成功の定義、リセットしませんか? 日本の「教育レース」に疲れた私が気づいた、「少ないほうが、もっと豊かな」子育て術

「成功」って、誰のため? 日本の”教育ママ”レースで感じた強烈な違和感

(ここから「起」の本文です)

こんにちは! このブログに遊びに来てくれてありがとうございます。

日本で夫と子どもたちと、毎日ドタバタしながらも「今日の幸せ」を探して暮らしている主婦の(あなたの名前や愛称)です。

このブログは、今海外に住んでいる皆さんや、日本に興味を持ってくれている方に向けて、ガイドブックには載っていない、日本の「リアルな今」や、私たちが日々感じている「暮らしの知恵」みたいなものを、実体験ベースでお届けしています。

さて、突然ですが、皆さんの国で「子育ての成功」って、どんなイメージですか?

「いい子に育つこと」?

「本人が幸せであること」?

もちろん、それが一番ですよね。私も心からそう思っています。

でもね、日本、特に私が住んでいるような都市部で子育てをしていると、どうしても耳に入ってくる「もう一つの成功のカタチ」があるんです。

それは、「いい学校に入り、いい会社に入り、安定した将来を手に入れること」

この「成功」の定義、ものすごく強固なんです。

もちろん、子どもの将来を思う親心は万国共通。でも、日本の場合、それが「お受験」という独特の文化に直結している気がします。

「お受験(おじゅけん)」って言葉、聞いたことありますか?

文字通り、小学校や中学校に入るための「受験」のことなんですが、早い子だと2歳、3歳の「プレスクール」の時点から、もう「レース」が始まってるんです。

私も、長男が2歳になった頃、近所の公園でいわゆる「ママ友」たちと話していた時の衝撃は忘れられません。

「〇〇くん、もう幼児教室(知育教室のこと)行ってる?」

「うちは、英語のプリスクールと、リトミックと、スイミングかな」

「将来、〇〇小学校(有名な私立)に入れるなら、A塾がいいって聞いたよ」

……え、待って待って。

うちの子、まだ昨日ダンゴムシと友達になったとこなんだけど!?

正直、焦りました。めちゃくちゃ焦りました。

「え、うち、何もしてない…!このままじゃ、この子の将来ダメになっちゃうの?」って。

日本には「出る杭は打たれる」という言葉がある一方で、「横並び」の意識もすごく強いんです。

「みんながやっていることは、ウチもやらなきゃ」

「この『当たり前』のレールから外れたら、大変なことになる」

そんな無言のプレッシャーが、社会全体に蔓延しているような…。

スマホを開けば、SNSでキラキラした「知育ママ」のアカウントが目に入る。完璧なスケジュール管理、手作りの知育おもちゃ、子どもの輝かしい成果…。

「もっと(More)学ばせなきゃ」

「もっと(More)体験させなきゃ」

「もっと(More)『できる子』にしなきゃ」

この「もっともっと」スパイラル。

気がつけば、私もそのレースの片隅で、息を切らしながら走っていたんです。

子どもが「今日は公園で遊びたい」と言っても、「ごめん、今日はスイミングの日だから!」と車に乗せる。

寝る前に「絵本読んで」と言われても、「早く寝ないと明日の朝、習い事に遅刻するでしょ!」と電気を消す。

……あれ?

私、誰のためにこんなに頑張ってるんだっけ?

子どもの「将来」のため?

でも、その「将来」のために、一番大切な「今」を、全部すり減らしていない?

子どもの笑顔より、スケジュール帳の「完了」タスクを優先していない?

親子関係が、なんだかギスギスしていない?

そんなモヤモヤが最高潮に達していたある日、ふと目にした海外の育児コラムにあったのが、今回のテーマの元になったフレーズでした。

“Redefining Success: Why Less Can Be More”

(成功の再定義:なぜ「少ない」ほうが「豊か」になれるのか)

頭をガツンと殴られたような衝撃でした。

そうか。「成功」の定義って、一つじゃなかったんだ。

私たちが追いかけていた「もっと、もっと」という成功の形。

それって、子どもや私たち家族を、本当に幸せにしてくれるんだろうか?

