嵐のようなリビングと、私のポケットの中の「秘密兵器」 〜なぜ今、子供たちにそれを手渡すのか〜
こんにちは! 日本の地方都市で、怪獣のような二人の子供(5歳の息子と3歳の娘)と格闘しながら暮らしている日本人ママです。
今日の日本の天気は、あいにくの雨。
ここ日本では「五月雨(Samidare)」なんていう美しい言葉もありますが、今の我が家のリビングは、そんな情緒とは程遠い、まさに戦場です。
「ママー! 見て見て! スーパーヒーローの着地!」
ドスン!! という音と共に、ソファから飛び降りる息子。
「ギャー! お兄ちゃんが私の人形取ったー!」
金切り声を上げて泣き叫ぶ娘。
床にはプラスチックのブロックが地雷のように散らばり、踏めば激痛、避ければ転倒という、親にとってはサバイバルゲームのような状況が広がっています。
海外で子育てをしている皆さんも、きっと同じような瞬間がありますよね?
コーヒーを飲む暇もなく、ただただ子供たちのエネルギーの渦に巻き込まれていく午後。日本に住んでいようが、ニューヨークにいようが、ロンドンにいようが、母親の悩みは世界共通です。
普段の私なら、ここでついつい文明の利器、つまり「タブレット端末」に頼ってしまうところです。「YouTubeでアニメでも見てて!」と言えば、少なくとも30分は静寂が訪れますから。でも、今日の私は違います。
実は、私のエプロンのポケットには、ある「秘密兵器」が隠されているのです。
それは、電源もいりません。
充電も必要ありません。
Wi-Fiも不要。
さらに言えば、プラスチックでもなく、壊れることもない。
ただの、一枚の「四角い布」です。
でも、これはただの布ではありません。私の祖母から母へ、そして私へと受け継がれてきた、日本の生活の知恵が凝縮された魔法のアイテム。日本人が何百年もの間、大切にしてきた「あるスキル」を使うための道具なのです。
なぜ今日、私がこのタイミングで、この「秘密兵器」を子供たちに解禁しようと思ったのか。それには少し深い理由があります。
先日、息子がプラスチックのおもちゃのパッケージをビリビリと破り捨てているのを見たとき、ふと胸にチクリと刺さるものがありました。
日本には**「もったいない(Mottainai)」**という言葉があります。これは単に「Wasteful(無駄)」という意味だけではありません。物には魂が宿り、それを作った人、そこに至るまでの自然の恵み全てに感謝し、最後まで大切に使い切るという、日本独自の精神性を表す言葉です。
今の時代、日本でも便利さが優先され、この精神が少しずつ薄れつつあります。すべてが使い捨て(Disposable)で、パッケージは開けたらゴミになるのが当たり前。子供たちは「開ける楽しさ」は知っていても、「大切に扱う美しさ」を知る機会が減っているように感じたのです。
そしてもう一つ。
日本の教育や社会には**「指先を使うと脳が育つ」**という教えがあります。
昔の日本人は、手先を使って様々な道具を作り、修理し、生活していました。しかし、今の子供たちが触れるのはツルツルしたタッチパネルばかり。
「触感」や「重み」、そして「自分の手で形を変える感覚」が不足しているのではないか? そんな危機感を、一人の母親として感じていたのです。
ふと見ると、息子がまたソファによじ登ろうとしています。娘は退屈さのあまり、ティッシュペーパーを箱から無限に引き出すという、親にとっては悪魔のような遊びを始めようとしていました。
「ねえ、二人とも」
私はあえて声を潜め、演劇のようなトーンで呼びかけました。
騒がしいリビングに、ママの奇妙な低い声が響きます。二人がピタリと動きを止め、不思議そうな顔でこちらを振り向きました。
「ママね、実は……魔法使いになれる道具を持ってるんだ」
「え? 魔法?」
息子の目がキラリと輝きます。
「マホウ?」
娘もティッシュを持つ手を止めて、首をかしげます。
私はゆっくりと、ドラマチックにポケットからその「布」を取り出しました。
