「完璧」を脱ぎ捨てて、もっと「私」を生きる。日本で見つけた「不完全さ」を愛する暮らしのヒント

完璧じゃなくても大丈夫!「ちゃんとしなきゃ」の呪いと、私が見つけた「心の余裕」

(ここから本文です)

こんにちは!はじめまして。

日本で夫と二人、やんちゃな5歳の息子の育児に奮闘している、ごくごく普通の主婦、Ayaと申します。

このブログに遊びに来てくれて、ありがとうございます!

今これを読んでくださっているあなたは、きっと海外で暮らしていらっしゃるんですよね。

遠い国で、日本に興味を持ってくれたり、あるいは元々日本にいたけれど今は海外で頑張っていたり…いろんな方がいると思います。

海外での生活、いかがですか?

新しい文化、新しい出会い、刺激的で楽しいこともたくさんあると思います。

でも、その一方で、日本とは違う環境での子育てや、言葉の壁、日々の暮らしのセットアップ…「あーもう!私、ちゃんとできてる!?」って、時々不安になったり、息切れしそうになったりしていませんか?

分かります。

「ちゃんと」しなきゃ。

「しっかり」しなきゃ。

この「ちゃんとしなきゃ」の呪い。これ、本当に強力ですよね。

特に、私たち「主婦」とか「お母さん」っていう役割を担っていると、この呪い、そこかしこに現れませんか?

「ちゃんとしたご飯を作らなきゃ」

「部屋はいつもキレイにしとかなきゃ」

「子どもの前では、いつも笑顔でいなきゃ」

私、日本に住んでいるからこそ、この「呪い」の強さを、もう、肌がヒリヒリするくらい感じています。

海外から見ると、「日本」って、どんなイメージでしょう?

やっぱり、「丁寧な暮らし」とか「ミニマリズム」とか「禅(Zen)」とか…すごくキチッとしていて、整然としていて、どこか「完璧」なイメージ、ありませんか?

日本の主婦は、毎朝早く起きて、栄養バランスばっちりの和食の朝ごはんを作って、ピカピカに掃除をして、旦那さんを「いってらっしゃい」と笑顔で送り出して、子どもとはニコニコ優しく遊んで…

あ、ごめんなさい。

もし、そんなイメージを持っていたら、先に謝っておきます。

声を大にして言いたい。

そんなこと、ないです!(笑)

少なくとも、私は違います。

朝はギリギリまで寝ていたいし、朝ごはんはパンとヨーグルトとバナナで「タンパク質とビタミンOK!」ってことにしてるし、掃除機はルンバ先生(お掃除ロボット)に丸投げだし、息子が言うこと聞かなくてイライラして、つい声を荒げちゃうことだって、しょっちゅうです。

つい先日の朝のことです。

息子の幼稚園は、週に3回お弁当持参なんですけど、その日は見事に寝坊しまして。

もう、キャラ弁(キャラクターを模したお弁当)なんて夢のまた夢。

大慌てで冷凍食品の唐揚げと、昨日のおかずの残りのきんぴらごぼうを詰めて、彩りのミニトマトを無理やりねじ込んで。

息子の好きなタコさんウインナーを作ろうとしたら、包丁で切り込みを入れる向きを間違えて、なんか…得体の知れない宇宙生物みたいになっちゃったんです(笑)

もう、そのお弁当箱のフタを閉めるときの、あの敗北感たるや。

「ああ、私ってなんてダメな母親なんだろう」

「他のお母さんたちは、もっと可愛いお弁当、作ってるんだろうな」

インスタを開けば、そこには芸術作品かと思うような、色とりどりのキャラ弁が「#豊かな暮らし」っていうタグと共にあふれてる。

海外のママさんたちだって、手作りのマフィンとか、ヘルシーなランチプレートとか、すごくオシャレにやってるように見えちゃう。

それに比べて、私の「宇宙生物ウインナー弁当」。

…情けなくて、涙が出そうでした。

でもね、その時、ふと思ったんです。

「あれ? 私、誰に謝ってるんだろう?」

「誰の基準で、私を『ダメ』って採点してるんだろう?」って。

息子は、朝「ママ、お弁当ありがとう!」って嬉しそうに持って行った。

(中身が宇宙生物とも知らずに…笑)

夫は、私の淹れたコーヒー(インスタントだけど)を飲んで、「よし、今日も頑張るか」って会社に行った。

私自身は?

