砕けた音、それは人生の綻びのように:なぜ私たちは「壊れること」を恐れるのか
日本は今、少しずつ肌寒くなり、温かいお茶が恋しい季節になりました。皆さんの国ではいかがお過ごしですか?
つい先日のことです。私はいつものようにキッチンに立ち、夕食の後片付けをしていました。窓の外からは秋の虫の声が聞こえ、家の中は穏やかな空気に包まれていました。でも、私の頭の中は少し違いました。「明日の子供のお弁当は何にしよう」「来週の地域の集まりの準備をしなきゃ」「そういえば、あの支払いまだだったっけ……」。頭の中はタスクリストでいっぱい。体は動いているけれど、心はどこか上の空。そんな、主婦なら誰にでもあるような瞬間でした。
その時です。
「ガチャンッ!」
乾いた高い音が、静かなキッチンに響き渡りました。
ハッとして手元を見ると、私の大好きな小皿が、シンクの中で無惨にも三つに割れてしまっていたのです。それは、数年前に家族で訪れた古都・金沢の旅行で買った、思い出の九谷焼の皿でした。手描きの繊細な花柄が気に入っていて、特別な日だけでなく、なんでもない日にも大切に使っていたものでした。
「ああ……やってしまった」
その瞬間、胸の奥から湧き上がってきたのは、単なる「お皿を割った」という事実以上の、重たくて暗い感情でした。
「どうして私、もっと注意深く扱わなかったんだろう」「疲れているからって、不注意すぎる」「これ、もう二度と手に入らないのに」。
割れた破片を見つめていると、なんだか自分自身を責める言葉が次から次へと溢れてきたのです。まるで、その割れたお皿が、最近の私の心の状態を映し出しているかのように思えてなりませんでした。
忙しさに追われて余裕がない自分。
家族のためにと頑張っているけれど、どこか空回りしている自分。
昔はもっと輝いていたような気がするのに、今は日々の生活に摩耗して、くすんでしまっているような自分。
割れたお皿のギザギザした断面は、そんな私の「心のひび割れ」そのものでした。
皆さんも、そんな経験はありませんか? お気に入りのマグカップを割ってしまった時、あるいは仕事で小さなミスをした時、子供に感情的に怒ってしまった時。「ああ、私はなんてダメなんだろう」と、自分自身の全てが壊れてしまったような感覚に陥ること。
通常、壊れてしまった食器はどうするでしょうか?
多くの文化圏、そして現代の日本でも、多くの場合は「ゴミ箱行き」です。形あるものはいつか壊れる。壊れたら新しいものを買えばいい。それが消費社会の常識であり、効率的な考え方かもしれません。
私も、ため息をつきながら、割れた破片を集めて新聞紙に包み、ゴミ箱に捨てようとしました。「さようなら、ごめんね」と心の中で呟きながら。
でも、その手がふと止まりました。
「待てよ、捨てなくてもいいんじゃないか?」
私の脳裏に、ある美しい日本の伝統的な光景が浮かんだのです。それが**「金継ぎ(Kintsugi)」**でした。
まだ皆さんは「金継ぎ」という言葉に馴染みがないかもしれませんね。
金継ぎとは、割れたり欠けたりした陶磁器を、漆(うるし)という木の樹液を使って接着し、その継ぎ目を金や銀、プラチナなどの粉で装飾して仕上げる、日本独自の修復技法のことです。
英語では “Golden Joinery” や “Golden Repair” と訳されることが多いようですが、この技法のすごいところは、**「壊れた事実をなかったことにしない」**という点にあります。
普通、何かを修理する時は、その傷跡ができるだけ目立たないように、元通りに見えるように直そうとしますよね? 魔法のように「新品同様」に戻すことが、最高のリペアだと考えられています。
しかし、金継ぎは真逆です。
割れてしまった亀裂(ひび)を、あえて黄金色に輝かせ、目立たせるのです。「ここは一度壊れましたよ」「ここが傷ついていた場所ですよ」と、堂々と主張するかのように。
なぜ、そんなことをするのでしょうか?
