なんだか世界中がザワザワ。嵐の前の「静けさ」って、どこにある?
(ここから本文)
〇〇(お住まいの国や地域)にお住まいの皆さん、こんにちは!
日本で、夫と、やんちゃな子どもたちにてんやわんやの毎日を送っている主婦、(あなたのブログ名や名前)です。そちらの生活は、いかがですか?
日本はすっかり秋めいて…なんて、のんきなことを言いたいところなんですが。
なんだか最近、世界中が「ザワザワ」していませんか?
テレビをつければ、物価高のニュース。ガソリン代、電気代、そして毎日の食卓に欠かせない卵や牛乳、野菜の値段。昨日まで「100円」だったものが、今日は「120円」になっている。レジで「えっ」と小さな声を上げてしまう自分に、なんだかちょっと落ち込んだり。
遠くの国での争いごと、経済の不安定なウワサ。
「これから、どうなっちゃうんだろう?」
そんな漠然とした、でも確実な「不安」が、まるで薄いスモッグみたいに世界を覆っている感じがします。
この感覚、きっと海外で暮らしている皆さんは、私なんかよりもっと敏感に、もっとダイレクトに感じているんじゃないでしょうか。
「円安」のニュースを見るたびに、日本への一時帰国の飛行機代が頭をよぎったり。
「インフレ」という言葉に、現地での生活費のやりくりが一層シビアになったり。
日本にいる家族や友人のことを思って、余計に心配になったり。
まさに、英語のフレーズでいう「The Calm Before the Storm」――嵐の前の静けさ。
でも、正直なところ、これって本当に「カーム(穏やか)」なのかな?
私には、嵐が来るのを息を殺して待っているような、張り詰めた「緊張」の時間みたいに思えるんです。みんなが、何かに備えて、必死に身構えているような。
そんな不安な時、私たち主婦って、何をしますか?
たぶん、スマホを握りしめて、情報を集めますよね。
「どうしたら家計を守れる?」
「何に投資すればいい?」
「もっと効率的な節約術は?」
ネット上には、いろんな「答え」が溢れています。
でも、その多くが「もっと早く!」「もっと賢く!」「もっと稼ごう!」という、なんだか私たちを急かすような、さらに不安を煽るような情報だったりしませんか?
その情報を見れば見るほど、息が苦しくなる。
「私、ちゃんとできてないかも…」
「このままで、家族を守れるのかな…」
まるで、嵐に向かって「もっと速く走れ!」と背中を叩かれているような気分。
もう、そういうの、ちょっと疲れちゃったな。
そう思った時、ふと、足元に目を向けたんです。
私が今、立っている「日本」という場所に。
考えてみれば、日本って、昔からずっと「不安定」と共に生きてきた国なんですよね。
毎年のようにやってくる台風。
いつ起こるかわからない地震。
四方を海に囲まれ、資源が豊かとは言えないこの島国で、私たちの先祖は、何度も何度も「どうにもならないこと」に直面し、それを乗り越えてきました。
戦後の焼け野原から、わずか数十年で世界有数の経済大国になった。
それって、ただガムシャラに頑張ったから?
もちろん、それもあるけれど。
たぶん、それだけじゃない。
この国には、大きな嵐や困難を「力ずくでねじ伏せる」のとは違う方法で乗り越えてきた、独特の「知恵」があるんじゃないかと思うんです。
それは、立派な学者さんが難しい本に書いているような、大層な「哲学」じゃない。
(もちろん、そういうのもあるけれど!)
