「日本のファッションは服じゃない。“意図”を着る文化のはなし」

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 日本に住んでいると、街で見かけるファッションに不思議な統一感を感じることがあります。私が初めてそう思ったのは、近所のスーパーでのことでした。みんな別々の服を着ているのに、そこにはどこか落ち着いていて、まとまっている雰囲気があるんです。派手ではないけれど、なんだか「しっくりくる」のです。その時、私はふと思いました——日本の人って、“服を選ぶ”というより、“暮らしに合わせて装う”という感覚で服を見ているんじゃないかって。

 たとえば、私の日本人の友人は、洋服を買うときにこんなことを言います。「これ、来年も着られるかな」「長く着るなら、この色のほうが落ち着くかな」。流行やトレンドよりも、どれだけ自分の生活と馴染むかを大事にするんです。その背景には、日本の文化に深く根付いた「もったいない(mottainai)」という感覚があると私は感じています。捨てるのが悪いというより、「まだ使えるものを大切にしよう」「できるだけ無駄にしないようにしよう」という、生き方そのものに近い考え方です。

 この“もったいない精神”は、ファッションにもはっきり表れます。友人のクローゼットをのぞいたことがあるのですが、新しい服より、「もう10年着てるんだよね」という服が多いんです。でも驚いたことに、それが全然古く見えない。むしろ、“着込んだ味”があって、その人に馴染んでいるんです。そこには「Wabi-Sabi(侘び寂び)」と呼ばれる日本的な美意識があるのかもしれません。新品のパリッとしたシャツにはない、少し色褪せた柔らかさ、袖口のくたっと感——それを“欠点”ではなく、“歴史のある美しさ”として受け入れているのです。

 一方で、日本人は個性を出さないわけではありません。むしろ、よく見ると小さなところにその人らしさを忍ばせています。靴下の色が突然ポップだったり、鞄のチャームにだけ遊び心があったり。でも、全体としては周囲から浮きすぎないように、さりげなく調整している。これは、*「個性は出したい、でも調和は崩したくない」*という日本独特のバランス感覚なのだと思います。西洋のような「目立ってなんぼ」ではなく、「静かに伝わる自己表現」なんです。

 実は私も、日本で暮らす中で少しずつファッションの選び方が変わりました。以前は“今日着たい服”を直感で選んでいたのが、今は“今日をどう過ごしたいか”で服を選ぶようになったんです。たとえば、スーパーに行くだけの日は、洗濯しやすくてシワになりにくいワンピースを。子どもの学校行事のある日は、少しきちんとして見えるけれど動きやすいジャケットを羽織る。ファッションというより、「今日の私の機能」を整える感じです。これは日本の主婦の“時短術”にもつながっています。おしゃれをするために時間を使うのではなく、“選択の無駄を減らすために仕組み化する”。そのため、日本では同じ形や色の服を複数持っている人も珍しくありません。

 ある日本のママ友は、白シャツを3枚持っていました。デザインはほぼ同じ。でも、それぞれ微妙に素材や丈が違うんです。「これが一番、朝バタバタしてる時に何も考えなくて済むの」と笑っていました。最初は不思議でしたが、今ではその気持ちがよくわかります。クローゼットの前で迷わないこと。それも日本のファッションにおける立派な“美意識”なんです。

 こうして日本の生活に触れるうちに気づいたのは——日本人にとって、ファッションは“見せるもの”ではなく“整えるもの”だということ。自分の心と、今日という日のスタートを静かに整える。そこには、自分勝手ではないけれど、しっかりと自分自身を大切にする意志がありました。そして、それがあまりにも静かで自然だからこそ、外から来た私たちには最初、気づきにくいのです。

 では、一体どうやって日本人はこの“静かなファッション”を身につけているのか? 子どもの頃からの教育? それとも暮らしの習慣? 次に続けて、その背景にある考え方と、小さな工夫の積み重ねを、もっと深く覗いていこうと思います。

