びそうなお菓子が。
「うるさかったらごめんなさい、お子さんたちも退屈かと思って。お大事に」
それだけ言うと、彼女はすぐに帰っていきました。
私は「ありがとう」も「ごめんなさい」も言うタイミングを逃して、ただただ呆然と立ち尽くしてしまいました。
彼女は、私が体調を崩していることを(多分、いつもと違って家がやけに静かだったり、洗濯物が干されていなかったりする様子から)「察して」くれたんです。
そして、「大丈夫ですか?」と声をかけて、私に「大丈夫です、ありがとう」と無理に笑顔を作らせる負担をかける代わりに、「今、一番必要なもの」をそっと玄関先に置いていく、という「行動」を選んだ。
あの袋の中身は、単なる飲み物や食べ物じゃありませんでした。
あれは、彼女からの「言葉にならない、最大級の『おもいやり』」でした。
「無理しないで」「子育ちお疲れ様」「早く良くなってね」
そんなたくさんのメッセージが、あの「静かな」差し入れには詰まっていたんです。
あんな時、言葉で「Thank you!」と伝える以上に、どうやってこの感謝を伝えたらいいんだろう?と本気で悩みました。
(結局、次に会った時に、深々と「お辞儀」をして、彼女の好きだと言っていたお菓子を渡しました。これもまた、日本的な「静かな感謝」の返し方、ですね)
このように、日本では「言葉」にすることと同じくらい、「相手の気持ちを察して行動すること」を大切にします。
だからこそ、感謝の表現も「静か」になる。
うるさく「ありがとう!ありがとう!」と連呼するよりも、相手が次に何を求めているかを察して、言われる前にサッとお茶を淹れたり(フックの例ですね!)、相手が使いやすいように、そっと調味料の向きを変えてあげたり。
そういう「小さな、静かな行動」こそが、最高の「ありがとう」であり、「おもいやり」の証だと考える文化なんです。
…と、ここまで「お辞儀」や「差し入れ」といった、行動に隠された「静かな感謝」についてお話ししてきましたが、この「おもいやり」精神は、日本人の「モノ」の選び方や渡し方、さらには「食事」の作り方にまで、深く、深ーく関わっています。
「察し」が生み出す、美しい気遣い
「起」では、日本人が日常的にやっている「お辞儀」や、ご近所さんの「差し入れ」に隠された、「おもいやり(=相手の気持ちを察する)」という静かな感謝の文化についてお話ししました。
「言葉で『ありがとう』って言うのは、もちろん大事。でも、それじゃ足りない!」
「言葉にする前の『あ、この人、今こうして欲しいかも』を察して、そっと行動で示すこと」
これこそが、日本の「美徳」であり、ちょっと面倒くさい(笑)コミュニケーションの根幹だったりするんです。
さて、この「おもいやり」精神、実は「モノ」や「食事」といった、もっと具体的な形にも、めちゃくちゃ色濃く表れています。
フックで言うところの、「Carefully chosen gifts(注意深く選ばれた贈り物)」や「Meticulously prepared meals(丹精込めて準備された食事)」ですね。
日本に来たことがある方なら、「日本のお店の『ラッピング(包装)』って、すごすぎない!?」って思った経験、ありませんか?