「伝統的な成功」の物差し…つまり、学歴や、将来の収入、社会的地位。

それを目指すレースに勝つことだけが、親の役目なんだろうか。

もし、そうじゃないとしたら?

もし、「成功」の物差しを、「どれだけ深くつながれたか」「どれだけ心が満たされたか」に置き換えてみたら?

習い事の数を「減らす(Less)」ことで、家族で夕ご飯を笑いながら食べる時間という「豊かさ(More)」を手に入れる。

高価なおもちゃを「減らす(Less)」ことで、子どもが自分で遊びを工夫する「創造力(More)」を育む。

親が「あれしなさい、これしなさい」と管理するのを「減らす(Less)」ことで、子どもが自分で考えて失敗から学ぶ「レジリエンス(立ち直る力)」という「強さ(More)」を身につける。

これって、実は昔から日本にある「足るを知る(たるをしる)」という生活の知恵や、「余白(よはく)の美学」みたいな考え方に、すごく近いんじゃないかと思ったんです。

スケジュールをパンパンに詰め込むんじゃなくて、あえて「何もしない時間」という余白を作る。

その「余白」があるからこそ、子どもは自分で自分を満たす方法を学び、親は子どもの小さな成長に気づく余裕が生まれる。

この「勝ち組」レースのプレッシャーが強い日本で、あえて「スローダウン」すること。

あえて「少なく」すること。

それは、ただの「手抜き」や「諦め」じゃない。

もっと本質的な「豊かさ」と「幸せ」を選ぶ、積極的な「人生術」なんじゃないか。

そう気づいた時、私はずっと感じていた息苦しさから、ふっと解放された気がしたんです。

このブログ連載(今日はまず「起」の部分ですが!)では、私がこの「もっと、もっと」の呪いから降りて、「少ないほうが豊か」な子育てに舵を切ることを決意し、実践していく中でのリアルな体験談をお話ししていきたいと思います。

伝統的な「成功」のプレッシャーが強い日本社会の中で、この「余白だらけの子育て」が、どうやって私たち親子の関係を深くし、子どもを(多分)たくましくし、そして何より、私の心を軽くしてくれたか。

まずは、この強烈な「違和感」と「焦り」だらけだった、あの頃の話から始めさせてください。

「頑張らない」と決めた日。スケジュール帳から「余白」を取り戻すまで

(ここから「承」の本文です)

「起」の記事も読んでくださって、ありがとうございます!

日本で「普通」や「当たり前」のレールに乗ろうと必死で、息切れしていた私の心の叫び、共感してくださる方がいたら嬉しいです。

さて、「Less is More(少ないほうが豊か)」という言葉に出会って、

「これだ! 私が求めていたのは!」

と、頭にガツンと衝撃が走ったところまでお話ししましたよね。

でも、皆さん。

「わかる」と「できる」は、全くの別物でした。

そう、日本社会(というか、私自身にこびりついた価値観)の中で、「やめる」こと、「減らす」ことって、

「新しく何かを始める」ことの、体感として10倍は難しいんです!!

