台所のカオスと私の小さな「気づき」〜カイゼン以前の物語〜
海外にお住まいのみなさん、こんにちは! 日本の小さな街で、夫と二人の子供と暮らしている主婦です。
今日、あなたの住んでいる街の天気はどうですか? こちら日本は、四季の移ろいが美しい季節を迎えていますが、そんな風流なことを言っていられるのは、コーヒーを片手にほっと一息ついている「今」この瞬間だけ(笑)。
正直に告白しますね。
ほんの数年前まで、私の夕方のキッチンは「戦場」でした。もしかすると、これを読んでいるあなたも同じ悩みを抱えているかもしれませんね。
仕事や子育てに追われ、息を切らして帰宅する夕方5時。「ママー、お腹すいた!」という子供たちの合唱をBGMに、冷蔵庫を開けて絶望する瞬間。「あぁ、今日何作ろう……」。シンクには朝の洗い物が残っているし、まな板を置くスペースを作るために、まずは片付けから始めなきゃいけない。
野菜の皮は散乱し、調味料のボトルは出しっぱなし。料理が進むにつれて、私のイライラも最高潮に達します。
「ちょっと、今お料理中だから話しかけないで!」
なんて、愛する家族に八つ当たりしてしまうこともしばしば。狭い日本のキッチンの中で、私はまるでパニック映画の主人公のように、右往左往していました。
料理は愛情表現だなんて言いますが、当時の私にとって料理は「終わりのないタスク」であり、自分をすり減らす「義務」でしかありませんでした。
「KAIAZEN」は工場の言葉じゃない、私たちの言葉
そんなある日、私はふと、夫が仕事の電話で話しているのを聞きました。
「そこはもっと**カイゼン(Kaizen)**の余地があるな」
“Kaizen”。
海外のニュースやビジネス書で、この言葉を見たことがある方もいるかもしれませんね。TOYOTAをはじめとする日本の製造業が世界に誇るフィロソフィー、「改善」。
一般的には「効率化」や「生産性向上」と訳されますが、私たち日本人にとってのニュアンスはもう少し深くて、温かいものなんです。それは「現状を否定する」ことではなく、**「もっと良くするために、小さな工夫を積み重ねる」**という前向きな精神のこと。
でも当時の私は思いました。「カイゼン? それってロボットやスーツを着たビジネスマンの話でしょ? 挽肉と玉ねぎと戦っている私には関係ないわ」と。
けれど、その日の夕方、いつものように狭いキッチンで右往左往している時、ふと自分の動きを客観的に見てみたんです。
冷蔵庫から野菜を取り出し、シンクで洗い、まな板で切る。
あ、ゴミが出た。振り返って3歩後ろにあるゴミ箱へ捨てる。
またまな板に戻る。次はフライパンが必要だ。あ、シンクの下の戸棚の奥だ。しゃがみ込んで、手前の鍋をどかして取り出す。
炒め始めたら、今度は塩が必要。コンロの反対側の棚まで2歩移動。
……待って。私、料理をしている時間より、「移動している時間」や「何かを探している時間」の方が長くない?
狭いキッチンなのに、私は無駄に動き回っていたんです。まるで非効率なダンスを踊っているみたいに。
その瞬間、私の頭の中で電球がピカッと光りました。
「これだ。私のキッチンに必要なのは、新しい高価な便利グッズでも、広いアイランドキッチンでもない。『カイゼン』の精神だ」と。
日本の「もったいない」精神とキッチンの流儀
日本には**「もったいない(Mottainai)」**という言葉があります。
これは単に「物を捨てない」という意味だけではありません。その物が持つ価値や、費やされた労力、そして時間に対しても敬意を払う言葉です。
私はそれまで、食材を無駄にしないことには気をつけていましたが、「自分のエネルギー」と「時間」を大量に「もったいない」ことに使っていたことに気づいてしまったのです。
日本の茶道や武道には「所作(Shosa)」という考え方があります。美しい所作には、無駄がありません。流れるように動き、最小限の力で最大限の効果を生み出す。それは見ているだけで美しく、そして何より、行っている本人にとっても心地よいものです。
私が目指すべきは、これだと思いました。
ただ早く料理を終わらせるための「手抜き」ではありません。
自分の動き(フロー)を整え、無駄なストレスを取り除き、料理という行為そのものを、まるで茶道のお手前のように洗練された「心地よい時間」に変えること。
それが、私の**「The Kaizen of Cooking(お料理カイゼン)」**の始まりでした。
「面倒くさい」は発明の母
ここで、日本の社会や生活に根付いている面白い考え方をシェアさせてください。
日本人はよく「勤勉だ」と言われますが、実は根底には**「面倒くさがり」**な部分があると私は思っています(笑)。
「面倒くさい(Mendokusai)」という感情は、ネガティブに捉えられがちですが、実はこれこそがカイゼンの原動力なんです。
「ゴミ箱まで歩くのが面倒くさい」
「洗い物をするのが面倒くさい」
「献立を考えるのが面倒くさい」
この「面倒くさい」という心の声を無視して、「主婦なんだから頑張らなきゃ」と精神論でカバーしようとすると、いつか心が折れてしまいます。日本の古い価値観では「苦労すること」が美徳とされることもありましたが、現代の賢い主婦たちは気づき始めています。
「面倒くさい」と感じる場所には、必ず「カイゼン」の種が落ちている、と。
私はまず、自分のキッチンを「観察」することから始めました。
自分が料理中に何回冷蔵庫を開けているか?