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日本で暮らしていて感じたのは、日本人のファッションはある日突然身につくものではなく、日々の生活の中で“育てられていく”ものだということです。特に子どもの頃から染み込んでいく「清潔」「整える」「長く使う」といった価値観は、学校や家庭で自然と身につけていく文化的な基盤になっているように思います。

 たとえば、日本の小学生はほとんどが 制服 で通学します。毎日同じ服を着るというのは、ある意味でファッションの自由とは真逆の環境ですが、そこには「服は自分を飾るものではなく、生活の一部である」という静かなメッセージが隠れているように感じます。私の息子も日本の小学校に通っていますが、最初は「みんな同じ服で退屈じゃない?」と聞いたことがあります。すると彼はこう言いました。「だって、服じゃなくて、誰が何をするかが大事でしょう?」——その言葉に、私はハッとさせられました。

 この感覚は大人になっても続きます。日本では、TPO(Time, Place, Occasion:時間・場所・場合)をわきまえることが非常に重視されます。友人の家に遊びに行く時、会社に出勤する時、子どもの参観日に行く時——服装には常に“その場の空気を読む”という視点が添えられています。たとえ自分の好きな服があっても、場にそぐわなければ着ない。これが“自己抑制”と説明されることもありますが、私はむしろ 「周りを大切にして自分を表現する方法を探している」 ように感じます。

 それは決して我慢ではなく、バランス感覚です。日本人にとってのファッションは、誰かに「どう見られたいか」ではなく、「誰と心地よく過ごしたいか」に近い感覚なのです。たとえば私のママ友は、こう話していました。「派手な服も好きだけど、幼稚園の送迎では落ち着いた色を着るようにしてる。ママ同士の会話がしやすいようにね」。つまり、服は“人との距離を作るものではなく、橋にするもの”。これは私にとって、とても新鮮な視点でした。

 

■“整える”という小さな儀式

 日本で暮らし始めて気づいた大きな違いのひとつは、「服を着る=朝の準備」ではなく、「一日の始まりを整える儀式」 であることでした。たとえば、パジャマから着替えるだけでも、一度服を整え、シワを伸ばし、鏡で姿勢を確認する。それはまるで、「今日もよろしくお願いします」と自分に挨拶しているようでした。

 ある日、近所の年配の女性がこう言いました。「誰にも会わなくても、きちんとする日は、気持ちがしゃんとするのよ」。その方は80代で、外に出る予定がなくても、薄い口紅をさし、アイロンをかけたブラウスを着ていました。それを見て私は、「あ、これは誰かに見せるための装いではなく、自分を丁寧に扱う行為なんだ」と理解したのです。

 この姿勢は、wabi-sabiの精神にもつながっています。完璧な美しさではなく、「今の自分に合っているか」「心が落ち着くか」を基準にする。古くなった服でも、きちんと畳まれていれば美しい。しわがあっても、整える気持ちさえあれば乱れて見えない。日本人は“手入れされた日常”に、静かな誇りを持っているのです。

 

■主婦の“時短”と“選ばない工夫”

 ここで気になるのは、「でも主婦って忙しいよね?」ということ。そう、日本のお母さんたちは本当に忙しいです。朝は子どもの朝食、ゴミ出し、洗濯に追われます。でも、その中で彼女たちは “迷わないための仕組み” を服選びに取り入れています。

 私はあるママ友から、こんな技を教わりました。
 「私は色を3色に決めてるの。白・ベージュ・ネイビー。それ以外の服は買わない。そうすると、どれを組み合わせても合うから、朝3秒で選べるの」
 彼女のクローゼットは確かにシンプルでした。でも、不思議と“地味”ではなく、“整っている”。そして、服がシンプルだからこそ、アクセサリーや靴で遊べる余白がありました。

 この“絞る”という姿勢も、mottainai から来ているのだと思います。多く持つことより、長く使えるものを厳選する。だからこそ、一着一着に手をかける余裕が生まれるのです。

 

■子どもも学ぶ“服の感謝”

