毎日バタバタ!それ、もしかして心に「江戸」が足りないかも?
やっほー! 〇〇(読者が住む国や地域を想像して)での暮らし、どう? 日本はすっかり秋も深まって、朝晩はちょっと肌寒いくらい。こっちはこっちで、子供の学校行事だの、町内会の集まりだの、なんだかんだ毎日バタバタと駆け抜けてるよ(笑)。
海外で、日本とは違う文化や言葉の中で、子育てして、家事もこなして…。もう、それだけで本当にすごいこと! 毎日、本当にお疲れ様!
私もね、昔ちょっとだけ海外に住んでたことがあるんだけど、あの頃を思い出すと、楽しかったのと同じくらい、「キリキリ」してた自分も思い出すんだよね。
スーパーに行けば、商品の量がもうケタ違い。「こんなに大容量、使い切れるか!」って思いながらも、周りのみんなはカートに山盛り。選ぶだけで一苦労。かと思えば、日本の「あの」繊細な味付けの調味料が手に入らなくて、キーッてなったり。
子育てもそう。現地のママ友の「子育て論」が、私の「常識」と全然違って。「え、そんなに小さい時から一人で寝かせるの!?」とか、「お弁当、そんなカラフルじゃなくていいの!?」とか。どっちが正しいとかじゃないんだけど、自分の「当たり前」がガラガラ崩れる感覚。
そういう「小さなズレ」が毎日積み重なっていくと、知らず知らずのうちに、心が「戦闘モード」みたいになっていかない? 「ちゃんとしなきゃ」「周りに合わせなきゃ」「でも、私は私だし…」って、常に肩に力が入ってる感じ。
もちろん、今は日本に住んでる私も、ストレスフリーかって言われたら全然そんなことなくて(笑)。
この前、まさにそれを痛感した出来事があったの。
きっかけは、クローゼットの断捨離。もうね、開けた瞬間、雪崩が起きるかと思った(笑)。
「いつか着るかも」って取っておいた、ちょっと流行遅れの服。
「痩せたら着る」って誓った、サイズがキツいデニム。
「高かったから」っていう理由だけで、一度も袖を通してないワンピース。
SNSでインフルエンサーが着てるのを見て、「これだ!」って飛びついて買ったけど、絶望的に私に似合わなかったカラフルなニット…。
もう、出るわ出るわ。「過去への執着」と「未来への不安(痩せるかどうかの)」、そして「他人への憧れ」のオンパレード(笑)。
ゴミ袋にパンパンに詰め込みながら、ふと手が止まったの。
「私、モノはこんなに持ってるのに、なんでこんなに心が忙しいんだろう?」
「これだけ『選んで』買ってきたはずなのに、なんでこんなに満たされないんだろう?」って。
モノだけじゃないよね。
スマホを開けば、洪水みたいに流れてくる情報。
「〇〇式・子育て術」「今すぐやるべき資産運用」「丁寧な暮らしのVlog」。
キラキラした誰かの日常と、自分のバタバタな現実を比べて、勝手に落ち込んだり。
「あれもやらなきゃ」「これも知らなきゃ」「私、何か足りないんじゃないか」って、心が常に「不足感」でいっぱい。
海外で暮らしてるみんなは、そこに「異文化」っていうハードルも加わるんだから、そのプレッシャーって相当なものだと思う。
この「ありすぎる」モノと情報に溺れそうになってる感じ。
そして、常に「足りない」って焦ってる感じ。
これって、現代社会特有の「ストレス」だよね。
そんな時、ふと、私、全く逆の時代のことを思い出したの。
それが、今回のテーマ。
**「江戸時代」**なんだよね。
「え、江戸!? 急にどうした? ちょんまげ? サムライ?」
って、笑われちゃうかもしれないけど、ちょっと待って(笑)。
もちろん、歴史の授業みたいに「鎖国が〜」とか「武家諸法度が〜」とか、そういう堅苦しい話がしたいんじゃないの。
私が注目したいのは、当時の「庶民の暮らし」に根付いてた、めちゃくちゃ強くて、しなやかな「生きる知恵」。
考えてみて。
江戸時代って、モノも情報も、今とは比べ物にならないくらい「なかった」時代。
電気もガスも水道も、もちろんスマホもネットもない。
でもね、江戸(今の東京)って、当時、世界でもトップクラスの100万人以上が住む大都市だったんだって。
そんな大勢の人が、どうやって暮らしてたんだろう?
実は、江戸って、歴史上まれに見る「究極の循環型社会(サステナブルな社会)」だったって言われてるの。
例えば、有名な「もったいない」って言葉。
これ、今でこそ “Mottainai” って、環境保護の言葉として世界でも使われ始めてるけど、江戸っ子たちの感覚って、たぶん、今の私たちが思う「節約」とか「エコ」とか、そういう「良いことしましょう」的なノリとは、ちょっと違ったと思うんだ。
モノの「命」を、文字通り最後まで使い切る。モノに対するリスペクトが半端ない。
例えば、着物。
新品で着るでしょ。擦り切れてきたら、仕立て直して、子供用にしたり、普段着にしたり。
それでもう着れなくなったら、布巾(ふきん)にして、雑巾にして。
最後、ボロボロになったら、燃やして「灰」にするんだけど、その灰も「肥料」とか「洗剤」の代わりとして売買されてたんだって。すごくない?