何回しゃがんでいるか?
何回「あれ、どこだっけ?」と探しているか?
すると、驚くべき事実が見えてきました。私の疲労の原因は、料理そのものではなく、**「動線の悪さ」と「意思決定の多さ」**にあったのです。
例えば、私のキッチンでは、毎日使う菜箸とおたまが、引き出しの中にしまわれていました。使うたびに引き出しを開け、中をごそごそと探して取り出す。1回の動作にかかる時間はわずか3秒かもしれません。でも、それが1回の料理で10回あれば30秒。1年で180分。そして何より、「引き出しを開ける→探す」という微細なアクションが、脳のワーキングメモリを少しずつ奪っていたのです。
「これって、すごくバカバカしくない?」
私は決心しました。明日から、私のキッチンを実験室(ラボ)に変えようと。
どんなに小さなことでもいい。昨日より今日、1秒でも楽に、1ミリでもスムーズに動けるように変えていく。
誰のためでもない、私自身の「ご機嫌(Wellness)」を守るために。
これは、単なる収納術や時短テクニックの話ではありません。
日常の小さなストレス(私たちはこれを「名もなき家事」の負荷と呼びます)を取り除くことで、心に余白を作り出す、一種の**「人生のマネジメント術」**なのです。
日本の狭い住宅事情が生んだ「省スペースの知恵」と、ものづくり大国日本の「効率化の美学」。
これらを掛け合わせることで見えてきた、「頑張らないのに、すべてがうまく回り出す」魔法のようなメソッド。
これからお話しするのは、私が数年かけて実践し、今もなお改良し続けている「お料理カイゼン」の記録です。
難しい道具は一切必要ありません。必要なのは、今のキッチンを「もっと心地よい場所にしたい」と願う、あなたのちょっとした好奇心だけ。
さあ、エプロンの紐を締め直して。
カオスだった私のキッチンが、どのようにして「コックピット」のように機能的で、そして「禅の庭」のように静寂な心で作れる場所へと変わっていったのか。
コックピット化計画と「段取り八分」の魔法 〜無意識を味方につける〜
見えない無駄を「見える化」する恐怖と発見
「よし、カイゼンだ!」と意気込んだ私が最初にしたことは、新しい収納グッズを買いに走ることではありませんでした。日本のカイゼンにおいて最も重要なファーストステップ、それは**「現状の見える化(Mieruka)」**です。
ある週末、夫に頼んで私が料理している様子をビデオで撮ってもらったんです(笑)。
これ、ものすごく勇気がいりますよ。普段の自分の無防備な姿を直視するわけですから。でも、その映像を見た時の衝撃は忘れられません。
映像の中の私は、まるで迷子のリスのようでした。
冷蔵庫を開けて、閉める。数秒後に「あ、あれもだ」とまた開ける。
洗った野菜を置く場所がなくて、オロオロと皿を移動させる。
濡れた手を拭くタオルが遠くて、水滴を床にポタポタ落としながら歩く。
「私、こんなに無駄な動きをしていたの!?」
トヨタの生産方式には「スパゲッティ・チャート」という手法があります。工場内の人の動きを線で結ぶと、効率の悪い現場はスパゲッティのように線が絡み合って見えることからそう呼ばれます。
私のキッチンの動線は、まさに極太のスパゲッティ状態でした。
この「見える化」によって、私の敵がはっきりしました。
敵は「料理の難しさ」ではなく、**「迷い」と「不必要な移動」**だったのです。
魔法の呪文「ワン・アクション」とコックピット理論
そこで私が取り入れたのが**「キッチン・コックピット化計画」です。
パイロットが操縦席(コックピット)に座ったまま、必要なスイッチすべてに手が届くように、私も「一歩も動かずに」**料理の主要なプロセスを完結させたいと願いました。
日本の住宅事情は狭いと言われますが、逆転の発想をすれば、**「手を伸ばせばすべてに届く」**ということ。この狭さは、実は最強の武器になるんです。
ここで私が徹底したルールが一つあります。
