『「もう無理!」から「まあ、いっか」へ。東京の片隅で実践中! 日本の「余白」の考え方で心を整える、頑張りすぎない子育て術』

嵐の中心で「私」を取り戻す。なぜ今、マインドフルな子育てが必要なのか?

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「ママ、ジュースこぼした!」

「ねえ、これ見て!早く!」

「ピンポーン(宅配便)」

「あ、今日の10時までに返信するメールがあったんだった!」

「夕飯、何にしよう……」

……こんにちは! 日本(東京の片隅)で、6歳と3歳のやんちゃな怪獣たち(笑)と格闘しながら暮らしている主婦の[あなたのペンネーム、例:サクラ]です。

今、このブログを読んでくださっているあなた。もしかして、私と同じように、頭の中で常に10個くらいのタスクがぐるぐる回り、気づけば眉間にシワが寄って、深呼吸すら忘れている……なんて状態になっていませんか?

わかります。すっごく、わかります。

海外で子育てをされている皆さんなら、慣れない環境や言葉の壁、日本とは違う文化の中で、日本にいる私なんかよりも、もっとずっと複雑で大変なプレッシャーと戦っているかもしれません。

「ちゃんとしなきゃ」

「母親なんだから、私が我慢しなきゃ」

「周りに迷惑をかけちゃいけない」

特に私たち日本人は、子どもの頃から「和を以て貴しと為す(わをもってとうとしとなす)」、つまり「みんなと仲良く、調和を大切にすることが一番素晴らしい」と教えられて育ってきました。これは日本の美しい文化であり、誇るべき「社会の考え」の一つです。

でも、これが子育てになると、時々、私たち自身を縛る鎖になっちゃうことがあるんですよね。

周りの目を気にして、子どもを叱りすぎてしまったり。

「いいお母さん」でいなきゃと、自分の「疲れた」「休みたい」という本音に蓋をしてしまったり。

子どもが生まれる前は、もっと穏やかで、自分の時間も大切にして、毎日丁寧に暮らしたい……なんて思っていたのに。現実はどうでしょう。

朝、目覚めた瞬間から夜、子どもを寝かしつけて(そのまま自分も寝落ちして)一日が終わるまで、まるで「嵐の中心」にいるみたい。やるべきことに追われ、子どもの要求に応え、気づけば「私」という存在がどこかへ消えてしまったような感覚。

子どもは、もちろん可愛い。世界で一番、愛しています。

でも、それと「私が幸せか」は、イコールだけど、時々イコールじゃなくなる。

この「なんだか息苦しい感じ」の正体って、なんだと思いますか?

私はずっと、タスクが多すぎることが原因だと思っていました。家事を効率化しなきゃ、もっと上手に時間管理(タイムマネジメント)をしなきゃ、と。

でも、ある時気づいたんです。

違う。

問題は「タスクの量」じゃなくて、「心の状態」なんだ、と。

私たちの心は、いつも「過去」か「未来」に飛んでいってしまっています。

「ああ、あの時あんなふうに叱らなければよかった」(過去への後悔)

「この子が将来困らないように、今これをさせなきゃ」(未来への不安)

「今、ここ」に、心がいないんです。

子どもが目の前で、一生懸命、今日あったことを話してくれているのに、私の頭の中は夕飯の献立でいっぱい。

公園で一緒に遊んでいるはずなのに、スマホで仕事のメールをチェックしてしまう。

これって、体は子どもの隣にいるけれど、心は、そこにいない。

子どもが一番求めているのは、高価なおもちゃでも、完璧なご飯でもなく、「今、ここにいるママの心」なのに。

この事実に気づいた時、私はハッとしました。

そして、日本に昔からある「生活の知恵」を思い出したんです。

それは、例えば「禅(Zen)」の考え方。

難しい修行の話じゃありません。「今、この瞬間に集中する」という、とてもシンプルな心の持ちようです。

あるいは、「余白(よはく)」。

日本の絵画やデザインでは、あえて何も描かない「スペース」を大切にします。ぎゅうぎゅうに詰め込むのではなく、その「余白」があるからこそ、描かれているものが引き立つ。

これって、私たちの子育ても同じじゃないでしょうか?

