心の庭、荒れていませんか?スマホの中に「京都の禅庭」を作るというデジタルライフのすゝめ

雑然としたデジタルジャングルと、静寂なる京都の庭の教え

みんな、元気にしてる?

日本の秋も深まってきて、窓を開けるとひんやりとした風が心地よい季節になりました。私は今、温かいほうじ茶を飲みながらこのブログを書いています。

さて、突然だけど、みんなのスマホのホーム画面、見せてもらえる?

……なんて言われたら、ドキッとしちゃうよね。「ちょっと待って、通知が溜まってるから!」とか「使ってないアプリだらけで見せられない!」なんて慌てて隠したくなる人もいるんじゃないかな。実は、少し前までの私もそうだったの。

朝起きて一番にすることは、カーテンを開けることじゃなくて、枕元のスマホでSNSの通知チェック。

朝食の準備をしながらニュースサイトをスクロールし、洗濯機を回しながらメッセージアプリの返信を打つ。

ふと気づくと、私の頭の中は常に「情報の嵐」が吹き荒れている状態でした。まるで、手入れされていない雑草だらけの裏庭みたいに、必要な情報も不要なノイズもごちゃ混ぜになって、足の踏み場もない状態。

そんなある日、私は気分転換に京都へ一人旅に出かけたんです。

そこで訪れたのが、有名な「龍安寺(Ryoan-ji)」の石庭でした。

海外のみんなも写真で見たことがあるかもしれないけれど、あの石庭には、木もなければ花も咲いていない。あるのは、白砂と15個の石だけ。

一見すると「何もない」ように見えるその庭の前に座った時、私は衝撃を受けました。

そこには「不足」ではなく、完璧な「静寂」と「充足」があったから。

日本の庭園、特に京都の禅寺の庭には、**「引き算の美学」**という考え方があります。

西洋の庭園(イングリッシュガーデンなど)が、色とりどりの花を植え、豪華に飾り立てて「足していく」美しさだとすれば、日本の庭園は、不要なものを極限まで削ぎ落とし、本当に必要なものだけを残すことで、石一つ、砂の波紋一つに宇宙を感じさせる「引く」美しさなんです。

庭師さんは、ただ植物を放置しているわけじゃありません。

彼らは毎日、毎日、庭に向き合います。

伸びすぎた枝を切り(剪定)、落ち葉を拾い、砂紋を整える。

「自然のまま」に見えるけれど、そこには徹底的な「意図(Intention)」と「管理(Care)」があるんです。

そう、美しく保たれた庭は、「何を残し、何を捨てるか」という決断の連続でできているの。

その石庭の縁側に座って、静かに波打つ砂紋を眺めていた時、ふとポケットの中でスマホが震えました。

ブルッ、という無機質な振動。

その瞬間、私はハッとしたんです。

「私のスマホの中身、そして私のデジタルライフは、この庭の真逆だ」って。

私のスマホは、まるで手入れを放棄されてジャングル化した庭そのものでした。

とりあえずダウンロードしたけど一度も使っていないアプリ(=雑草)。

見たくもないのに流れてくるゴシップニュース(=害虫)。

24時間鳴り止まない通知(=騒音)。

それらが私の心のスペース(これを日本では「間(Ma)」と呼びます)を完全に埋め尽くしていたんです。

私たちはよく、「もっと便利なアプリはないか」「もっと新しい情報はないか」と、デジタルの世界でも「足し算」ばかりしがちです。

でも、情報過多で心が疲れてしまっている現代の私たちに必要なのは、新しい何かを手に入れることではなく、今ある不要なものを手放す「剪定(Prune)」の作業なんじゃないでしょうか。

日本の主婦として、私は家の中を整えることは大切にしてきました。

「断捨離(Danshari)」という言葉が日本で流行ったように、モノを減らして快適に暮らす知恵は持っていたはず。

それなのに、なぜかデジタルの世界だけは「散らかり放題」を許していたんです。

スマホの中だって、私たちが毎日長い時間を過ごす「家」の一部であり、心の「庭」の一部なのにね。

京都の庭師さんが、一本の枝を切る時に「この枝は、庭全体の調和を乱していないか?」と自問するように、私たちも自分のデジタル環境に対して、もっと厳しく、でも愛情を持って向き合うべき時が来ているのかもしれません。

