ざわざわする心と「わびさび」の出会い
やっほー! こんにちは。
海を越えて、慣れない土地で毎日家族のために奮闘している主婦仲間の皆さん、元気にしてますか?
私は日本で、夫と子どもたちと、まあまあ(笑)ドタバタしながら暮らしている主婦です。
突然だけど、みんな、疲れてない?
海外での暮らしって、私たちが日本から見ていると、すごくキラキラして見えることが多いんだよね。素敵な街並み、お洒落なカフェ、週末のホームパーティー…インスタとか見てると、「はあ〜、素敵だなぁ」ってため息が出ちゃう。
でも、実際にそこで生活するって、そんなキラキラした部分だけじゃないって、皆さんが一番よく知ってるよね。
まず、言葉の壁。
スーパーでのちょっとした会話、子どもの学校の先生とのやり取り、役所の手続き。ネイティブみたいにスラスラいかなくて、「あー、またうまく言えなかった」って落ち込んだり。
文化の違い。
良かれと思ってやったことが、現地の人には「え?」って顔されたり。その逆もしかり。なんとなくコミュニティに馴染めなくて、ふと孤独を感じたり。
子育て。
現地の学校のシステムが日本と全然違って戸惑ったり、子どもがアイデンティティに悩んだり。
そして…何より、リアルな**「お金」の問題**。
これ、本当に切実じゃない?
ここ数年、世界的にインフレがすごいよね。日本も例外じゃなくて、スーパーに行くと「え、キャベツこんな高かったっけ!?」って毎日びっくりしてる。
海外に住んでいたら、なおさらだよね。
現地の物価高騰もそうだし、もし日本から仕送りがあったり、日本の資産を持っていたりしたら、最近の「円安」はめちゃくちゃ頭が痛い問題だと思う。数年前と同じ金額を送ってもらっても、手元に残る額が全然違う、みたいな。
「今月も予算オーバーかも…」
「教育費、これからどうなっちゃうんだろう」
「将来のために貯金したいのに、全然貯まらない」
こういう経済的な不安って、じわじわと心をすり減らしていくよね。
「ちゃんと」しなきゃ。
「完璧」にやりくりしなきゃ。
「理想の家計」を築かなきゃ。
そう思えば思うほど、予定通りにいかない現実にイライラしたり、落ち込んだり。
「私って、主婦としてダメなのかな…」
なんて、自分を責めちゃったりして。
何を隠そう、何を隠さなくても(笑)、何を自慢するわけでもないんだけど、何を…もういいか。
何を言いたいかっていうと、以前の私がまさにそれだったの。
日本に住んでる平凡な主婦の私。
海外生活みたいなドラマチックな環境変化はないけれど、「完璧な主婦」「理想の家計」っていう呪いには、ガッチガチに縛られてた。
毎月、きっちりエクセルで予算を立てるの。
食費はいくら、日用品はいくら、教育費は…って。
でね、家計簿アプリも駆使して、1円単位で合わせようと必死になる。
でもさ、人生って、そんな予定通りにいかないよね?(知ってた)
子どもが急に熱を出して病院にかかったり、
お友達の誕生日会に呼ばれて、予定外のプレゼント代がかかったり、
「今日ごはん作るの無理!」って日にお惣菜を買っちゃったり、
洗濯機がウンともスンとも言わなくなったり…。
そのたびに、私の完璧な予算は崩壊。
月末、真っ赤になった家計簿を見て、「あーーー!またダメだった!」って頭を抱える。
「なんで私は計画的にできないんだろう」「私って本当に意志が弱い」って、ひたすら自己嫌悪。
そのイライラが、家族に向かっちゃうこともあってね。
「無駄遣いしないで!」って夫にキツく当たったり、子どもがお菓子をねだるのをヒステリックに怒っちゃったり。
もう、最悪だよね(苦笑)
家計を管理するのは、家族が幸せに暮らすためだったはずなのに、家計簿のせいで家の中がギスギスしてるんだから。本末転倒。
私はずっと、「完璧な状態」「完成された理想」だけを追い求めてた。
まるで、傷一つないピカピカの新品の食器だけを愛でるみたいに。
そんな時、ふと出会ったのが、日本の昔からの考え方、**「わびさび(Wabi-Sabi)」**だったの。
みんな、「わびさび」って聞いたことあるかな?