スケジュールを詰め込み、

期待を詰め込み、

「やるべきこと」を詰め込みすぎて、心の「余白」がゼロになっている。

だから、息苦しい。

このブログシリーズでお伝えしたいのは、そんなパンパンになった心に、意識的に「余白」をつくっていくための、具体的な方法です。

私が日本での生活の中で「あ、これって昔の人の知恵かも」と感じながら実践している、ささやかな「人生術」です。

キーワードは、「マインドフル・マザーフッド」。

日本語にすれば「今、ここを大切にする子育て」かな。

「マインドフルネス」と聞くと、「瞑想しなきゃダメ?」「難しそう」って思うかもしれません。

大丈夫。私も最初はそうでしたから(笑)

でも、私が提案したいのは、ヨガマットも、静かな部屋もいらない、嵐のような日常のド真ん中でできる、超・簡単なステップだけ。

この「起」の章では、まず「なぜ私たちはこんなに忙しく、心が擦り切れてしまうのか?」という問題の根本を、日本の「和」や「世間体」といった文化的な背景も踏まえながら、皆さんと共有しました。

「そうそう、私も!」と頷いてくれた、そこのあなた。

もう、一人で頑張らなくていいんです。

次の「承」の章では、いよいよ実践編。

たった5分、いえ、食器を洗いながら、子どもを抱っこしながらでもできる、「心の余白」を取り戻すための具体的なアクション(例えば「5分間のマインドフル・モーメント」や「意図的な遊び」)を紹介していきますね。

一緒に、嵐の中心で、穏やかに深呼吸できる「私」を取り戻す旅に出かけませんか?

1日5分でOK! 慌ただしい日常に「今、ここ」を取り戻す、簡単マINDYフル習慣

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お待たせしました! [あなたのペンネーム、例:サクラ]です。

前回の「起」の章では、「私たちママは、なぜこんなに心が忙しいのか?」というお話をしました。目の前の子どもといるはずなのに、心は「過去の後悔」や「未来の不安」に飛んでいってしまっている。日本の「和」を重んじる文化が、時として「ちゃんとやらなきゃ」というプレッシャーになって、心の「余白(よはく)」を奪っているんじゃないか、と。

「わかる! でも、じゃあどうすればいいの?」

「瞑想とか、静かな時間なんて、1秒も取れないんだけど!」

ですよね(笑)

わかります。子どもが二人(以上)いると、トイレのドアすら閉めさせてくれないんですから。

だから、今回ご紹介する「承」のパートは、**「子育ての嵐のド真ん中で、今すぐ、タダでできる」**ことに特化しました。

目指すのは、「悟りを開いた聖人」じゃありません。

目指すのは、「あ、今、私イライラしてるな」って気づいて、爆発するまでの時間を「3秒」延ばせる自分。

その「3秒の余白」こそが、私たちを救ってくれるんです。

私が「禅」だとか「マインドフルネス」だとかいう言葉の難しさに挫折しかけた後、日本の「生活の知恵」にヒントを得て実践している、超具体的な2つの習慣を紹介しますね。

習慣1:日常の「ついで」を「瞑想」に変える「ながら禅」

私たちは、毎日「やらなきゃいけないこと」に追われています。

代表的なのは「家事」。

特に、やってもやっても終わらない、食器洗い。

多くの場合、私たちは食器を洗いながら、何を考えているでしょう?

「あ、明日の朝ごはん、パンがない」

「さっき、〇〇ちゃんにキツく言いすぎたかな…」

「次の保護者会、行きたくないな…」

はい、心が「今、ここ」にありません。

体はキッチン、心はスーパー、過去、未来。これじゃあ、リラックスできるわけがない。

そこで提案したいのが、**「食器洗い禅(ぜん)」**です。

(私が勝手に名付けました・笑)

やり方は簡単。

食器を洗う数分間だけ、「食器を洗うこと」だけに全神経を集中させるんです。

  1. まず、蛇口から出る**お湯の「音」**に耳を澄ませます。
  2. 手に伝わる**お湯の「温かさ」**をじっくり感じます。
  3. スポンジが立てる**「泡」の感触**、洗剤の**「香り」**に意識を向けます。
  4. キュッ、キュッ、という**お皿がきれいになる「音」**を楽しみます。