「Cultivating Your Intentional Digital Garden(意図的なデジタルガーデンを耕す)」

これが、私が提案したい新しいライフスタイルです。

ただ単に「スマホを使うな」というデジタルデトックス(Digital Detox)ではありません。それは、ダイエットで絶食するようなもので、現代社会で生きる私たちにはリバウンドが待っているだけだから。

そうではなく、京都の庭のように。

自分にとって本当に美しく、機能的で、心が安らぐアプリや情報だけを選び取り、配置する。

それ以外の雑音は、感謝を持って手放す。

そうやって、スマホの中に「自分だけの禅庭」を作り上げるプロセスそのものを楽しむのです。

想像してみてください。

スマホの画面を開いた瞬間、ごちゃごちゃしたアイコンの山ではなく、選び抜かれた美しいツールだけが、余白を持って並んでいる様子を。

通知センターが真っ白で、静かな湖面のように穏やかである様子を。

それは、きっとあなたの心に、京都の朝のような澄んだ空気をもたらしてくれるはずです。

でも、「じゃあ具体的にどうやってその庭を作るの?」って思いますよね。

実は、これにはちょっとしたコツと、日本的な「もったいない」精神とは逆の、ある種の「冷徹さ」が必要なんです。

次の章(承)では、具体的にどうやって私たちのデジタルガーデンに生い茂った「不要な枝葉」を剪定していくのか。その「京都流・アプリの断捨離術」について、私の失敗談も交えながら詳しくお話ししていきますね。

ハサミ(削除ボタン)の準備はいい?

ここからが、本当の庭造りの始まりです。

アプリという名の「枝葉」を剪定する勇気(The “Kyoto Garden” approach)

さて、いよいよ庭造りの本番です。

京都の庭師さんが、松の木を美しく保つために最も時間をかける作業、それが「剪定(Sentei)」です。

日本の庭木の手入れを見ていると、本当に興味深いことに気づきます。彼らは、ただ伸びた枝を短くするだけじゃないんです。「透かし剪定(Sukashi-sentei)」といって、込み入った枝や葉を間引いて、木の内側にまで日光や風が通るように調整するんです。

これをしないとどうなるか?

中は蒸れてカビが生え、害虫がつきやすくなり、最終的には木全体が弱ってしまいます。

これ、私たちのスマホと全く同じだと思いませんか?

アプリを溜め込みすぎて、ホーム画面がギチギチに詰まっている状態は、まさに「風通しが悪い」状態。必要な情報(日光)が届かず、どうでもいい通知(害虫)ばかりが増えて、私たちのメンタル(木)を弱らせてしまう。

だからこそ、私たちは心を鬼にして……いえ、心を「無」にして、剪定バサミを入れなければなりません。私が実践した「京都ガーデン・アプローチ」の3つのステップをご紹介しますね。

ステップ1:忌み枝(Imieda)を見極める

日本の園芸用語に「忌み枝(Imieda)」という言葉があります。

これは、樹形を乱したり、他の枝の成長を邪魔したりする「切るべき不要な枝」のこと。例えば、幹に向かって逆走して生える「逆さ枝」や、他の枝に絡みつく「絡み枝」などがそうです。

これをスマホのアブリに置き換えてみましょう。

私にとっての「忌み枝」は、こんなアプリたちでした。

  1. 「いつか使うかも」という名の枯れ枝「お店でクーポンがもらえるから」とインストールしたものの、半年以上開いていないショップアプリ。これ、日本の主婦あるあるですよね(笑)。「もったいない(Mottainai)」精神が悪い方向に働いてしまっている例です。でも、庭師さんは枯れた枝を「もったいない」とは言いません。新しい芽のために、感謝して切り落とします。私も「今までありがとう」と心の中で呟きながら、半年使っていないアプリはすべて削除しました。
  2. 心をざわつかせる「絡み枝」開くたびに「あの人はあんなにキラキラしてるのに、私は……」と自己嫌悪に陥るようなSNSアカウントや、ゴシップニュース系のアプリ。これは、私の心の平穏という幹に絡みつき、栄養を奪う「絡み枝」そのものです。これらは、アプリごと消すか、少なくともホーム画面からは完全に排除しました。
  3. 機能が重複している「平行枝」同じ方向に並んで伸びる枝を「平行枝」といって、これもどちらかを切る対象です。私のスマホには、似たようなカメラアプリが3つ、メモアプリが2つ、天気予報アプリまで複数入っていました。「こっちの方がフィルターが綺麗かも?」なんて迷っている時間がこそが、人生の浪費です。一番使いやすい「本命」を一つだけ残し、あとはバッサリと切りました。