それは、**「傷や破損は、その物体が終わってしまった証ではなく、その物体の歴史の一部である」**と捉えるからです。
一度壊れたからこそ、そこに金という新たな命が吹き込まれ、新品の時よりも味わい深く、世界に一つだけの美しい景色(模様)として生まれ変わる。これが金継ぎの精神です。
ゴミ箱の上で手を止めた私は、割れたお皿の破片をそっとテーブルの上に戻しました。
三つに割れてしまったお皿。でも、この断面を繋ぎ合わせ、そこに金を施したらどうなるだろう? きっと、元の花柄とは違う、新しい「川」のような金のラインが生まれ、もっと素敵なお皿になるかもしれない。
そう考えたとき、私の心に深く刺さっていた「自己嫌悪」という棘が、少しだけ抜けたような気がしました。
もし、このお皿と同じように、私たちの「人生」も捉え直すことができたらどうでしょうか?
私たちは大人になるにつれて、たくさんの傷を負います。
失恋、離婚、失業、大切な人との別れ、病気、あるいは日々の人間関係での小さな擦り傷。
海外で暮らす皆さんなら、言葉の壁や文化の違いにぶつかって、孤独を感じたり、自信を失ったりした経験もあるかもしれません。「昔の自分はもっと強かったのに」「こんなはずじゃなかった」と、自分の人生に入った「ひび割れ」を隠そうとしたり、恥じたりしていませんか?
「私はもう壊れてしまったから、価値がない」
「傷ついた心は、元には戻らない」
そう思って、自分の心の傷を、見えないようにファンデーションで厚塗りしたり、心の奥底のゴミ箱に捨てようとしたりしていないでしょうか。
でも、日本の金継ぎの職人たちは教えてくれます。
「壊れたものは、捨てるものではない。直して、もっと愛すべきものだ」と。
私がこのブログシリーズでお伝えしたいのは、まさにこのことです。
この金継ぎという哲学は、単なる陶器の直し方ではありません。これは、**「Re-birth(再生)」の物語であり、「Self-Love(自己愛)」**への具体的なアプローチなのです。
私たちが抱える心の傷、過去の失敗、コンプレックス。それらを「隠すべき恥」として扱うのではなく、「金粉」をまぶして、あなたという人間を形作るユニークな「景色」として輝かせること。
「あの時の辛い経験があったからこそ、今の優しくて強い私がいる」
そう思えるようになった時、私たちは初めて、本当の意味で自分自身を受け入れることができるのかもしれません。
このブログでは、私が実際に金継ぎを学び、実践する中で気づいたこと、そしてそれを日々の生活やメンタルケアにどう応用しているかをお話ししていきます。
実際に漆を使ってお皿を直すプロセスは、驚くほど人間の心の回復プロセスと似ています。
すぐにくっつくわけではありません。時間がかかります。湿度や温度の管理も必要です。焦って触るとかぶれてしまうこともあります。
でも、じっくりと時間をかけて直した器は、驚くほど強く、そして息を呑むほど美しくなります。
これから始まる「金継ぎな生き方」の旅。
まずは、皆さんの手元にある、あるいは心の中にある「壊れてしまったもの」を、優しく見つめ直すところから始めてみませんか?
「ああ、割れてしまった」と嘆くのではなく、「さて、ここをどうやって金で飾ろうか」とワクワクするような視点の転換。
それはきっと、海外で頑張る皆さんの心を軽くし、明日からの景色を少しだけキラキラと輝かせてくれるはずです。
私が割ってしまったあの大切なお皿が、その後どうなったのか。そして、そこから私が学んだ「待つこと」や「不完全さを受け入れること」の大切さについて、次回の記事でじっくりとお話しします。
金継ぎの歴史や、具体的な技法に込められた日本人の精神性についても触れていきますね。
さあ、割れた破片を捨てずに、拾い上げてください。
そこには、まだ見ぬ美しい物語の続きが隠されているのですから。
金継ぎの技法と歴史:傷を隠さず、あえて「金」で飾るという意味
割れてしまった九谷焼のお皿を前に、私は「金継ぎセット」をネットで注文しました。
最近は日本でもブームになっていて、初心者向けのキットが手軽に手に入るんです。数日後、届いた箱を開けると、そこにはチューブ入りの漆(うるし)、小麦粉、木のへら、そしてキラキラと輝く金粉が入っていました。
「えっ、小麦粉?」
そうなんです。驚かれるかもしれませんが、金継ぎの接着剤は、漆と小麦粉と水を練り合わせて作るんです。「麦漆(むぎうるし)」と呼ばれるこの天然の接着剤は、何百年も前から使われてきた、いわば先人たちの知恵の結晶。化学接着剤のツンとする匂いはなく、どこか懐かしい、土や森のような香りがします。
さて、ここからが「金継ぎ」の本当の旅の始まりです。そしてこの旅は、私が想像していたよりもずっと長く、根気のいるものでした。
将軍の茶碗と「景色」の発見
作業の手順をお話しする前に、少しだけ時計の針を巻き戻させてください。そもそも、なぜ日本人は「割れたものを金で飾ろう」なんて思いついたのでしょうか?