 日本で印象的だったのが、子どもたちが服を脱ぐときに「ありがとう」と言うことです。全員がそうではありませんが、幼稚園では「帽子さんをきちんと置きましょう」「靴下さん、きれいにしてもらってね」とよく言います。擬人化された言葉ですが、そこには物を大事にする心が自然と育つような工夫があります。

 ファッションの根っこに、“感謝”がある——これは私が日本に来て初めて知った感覚でした。

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日本で暮らして感じることのひとつに、「日本人は控えめだけど、決して“無個性”ではない」という矛盾のような真実があります。むしろ、日本人ほど“個性”にこだわる人たちはいないのではないか、とすら思うことがあります。ただ、その個性は決して大声では語られません。声ではなく、余白で語る個性。それが日本のファッションの本質だと、私はある日、はっきり気づきました。

 

■「目立たないこと」を選ぶという美学

 ある時、私は幼稚園の行事で、赤いワンピースを着て行きました。海外ではよくある、ごく普通の装い。ところが周りは、ベージュ、ネイビー、グレーといった落ち着いた色ばかり。私だけが鮮やかに浮き上がってしまっているように感じ、少し気まずくなりました。

 帰り道、仲の良いママ友に思い切って聞いたんです。「日本では、派手な色はあまり着ないの?」
 すると彼女は笑いながら、こう言いました。
 「派手でもいいんだよ。でもね、みんなが気を使わない色を選ぶの。自分のためでもあるし、相手のためでもあるの」

 その言葉に私はハッとしました。私が“目立つこと=良い個性”と思っていたのに対して、彼女たちは“溶け込むこと=優しい個性”を選んでいたのです。これはまさに、西洋の「自己主張」とは異なる、日本的な「思いやりの主張」。調和を乱さない中で自分を表現する──それは控えめどころか、むしろ高度なバランス感覚です。

 

■「でも、本当は目立ちたい?」という葛藤

 ただし、日本人も人間です。もちろん“自分を見てほしい”気持ちがないわけではありません。特に若い世代や、SNS世代ではその葛藤がはっきり表れています。

 街で見かけた女子高生たちは、制服という同じ服を着ながら、靴下の丈・ヘアピンの色・バッグのキーホルダーなど、ルールの隙間を縫うようにして個性を滲ませています。一見同じに見える制服の中に、自分だけの“秘密の印”を隠しているのです。私はそれを見て、「これは静かな戦いだ」と思いました。

 彼女たちは誰かには評価されなくてもいい。ただ、自分だけはわかっている、自分だけのこだわり。これこそが日本的な「内側に向いた個性」なのです。

 

■Wabi-Sabi と「傷を愛する」オシャレ

 西洋のファッションでは、“完璧”“新品”“洗練”が美の基準になることが多いですが、日本の美意識 wabi-sabi は、それとは全く逆を向いています。
 ある日本の友人は、デニムの膝がすり減っても捨てませんでした。私は「買い替えないの?」と聞いたのですが、彼女はこう答えました。

 「ここ、子どもを初めて抱っこした時にできた跡なの。思い出が染み込んでるから、これが好き」

 私はその瞬間、ファッションではなく“人生を着ている”ように感じました。
 日本人にとって服は、ただの布ではなく、記憶や感情を宿すもの。だから、古びた毛玉も、色落ちも、“恥”ではなく“物語”になる。完璧ではなく、不完全を愛する──それが wabi-sabi の美しさなのです。

 

■SNS時代、日本のファッションは変わるのか?