野菜だってそう。大根の葉っぱを捨てるなんて、もってのほか。浅漬けにしたり、ふりかけにしたり。
魚だって、頭から骨まで、全部ダシにしたり、肥料にしたり。
つまり、「ゴミ」っていう概念が、ほとんどなかったの。
すべてが「資源」で、ぐるぐる循環してた。
これって、なぜそうなったかと言うと、もちろん「モノが貴重だったから」なんだけど、それ以上に、「今あるもの」でどうにかするしかない、っていう「覚悟」みたいなものがあったからだと思う。
「ないなら、工夫する」
「壊れたら、直す」
「使い終わったら、別の何かに変える」
この精神って、裏を返せば、
「ないものを、むやみに求めすぎない」
「新しいものを、次から次に追いかけない」
っていうことでもあると思うんだよね。
ひるがえって、クローゼットの前で立ち尽くしてた私(笑)。
「足りない」と思って、次から次に服を買い足してた。
「あるもの」を使いこなす工夫もせず、「新しいもの」に答えを求めてた。
それって、心がずっと「外側」に向いてる状態。
そりゃ、疲れるよね。
だって、外の世界は、常に新しいもので溢れてるんだから。追いかけても、追いかけても、キリがない。
江戸の人たちは、モノだけじゃなく、人間関係も「循環型」だった。
「長屋暮らし」なんて、今でいうプライバシーゼロのシェアハウス(笑)。
壁一枚向こうの生活音なんて、筒抜け。
でも、だからこそ、「お互い様」の精神が育った。
「すみませーん、お醤油ちょっと切らしちゃって!」
「あら、うちも煮物作りすぎちゃったから、おすそ分け!」
みたいな。
誰かが困ってたら、自然と助ける。一人で抱え込まない。
それも、ある意味「今あるもの(=ご近所さん)」を最大限に活かす知恵だよね。
さあ、ここで本題。
この「江戸の知恵」が、なんで「ストレスに強い人生(Stress-Resistant Life)」につながるの?って話。
私が思うに、現代の私たちのストレスの原因って、突き詰めると、
「ありすぎること」と「比べすぎること」、この二つに尽きると思うんだ。
- モノが、ありすぎる。(選択肢が多すぎて、選ぶだけで疲弊する)
- 情報が、ありすぎる。(何を信じていいか分からず、不安になる)
- 他人と、比べすぎる。(SNSで「理想の誰か」と自分を比べて、落ち込む)
江戸の知恵は、この現代のストレス源に対して、真逆のベクトルを指し示してくれる。
- 「モノは使い切る」(=今あるものに目を向ける。新しいものをむやみに追い求めない)
- 「情報は限られた中で工夫する」(=情報過多に振り回されず、自分の頭で考える)
- 「他人と助け合う(お互い様)」(=一人で抱え込まず、適度に頼る。他人と自分を「比較」ではなく「協力」の対象として見る)
これってさ、まさに現代の私たちが抱える「心のザワザワ」に対する、最強の「デトックス」であり、「心のワクチン」じゃないかなって思ったわけ。
もちろん、江戸時代に戻りたいわけじゃないよ!
便利な家電も、ネットも、飛行機も、大好き(笑)。海外に住むみんなと、こうしてブログで繋がれるのも、現代のテクノロジーのおかげだもんね。
私が提案したいのは、「江戸時代を真似する」ことじゃなくて、
**「江戸時代の『心の持ち方』の、いいとこ取りをする」**ってこと。
物理的に便利な生活はそのままに、メンタリティ(心構え)として「江戸」のエッセンスをちょっと取り入れる。
それだけで、モノや情報に振り回されてた毎日が、ぐっと「自分軸」に戻ってくる気がしない?
海外という、日本とは全く違う環境で、日々たくさんの情報と文化のシャワーを浴びながら、頑張ってるみんなだからこそ、この「あえて引く」「あえて足るを知る」っていう江戸の知恵が、新しい視点や、心の「お守り」になってくれるかもしれない。
このブログでは、そんな「江戸の知恵」を、どうやって私たちの「今」の生活に取り入れていくか、私自身が日本で実践してる(そして時々失敗してる・笑)実体験も踏まえながら、具体的に紹介していきたいと思ってるんだ。
題して、「Your Edo Blueprint(あなただけの江戸設計図)」。
大げさかもしれないけど、ストレスにしなやかに対応できる「あなただけの人生の設計図」を、一緒に作っていこうよ!っていう提案。
今回はまず「起」として、なんで今「江戸」なの?っていう、ちょっと熱苦しい(笑)導入になっちゃったけど、どうかな?
「ちょっと面白そうかも」って思ってくれたら、嬉しいな。
次回からは、いよいよ「承」。
じゃあ具体的に、江戸っ子たちのどんな知恵が、私たちの日常(特に家事や子育て、人間関係)に役立つの?っていう、リアルな話に入っていきます。
今日からすぐに始められる、小さな小さな「江戸式アクションプラン」も紹介していくから、ぜひ、お楽しみに!
設計図の「柱」は3本だけ!「もったいない」「始末」「お互い様」って、こういうコト。
お帰りなさい!
前回の「起」では、私の(恥ずかしい)雪崩寸前のクローゼットの話から、「モノや情報が溢れすぎて、私たちは『自分軸』を見失いがちだよね」という問題提起をさせてもらいました。
そして、そのカギを握るのが、意外にも「江戸の知恵」なんじゃないか、と。
「いやいや、江戸とか言われても…。そんな昔の暮らし、参考になるの?」
って思うよね。すごくよく分かる(笑)。
でもね、今回お話ししたいのは、「昔の不便な生活に戻ろう」なんていう精神論じゃないの。
江戸の人たちが、あの「ない」だらけの環境で、いかに「ある」を最大限に楽しんで、ストレスを「受け流して」いたか。その「心のOS」みたいなものを、私たちの便利な生活にインストールしてみない?っていう提案なんだ。
私が「江戸の知恵」を紐解いていく中で、特に「これは現代の私たちに効く!」と思った「心の柱」が、3本あります。
それが、
1.「もったいない」(=“足るを知る”力)
2.「始末」(=“流れを整える”力)
3.「お互い様」(=“上手に頼る”力)
この3本。
「なーんだ、聞いたことある言葉じゃん」って思うかもしれない。
でも、この3つ、私たちが思っている以上に、ずーっと奥が深い「ストレス対処術」だったんだよね。
一つずつ、私の実体験(と、たまの失敗談)を交えながら、深掘りさせて!