この「見極め」の作業だけで、なんとアプリの総数が3分の1まで減ったんです。これには自分でも驚きました。

ステップ2:「余白(Ma)」をデザインする

不要なアプリを削除(アンインストール)したら、次は配置です。

ここで大切なのが、日本美術や庭園で最も重要視される**「間(Ma)」**、つまりネガティブスペース(余白)の概念です。

西洋のUIデザインや、効率化重視のホーム画面だと、1画面にできるだけ多くのアイコンを詰め込んで「ワンタップで全てにアクセスできる」のが正義とされがちですよね。

でも、京都の庭は違います。

石と石の間の「砂」の部分、つまり「何もない空間」こそが、美しさを際立たせるんです。

私はこれをスマホに応用して、**「ホーム画面の1ページ目には、アイコンを4つしか置かない」**というルールを作りました。

ドック(一番下の固定列)にある電話やメールなどの必須ツール以外は、画面の中央にポツン、ポツンと置くだけ。背景の壁紙(お気に入りの風景写真)がしっかりと見えるようにしました。

こうすることで何が起きると思いますか?

スマホロックを解除した瞬間、視覚的なノイズが飛び込んでこないんです。

「うわ、赤い通知バッジがいっぱい!」という圧迫感がない。

そこにあるのは、静謐な「余白」だけ。

これだけで、スマホを開くという行為が、情報の波に飛び込むストレスフルなものではなく、静かな庭の入り口に立つような感覚に変わりました。

2ページ目以降はフォルダを使って整理していますが、そこも「詰め込まない」のが鉄則。

「空間がある=寂しい」ではなく、「空間がある=豊かである」という感覚。これぞまさに、ワビサビ(Wabi-Sabi)の精神です。

ステップ3:音の風景(Soundscape)を整える

庭の美しさは、視覚だけではありません。

京都の寺院で縁側に座っていると、聞こえてくるのは風の音、鳥の声、そして鹿威し(ししおどし)の「カコーン」という音だけ。

車の音や工事の音といった騒音は、見事に遮断されています。

あなたのスマホという庭は、どうですか?

LINEの通知音、ニュース速報のブザー、ゲームの呼び出し音……常に騒音まみれになっていませんか?

私は、通知設定を徹底的に見直しました。

これを私は「デジタルの静寂化」と呼んでいます。

  • 人間からの連絡以外はすべてオフ家族や友人からの直接のメッセージは「鳥の声」として歓迎します。でも、アプリからの「セールが始まりました!」「体力が回復しました!」という自動通知は、庭の調和を乱す「工事の音」です。これらはすべて設定画面からオフにしました。
  • バッジも非表示にアプリアイコンの右上に付く赤い数字(バッジ)。あれは「早く見ろ!」と急かしてくる赤い信号機のようなもの。急ぎの連絡ツール以外は、このバッジ表示も消しました。自分が「見たい」と思った時に、自分のタイミングで庭に入ればいいのです。