海外でも「Zen(禅)」と一緒に、ちょっとクールな日本の概念として知られているかもしれないね。
正直、日本人である私も、「わびさび? ああ、なんか古いお寺とか、お茶の世界のやつでしょ? 地味な感じ?」くらいの認識だった(笑)
でも、ちょっと調べてみたら、これがもう、目からウロコで。
ガチガチだった私の頭を、後ろからポコーンって殴られたみたいな衝撃だったの。
「わびさび」って、すごくざっくり言うと、
「完璧じゃないもの、移り変わっていくもの、不完全なものの中にこそ、美しさや豊かさを見出そうよ」
っていう考え方なんだ。
もう少し分解してみると、
「わび(Wabi)」
これは元々、「わびしい」っていう言葉から来てる。
質素さ、簡素さ、静けさ。
ちょっと寂しい感じ、何かが足りていない状態。
でも、その「足りてなさ」をネガティブに捉えるんじゃなくて、そこにこそ静かな充足感や精神的な豊かさがある、っていう感覚。
「さび(Sabi)」
これは「錆びる」とか「古びる」から来てる。
時間が経過することによって生まれる美しさ。
ピカピカの新品じゃなくて、使い込まれて色が変わったり、苔が生えたり、ちょっと錆びたりしている。
その「時間の層」に、深い味わいや趣(おもむき)を感じる心。
つまり「わびさび」っていうのは、
- 完璧じゃなくていい。
- 足りなくてもいい。
- 古びていってもいい。
そういう「不完全さ」や「はかなさ(移ろい)」を、「ダメなこと」として否定するんじゃなくて、「それもまた美しいよね」って受け入れて、味わう。
そういう美意識であり、もっと言えば**「生き方の哲学」**なんだよね。
例えば、西洋の美意識だと、豪華絢爛な宮殿とか、左右対称(シンメトリー)で完璧な形のバラとかが「美しい」とされることが多いと思う。もちろんそれも素晴らしい美しさ!
でも、「わびさび」は真逆。
シンメトリーじゃなくて、ちょっと歪んでる手作りの茶碗。
満開の花じゃなくて、散り際の桜や、枯れていく葉っぱ。
そして、私がハッとしたのが**「金継ぎ(きんつぎ)」**という日本の伝統技術。
割れたり欠けたりした陶器を、漆(うるし)と金を使って修復するの。
すごいのは、割れた「傷」を隠そうとするんじゃなくて、あえて「金」で目立たせるところ。
「割れちゃった」という失敗や欠点を、「この器が歩んできた歴史」「新しい個性(景色)」として、前よりもっと美しく生まれ変わらせる。
これって、すごくない?
失敗や傷は、終わりじゃない。新しい美しさの始まりなんだよ。
私は、この「金継ぎ」の考え方を知った時、自分の家計簿のことを思い出したの。
赤字が出たり、予定が崩れたりすることを、「失敗だ!」「傷だ!」って隠そうとしたり、自己嫌悪したりしてたけど…。
もしかして、あの「完璧じゃなきゃ!」っていう呪い。
それこそが、私を苦しめていたんじゃないか、って。
ある日、私のお気に入りの湯呑みが、ちょっと欠けちゃったの。
毎日使ってた、何の変哲もない安い湯呑み。金継ぎするほど高価なものじゃない。
でも、すごく手に馴染んでて、捨てるのがためらわれた。
「あ、これも『わびさび』なのかな」
完璧じゃない、欠けた湯呑み。でも、私にとってはすごく愛着がある。
そう思いながら、その湯呑みでお茶を飲んでみた。
…うん、普通に美味しい(笑)
その時、ふと思ったの。
「完璧」じゃなくても、ちゃんと「機能」は果たしてる。
そして、この「欠け」があるからこそ、私はこの湯呑みを「私の湯呑み」として、前より愛おしく感じてるかもしれない。
……あれ?
待って。
この「わびさび」の考え方って、もしかして「お金」や「家計」にも、そのまま使えるんじゃない?
美意識とか、哲学とか、そういう高尚な話だけじゃなくて。
もっと生々しい、私たちの日常の悩み。
そう、「経済的な現実」っていう、あのシビアな世界に。
フック(きっかけ)で提示した「Wabi-Sabi: Embracing Imperfection in Economic Reality(経済的現実における不完璧さの受容)」っていう、ちょっと小難しいテーマ。
経済的な落ち込み。
市場の変動(株価が下がった!とか)。
家計の赤字。
こういうのを、「失敗だ!」「もう終わりだ!」ってパニックになるんじゃなくて。
「金継ぎ」みたいに、「ああ、今ちょっと割れちゃったね」って。
「これも自然なこと」「一時的な状態」として、まず受け入れる。
そこから、リジッドな(融通のきかない)完璧な期待を手放して、もっと柔軟に(フックのAdaptability)対応していく。
「美意識」と「経済」。
水と油みたいに、一番かけ離れてるように聞こえるよね。
「お金がないのに、美意識も何もないよ!」って声が聞こえてきそう(笑)
でもね、もし、この「わびさび」マインドで、家計や経済的な不安を見つめ直すことができたら…?
私たち主婦の心って、今よりもっと、しなやかに、強くなれるんじゃないかな。
パニックから「受容」へ。
rigid(頑固)な期待から「適応」へ。
これが、今回私がみんなとシェアしたいテーマ。
次回からの「承」「転」「結」で、具体的にどうやって私が「わびさび」を家計に取り入れて、心がラクになっていったのか、私のドタバタな実体験を交えながら、詳しく話していくね!
ちょっと長くなっちゃったけど、ここまで読んでくれてありがとう。
家計簿炎上!「完璧」という名の呪い
やっほー! 「起」に引き続き、読んでくれてありがとう!
日本で主婦やってます、私です。
前回の「起」では、「完璧じゃないものに美しさを見出す」っていう日本の「わびさび」マインドが、もしかしたらガチガチの家計管理やお金の不安から、私たちを救ってくれるかも?
割れたお皿を金で修復する「金継ぎ」みたいに、家計の赤字(傷)も「新しい景色」として受け入れられるんじゃないか?