柱その1:「もったいない」は、“節約”じゃなくて“自分軸”のトレーニング
まず、一番有名な「もったいない(Mottainai)」。
これ、海外でも「環境用語」として少しずつ知られてきてるけど、私たちの感覚だと、どうしても「節約」「ケチケチする」みたいなイメージ、ない?
もちろん、モノを大事にするのは大前提。
でも、江戸の「もったいない」の神髄は、そこだけじゃない。
それは、**「今、ここにあるモノの価値を、最大限に引き出す」っていう、クリエイティブな挑戦であり、「もう、これで十分」と満足するラインを“自分で決める”**っていう、強い“自分軸”の表明だったと思うんだ。
例えば、私の毎日のストレス源、ナンバーワン。
それは「今日の晩ごはん、どうしよう…」。
海外に住んでた時もそうだったけど、日本にいても、スーパーに行けば食材は溢れかえってる。ネットを見れば、レシピは無限に出てくる。
選択肢が「ありすぎる」から、逆に決められない。
「昨日は肉だったから、今日は魚…? でも、あのインフルエンサーが作ってたオシャレな野菜料理もいいな…」
「冷蔵庫に中途半端な人参が残ってるけど…ま、いっか。新しいの買っちゃえ」
これ、まさに「起」で話した、モノと情報に振り回されてる状態。
選ぶだけで、めっちゃ疲れる。
ここで、「江戸式」をインストール!
江戸の主婦だったら、たぶんこう考える。
「あら、大根が一本あるね。よし、今日は『大根』を“使い切る”ぞ」
まず、葉っぱ。細かく刻んで、ごま油とジャコで炒めて、ふりかけに。
皮。捨てない。きんぴらにしちゃえ。
大根おろし。焼き魚に添えよう。
残りの部分は、ブリと合わせて、こってりブリ大根に。
どう?
これ、やっていることは「大根を使い切る」だけなんだけど、
「今日は『大根』」って決めた瞬間、無限にあったはずの「今夜のメニュー」という選択肢が、ピタッと絞られるの。
「何にしよう…」っていう迷いのストレスが、スッと消える。
そして、「使い切った!」っていう小さな達成感が、自己肯定感を上げてくれる。
これって、クローゼットも同じ。
「着る服がない…」じゃない。
「この『お気に入りのシャツ』を、どう着こなそう?」って考える。
あるものを「主役」にして、そこから発想する。
「もったいない」っていうのは、モノの命を全うさせてあげること。
そしてそれは同時に、「外」に新しいものを求め続けるんじゃなくて、「内」(今、持ってるもの)に意識を向ける、最高のマインドフルネス。
「あれも足りない」「これも必要」っていう「不足感」から、
「あ、これがあったじゃん」「これで十分じゃん」っていう「充足感」へ。
海外で、日本のようにモノが揃わない環境なら、なおさら。
「ない」を嘆くんじゃなくて、「ある」ものでどう楽しむか。
その「工夫」こそが、ストレスを跳ね返す「自分軸」を、めちゃくちゃ太くしてくれるんだよね。
柱その2:「始末」は、“片付け”じゃなくて“流れ”のデザイン
2本目の柱は「始末(しまつ)」。
「後始末」とか「手に負えない始末だ」とか、ちょっとネガティブな文脈で使われがちだけど、江戸でいう「始末」は、もっとポジティブで、生活の「美学」そのものだった。
「始末」っていうのは、物事の「始め」から「終わり」まで、一連の「流れ」をデザインすること。
使う時だけじゃなく、準備から、使いこなし、手入れ、そして最後の片付けまで。そのすべてを滞りなく、美しく行う「段取り力」のこと。
…なんて言うと、ちょっとハードル高いよね(笑)。
もっと簡単に言うと、**「今、やってる『これ』に集中する」**ってことだと思う。
現代の私たち、特に主婦って、常に「マルチタスク」じゃない?