この「剪定」作業を終えた夜、私は生まれ変わった自分のスマホを眺めてみました。

そこには、必要なものだけが整然と並び、心地よい余白が広がる、私だけの小さな「枯山水(Karesansui)」がありました。

不思議なことに、スマホの中身を整理しただけなのに、頭の中のモヤモヤまでスッキリと晴れ渡ったような気分。

「ああ、私は今まで、自分で持ちきれないほどの荷物を、この小さなデバイスの中に詰め込んで、毎日それを持ち歩いていたんだな」と気づかされました。

この「The Kyoto Garden approach」は、単にアプリを減らすことではありません。

自分の人生において「何が大切で、何がノイズなのか」を問い直す、哲学的な作業なんです。

「そんなに消して、もし後で必要になったらどうするの?」

と不安になる方もいるかもしれません。

でも大丈夫。今の時代、本当に必要なものは、必ずまた向こうからやってきます。

庭の草木が季節とともに芽吹くように、必要なアプリなら、またその時にインストールすればいいだけのこと。

恐れずに、ハサミを入れてみてください。

その切り口から、新しい「風」が通り抜けるのを、きっと感じられるはずですから。

さて、庭(スマホ環境)は美しく整いました。

でも、どんなに素晴らしい庭も、そこでどう過ごすかが問題です。

ただボーッと眺めているだけでは、またすぐに雑草が生えてきてしまいます。

次は、この整ったデジタルガーデンで、私たちがどのように情報を「味わう」べきか。

受動的なスクロールではなく、能動的に茶を点てるような、そんな「Mindful consumption(マインドフルな消費)」についてお話ししようと思います。

「余白」を楽しむ意識的な消費への転換(Mindful consumption)

さあ、ハサミを置いて、一息つきましょうか。

前回のステップで、あなたのスマホからは不要なアプリという雑草が消え、静かな「余白」が生まれたはずです。

でもね、ここで安心してはいけません。ここからが、実は一番難しいパートなんです。

なぜなら、**「どれだけ美しい庭を作っても、そこで私たちが暴れ回ってしまっては意味がない」**から。

想像してみてください。

完璧に手入れされた静寂な禅寺の庭園。

そこで、スナック菓子をバリバリ食べながら、大声で歌ったり、走り回ったりしている人がいたらどう思いますか?

「おいおい、せっかくの雰囲気が台無しじゃないか!」って思いますよね。

でも、私たちはデジタルの世界で、これと同じことをやってしまっているんです。

不要なアプリを消してスッキリしたはずの画面で、結局また、残ったSNSアプリを開き、目的もなく親指を動かし、流れてくる情報を「消費」し続けている。

まるで、底の抜けたバケツに水を注ぎ込むように。

ここで私が提案したいのは、情報の接し方を「ファストフード」から**「茶道(Tea Ceremony)」**へとシフトすることです。

「ながら族」を卒業する

日本には**「ながら族(Nagara-zoku)」**という言葉があります。

これは昭和の時代に生まれた言葉ですが、何かを「しながら」、別のことをする人たちのこと。

テレビを見「ながら」勉強する。

ご飯を食べ「ながら」雑誌を読む。

そして令和の今、私たちは究極の「ながら族」になっています。

Netflixで映画を見「ながら」、スマホでSNSをチェックし、トイレに入り「ながら」ニュースを読み、歩き「ながら」メッセージを打つ。

私たちの意識は常に分散していて、「今、ここ」にいません。

茶道の世界では、これはあり得ないことです。

お茶室に入ったら、そこは俗世間とは切り離された聖域。

客人は、亭主(ホスト)が点ててくれた一服のお茶に、全神経を集中させます。

お茶碗の温かさを手で感じ、抹茶の香りを吸い込み、深い緑色を目で味わい、そして口に含む。

その瞬間、過去の失敗も未来の不安も消え、ただ「お茶を飲む」という行為だけが存在します。

この**「マインドフルな没入感」**こそが、今の私たちのデジタルライフに決定的に欠けている栄養素なんです。

私は以前、料理研究家のブログを読むのが好きだったんですが、ある時ふと気づいたんです。

「私、記事を読んでいるようで、実は見ていないな」と。

ただスクロールして、綺麗な写真だけを流し見して、「へー、美味しそう」と0.5秒で感想を完結させて、次の記事へ。

これでは、どんなに素晴らしい情報(栄養)も、私の心には吸収されません。ただの「暇つぶし」として消化されていくだけ。

そこで私は、**「デジタル茶会」**というルールを自分に課すことにしました。

それは、スマホで何かコンテンツを見る時、茶道のように振る舞うというものです。

一期一会(Ichigo Ichie)の精神でクリックする

茶道には**「一期一会(Ichigo Ichie)」**という有名な言葉があります。

「この出会いは、一生に一度きりのものかもしれない。だからこそ、この瞬間を大切にし、誠意を尽くそう」という意味です。

これをインターネットの世界に持ち込むと、どうなると思いますか?