…っていう、問題提起をしたんだったよね。
とはいえ。
「とはいえ、よ?」
「わびさびが家計を救う? 哲学でお腹は膨れませんけど?」
「赤字は赤字じゃん。どう美しく見ろと?」
うんうん、そうだよね(笑)
私も最初は、そう思ってた。
「わびさび」って言葉は美しいけど、直面してる現実は「来月のカードの支払い」だもん。かなり生々しい。
「わびさび」の考え方を知ったからって、次の日から急に「あら、赤字だわ。うふふ、美しい」なんて、聖母みたいになれるわけないじゃん?
むしろ、「わびさび」を知ってからの方が、自分の「完璧主義」の根深さに気づかされて、ちょっとしんどかった時期もあるくらい。
今日は、その「承」の部分。
私がどれだけ「完璧」という名の呪いに縛られていたか、そして、その呪いがどうやって家計(と夫婦関係)を炎上させていったか(笑)、恥ずかしい実体験を告白しつつ、「わびさび」的な視点(フックで言うところの “Applying Wabi-Sabi to financial setbacks”)で、その「挫折」をどう解釈し直したか、という話をじっくりしていくね。
心の準備はいい? 人の家の家計簿を覗き見る時間だよ!(笑)
私が結婚して、家計を任されるようになってから数年間、私のバイブルは「カリスマ主婦の完璧節約術」みたいな雑誌やブログだった。
そこには、
「食費は家族4人月2万円台!」
「年間貯蓄300万円達成!」
「ピカピカに磨かれたシンクと完璧な作り置き!」
っていう、まばゆい世界の主婦たちがいた。
「すごい…! 私もこうならなきゃ!」
そう思って作ったのが、例のエクセル家計簿。
項目を細かく細かく分けて、1円単位で入力する。
「食費」「日用品」「光熱費」「教育費」…だけじゃなくて、「食費」の中も「米・パン代」「野菜代」「肉・魚代」「調味料代」「お菓子・外食代」みたいに、もうギッチギチ。
毎月の目標は、ただ一つ。
「すべての項目で、予算内に完璧に収めること」
そして、
「貯金額のグラフが、美しい右肩上がりを描き続けること」
これ、海外で生活してるみんなも、多かれ少なかれプレッシャー感じてない?
特に海外だと、家計管理も複雑だよね。現地の通貨と日本円のダブル管理だったり、送金のタイミングを考えたり、急な「日本への一時帰国費用」っていう巨大な出費が控えてたり。
「ちゃんと管理しなきゃ」って思う気持ち、日本にいる私の何倍も強いと思う。
でね、その「完璧な予算」っていうのは、いわば私の「理想の器」。
傷一つない、ピカピカの、シンメトリー(左右対称)の器。
でも、現実はどう?
人生は、そのピカピカの器を、容赦無く叩き割りにくる(笑)
忘れもしない、ある年の冬。
夫が、しょんぼりした顔で帰ってきた。
「ごめん…、冬のボーナス、思ったよりカット幅が大きかった…」
ピシッ。
私の完璧な器に、大きなヒビが入った音。
「え?」
一瞬、頭が真っ白になった。
だって、そのボーナスをあてにして、「年末年始の帰省費用」と「子どもの学習机代」と「固定資産税の支払い」を予算に組み込んでいたから。
次の瞬間、私の口から出た言葉は、
「なんで!?」
これだった。
「なんでそんなことになるの!?」「会社の業績が悪いって言ってたけど、ここまでとは聞いてない!」「どうするのよ、来月の支払い!」
そこからはもう、パニック。
フックで言うところの「panic」そのもの。
私は夫を責め立てた。
「あなたがもっと頑張らないから」
「もっと早く言ってくれれば」
「私のやりくりが、全部水の泡じゃない!」
ひどいよね。
夫だって、好きでカットされたわけじゃない。会社の業績、つまり「市場の変動」なんて、一個人がコントロールできる範囲を超えてる。
彼は、家族のために一生懸命働いて、カットされたボーナスを申し訳なさそうに差し出してるのに。
その時の私には、「夫の気持ち」なんて見えなかった。
見えていたのは、「完璧な予算」という私の作品(器)に入れられた「ヒビ(=失敗)」だけ。
私は、この「ヒビ」を「失敗だ!」「最悪だ!」と断罪した。
そして、「誰のせいだ?」と犯人探しを始めた。
これが、「わびさび」の真逆の精神。
もし、あの時の私が「わびさび」を知っていたら。
ボーナスカットという「経済的挫折(financial setback)」を、どう捉えられただろう?
フックにあったこの言葉を、もう一度思い出してみるね。
“viewing market fluctuations or personal economic dips not as failures, but as natural, temporary states.”