私たちが今、本当に知りたいのって、そういうのじゃなくて。
もっと日々の生活に根ざした、地に足のついた「人生術」や「生活の知恵」なんじゃないかなって。
例えば。
私が子どもの頃、おばあちゃんが口癖のように言っていた「もったいない」。
当時は「また始まった、おばあちゃんのケチケチ話」くらいにしか思っていませんでした(ごめんね、おばあちゃん)。
でも、今、この物価高の中で必死に食材を使い切ろうとしていると、あの言葉が蘇ってくるんです。
あれは、ただの「節約」じゃなかった。
お米一粒、野菜の切れ端ひとつにも「命」や「作ってくれた人の手間」を感じて、「ありがとう」と言って使い切る。モノに対する「リスペクト」の心。
その「ありがとう」の心が、不思議と不安でトゲトゲした心を、まぁるくしてくれる気がするんです。
あるいは、「侘び寂び(わびさび)」。
新しくてピカピカのものが一番いい!…わけじゃない。
少し欠けてしまったお気に入りのカップを「金継ぎ」して、その「欠け」ごと愛でる。
完璧じゃないこと、思い通りにいかないことを、無理に変えようとするんじゃなく、「それもまた良し」と受け入れる心の余裕。
今の「完璧じゃないと不安!」って思いがちな私たちに、すごく必要な視点だと思いませんか?
ほかにも、
家計簿をつけることで、お金と、そして自分の「暮らし」そのものと対話する「家計簿(かけいぼ)」の習慣。
あえて「不便」な時間を選んで、心を整える「丁寧な暮らし」という考え方。
「自分、自分」じゃなくて、相手の気持ちをそっと「思いやる」ことで、目に見えない安心感のネットワークを作る「思いやり」の文化。
こういう、日本人が昔から(そして今も)当たり前に実践している小さな「知恵」や「人生観」。
これこそが、先の見えない不安な時代、まさに「嵐」を乗り切るための、本当の「備え」になるんじゃないか。
私たちを、張り詰めた「緊張」から解き放ち、本当の「穏やかな(カームな)心」に導いてくれるんじゃないか。
私は、そう思うんです。
このブログでは、そんな日本に古くから伝わる、でも「今」こそ必要な「人生の知恵」を、日本で生活する一主婦としての「リアルな実体験」を交えながら、海外で頑張る皆さんにシェアしていきたいと思っています。
今回の「起」では、まず、私たちが今感じている「ザワザワした不安」を共有させてもらいました。
大丈夫、そう感じているのは、あなた一人じゃありません。
次回からの「承」では、じゃあ具体的に、その不安とどう向き合うか?
まずは「モノ」との付き合い方、日本古来の「始末の心」や「もったいない」の精神が、どう私たちの家計と心を守ってくれるのか、深掘りしていきたいと思います。
一緒に、このザワザZawaな時代を乗り切る「本当の静けさ」を見つけていきませんか?
「もったいない」は心の処方箋? モノと家計と向き合う「始末」の知恵
(ここから本文)
さて、前回の「起」では、「なんだか世界中がザワザワして、不安だよね」というお話をさせてもらいました。
(読んでない方は、ぜひそちらから読んでみてくださると嬉しいです!)
嵐の前に、ただ怯えて身構えるんじゃなくて、私たちにできる「本当の備え」があるんじゃないか。
それが、日本に昔からある「人生の知恵」なんじゃないか、と。
でね、その知恵の「第一歩」として、今日は「モノ」との付き合い方について、どっぷり語りたいと思います。
ズバリ、テーマは**「もったいない」と「始末(しまつ)」**です。
「なーんだ、結局、節約の話?」
「出た、コンマリ(近藤麻理恵さん)的な、片付けの話?」
そう思った方もいるかもしれません。
半分当たりで、半分、違います。
もちろん、節約にもなるし、部屋も片付く。
でも、私が日本で主婦として生活していて実感するのは、この二つの言葉って、そういう実利的なメリットの「もっと奥」にある、**不安な心を穏やかにしてくれる「処方箋」**みたいなものだ、ということなんです。
1. 「もったいない」は、「ケチ」じゃなくて「愛」だ
「もったいない」って、子どもの頃、おばあちゃんから耳にタコができるほど聞かされましたよね(笑)。
「ご飯粒、一粒たりとも残したら、もったいない!」
「まだ使えるでしょ、捨てたらもったいない!」
当時は、「また始まった…うちのおばあちゃん、ケチだなぁ」くらいに思っていました。
でも、自分が家計を預かる主婦になって、あの言葉の「本当の意味」が、ジワジワと分かってきたんです。
あれは、単なる「倹約(けんやく)」の精神じゃなかった。
モノの「命」や「背景」に対する、リスペクトであり、感謝であり、愛だったんだなって。
ちょっと、うちの冷蔵庫の話をしてもいいですか?