世界が変わりますよ。

今まで私は、SNSのタイムラインを「無限に湧いてくる暇つぶし」だと思っていました。だから、雑に扱っていたんです。

でも、画面の向こうには、その記事を書いた人がいる。その動画を編集した人がいる。

そのコンテンツは、私の人生で今日、この瞬間にしか出会えなかったものかもしれない。

そう思うと、「なんとなくスクロール」ができなくなりました。

私は今、一つの記事をクリックする前に、心の中で小さく深呼吸をします。

「私は今から、この記事を読むために時間を使う。そこから何かを学び取るぞ」と意図(Intention)を持つのです。

もし、タイトルを見て「そこまで真剣に向き合う価値はなさそうだな」と思ったら?

クリックしません。

そう、見ないんです。

「なんとなく見る」という選択肢を捨てる。これが「情報の断捨離」の次のステップ、**「情報の厳選」**です。

茶室で出されたお菓子を味わうように、選んだ記事は最後までじっくり読みます。

斜め読みはしません。

動画を見るなら、他の作業の手を止めて、その動画だけを見ます。

そして、「面白かった」「役に立った」と思ったら、心の中で(時にはコメントで)「ごちそうさまでした」と感謝する。

これが、情報を「消費(Consume)」するのではなく、**「体験(Experience)」**するということです。

デジタル栄養素(Digital Nutrition)を考える

もう一つ、主婦としての視点からお話ししたいのが、**「情報の栄養バランス」**です。

私たちは普段、家族の食事を作る時、「野菜が足りないかな」「タンパク質を摂らなきゃ」と栄養バランスを考えますよね。

ジャンクフードばかり食べていたら体を壊すことを知っているからです。

でも、脳に入れる情報についてはどうでしょう?

ゴシップ記事、炎上騒ぎ、誰かの悪口、不安を煽るニュース……これらは、デジタル界の「ジャンクフード」です。

味は濃くて刺激的で、ついつい手が伸びてしまうけれど、食べた後に残るのは胸焼け(モヤモヤ)だけ。栄養価はゼロ、むしろマイナスです。

一方、深く考えさせられるエッセイ、新しいスキルを学べる動画、美しいアート、友人の心温まる近況報告。

これらは、心と脳を育てる「滋養溢れる和食」のようなもの。

京都の精進料理(Shojin Ryori)は、肉や魚を使わず、野菜や豆類だけで作られますが、手間ひまをかけて素材の味を引き出し、食べる人の心と体を整えてくれます。

私たちのデジタルライフも、そうありたいと思いませんか?