(市場の変動や個人の経済的な落ち込みを、失敗としてではなく、自然で一時的な状態として捉える)
そう。
ボーナスカットは、夫の「失敗」でも、私の「失敗」でもない。
それは、**「自然なゆらぎ」であり、「一時的な状態」**だったんだよね。
経済って、そもそも「移り変わる」もの。
会社の業績も、為替レートも、インフレも、全部「生きてる」。常に動いてる。
それなのに、私は「ボーナスは、去年と同じだけ(あるいはそれ以上)もらえるはず」という、「完璧で固定的な期待(rigid expectations)」にしがみついてた。
満開の桜が永遠に続かないのと同じで、経済だって永遠に右肩上がりじゃない。
「わびさび」は、「はかなさ(transience)」を受け入れること。
「ああ、そっか。今は、そういう時期(temporary state)なんだね」
「仕方ない。これが現実(natural)だね」
もし、まずこうやって「受容(acceptance)」できていたら。
「なんで!」っていうパニックの代わりに、「そっか。じゃあ、どうしようか?」っていう、次の言葉が出せたはずなんだ。
「じゃあ、学習机は、お年玉もらってからにしようか」
「帰省は、今回は新幹線じゃなくて、夜行バスも検討してみる?」
「固定資産税は、分割納付に切り替えてもらおう」
そう。
パニックは、思考を停止させる。
でも、受容は、次の「適応(adaptability)」を生み出す。
もう一つ、私の「完璧主義」が炎上した例がある。
それは、毎月のように発生する「予定外の出費」という名の小さなヒビ。
子どもの歯の矯正が、思ったより高額だったり。
(海外だと保険が効かなくて、もっと大変だよね…)
急に友達のベビーシャワーに呼ばれて、プレゼント代がかかったり。
(そういう文化、日本より頻繁にありそう!)
「今日ごはん作るの無理!」って日にお惣菜やデリを買っちゃったり。
(これは世界共通だよね!笑)
そのたびに、私は家計簿の「赤字」を見て、自己嫌悪に陥ってた。
「ああ、また予算を守れなかった」
「私はなんて意志が弱いんだろう」
「完璧な主婦には、なれない」
赤字が出るたびに、「私」という器が、どんどん欠けていくように感じてた。
でも、「わびさび」を知って、ハッとした。
そもそも、「完璧な予算」というものが、幻想だったんじゃないか?
人生って、「予定外の出費」の連続。
子どもは急に熱を出すし、家電は予告なく壊れるし、お付き合いだって大事。
それら全てを完璧に予測して予算を立てるなんて、それこそ神業。
「わびさび」は、「不完全さ(imperfection)」や「未完成(incompleteness)」を受け入れる。
つまり、
「予算なんて、最初から不完全で、未完成なもの」
それでいいじゃん!ってこと。
この考え方にシフトしてから、私は、あのギチギチのエクセル家計簿を、思い切ってやめたの。
代わりに始めたのが、その名も**「わびさび家計簿」**(私が勝手に命名した)。
これは、アプリとかじゃなくて、本当にただのノート。
何をやったかというと、
- 「完璧」を目指さない。1円単位で合わせるのをやめた。1000円単位で「だいたい」合ってればOK。
- 「余白」を愛する。予算をギチギチに詰めない。最初から「予定外の出費(わびさび費と呼んでる)」っていう「余白(=不完全さを受け入れるスペース)」を、ある程度確保しておく。
- 「赤字」を「失敗」と呼ばない。もし「わびさび費」からも足が出ちゃって赤字になったら?「ああ、今月は割れちゃったね」って言う(笑)そして、「金継ぎ」の時間。「なんで割れたかな?」「どう修復(リカバリー)しようか?」って、冷静に分析する。「歯医者っていう『金』で修復したのね、OK OK」みたいに。
フックの言葉を借りれば、
“Shifting mindset from panic to acceptance”
(パニックから受容へのマインドシフト)
が、私の中で起こった瞬間だった。
赤字は「自己嫌悪」のタネじゃなくて、
「うちの家族が、今月『生きてた』証拠」
「来月への『学び』のキッカケ」
になった。
割れた傷を「金」で目立たせる「金継ぎ」みたいに、
「歯の矯正」っていう赤字(傷)は、「子どもの未来の健康」っていう「金」で修復した、美しい「景色(模様)」なんだ、って。
…ちょっとポエミーすぎた?(笑)
でも、このマインドシフトは、本当に私をラクにしてくれたんだ。
もちろん、これは「赤字を出し続けろ!」っていう「貧乏礼賛」とは全然違う。
そこは誤解しないでね。
経済的な現実はシビアだから、ただ「美しい」とか言ってるだけじゃ、生活は破綻しちゃう。
「わびさび」は、現実逃避のツールじゃない。
**現実(=不完全さ、移ろい)を、パニックにならずに冷静に受け止めて、次の一手(=適応)を打つための、「心の護身術」**なんだと思う。
「受容(Acceptance)」はできた。
じゃあ、次のステップ、「適応(Adaptability)」って、具体的にどうやるの?
ただ「赤字も美しいよね」って受け入れるだけじゃなくて、
じゃあ、その「わびさび」マインドを持って、どうやって賢く節約したり、お金と向き合ったりしていくの?
その具体的な実践編、私の「生活の知恵」の部分を、次回の「転」で、たっぷりお話ししようと思う!
完璧を目指さないからこそ、見えてきた「豊かさ」があるんだ。
実践!「金継ぎ」する家計と「わび」な心
やっほー! 「承」の炎上話(笑)からの続き、読みに来てくれてありがとう!
日本の主婦、私です。
前回の「承」では、私の「完璧な家計簿」というピカピカの器が、ボーナスカットだの、予定外の出費だのっていう「現実」によって、無残にもバリバリに割れちゃった話を赤裸々に告白したよね。
そして、「赤字=失敗」ってパニック(Panic)になるんじゃなくて、
「ああ、今月は割れちゃったね」
「これも自然なこと(natural)、一時的なこと(temporary)」
って、まず「受容(Acceptance)」するマインドが「わびさび」なんだ、っていうところまで話したんだった。
でも!