ほんの数百円のクッキーを買っただけなのに、
まず、クッキーが割れないように薄紙でそっと包み、
それをピッタリのサイズの箱に入れ、
箱が汚れないように、さらに包装紙で「キャラメル包み」(←これ、日本のスタンダードな包み方です)で美しく包み、
リボン(あるいは「のし(Noshi)」という飾り紙)をかけ、
それを持ち運ぶための「紙袋(しかもお店のロゴ入りのキレイなやつ)」に入れ、
雨の日なら、その紙袋が濡れないように、さらに「ビニールのカバー」をかけてくれる…。
「いやいや、中身クッキーだけだから! すぐ自分で食べるから!」って言いたくなるくらい(笑)、とにかく「丁寧」なんです。
これ、単なる「過剰包装」って言っちゃうのは簡単なんですが、根っこにあるのは、やっぱり「おもいやり」。
「贈り物(たとえ自分用でも)を、最高の状態でお渡ししたい」
「渡す相手(Aさん)が、それを受け取る人(Bさん)に渡す時、Bさんに『わぁ、素敵!』って思ってもらえるように」
…という、「先回り」の気遣いなんです。
この「包装」そのものが、お店からAさんへの「選んでくれてありがとう」、そしてAさんからBさんへの「あなたのために選びましたよ」という、「静かなメッセージ」を運ぶ役割を担っているんですね。
贈り物の「選び方」は、もっと「おもいやり」が試されます。
私、日本に来たばかりの海外の友人に「日本のお土産(Souvenir)って、なんで全部『個包装(Individually wrapped)』なの? 一気に食べたいのに!」って言われたことがあります。
確かに、大きな袋にドサッと入ってた方が、エコだし安いかもしれない。
でも、日本のお土産がやたらと個包装になっているのは、
「会社や学校で、たくさんの人に『配る』こと」
を「察して」いるからなんです。
みんなの前で大きな袋を開けて、「はい、手づかみで取ってー!」って、日本人はあんまりやらない(笑)。
一人ひとりに「お休み中、ご迷惑おかけしました。これ、よかったらどうぞ」って、個包装のものをそっと渡すのがスマートだと考えるんですね。
これも、「受け取った人が、手を汚さず、好きな時に食べられるように」という「おもいやり」の形。
もっとパーソナルな贈り物になると、この「察する」レベルは、さらに上がります。
例えば、私が義理のお母さん(夫の母)と、以前デパートを歩いていた時のこと。
あるお店の「和三盆(Wasanbon)」という、上品な甘さの干菓子を見て、私が「わあ、これ、すごくキレイ。こういうの、お茶うけにいいですよねぇ」って、本当に何気なく「ポロッ」と言ったんです。
もちろん、その時は買ってません。
それから、数ヶ月後。
義母が我が家に来た時、「これ、大したものじゃないんだけど」と差し出された手土産。
開けてみたら… あの時の「和三盆」だったんです!
もう、びっくりして。
「え、なんでこれ…?」って聞いたら、義母は「あら、この間あなたが『いいなぁ』って見てたから。好きかなと思って」って、ニコニコしてる。
私、泣きそうになりました(笑)。
「Thank you!」じゃないんです。
もちろん「ありがとう」も言いましたけど、それ以上に、「あ、あの時の独り言みたいな一言を、『覚えていてくれた』んだ!」っていう事実に、胸が熱くなった。
高価なブランドバッグをもらうより、何倍も嬉しかった。
なぜなら、そこには「J(私)のことを、ちゃんと見てますよ」「あなたが喜ぶものは何かなって、考えてましたよ」という、義母からの「静かで、でも最高に温かい『おもいやり』」が詰まっていたから。
これが、日本の「Carefully chosen gifts(注意深く選ばれた贈り物)」の正体です。
値段じゃない。「相手のことを、どれだけ考えたか」という「時間」と「気持ち」こそが、最高の贈り物だと考える文化なんです。
そして、この「おもいやり」の集大成とも言えるのが、「食事」の準備、つまり「おもてなし(Omotenashi)」です。
フックにあった「A host refilling a guest’s tea cup without being asked(ホストがゲストに頼まれる前に、そっとお茶を注ぎ足す)」。
これ、日本の「おもてなし」の「基本のキ」です。
海外のパーティーだと、ドリンクはセルフサービスで、みんな自分で好きなものを好きなタイミングで取りに行きますよね。それもすごく合理的で、気楽で楽しい!
でも、日本の(特に、ちょっと改まった)おもてなしでは、「ゲストに『ください』と言わせたら、ホストの負け」みたいなところがある(笑)。
なぜか?