私は「承」のステップでアプリを整理した時、フォローしているSNSのアカウントも見直しました。

基準は**「それを見た後、私は元気になっているか?それとも疲れているか?」**です。

見ていてザワザワするアカウント(ジャンクフード)は、容赦なくアンフォローまたはミュートしました。

代わりに、見るたびに発見があったり、優しい気持ちになれたりするアカウント(精進料理)だけを残しました。

そうすると、タイムラインが驚くほど静かで、豊かな場所に変わったんです。

流れてくる情報は少ないけれど、その一つ一つが私の糧になるものばかり。

受動的に「流し込まれる」のではなく、能動的に「味わう」ことができる量と質になりました。

日本語の「いただきます」の魔法

最後に、食事の前の挨拶「いただきます(Itadakimasu)」についてお話しさせてください。

この言葉には、「命をいただく(動植物への感謝)」と「作ってくれた人への感謝」の両方が込められています。

私はスマホを開く時、心の中でこの「いただきます」を唱えるようにしています。

大げさかもしれませんが、これが意外と効果的なんです。

「いただきます」と言うと、姿勢が正されます。

ダラダラとベッドに寝転がって、半目で画面を見るようなことは失礼だと感じるようになります。

情報を発信してくれた誰かへの敬意。

そして、その情報を受け取る自分自身の時間への敬意。

この「敬意(Respect)」こそが、デジタル疲れから私たちを救う唯一の解毒剤なのかもしれません。

茶道では、お茶を飲む前にお茶碗を回し、正面を避けて飲みますよね。あれは「謙虚さ」の表れです。

デジタル空間という広大な庭で、私たちはもっと謙虚になっていい。

全ての情報を知る必要はないし、全ての流行に乗る必要もない。

ただ、自分の目の前にある「一服」を、大切に味わえればそれでいいのです。

こうして、私のスマホは「情報のゴミ捨て場」から、厳選された知識とインスピレーションが得られる「茶室」へと生まれ変わりました。

でも、どれだけ美味しいお茶でも、飲みすぎれば眠れなくなります。

どれだけ素晴らしい庭でも、24時間そこに座り続けていたら、腰を痛めてしまいますよね?

素晴らしいデジタル環境と、マインドフルな心構えを手に入れた私たちに必要な、最後のピース。

それは、このデジタル世界から「離れる」ための作法です。

次回の最終章「結」では、あえて庭を出て、現実世界(Real World)に戻るための「境界線の引き方」について。

日本の家の「玄関」や「結界」の知恵を借りながら、お話ししたいと思います。

さあ、お茶会はそろそろお開き。

お茶碗を置いて、立ち上がる準備はできましたか?

デジタル境界線を引いて、自分だけの聖域を守る(Designing “digital boundaries”)

日本の神社やお寺、そして茶室のある庭園を訪れたことがある方は、通路の真ん中に、黒い縄(蕨縄)で十文字に結ばれた、こぶし大の丸い石が置かれているのを見たことがありませんか?

これは**「止め石(Tome-ishi)」**、または「関守石(Sekimori-ishi)」と呼ばれるものです。

そこには「立入禁止(KEEP OUT)」なんて無粋な看板はありません。

ただ、その小さな石が一つ、ポツンと置かれているだけ。

でも、日本人はそれを見ると「ああ、ここから先は神聖な場所(またはプライベートな空間)だから、遠慮して引き返そう」と察します。

この石一つで、あちらとこちらの世界を分ける。これを日本文化では**「結界(Kekkai)」**と呼びます。

「結界」と聞くと、アニメやゲームに出てくる魔法のバリアみたいなものを想像するかもしれないけれど(笑)、本来はもっと精神的な、心の中に引くラインのことなんです。

私たちの家の中にも、この「止め石」を置くべき場所があります。

それは、スマホというデジタルの庭と、私たちの生身の生活(リアル)が交わる境界線です。

私が実践している、現代版「デジタルの止め石」の置き方を3つ、紹介しますね。

1. 寝室という聖域に「結界」を張る

あなたに質問です。

夜、眠る直前までスマホを見ていませんか?

そして朝、目が覚めた瞬間にスマホを手に取っていませんか?

もしそうなら、あなたは「庭」の中で寝袋で寝ているようなものです(笑)。

風邪をひいちゃいますよ、心の風邪を。

私は、寝室のドアに目に見えない「結界」を張っています。

ルールはシンプル。「スマホは寝室に持ち込まない」。これだけです。

昔の日本家屋では、夜になると蚊帳(Kaya)を吊って、その中を安全な眠りのスペースとして確保しました。

私にとっての寝室は、現代の蚊帳の中。

そこは、夫と今日あったことを話したり、子供たちに絵本を読んだり、一人で静かに体を休めたりするための、侵してはならない聖域です。

スマホの充電器は、あえてリビング(居間)に設置しました。

夜、歯を磨く前に、スマホをリビングの充電器に繋ぐ。これが私にとっての「閉門」の儀式です。

「今日も一日ありがとう。また明日ね」とスマホに別れを告げて、寝室へ向かう。

最初は手持ち無沙汰で、禁断症状が出そうでした(笑)。

「もし緊急の連絡があったらどうしよう?」とか考えてしまって。

でも、よく考えたら、夜中の2時に緊急連絡が来ることなんて、1年に1回あるかないか。

その0.01%の不安のために、毎晩の安眠という99.9%の幸せを犠牲にするなんて、割に合いませんよね。

スマホのない寝室の静けさは、本当に格別です。

ブルーライトの代わりに、温かい間接照明の下で過ごす時間は、私の脳を「戦闘モード」から「休息モード」へと優しく切り替えてくれます。

翌朝の目覚めのスッキリ感といったら!