鮮やかな日本の伝統色である「朱色(Vermilion)」と「藍色(Indigo)」で染められた、幾何学模様の美しい正方形。
畳んであればただのハンカチのように見えますが、広げると子供の背丈ほどもある大きさになります。
「これ、なーんだ?」
ヒラリ、と空中で布を広げると、畳の部屋の空気が一瞬で変わりました。
プラスチックのおもちゃが散乱するカオスな現代のリビングに、ふわりと舞い降りた伝統の色彩。それはまるで、ここだけ時間が止まったような、不思議なコントラストを生み出しました。
子供たちはまだ、これが何なのか分かっていません。
「ハンカチ?」「ブランケット?」
口々に叫びながら、興味津々で近づいてきます。獲物を狙う猫のように、瞳孔が開いているのが分かります。
私はニヤリと笑いました。
ここからが、私の腕の見せ所です。
日本の主婦が持つスキルは、料理や掃除だけではありません。
私たちは、生活の中にある「何でもないもの」を「特別なもの」に変える達人なのです。
この布一枚で、子供たちの目の前にある「退屈」を「驚き」に変え、そして彼らの小さな手に、日本人が大切にしてきた「心」を種まきする。
まだその名前は明かしません。
でも、これから始まるのは、単なる「遊び」ではありません。
これは、指先を使ったパズルであり、物理の実験であり、そして何より、相手を思いやる心を形にする儀式なのです。
「いい? よく見ててね。この四角い布が、生き物みたいに変身するから」
私は近くにあったティッシュの箱と、息子が投げ出したペットボトルを手に取りました。
子供たちがゴクリと唾を飲む音が聞こえます。
さあ、ショータイムの始まりです。
日本のママが隠し持っていた、古くて新しいライフハック。
その「秘密」を、世界中のママたち、そして今、私の目の前にいる小さな怪獣たちに、少しずつお見せしましょう。
それは、私たちが忘れていた「想像力(Imagination)」という翼を、再び広げるためのレッスンなのです。
「結ぶ」ことは「繋ぐ」こと。魔法の布が教える、幾何学と“もったいない”の哲学
「その名前はね……**『Furoshiki(風呂敷)』**っていうのよ」
私がそう告げると、息子は「フロシキ?」と不思議そうな顔でオウム返しをしました。
直訳すれば「Bath Spread(お風呂に敷くもの)」。かつて江戸時代の銭湯で、自分の着物を間違えないように包んだり、敷いたりしたことが由来だと言われています。でも、そんな歴史の授業を今ここで始めたら、子供たちの集中力は3秒で切れてしまうでしょう。
今の彼らに必要なのは、歴史ではなく「魔法」の実演です。
「見ててね。この四角い布が、この丸いボールを飲み込んじゃうから」
私は床に転がっていた息子のサッカーボールを拾い上げました。
普通、球体を包むのは至難の業です。包装紙(Wrapping paper)なら、紙にしわが寄るし、セロハンテープは剥がれてくるし、最終的にはゴミの塊のようになってしまいますよね? 欧米スタイルのラッピングは「箱(Box)」を前提としていますが、日本の生活はもっと柔軟(Flexible)なんです。
私は風呂敷を床に広げ、その中央にボールを置きました。
対角線の端と端を持ち、ボールの頂上で一度結びます。そして、もう一方の対角線も同じように。
最後に、結び目をキュッと整えると……。
「わあ! バッグになった!」
娘が目を丸くして歓声を上げました。
さっきまでただの布だったものが、ボールの形状にぴったりと寄り添い、持ち手がついた愛らしい「球体バッグ(Watermelon wrap)」に変身したのです。
「すごい! 僕もやる! 貸して!」
息子がすぐに飛びついてきました。私はもう一枚の風呂敷(実は予備で何枚も持っているのが日本ママの嗜みです)を彼に渡します。
ここからが、今日一番の面白くて、そして少し難しいレッスンの始まりです。
テープもハサミもいらない、究極の幾何学
息子はプラスチックのロボットを包もうと必闘しています。
でも、うまくいきません。彼は普段、工作で「セロハンテープ」や「糊」を使うことに慣れすぎています。「くっつける道具」がないと、物を固定できないと思い込んでいるのです。