「お茶ください」
「お水ください」
って、言葉にするのって、ゲストにとっては「ちょっとした手間」であり、「ちょっとした遠慮」が生まれる瞬間ですよね。
「ホストは忙しそうなのに、呼び止めちゃって悪いな…」とか。
日本の「おもいやり」は、その「ちょっとした手間」や「ちょっとした遠慮」すら、ゲストにさせたくない!と考えるんです。
だから、常にゲストのコップ(湯呑み)に意識を集中させる。
「あ、3分の1くらいに減ってきたな」
「会話が盛り上がって、喉が渇いてきた頃かな」
…と、「察する」。
そして、ゲストの会話を遮らないように、スッと静かに近づいて、お茶を注ぎ足す。
ゲストは「あ、どうも」と小さく会釈するだけ。
そこには「お茶ください!」「はい、どうぞ!」という「言葉」のやり取りは存在しません。
でも、「あなたのこと、ちゃんと見てますよ」「あ、見ててくれてるんですね、ありがとう」という、「静かな感謝」のコミュニケーションが、確かに成立しているんです。
これは、家庭内でも同じ。
私が夕飯の準備でバタバタしている時。
夫が何も言わずに、冷蔵庫からお茶を出して、私と子どもたちのコップに注いで、食卓に並べてくれる。
あるいは、私が疲れてソファでため息をついていたら、夫が何も言わずに、私の好きなチョコレートを一粒、そっと持ってきてくれる。
「手伝おうか?」と「言葉」で聞かれるのも嬉しいけど、「あ、今これやって欲しかった!」を「察して」行動してくれると、「…やるじゃん!」って(笑)、言葉にならない感謝が湧いてきます。
贈り物も、食事も。
「言われなくても、あなたのことを考えて準備しましたよ」
「あなたが快適に過ごせるように、先回りして動きますよ」
一見、お互いにすごく気を遣って、疲れそうに見えるかもしれません。
でも、この「静かな気遣い」のキャッチボールこそが、日本人が昔から大切にしてきた、人間関係をスムーズにするための、そして「ありがとう」という言葉以上に深い感謝を伝えるための、生活の知恵(人生術)なんだと思います。
…ただ、です。
この「察してちゃん」文化、いいことばかりかというと、実はそうでもないんですよね。
特に、私たちと違う文化を持つ人たちと接する時、この「静けさ」が、とんでもない「誤解」を生むこともあるわけで…。
言わなきゃ、伝わらない! 「察して」文化の落とし穴
「おもいやり」の基本は、「相手の気持ちを察する」こと。
これ、裏を返せば、
「言わなくても、わかってくれるよね?」
という、とんでもない「期待」が、ベースにあるってことなんです。
そして、この「期待」が満たされなかった時…。
日本人は、言葉で「ありがとう」を言わない代わりに、心の中で「なんで、わかってくれないの!?」という、静か〜な(でも、めちゃくちゃ重い)不満を溜め込む生き物なんです。
通称、「察してちゃん」の誕生です(笑)。
これは、何を隠そう、私自身のことでもあります。
結婚したての頃、夫(日本人)と、これで何度「静かなる戦い」を繰り広げたことか…。
例えば、ある日の夕食後。
私は、朝から子供の世話、買い物、料理、掃除…とフル回転で、もうヘトヘト。
食事が終わって、夫はリビングでテレビを見ながらリラックス。
私は、目の前にそびえ立つ、食器の山。
…シンクの前に立った私、無言で、盛大に「はぁ〜〜〜〜…」と、深いため息をつきます。
これが、「察して」のサイン。
(翻訳:「私、こんなに疲れてるんだから、食器くらい洗うのを『察して』よ!」)
でも、夫はテレビに夢中。
私は、わざと食器を「カチャン!」と少し大きめの音を立てて、シンクに置きます。
(翻訳:「ねえ、気づいてよ!『何か手伝おうか?』って『察して』よ!」)
…夫、気づかず。
はい、ここで私の「不満ゲージ」はマックス。
「もういいよ!」と、怒りを込めて食器を洗い始める。
その「怒りのオーラ」を「察した」夫が、慌てて「え、なに? どうしたの?」とやって来る。
「どうしたの? じゃないでしょ! 私がどんなに疲れてるか、『見てればわかる』でしょ! なんで手伝ってくれないの!」
「え、だって『手伝って』って『言ってない』じゃん。言ってくれれば、やったのに」
「言わなきゃ、やらないの!?」
「言わなきゃ、わかんないよ!」
…はい、最悪のパターン(笑)。
これ、海外の皆さんから見たら、コントですよね?