少し前の私、典型的な「ダメ主婦」でした(今もか)。
特売だからと買った野菜を、冷蔵庫の奥でシワシワにしてしまう。
「あ、これ、いつ開けたっけ…」というタッパーが発掘される。
そのたびに、「あーーー、やっちゃった…私、なんてダメなんだろう」「お金、捨てちゃった…」って、自己嫌悪でズドンと落ち込む。
これって、地味にストレスじゃないですか?
「物価が上がるのに、私、何やってるんだろう」って、不安が不安を呼ぶんです。
でもある時、「もったいない」の視点に切り替えてみたんです。
このシワシワになりかけた人参。
これは、ただの「100円の野菜」じゃない。
農家の人が、汗水たらして育ててくれて、
トラックの運転手さんが、運んでくれて、
お店の人が、並べてくれた。
いろんな人の「手間」と「時間」が詰まってる。
そして、人参そのものの「命」でもある。
そう思ったら、「ごめんね」って気持ちが湧いてきて。
シワシワの部分だけ取って、皮ごと刻んで、その日のスープの出汁(だし)にしたんです。
たったそれだけのこと。
でも、そのスープを飲んだ時、すごく「満たされた」気持ちになったんです。
「私、ちゃんと命を使い切ったぞ」っていう、小さな達成感。
それは、高級レストランで食べるより、ずっと心を温かくしてくれました。
大根の葉っぱをじゃこと炒めて、ふりかけにする。
キャベツの芯を薄切りにして、浅漬けにする。
これ、海外だと「貧乏くさい」って笑われちゃうかな?
でも、日本では「丁寧な暮らし」って呼ばれたりします。
「もったいない」を実践するって、我慢することじゃない。
モノと「対話」して、その価値を最後まで愛し抜くこと。
モノを「使い切った」という自信が、「私、ちゃんとやれてる」という自己肯定感につながる。
この「小さな自信」の積み重ねが、先の見えない不安に対する、一番の「お守り」になるんです。
2. 家計簿は「反省文」じゃなく、「始末」をつけるための「設計図」
そして、もう一つの最強の知恵が「始末(しまつ)」です。
この言葉、ちょっと古風ですよね。
関西、特に大阪の商人(あきんど)の言葉として有名ですが、「ちゃんと始末しときや」(=ちゃんと後片付けしときなさい)みたいに使われます。
でも、「始末」の「始」は「始まり」、「末」は「終わり」。
つまり、**「モノゴトの最初から最後まで、きちんと責任を持って見届ける」**という意味が込められています。
これ、何の話につながるかというと、ズバリ**「家計簿(かけいぼ)」**です。
海外にお住まいの皆さんも、家計管理、どうしてますか?