…ああ、そうか。

私自身が、一番、私を責めてるんだ。

私自身が、「完璧な主婦」「完璧な母」っていう、どこかの誰かが作った(あるいは、私自身が勝手に作り上げた)幻想に、自分を当てはめようとして、勝手に苦しくなってたんだ。

このブログのテーマは、まさにそこなんです。

今回の記事の元になったフック(英語)が、

「Your Mindful Journey: Embracing Imperfection and Growth」

(あなたのマインドフルな旅:不完全さと成長を受け入れること)

という言葉でした。

そう。

これは「完璧な主婦になる方法」とか「日本式の丁寧な暮らしマスター講座」のブログじゃありません。

私(そして、たぶん、あなたも)が、「ちゃんとしなきゃ」っていう重たい鎧を脱ぎ捨てて、「まあ、いっか」「今日の私はこれでOK!」って、自分の「不完全さ」を笑って受け入れられるようになるまでの、ドタバタした「旅(ジャーニー)」の記録です。

この旅には、明確な「ゴール」はありません。

だって、「完璧」はゴールじゃないから。

「完璧な私」になったら終わり、じゃない。

(そもそも、そんな人いないし!)

むしろ、寝坊した朝も、宇宙生物ウインナーを作っちゃった日も、「ああ、やっちゃった!」って笑いながら、

「でも、まあ、家族みんな元気だし、いっか!」

「次は、ウインナーの足、もうちょっと上手に切れるといいな」

って、ほんの少しだけ「成長(Growth)」できれば、それで花マル。

そんなふうに、劇的な大改革じゃなくて、「小さな一歩(スモールステップ)」を重ねていく。

そして何より、そんなダメダメな自分を責めるんじゃなくて、

「うんうん、今日も頑張ったよね、私」

って、自分に優しくする(セルフコンパッション)こと。

この「起」のパートでは、まず、私たち(特に日本で暮らす主婦)が、どれだけ「完璧さ」という幻想に縛られているか、そして、そこから一歩踏み出すための「小さな心の持ち方」について、私の実体験をベースにお話ししたいと思いました。

海外で頑張るあなたも、きっと、日本とは違う形の「完璧さ」のプレッシャーと戦っているかもしれません。

あるいは、「日本」という国に対して、「完璧」で「丁寧」なイメージを持っているかもしれません。

でも、大丈夫。

日本に住む私も、こんな感じで、毎日ドタバタ、不完全に生きてます(笑)

この長いブログ記事(なにせ、各章3000文字というリクエストですからね!笑。気合入れて書きますよ!)を読み終える頃には、

「なーんだ、完璧じゃなくてもいいんだ」

「日本の主婦も、結構テキトーなんだな(笑)」

って、心がフッと軽くなって、自分の「不完全さ」を、今よりちょっとだけ愛せるようになっているはずです。

さあ、Ayaと一緒に、完璧を目指さない「マインドフルな旅」に、一歩踏み出してみませんか?

なぜ日本人は「完璧」を目指しがちなのか?その文化背景と私の葛藤

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「起」のパートでは、私の壮絶な(?)寝坊弁当事件と、「完璧じゃなくてもいいじゃん!」という、いわば「開き直り宣言」にお付き合いいただき、ありがとうございました(笑)

「うんうん、わかる!」

「宇宙生物ウインナー、私も作ったことある(笑)」

なんて、画面の向こうで頷いてくれた方がいたら、それだけで、私、このブログを始めた甲斐があります。

さて。

そうは言っても、ですよ。

「完璧じゃなくていい」って頭で分かっていても、なかなか、そう簡単には割り切れないのが、人間(特に、主婦)のサガ、ですよね?

「起」でもちょっと触れましたけど、日本に住んでいると、「ちゃんとしなきゃ」の圧力を、本当にひしひしと感じる瞬間が多いんです。

たぶん、これ、海外に住んでいる皆さんも、形は違えど感じることがあるんじゃないかな、と思います。

例えば、現地のママ友コミュニティの中で、「ここの国のやり方」に合わせなきゃ、とか。

あるいは、逆に「日本人なんだから、ちゃんとしてると思われたい」っていう、謎のプレッシャーとか。

でも、日本という国に流れる空気感って、もしかしたら、それらとはまたちょっと違う独特のものかもしれません。

今日は、「承」のパートとして、**「なんで私たち日本人は、こんなに『完璧』を目指しがちなんだろう?」**という疑問を、私なりに、日本での暮らしの実体験から深掘りしてみたいと思います。

そして、その「文化」の中で、私自身がどれだけ葛藤してきたか、という泥臭い話も(笑)

あくまで、私個人の「人生術」的な考察なので、「これが正解!」というものじゃありません。

「へえ、Ayaはそんな風に感じてるんだ」「日本って、そういうところあるかもね」

そんな感じで、お茶でも飲みながら、リラックスして読んでもらえると嬉しいです。

1. 「空気を読む」という名の、見えないルール

まず、日本で暮らしていて一番に感じるのは、「空気を読む」ことの重要性です。

海外でも、もちろんTPO(時と場所、場合)をわきまえることは大事だと思います。

でも、日本の「空気を読む」は、もっと…なんというか、**「言葉にされていない期待に応える」**というニュアンスが、ものすごく強いんです。

例えば、息子の幼稚園。

日本の幼稚園や保育園って、「持ち物への記名」がめちゃくちゃ細かいんですよ!