もし途中で、「あ、パン買わなきゃ」って思考が湧いてきても、自分を責めなくてOK。

「お、また未来に飛んだな。はい、戻ってこーい」って、ふっと意識を「水の音」や「泡の感触」に戻すだけ。

これ、実は日本の「茶道(さどう)」の考え方にそっくりなんです。

茶道は、お茶を点(た)てるという一連の動作、その「今、ここ」だけに心を集中させることで、心を研ぎ澄ませていくもの。

私たちは、お茶碗の代わりに「油汚れのついたお皿」で、それをやっちゃおうってわけです(笑)

これ、食器洗いだけじゃありません。

洗濯物を干すとき。「風の匂い」や「服の柔らかさ」を感じる。

コーヒーを飲むとき。スマホを見ずに、「香り」と「温かさ」と「苦味」だけを味わう。

これを「ながら禅」と呼んでいます。

これなら、新しく時間を確保する必要はゼロ。

むしろ、今まで「苦痛な家事」だった時間が、「心をリセットする時間」に変わる。

もう一つ、イライラが頂点に達しそうな時の「緊急避難」も紹介します。

子どもがジュースを床一面にぶちまけた時。

兄弟ゲンカが始まって、ついにどっちかが泣き叫んだ時。

ママの頭に「カーッ!」と血が上る、その瞬間。

**「ストップ! 3回呼吸」**です。

怒鳴り声が出そうになったら、その場で凍りついてください。

そして、

「すぅーーーーー(鼻から4秒吸う)」

「(4秒止める)」

「ふぅーーーーーー(口から6秒かけて、細く長く吐く)」

これを3回。

たった15秒。

でも、この15秒の「余白」が、あなたの口から出る第一声を、「何やってんの!!(怒)」から、「…あーあ。まぁ、まず拭こうか」に変えてくれるんです。

<h4>習慣2:1日10分で「心の貯金」。スマホを捨てる「本気(マジ)遊び」</h4>

「ねえママ、見て!」

子どもって、本当によくこう言いますよね。

そして私たちは、つい、こう返してしまう。

「はーい、すごいねー(スマホ見ながら)」

「ちょっと待ってねー(夕飯作りながら)」

体はそこにいるけど、心はそこにいない。

子どもは敏感ですから、「あ、ママ、今こっち見てないな」って、すぐバレます。

そして、「見て!」「見て!」の要求はエスカレート。

最後は、わざと悪いことをして、ママの気を引こうとする。

わかっちゃいるけど、こっちも忙しい!

そこで提案したいのが、**「10分タイマー・本気(マジ)遊び」**です。

  1. スマホのタイマーを「10分」でセットします。(「OK Google, 10分タイマー!」でもOK)
  2. そして、スマホは物理的に遠い場所に置きます。これ、絶対。
  3. タイマーが鳴るまでの10分間、あなたは「ママ」を一旦やめます。
  4. 子どもの「遊び」に、100%没入します。

「お客さん役」でも「怪獣役」でも「赤ちゃん役」でも、なんでもいい。

「夕飯どうしよう」とか「洗濯物…」とか、一切考えない。

ただ、目の前の子どもと、本気で遊ぶ。

たった10分です。

でも、子どもにとっては、「他のことを考えながら1時間」よりも、「100%自分だけを見てくれた10分」の方が、何倍も嬉しい。

私たちはこれを「心の貯金」と呼んでいます。

この10分の「本気遊び」で、子どもの「ママに注目してほしい!」という心のコップが、一気に満たされるんです。

不思議なことに、この「本気遊び」をした後は、子どもが「ママ、ちょっとお料理してくるね」と言うと、「うん、いいよ!」って、すんなり一人で遊び始めてくれることが増えるんです。

「心の貯金」が満タンになったから、安心なんですね。

これ、実は、さっきの「ながら禅」と同じです。

「今、ここ」に100%集中する、ということ。

日本には「道(どう)」という考え方があります。

「茶道」「華道(かどう:お花)」「書道」…。

一つのことを突き詰めて、その動作に心を込める文化です。

これは、さしずめ「親子道(おやこどう)」かな、なんて思っています(笑)


さあ、「承」の章では、「食器洗い禅」や「3回呼吸」、「10分本気遊び」といった、日常の中で「今、ここ」に戻ってくる具体的なテクニックを紹介しました。

これらは全部、「嵐」を止める方法ではありません。

(残念ながら、子育ての嵐は止まらない!)