みんなが聞きたいのは、そこから先だよね。
「わかった、わかった。受容ね。でも、割れた器をただ眺めて『美しい…』とか言ってても、生活は回らんのよ!」
「『適応(Adaptability)』って言うけど、具体的に何すんの?」
「『わびさび』って、結局、貧乏くさく『我慢』するってことじゃないの?」
そのツッコミ、ごもっとも!
私も最初、そこが一番わからなかった。
「わび(Wabi)」って「質素」って意味でしょ? 「さび(Sabi)」って「古びてる」ってことでしょ?
それって、日本でよく言う「清貧(せいひん=貧しいけど心がキレイ、みたいな)」の勧め? 我慢大会の始まり?って。
違う、違う。全然違ったの。
「わびさび」は、我慢の哲学じゃない。
**「無駄なモノサシ」を捨てて、自分にとって本当に豊かな「適応」の道を探す、超・実践的な「生活の知恵」**だったんだ。
フック(きっかけ)の言葉で言うところの、
“Practical application: fostering adaptability over rigid expectations.”
(実践的な応用:厳格な(=ガチガチの)期待よりも、適応性を育むこと)
今日は、この「転」で、私がどうやって「わびさび」マインドを、日々の買い物や人生計画っていう超・現実的なレベルに落とし込んで、「適応力」のある家計に変えていったか、その具体的な「人生術」をシェアしていくね。
ここが、今回の話の「ひねり」であり、一番のキモになる部分だよ!
【実践①】モノ選び:「完璧な新品」より「金継ぎできる相棒」を
まず、一番わかりやすい「モノ」との付き合い方から。
「承」でボロクソに言ってた頃の私(笑)は、買うものが決まってた。
「最新機能!」
「今、流行ってるやつ!」
「ピカピカの新品!」
特に家電とかね。
完璧な機能が、私の「完璧な暮らし」をサポートしてくれると信じてた。
でも、そういうモノって、どう?
ちょっと型落ちすると、急に古臭く見えたり。
多機能すぎて、結局使いこなせなかったり。
そして何より、**「修理できない(あるいは修理代が高すぎる)」**ことが多い。
壊れたら、「ああ、完璧じゃなくなった」ってイライラして、また新しい「完璧なモノ」を探す。
これって、すごい出費だし、すごいストレスだよね。
海外だと、修理のシステムが日本と違って、もっと大変かもしれない。
ここで「わびさび」マインドの登場。
「わびさび」が美しいとするのは、「さび(Sabi)」=時間の経過。
つまり、**「使い捨てられるピカピカの新品」よりも、「使い込むほどに味が出て、修理しながら長く付き合えるモノ」**を選ぶ、っていう視点。
例えば、私がフライパンを買い替える時の話。
前は、数千円の「最新コーティング!絶対こびりつかない!」みたいなのを買ってた。でも、1年もすれば結局コーティングは剥げて、イライラしながら捨てる。
ある時、思い切って、昔ながらの「鉄のフライパン」を買ってみたの。
正直、最初は面倒だったよ。油ならししなきゃいけないし、重いし、手入れをサボるとすぐ錆びる(笑)。
全然「完璧」じゃない。むしろ「不完全」で、手間のかかる子。
でもね。
使えば使うほど、油が馴染んで、黒光りしてきて、「育って」いくのがわかる。
もし焦げ付かせても、ゴシゴシ磨いて、また油を塗れば「復活」する。
これって、まさに「金継ぎ」的じゃない?
多少の失敗(焦げ)も、受け入れて、修復(お手入れ)して、また付き合っていく。
結果、どうなったか。
もう5年以上、そのフライパンは現役バリバリ。
毎年「完璧なコーティング」を買い替えていた出費が、ゼロになった。
これは、フライパンだけの話じゃない。
服でも、家具でも、靴でも。
「安いから」「流行ってるから」っていう「完璧な期待(rigid expectations)」で買うのをやめた。
「これは、10年後も『さび(Sabi)』を楽しめるか?」「壊れた時、修復(adaptability)できるか?」っていうモノサシで選ぶようにしたの。
もちろん、全部が全部そんなモノばっかりじゃ無理だよ。
でも、家の中の「主役」になるモノだけでも、この視点で選ぶ。
これ、ケチケチ節約術(我慢)に見える?
私にとっては、逆。
買い替えのストレスから解放されて、お気に入りの「相棒」を育てるっていう「豊かさ」が手に入った。
そして何より、突発的な「買い替え」っていう家計のヒビ(=パニックのタネ)が、圧倒的に減ったんだ。
これぞ、「適応力のある」資産の持ち方だと思ってる。
【実践②】人付き合い:「完璧な見栄」より「わび(Wabi)」な充足を
次、これ。お金の問題って、結局「人間関係」と直結してるよね。
特に主婦は!(笑)
「完璧な主婦」を目指していた頃の私は、「見栄」の塊だった。
ママ友とのランチ会。
子どもの習い事。
季節ごとの素敵なインテリア。
「あの人より、ちゃんとしてると思われたい」
「『素敵な暮らし』をしてるって思われたい」
海外に住んでたら、もっと大変かも。
「現地の人たちと『完璧』に付き合わなきゃ」とか、「日本人コミュニティの中で『ちゃんとした』家族に見られたい」とか。
その「見栄」という名の「完璧な期待(rigid expectations)」のために、私たちはいくらお金を使ってるんだろう?