「お名前スタンプ」とか「お名前シール」が、それはもう、ありとあらゆるサイズで売られているくらい(笑)

服のタグ、帽子、靴下(しかも左右両方!)、カバン、水筒。それはまあ、分かります。

でも、すごいのはここから。

「クレヨン一本一本」「色鉛筆一本一本」「粘土ベラ一本一本」…

なんなら、お弁当に使う「ピック」や「バラン」にまで名前を書け、と言われる園もあるくらい。

もちろん、「自分のものと他人のものを区別するため」という合理的な理由はあります。

でも、その裏には、

「(言われなくても)そこまでやっておくのが、ちゃんとした親」

「(もし名前がなくて迷子になったら)先生に迷惑がかかる」

という、「他者への配慮」と「迷惑をかけないこと」を最優先する、暗黙のルールが息づいているんです。

この「迷惑をかけない」という精神。

これ自体は、日本の素晴らしい美徳の一つだと、私も思います。

電車は静かに乗るし、ゴミはポイ捨てしないし、列にもちゃんと並ぶ。

海外から来た人が「日本はクリーンで安全だ」と言ってくれる理由の一つは、間違いなくこれですよね。

でも、この美徳が、「主婦」や「母親」という役割に適用された瞬間、とたんに牙を剥くんです。

「こんな(レベルの低い)お弁当を持たせたら、子どもが可哀想な思いをする(=周りから浮いてしまう)」

「部屋が散らかっていたら、急にお客さん(例えば、義理のお母さんとか!)が来た時に、恥ずかしい思いをさせてしまう(=夫の顔を潰す)」

「私が疲れた顔をしていたら、家族に気を遣わせてしまう(=迷惑をかける)」

…ね?

全部、矢印が「自分」じゃなくて、「他人」や「世間」に向かっているんです。

「私がどうしたいか」よりも、**「周りからどう見られるか」「誰かに迷惑をかけないか」**が、行動基準の第一位になっちゃってる。

この「他者基準」で生きている限り、「完璧」のゴールは、どんどん高くなっていきます。

だって、「世間」の基準なんて、青天井ですから。

インスタに出てくる「完璧なママ」に合わせようとしたら、そりゃ、息切れしますよね。

私、この「記名地獄」で、一度、本気で心が折れそうになったことがあります。

息子の入園準備の時。

例の「色鉛筆一本一本」に、ちまーっ(小さい)お名前シールをピンセットで貼っていく作業。

夜中の2時。夫は寝てる。息子も寝てる。

私、何やってるんだろう…って。

たかがシール貼り。でも、その「たかが」が、無限にあるように感じられて。

「もう嫌だ!」って、色鉛筆、放り投げたくなりました。

(実際は、小心者なので、そっと置きましたけど)

その時、思ったんです。

「この『完璧』って、誰のため?」

「このシール一枚貼らなかったら、息子の人生、終わる?」

…終わるわけない(笑)

そう思ったら、なんだか急に、バカバカしくなっちゃって。

「よし、今日はもう寝よう。残りは明日。最悪、マジックで手書きでも死にはしない!」

そう決めて布団に入った時の、あの解放感!

「迷惑をかけない」は大事。

でも、「迷惑をかけない『完璧な私』」を演じるために、自分の心をすり減らして、笑顔を失うこと。

それこそが、家族にとって一番の「迷惑」なんじゃないか?

…そんな、小さな「気づき」でした。

2. 「もったいない」と「わびさび」の国なのに…

もう一つ、私が日本文化の中で「完璧さ」と関連して面白いな、と思う矛盾があります。

日本には、「もったいない(Mottainai)」という言葉がありますよね。

モノを大切にする、無駄遣いをしない、という素晴らしい精神。

これは、海外でも環境保全の文脈で注目されたりしています。

さらに、日本の伝統的な美意識には「わびさび(Wabi-Sabi)」というものがあります。

「完璧じゃないもの」「不完全なもの」「朽ちていくもの」の中にこそ、美しさや趣(おもむき)を見出す、という、非常に奥深い考え方です。

ちょっと欠けた茶器とか、古びたお寺の柱とか。

「もったいない」も「わびさび」も、「完璧じゃなくていい」「あるがままを受け入れよう」という、すごくマインドフルな教えだと思うんです。

…なのに! なぜ!!