それは**「ワン・アクションの法則」**。
以前の私は、毎日使うフライパンを「シンク下の扉を開ける」→「しゃがむ」→「取り出す」というスリー・アクションで取っていました。
これを、コンロの目の前の壁にフックをつけて吊るすことにしました。これなら「手を伸ばす」というワン・アクションで済みます。
「たかだか扉を開ける一手間でしょ?」と思うかもしれません。
でも、考えてみてください。1回の料理で道具や調味料を手に取る回数は何十回にも及びます。その都度、脳は無意識に「扉を開ける」という指令を出しています。この微細な決断の連続が、脳の「ウィルパワー(意志力)」を枯渇させていたのです。
私は日本の100円ショップ(DaisoやSeriaなど、日本には安くて優秀な雑貨店がたくさんあります!)で、マグネットフックやワイヤーネットを買い込みました。
よく使う菜箸、おたま、計量スプーン、そして塩と胡椒。これらをすべて「壁面」や「目の高さ」に配置しました。
見た目は少しごちゃごちゃするかもしれません。以前の私は「生活感を隠すこと」がおしゃれだと思っていました。
でも、今の私にとっての美学は**「機能美」**。
使いたい瞬間に、考えるより先に手が伸びて道具を掴んでいる。その流れるような感覚は、まるで自分が熟練の職人になったような高揚感を与えてくれます。
これが整うと、不思議なことが起きます。
パスタを作る時も、肉じゃがを作る時も、あるいはメキシカンのタコスを作る時でさえ、私の手は迷いなく動くようになり、料理のスピードが劇的に上がったのです。料理のジャンルは違っても、「切る」「炒める」「味付ける」という身体動作の「型(Kata)」は同じだからです。
「段取り八分」〜未来の自分への親切〜
空間(ハードウェア)を整えた次に私が着手したのは、意識(ソフトウェア)のカイゼンです。
日本には**「段取り八分(Dandori Hachibu)」**という職人の言葉があります。
「仕事の成果の8割は、準備(段取り)で決まる」という意味です。
以前の私は、フライパンに油を熱してから「あ、ニンニク刻まなきゃ!」と慌てていました。これでは焦りますし、火加減にも失敗します。
私はこれをやめ、「調理」と「加熱」を完全に分離することにしました。
ここで活躍するのが、日本料理の厨房でよく見かけるステンレスの**「バット(Tray)」です。
私は料理を始める前に、その料理に使う野菜、肉、調味料をすべて出し、切り、計量し、このバットの上に並べます。
フランス料理でいう「ミーズ・アン・プラス(Mise en place)」と同じですが、日本の主婦的な感覚で言うと、これは「未来の自分へのプレゼント」**なんです。
バットの上に切られた食材が綺麗に並んでいる様子を見ると、心に強烈な「安心感」が生まれます。
「あとは、これを順番に鍋に入れていくだけ。もう何も心配いらない」
この安心感があるからこそ、フライパンに向かった時に、火加減や香りの変化に集中できるのです。
この「段取り」の時間は、決して時間のロスではありません。
野菜を刻んでいる時間は、無心になれる「マインドフルネス」の時間。
「今日はどんな味にしようかな」と想像力を膨らませるクリエイティブな時間。
バットに食材が埋まっていくプロセス自体を楽しむようになりました。
「ながら」ではなく「流れ」を作る
日本の主婦はよく「ながら作業(マルチタスク)」が得意だと言われます。
「煮込みながら洗い物」「電話しながら掃除」。
でも、脳科学的にはマルチタスクは効率を下げるとも言われていますよね。
私の「お料理カイゼン」では、無理な「同時進行」はやめました。
その代わりに意識したのが**「水のような流れ(Flow)」**です。
例えば、「野菜を洗う」ついでに「シンクもサッと洗う」。
「冷蔵庫から牛乳を出す」ついでに「賞味期限切れドレッシングを捨てる」。
これを日本人は**「ついで掃除」と呼んだりしますが、私はこれを「動作のリンク(連結)」**と捉えています。