「ママ、これ壊れてる! テープどこ?」
と叫ぶ息子。
「テープはいらないの。必要なのは、あなたの手と、重力(Gravity)、そして『摩擦(Friction)』だけ」
私はあえて少し科学的な言葉を使ってみました。
風呂敷の面白さは、ここにあります。
四角い布(2D)が、対象物を包み込むことで立体(3D)へと変化する。このプロセスは、子供たちの空間認識能力(Spatial awareness)を強烈に刺激します。
「いい? おもちゃの形に合わせて、布を折り込んでごらん。布は水みたいなものなの。硬い紙と違って、どんな形にもなれるんだよ」
私がそうアドバイスすると、息子は乱暴に扱うのをやめ、布をロボットの腕や足に沿わせ始めました。
角ばったロボット、丸いボール、長い水筒。
それぞれの形に合わせて布を操る感覚。これは、決まった形のブロックを積み上げる遊びとは全く違う脳の使い方です。
「形がないからこそ、どんな形にもなれる」。
これは、私たち日本人が大切にしている**「無(Mu / Emptiness)」**の美学にも通じるものかもしれません。何もない空間があるからこそ、そこに無限の可能性が生まれるのです。
「Musubi」の魔法 〜 縦結びと横結びの違い 〜
そして、最大の難関がやってきました。「結び目(Knot)」です。
「ママ、すぐほどけちゃう!」
息子が結んだ布は、手を離すとすぐにスルリと解けてしまいました。あるいは、固結びになりすぎて、二度と解けない団子状態になってしまいます。
日本では、紐や布を結ぶ行為を**「結び(Musubi)」**と言います。
この言葉には、「生産する」「生み出す(Musu)」という意味と、「霊(Bi)」という意味が合わさっているという説があるほど、神聖で重要な行為なんです。
単に物を固定するだけではありません。「心と心を繋ぐ」「ご縁を結ぶ」という願いが込められています。
「いい? 日本には『本結び(Square knot)』という、特別な魔法の結び方があるの」
私は子供たちの手を取り、ゆっくりと教え始めました。
右を上にして交差、次は左を上にして交差。
実は、多くの人が無意識にやってしまうのが「縦結び(Granny knot)」です。結び目が縦になってしまい、見た目が美しくない上に、解けやすい。日本では、これは着物の着付けなどでも「縁起が悪い」として避けられることがあります。
一方で、「本結び」は美しい横一文字になり、一度締めると驚くほど頑丈になります。重い荷物を持っても解けません。それなのに、ある魔法の一点を引っ張ると、スルリと簡単に解けるのです。
「ギュッと引っ張って……そう、そこ!」
息子が小さな手で一生懸命に結び目を締め上げました。
出来上がったのは、不格好だけど、しっかりと結ばれた彼だけのバッグ。中にはお気に入りのロボットが入っています。
「できた! ママ見て、落ちないよ!」
彼が風呂敷の結び目を持ってブンブン振り回しても、ロボットは布に守られて落ちません。
その時、息子の表情が変わりました。
ただの遊びではなく、「自分の手で道具を作り出した」という達成感。
そして何より、彼がその布の包みを、とても大切そうに抱きしめたのです。
「もったいない」は、ケチなことじゃない
「ねえ、そのロボット、いつもみたいに床に投げないね」
私が意地悪く聞くと、息子は首を横に振りました。
「だって、せっかく包んだのに、ほどけちゃったら『もったいない』でしょ?」
その言葉を聞いて、私はハッとしました。
彼が言った「もったいない」は、ゴミが出るとか、お金がかかるとか、そういう意味ではありませんでした。
**「自分の費やした時間と手間、そして布が作り出してくれた美しい形」**が壊れるのが惜しい、と感じていたのです。
これこそが、風呂敷が教える**「Mottainai」の本質**ではないでしょうか。
手間をかけること(Taking time and effort)。
対象物を慈しむこと。