ここで、もう一つのキーワード、「わび(Wabi)」の登場。
「わび」は、「質素さ」「簡素さ」の中にこそ、精神的な充足感を見出すこと。
私は、ある時、勇気を出して「完璧」を手放してみた。
いつも、ちょっとお高めのカフェでランチしてたママ友グループがいたの。
正直、家計がキツかった。でも、「誘いを断ったら、付き合い悪いって思われる…」って無理してた。
でもある日、言ってみたんだ。
「ねえ、いつも素敵なお店だけど、正直うち、今月ピンチでさ(笑)。もし良かったら、今度うちでお茶しない? お菓子くらいしか出せないけど」
ドキドキしたよ。「ケチだと思われるかな」って。
そしたら、ママ友たち、
「え、わかる! うちも今月ヤバい!」
「てか、カフェ代、地味にきつかったよね!」
「家でお茶、最高じゃん!」
って、大盛り上がり(笑)
なんだ、みんな同じだったんじゃん!
その日、うちで開いたお茶会は、デパ地下の高級スイーツ(完璧)じゃなくて、私が焼いた、ちょっと形がイビツなクッキー(不完璧)と、みんなが持ち寄ってくれたお煎餅やチョコ。
でも、カフェの時より、ずっとリラックスして、ずっと本音で笑い合えた。
これだ、「わび(Wabi)」だ!
高いお金を払った「完璧な空間」じゃなくても、
見栄を張らない「質素(簡素)」な場にこそ、
本当の「充足(心の豊かさ)」があったんだ。
海外で暮らしてたら、ホームパーティーとかも多いのかな?
「完璧なおもてなしをしなきゃ!」って気負うのをやめて、「一品持ち寄り(ポットラック)にしない?」って提案してみる。
「豪華な料理(完璧)」じゃなくて、「みんなの味(不完璧な集合体)」を楽しむ。
それこそが、新しい「適応(Adaptability)」であり、豊かな関係性の「金継ぎ」になるんじゃないかな。
【実践③】人生計画:「完璧な未来」より「今のゆらぎ」を味わう
そして、これが一番の核心。
私たちの不安の最大の原因って、「未来」だよね。
「承」で話した、私のボーナスカット事件。
あれは、私が「ボーナスはこれくらい貰えるはず」という「完璧な未来(rigid expectations)」に固執したから起きたパニックだった。
日本にいると、「老後2000万円問題」だの「教育費は一人いくら」だの、未来の不安を煽る「完璧な貯蓄目標」が溢れてる。
海外にいたら、「子どもの大学費用どうしよう(日本より高い?)」とか「自分たちの老後は、どの国で?」とか、もっと複雑だよね。
もちろん、備えは大事。計画は必要。
でも、「完璧な計画」にガチガチに縛られると、どうなる?
「今」が、すべて「未来のための我慢」になっちゃう。
そして、計画通りにいかない「ゆらぎ(fluctuations)」が起きた時(ボーナスカットとか、円安とか)、激しいパニックに陥る。
「わびさび」は、「はかなさ(transience)」と「未完成(incompleteness)」の哲学だったよね。
人生は、移ろう。経済も、移ろう。
私たちの未来計画なんて、最初から「未完成」なもの。
このマインドを持つと、どう「適応」できるか。
私は、遠い未来の「完璧な数字」に怯えるのを、半分やめた(笑)
その代わり、今月の「ゆらぎ」を味わうゲームに切り替えた。
ボーナスカット(ヒビ)が入った。
→ OK、金継ぎタイムだ。
「完璧な旅行(リジッドな期待)」は無理になったね。
「じゃあ、適応(Adaptability)しよう。今年の夏は、近所の川でBBQして、浮いたお金で、前から欲しかったあの鉄のフライパン(実践①)を買おうか!」
これは、「諦め」や「我慢」とは、ちょっと違うのがわかるかな?
「A(完璧)がダメだったから、仕方なくB(我慢)」じゃなくて、
「ヒビ(現実)が入ったからこそ、C(新しい楽しみ)っていう景色(模様)が生まれたね!」
って、積極的に楽しむ感じ。
「完璧な未来計画」っていう一本道(rigid)を歩くんじゃなくて、
「今月の現実」に合わせて、あっちこっち寄り道(adaptability)しながら、その「未完成」な道のり自体を楽しむ。
「円安で、日本から送金してもらうと目減りしちゃう…」
→ パニックになるんじゃなくて、受容する。
→「じゃあ今月は、日本食(完璧な期待)にこだわらず、現地の安い食材で、新しいレシピ(適応)に挑戦する『金継ぎ』月間にしよう!」
みたいな。
どう?
「わびさび」って、ただ「質素にしろ」っていう精神論じゃなかったでしょ?