「なんで、最初から『ごめん、疲れたから食器洗い、お願いできる?』って、普通に『言葉』で言わないの?」
って、100人中100人が思うはず。
おっしゃる通り!
でも、当時の私は「察してくれなかった夫」に、心底ガッカリしたんです。
「彼は、私に『おもいやり』がないんだ」って。
でも、本当に「おもいやり」がなかったのは、どっちでしょう?
「言葉」で伝える努力を放棄して、相手が「察する」ことに甘え、自分の「期待」通りに動かない相手を一方的に責める。
これ、美しい「おもいやり」とは真逆の、ただの「甘え」であり「怠慢」ですよね。
この「察してちゃん」マインドは、日本社会のいたるところに潜んでいます。
ご近所付き合い、子供の学校の「ママ友」関係…。
これがまた、高度な「察し合い」ゲームの場なんです。
例えば、クラスの集まりで、「今度、先生へのお礼に、みんなで何かプレゼントしませんか?」という話になった時。
一人のママが、「手作りのアルバムなんて、どうでしょう?」と提案したとします。
Aさん:「わぁ、素敵ですね!」
Bさん:「いいですねー!」
Cさん:「(…え、手作り? めんどくさい…)」
ここでCさんが、「いや、私はもっと簡単な、お菓子の詰め合わせとかがいいと思います」と「言葉」で反対できるか?
…ほとんどの日本人は、できません(笑)。
なぜなら、「和(Wa)」、つまり「場の空気」を乱すことを、極端に恐れるから。
「みんなが『いいね』って言ってるのに、私だけ反対したら、ワガママだと思われるかも…」
と、「察して」しまう。
だから、Cさんは、本心(=面倒くさい)を「言葉」にせず、
「あ、いいですねー(棒読み)」
と、顔で「私は、あんまり乗り気じゃないですよ」という「察してサイン」を出すにとどめます。
もう、ややこしい(笑)。
結局、誰も本音を「言葉」にしないまま、なんとなく「アルバム作り」の方向に進んでしまう。
そして、Cさんのような「不満」を持った人たちは、家に帰ってから「なんで、誰も『やめよう』って言わないのかし…」と、影でブツブツ文句を言う。
これ、全然ハッピーじゃないですよね?