使い捨てのパッケージなら、破って中身を取り出したら終わりです。パッケージと中身の関係は希薄です。
でも、風呂敷で包むと、布と中身は一体になります。包むという行為そのものが、中身への敬意(Respect)の表現になるのです。
リビングは相変わらず散らかっていますが、空気は明らかに変わりました。
プラスチックのガチャガチャした音の代わりに、
「次はこれを包んでみる!」
「あ、結び目が変になっちゃった」
「ママ、手伝って」
という、創造的な会話と布が擦れる静かな衣擦れの音が満ちています。
私はキッチンでお茶を入れる余裕さえ生まれました。
湯気立つ緑茶を見つめながら、思います。
この四角い布は、単なるエコバッグ代わりの便利グッズではありません。
不便さを楽しむ心、形のないものを形にする想像力、そして「結ぶ」という行為を通して、人と物、人と人との関係を結び直すツールなのです。
でも、この平穏な「風呂敷教室」も、そう長くは続きませんでした。
子供たちの想像力は、私の想定(そして日本の伝統)を、斜め上に飛び越えていくのです。
リビングに戻った私が目にしたのは、美しく包まれたおもちゃ……ではなく、風呂敷をマントのように羽織り、結び目を首に巻いて(危ないからそれはやめて!)、ソファの上で仁王立ちするスーパーヒーローと、風呂敷の中に自分のお気に入りのクッキーを詰め込みすぎて、まるで泥棒の風呂敷包みのようになっている娘の姿でした。
「変身!」
息子が叫びます。
ああ、やっぱりそうなるのね。
でも、それもまた、風呂敷の無限の可能性の一つ……なのかもしれません。
予期せぬ結末? 子供の発想が伝統を飛び越えた瞬間と、完璧主義な私への警鐘
静寂の後の「大惨事」
キッチンで淹れた熱い緑茶をすすり、「ああ、やっと平和が訪れた」と一息ついたのも束の間でした。
私の「お母さんセンサー」が、リビングから漂う異様な気配を感知しました。
先ほどまで聞こえていた「見て見て!」という歓声や、布が擦れる音がピタリと止んでいるのです。
子育て経験のある方ならご存知ですよね?
家の中で子供たちが静かな時。それは「お昼寝をしている」か、さもなくば「親に見られたらマズい、とんでもないことをしでかしている」時のどちらかです。
私はマグカップを置き、忍び足でリビングを覗き込みました。
そして、その光景を目にした瞬間、膝から崩れ落ちそうになりました。
「ちょっと! それ、ママが成人式で使ったシルクの風呂敷!!」
私の悲鳴がリビングに響き渡ります。
そこには、私が想定していた「お行儀の良い日本文化教室」の面影は微塵もありませんでした。
先ほどまでおもちゃを包んでいたはずの風呂敷たちは、全て結び合わされ、まるで巨大な蜘蛛の巣のように部屋中に張り巡らされていたのです。
ダイニングの椅子の脚、ドアノブ、カーテンレール、そして重たいソファの足……。
あらゆる突起物に風呂敷の端が結びつけられています。
色鮮やかな唐草模様(Arabesque pattern)の木綿の風呂敷と、私の大切な京友禅(Kyo-yuzen)の絹の風呂敷が、無理やり固結びで連結され、ピンと張り詰めています。
その下で、息子と娘がクッションを持ち込み、何やらコソコソと会議を開いていました。
これは「ラッピング」ではありません。
彼らが作ったのは、リビング全体を使った巨大な「秘密基地(Secret Base)」、欧米で言うところの「ブランケット・フォート(Blanket Fort)」の風呂敷バージョンだったのです。
「型(Kata)」の呪縛と、私の怒り
私の頭の中で、何かがプツンと切れました。
「もう! 何してるの! 風呂敷は物を包むものでしょ! そんな風に引っ張ったら生地が伸びちゃうじゃない!」
私は慌てて駆け寄り、椅子の脚に結ばれた布を解こうとしました。
私の心の中に、典型的な「日本の教育ママ」が顔を出したのです。
日本文化には**「型(Kata)」**という概念があります。
茶道(Tea Ceremony)でも、華道(Flower Arrangement)でも、武道(Martial Arts)でも、まずは「正しい形」を徹底的に真似て、守ることが求められます。