こと「主婦の暮らし」となると、私たちは急に、この「わびさび」精神を、どっかに置き忘れてきちゃうんでしょうか!?(笑)

冷蔵庫の中は、常に整理整頓されてなきゃダメ?

…いいじゃない、多少、賞味期限ギリギリのものが奥に眠ってても。「もったいない」精神で、今夜、美味しく救出してあげましょうよ。

子どもの服は、いつもキレイな新品じゃなきゃダメ?

…いいじゃない、お下がりでも、ちょっとシミがあっても。「わびさび」ですよ(?)。元気に遊んで汚した勲章です。

料理は、いつも「映え」なきゃダメ?

…いいじゃない、茶色い食卓(=煮物とか、揚げ物とか、美味しいものって大体茶色い説)だって。それが「おふくろの味」ってもんです。

私たち日本人は、本来、「不完全さ」を受け入れたり、「モノ」を工夫して最後まで使い切る「知恵」を持っていたはずなんです。

それなのに、いつの間にか、「新品」「ピカピカ」「完璧」な状態をキープすることばかりに必死になって、自分を追い詰めている。

このギャップに気づいた時、私は、自分の「葛藤」の正体が少し見えた気がしました。

私の葛藤は、「完璧にできない自分」と「完璧じゃなくてもいいと思う自分」の戦い、じゃなかった。

「世間が求める『完璧さ』」と、「日本文化が本来持っている(はずの)『不完全さへの寛容さ』」の間で、シーソーみたいに揺れていたんです。

「ちゃんとしなきゃ」という外圧(=世間)と。

「まあ、いっか」という内なる声(=わびさび精神)と。

このシーソー、どっちに体重をかけたら、私は「私」として、心地よく立っていられるんだろう?

宇宙生物ウインナー事件の朝、私は、無意識に「世間」の側にドスンと体重をかけて、自分で自分を打ちのめしていたんです。

「ああ、ダメな母だ」って。

でも、あのお弁当を「まあ、いっか!」「これも今日の『わびさび』弁当(笑)」って笑い飛ばすことも、できたはずなんです。

(実際、息子は喜んで全部食べて帰ってきました。彼にとっては、ママが作った時点で100点満点だったんです)

「空気を読む」ことも、「わびさび」も、どっちも日本の一部。

どっちが良いとか悪いとかじゃなく、その「両方」があることを知った上で、

「じゃあ、今の私は、どっちを選ぶ?」

と、自分に問いかけること。

それが、私が「完璧」の呪いと戦うために、新しく手に入れた「武器」…というか、「お守り」みたいなものかもしれません。

「承」のパートでは、日本特有の「完璧」プレッシャーの背景にある「空気」と、それとは逆の「わびさび」という価値観、その狭間で揺れ動く私のリアルな葛藤をお話ししてみました。

海外に住む皆さんには、どう映ったでしょうか?

「あー、日本っぽい!」って思ったかもしれないし、「いや、こっち(海外)だって同じだよ!」って思ったかもしれません。

どちらにせよ、大切なのは、その「プレッシャー」の正体を知ること。

そして、それに「飲み込まれない」自分軸を持つこと。

次の「転」のパートでは、この「お守り」を握りしめて、私が実際に日常生活でどんな「小さな革命」を起こしていったのか。

「べき」を手放すための、超・具体的な(そして、たぶん、すごく地味な)お話をしたいと思います。

ぜひ、また遊びに来てくださいね!

「べき」を手放す勇気。家事、育児、私自身—小さな「不完全」革命

(ここから本文です)

「承」のパートでは、私たちが(特に日本で)いかに「完璧」の呪いと、「わびさび(不完全さの美)」という、ある意味“真逆”の価値観の間で揺れているか、というお話をしました。

「世間の目」と「まあ、いっか精神」。

この超強力な磁石に、右へ左へと引っ張られながら、私、本当にフラフラだったんです。

「ちゃんとした主婦」を演じようと背伸びしては、足がつって転んで、自己嫌悪。

かと思えば、「もう知らない!私、何にもしない!」って(心の中で)ふてくされて、罪悪感。

…ああ、我ながら、めんどくさい(笑)

でも、「承」の最後でお話しした「お守り」を手に入れてから。

つまり、「世間の完璧さ」と「私のわびさび精神」、どっちを選ぶかは、今、私が決めていいんだ!