そうではなく、**嵐の中心で、自分を見失わないための「技術」**です。

でも、ここでこう思う方もいるかもしれません。

「テクニックはわかった。でも、そもそも『やること』が多すぎるのよ!」

「世間が『母親とはこうあるべき』ってうるさくて、休めない!」

そうなんです。

いくら「今、ここ」に集中しようとしても、外部からのプレッシャーや、自分の中の「〜〜すべき」という思い込みが多すぎたら、パンクしちゃいますよね。

次の「転」の章では、いよいよ、その「荷物」を降ろす作業に入ります。

社会や他人が決めた「理想のママ像」ではなく、「我が家にとって、本当に大切なこと」だけを優先する。

そのための「心の断捨離」の方法を、お話ししていきますね!

世間の「べき」を手放す勇気。「我が家ファースト」の優先順位を見つける方法

(※ここから本文)

こんにちは! [あなたのペンネーム、例:サクラ]です。

「承」の章では、「食器洗い禅」や「10分本気遊び」みたいに、嵐のような日常の中で「今、ここ」の自分を取り戻す「技術(テクニック)」についてお話ししました。

やってみて、どうでしたか?

「あ、私、今イライラしてた」って、爆発する前に気づける瞬間が、少しでも増えていたら嬉しいです。

でも……。

ここで、たぶん、多くのママが「根本的な問題」にぶち当たると思うんです。

「テクニックはわかった。でも、そもそも『やること』が多すぎ!!」

「『今、ここ』に集中しようにも、次のタスク、その次のタスクが頭から離れない!」

「心を整える以前に、物理的に時間が足りないのよ!」

……わかります。痛いほど、わかります。

私もそうでした。

いくら「食器洗い禅」を実践しても、その背後で洗濯機がピーピー鳴り、子どもの宿題をチェックし、明日のPTAの資料を作り、夕飯の献立を考え……。

これじゃあ、まるで「穴の空いたバケツ」に水を注いでいるようなもの。

心を整えたそばから、ザバーッと全部漏れていっちゃう。

なぜ、私たちのバケツ(=1日24時間)は、こんなにパンパンなんでしょう?

なぜ、心の「余白(よはく)」が1ミリも残らないんでしょう?

それは、私たちが**「自分のものではない荷物」**まで、律儀に背負い込んじゃっているからです。

その荷物の名前は、「世間(せけん)の『べき』」

「母親とは、こうあるべき」

「妻とは、こうあるべき」

「ちゃんとした家庭は、こうであるべき」

特に日本は、「世間の目(せけんのめ)」を気にする文化が根強いです。「周りからどう見られるか」を、自分の行動の基準にしてしまいがち。

海外で暮らしている皆さんも、きっと感じることがあるはず。

「日本人ママとして、ちゃんとしなきゃ」という無言のプレッシャー。

あるいは、現地コミュニティの「あそこの家庭は、ああしてるわよ」という、また別のプレッシャー。

この「べき」という荷物、重いですよね。

「承」で学んだのが「心の整え方(How to)」だとしたら、この「転」の章でやるのは、その重い荷物自体を手放す**「心の断捨離(だんしゃり)」**です。


<h4>ステップ1:「これ、誰の荷物?」世間の「べき」と「我が家の本音」を見極める</h4>

まず、自分のバケツがパンパンになっている原因、「やるべきことリスト」を、よーく点検してみましょう。

私には、忘れられない「荷物」があります。

それは、**「キャラ弁(キャラクター弁当)」**という名の、とんでもなく重い荷物でした。

長男が幼稚園に入ったばかりの頃。

私は「完璧なママ」でいたかった。

周りのママたちが作る、タコさんウィンナーや、人気アニメのキャラクターの形をしたおにぎり。それが「当たり前」で、それが「愛情の証」だと思い込んでいたんです。

海外の皆さんには信じられないかもしれませんが、日本では、お弁当の「見栄え」が、母親の評価に直結するような、そんな暗黙のプレッシャーが(一部では)あります。

私は、朝5時に起きました。

海苔(のり)をパンチする専用の道具を買い、ハムを星形に抜き、ブロッコリーを茹でる秒数までこだわった。

……でも、致命的なことに、私は不器用だったんです(笑)

出来上がったのは、なんか顔色の悪い、微妙なキャラクターもどき。

しかも、肝心の息子は、そういう「細工もの」より、ただの「塩むすび」と「唐揚げ」が大好き。

私が朝の貴重な1時間を削って作ったキャラ弁は、いつも半分以上残されて帰ってきました。

ある日、寝不足とイライラがピークに達した私。

お弁当箱を洗いながら、涙が出てきたんです。

「私、何やってるんだろう」

「こんなに頑張ってるのに、誰も幸せになってない」

その時、ハッと気づきました。

このお弁当、**「これ、誰のために作ってるんだっけ?」**と。

息子の「美味しい!」のため?