アプリで管理? それとも、どんぶり勘定?(笑)
私、家計簿をつけるのが大嫌いでした。
だって、赤字を見るのが怖いから。
月末につけては、「今月も使いすぎた…」って、また落ち込む。
家計簿が「反省文」みたいになってたんです。
でもある時、これは「反省文」じゃなくて、来月の暮らしをデザインするための「設計図」なんだ、と気づきました。
これこそが、「お金」に「始末をつける」ということなんだ、と。
「始末」の考え方で家計簿を見ると、こうなります。
- 「始」=収入。夫が働いてくれたお給料、私がパートで得たお金。これは「始まり」。ありがとう。
- 「末」=支出。家賃、光熱費、食費、子どもの教育費。これらは「終わり」。
大事なのは、この「終わり」を、「なんとなく」終わらせないこと。
例えば、「今月、食費が多かったな」で終わらせない。
「なぜ? あ、外食が3回多かったからだ」
「じゃあ来月は、外食を1回にして、代わりに『ちょっと良いお肉』を買って、家族で『おうち焼肉』をしよう。その方が安くて、たぶん子どもも喜ぶ」
こうやって、「終わり(支出)」を「次への始まり(計画)」につなげていく。
これが「始末をつける」ということです。
「始末」のすごいところは、これ、お金だけじゃないんです。
「人間関係の始末」(面倒な人とは、ちゃんと距離を置く)
「時間の始末」(ダラダラSNSを見るのをやめて、本を読む時間にする)
「感情の始末」(イライラしたら、なぜイライラしたか書き出す)
「なんとなく不安」の正体って、大体この「始末がついていない」ことから来てる。
自分が何に時間とお金と感情を使っているか、「始まり」と「終わり」を把握できていないから、コントロール不能に陥って、不安になるんです。
だから、まずは一番分かりやすい「お金」と「モノ」から「始末」をつける練習をする。
家計簿を見つめ、冷蔵庫を見つめる。
それは、世界経済と戦うことじゃなくて、自分の「暮らし」と、ちゃんと向き合うってことなんです。
「もったいない」という「心(ハート)」で、モノへの感謝を思い出す。
「始末」という「技術(アクション)」で、暮らしの流れを整える。
この二つ、どっちが欠けてもダメなんです。
「もったいない」の心だけで「始末」しないと、家は「捨てられないモノ」で溢れかえって、逆にストレスになるから(笑)。
どうでしょう?
こう考えると、日本の主婦が当たり前にやってきた「大根の葉っぱのふりかけ」や「家計簿とにらめっこ」が、なんだかすごく「哲学的」で、カッコいい「人生術」に見えてきませんか?
私たちはただ、ケチケチと節約してたわけじゃない。
モノと、お金と、そして自分の人生と、真剣に向き合って「始末」をつけてきたんです。
まずは、キッチンから。冷蔵庫から。
「もったいない」と「始末」の心で、あなたの暮らしを見つめ直してみませんか?
それがきっと、嵐の時代を生き抜く「穏やかな心(カーム)」を育てる、一番の近道になるはずです。
次回、「転」では、モノやお金の「外側」の話から一歩進んで、私たちの「内側」…つまり、「感情」や「人間関係」についての日本の知恵に迫ってみたいと思います。
「仕方がない」は諦めじゃない。嵐の中で「自分」を見失わないための、心の“仕分け”術
(ここから本文)
前回の「承」では、冷蔵庫の中身や家計簿とにらめっこする、「始末」のお話をしました。
「もったいない」の心でモノを愛し、「始末」の技術で暮らしを整える。
これって、私たちが「コントロールできる範囲」のお話ですよね。
でも。
ぶっちゃけ、世の中って、**「どうしようもないこと」**だらけじゃないですか?
遠い国の戦争も、止まらない円安も、いきなり上がる電気代も。
もっと身近なところで言えば、会社の理不尽な人事異動とか、子どもの学校でのトラブルとか、義両親とのビミョーな関係とか(笑)。
「私が家計簿をいくら頑張っても、物価がそれ以上に上がったら意味ないじゃん!」
「私がいくら『始末』しようとしても、家族が協力してくれなきゃ、散らかる一方!」
そんな風に、自分の努力ではどうにもならない「大きな壁」の前に立った時。
「承」で築き上げた「小さな自信」なんて、一瞬で吹き飛んでしまいそうになる。
「もう、イヤ!」
「なんで私ばっかり!」
不安とイライラが最高潮に達したとき、日本人(特に、私のおばあちゃん世代)が、ふっとため息と一緒につぶやく「魔法の言葉」があります。
「……まぁ、仕方がないね」
……え?