子供に「ちょっと待って!」って言いながら、スマホでママ友のLINEに返信して、コンロの火を気にして、頭の中では「あ、明日の牛乳買うの忘れないようにしないと」って考えてる…。
私、しょっちゅう、これ。
全部同時にやってるつもりで、結局、全部が中途半端。
子供は不満そうだし、LINEは誤字だらけ、料理は焦げかけるし、頭はパンク寸前。
「私、今日一日、何やってたんだろう…」って、夜になって自己嫌悪。
この「常に何かに追われてる感」が、すごいストレス。
江戸の職人さんとか、想像してみて。
刀鍛冶が、刀を打ちながら、晩ごはんの心配は、たぶん、してない(笑)。
お茶の先生が、お茶を点(た)てながら、スマホの通知を気にしてない。
生活の中に、一つひとつの動作に対する「型(かた)」があったんだよね。
朝起きて、顔を洗って、掃除をして、火をおこして…。
その「型」を、ただ淡々と、丁寧にこなしていく。
これ、「マインドフルネス瞑想」とかで言われることと、全く同じ。
「今、ここ」に集中する。
私たちも、江戸の職人みたいに…とはいかなくても、
一日に一回、5分でもいいから、「これしかしない」時間を意識的に作ってみる。
これが、「始末」の第一歩。
例えば、私の場合、「コーヒーを淹れる時間」。
海外に住んでた頃は、孤独を感じて、朝からSNSを開いて、日本のキラキラした友達の投稿を見ては「それに比べて私は…」なんて、勝手に落ち込んでた。最悪のスタート(笑)。
今は、朝、子供を送り出した後、スマホは別の部屋に置いて、
豆を挽く「音」と「香り」だけに集中する。
お湯が豆の上で膨らむのを、じーっと見る。
カップに注がれる「トクトク」っていう音を聞く。
そして、一口目。「あー、美味しい」って、ちゃんと味わう。
たったこれだけ。
でも、この5分間で、さっきまであちこちに飛び回ってた意識が、「今」にキュッと戻ってくる。
散らかった頭の中が「始末」されて、流れが整う感じ。
「丁寧な暮らし」をしよう!って気負うんじゃなくて、
**「散らかった心を整えるための、儀式(リチュアル)」**として、「始末」を取り入れてみる。
この「流れを整える」感覚が、マルチタスクで疲弊した心を、すごく癒やしてくれるんだ。
柱その3:「お互い様」は、“迷惑”じゃなくて“信頼”の証
そして、3本目の柱。
これが、海外で頑張るみんなに、一番伝えたいことかもしれない。
「お互い様」の精神。
江戸といえば「長屋(ながや)」だよね。
壁一枚で仕切られた、プライバシーゼロの集合住宅。
隣の家の夫婦喧嘩も、晩ごはんのメニューも、全部筒抜け(笑)。
でもね、だからこそ、彼らは「一人で抱え込む」っていうストレスとは無縁だった。
「ごめんよ、おっかさん! 醤油切らしちまった!」
「あら、うちも煮物作りすぎたから、持っていきな!」
みたいなことが、日常茶飯事。
子育てもそう。
親が仕事で忙しければ、隣のおばちゃんが当たり前に面倒を見る。
「みんなの子供」として、地域で育ててた。
これって、彼らにとって「人に頼る」ことは、「迷惑」じゃなかったんだよね。
それは「信頼」の証であり、「明日は我が身」っていう、当たり前の「社会インフラ」だった。
ひるがえって、私たち。
特に、海外で暮らしてると、「ちゃんとしないと」っていうプレッシャー、すごくない?
「現地のルールに、ちゃんと合わせなきゃ」
「日本の恥にならないように、ちゃんとしたお母さんでいなきゃ」
「こっちの人は何でも一人でテキパキやってる…。私も弱音を吐いちゃダメだ」
そうやって、全部一人で背負い込んで、カッチカチになってない?
私も、日本にいても、そうだった。
「母親なんだから、これくらいできて当たり前」って。
熱があっても、フラフラでご飯作ったり。
寝不足でイライラしてるのに、子供の前で無理して笑ったり。
でも、ある時、本当に限界が来て、近所のママ友に「ごめん、今日マジで無理。ちょっと子供預かってくれない…?」って、勇気を出してLINEしてみたの。
そしたら、秒で「いいよ! うちも昨日ギャン泣きでさー。お互い様じゃん!」って返事が来て。
もう、泣けたよね。
江戸の長屋みたいに、物理的に助け合うことは難しくても、
「私、今、しんどい」って、言葉にして伝えること。
「助けて」って、手を差し伸べること。
これって、迷惑どころか、相手に「あなたを信頼してますよ」っていうメッセージを伝える、最高のコミュニケーションだと思う。
江戸っ子たちが「お互い様」でストレスを分散してたみたいに、
私たちも「小さな『助けて』を言い合える」関係を、一つでも二つでも作っておく。
それは、SNSで何千人のフォロワーがいることより、ずっとずっと、あなたの心を強く支えてくれる「長屋」になる。
さあ、「もったいない(足るを知る)」「始末(流れを整える)」「お互い様(上手に頼る)」。
これが、ストレスに強い「私」を作るための、設計図の「3本の柱」。
どう?
これなら、江戸時代に戻らなくても、今の私たちの生活の中で、ちょっとずつ、試してみれそうな気がしない?
「起」で問題提起し、「承」で3つの柱を立てた。
じゃあ、この柱を使って、どうやって「私だけのストレスフリーな日常(Your Edo Blueprint)」を組み立てていくの?
…と、一番ワクワクするところだけど、ちょっと長くなっちゃった(笑)。
次回は、いよいよ「転」。
この3本柱を、あなたの毎日の「習慣(ルーティン)」に落とし込む、超・具体的なステップを紹介します。
そして、「とは言っても、やる気が出ない日もあるよね…」っていう、江戸っ子の「サボり上手」な一面も、こっそり紹介しちゃう予定!
ぜひ、また読みに来てね!
実践!「私だけの江戸設計図」の描き方。完璧じゃなくて「サボり上手」でいこう。
やっほー、戻ってきてくれてありがとう!
前回の「承」で、江戸の知恵から学ぶ「3本の柱」の話をしたよね。
1.「もったいない」(=“足るを知る”力)
2.「始末」(=“流れを整える”力)
3.「お互い様」(=“上手に頼る”力)
「なるほどね〜」って思ってくれた人もいるかもしれないけど、同時にこう思わなかった?