→ 違った。息子は塩むすびが食べたい。

私の「自己満足」のため?

→ 違った。私は朝、もっと寝たい。

……そう。

私が作っていたのは、「幼稚園の先生や、他のママたちに『わあ、すごい』って思われるため」。

つまり、「世間」という名の、顔の見えない誰かのためだったんです。

その事実に気づいた瞬間、私は肩の力がフッと抜けました。

次の日から、私は「キャラ弁」を、捨てました。

息子の好きな、シンプルで茶色い(笑)唐揚げと、卵焼きと、塩むすびだけのお弁当。

息子は「やったー!」と大喜びで完食。

私は、朝1時間、長く寝られるようになった。

これこそが、「心の断捨離」の第一歩です。

今、あなたが「やらなきゃ!」と焦っていること。

それを一つ一つ、点検してみてください。

「毎日、一汁三菜(いちじゅうさんさい:バランスの良い和食の基本形)じゃなきゃダメ?」

→ 週に2回、お惣菜や冷凍食品に頼ったら、その分、子どもと本気で遊べるかも。

「子どもの服は、いつもアイロンがけしてピシッとしてなきゃダメ?」

→ ちょっとくらいシワがあっても、元気に走り回ってる方が、子どもは幸せかも。

「習い事(おけいこ)、周りの子が行ってるから、うちも行かせなきゃダメ?」

→ その子の「本音」は、家でゴロゴロしながら、ママと絵本を読むことかも。

その「べき」、本当に「我が家」に必要ですか?

「誰かの荷物」を、自分のバケTシャツに入れたまま、重い重いって言ってませんか?


<h4>ステップ2:「我が家の憲法」を作る。何が一番大切かを決める勇気</h4>

「べき」を手放すのは、勇気がいります。

だって、「周りと違うこと」をするわけですから。

「サクラさん、手抜きしてるって思われない?」

「子どものために、それが良くないって言われたらどうしよう?」

そう、不安になりますよね。

ここで必要なのが、「我が家ファースト」の優先順位、言うなれば**「我が家の憲法」**を決めることです。

周りがどう言おうと、これだけは守る。

でも、これ以外は、力を抜く。

その「軸」を、家族で決めてしまうんです。

例えば、うちの「憲法」は、こんな感じです。

【[あなたの名字]家・憲法】

第一条: 家族全員が、夜、笑顔で「おやすみ」と言えること。

第二条: そのために、母(私)の「心の余白」を最優先事項とすること。

以上(笑)

たったこれだけです。

でも、この「憲法」があると、判断がすごく楽になります。

例えば、近所のママ友から、全員参加の「週末持ち寄りホームパーティ」に誘われたとします。

以前の私なら、「行かなきゃ。和を乱しちゃいけない」と、寝不足のまま手の込んだ料理を作り、無理して参加していました。

(そして、帰宅後、疲労で子どもに当たり散らす、という最悪のパターン)

でも、今の私は「憲法」に照らし合わせます。

「このパーティに参加したら、私は疲弊する。結果、夜、笑顔で『おやすみ』が言えなくなるな」

「憲法第二条(私の余白が最優先)に違反する!」

と判断できるわけです。

日本には**「金継ぎ(きんつぎ)」**という、素晴らしい生活の知恵があります。

割れたり欠けたりした器を、漆(うるし)と金(きん)で修復する技術です。

金継ぎは、その「傷」を隠すのではなく、あえて「美しい景色」として蘇らせます。

私たちの子育てだって、同じです。

「世間のべき」に合わせようとして、完璧な「丸い器」を目指す必要なんてない。

うちは、「キャラ弁」を作らないという「欠け」がある。

うちは、「毎日手作り」じゃないという「ヒビ」がある。

でも、それでいい。

その「欠け」や「ヒビ」こそが、私たちが「我が家ファースト」を選び取った証。

それが、我が家だけの「金継ぎ」の模様であり、オリジナルの「景色」なんです。

あなたの「我が家の憲法」は、何ですか?