出た、それ。
「仕方がない(Shikata ga nai)」。
海外にお住まいの皆さん、この言葉、どう感じますか?
特に欧米の文化圏だと、これってすごく「ネガティブ」で「敗北主義的」な言葉に聞こえるかもしれません。
「諦めなさんな!」
「何もしないで、ただ受け入れるなんて、パッシブ(受動的)すぎる!」
「何かできることがあるはずだ! 戦おう!」
そう言われちゃいそうですよね。
正直に白状します。
私、数年前まで、この「仕方がない」って言葉が、大っ嫌いでした。
思考停止しているように聞こえたし、自分の人生に責任を持っていないように感じたから。
1. ジタバタしても、壁は動かなかった
私にとっての「どうしようもない壁」は、数年前、息子の「行き渋り」でした。
それまで元気に通っていた保育園に、ある朝、突然「行きたくない」と泣き出したんです。
最初は「あらあら、どうしたの」なんて、軽く考えていました。
でも、それが1週間、1ヶ月と続いた。
理由を聞いても、うまく言葉にできない息子。
「行きたくないものは、行きたくない!」の一点張り。
仕事の時間は迫る。
泣き叫ぶ息子を、文字通り「引き剥がす」ように先生に預ける毎日。
鬼の形相で会社に向かい、仕事中も「私、間違ってる?」「あの子、大丈夫?」と不安で胸が張り裂けそう。
私、ジタバタしました。
育児書を読み漁り、ネットの掲示板を徘徊し、市の相談窓口にも電話した。
「どうしたら、息子はまた楽しく園に行ってくれるの?」
「何が『原因』なの?」
「どうしたら『解決』できるの?」
でも、ダメでした。
やればやるほど、息子は心を閉ざしていく気がした。
私は「解決」しようと必死になるあまり、「息子の気持ち」じゃなくて「行き渋りという『問題』」ばかりを見ていたんです。
疲れ果てた私に、ある日、私の母(つまり、おばあちゃん)が電話口で言ったんです。
「そんなに焦らなくても。行きたくない時もあるよ。
子どもだって、いろいろあるんだから。……まぁ、仕方がないんじゃない?」
カチン、と来ました。
「仕方がない!? 母親がそんな無責任なこと言ってどうするの!」
思わず、声を荒らげてしまいました。
でも、母は静かにこう続けたんです。
「『仕方がない』っていうのはね、『何もしない』ってことじゃないのよ。
**『あなた(=私)がコントロールできないこと』**を、無理やり動かそうとして苦しむのを、一旦やめなさいってこと」
「息子の『行きたくない』っていう気持ちは、息子自身のもの。
それは、あなたが今、力ずくで変えられることじゃない。
それは、一旦『仕方がない』って、受け止めてあげなきゃ」
「その上で、**『じゃあ、今のあなたにできることは何?』**って考えるの。
それが『始末』をつけるってことよ」
ハッとしました。
2. 「諦め」ではなく「仕分け」という知恵
そう、あれは「諦め」の言葉じゃなかった。
「仕方がない」は、混沌(カオス)とした不安の中で、冷静さを取り戻すための**「心の“仕分け”術」**だったんです。
今の私を苦しめている問題を、二つのカゴに分ける。
【カゴA】
私がコントロールできないこと
(=「仕方がない」と一旦、受け入れる)
- 息子の「行きたくない」という感情
- 世界の経済情勢、物価高
- 他人の私に対する評価
- 過去の失敗
【カゴB】
私がコントロールできること
(=「承」で学んだ「始末」をつけるべきこと)
- 息子の話を、遮(さえぎ)らずに聞く時間を作ること
- 「行きたくない」と言われた時の、私自身の対応(イライラせず、「そっか」と一度受け止める)