頭では「余白が大事」「詰め込みすぎは良くない」とわかっている。

でも、いざ、びっしり埋まった子どものスケジュール帳を前にすると…。

「本当に、やめちゃっていいの?」

「この教室、入るのだって順番待ちしたのに」

「周りの〇〇ちゃんは、もう英語でスピーチしてるのに、うちだけやめたら…」

そう。心の奥底から「不安のオバケ」が、わらわらと湧いてくるんです。

日本で子育てしていると、この「みんなと違うことをする」という選択が、ものすごく勇気がいるんですよね。

「落ちこぼれ」になったらどうしよう。

「将来、あそこで頑張っておけばよかったね、って子どもに恨まれたらどうしよう」

「もっと、もっと」という呪い(もう呪いと呼びますね・笑)は、思ったよりもしぶとく私にまとわりついていました。

夫にも相談しました。

「最近、〇〇(子ども)なんだか疲れてる気がするし、私もイライラしちゃってる。だから、火曜日の英語教室、やめようと思うんだけど」

夫はどちらかというと「君に任せるよ」タイプなんですが、その時ばかりは

「え、あれ、月謝も高いけど、一番人気の教室じゃなかった? 大丈夫?」

と、やっぱり不安そう。

そう、不安なんです。

だって、私たちは「頑張ることは良いことだ」「努力は報われる」と教わって育ってきたから。

「頑張らない」という選択肢は、「怠慢」や「諦め」と同じカテゴリーに見えてしまう。

でも、私はもう一度、息苦しさの原因を思い出しました。

私がイライラしていたのは、「子どものため」と信じて頑張っていたスケジュール管理に、私自身が振り回されていたから。

子どもが「疲れた」とぐずっても、「でも、お金払ってるんだから行きなさい!」と叱咤していたから。

これって、誰のための「成功」なんだっけ?

…決めました。

私はまず、「私の心の余白」を取り戻すために、一つ「手放す」ことにしたんです。

震える手で(大げさじゃなくて、本当にそんな気分でした)電話をかけました。

「今月いっぱいで、火曜日の英語教室を、退会します」

電話を切った後、どっと疲れが来ました。

「ああ、やっちゃった…」という後悔と、

「本当にこれでよかったのかな…」という不安と、

「でも、決めたんだ!」という、ほんの少しの清々しさと。

そして、運命の(?)次の週の火曜日がやってきました。

いつもなら、午後3時。

「ほら、おやつ早く食べて!」「着替えて!」「バスに遅れる!」

と、家の中で怒号(!)が飛び交う時間です。

でも、その日の午後3時。

…シーン。

何も、ない。

スケジュール帳の、火曜日の午後3時の欄が、空白なんです。

「………。」

息子も、なんだかソワソワしてる。

「ママ、今日、英語は?」

「うん、今日からお休みにしたんだよ」

「ふーん。…じゃあ、何するの?」

「………何、しようか」

私、固まってしまったんです。

「余白が欲しい」とあれほど願っていたのに、いざ「余白」を手渡されたら、どう扱っていいかわからない!

なんて皮肉なことでしょう。

「え、えーっと、とりあえず…公園でも行く?」

結局、私たちは近所の小さな公園に向かいました。

習い事の「移動」じゃない、ただ「遊びに行く」ためだけに公園に行くなんて、本当に久しぶりでした。

息子は、最初「やったー!」と滑り台に走っていきましたが、5分もすると飽きたのか、私のところに戻ってきました。

「ねえ、帰る?」

いつもなら「せっかく来たんだから、もっと遊びなさい!」と言ってしまいそうになるのを、ぐっとこらえて。

「そうだね、どうしようか」

と、私もベンチに座ったまま、空を見上げました。

息子は、手持ち無沙汰に、足元の砂をいじり始めました。

…そこからが、すごかった。

彼は、落ちていた小石を並べ始め、

「ママ、これ、しんかんせん」

「こっちは、かめんライダー」

次に、アリの行列を見つけ、

「どこいくんだろう?」

と、しゃがみこんで、じーっと、本当に10分以上、アリを追いかけていました。

私は、ただ、ベンチに座って、それを眺めていました。

時計も気にしない。

「次」の予定もない。

夕焼けがだんだん濃くなっていく空。

公園の金木犀(きんもくせい)の、甘い香り。

アリの行列を真剣な顔で追っている、息子の横顔。

その時、ふっと、涙が出そうになったんです。

ああ、私、この子のこんな顔、ちゃんと見てあげてなかったな、って。

「早く、早く」

「次、次」

そうやって、子どもの「今」を全部見逃して、「将来」っていう不確かなもののために、一番大事なものをすり減らしていたんだな、と。

この日の「成功」は、何でしょう?