「おもいやり」が、逆に「不満」と「誤解」を生んでる。
そして、この文化が、日本に興味を持ってくれた海外の皆さんを、一番「混乱」させる原因だと、私は思っています。
日本人に、お店で「これ、ありますか?」と聞いた時。
「あ〜、ちょっと…(Chotto…)」
と、語尾を濁されたら。
それは「I’ll check.(確認します)」じゃありません。
それは「No.(ありません)」です。
日本人に、食事に誘った時。
「うーん、考えておきます(Kangaete okimasu)」
と言われたら。
それは「Maybe!(たぶん行く!)」じゃありません。
それは、ほぼ100%、「No.(行きたくありません)」です。
私たち日本人は、「No」と「言葉」でハッキリ言うことが、相手の気持ちを傷つける「おもいやり」のない行為だと、心のどこかで思っている。
だから、「No」の代わりに「察して(お願い、これ以上プッシュしないで)」という「静かなサイン」を送るんです。
でも、海外の皆さんからしたら、「はっきりしろ!」ですよね(笑)。
「あるの? ないの?」
「来るの? 来ないの?」
「静かな感謝」は、時として「静かな拒絶」にもなり、
「おもいやり」は、時として「あいまいさ」と「不誠実さ」にもなってしまう。
「起」と「承」で讃えてきた、あの美しい「おもいやり」の文化が、一歩間違えれば、コミュニケーションを「こじらせる」最大の原因にもなっている。
これが、私が日本で主婦として、母として、一人の人間として生きてきて痛感している、「察する」文化の大きな、大きな「落とし穴」なんです。
「察して」の先へ。言葉と心でみつける「ありがとう」の最適解
さて、「転」では、あんなに美徳だと思っていた日本の「おもいやり」や「察する」文化が、一歩間違えると「察してちゃん」というモンスターを生み出し(笑)、私自身も夫と「静かなる戦い」を繰り広げ、言いたいことも言えずに不満を溜め込む…という、なんとも厄介な「裏の顔」について、かなり赤裸々にお話ししました。
ここまで読んで、「え、じゃあ『おもいやり』って、ただの面倒くさい文化ってこと?」
「日本人の『静かな感謝』って、結局は『不満』の裏返しなの?」
なんて、日本にがっかりさせてしまったら、ごめんなさい!
違います、違います。
私が「起」や「承」で書いた、あの「静かな感謝」の美しさは、本物です。
頼まれる前にお茶を淹れる、あのスマートさ。
相手の好みを覚えていて、そっとプレゼントする、あの温かさ。
あれは、間違いなく日本の誇るべき、素晴らしい文化だと今でも心から思っています。
じゃあ、何が問題だったのか?
それは、私たちがその「素晴らしい文化」に「甘えすぎていた」ってことなんだと思うんです。
「言わなくても、わかってくれるはず」
「察してくれるのが、愛だ」
「言葉にするなんて、野暮(Yabo)だ」(=粋じゃない、スマートじゃない、という意味です)
そう思い込んで、コミュニケーションの「半分」を、サボっていた。
それが、「転」で書いた、あの「こじらせた」状態の正体です。
私がそれに気づいたのは、皮肉なことに、あの「食器洗い」のケンカで夫に
「言わなきゃ、わかんないよ!」
と、ド正論を突きつけられた時でした(笑)。
最初は「なんて思いやりのない人!」と憤慨しましたが、一晩寝て、冷静になって考えてみたんです。
「…いや、待てよ。夫はエスパー(超能力者)じゃない。私がどれだけ疲れてるかなんて、背中を向けてたら、わかるわけないよな…」
「なんで私は、たった一言『お願い、疲れたから洗って』って、『言葉』にするのを、あんなに頑なに拒んだんだろう?」
それは、私が「妻の疲れを察して、言われる前に動くのが『デキる夫』」という、日本のドラマやマンガで見るような「理想の夫婦像」に、勝手に縛られていたから。
そして、「言葉で頼む」ことを、「察してもらえなかった『私の負け』」みたいに感じていたから。
馬鹿馬鹿しいですよね(笑)。
勝ち負けじゃないのに。
その日を境に、私は「察してちゃん」を、少しずつ「卒業」することに決めました。
もちろん、今でも夫や子供の様子を「察して」、先回りして動く「おもいやり」は、大切にしています。
夫がリモート会議で疲れた顔をしていたら、何も言わずに温かいコーヒーを淹れて、そっとデスクに置く。
これは、私なりの「静かな感謝(=いつもお仕事ありがとう)」です。
でも!
同時に、私からも「言葉」で伝えることを、もうサボらないと決めたんです。
「ごめん、今日はちょっと疲れたから、夕飯のお皿洗い、お願いできる?」
「(洗ってくれた後)すっごく助かった! ありがとう!」
…たったこれだけ。
これを始めたら、どうなったと思いますか?