という意識を持ってから。

私は、ささやかだけど、でも私にとっては超・重要な「革命」を、日常生活の中でこっそり(でも大胆に)決行することにしました。

そう、「完璧」の呪いを解くための、**「『べき』を手放す」**という革命です。

大丈夫、安心してください。

「主婦、やめまーす!」とか言って、家出するわけじゃありません(笑)

そんな派手なものじゃない。

むしろ、すっごく地味。

たぶん、家族も、近所の人も、誰も気づいていない。

私だけがニヤリとできる、小さな小さな「反乱」です。

今日は、私が具体的にどんな「べき」を手放して、代わりに何を手に入れたのか。

「家事」「育児」「私自身」という3つの戦線(笑)から、レポートしたいと思います!

1. 《家事戦線》 「手抜き」じゃない、「戦略的休息」だ!

まず、一番手ごわい「家事」という名のラスボスから。

ここには、本当にたくさんの「べき」が潜んでいますよね。

「料理は、毎日、手作りであるべき」

「一汁三菜(スープと、メイン、副菜2品)が理想であるべき」

「掃除は、隅々までピカピカであるべき」

…あー、もう、書いてるだけで息苦しい(笑)

私、以前は、この「べき」に、本当に忠実でした。

仕事で疲れて帰ってくる夫のために、栄養バランスを考えた(つもりの)料理を、息子の「ママー!遊んでー!」攻撃をかわしながら必死で作る。

息子が寝た後、夜中の11時から、リビングに散らかったおもちゃを片付け、食洗機を回し、洗濯物を畳む…。

でも、ある日、プツン、と何かが切れました。

(あれ? 私、誰のために、こんなに頑張ってるんだっけ?)

(夫も息子も、「完璧な家事」より、「笑顔のママ」の方が、100倍嬉しくないか?)

そう気づいた(というか、開き直った)あの日から、私の「家事革命」は始まりました。

革命その①:「火を使わないデー」の制定

まず、週に一度(最初は罪悪感でドキドキしたので「月2回」から)、**「私は一切、火を使いません!」**と宣言する日を作りました。

そう、夕食作りの完全放棄です(笑)

その日の夕食は?

デパ地下のお惣菜だったり、スーパーのパック寿司だったり、最近は美味しい冷凍食品もたくさんありますよね。

ちょっと奮発して、デリバリーを頼む日も。

海外だと、デリバリー文化や、気軽に外食(テイクアウト)する文化が、日本よりずっと根付いている場所も多いんじゃないでしょうか?

日本では、特に「主婦」が夕食にデリバリーやお惣菜を出すと、「手抜き」「サボり」って、自分自身でジャッジしちゃう空気が、まだ、ちょっとあるんです。

でも、私は決めました。

これは「手抜き」じゃない。

これは、**私の「心の余裕」と「笑顔」をチャージするための、「戦略的休息」**なんだ、と!

最初は、「えー、ママ作らないのー?」と言っていた息子も、今や「やった!今日はお寿司!?」と大喜び(笑)

夫も、「お、今日は楽する日だね。じゃあ、俺、お皿洗っとくよ」と、意外な連携プレーが生まれたり。

私が「完璧な夕食」という「べき」を手放したら、家族みんながハッピーになる、という、嬉しい誤算でした。

革命その②:「見えないホコリ」は見ないフリ

掃除に関しても、そうです。

以前は、息子の食べこぼし、おもちゃの散らかり、ソファの下のホコリ…目に入る「汚れ」すべてが、「あなたの主婦失格」という通知表に見えて、気が狂いそうでした。

でも、やめました。

お掃除ロボットの「ルンバ先生」を導入し、彼(彼女?)が掃除できる範囲は、全幅の信頼を寄せてお任せする。

そして、ルンバ先生が入れないような、家具の隙間とか、クローゼットの奥のホコリとか…。

見なかったことにします(笑)

いや、もちろん、大掃除の時にはやりますよ?

でも、日常レベルで、「完璧な清潔さ」を維持するために、自分の時間と精神を削るのは、もうやめました。

「家族が健康に、安全に暮らせる」ラインをギリギリ守れていれば、それでOK!