英語の単語を一つも覚えていない。

運動能力も上がっていない。

「生産性」でいったら、ゼロです。

でも、

息子は「退屈」という時間を使って、自分で「遊び」を創り出していました。

私は、久しぶりに「時間に追われない」という心の平穏を手に入れました。

そして、私たちは、帰り道に「あのアリさん、おうちに帰れたかな?」なんて、どうでもいいおしゃべりをしながら、手を繋いで帰りました。

「Less(英語教室をやめた)」ことで、

「More(息子が自分で考える時間と、親子の穏やかな関係)」を、

ほんの少しだけ、手に入れることができた。

これが、我が家の「成功の再定義」の、小さくて、でも、とてつもなく大きな一歩でした。

「余白」って、ただの「空白」じゃない。

そこは、子どもが自分で何かを「生み出す」ための、一番大切な「スペース」だったんです。

この「スケジュール帳の空白」が、この後、私たち家族にどんな変化をもたらしたのか…

それはまた、次のお話で。(「転」に続く!)

「何もしない」が教えてくれたこと。子どもの「生きる力」が伸びた瞬間

(ここから「転」の本文です)

こんにちは! いつも読んでくださって、本当に励みになっています。

「起」で日本の教育レースへの違和感を叫び、「承」では勇気を出して「習い事を一つやめる」という「余白」を手に入れた、あの日。

公園でアリの行列をただただ見つめる息子の横顔を見ながら、「ああ、これだ」と心がじんわり温かくなった、あの日のことをお話ししました。

正直に言うと、あの日、私は「もう迷わないぞ!」と強く思ったんです。

「これからは『余白』を大事にする育児をするんだ!」って。

でも…(笑)。

そんなに簡単な話ではありませんでした。

「余白」のある生活を始めて数週間。

相変わらず、SNSを開けば、同い年くらいの子が流暢な英語でスピーチしていたり、プログラミングで何かを作っていたり、素晴らしい絵画コンクールで入賞していたり…。

「キラキラしたよその子の『成果』」が、容赦なく目に飛び込んでくるわけです。

そのたびに、あの「不安のオバケ」が、また私の肩を叩くんですよ。

「…本当にいいの?」

「うちの子、公園でアリ見てるだけだけど…」

「今、楽(らく)してる分、将来あの子が苦労するんじゃないの?」

「余白」を手に入れたはずの私は、その「空白の時間」をどう過ごせばいいか、まだわからずにいました。

「何か、有意義なことをさせなきゃ」という長年の「癖」が、抜けないんです。

「暇(ひま)だー」と息子が言えば、

(来た! この「暇」という時間! ここで成長するはず!)

と構えつつも、

「じゃあ、粘土でもする?」「お絵描きは?」「あ、この前買ったドリルは?」

と、結局、私が「次のお題」を矢継ぎ早に提案してしまう。

私がやっていること、全然「Less(少なく)」なってないじゃん!

息子の「余白」を、私の「不安」で塗りつぶしてるだけだ!

これじゃダメだ。

「承」の公園での気づきは、ただの「まぐれ」だったの?

そんな自己嫌悪と焦りがぐるぐるしていた、ある雨の日曜日のことでした。

外にも出られず、家の中の空気もどんより。

息子は、お気に入りのブロックで、何やら大きな「基地」を作ろうとしていました。

でも、うまくいかないんです。

何度も何度も、積み上げたタワーが、ガシャーン!と音を立てて崩れる。

「あーもう!!」

イライラを隠せない息子の声が、リビングに響きます。

さあ、ここで問題です。

この時、あなたならどうしますか?

以前の私…「もっともっと」の呪いにかかっていた時の私なら、100%こう言っていました。

「あーあ、また倒した。だから言ったでしょ、土台をしっかり作らないと」

「こうやって、ここをこうするのよ。ほら、できた」

「もう! 泣かないの。じゃあ、もうやめて、DVDでも見たら?」

そう。

「解決」してあげるか、「介入」するか、「別の娯楽」を与えて「ご機嫌」をとるか。

「失敗」という不快な感情から、すぐに引き離してあげること。

「できない」という壁にぶつかったら、親がすぐに「正解」を教えてあげること。

それが、「親切」で「良い教育」だと思い込んでいました。

でも、その時の私は、「余白」の意味をもう一度問い直していました。

(私が「Less(少なく)」やることで、子どもが「More(多く)」を得るんじゃなかったの?)