- 家計簿を見直して、固定費を100円でも下げる努力をすること
- 今日の夕飯のメニュー
私たちは、不安な時ほど、**【カゴA】**を何とかしようと、必死にジタバタするんです。
でも、それは壁に向かって「動け!」と叫んでいるようなもの。
エネルギーの無駄遣いだし、何より、自分が疲弊して、どんどん不幸になっていく。
おばあちゃんの知恵は、
「【カゴA】をいじるのは、やめなさい」
「それは『仕方がない』と、カゴの横にそっと置いておきなさい」
「あなたが全力を出すべきは、【カゴB】だけよ」
ということだったんです。
この「仕分け」ができると、心がスーッと軽くなる。
不安でいっぱいだった頭に「隙間」ができて、「じゃあ、私、今から何しようかな?」と「今、ここ」に集中できるんです。
3. 感情の嵐に「我慢(Gaman)」でサーフィンする
とはいえ。
そうは言っても、不安やイライラって、勝手に湧いてきますよね。
「仕方がないって言われても、ムカつくもんはムカつく!」
わかります。すごく、わかります。
ここで出てくるのが、もう一つの日本の知恵、「我慢(Gaman)」です。
これも、海外では「自己犠牲」みたいにネガティブに捉えられがちですよね。
でも、日本的な「我慢」の真髄は、**「感情の爆発に、自分を乗っ取らせない」**という、高度なメンタルコントロール術だと思うんです。
不安や怒りという「感情の嵐」が来た時。
西洋的なアプローチが「嵐と戦う」か「嵐を分析する」だとしたら、
日本的な「我慢」は、その嵐に「サーフィン」する感覚に近い。
「うわ、来た来た! すごい不安の波が来た!」
「OK、でもこれに飲み込まれたら(=パニックになったら)、仕分け(カゴAとB)ができなくなる」
「とりあえず、波が通り過ぎるまで、深呼吸して『耐える』」
ただ感情を押し殺すんじゃない。
「私、今、すごく不安になってるな」と、自分を一歩引いたところから客観視(内省)するんです。
その上で、「でも、この感情に任せて行動(例:夫に八つ当たりする、ヤケ酒を飲む)のは『始末』が悪い」と判断し、グッとこらえる。
これが「我慢」です。
このワンクッションがあるから、「仕方がない」という冷静な「仕分け」作業に移れるんです。
息子の件で言えば。
「行きたくない!」と泣かれた瞬間、私の心にも「なんでよ!(怒)」「どうしよう(不安)」という嵐が来ます。
でも、そこで「我慢」する。
「OK、来たな。でもここで怒鳴ったら、悪化するだけ」
とサーフィンし、波が少し落ち着いたところで、
「仕方がない(息子の気持ちは変えられない)。じゃあ、どうする?(カゴB)…とりあえず、お茶でも飲んで、彼の話を『聞く』か」
と行動に移す。
結局、私は会社に事情を話し、しばらく時短勤務に切り替えました。
息子と向き合う時間(カゴB)を最優先にしたんです。
根本的な「解決」にはならなかったけど、不思議なことに、私がジタバタするのをやめたら、息子の表情も少しずつ和らいでいきました。
「承」で、私たちはモノやお金という「外側」の始末を学びました。
そしてこの「転」で、「仕方がない」と「我慢」という知恵を使って、自分の「内側(心)」を仕分けする方法を知りました。
「コントロールできること」と「できないこと」を仕分ける。
嵐(不安)が来ても、それに飲み込まれず、冷静に「今できること(カゴB)」に集中する。
これこそが、嵐の時代を生き抜くための、最強の「心の静けさ(カーム)」だと思いませんか?