「…いや、理想は分かるけどさ」
「『始末』とか言って、ただでさえ忙しいのに、そんな丁寧に暮らせない!」
「『お互い様』って言ったって、海外で気軽に頼れる人なんていないし…」
分かる。分かりすぎる。
もう、100回くらい「いいね!」押したい(笑)。
私たち主婦が一番求めてるのって、「正しい理論」じゃなくて、「今日、このヘトヘトな私でも、実行できる(かもしれない)小さな何か」だよね。
だから、この「転」では、いよいよ「実践編」に入ります。
あなただけの「江戸設計図(Edo Blueprint)」を、一緒に描いていこう。
でもね、その前に、一つだけ、めちゃくちゃ大事な「マインドセット」を共有させてほしい。
それは、**「江戸っ子だって、完璧じゃなかった」**ってこと。
むしろ、彼らって、私たちの想像以上に「テキトー」で「サボり上手」だったの。
「宵越しの銭は持たねえ!」なんて言って、稼いだそばからパーッとお祭りで使っちゃったり、
「火事と喧嘩は江戸の華」なんて言って、ちょっと短気だったり(笑)。
長屋の掃除当番も、「あー、今日だるいね」「そうだね」なんて言って、サボったりしてたかもしれない。
彼らの暮らしの知恵が「粋(いき)」だなって思うのは、
「やるときは、やる(始末をつける)」けど、「やらないときは、やらない(力を抜く)」
っていう、その「メリハリ」と「良い加減」が、絶妙だったからだと思うんだ。
だから、これから紹介するアクションプラン(儀式)も、
「全部やらなきゃ!」なんて、絶対に思わないで。
これは、「やらなきゃリスト(To Do List)」じゃなくて、
**「もし、できたら、私の機嫌がちょっと良くなるかもリスト(To Feel Good List)」**だから。
完璧な「丁寧な暮らし」を目指した瞬間、それは新しい「ストレス」になる。
私たちが目指すのは、適度に力を抜きながら、しなやかに生きる「粋な暮らし」。
OK?(笑)
それじゃあ、設計図の材料、見ていこう!
設計図プラン①:【朝の儀式】「始末」の力で、心の“流れ”を整える
現代の私たちの「朝」って、カオスだよね。
目覚ましの音で叩き起こされ、寝ぼけ眼でスマホをチェック。
目に飛び込んでくるのは、ニュース速報、友達のキラキラした投稿、山積みのメール…。
起きた瞬間から、頭の中は「他人の情報」で大渋滞。
そこから、子供を叩き起こし、朝ごはんを(ほぼ)流し込み、
「早くしなさい!」「またこぼして!」「忘れ物ない!?」
…もう、朝の時点で、今日の全エネルギー使い果たした感、ない?(笑)
私の失敗談:
海外に住んでた時、この「朝の焦燥感」が一番キツかった。
言葉も習慣も違う場所で、「今日一日、無事に乗り切れるか」って、毎朝不安だった。
その不安を打ち消したくて、朝イチで日本のSNSを見ては、「あぁ、みんな楽しそう…それに比べて私は…」って、自分で自分にダメージ与えてた。最悪の「始末」(笑)。
江戸式アクション:『朝イチ5分の「無音」リセット』
江戸の朝は、たぶん、静かだった。
鳥の声と、井戸の水を汲む音、包丁がまな板を叩く音。
彼らはまず、家の「流れ」を整えることから一日を始めた。
井戸から水を汲み、かまどに火を入れ、掃き掃除をする。
それは、一日を「今、ここ」から始めるための「儀式(リチュアル)」だったんだよね。
私たちも、その「儀式」を、ほんの5分だけ、取り入れてみる。
<やり方>
- スマホより先に、窓を開ける。(海外の空気、日本の空気、どっちも吸い込もう!)
- テレビも音楽もポッドキャストも「つけない」。(これ、超大事!)
- 「無音」の中で、「一つだけ」動作をする。
- キッチンカウンターの上を、布巾でサーッと拭くだけ。
- 昨日の夜、乾かした食器を、食器棚に戻すだけ。
- リビングに落ちてる髪の毛やホコリを、クイックルワイパーで取るだけ。
<ポイント>
目的は、「家をピカピカにすること」じゃない。
目的は、**「無音の中で、一つの動作に集中する」**こと。
布巾の感触、水の冷たさ、ワイパーが床を滑る音…。
そういう「今、ここ」の感覚に意識を向けることで、
寝てる間にモヤモヤしてた頭の中や、スマホから流れ込んできそうな「ノイズ」を、一旦リセットする。
これが、「承」で話した「始末(=流れを整える)」の第一歩。
カオスな一日が始まる前に、たった5分でも「静かな自分でいられる時間」を持つ。
それだけで、バタバタな一日を乗り切るための「心の芯」みたいなものが、スッと通る感じがするよ。
設計図プラン②:【昼/夕方の儀式】「もったいない」力で、“自分軸”を取り戻す
現代の私たちの「悩み」の源、それは「冷蔵庫」かもしれない(笑)。
「今日の晩ごはん、何にしよう…」
このプレッシャー、半端なくない?