「平日の夜は、絶対に家族全員でご飯を食べる」(だから、ママ友ランチは断る)

「週末は、絶対にデジタルデトックスする」(だから、仕事のメールは見ない)

なんでもいいんです。

「世間のべき」ではなく、「我が家の本音」から生まれたルール。

それこそが、あなたを外部のプレッシャーから守ってくれる、最強の「お守り」になります。


<h4>ステップ3:罪悪感ゼロ! 「優しい境界線」の引き方</h4>

さて。「憲法」はできた。

いよいよ、ラスボスです。

「断り方(How to Say “NO”)」

これが一番難しい、という方、多いですよね。

特に、「起」の章でも触れたように、「和を以て貴しと為す」文化で育った私たちにとって、「No」と言うことは、「相手を否定する」「ワガママだ」と受け取られそうで、ものすごい罪悪感を伴います。

でも、思い出してください。

「我が家の憲法」を守るためです。

あなたが「No」と言えずに背負い込んだ「誰かの荷物」のせいで、あなたの「心の余白」がなくなり、結果、一番大切なはずの我が子にイライラをぶつけてしまう……。

それって、本末転倒ですよね。

あなたの「No」は、我が子への「Yes」なんです。

そう、「罪悪感」は不要。これは「優先順位の表明」です。

とはいえ、角を立てたくないのが人情。

そこで、私が実践している「日本的・優しい境界線(バウンダリー)」の引き方を、こっそりお教えします。

(1)「感謝」+「残念」+「代替案(あれば)」

これは、一番使える「型」です。

× 悪い例:「ごめんなさい、その日忙しいんで行けません」(相手は、私が嫌なのかな?と思うかも)

○ 良い例:「お誘いありがとう、すっごく嬉しい! でも、あいにくその日は子どもの習い事(※)があって…。本当に残念。もし次の機会があったら、また誘ってくれると嬉しいな!」

(※この「習い事」は、ウソをつく必要はありません。「我が家の憲法」で決めた「家族でダラダラする日」も、立派な「先約」です!)

ポイントは、「あなたのお誘いは嬉しい(Yes)」と「でも、その日は行けない(No)」を、ちゃんと分けること。

相手の「人格」は否定せず、「リクエスト」だけをお断りする。これ、大事です。

(2)即答しない。「バッファ(時間的余白)」を持つ

その場で「どうする?」と聞かれても、焦って「Yes」と言わない。

「わ、楽しそう! ちょっと夫の予定(あるいは子どもの体調)を確認してから、明日までに返事してもいい?」

こう言って、一度持ち帰る。

そして、一晩、自分の「憲法」と照らし合わせる。

「これ、本当に行きたい?」

「これ、私の『余白』を奪わない?」

この「一晩のバッファ」が、あなたを「うっかりYes」から守ってくれます。

(3)「100%のNo」が難しければ、「部分的なYes」を

PTAの役員決め、地域のボランティア…。

どうしても断りきれない、という場面もありますよね。

そんな時は、「全部(100%)」は引き受けない。

「役員(100%)は、仕事の都合で難しいんです。ごめんなさい。でも、週末にやる『お祭り』の手伝い(30%)だけなら、喜んで参加します!」

こうして、「できること」と「できないこと」をハッキリさせる。

これなら、相手も「協力してくれようとはしてるんだな」と分かってくれますし、あなたも「全部やらなきゃ」というプレッシャーから解放されます。


さあ、「転」の章、いかがでしたか?

私たちは、周りの「べき」という荷物をチェックし(キャラ弁事件!)、

「我が家の憲法」という軸を決め(金継ぎの精神!)、

そして、「優しいNo」の言い方を学びました。

これは、マインドフルネスの「応用編」です。

「今、ここ」に集中する(承)だけでなく、

「今、ここ」を脅かすものを、**「意図的に手放す」**という、能動的なマインドフルネス。

これ、最初はすっごく勇気がいります。

「嫌われるかな」って、怖いです。

でも、一度、この「荷物を降ろす」感覚を覚えてしまうと、世界が変わります。

バケツに「余白」が生まれるから。

では、この「余白」が生まれたことで、私と家族に、一体どんな「奇跡」が起きたのか。

なぜ、「No」と言ったはずなのに、むしろ周りの人との関係が「良く」なったのか。

いよいよ最後の「結」の章で、この「頑張りすぎない子育て術」がもたらしてくれた、一番嬉しかった「変化」について、お話ししたいと思います。

嵐は止まない。でも、大丈夫。「まあ、いっか」の「余白」が私と家族を救った話

(※ここから本文)