私は、ものすごく勇気を出して、**「何もしない」**ことを選びました。

ガシャーン!

「……また崩れたね」

とだけ言って、私は読みかけの本に目を戻すフリ。(心臓バクバク)

「うわーん! もうできない!!」

息子が泣きながら、ブロックを一つ、床に投げつけました。

…来た! ピーポー案件です!(笑)

「モノを投げちゃダメでしょ!」

ここまで出かかった言葉を、ぐっと、本当に奥歯を噛み締めて、飲み込みました。

そして、代わりにこう言いました。

「…そっか。悔しいねえ」

…シーン。

雨の音と、息子のしゃくりあげる声だけが響きます。

私は、息子の「イライラ」「悔しい」「悲しい」という感情の「余白」に、無理やり踏み込まないように、ただひたすら「待った」んです。

日本には、「見守る(みまもる)」という言葉があります。

“Watch over” とか “Keep an eye on” と訳せるかもしれませんが、もう少し深いニュアンスがある気がします。

「介入はしない。手も出さない。口も出さない。でも、あなたのことをちゃんとここで見てるよ。信じてるよ」

という、静かで、ものすごく能動的な「待機」。

禅の精神にも近いかもしれません。

「何かをする」ことより、「あえて何もしない」ことのほうが、ずっと難しい。

5分くらい経ったでしょうか。

体感では30分くらいに感じましたが(笑)。

しゃくりあげていた息子が、ふと顔を上げて、床に散らばったブロックを、じーっと見つめました。

そして、おもむろに立ち上がると、今度はさっきと違う、大きくて平らなブロックを「土台」として選び始めたんです。

私は、息もできないくらい、静かに「見守り」ました。

彼は、泣きべそをかいたまま、ぶつぶつ何かを言いながら、さっきとは違うやり方で、もう一度積み上げ始めた。

今度は、壁を厚くしたり、支えを入れたり、明らかに「工夫」している。

そして、さらに10分後。

ガシャーン!

…また崩れました。

でも、今度はさっきと違いました。

息子は泣かなかった。

「あー…」と天を仰いだけど、すぐに「わかった!」と叫びました。

「ここだ! ここが重すぎたんだ!」

そして、三度目の正直。

彼は、さっきまでの失敗から学んだ「教訓」をすべて生かして、重心を低く、土台を広く、慎重に、慎重に…。

ついに。

彼が作りたかった「基地」の、原型ができたんです。

完璧じゃない。歪(いびつ)だし、カッコ悪くもある。

でも、彼は、自分の力だけで、やり遂げた。

「……ママ! できた! 見て! ぼく、ひとりでできた!!」

あの時の、誇りと達成感に満ち溢れた、涙と鼻水でぐちゃぐちゃの笑顔。

私は、一生忘れません。

私は、ただ「見守った」だけ。

私がやったことは「Less(何もしない)」。

でも、息子が手に入れたものは?

・「失敗」を恐れず、もう一度トライする力

・「どうすればできるか」を自分で考える力

・「悔しい」という感情を自分で乗り越える力

・「できた!」という、親に与えられたのではない、本物の自己肯定感

これこそが、あのフック(Redefining Success)にあった、

「よりレジリエントな子ども(more resilient children)」

の正体だったんだ、と。

「レジリエンス」…つまり、「心の回復力」や「折れない心」。

それって、親が先回りして「失敗」を取り除いてあげていたら、絶対に育たない力だったんです。

「失敗」という経験と、そこから立ち直る「時間(余白)」があって、初めて身につく筋肉だった。

日本でよく「生きる力(いきるちから)」という言葉を使います。

“The power to live” “Life skills” みたいな意味ですが、私はこれを「どんな状況でも、自分を信じて、考えて、しぶとく生きていく力」だと解釈しています。