でも、まだパズルのピースは揃っていません。
私たちは、一人では生きていけないから。
この「仕分け」の知恵を、どうやって「他者」…つまり、家族や、友人や、社会との「人間関係」に活かしていくのか。
不安な時って、どうしてもギスギスして、「自分さえ良ければ」となりがち。
でも、日本には、そうならずに、むしろ「輪(わ)」を大切にすることで、みんなで嵐を乗り越えようとする、美しい知恵があります。
次回、最終章「結」では、この「個人の知恵」を「社会の知恵」へと昇華させる、「おもいやり」や「和(Wa)」の精神について、お話ししたいと思います。
「ひとりで頑張る」を、そっと手放す。嵐の夜に、あたたかい「輪」を描く知恵
(ここから本文)
さて、長い旅もいよいよ終わりです。
「承」で、私たちは「もったいない」と「始末」の心で、散らかった部屋や家計という「外側」を整えました。
「転」では、「仕方がない」と「我慢」の知恵で、不安や怒りに振り回される自分の「内側」を“仕分け”しました。
カゴA(コントロールできないこと)と、カゴB(コントロールできること)に。
私たちは、もう「カゴB」に集中すればいいことを知っています。
でも。
……そうは言っても、人間、そんなに強くないですよね。
家計簿を眺め、冷蔵庫を整え、自分の心を仕分けして。
たったひとりで、ずーっと「カゴB」と向き合い続けるのって、正直、しんどくないですか?
不安なニュースを見るたびに、
「私だけが、こんなに頑張ってる気がする」
「周りは、なんであんなに“カゴA”(=世界の不安)のことばかり言って、ジタバタしてるんだろう」
「なんだか、私だけが浮いているみたい…」
そう感じてしまったら、せっかく手に入れた「小さな自信」や「心の穏やかさ」が、今度は「孤独」という名前の、新しい不安に変わってしまいます。
そう。不安な時代が本当に怖いのは、
**「人と人との間に、トゲトゲした壁を作ってしまう」**こと。
「自分さえ良ければ」という空気が、ウイルスみたいに広がってしまうことです。
この「孤独」という最後の嵐。
これに立ち向かう、日本の最強の知恵。
それが、**「思いやり(Omoiyari)」と「和(Wa)」**だと、私は思うんです。
1. 「思いやり」は、不安のベクトルを変える“魔法”
「思いやり」って、なんでしょう?
「優しさ(Kindness)」とは、ちょっと違う。
「思いやり」は、「思い(思考)」を「やる(相手に届ける、行動する)」と書きます。
これは、ただ可哀想だと「思う」こと(Sympathy)じゃなくて、
「相手は今、どう感じているだろう?」と想像力を働かせ、それを“そっとした行動”に移すこと。
これ、実は「転」で学んだ「心の仕分け」の、応用編なんです。
私たちは不安な時、思考のベクトルが全部「自分」に向かいます。
「私が、どうしよう」
「私が、不安だ」
「私が、損したくない」
この「自分へ、自分へ」というベクトルこそが、不安の正体。
「思いやり」は、このベクトルを、強制的に「相手へ」と向けさせる魔法なんです。
例えば、スーパーのレジで長蛇の列。みんなイライラしています。
その時、自分の「イライラ(=自分の内側)」に集中するんじゃなくて、
「あ、前の人、赤ちゃん抱っこして大変そう。財布出すの手こずるかもな。まぁ、ゆっくり待ってあげよう」
と、「思い」を「やる」。
あるいは、海外生活で。
現地の言葉がうまく通じなくて、お店の人にイヤな顔をされた時。
「キーッ! ムカつく!(=自分へのベクトル)」となる代わりに、
「そっか、この店員さんも、今忙しくてイライラしてるのかもな。私もうまく言えなくて、ごめんね(=相手へのベクトル)」
と、心の中で思う。
不思議なことに、「思いやり」を実践した側(=私)の心が、一番救われるんです。
「自分、自分」だった狭い世界から解放されて、スーッと心が穏やかになる。
「カゴB(=私にできること)」に集中していた自分(=個)が、初めて「他者」とつながって、「社会(=私たち)」の一員になれた気がするんです。
「思いやり」は、誰かのためじゃない。
不安な時代に「孤独」にならないために、**自分自身が実践する、最強の“心の護身術”**なんです。
2. 「和(Wa)」は、「みんなで」嵐を乗り切るための“船”
そして、一人ひとりが、その小さな「思いやり」を持ち寄った時。
そこに生まれるのが、**「和(Wa)」**という空間です。
「和を以て貴しと為す(わをもってとうとしとなす)」
聖徳太子の有名な言葉ですね。
これも、「みんな同じ意見じゃなきゃダメ!」という同調圧力(Groupthink)のことじゃない。
(もし、あなたが海外生活で、日本のそういう「息苦しさ」から解放されたと感じているなら、その気持ち、すごく分かります)
私がここで言う「和」とは、**「みんなが安心して、自分の力を発揮できる“場所(=空気)”を、壊さないようにしようね」**という、大人の“約束事”です。
「転」で、私たちは「我慢(Gaman)」を学びました。
感情の波にサーフィンして、自分を見失わない技術だと。
あの「我慢」は、何のためだったのか?