こんにちは! 長い旅にお付き合いいただき、ありがとうございます。[あなたのペンネーム、例:サクラ]です。

全4回にわたってお届けしてきた「頑張りすぎない子育て術」。

ついに、最終章の「結」です。

ここまで、

「起」の章で、私たちがなぜこんなに息苦しいのか(世間の目、心の余白ゼロ問題)を共有し、

「承」の章で、「食器洗い禅」や「10分本気遊び」といった、日常で「今、ここ」を取り戻す小さな技術(テクニック)を学びました。

そして「転」の章では、勇気を出して、私たちを縛る「世間の『べき』」という重い荷物を手放す「心の断捨離」と、「我が家の憲法」を作るお話をしました。

さて。

「べき」を手放し、「優しいNo」を言えるようになった。

バケツに、ほんの少しの「余白(よはく)」が生まれた。

……で、何が変わったの?

本当に、それで「幸せ」になれるの?

今日は、この「心の余白」が、私と、私の家族に何をもたらしてくれたのか。

このブログのタイトルでもある、「もう無理!」が「まあ、いっか」に変わった、その「奇跡」についてお話しさせてください。

<h4>一番変わったのは、「私」の口癖だった</h4>

正直に告白します。

このマインドフルな子育てを意識する前、私の口癖は「早くして!」「またこぼした!」「何回言ったらわかるの!?」でした。

……書いてるだけで自己嫌悪です(苦笑)

心に「余白」が1ミリもなかったから。

すべてがスケジュール通りに進まないと、パニックだったんです。

子どもがジュースをこぼす「想定外」は、私の「完璧な1日」を破壊する「敵」でしかなかった。

でも、「転」で「キャラ弁」をやめた(=べきを手放した)ように、完璧な1日なんてものを目指すのをやめました。

「我が家の憲法」は、「笑顔でおやすみ」です。

キャラ弁より、朝の15分の二度寝の方が、よっぽど「笑顔のおやすみ」に貢献してくれたんです。

そうやって「余白」ができて気づいた、最大の変化。

それは、**「まあ、いっか」**という言葉が、自然と口から出るようになったことでした。

子どもがジュースをこぼす。

(あ、床がベトベトになる。掃除しなきゃ。イラッ…)

という感情が湧くのは、今も同じです。人間だもの(笑)

でも、その「イラッ」とした瞬間に、「承」でやった「3回呼吸」ができる「余白」がある。

「ふぅー」と息を吐いて、こう思うんです。

(まあ、いっか。死ぬわけじゃないし)

(むしろ、これで『雑巾がけ』のタスクができた。床、きれいになるじゃん。ラッキー)

信じられないかもしれませんが、本当にそう思える瞬間が増えたんです。

日本には「禍を転じて福と為す(わざわいをてんじてふくとなす)」という古い言葉がありますが、まさにそれ。

マイナスに見える出来事を、プラスに解釈し直す「心の遊び(=余白)」ができるようになったんです。

「早く!」が減りました。

代わりに、「あ、コーヒーの匂い、いい香り」と、朝の一杯を「味わう」時間ができました。

以前は、コーヒーなんて、ただの「カフェインという燃料」を「流し込む」作業だったのに!

「完璧な母」を目指すのをやめたら、「ちょっと幸せな私」になれた。

これが、一番大きな収穫でした。

<h4>「余白」は、伝染する。穏やかになった母を見て、子どもが変わった</h4>

そして、驚いたのは、その「変化」が伝染したことです。

私がイライラしなくなった。

「早く!早く!」と急かさなくなった。

「10分本気遊び」で、スマホを置いて、本気で彼らの目を見るようになった。

すると、どうなったか。

子どもが、私を「試す」必要がなくなったんです。

今までは、「ママ、見て!」と呼んでも、私が「はーい(スマホ見ながら)」だったから、彼らは不安だったんですね。

「ママの心は、今どこにあるの?」と。

だから、わざとジュースをこぼしたり、兄弟ゲンカをしたりして、「ママの注目」という名の愛情を確認しようとしていた。

でも、今は違う。

たった10分でも、「100%の私」が自分に向き合ってくれることを知っているから、彼らは「安心」している。

「心の貯金」が満タンなんです。

だから、私が「ちょっとお料理するね」と言うと、「いいよー」と一人で遊べる時間が増えました。

(もちろん、今でもケンカはしますけどね!)