この起源には諸説ありますが、有名なエピソードが室町時代にあります。当時の将軍、足利義政(あしかがよしまさ)が、大切にしていた中国製の茶碗を割ってしまったそうです。彼はどうしてもそれを直したくて、中国に送り返して修理を頼みました。
数ヶ月後、戻ってきた茶碗を見て、将軍はがっかりしました。そこには、割れ目を止めるための大きな金属の鎹(かすがい/ホッチキスの針のようなもの)がバシバシと打ち込まれていたからです。確かにくっついてはいるけれど、美しくない。「これではお茶を楽しめない」と。
そこで、日本の職人たちが立ち上がりました。「もっと美しく、器の品格を損なわずに直す方法はないか」と試行錯誤の末に生まれたのが、漆で接着し、その継ぎ目を金粉で装飾する技法だったと言われています。
彼らは、割れ目を「隠すべき欠点」とするのではなく、あえて金で目立たせることで、まるで雷光や川の流れのような「新しい模様」に変えてしまったのです。これを茶道の世界では「景色」と呼びます。
「新品の時よりも、割れて直した後の方が美しい」
この逆転の発想こそが、金継ぎの真髄であり、日本独自の美意識「侘び寂び(Wabi-Sabi)」の精神です。不完全なもの、移ろいゆくものの中にこそ、本当の美しさがあるという考え方ですね。
海外で生活していると、時々「完璧であること」を求められているような気がして、息苦しくなることはありませんか?
家の芝生はいつも綺麗に刈り揃えられていなければならない、パーティーでは完璧なホステスでなければならない、いつも笑顔で幸せそうでなければならない……。
でも、金継ぎの歴史を知ると、ふと肩の力が抜ける気がします。「完璧じゃなくてもいい、むしろ傷があるからこそ、そこに物語が生まれるんだ」と、何百年も前の将軍や職人たちが背中を押してくれているような気がするのです。
待つことの美学:漆は「乾く」のではなく「固まる」
さて、話を現代の私のキッチンに戻しましょう。
割れたお皿の破片に、練り合わせた「麦漆」を塗り、パズルのように組み合わせます。ずれないようにマスキングテープで固定して、「よし、これで乾くのを待てばいいのね」と私は思いました。ドライヤーでも当てれば、数時間で乾くだろうと。
ところが、説明書を読んで愕然としました。
「漆が固まるまで、湿度70〜80%、温度20〜25度の場所(ムロ)に置き、最低でも1週間、長ければ数週間待ちます」
えっ、1週間? ドライヤーは厳禁?