一つの動作の勢い(モーメンタム)を利用して、次の小さなタスクを片付けてしまう。
わざわざ「さあ、掃除をするぞ!」と気合を入れる必要はありません。
以前の私は、料理が終わった後のシンクを見るのが大嫌いでした。油汚れのついたフライパン、野菜クズの散らばった排水溝……。食事の後の満腹感と幸福感が、その光景を見た瞬間にしぼんでしまうからです。
でも、「流れ」を意識してからは、煮込んでいる間の「手持ち無沙汰な時間」が「リセットタイム」に変わりました。
フライパンを火にかけている3分間。ただスマホを見るのではなく、まな板を洗い、使った調味料を元の位置(コックピット)に戻す。
すると、料理が完成して食卓に運ぶ頃には、キッチンはすでに8割方片付いているのです。
「いただきます」の瞬間に、キッチンが整っている。
この快感を知ってしまったら、もう以前のカオスなスタイルには戻れません。
食後の自分(未来の自分)が、「ありがとう! おかげでゆっくりお茶が飲めるわ」と今の私に感謝しているのが聞こえるようです。
小さな「カイゼン」は、自信の貯金になる
こうして私のキッチンは、ストレスフルな「戦場」から、私の意のままに操れる「聖域(Sanctuary)」へと変わっていきました。
重要なのは、これらを一気にやったわけではないということです。
今日は、「塩の場所だけ変えてみよう」。
明日は、「フライパンの蓋の置き場所を見直そう」。
カイゼンの本質は**「Continual(継続的)」であること。
毎日ひとつ、小さな「不便」を見つけて、それを解消する。
その小さな成功体験が積み重なると、「私は自分の環境を自分で良くすることができる」という、深い自己効力感(Self-efficacy)**に変わります。
料理の効率化を通じて、私は人生においても大切なことを学びました。
それは、**「環境や状況を嘆く前に、自分の『手』と『知恵』で変えられることがある」**という事実です。
でも、話はここで終わりません。
効率化を突き詰め、無駄を削ぎ落とした先に、私はある「予期せぬ落とし穴」に落ちてしまったのです。
効率を求めすぎた結果、失ってしまった「大切なもの」。そして、そこからどうやって本当の意味での「豊かな料理時間」を取り戻したのか。
次の【転】のパートでは、カイゼンの行き過ぎが招いた失敗と、そこから見出した日本的な「余白」の美学についてお話ししましょう。
効率化の鬼と化した私、そして「手間の愛おしさ」への回帰
私は「キッチン・サイボーグ」になってしまったのか?
「お母さん、最近の料理、なんだか『作業』みたいだね」
ある週末の夕食後、夫がポツリと言ったその言葉に、私は凍りつきました。
当時の私は、まさに「カイゼン」の絶頂期。キッチンはモデルルームのように片付き、私の動きには一切の無駄がなく、夕食は毎日決まった時間に完璧な状態でテーブルに並んでいました。
私は自信満々に反論しました。
「何言ってるの? 昔みたいにイライラしてないし、ご飯も待たせてないじゃない。完璧でしょ?」
でも、夫の顔は晴れませんでした。
「うん、便利だし、早いし、味も美味しいよ。でもなんていうか……以前のように『これ美味しいね!』って言い合える隙(すき)がないというか、キッチンにいる君がずっと時計と睨めっこしているみたいで、話しかけづらいんだ」
その言葉を聞いた夜、私は一人でキッチンに立ち、ピカピカに磨き上げられたシンクを見つめました。
確かに、私は楽になりました。自分の時間を確保できるようにもなりました。
でも、いつの間にか私は**「効率化の鬼」**になっていたのです。
料理を「いかに早く終わらせるか」というゲームとして捉え、家族がキッチンに入ってきて私の動線を邪魔しようものなら、「ちょっと、今そこ通らないで! 私の『流れ』が乱れるから!」と心の中で舌打ちをする。
野菜を切る音はリズミカルでしたが、そこに「誰かを想う温かさ」は乗っていたでしょうか?