この「生きる力」は、ドリルを解くことや、英語の単語を覚えることでは、養われない。

「暇だ」という退屈と、「できない」という悔しさの中で、自分で自分を奮い立たせる、あの「余白」の時間でしか、育たないんだ、と。

この雨の日の「ブロック事件」は、私にとって決定的な「転」換点になりました。

「もっともっと」のレースから降りることは、「教育の放棄」なんかじゃない。

テストの点数や「できること」の数で測れる「成功」を手放す代わりに、

目には見えないけれど、人生でずっと大切になる「生きる力(レジリエンス)」という、本物の「成功」を育むための、

最も積極的で、最も賢明な「戦略」なんだ、と。

この日を境に、我が家は「余白だらけ」の、一見すると「何もしていない」家族に、本格的にシフトしていくことになります。

我が家の「新しい成功」。幸せの物差しは、私たちが決める

(ここから「結」の本文です)

長い、長い、私の「呪い」と「解放」の物語にお付き合いいただき、本当にありがとうございます。

日本の片隅で、「もっともっと」という社会のプレッシャーに押しつぶされそうになっていた、ただの主婦です(笑)。

「起」では、息苦しさの中で「Less is More(少ないほうが豊か)」という言葉に出会い、

「承」では、震える手で習い事を一つやめて、「余白」という名の公園の時間を手に入れ、

「転」では、雨の日のブロック事件で、親が「何もしない」ことで、子どもが「レジリエンス(生きる力)」を獲得する瞬間を目撃しました。

このブログ連載を通して、私が一番伝えたかったこと。

それは、あの「転」で目撃した「子どもの力」が、決して「まぐれ」や「一時的なもの」ではなかった、ということです。

今日は、あの「ブロック事件」から、さらに少し時間が経った、我が家の「今」と、私たちが見つけた「新しい成功の定義」について、お話しさせてください。

正直に言うと、「スローダウン」を決意した後も、私の心から「不安のオバケ」が完全に消え去ったわけではありません。

今でも、電車の吊り広告で「〇〇塾、合格実績No.1!」みたいなのを見ると、心がザワッとします(笑)。

「うちの子、今日も公園で泥団子作ってただけだけど、大丈夫そ?」って。

でも、決定的に変わったことがあります。

それは、私が「不安」よりも、目の前にある「豊かさ」を信じられるようになったことです。

我が家は、あれから「余白だらけ」の家族になりました。

土日も、昔みたいに「子どものためになるイベント」を必死で探して詰め込むことはやめました。

土曜日の午前中、家族みんなでパジャマのまま、リビングでゴロゴロしていることもあります。

一見すると、「何もしていない」「怠けている」家族に見えるかもしれません。

でも、その「余白」の中で、私たちは、かつて失っていたものを取り戻していました。

例えば、息子。

彼は、相変わらずブロックも好きですが、最近は「料理」に夢中です。

私が夕飯を作っていると、「暇だー」と寄ってきて、

「ママ、にんじん、ぼくが切る」

「この、くさい草(ハーブのこと)何?」

と、私のお手伝い(という名のお邪魔?)を始めます。

以前の私なら、「危ないから!」「時間ないから!」「あっちでDVD見てて!」と、効率を優先して彼をキッチンから追い出していました。

でも、今の私は、

「おお、いいね。じゃあ、このレタスちぎってくれる? 時間かかってもいいよ、パパの帰りが遅くなっても、まあ死にはしないし(笑)」

と、彼に包丁(子ども用の)を渡し、一緒に台所に立てるようになりました。

彼は、「レジリエンス」だけでなく、

「退屈(余白)」を、自分で「楽しい(料理)」に変換する術(すべ)を、身につけていました。

親に「お題」を与えられなくても、自分で自分の機嫌をとり、世界に好奇心を持つ力。

これって、テストで100点を取ることより、ずっと「生きる力」じゃないでしょうか。

そして、私自身。

私は、「完璧なママ」を演じるのをやめました。

スケジュール管理に追われなくなり、イライラの原因だった「時間がない!」という口癖が消えました。

代わりに増えたのは、息子の「どうでもいい話」に、心から耳を傾ける時間です。

「今日、公園で見つけた石、恐竜のタマゴかもしれない」

「給食のワカメ、全部食べたらヒーローになれた」

そんな、とりとめのない会話。

でも、その「どうでもいい会話」の積み重ねこそが、