そう、ここが金継ぎの最も難しく、そして最も哲学的なポイントです。
漆というのは不思議な素材で、空気中の水分を取り込んで化学反応を起こし、硬化するんです。乾燥させて水分を飛ばすのではなく、逆に湿気を与えてあげないと固まらない。しかも、急激に固めると縮んでしまうので、ゆっくり、ゆっくり時間をかけなければなりません。
私はダンボール箱の中に濡れタオルを入れ、即席の「ムロ(保管庫)」を作り、そこにお皿を安置しました。
毎日、タオルの湿り具合を確認し、「まだかな、まだかな」と箱の中を覗き込む日々。見た目は昨日と変わらない。くっついているのかどうかもわからない。
現代社会は「時短」「即日配送」「インスタント」が当たり前です。私もせっかちな性格なので、最初はイライラしました。「早く次の工程に進みたいのに!」「結果がすぐに見たいのに!」と。
でも、箱の中の静かなお皿を見ているうちに、ふと思ったのです。
「これって、人の心の回復と同じじゃない?」
心に深い傷を負った時、私たちはつい「早く元気にならなきゃ」「いつまでも落ち込んでいちゃダメだ」と自分を急かしてしまいがちです。周りの人も「時間が解決してくれるよ(だから早く忘れて)」と励ましてくれるかもしれません。
でも、本当の回復には、ただ時間が過ぎればいいというわけではありません。
漆に「適切な湿度と温度」が必要なように、傷ついた心にも「適切な環境」と「守られた空間」が必要なのです。無理やりドライヤーの熱風(=焦りやプレッシャー)を当てても、傷口は綺麗に塞がりません。むしろ、表面だけ乾いて、中はドロドロのまま……なんてことになりかねない。
暗くて湿った箱の中で、じっと固まるのを待つ時間。
それは一見、何も起きていない停滞した時間に見えるけれど、目に見えないミクロの世界では、漆の分子が手を取り合い、強固な結合を作っている真っ最中なのです。
人間も同じ。何もできないほど落ち込んで、部屋に引きこもっているような時こそ、心は必死に自分を修復しようと働いているのかもしれません。
そう気づいてからは、「待つこと」が少しだけ苦ではなくなりました。
「今はムロに入っている時期なんだ」「ゆっくりでいい、しっかりくっつくまで待とう」。そう自分に言い聞かせることができるようになったのです。
傷をなぞる、金を蒔く
数週間後、ようやく漆が固まりました。
はみ出した漆をカッターで削り、欠けて足りない部分を「錆漆(さびうるし)」というペーストで埋め、また乾かし、研磨して平らにする。この地道な工程を何度も繰り返します。
指先で継ぎ目を触り、目を閉じて確認します。段差がないか、滑らかか。まるでお皿の傷跡を愛おしむかのように、丁寧に、丁寧に。
そしていよいよ、最後の仕上げです。
継ぎ目の上に、薄く赤い漆を塗り、その漆が乾ききらないうちに、筆で金粉を優しく掃きかけていきます(これを「蒔絵(まきえ)」と言います)。
ふわっ。
金粉が舞い、黒っぽい漆の線の上に乗った瞬間。
劇的な変化が起きました。
それまで痛々しい「傷跡」に見えていた黒い線が、一瞬にして、光り輝く「金の川」に変わったのです。
お皿の白い肌に走る、鮮烈なゴールドのライン。それは、まるで最初からそのデザインであったかのように、いや、最初よりもずっとドラマチックで、高貴な輝きを放っていました。
「うわぁ……」
一人きりのキッチンで、思わず声が漏れました。
隠したかった傷。
失敗の証拠。
見るたびにチクリと心が痛んだあの割れ目が、今、このお皿の中で一番の見せ場(ハイライト)になっている。
金継ぎは、傷をなかったことにする魔法ではありませんでした。
傷を「隠す」のでもなく、「元の状態に戻す」のでもありません。
**「傷を受け入れ、それを新しい歴史として刻み込み、以前よりも強い姿に生まれ変わらせる」**儀式だったのです。
私は、金粉で彩られたそのラインを見つめながら、自分の過去の傷跡を重ね合わせずにはいられませんでした。
海外生活で味わった挫折、言葉が通じなくて悔し涙を流した日、孤独感に押しつぶされそうになった夜。それらはすべて、私という人間の「ひび割れ」でした。
でも、もしこのお皿のように、そのひび割れを「黄金」で飾ることができたなら?
あの日流した涙が、今の私の優しさを作っているとしたら?
あの時の失敗が、誰かを励ますための言葉(金粉)になるとしたら?