スーパーに行けば、食材は溢れてる。レシピサイトも無限。
「選択肢が多すぎる」から、逆に選べない。
「あ、あのインフルエンサーが作ってた、あのアボカドのやつ…でもアボカド高いな…」
「あ、冷蔵庫の奥に、いつかの大根のしっぽが…でも、これ使うの面倒だな…」
そうやって、「選ぶ」だけで疲れ果てて、結局いつもと同じようなメニューになったり、冷蔵庫の奥で食材を化石化させて、自己嫌悪に陥ったり…。
私の失敗談:
まさにこれ。特に海外だと、日本の調味料が貴重だったりするのに、うっかり使い忘れてダメにしちゃったり。そのたびに、「私って、なんてダメな主婦なんだ…」って、すごい落ち込んでた。
江戸式アクション:『週イチ「冷蔵庫お清め」デー』
江戸の「もったいない」は、「今あるもの」の価値を最大限に引き出すことだったよね。
それは、「外」(新しいもの)に答えを求めるんじゃなくて、「内」(持ってるもの)に満足する「自分軸」のトレーニング。
<やり方>
- 週に一日、「買い出しに行かない日」を決める。(水曜日とか、中途半端な曜日がおすすめ)
- その日は、「冷蔵庫にあるものだけで、どうにかする!」とゲーム感覚で決意する。
- 冷蔵庫(と野菜室)の中途半端な食材を、全部テーブルに出す。(しなびた人参のしっぽ、使いかけの玉ねぎ、賞味期限ギリギリの豆腐…)
- 彼らを「救済」することだけを考える。
- 全部みじん切りにして、チャーハンやスープの具にしちゃう。
- まとめて浅漬けやピクルスにしちゃう。
- お好み焼きの具材として、全部混ぜ込んじゃう(笑)。
<ポイント>
目的は、「完璧な節約料理を作ること」じゃない。
目的は、**「『足りない』マインドから『これで十分』マインドに切り替える」**こと。
「何かないかな?」と外に探しに行く意識を、「あ、これがあったじゃん!」と内側に向ける練習。
冷蔵庫がスッキリする「物理的な快感」と、「私、あるものでこんなにできた!」っていう「精神的な達成感」。
この二つが、あなたの「自分軸」を、めちゃくちゃ強くしてくれる。
手に入りにくい日本の食材がある海外暮らしだからこそ、この「あるものを使い切る」っていうゲームは、すごくやり甲斐があるし、生活の満足度を上げてくれるはず!
設計図プラン③:【夜の儀式】「お互い様」の力で、“心の荷物”を下ろす
現代の私たちの「夜」。ワンオペ、お疲れ様です…。
子供を寝かしつけて、残った家事を片付けて、ソファに倒れ込む。
疲れ果ててるのに、なぜかスマホを見ちゃう。
SNSには、キラキラした家族の写真や、キャリアアップしてる友達の姿。
「それに比べて、私…。今日も一日、子供に怒ってばっかりだったな」
「夫(パートナー)は全然分かってくれない」
「日本にいる親友に愚痴りたいけど、時差もあるし、忙しいかな…」
「助けて」が言えない。
「しんどい」って言ったら、「母親失格」って思われそうで。
そうやって、一人で全部抱え込んで、心がカチコチになってない?
私の失敗談:
まさにこれ。長屋と違って、今の日本(ましてや海外)は、隣の家に「お醤油貸して!」なんて言えない。孤独だった。一人でイライラを溜め込んで、結局、一番弱い子供に当たってしまう…っていう自己嫌悪のループ。
江戸式アクション:『一日一行「できたこと」シェア』
江戸の長屋の「お互い様」は、「迷惑」じゃなくて「信頼」だった。
「困った時は、お互い様」。その安心感が、彼らの心のセーフティネットだったんだよね。
私たちも、物理的には頼れなくても、「心のセーフティネット」を作ることはできる。
<やり方>
- 夜、寝る前に、「今日、できなかったこと」じゃなくて、「今日、できたこと」を一つだけ、見つける。(どんなに小さなことでもOK。「今日も無事に子供にご飯食べさせられた」「笑顔で『おはよう』が言えた」とか、当たり前でいい)
- それを「言葉」にする。
- パートナーに、ボソッと言う。「今日、疲れたけど、ご飯作れたわー」
- 遠くの友達や親に、LINEで一言だけ送る。「今日も一日、終了!」
- 誰にも言えなかったら、自分だけの日記やノートに、一行だけ書く。
- (私の裏ワザ:誰も見てないSNSの裏アカで、自分を褒めるためだけにつぶやく・笑)
- 【上級編】もし「小さなSOS」を出せたら、自分をめちゃくちゃ褒める。
- 「ごめん、今日疲れたから、お皿洗いお願いできる?」
- 「週末、30分だけ一人でカフェ行く時間くれない?」
<ポイント>
目的は、「誰かに完璧に理解してもらうこと」じゃない。
目的は、**「自分で自分の頑張りを『認めてあげる』」こと。そして、「小さなSOSを出す練習」**をすること。
「お互い様」の第一歩は、まず自分が「助けてもらっても、いいんだ」と許可を出すこと。
海外で、人一倍「ちゃんと」しようと頑張ってるあなただからこそ、
一日の終わりに、その心の荷物を下ろす「儀式」が、絶対に必要。
さあ、どうだったかな?
【朝】「始末」の無音リセット(5分)
【昼/夕】「もったいない」冷蔵庫お清め(週1回)
【夜】「お互い様」できたことシェア(1行)
これが、あなただけの「江戸設計図」の、最初の青写真。
どれも、完璧じゃなくていい。
3つ全部できなくてもいい。
「あ、今週は冷蔵庫お清め、やってみようかな」
それくらい「粋」で「テキトー」な感じで、つまみ食いしてみてほしい。
この小さな「儀式」を、面白がって続けていくと、どうなるか?
「ストレスに強い私」って、本当に手に入るの?
次回、いよいよ最終回「結」。
この「江戸設計図」がもたらす、あなたの「未来」について。
「しなやかな心」や「クリアな毎日」っていう、長期的なメリットについて、熱く、熱く、語らせてください!
設計図は「完成」しない。それが「粋(いき)」ってもんでしょ?