道具には正しい使い方があり、それを逸脱することは「乱れ」であり「美しくない」とされる。
私は無意識のうちに、子供たちに「正しい風呂敷の使い方」という「型」を押し付けていたのです。
「せっかく教えたのに、全然わかってないじゃない!」
私はイライラしながら、息子が結んだ結び目に指を突っ込みました。
しかし、その結び目は驚くほど固く、私の爪ではびくともしません。
生地が張り詰めているせいで、余計に解けないのです。
「ママー、壊さないでよ! 僕たちの宇宙ステーションなんだから!」
息子が抗議の声を上げます。
「そうよ! ここはバリアなの!」
娘も加勢します。
「バリアじゃないの! これはママの大事な……」
言い返そうとしたその時、私はあることに気がつき、指の動きを止めました。
驚くべき「守・破・離(Shu-Ha-Ri)」
椅子の脚に結びつけられたその結び目。
そして、シルクの風呂敷と木綿の風呂敷を繋いでいるその結び目。
よく見ると、それらは全て、私がさっき教えたばかりの**「本結び(Square knot)」**だったのです。
縦結びではありません。
左右の布の端を、正しい順序(右が上、左が上)で交差させ、美しく平らな結び目を作っています。だからこそ、どんなに強く引っ張っても解けず、大人が乗っても大丈夫なくらい頑丈に連結されていたのです。
私は息を飲みました。
彼らは、私の教えを無視したのではなかったのです。
むしろ、完璧にマスターしていました。
ただ、その「応用先」が、私の想像の範囲(Wrapping a box)を遥かに超えていただけでした。
日本には、芸事の修行の段階を表す**「守・破・離(Shu-Ha-Ri)」**という言葉があります。
- 守(Shu): 師匠の教えを忠実に守る段階。
- 破(Ha): その型を自分なりに崩し、応用する段階。
- 離(Ri): 型から離れ、独自の境地を切り開く段階。
通常、この境地に達するには何十年という修行が必要です。
しかし、子供たちはどうでしょう?
たった30分前に私が教えた「結ぶ技術(守)」を、即座におもちゃ箱の整理という枠から破り(破)、リビング全体を建築物に変えるという独自の遊び(離)へと昇華させてしまったのです。
私が「こうあるべき」という固定観念に縛られて、カリカリしている間に、彼らは風呂敷というツールの本質——「布一枚あれば、世界を自在に変えられる」——を、直感的に理解し、実行していました。
完璧主義の崩壊と、カオスの中の美
私の手から力が抜けました。
椅子の脚の前でしゃがみ込んだまま、私は思わず笑い出してしまいました。
「……負けたわ」
「え? ママ、怒ってない?」
恐る恐る聞いてくる息子に、私は首を横に振りました。
「怒ってないわ。むしろ、びっくりした。あなたたち、すごいわよ。この結び目、完璧だもの」
私が褒めると、二人はパッと顔を輝かせました。
私は改めて、彼らが作り上げた「作品」を見渡しました。
確かに部屋は散らかり放題です。高級な風呂敷がビローンと伸びています。
インテリア雑誌に出てくるような「禅(Zen)スタイルの美しい部屋」とは正反対の、カラフルでカオスな光景です。
でも、そこには不思議なエネルギーがありました。
直線的な家具ばかりの冷たいリビングに、布の曲線が有機的なラインを描き出しています。
朱色や藍色の布が光を透かし、その下で遊ぶ子供たちの頬を柔らかく照らしている様子は、まるで現代アートのインスタレーションのようにも見えました。
私は気づかされました。
私は「日本文化の素晴らしさ」を教えようとして、実は「窮屈なルール」だけを教えようとしていたのかもしれません。
風呂敷の本当の魅力は、「可変性(Versatility)」です。
包むものがスイカでも、一升瓶でも、あるいは「空気」や「空間」であってもいい。
使う人の発想次第で、バッグにもなれば、帽子にもなり、そして宇宙ステーションにもなる。
それこそが、究極の**「ミニマリズム」**ではないでしょうか?