夫は「え、いいよ、やっとくよ」と、あっさり引き受けてくれる。
「ありがとう」と言えば、「どういたしまして」。
あの「静かなる戦い」は、一体なんだったの?というくらい、我が家から「無言の不満」が消えて、平和になりました(笑)。
私が「察して」の呪縛から解放されて学んだ「人生術」。
それは、
「おもいやり(察する心)」は、相手への最高の「贈り物(プレゼント)」。
でも、「言葉」は、その贈り物を確実に届けるための「送り状」である。
…ということです。
「察する」という行動は、相手が求めていなかったら、ただの「お節介」になってしまう危険性もありますよね。
でも、「言葉」があれば、その「おもいやり」は、100%の「感謝」として相手に届く。
「お茶、ありがとうございます。ちょうど喉が渇いてたんです、嬉しい!」
「この前の和三盆、ありがとうございました! 私が『キレイ』って言ったの、覚えててくれたんですね!」
「察して」くれた行動(お茶を淹れる、和三盆を買う)に対して、「言葉」で「気づいてますよ、あなたの『おもいやり』、ちゃんと受け取りましたよ!」と「答え合わせ」をしてあげる。
これこそが、「静かな感謝」と「言葉の感謝」が融合した、最強のコミュニケーションだと思うんです。
【皆さんへのメッセージ:日本の「おもいやり」との付き合い方】
このブログを読んでくれている、日本に興味を持ってくれている海外の皆さんへ。
皆さんがこれから日本に来たり、日本人と深く関わったりする時、必ずこの「静かな感謝」と「厄介な『察して』文化」の両方に、直面すると思います。
お店の人が、あなたが何も言わなくても、そっと傘の袋を差し出してくれる。
そういう「静かなおもいやり」を見たら、それはぜひ「わぁ、素敵!」と、そのまま受け取って、楽しんでください。
でも、同時に、日本人の友人が「ちょっと…」とか「考えておきます」とか、あいまいな返事をして、あなたを混乱させる場面にも、きっと出会います。
そんな時。
彼ら(私たち)を「何を考えてるかわからない」と突き放したり、
逆に、あなたが無理して「日本の空気を読まなきゃ!」と、「察する」ゲームに参加しようとして、疲れ切ったりしないでください。
あなたがすべきことは、シンプルです。
あなたが、「言葉」の橋渡し役になってあげてください。
日本人が「考えておきます(=本当はNo)」と言ったら、
笑顔で、でもハッキリと、「OK! じゃあ、今回は『No』ってことだね。また誘うね!」と、「言葉」で確認してあげる。
(そう言われると、日本人は「あ、ごめん、察してくれてありがとう!」と、ホッとします)
日本人が、あなたのために「静かなおもいやり」(例えば、あなたの国の調味料を、わざわざ探して食卓に出してくれる、とか)を見せてくれたら、
「Thank you!」の後に、一言、「My favorite! How did you know?(私の大好きなやつ! なんでわかったの?)」と、「言葉」を付け足してあげる。
あなたのその「言葉」が、
「察する」ことに慣れすぎて、「言葉」で伝えるのがちょっと下手くそになっちゃった私たち日本人にとって、「ああ、伝えていいんだ」「伝えた方が、もっと喜んでくれるんだ」という「気づき」になります。
「Beyond Words(言葉を超えた)」というフックから始まった今日の話。
日本の「静かな感謝」は、確かに言葉を超えたところにあります。
でも、その美しさを本当に輝かせるのは、
「察して」のサインを見逃すまいと神経をすり減らすことではなく、
「言葉にしなくても、わかってよ!」と不満を溜めることでもなく、
その「静かなおもいやり」に、温かい「言葉」を添えて、お互いに「ありがとう」をキャッチボールし合うこと。
それこそが、文化を超えて、私たちが一番幸せになれる「ありがとう」の最適解なんじゃないかな、と、日本のいち主婦「J」は思っています。
長い長いブログになりましたが、最後まで読んでくれて、本当にありがとうございました!

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