そう考えた瞬間、過去の苦い記憶たちが、少し違った色を帯びて見え始めました。
金継ぎというプロセスを通じて、私は単にお皿を直していたのではなく、自分自身の過去との向き合い方を学んでいたのかもしれません。
しかし、ここで一つ疑問が湧きます。
「お皿は金粉で飾ればいいけれど、私たちの心の傷にとっての『金粉』とは一体何なのだろう?」
「どうすれば、ただの『トラウマ』を『輝く景色』に変えることができるのだろう?」
次回の「転」では、いよいよこの問いに対する答えを、私なりの実体験を交えてお話ししたいと思います。心の傷を強さに変えるための、具体的な「金の見つけ方」について。
心の傷を金で継ぐ:過去の失敗や悲しみが、あなただけの最強の武器になる
お皿の継ぎ目に金粉が舞い落ち、美しい「黄金の川」が生まれた瞬間。私はキッチンで立ち尽くし、自分自身に問いかけました。
「お皿にとっての金粉は『本物の金(Gold)』だけれど、私の心にとって、傷を輝かせるための『金』とは一体何なのだろう?」
まさか、宝石を買うことでも、宝くじに当たることでもないはずです。
傷ついた心を隠すのではなく、むしろ誇らしく見せるための「何か」。
私が金継ぎを通して辿り着いた答え。それは、**「意味づけ(Meaning)」と「物語(Story)」**でした。
「なぜ私だけが」という問いから、「この経験が何を教えてくれるか」へ
海外での生活、あるいは日本での生活でも、私たちは理不尽なトラブルや深い悲しみに遭遇します。
「なんで私がこんな目に遭わなきゃいけないの?」
「私が何をしたっていうの?」
心が折れた時、私たちは被害者としての問いを天に投げかけがちです。これは、金継ぎで言えば、割れた破片を前に呆然としているだけの状態です。
しかし、金継ぎの職人はこう考えます。「この割れ方はユニークだ。ここをどう繋げば、一番かっこよくなるだろう?」と。
私たちも同じです。起きてしまった悲しい出来事(割れ)そのものは変えられません。でも、その出来事に「どういう意味を持たせるか(どう金を蒔くか)」は、私たち自身が決めることができるのです。
心理学用語で「レジリエンス(回復力)」という言葉がありますが、金継ぎ的思考はまさにこれです。
ただ元に戻るのではなく、「この辛い経験があったからこそ、私は人の痛みがわかるようになった」「あの失敗があったから、今の仕事に出会えた」というふうに、過去の事実に対して、肯定的な「意味」という名の金粉を振りかけるのです。
私の実体験:キャリアの断絶という「粉々」の時代
少し恥ずかしいですが、私自身の「粉々になった」経験をお話しさせてください。
私は結婚する前、東京でバリバリのキャリアウーマンとして働いていました。仕事が生きがいで、プロジェクトの成功こそが自分の価値だと思っていました。
しかし、夫の転勤に伴い、ある地方都市へ引っ越すことになりました(海外の皆さんなら、国を跨ぐ移動を経験されていますよね。その喪失感はもっと大きいかもしれません)。
仕事を手放し、友人もいない土地での生活。
「〇〇さんの奥さん」「〇〇ちゃんのお母さん」と呼ばれる毎日。
私という個人の名前が消えてしまったような感覚。
ある日、鏡に映る疲れた自分を見て、「私の人生、これで終わっちゃったのかな」と本気で思いました。キャリアという一枚の大皿が、ガシャンと音を立てて粉々になった瞬間でした。
数年間、私はその破片を隠そうとしていました。「私はただの主婦じゃないのよ」と虚勢を張ったり、昔の栄光にしがみついたり。それはまるで、割れたお皿をセロハンテープで無理やりくっつけて、見栄え悪く使っているようなものでした。水漏れはするし、すぐにまた外れてしまう。
でも、ある時、地域のボランティア活動に参加したことが転機になりました。
そこで出会ったのは、肩書きや経歴なんて関係なく、ただ「目の前の人を笑顔にしたい」と活動するおばあちゃんたちでした。彼女たちの手はシワだらけでしたが、とても温かかった。
私はそこで、かつて培った事務処理能力やPCスキルを使って、活動のチラシを作ってあげました。すると、彼女たちは涙を流して喜んでくれたのです。
「あなたがいてくれて助かったわ、ありがとう」
その言葉を聞いた時、私の中で何かがカチリと繋がりました。
「ああ、私のキャリアは無駄になって捨てられたんじゃなかった。この瞬間のために、一度壊れて、形を変える必要があったんだ」
かつての「競争のためのスキル」が、「誰かを助けるためのスキル」へと生まれ変わった瞬間。