「完璧な新品」より「修復できる相棒」を。
「完璧な見栄」より「簡素な充足」を。
「完璧な未来計画」より「今のゆらぎへの適応」を。
この「わびさび」という名の「生活の知恵(人生術)」を実践し始めたら、
不思議なことに、ガチガチに節約してた頃より、心はずっと豊かになった。
そして、突発的な出費にパニックにならなくなったから、家計も、前よりずっと「安定」したんだ。
「完璧」という呪いを解き、
現実(=不完璧さ、移ろい)を受け入れ、
その中で「自分なりの豊かさ」を見つけていく「適応力」。
それこそが、「わびさび」が私たち主婦にくれる、最強のサバイバル術なんだ。
さて。
こうやって「わびさび」マインドを手に入れたことで、
私のお金に対する「ゴール」そのものが、変わってきた。
単に「貯める」とか「増やす」とか、そういうことじゃなくなったんだ。
じゃあ、その「ゴール」って何なのか?
「わびさび」を経済に当てはめた時、私たちが行き着く「人生観」って?
次回の「結」。
いよいよ最後の締めくくり。
この壮大なテーマ(笑)の、私なりの「答え」を話そうと思う。
ヒビも傷も、あなたの「景色」。不完璧な今日を愛する人生術
やっほー!
ついに、ついに、最後の「結」だよ!
ここまで、私の暑苦しい「わびさび経済論」に付き合ってくれて、本当に本当にありがとう!
日本の片隅から、海を越えて頑張るみんなに届けたい一心で、「起」「承」「転」と、合計9000文字近く(!)も語り続けてきちゃった。
「起」では、「完璧な家計」という呪いに苦しむ私たちに、日本の「わびさび(不完璧さの美)」が効くかも? っていう問題提起をしたよね。
「承」では、私の大失敗談(笑)。ボーナスカットでパニックになり、完璧な器がバリバリに割れた話。赤字や挫折を「失敗」と断罪するんじゃなく、「自然なゆらぎ」として「受容(Acceptance)」するマインドシフトが必要だよね、って話をした。
そして前回の「転」。
「受容」しただけじゃ生活できないから、どう「適応(Adaptability)」するの?っていう実践編。
「完璧な新品」より「修復できる相棒」を、
「完璧な見栄」より「簡素な充足(わび)」を、
「完璧な未来計画」より「今のゆらぎ(金継ぎ)」を。
「わびさび」は我慢じゃなくて、「今あるもので豊かさを見つける超・実践的な知恵」なんだ!ってことを、熱く語らせてもらったんだった。
さて、いよいよ「結」。
この長い旅のゴールテープを、みんなと一緒に切りたいと思う。
「転」の最後で、私はこう言ったんだ。
**「わびさびマインドを手に入れたら、私のお金に対する『ゴール』そのものが変わった」**って。
今日は、その「答え」から話を始めたい。
そして、それが、海外という異国の地で、言葉や文化、そして経済的な「ゆらぎ」の中で日々奮闘している「あなた」の人生に、どう繋がるのか。
私からの、最後の手紙のつもりで書くね。
私が「完璧な主婦」を目指してエクセル家計簿と格闘していた頃。
私のお金に対するゴールは、何だったか。
それは、**「完璧な器(=資産グラフ)を、傷一つなく完成させること」**だった。
通帳の数字が、毎月きっちり増えていくこと。
老後のための貯蓄目標額(あの「2000万円」とかいうやつ!)に、一日でも早く到達すること。
家計簿のグラフが、美しい右肩上がりを描くこと。
その「ゴール」のために、「今」は我慢の対象だった。
「今月も、完璧にやり遂げた」
その達成感だけが、私の支えだった。
でも、「わびさび」を知って、この考え方が180度ひっくり返った。
「わびさび」が美しいとするのは、「完成品」じゃない。
「未完成(incompleteness)」であり、「移ろい(transience)」であり、「時間の経過(sabi)」だったよね。
そして、私たちの人生や経済って、まさにそれそのものじゃない?
人生は、いつだって「未完成」。
「これで完璧!」なんてゴールは、死ぬまで来ない。
経済は、いつだって「移ろい」続ける。
インフレ、円安、不景気、ボーナスカット…止まっている瞬間なんてない。
それなのに、なんで私たちは「完璧なゴール(貯蓄額)」なんていう、静止した「幻想」を追いかけちゃうんだろう?
「わびさび」が教えてくれた、新しいゴール。
それは、
「完璧な器(未来の資産)を作ること」
じゃなくて、
「日々入るヒビや欠け(現実のゆらぎ)を、今日一日、味わい深く『金継ぎ』すること」
その「プロセス」自体を、愛することだったんだ。
わかりにくい?(笑)
もう少し、具体的に言うね。
前の私は、ボーナスカット(ヒビ)を「最悪の失敗」と捉えた。
なんで?
「完璧な資産グラフ(ゴール)」から、遠ざかったから。
今の私なら、どう思うか。
ボーナスカット(ヒビ)が入る。
「お、来たね。ゆらぎ、来たね」
「これが『現実(はかなさ)』だ」
と、まず受容する(「承」)。
次に、
「さあ、このヒビを、どう『金継ぎ』してやろうか」
「どう『適応(adaptability)』しようか」
と、ワクワクする(「転」)。
「完璧な海外旅行(リジッドな期待)」は諦める。
その代わり、「近所の川でBBQして、鉄のフライパンを買う」という「新しい景色(模様)」を手に入れる。
そして、その黒光りするフライパンで、ちょっとイビツなパンケーキを焼く。
「ああ、あのボーナスカットがなかったら、このフライパンの楽しさ(わびな充足)には出会えなかったかもな」
「ヒビも、なかなかいい仕事するじゃん」
って、その「不完璧な結果」を、心から味わう。
気づいたかな?