専用のテントも、専用のバッグもいらない。
ただの一枚の布があれば、想像力一つで何にでもなれるのですから。
「ねえママ、ママも入る?」
娘が布の隙間から手招きをしました。
「え? ママも?」
「うん。ここ、狭くて落ち着くよ」
私は少し迷いましたが、エプロンを外し、床に這いつくばって、彼らの「宇宙ステーション」にお邪魔することにしました。
大人の私には少し窮屈ですが、頭上に広がる唐草模様の天井を見上げていると、不思議と懐かしい気持ちになりました。
そういえば、私が子供の頃、母の鏡台からスカーフを盗んで、お姫様のドレスごっこをしたことがありました。あの時の母も、最初は怒っていたけれど、最後には笑って写真を撮ってくれたっけ。
「ママ、狭い!」
「お兄ちゃんが押した!」
「はいはい、静かに。ここは宇宙船なんでしょ? 暴れたら酸素がなくなっちゃうわよ」
薄暗い布の下、子供たちの体温と、畳の匂い、そして少し埃っぽいにおいが混じり合います。
完璧に片付いた部屋よりも、このカオスな空間の方が、今の私にはずっと「豊か」に感じられました。
私たちはよく「丁寧な暮らし」や「完璧な育児」を目指して、自分で自分の首を絞めてしまいます。
でも、風呂敷が教えてくれたのは、**「結び目は、いつでも解ける」**ということです。
失敗しても、形が崩れても、また解いて、結び直せばいい。
一度決めた形に固執する必要なんてないのです。
私の「完璧主義」という固い結び目も、子供たちの無邪気な笑い声と、この布の柔らかさによって、スルリと解けていくような気がしました。
さて、そろそろ夕飯の支度をしなくてはいけませんが……
この「宇宙ステーション」を撤去するには、相当な交渉術が必要になりそうです。
あるいは、今夜はこのまま、布の下でピクニック気分の夕食にするのも、悪くないかもしれませんね。
包んでいたのは「物」ではなく「心」だった。不便さの中に宿る本当の豊かさについて
魔法を解く時間 〜「ほどく」という快感〜
夕暮れ時、部屋の中が茜色に染まる頃、私たちの小さな「宇宙ステーション」も閉館の時間を迎えました。
「えー、まだ遊びたい!」とブーイングする子供たちを、「さあ、魔法を解く時間よ」となだめながら、私たちは撤収作業に入りました。
ここで再び、風呂敷のすごさを実感することになります。
部屋中に張り巡らされた何十個もの結び目。もしこれが普通の紐やビニールテープで固結びされていたら、ハサミで切るしかなかったでしょう。
しかし、子供たちが作ったのは、基本に忠実な**「本結び(Square knot)」**です。
「いい? 片方の端を持って、反対側にグッと倒すの」
私が教えた通りに、息子が結び目の一箇所を引っ張ります。
すると、あれほど強固に家具と家具を繋ぎ止めていた結び目が、「スルリ」と音を立てるように一瞬で解けたのです。
「わあ、気持ちいい!」
結ぶ時の達成感もさることながら、この**「解く(Hodoku / Untying)」**時の快感は格別です。
抵抗なく、流れるように元の布に戻っていく感覚。
それはまるで、今日一日の疲れや、私の心の中にあった「完璧にやらなきゃ」という緊張の糸も、一緒に解いてくれるようでした。
日本文化には「ハレ(Hare = 特別な日)」と「ケ(Ke = 日常)」という概念がありますが、風呂敷はその境界線を自由に行き来します。
立体になって役目を果たし、解けばまた平らな布に戻り、小さく畳まれて日常の引き出しに収まる。
ゴミも出ず、跡も残らず、ただそこにあった空間(Space)だけが静かに戻ってくる。
山のような洗濯物……ではなく、山のような風呂敷を、子供たちと一緒に四角く畳みながら、私は不思議な清々しさを感じていました。
遊び終わった後、プラスチックのおもちゃが散乱しているのを見るのはうんざりしますが、綺麗に畳まれた布が積み重なっていく様子を見るのは、むしろ心が整っていく(Mindfulness)儀式のように感じられたのです。
人生は「箱(Box)」ではなく「風呂敷(Furoshiki)」
今回の騒動を通じて、私はある一つの真理に辿り着いた気がします。
私たちは大人になるにつれて、人生を整理整頓するために「箱」を使いたがります。
「仕事」という箱、「家事」という箱、「育児」という箱。
それぞれにラベルを貼り、中身が混ざらないように管理し、四角四面のルールの中に収めようとします。欧米的な「Categorization(分類)」の考え方は、確かに効率的です。
でも、実際の子育てや人生はどうでしょうか?