そして、もっと面白い変化が。

私が「まあ、いっか」と言うようになったら、

長男が、弟がおもちゃを壊した時、「あーあ。……まあ、いっか!」って言うようになったんです(笑)

ママの「心の余白」は、そのまま、子どもの「心の余白」になる。

穏やかさって、伝染するんです。

これに気づいた時、私は「ああ、私が頑張るべきだったのは、キャラ弁作りじゃなくて、こっちだったんだ」と、心から思いました。

<h4>「優しいNo」が、本物の「Yes」を生んだ。人間関係の奇跡</h4>

そして、「転」の章の最後で投げかけた問い。

「なぜ、『No』と言ったはずなのに、むしろ周りの人との関係が『良く』なったのか」

これ、本当に不思議でした。

「和」を乱すことを、あんなに恐れていたのに。

理由は、こうでした。

私が「優しいNo」を言えるようになったことで、私の「Yes」に、**「本物の価値」**が生まれたんです。

以前の私は、内心「行きたくないな…疲れてるな…」と思いながらも、ママ友のランチ会に「Yes」と言っていました。

当然、行っても心から楽しめない。どこか顔が引きつってる。

相手にも、その「無理してる感」って、伝わりますよね。

「サクラさん、誘わなきゃ悪いけど、なんかいつも楽しくなさそう…」って。

でも、今は違います。

「我が家の憲法」に照らして、本当に疲れている時は、

「誘ってくれて、すっごく嬉しい! でも、今週ちょっとバタバタで…。来月なら余裕あるから、また誘って!」

と、ちゃんと「No」を言う。

その代わり、自分が行くと決めた「Yes」のランチ会。

それは、私の「心の余白」が許可した、本物の「Yes」です。

だから、心の底から楽しめる!

「〇〇さんと話せて、今日めっちゃ楽しかった!」と、本心から言える。

相手にとって、どっちが嬉しいでしょう?

「義務感で来る、つまらなそうな私」と、

「来られない時もあるけど、来たら最高に楽しんでくれる私」。

答えは、明らかですよね。

「No」を言った時、相手は一瞬「残念」と思うかもしれません。

でも、長い目で見れば、「あの人は、自分の気持ちに正直な人だ」という**「信頼」**が生まれるんです。

「和」を重んじる日本の文化は素晴らしい。

でも、それは「自分を殺して、周りに合わせること」じゃない。

**「自分も相手も大切にしながら、誠実な関係を築くこと」**だと、私は解釈し直しました。

「罪悪感ゼロのNo」は、自分と相手への「誠実さ」の証だったんです。

<h4>最後に。海外で頑張る、あなたへ</h4>

ここまで、東京の片隅で暮らす一主婦の、ドタバタな「心の変化」にお付き合いいただき、本当にありがとうございました。

今、この文章を読んでくださっているあなたは、日本を離れ、言葉も文化も違う場所で、私なんかが想像もできないようなプレッシャーの中で、毎日を戦っていることと思います。

「日本のママはこうなのに」と比べられたり、逆に「海外のママはこうなのに」と、両方からの「べき」に挟まれて、苦しくなることもあるかもしれません。

でも、大丈夫。

「完璧なママ」になんて、ならなくていい。

あなたのお子さんが一番欲しいのは、「完璧な環境」じゃなくて、**「笑顔のあなた」**であるはずだから。

「禅」も「金継ぎ」も「余白の美」も、すべて日本に昔からある「生活の知恵」です。

そして、その知恵は、どこにいても実践できます。

嵐は、止みません。子育てとは、そういうものです。

でも、私たちは、その嵐の中心で、穏やかに深呼吸し、時には「まあ、いっか」と笑いながら踊ることだってできる。

もし、今日から「もう無理!」と思った時は、

まずは一杯のコーヒーを、ただ「味わう」ことだけに使ってみてください。

その3分間の「余白」が、きっと、あなたの明日を少しだけ、変えてくれるはずです。

あなたの「マインドフルな子育て」を、遠い日本の空の下から、心から応援しています!

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