それが、私にとっての「蒔絵(まきえ)」の瞬間でした。
キャリアの断絶という深い傷(亀裂)に、「貢献」という名の金粉が撒かれ、私の人生に新しい、美しいラインが走ったのです。
もし、私が順風満帆に東京で働き続けていたら、この温かい喜びや、地域の人との繋がり(Wabi-Sabiのような滋味深い人間関係)を知ることは一生なかったでしょう。
「あの挫折があったから、今の幸せがある」
そう心から思えた時、過去の傷はトラウマではなく、私の人生を彩るチャームポイントに変わりました。
あなたの「金」を見つけるための3つのステップ
では、具体的にどうすれば、皆さんの心の傷に金を継ぐことができるのでしょうか? 私が実践している「メンタル金継ぎ」の3ステップをご紹介します。
1. 傷のクリーニング(Ara-nuri):感情を認め、浄化する
金継ぎでは、まず割れた断面の汚れをきれいに落とします。
心も同じです。「私は傷ついていない」「平気よ」と強がるのはやめましょう。まずは「悲しい」「悔しい」「寂しい」という感情を素直に認め、涙と共に洗い流してください。日記に書き殴るのもいいでしょう。
「私は今、割れているんだ」と認めること。これが全てのスタートです。
2. 漆の硬化を待つ(Muro):何もしない時間を許す
前回のパートでお話しした「ムロ」の時間です。
焦ってすぐに立ち直ろうとしないでください。
「今日は一日パジャマで過ごす」「家事は最低限にしてNetflixを見る」「子供を預けて一人でカフェに行く」。
そんな「生産性のない時間」を、罪悪感なしに自分に与えてあげてください。それはサボっているのではなく、心の接着剤(漆)が固まるのを待っている、神聖な時間なのです。
海外生活では、言葉の壁などで外に出るのが怖い日もあるでしょう。そんな日は、お家という「ムロ」の中で、じっと自分を守ってあげればいいのです。
3. 金粉を蒔く(Maki-e):物語を書き換える
傷が癒えてきたら、最後に「意味」を与えます。
「この経験から私は何を学んだ?」
「この痛みを知ったことで、誰に優しくなれる?」
そして、もし可能なら、その経験を誰かに話してみてください(ブログでも、友人でも)。
「実は私、こんな失敗をしちゃってね……」と笑って話せた時、あるいは誰かの悩みに「わかるよ、私もそうだったから」と共感できた時。その瞬間、あなたの傷は誰かを救う「光」になります。
自分の傷が誰かの役に立つ。これこそが、最高純度の「黄金」なのです。
不完全こそが、最強のオリジナリティ
世界には何億枚というお皿がありますが、金継ぎされたお皿は、世界に一枚しかありません。
割れ方が同じお皿は、二つとして存在しないからです。
人間もそうです。
SNSを見れば、キラキラした「完璧に見える人生」を送っている人で溢れています。
でも、傷一つない、ピカピカの既製品のような人生に、本当に深い魅力があるでしょうか?
私はこう思います。
何度も転んで、膝を擦りむいて、それでも立ち上がってきた人。
裏切られたり、失望したりしたけれど、それでも人を信じることを選んだ人。
そんな「継ぎ接ぎだらけ」の心を持っている人の方が、人間として奥行きがあり、話していて面白いし、何より美しいと。
海外で暮らす皆さんは、きっと日本にいる時よりも多くの「想定外」や「理不尽」に直面し、細かい傷をたくさん負っているはずです。
言葉が通じないもどかしさ、文化の違いによる摩擦、望郷の念。
それら一つ一つが、あなたの心に入った「ひび割れ」です。
でも、どうかそのひび割れを恥じないでください。
そのひび割れは、あなたが「挑戦した証」であり、「異文化という荒波の中を生き抜いている勲章」なのです。
その傷に、どんな色の金を蒔くか。
それは、これからのあなたの生き方次第です。
過去の苦労話を「愚痴」として語れば、それはただの古傷のままですが、「笑い話」や「教訓」として語れば、それは黄金の輝きを放ち、周囲の人を照らすランタンになります。
さて、お皿も直り、心持ちも変わった私ですが、最後に一つだけお伝えしなければならないことがあります。
それは、「金継ぎした器は、もう元の使い方はできない」ということです。
電子レンジには入れられないし、食洗機も使えません。扱いには少し手間がかかります。
でも、だからこそ、以前よりももっと「大切に」扱うようになるのです。
これは、一度傷ついて回復した私たちの心も同じではないでしょうか?