(宇宙生物ウインナー事件の時も、「死にはしない!」って思いましたよね。あの精神です)

「完璧な清潔さ」よりも、「家族みんなが、リビングでゴロゴロしながら笑える、リラックスした空気」の方が、ずっと大事。

そう思うことにしたんです。

2. 《育児戦線》 「聖母」じゃなくて、「人間」でいこう

次なる戦線は「育児」。

これは、家事以上に、強烈な「べき」が潜む場所です。

「母親は、いつも笑顔で、優しく、忍耐強くあるべき」

「子どもの前で、イライラしたり、怒ったりすべきではない」

「子どもの要求には、可能な限り応えてあげるべき」

ああ、もう、「聖母マリア」にでもなれと?(なれません)

私、息子の「イヤイヤ期」が酷かった時、この「理想の母」像に押しつぶされて、本当に辛かったんです。

言うことを聞かない息子に、わーっ!と怒鳴ってしまって。

そのあと、寝ている息子の顔を見ながら、「私、なんてダメな母親なんだろう」って、毎晩のように泣いていました。

でも、ある時、夫に言われたんです。

「Ayaも人間なんだから、怒る時だってあるよ。そんなに自分を責めるなよ」って。

…そうか。

私、「完璧な母」になろうとしてたけど、息子は「完璧な母」を求めてるんじゃなくて、「ママ」を求めてるだけなんだ。

そこから、私の「育児革命」が始まりました。

革命その③:「ごめん、今ママ疲れた」と正直に言う

息子が「ママ、これ読んで!」「ママ、あれやろう!」と無限に要求してきた時。

以前は、自分の疲れを隠して、「はいはい、いいよ」と無理やり笑顔を作っていました。

でも、今は。

「ごめん、息子くん。ママね、今、HP(体力)がゼロになっちゃったから、10分だけ、あそこのソファで充電させてくれる?」

と、正直に言います(笑)

5歳の息子がどこまで理解しているかは分かりません。

でも、「分かったー」としぶしぶ引き下がる時もあれば、「じゃあ、僕が充電してあげる!」と背中を叩いてくれる時もあります(それはそれで痛いんですけど。笑)。

革命その④:「怒っちゃった後の、正直な謝罪」

そして、これが一番大きかったかもしれません。

イライラして、息子につい強く当たってしまった時。

以前は、「(怒らせるようなことをした)あなた(息子)が悪いのよ!」という態度を貫くか、あるいは、後でこっそり自己嫌悪に陥るか、の二択でした。

でも、今は、違います。

息子が落ち着いたのを見計らって、ちゃんと、目を見て言います。

「さっきは、ママ、大きな声出しちゃってごめんね。〇〇されるのが嫌だったんだけど、あんなに怒る必要はなかったね。ママも、イライラしちゃってた。ごめん」

これをすると、息子も、「僕も、〇〇してごめん」と、つられて謝ってきたりします。

「完璧な聖母」を演じるのは、やめました。

それよりも、**「イライラもするし、失敗もする。でも、ちゃんと『ごめんね』が言える、不完全な『人間』としてのママ」**でいること。

そっちの方が、息子にとっても、「人は間違ってもいいんだ」「間違えたら謝ればいいんだ」っていう、大事な「成長(Growth)」のレッスンになるんじゃないか、と。

「不完全さを受け入れる(Embracing Imperfection)」って、そういうことなのかな、と、息子に教えられた気がします。

3. 《私自身戦線》 「私」の時間を、取り戻せ!

そして、最後の戦線。

「家事」でも「育児」でもない、「私自身」です。

これが、意外と見落としがちな、でも一番大事な場所でした。

「主婦は、母は、自分のことは後回しにすべき」

「家族が優先であるべき」

この「べき」に、私はずっと、無意識に縛られていました。

自分の服を買うくらいなら、息子の服を。

自分が美容院に行く時間があるなら、息子を公園に。

でも、ある時気づきました。

コップの水がカラカラなのに、他人に水を分け与えることはできない、と。

私がイライラしていた根本原因。

それは、家事が大変だからでも、育児が大変だからでもなく、

「私」が、カラカラに乾いていたからなんです。

革命その⑤:「1日15分の『何もしない』時間」の確保

そこで、私が始めた「革命」は、

「1日たった15分でいい。家族のためでも、家事のためでもない、100%『私』のためだけの時間」を、何があっても確保すること。

息子が寝た後、とか。

朝、家族が起きる前の、静かな時間、とか。

その15分は、絶対に家事(洗濯物畳むとか)をしません。

スマホで育児情報を検索したりもしません。

ただ、大好きな香りの紅茶を淹れて、ゆっくり飲む。

好きな音楽を、イヤホンで聴く。

窓を開けて、ぼーっっっ…と、外を眺める。

たった15分。

でも、この「私を最優先する時間」が、乾いたコップに、ほんの一滴、水を注いでくれる。

その一滴が、どれだけ私を救ってくれたか。

革命その⑥:「空気を読ませる」のをやめて、「言葉」で頼る

そして、もう一つ。

「承」で話した「空気を読む」文化。

これを、私、家族に対して、無意識に「強要」していたんです。

「(私がこんなに忙しそうなのに)なんで、夫は気づかないの!?」

「(言わなくても)これくらい、やってよ!」

これ、やめました。

夫は、私とは違う人間。エスパーじゃない(笑)