ここまで、本当に長い道のりを一緒に歩いてきてくれて、ありがとう!
全4回にわたって、私の(恥ずかしい)クローゼットの雪崩の話から始まり、「なんか知らんけど、毎日忙しくて心がキリキリする!」っていう、私たちのリアルな悩みについて、あれこれ語ってきたよね。
そして、そのカギが、まさかの「江戸」にあるんじゃないか?っていう、ちょっと突拍子もない仮説にも、ここまで付き合ってくれて、本当に嬉しい。
**【起】**では、現代のストレス源は「ありすぎること」「比べすぎること」じゃない? と問いかけた。
**【承】**では、その対処法として、江戸の知恵「もったいない」「始末」「お互い様」という3本の柱を立てた。
**【転】**では、その柱を使って、完璧じゃなくていい、「サボり上手」でいいから、日常に「儀式(リチュアル)」として取り入れてみようよ!と、具体的なアクションプランを提案した。
どうだったかな?
「朝の無音リセット、ちょっとやってみたよ」とか、
「冷蔵庫お清めゲーム、燃えたわ(笑)」とか、
「一行できたことシェア、夫に言ったらキョトンとされた」とか(笑)。
もし、何か一つでも、あなたの心に引っかかるものがあったなら、私はすごく幸せです。
さて、最終回の「結」。
ここでは、この「江戸式ブループリント(設計図)」を、あなたのペースで、あなたの生活に取り入れていくと、長期的にどんな「イイコト」があるの?っていう、未来の話をさせて。
「転」で紹介した儀式って、一つひとつは、すっごく地味だよね(笑)。
布巾でテーブルを拭くとか、冷蔵庫の残り物で作るとか。
そんなことで、本当に「ストレスに強い私」なんて手に入るの?って思うかもしれない。
うん。手に入る。
即効性のある「痛み止め」じゃないけど、これは間違いなく、あなたの「心の体質」を変えていく、強力な「漢方薬」みたいなものだから。
この「江戸マインド」を続けることで手に入る、長期的なメリット。
それは、大きく分けて3つあると、私は確信してるんだ。
メリット1:ポキッと折れない「しなやかな回復力(レジリエンス)」
まず一つ目。
これが一番大きいかもしれない。
あなたは、間違いなく**「しなやかに」強く**なる。
海外での暮らしって、予期せぬことの連続じゃない?
言葉の壁、文化の壁、役所の手続きが意味不明、子供が学校でまさかのトラブル…。
「え、なんで私ばっかり!」
「もう無理、日本に帰りたい!」
って、心が「ポキッ」と折れそうになる瞬間が、日本にいる私たちの想像以上に、たくさんあると思うんだ。
ここで、「転」で紹介した、あの地味な儀式を思い出して。
- 朝、カオスの中でも「5分」だけ、自分で自分の「静かな時間」を作れた。(小さな「始末」の達成)
- 冷蔵庫の残り物だけで、ちゃんと家族にご飯を作れた。(小さな「もったいない」の達成)
- 夜、「今日も私、頑張った」と、自分で自分を認められた。(小さな「お互い様」の達成)
これ、ぜんぶ、**「小さな成功体験」**なんだよね。
「今日も、ちゃんとできた」
「私、あるもので工夫できるじゃん」
「こんなにヘトヘトでも、なんとか乗り切ったわ」
この「私、イケるじゃん」っていう小さな自信の「貯金」が、あなたの「心の筋肉」を、じわじわと鍛えていく。
だから、いざ、大きなストレス(例:子供が学校で大ケガした!とか、アパートで水漏れ発生!とか)が「ドン!」と来た時。
今までのあなたなら、「どうしよう!無理!パニック!」って、心が折れてたかもしれない。
でも、江戸マインドが育ったあなたは、こう思えるようになる。
「…うわ、最悪。でも、待てよ」
「大丈夫。いつも、どうにかなってきた」
「まず、やることを整理しよう(=始末の精神)。水漏れは、まず大家さんに連絡。タオルで水吸って…。OK」
「一人じゃ無理だ。あの人に『助けて』って言おう(=お互い様の精神)」
これが、「レジリエンス(しなやかな回復力)」。
江戸っ子たちが、あれだけ火事(江戸の華!)が多かったのに、そのたびに「しょうがねえな!」って笑って、また家を建て直した、あのタフさ。
あれは、彼らが「なんとかなる」って知ってたから。
日々、「あるもの」で工夫し、「お互い様」で助け合ってきた、その経験値(=心の筋肉)が、彼らを強くしてたんだと思う。
あなたも、日々の小さな儀式を通して、その「しなやかな強さ」を、確実に育てていけるよ。
メリット2:「本当に大切なこと」が見える「心の明瞭さ(クラリティ)」
二つ目のメリットは、頭の中の「霧」が晴れていくこと。
「あれもやらなきゃ」「これも欲しい」「あの人はどうしてる?」…っていう、ノイズが消えていく。
「起」で、私たちのストレス源は「ありすぎること」だって話をしたよね。
モノが、情報が、選択肢が、ありすぎる。
だから、常に「何か足りない」って焦ってる。
「もったいない」の儀式(=冷蔵庫お清め)を続けるってことは、
「外に新しいものを探しに行く」思考から、
「今あるもので満足する」思考へ、切り替えるトレーニング。
これ、料理や服だけじゃないの。
「情報」に対しても、同じことが言えるようになる。
今までは、SNSを開けば、
「あ、〇〇さんが素敵なカフェに行ってる…いいな」
「この育児法、知らないとヤバいらしい…読まなきゃ」
「あのインフルエンサーが『これ買い!』って言ってる…買うべき?」
って、全部「他人軸」で情報を受け取って、心が振り回されてた。