元通りにタフに戻るわけではない。むしろ、少し繊細になるかもしれない。
でも、その繊細さをどう愛するか。
次回の最終回「結」では、金継ぎな生き方を取り入れた後の、私の日常の変化と、これからを生きる皆さんへの最後のエール(具体的な小さなアクションプラン)をお届けします。
不完全な自分を、最高に愛おしく思うためのラストメッセージです。
不完全であることの美学:金継ぎな生き方で、自分自身をもっと愛そう
長い時間をかけて、ようやく私のお皿の修復が終わりました。
漆の深い黒と、その上を流れる鮮やかな金のライン。手に取ると、割れる前よりも少しだけ重みを感じます。それは、漆の重さというよりは、そこに積み重なった「時間」と「想い」の重さなのかもしれません。
前回の最後で、私は少し意味深なことを言いましたね。
「金継ぎした器は、もう電子レンジや食洗機には入れられない」と。
実は、これこそが金継ぎが教えてくれる、最後の、そして最も大切なレッスンなのです。
不便さが教えてくれる「丁寧な暮らし」へのシフト
現代の私たちは、とにかく「効率」と「スピード」を求められます。
スイッチ一つで温められる電子レンジ、放り込めばきれいになる食洗機。それは確かに便利で、忙しい私たちの味方です。私もそれらなしの生活なんて考えられません。
でも、金継ぎされた器は、そのスピード感にはついていけません。漆は高温に弱く、金粉は強く擦ると剥げてしまうからです。
では、直したお皿は「使いにくい、ダメな器」になってしまったのでしょうか?
いいえ、逆です。
私はこのお皿を使う時、必然的に「立ち止まる」ことになりました。
冷めたおかずを電子レンジでチンするのではなく、小鍋で温め直してから、そっとこのお皿に盛り付ける。
食べ終わった後は、他の食器とガチャガチャ混ぜて食洗機に入れるのではなく、柔らかいスポンジを使って、ぬるま湯で手洗いし、すぐに布巾で水気を拭き取る。
一見、とても面倒くさいですよね。
でも、不思議なことに、この「手間」をかけている時間、私の心はとても穏やかなんです。
お皿を両手で包み込むように持つ感触。
「今日も一日ありがとう」と思いながら拭き上げる動作。
その一つ一つが、慌ただしい日常の中に「余白」を作ってくれるようになりました。
これは、一度壊れて回復した私たちの「心」の扱い方にも通じます。
大きな挫折や悲しみを経験した後の心は、以前ほど「タフ」ではないかもしれません。徹夜ができなくなったり、きつい言葉に敏感になったり、人混みが苦手になったりするかもしれません。
「昔の私はもっとバリバリ動けたのに、今の私は弱くなってしまった(電子レンジも使えないなんて!)」と嘆くこともできます。
でも、こう考えることもできませんか?
**「私は、より丁寧に扱われるべき存在になったのだ」**と。
傷ついた経験があるからこそ、自分自身を乱暴に扱うのをやめ、優しくケアするようになった。
人の痛みがわかるからこそ、相手の心も「金継ぎされた器」のように大切に扱えるようになった。
その「繊細さ」は、弱さではなく、人としての「深み」であり「品格」です。
金継ぎされたお皿が、量産品の新品よりも高価で尊いとされる理由は、まさにそこにあるのです。
「Wabi-Sabi(侘び寂び)」:シワも白髪も、私の景色
日本には古くから「侘び寂び(Wabi-Sabi)」という美意識があります。
これは、古びたもの、欠けたもの、寂れたものの中に奥深い美しさを見出す心です。
満開の桜も美しいけれど、散りゆく桜も美しい。
ピカピカの新築の家もいいけれど、年月を経て柱が飴色になった古民家も美しい。
この感覚、海外に長く住んでいると、懐かしく、そして誇らしく思いませんか?