「ごめん、今、私、ちょっとキャパオーバーだ」

「悪いんだけど、お風呂掃除、今日お願いできる?すごく助かる」

「今、イライラしてるから、ちょっと一人にして(笑)」

自分の「不完全さ(=キャパオーバー)」を認めて、それを「言葉」にして、具体的に「助け(Help)」を求める。

これ、日本人的には、すごく勇気がいることでした。

「迷惑をかけたくない」精神が、邪魔をするから。

でも、勇気を出して言ってみたら、夫は「お、おう。分かった」と、案外あっさり引き受けてくれました(笑)

私が「完璧な主婦」の仮面を脱いで、「不完全な私」として「助けて」と言った時。

夫も、「完璧な夫」である必要がなくなって、ただの「チームメイト」として、手を差し伸べてくれた。

「完璧」を目指していた時より、ずっと風通しの良い関係になれた気がします。


…というわけで、長くなりましたが、これが私の、地味で、ささやかな「不完全」革命の全貌です。

どうでしょう?

「革命」っていう割に、本当に地味ですよね(笑)

「火を使わないデー」とか「15分ぼーっとする」とか。

でも、この小さな一歩(スモールステップ)の積み重ねが、

「ちゃんとしなきゃ」の呪いでガチガチだった私の心を、少しずつ、解きほぐしてくれたんです。

劇的に生活が変わったわけじゃありません。

相変わらず、宇宙生物ウインナーは(たまに)製造するし、イライラして息子に怒鳴っちゃう日もあります。

でも、決定的に変わったことがあります。

それは、そんな「不完全な自分」を、前ほど責めなくなったこと。

「あーあ、やっちゃった。まあ、人間だもの。いっか!」

って、笑って流せる瞬間が、確実に増えたこと。

これこそが、フックにあった「成長(Growth)」なのかな、と、今は思っています。

完璧な「目的地」にたどり着くことじゃなくて、

不完全なまま、転んだり、立ち止まったりしながらも、

「まあ、いっか」って笑って、また一歩、歩き出す。

この「旅(Journey)」そのものを、楽しめるようになってきた。

それが、私の「小さな革命」の、最大の成果です。

さて、いよいよ、この長いブログも次で最後です。

「結」のパートでは、この「不完全さを愛する旅」を続ける、これからの私と、そして、今これを読んでくれている「あなた」へ、私からのメッセージをお届けしたいと思います。

あなたの「不完全さ」こそが宝物。マインドフルな旅は続く

(ここから本文です)

ここまで、本当に、本当に長い道のりにお付き合いいただき、ありがとうございました!

私の「宇宙生物ウインナー事件」という、しょうもない(?)失敗談から始まり(笑)、

「なんで私たち、こんなに『完璧』に縛られてるんだろう?」という日本の文化へのモヤモヤ(承)、

そして、そんな私が「もう、知らん!」と開き直って始めた、地味すぎる「不完全」革命(転)まで。

いやあ、こうして振り返ると、私、この数年で、ずいぶん「図太く」なったものです(笑)

この全4回の長いブログで、私が一番伝えたかったこと。

それは、もう、本当に、最初から最後まで、たった一つです。

「完璧」なんて、目指さなくていい。

「完璧」じゃなくたって、あなたは、もう、そのままで最高に素晴らしいんだよ!

…ということです。

「起」の記事でご紹介した、今回のテーマの核となるフック。

「Your Mindful Journey: Embracing Imperfection and Growth」

(あなたのマインドフルな旅:不完全さと成長を受け入れること)

まさに、これでした。

私が「転」のパートで実行した、たくさんの「小さな革命」。

「火を使わないデー」を制定したり、

「見えないホコリ」を見ないフリしたり、

「ママ、疲れた」って正直に言ったり。

あれらの「革命」を経た結果、私の暮らしが、インスタに出てくるような「完璧で丁寧な暮らし」になったか?