子供の成長は予測不能で、ゴツゴツしていて、決まった箱には収まりきりません。
私のキャリアも、主婦としての生活も、時には混ざり合い、形を変え、想定外の方向へ伸びていきます。
それを無理やり硬い箱に押し込めようとするから、私たちは苦しくなるし、はみ出した部分を見て「失敗した」と落ち込んでしまうのです。
「Life is like a Furoshiki.(人生は風呂敷のようなもの)」
そう考えてみたらどうでしょうか。
受け入れる器(布)は、柔軟でいいのです。
中身が丸くても、四角くても、いびつでも、その形に合わせて優しく包み込めばいい。
もし荷物が大きくなりすぎたら、布をもう一枚結び足せばいい(今日の子供たちがやったように!)。
そして、失敗したり、重荷になりすぎたりしたら、一度結び目を解いて、平らに戻して、最初から包み直せばいいのです。
この**「やり直しがきく(Resettable)」**という感覚こそが、今のストレスフルな社会に必要な、和のレジリエンス(回復力)なのかもしれません。
「不便」という贅沢なギフト
今日、私は子供たちにデジタルなガジェットを与えませんでした。
与えたのは、ただの布切れです。
スイッチ一つで動くおもちゃに比べれば、風呂敷は圧倒的に「不便」です。自分で考え、手を動かし、工夫しなければ、ただの布のままですから。
でも、その不便さがあったからこそ、子供たちは「創造力」という筋肉をフル稼働させました。
テープがないから結び方を学び、長さが足りないから連結することを思いついた。
「不便(Inconvenience)」は、決してネガティブなことではなく、「工夫(Ingenuity)」を生み出すための母なる土壌なのです。
夕食のテーブルで、息子が得意げにパパに話していました。
「今日ね、僕、魔法使いになったんだよ!」
その手には、お気に入りのミニカーが、小さなハンカチで(少し歪だけど)一生懸命に包まれて握りしめられていました。
彼はもう、そのミニカーを乱暴に投げたりしません。自分で包んだ大切な宝物だからです。
布一枚で「物を大切にする心(Mottainai)」と「相手を想う心(Omoiyari)」、そして「創造する喜び」を学ぶ。
これほど安上がりで、これほど高尚な教育ツールが他にあるでしょうか?(笑)
あなたのポケットにも、一枚の魔法を
世界中の忙しいお母さん、お父さん。
そして、日本に興味を持ってくれているあなた。
もし、あなたの家が散らかり、子供たちが退屈で叫び出し、日常というカオスに押しつぶされそうになったら。
あるいは、あなた自身が、人生の硬い「箱」の中で息苦しさを感じていたら。
クローゼットの奥から、大きめのスカーフか、余っている布を探してみてください。
そして、ただそれを広げて、目の前のものを包んでみてください。
リンゴ一つでも、本一冊でも、ワインボトルでも構いません。
布の感触を指先で感じ、キュッと結び目を作る。
その瞬間に生まれる、ほんの少しの「余白(Ma)」と「静寂」。
それこそが、日本人が大切にしてきた心のシェルターです。
私のポケットには、今日も風呂敷が入っています。
それは、いつかまた訪れるであろう「嵐」に備えるための武器であり、日常を遊び場に変えるためのチケットであり、そして何より、私自身が柔軟な母親でいるための「お守り」なのです。
さあ、あなたは何を包みますか?
形のない「愛」や「感謝」まで包めてしまうこの魔法の布で。
それでは、また次の記事でお会いしましょう。

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