西洋的な美の基準は、しばしば「若さ」「対称性」「完璧さ」に重きを置きます。アンチエイジングでシワを消し、左右対称の完璧な顔立ちを目指す。
でも、日本の金継ぎ哲学は言います。
「そのシワ、消さなくていいよ。それはあなたがたくさん笑ってきた歴史(景色)だから」
「その白髪、隠さなくていいよ。それはあなたが懸命に生きてきた証(プラチナ)だから」
私たちは皆、生きている限り、少しずつ摩耗し、欠け、ひび割れていきます。
それは劣化(Deterioration)ではなく、熟成(Maturation)です。
金継ぎのお皿のように、私たちも歳を重ねるごとに、傷跡という「金」を身にまとい、若い頃には出せなかった味わい深いオーラを放つことができるはずです。
「私はもう若くないから」「完璧な妻・母じゃないから」
そんなふうに自分を卑下するのは、もう終わりにしましょう。
不完全であること。それこそが、あなたが人間らしく、美しく生きている証拠なのですから。
明日から始めよう!「金継ぎな生き方」実践編
さて、概念的な話はこれくらいにして、最後に皆さんが明日からすぐに始められる、「金継ぎな生き方(Self-Love Action)」を3つ提案させてください。
漆や金粉を買う必要はありません。心の持ち方一つでできることです。
① 「すみません」を「ありがとう」に金継ぎする
私たち日本人は、つい口癖のように「すみません」と言ってしまいますよね。
何かを頼んだ時、助けてもらった時、「ごめんなさい、迷惑かけて」と謝ってしまう。これは、自分を「欠けた存在(迷惑な存在)」として扱っている言葉です。
明日からは、そのひび割れを金で継いでください。
「手伝ってくれて、ありがとう」
「あなたがいてくれて、嬉しい」
謝罪を感謝に変換するだけで、あなたと相手の間に流れる空気が、黒い亀裂から黄金の川へと変わります。自分の弱さをさらけ出し、助けを受け入れることは、相手への信頼(金粉)の証です。
② 一日5分の「自分メンテナンス(丁寧洗い)」の時間を持つ
金継ぎの器を手洗いするように、自分自身を丁寧に扱う時間を一日の中に作ってください。
例えば、お風呂上がりに自分の体にクリームを塗る時。「疲れてるな、私」と適当に塗るのではなく、「今日も頑張って動いてくれてありがとう」と、自分の手足をいたわりながら触れる。
あるいは、お気に入りの高い紅茶を、自分一人のために淹れる。
「壊れやすい大切な器」を扱うように、自分を扱ってください。あなたが自分を大切に扱えば、周りの人もあなたを大切に扱うようになります。
③ 自分の傷(失敗談)を、笑い話に変える
過去の失敗や恥ずかしい経験を、隠さずに話してみましょう。もちろん、信頼できる相手にで構いません。
「私なんて、英語の言い間違いでこんな恥かいたことあってさ〜(笑)」
そうやって明るく話せた時、その傷は完全に癒え、誰かを和ませる「エンターテインメント(金)」に昇華されています。
あなたの「不完全さ」をオープンにすることは、周りの人への「あなたも完璧じゃなくていいんだよ」という許可証になります。それは、孤独を感じやすい海外生活において、最強のコミュニティ作りになります。
最後に:割れた場所から、光が差す
有名な歌手、レナード・コーエンの曲にこんな歌詞があります。
“There is a crack in everything. That’s how the light gets in.”
(すべてのものには亀裂がある。そこから光が射し込むのだ)
私がお皿を割ったあの日、キッチンに響いた不吉な音は、今思えば、新しい人生観への扉が開く音でした。
あのお皿は今、食器棚の奥ではなく、リビングの一番目立つ場所に飾ってあります(時々は、特別な来客の時にお菓子を乗せて使います)。
それを見るたびに、私は自分に言い聞かせます。
「壊れても大丈夫。直せばもっと良くなる」
海外で暮らす皆さん。
今日も、慣れない環境で、言葉の壁の前で、あるいは終わりのない家事の中で、心がポキッと音を立てることがあるかもしれません。
でも、どうか絶望しないでください。
その破片を拾い上げてください。
あなたには、それを繋ぎ合わせる力があります。
そして、その傷跡を黄金に変える魔法を持っています。
日本という遠い故郷から、この「金継ぎ」の知恵が、皆さんの心の海を渡り、温かいエールとなって届くことを願っています。
あなたの人生という器が、たくさんの傷(金)で彩られ、世界で一番美しい景色を描きますように。
それでは、また次回のブログでお会いしましょう。
日本より、愛と漆の香りを込めて。

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