…と聞かれたら、答えは、**断固として「NO!」**です(笑)

相変わらず、朝はギリギリだし。

たぶん、来週あたり、また「宇宙生物」を生み出してしまうかもしれない。

イライラして、息子に「もうー!」って、言っちゃう日も、きっとある。

私は、結局、「完璧な主婦」にも「完璧な母」にも、なれませんでした。

でもね、手に入れたものがあるんです。

それは、「完璧な暮らし」という「目的地(Destination)」なんかじゃなくて。

「あーあ、またやっちゃったよ、私」

「まあ、いっか!人間だもの!」

「次は、もうちょっとマシだといいな(笑)」

って、**失敗した自分、不完全な自分を、笑って許してあげられる「心の余裕」**でした。

これこそが、あのフックが教えてくれた「成長(Growth)」なんじゃないか、と、私は思うんです。

できなかったことが、できるようになる。

それも、もちろん、素晴らしい「成長」です。

でも、それだけじゃない。

できなかった「自分」を、責めるのをやめること。

ダメダメな自分ごと、まるっと「うんうん、今日も頑張ったね」って、抱きしめてあげること。

これって、実は、一番むずかしいけど、一番パワフルな「成長」なんじゃないでしょうか。

この「自分に優しくすること」を、「セルフコンパッション(Self-Compassion)」って言うんですよね。

「他人への思いやり」と同じくらい、いや、それ以上に、「自分への思いやり」って、大事。

私たちは、「主婦」として、「母」として、「妻」として。

毎日、家族のために、たくさんの「思いやり」を配っています。

でも、肝心の「自分」に、配るのを忘れていませんか?

自分のコップがカラカラなのに、誰かに水を注ぎ続けることはできません(「転」でも言いましたね!)。

だから、もし、今。

日本で暮らす私と同じように、あるいは、海外という慣れない土地で、

「ちゃんとしなきゃ」

「私がしっかりしなきゃ」

「ここの国のやり方に、馴染まなきゃ」

って、一人で肩に力を入れて、歯を食いしばって頑張っているあなたがいたら。

もう、その「完璧」っていう、重たい鎧、脱いじゃいませんか?

「一汁三菜」じゃなくて、「一汁一菜(ごはんと味噌汁と、なんか一品)」でも、家族は元気です(笑)

部屋がちょっと散らかっていても、命までは取られません。

いつも笑顔の「聖母」じゃなくて、たまに怒ったり、泣いたりする「人間」のママの方が、子どもは、ずっと安心するかもしれない。

あなたの「不完全さ」は、恥ずかしいものなんかじゃ、決してない。

むしろ、それこそが、あなたの「人間らしさ」であり、あなたの「愛嬌」であり、あなたの「個性」。

誰にも真似できない、世界でたった一つの「宝物」なんです。

このブログは、日本に住む主婦の私、Ayaが、その「宝物」を見つけるまでの、ドタバタした「旅(Journey)」の記録でした。

そして、この「旅」は、もちろん、これからも続きます。

「完璧」っていう目的地がないから、この旅には「終わり」がないんです。

これからも、きっと、たくさん失敗して、落ち込んで、

でも、そのたびに「まあ、いっか!」って立ち上がって。

そうやって、ゆっくり、ゆっくり、私らしい「成長」を続けていくんだと思います。

…さて。

ここまで、私の話に、ずーっと付き合ってくれた、あなた。

今度は、あなたの話を、聞かせてもらえませんか?

このブログのフックにあった、最後の「宿題」です。

「Invite viewers to share their own mindful motherhood breakthroughs and challenges in the comments.」

(あなたの「マインドフルな母としてのブレイクスルー(大きな気づき)」や「チャレンジ(挑戦・葛藤)」を、コメントでシェアしてね!)

そう。

ここは、私(Aya)が一方的に発信する場所じゃなくて、

日本で、あるいは、世界中のいろんな場所で、

同じように「完璧」の呪いと戦いながら、

不完全な自分を愛そうと「旅」を続けている「仲間」が、

集う場所になったらいいな、って、心から願っています。

だから、ぜひ、コメント欄で教えてください。

  • あなたが、最近「まあ、いっか!」と手放した「べき」は何ですか?
  • あなたの国(あるいは、あなたの家庭)ならではの「宇宙生物ウインナー事件」はありますか?(笑)
  • 「完璧じゃなくても大丈夫だ」と思えた、あなたの「小さなブレイクスルー(気づき)」は何でしたか?

もちろん、チャレンジ(葛藤)の真っ最中だ、という声でも、大歓迎です。

「今、こんなことでモヤモヤしてる!」

「Ayaの話の、ここが分からん!」

でも、何でも。

ここで、みんなの「不完全さ」を、安心してシェアし合えたら。

「なーんだ、悩んでるの、私だけじゃなかったんだ」

って、みんなで一緒に、ホッと一息つけたら。

それって、最高に「マインドフル」なことだと思いませんか?

長い長い、私の「旅」の記録を、最後まで読んでくれて、本当にありがとうございました。

あなたの「不完全さ」を、私は、ここ日本から、全力で応援しています!

また、次の「旅」の途中で、お会いしましょうね。

Ayaより、たくさんの愛と「まあ、いっか!」の精神を込めて。

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