「僕はママに愛されている」「この家は安全だ」

という、子どもの心の「安全基地」を作るんだと気づきました。

あのフック(Redefining Success)にあった言葉を借りるなら、

「より深い関係性(deeper relationships)」と「より喜びある家庭環境(a more joyful home environment)」。

それは、高級なレストランで食事することでも、海外旅行に行くことでもなく、

ただ、夕飯のレタスを一緒にちぎりながら、ワカメの話でゲラゲラ笑う、そんな「余白」の時間の中にこそ、あったんです。

だから、今、もし私に「あなたの子育ての『成功』は何ですか?」と聞かれたら。

私は、もう迷わずこう答えます。

かつての私にとっての「成功」は、

**「他人との比較の中で、どれだけ『多く』を積み上げられたか」**でした。

学歴、習い事の数、できるようになったことのリスト。

でも、今の私たちが定義する「新しい成功」は、

**「家族みんなが、『自分』の物差しで『満たされている』と実感できること」**です。

具体的に言うと、

  1. 子どもが、「失敗」を恐れずに、自分で立ち直る力(レジリエンス)を持っていること。
  2. 子どもが、「退屈」を恐れずに、自分で「楽しい」を創り出せること。
  3. 私(親)が、「完璧」の呪いから解放され、子どもの「今」をそのまま愛せること。
  4. そして、家族みんなが、「ただいま」と帰りたくなる「心の安全基地」を、この家に感じていること。

これらは全部、SNSで「いいね!」がもらえるような「映える」成果ではありません。

数値化もできないし、合格通知が来るわけでもない。

でも、私たちは知っています。

この、目には見えない「心の豊かさ」こそが、

これから何十年と続く彼らの人生を、そして私たち自身の人生を、

しぶとく、温かく、支えてくれる「本当の財産」なのだと。

この考え方、実は、海外から来た「スローペアレンティング」という新しい概念だけじゃなく、昔から日本にある「生活の知恵」に、すごく似ていると思うんです。

「足るを知る(たるをしる)」

“To know what is enough.”

「もう十分にある」と知ること。

「ないもの」を数えて不安になるのではなく、「今あるもの」に感謝し、満足すること。

「腹八分目(はらはちぶんめ)」

“Eat until you are 80% full.”

満腹(100%)まで詰め込まず、あえて「2割の余白」を残しておくこと。

その「余白」があるからこそ、次の一口が美味しく感じられ、体も健康でいられる。

スケジュールも、教育も、子どもの可能性も、

パンパンに詰め込むんじゃなくて、「余白」を残しておく。

その「余白」こそが、子どもが自分で成長する「伸びしろ」であり、家族が呼吸するための「遊び」になる。

日本社会の中で、この「余白」を大切にする生き方を選ぶのは、今でも少し勇気がいります。

「みんな」と違うレールを行くのは、不安にもなります。

でも、このブログを読んでくださっている、海外に住む皆さんや、日本の文化に興味を持ってくれている皆さんなら、わかるかもしれません。

「みんなと同じ」であることよりも、「自分が幸せである」ことのほうが、ずっと大切だということを。

もし、今、あなたが子育てや、あるいはご自身の人生で、「もっと、もっと」というプレッシャーに息切れしているなら。

どうか、思い出してください。

あなたの「成功」の物差しは、誰かに借りたものになっていませんか?

「Less is More」

「減らす」ことは、「失う」ことじゃない。

「手放す」ことは、「諦める」ことじゃない。

それは、あなたの人生で、

本当に、本当に大切なもの…

家族の笑顔や、心の平穏、深い絆という「More(豊かさ)」を、

自分の両手でしっかりと掴み取るための、

**最も賢く、最も勇気ある「選択」**なんだと、私は信じています。

まずは、今度の週末、スケジュール帳に「何もしない」という「余白」を、書き込んでみませんか?

その「余白」が、あなたの家族にどんな奇跡をもたらすか、ワクワクしながら。

長い物語を、最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました!

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