ゴールが、「未来の完璧な数字」から、「今、ここにある豊かさの発見」にシフトしてるの。
「わびさび経済術」のゴールは、貯蓄額の最大化じゃない。
**「日々の『適応力(金継ぎの技術)』の最大化」**であり、
「どんな『不完璧な状況』からでも『豊かさ』を見つけ出す、心の筋肉を鍛えること」
なんだ。
だって、考えてみて。
もし、ガチガチに我慢して、切り詰めて、ついに「完璧な老後資金2000万円!」を達成したとする。
でも、その時、もし「予期せぬゆらぎ(例えば、ハイパーインフレ)」が来て、その2000万円の価値が半分になっちゃったら?
「完璧な器」だけを目指してきた人は、そこで心が折れちゃうかもしれない。
「私の人生、何だったの…」って、またパニックになる。
でも、「わびさび」マインドで「金継ぎの技術」を鍛え続けてきた人は?
「おっと、デカいヒビ入ったね!」
「受容、受容。これは自然なゆらぎ」
「さあ、どう適応しようか?」「2000万円が半分になった世界で、私たちなりの『わび(簡素な充足)』を探すゲームの始まりだね」
って、きっと、またしなやかに立ち上がれる。
不安定で、何が起こるかわからない、これからの世界。
私たちに必要なのは、「完璧な器(=揺るがない資産)」という幻想じゃない。
**どんなに器が割れても、「大丈夫、私にはこれを『金継ぎ』する知恵と心がある」っていう、「しなやかな適応力(レジリエンス)」**なんだ。
そして、これこそが、フック(きっかけ)にあった
「Wabi-Sabi: Embracing Imperfection in Economic Reality」
(経済的現実における、不完璧さの受容)
というテーマの、私なりの「結び」なんだよね。
さて。
最後に、この話を、今、海を越えて頑張っている、あなたに届けたい。
私がここまで話してきたことって、日本にいる平凡な主婦の、ちっぽけな実体験。
でもね、
海外という、日本とは全く違う「経済的現実」の中で暮らしているあなたたち主婦こそ、
私なんかよりずっと前から、「わびさび」の達人なんじゃないかって、私は思うんだ。
だって、そうでしょ?
日本にいたら「完璧」が当たり前だったかもしれない。
でも、海外に出た瞬間、その「完璧」は、音を立てて崩れなかった?
言葉が通じない。
「完璧なコミュニケーション」ができない。
だから、身振り手振りや、つたない単語、笑顔っていう「不完璧」なもので、なんとか繋がり(金継ぎ)を見つけようとする。
食材が違う。
「完璧な日本食」が作れない。
だから、現地の野菜やスパイスで「適応」して、新しい「我が家の味(景色)」を生み出す。
文化が違う。子育ての常識が違う。
「完璧なママ友付き合い」「完璧な教育」なんてできない。
だから、悩み、ぶつかり、ヒビが入りながらも、家族だけの「これでいいか(わび)」っていう、オリジナルの形を模索する。
そして、お金。
円安、インフレ、謎の手数料、よくわからない税金。
「完璧な家計管理」なんて、日本にいる時の何倍も難しい。
「ちゃんとできない」
「私ってダメだな」
って、落ち込むことも、きっと数えきれないくらいあったよね。
でもね。
「わびさび」っていうモノサシで見たら、どう?
その「完璧じゃない」あなたの毎日は、
その「ヒビだらけ」のあなたの暮らしは、
最高に「わびさび」じゃない?
「完璧」じゃないからこそ、工夫が生まれる。
「足りない」からこそ、今あるものの価値に気づける。
「ゆらぎ」の中で必死に「適応」してきたからこそ、あなたの家族の絆は、ピカピカの器なんかより、ずっと強くて、味わい深い「景色」を持ってる。
あなたが日々やっている、そのドタバタな「金継ぎ」。
それこそが、何よりも尊い「人生術」なんだよ。
だから、もう「完璧な主婦」「完璧な家計」「完璧な暮らし」なんていう、どこかの誰かが作ったモノサシに、自分を当てはめなくていい。
あなたの、そのヒビ。
あなたの、その欠け。
あなたの、その不器用な「金継ぎ」の跡。
それこそが、あなたが海を越えて、異国の地で、家族を守るために戦ってきた「勲章」であり、
世界に一つしかない、あなただけの「美しさ(景色)」なんだから。
「完璧じゃなくても、大丈夫」
この「わびさび」っていう、日本から持ってきた小さなお守りが、
遠い空の下で頑張るあなたの心を、ほんの少しでも、ふっと軽くしてくれたら。
こんなに嬉しいことはないな。
長い長い、私のブログを最後まで読んでくれて、本当にありがとう!
お互い、完璧じゃない今日を、しなやかに「金継ぎ」しながら、味わい尽くしていこうね。
またね!

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