でも、「足るを知る」マインドが育ってくると、
「…ふーん。でも、今の私には、関係ないかな」
「うちの子育ては、うちのやり方で、まあ、いっか」
「その服、素敵だけど、私のクローゼットにある、あのお気に入りの方が好きだな」
って、「いらない情報」を、スッと受け流せるようになる。
これが、「心の明瞭さ(クラリティ)」。
「始末」の儀式(=朝の無音リセット)で、「今ここ」に集中する静けさを知ったからこそ、ノイズがうるさく感じるようになる。
「もったいない」の儀式で、「今あるもの」の価値を知ったからこそ、むやみに新しいものを欲しがらなくなる。
そうやって、頭の中の「霧」が晴れてくると、
本当に不思議なんだけど、「自分が本当に大切にしたいこと」が、くっきり見えてくるんだよね。
私が「起」で話した、あの雪崩れそうなクローゼット。
あそこから始まった私の「江戸式チャレンジ」だけど、本当に「捨てられた」のは、着てない服じゃなかった。
本当に捨てられたのは、
「人からこう見られたい」っていう見栄とか、
「これを着こなせない私はダメだ」っていう自己否定とか、
「みんな持ってるから」っていう他人軸だったんだなって、今なら分かる。
モノと情報に振り回されなくなると、人生って、驚くほどシンプルで、クリアになるよ。
メリッ3:「これでいいのだ」と思える「自分軸の幸福(ウェルビーイング)」
そして、三つ目。
これが、私たちが目指す「ゴール」かもしれない。
それは、**「自分軸の幸福(ウェルビーイング)」**が手に入ること。
これまでの私たちは、「ちゃんと」することで、幸せになろうとしてた。
「ちゃんと」したお母さん。
「ちゃんと」した妻。
「ちゃんと」した暮らし。
「ちゃんと」、現地の文化に馴染むこと。
その「ちゃんと」の基準は、いつも「誰か」だった。
SNSのキラキラしたあの人、とか。
「常識」とか「世間体」とか。
でも、もう、いいんだよね。
江戸マインドが教えてくれるのは、「完璧じゃなくていい」ってことだから。
「お互い様」の儀式(=できたことシェア)を続けるってことは、
「一人で完璧にできなくても、いいんだ」
「私は、助けてって言っても、いいんだ」
って、自分に「許可」を出す練習。
これ、すごく大事なことで。
「助けて」って言えるようになると、他人の「不完全さ」も、許せるようになるんだよね。
「あ、夫も疲れてるよね」
「このママ友も、完璧に見えるけど、きっと色々あるんだろうな」って。
「ちゃんと」の呪いから解放されて、
「まあ、お互い色々あるよね。生きてるだけで、えらいじゃん!」
って、心から思えるようになる。
江戸の長屋の人たちが、貧乏だったかもしれないし、ケンカもしただろうけど、それでも、なんか底抜けに明るく、たくましく生きてた感じ。
あれって、「完璧じゃない自分」も「完璧じゃない他人」も、丸ごと受け入れて、「お互い様」って笑い飛ばしてたからだと思うんだ。
SNSで「いいね!」がたくさんつくような、キラキラした「幸福」じゃなくていい。
冷蔵庫の残り物で作ったスープを「美味しいね」って家族と笑い合えるとか、
朝、静かな空気の中で「今日も一日がんばろ」って、スッと背筋が伸びるとか、
夜、パートナーに「今日疲れたー」って、ポロッと弱音を吐けるとか。
そういう、**「あー、私、これでいいんだな」**って思える、地味だけど温かい、足元の「安心感」。
それこそが、私たちが本当に求めてた「ウェルビーイング(真の幸福)」なんじゃないかな。
…と、ここまで、めちゃくちゃ熱く語ってきちゃった(笑)。
本当に、最後まで読んでくれて、ありがとう。
この全4回で伝えたかった「Your Edo Blueprint(あなただけの江戸設計図)」は、
決して「完成」させるものじゃない。
「転」でも言ったけど、江戸っ子みたいに、サボっていい。
「今週は『始末』モードだけど、来週は『お互い様』で、人に頼りまくろ!」とか(笑)。
あなたのライフステージや、その日の体調に合わせて、いくらでも書き換えていってほしい。
大事なのは、「完璧」を目指すことじゃなくて、
「江戸の知恵、ちょっと面白いかも」って、「工夫」を楽しむこと。
その「遊び心」こそが、江戸の「粋(いき)」ってもんだから!
私は、日本という、この恵まれた(そして、ちょっと窮屈でもある)場所で、
相変わらずバタバタしながら、クローゼットのリバウンドと戦ったり(笑)、
冷蔵庫お清めゲームに一喜一憂したりしながら、暮らしています。
海を越えた、遠い国で。
私たちが想像もできないようなプレッシャーや、言葉の壁や、文化の違いの中で、
家族のために、そして「自分」であるために、毎日、本当に、本当に、頑張ってるあなたへ。
心からのリスペクトと、エールを送ります。
物理的には遠く離れていても、
「あー、今頃、日本のあの主婦も、バタバタしてるかな」
「私も『もったいない』精神で、晩ごはんがんばろ」
なんて、時々、このブログのことを「長屋」みたいに思い出してくれたら、
私は、最高に幸せです。
お互い、完璧じゃなくていい。
しなやかに、たくましく、そして「粋」に。
私たちの毎日を、一緒に楽しんでいこうね!
また、いつでも、この「長屋」に遊びに来て。
待ってるよ!

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