「ああ、私は機械じゃなくて、人間だったんだな」と思い出せる瞬間です。

2. 「玄関(Genkan)」の発想でスマホの定位置を作る

日本の家には必ず「玄関(Genkan)」があります。

そこで靴を脱ぎ、外の汚れを落としてから家の中に入りますよね。

この「靴を脱ぐ」という行為が、オンとオフのスイッチになっています。

私は、スマホにも「靴」と同じ扱いをすることにしました。

帰宅したら、あるいは家事や仕事が終わったら、スマホを指定の場所に置くのです。

私はキッチンカウンターの隅に、お気に入りの竹籠を置いて、そこを**「スマホの駐車場」**にしています。

多くの人は、家の中でもスマホを肌身離さず持ち歩いています。

ポケットに入れたり、食卓の横に置いたり。

これでは、いつまで経っても「外の世界(インターネット)」と繋がったまま。心が休まる暇がありません。

「スマホを籠に入れる」=「デジタルの靴を脱ぐ」。

この動作をすることで、私は「外向きの自分」から「母としての自分」「妻としての自分」、そして「素の自分」へと戻ることができます。

特に夕食の時間は、テーブルの上に「止め石」があると思ってください。

美味しい料理、家族の笑顔、湯気の向こうにある会話。

それらはすべて、画面の中のどんな高画質な動画よりも美しい、二度と戻らないリアルの瞬間です。

通知音に邪魔されるなんて、本当にもったいない!

3. デジタル・サバト(安息日)という「ハレの日」

京都の庭師さんも、雨の日や休日は仕事を休みます。

自然のリズムに合わせて生きているからです。

私たちも、たまには完全に庭を閉鎖する日があってもいいのではないでしょうか?

これを欧米では「デジタル・サバト(Digital Sabbath)」と呼ぶそうですが、私は日本的に**「情報の断食(Fasting)」**と捉えています。

例えば、日曜日の午前中だけは、スマホの電源を完全に切る。

あるいは、家族でキャンプに行く時は、スマホを車のダッシュボードに入れたままにする。

最初は怖いです。「世界から取り残されるんじゃないか」って。

でも、やってみると気づきます。

世界は何も変わらず回っているし、誰も私が数時間消えたことなんて気にしていない(笑)。

逆に、私の五感は驚くほど敏感になります。

子供の手の温かさ、風の匂い、コーヒーの香り。

スマホというフィルターを通さずに世界に触れると、日常の解像度がグンと上がるんです。

「ケ(日常)」としてのデジタル生活があるなら、たまには「ハレ(非日常)」としてのデジタルオフの日を作る。

このメリハリが、人生に深みを与えてくれます。


終わりの言葉:庭は眺めるもの、住む場所ではない

長いブログになってしまいましたが、最後まで読んでくれてありがとう。

「起」から「結」まで、私たちはスマホの中に「京都の庭」を作り、整え、味わい、そして境界線を引く旅をしてきました。

私が一番伝えたかったことは、**「スマホ(テクノロジー)は敵ではない」**ということです。

美しい日本庭園が、私たちの心を癒してくれるように、

整えられたデジタル環境は、私たちの知的好奇心を満たし、遠く離れた大切な人と繋げてくれる素晴らしい場所です。

問題なのは、その庭が荒れ放題になっていたり、私たちが庭の主(あるじ)であることを忘れて、庭に使われてしまったりすること。

あなたが、庭師としての誇りとハサミ(削除ボタン)を持ち、

茶人のような静かな心で情報と向き合い、

そして夜には静かに門を閉じて、愛する人とのリアルな温もりの中で眠りにつくこと。

それができれば、あなたの人生は、デジタルとアナログが調和した、最高に美しい「名庭」になるはずです。

さあ、ブログを読み終えたら、まずは一つだけ行動してみませんか?

今夜、寝室のドアの前に、心の中でそっと「止め石」を置いてみてください。

スマホをリビングに残して、あなた自身だけが、柔らかな布団の中へ。

そこにはきっと、今まで知らなかった「静寂」という贅沢が待っていますよ。

それでは、また次回のブログでお会いしましょう。

おやすみなさい、良い夢を。

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