「個人のため」だけじゃありません。「和(=場所)」を守るためだったんです。
不安な時、ひとりがパニックを起こして「もうダメだ!」と叫んだら、その場の「和」は壊れ、不安は全員に伝染します。
それは、嵐の中で「船に穴を開ける」ようなもの。
「和」を守るというのは、
「不安だよね(共感)。でも、私は『思いやり』で、この船に穴を開ける言動(例:パニック、八つ当たり、買い占め)はしないよ」
「あなたも、大丈夫。穴さえ開けなければ、この船(=コミュニティ)は、ちゃんと進むから」
という、目に見えない「信頼」のネットワークを築くこと。
私の近所にも、口は悪いけど、すごく「和」を大切にするおばあちゃんがいます。
災害があった時、一番に「あんたんとこ、大丈夫だったかい!?」と声を張り上げ、
「うちは大丈夫! それより、あそこの一人暮らしのおばあさん、誰か見に行って!」
と、テキパキと「和(=助け合いの空気)」を仕切っていく。
彼女たちは、不安にジタバタしない。
「思いやり」という想像力で、今すべき「カゴB」を見抜き、「和」という船を守るために、即、行動する。
それこそが、日本が何千年もの間、災害や困難を乗り越えてきた「知恵」の正体なんです。
【私たちの「嵐の前の静けさ」】
さて、「起承転結」、4回にわたる長い旅は、これでおしまいです。
私たちが探していた「The Calm Before the Storm(嵐の前の静けさ)」
それは、ただ嵐が来るのを待つ、張り詰めた「緊張」の時間ではありませんでした。
それは、
**「始末」**の心で、モノと暮らし(外側)を整え、
**「仕分け」**の知恵で、自分の心(内側)を整え、
**「思いやり」**の行動で、他者との関係(社会)を整える。
この3つを、日々、淡々と、でも丁寧に行うことで、自分たちの手で“創り出す”ものだったんです。
嵐が来ても、大丈夫。
私たちには、ピカピカのモノはなくても、「もったいない」と愛する心がある。
私たちには、どうにもならないことがあっても、「仕方がない」と受け流すしなやかさがある。
私たちには、孤独に襲われそうになっても、「思いやり」で手を差し伸べ、「和」でつながる仲間がいる。
これこそが、何千年もの間、この不安定な島国で培われてきた、最強の「生活の知恵」であり、「人生術」です。
海外という、日本とはまた違う嵐の中で奮闘する皆さん。
皆さんが、現地の文化と、日本の知恵をハイブリッドさせながら、日々、家族のために頑張っている姿。
それこそが、まさにこの「知恵」の実践者です。
このブログが、皆さんの心の中にある「本当の静けさ」を見つける、小さなヒントになれば、こんなに嬉しいことはありません。
最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。
あなたのいる場所が、今日も穏やかでありますように。

コメント