 では、InstagramやTikTokが当たり前になった今、この「静かなる個性」はどうなっていくのでしょうか?
 実は、日本でもオーバーサイズやヴィンテージ、韓国風ストリートなど、派手なファッションを楽しむ若者は増えています。しかし、そこでも日本独特の“バランス”は生きています。

 たとえば、ある若いインフルエンサーは、原色のニットを着こなしながら、必ず髪やメイクはナチュラルにまとめていました。「全部を強くしない」というルールです。つまり、日本の個性は、主張ではなく 抑制で整えるアート へと進化しているのです。

 私自身も、日本で暮らすうちに「自分を見せる」から「自分を滲ませる」に変わりました。服で語るのではなく、服で呼吸する。これはこれで、とても心が安らぐファッションの在り方です。

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 日本に暮らして感じたのは、ファッションとは決して「何を着るか」だけではないということです。むしろ大切なのは、「どう生きたいかを、静かに表現する手段」 だということでした。日本人の装いは目立たないかもしれません。でも、その奥には必ず “意図” がある。急がず、騒がず、自分と向き合うように服を選ぶ姿は、私に「装うとは、自分を尊重すること」だと教えてくれました。

 そして、それは私たち海外の主婦や母親にも、とても役立つ考え方ではないでしょうか。家事、育児、仕事に追われる日々の中で、「今日は何を着よう?」というたった10秒の迷いが、心のざわつきや疲れにつながることがあります。でも日本人は、その迷いを“仕組み”によって減らし、その分のエネルギーを心の余裕に変えていました。これは真似できる。そう思った瞬間から、私のクローゼットは少しずつ変わりました。

 

■実践1:「色を減らす」は、時間を増やす

 私は、日本のママ友に教わった“3色ルール”を取り入れました。ベーシックカラーを決め、それ以外の色を手放す。最初は少し寂しく感じましたが、数週間後には、朝の迷いが消えていることに気づきました。

 選択が少ない=退屈ではない。選択が少ない=自由だったのです。

 「迷わない」ことは、時短を超えて、自分を落ち着かせる儀式になる。これは、毎日を戦う私たち主婦にとって、大きな武器だと思います。

 

■実践2:「手放す」ではなく、「残す基準を決める」

 日本では、物を捨てる時によく「ありがとう」と言います。これは単なる習慣ではなく、物に対して“責任を持つ姿勢”です。私もある時から、服を手放すときにこう問いかけます。

 > 「この服は、今の私を支えている?」

 支えていない服は、もう役割を終えた服。感謝を込めて、手放します。そうして空いたスペースには、“これからの私”に合うものを迎え入れます。クローゼットは単なる収納ではなく、心の地図のようになりました。

 

■実践3:「個性とは、語らない美しさ」

 日本の街には、派手ではないのに忘れられない人がいます。模様のない服、自然な髪、でも背筋が伸びている。立ち姿だけで美しい。
 私はそれを見て気づきました。

 存在そのものがスタイルになる時、人は飾らなくてよくなる。

 だから今は、服を“誰かに見せるもの”ではなく、“自分の軸を整えるもの”として選ぶようになりました。疲れている日は、あえて柔らかな布を着ます。不安な日は、ジャケットで背筋を伸ばします。服は、気分を隠すのではなく、支えてくれるもの。そう思えれば、鏡の前に立つ時間が、少しだけ優しくなるのです。

 

■日本から学んだこと:

教え伝えたいメッセージ
Mottainai物を大切にすることは、自分の時間と心を大切にすること
Wabi-Sabi不完全でもいい。今の自分に似合えば、それが唯一の美しさ
調和の個性目立つよりも、伝わる装い。静かな自己表現という強さ

 

■最後に──「服は、今日をどう生きたいかの宣言」

 ファッション雑誌は、「今年はこの色が流行」「脚を長く見せるコーデ」などと教えてくれます。でも、日本の“静かなファッション”は違いました。
 流行ではなく、生活を着る。
 外見ではなく、呼吸を着る。
 飾りではなく、意図を着る。

 結局、私が日本から受け取ったいちばん大きなメッセージはこれです。

「今日の私は、こう生きます」
それを静かに語る——それが、日本のファッション」

 たとえクローゼットが小さくても、
 たとえトレンドを追えなくても、
 私たち主婦には、私たちにしかない“物語を着る力”があります。

 そしてその物語こそが、最も美しいスタイルなのだと、今は胸を張って言えます。

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