私はロボットのように正確にタスクをこなす**「キッチン・サイボーグ」**になり、料理から「心」という最も大切なスパイスを削ぎ落としてしまっていたのです。
日本の矛盾? 「ハイテク」と「伝統」の間で
ここで少し、日本の社会が抱える面白い「矛盾」についてお話ししましょう。
日本は、新幹線が秒単位で正確に運行し、コンビニエンスストアには驚くほど便利な時短食品が並ぶ「効率大国」です。
しかし一方で、何時間もかけて出汁(Dashi)を取り、季節の葉っぱを一枚飾るために野山を歩くような「非効率な美学」も同時に愛しています。
私たちは、この**「効率(Efficiency)」と「風情(Atmosphere/Sentiment)」**のバランスを取ることに、常に揺れ動いている民族なのかもしれません。
私が陥ったのは、この「効率」の方にアクセルをベタ踏みしてしまった状態でした。
「時短(Jitan – Time saving)」は、現代の日本の主婦にとって魔法の言葉です。でも、時間を短縮した結果、生まれた時間で何をしたかったのか? それを私は忘れていたのです。
ただスマホを眺める時間を増やすために、料理の時間を削っていたとしたら……それは本当に「豊かな人生」と言えるのでしょうか?
「餃子(Gyoza)」が教えてくれた、不揃いの美学
私の目が覚めたのは、子供たちと「手作り餃子」を作った日のことでした。
餃子。それは日本の家庭料理の定番ですが、正直に言って「カイゼン」の敵です(笑)。
野菜を細かく刻み(みじん切りは大変!)、肉を練り、皮で一つ一つ包み、焼く。冷凍食品を買えば300円で済むものを、わざわざ1時間以上かけて作るのですから、非効率極まりありません。
以前の「効率化の鬼」だった私なら、子供たちが手伝うのを嫌がったでしょう。
「形が崩れるからママがやるわ」
「粉が飛び散るから触らないで」
そう言って、自分一人で高速で包み終えていたはずです。
でもその日は、夫の言葉が胸に刺さっていたこともあり、あえて「システム」を崩してみることにしました。
「今日はみんなで作ろうか」
キッチン・コックピットに、不器用な小さな手たちが侵入してきます。
案の定、現場は大混乱です。
長男は具を入れすぎて皮を破り、次女は奇妙な形の「UFO餃子」を作り始めました。粉は床に散らばり、私の完璧な動線はズタズタです。
でも、その時、キッチンには**「笑い声」**が溢れていました。
「何これ、変な形!」
「こっちの方が具がたくさん入ってて美味しいよ!」
「ママのやつ、プロみたいにつまんない形だね(笑)」
ハッとしました。
私の作った、工場製品のように均一で完璧な餃子よりも、子供たちが作った歪で、皮が破れかけた餃子の方が、なぜか美味しそうに見えたのです。
日本には**「わび・さび(Wabi-Sabi)」**という美意識があります。
完全無欠なものよりも、不完全なもの、歪なもの、時間の経過を感じさせるものに美しさを見出す心です。
効率化された料理は「正解」かもしれません。でも、そこには「物語」がありませんでした。
子供たちの指紋がついた、不格好な餃子。そこには「家族の時間」という物語が詰まっていました。
焼きたての熱々をみんなで頬張った時、私は久しぶりに、料理が単なる「栄養補給のタスク」ではなく、**「愛を交換する儀式」**であることを思い出したのです。
真のカイゼンとは、「余白(Yohaku)」を作ること
この「餃子事件」を経て、私の「お料理カイゼン」は新しいステージ(フェーズ2)へと進化しました。
私は気づいたのです。
これまでの私がやっていたのは、単なる「手抜き(Cutting corners)」や「機械化」でした。
でも、本当のカイゼンとは、「どうでもいい時間」を削ることで、「本当に大切な時間」を生み出すことだったはずです。
日本画や書道には**「余白(Yohaku)」**という概念があります。
紙のすべてを墨で埋め尽くすのではなく、あえて何も描かない白いスペースを残すことで、描かれた対象を際立たせ、見る人の想像力を掻き立てる技法です。
人生も同じではないでしょうか?
スケジュールをタスクで埋め尽くすことが「充実」ではありません。
効率化によって生まれた「時間という余白」に、何を描くか。あるいは、あえて何も描かずにぼんやりとお茶を飲むか。その「余白」の質こそが、生活の質(Quality of Life)を決めるのです。
私はルールを変えました。
- 「平日は徹底的にカイゼンする」忙しい平日は、コックピット理論を駆使し、ワン・アクションで20分で夕食を作ります。これは「家族との団欒の時間」を長く確保するためです。
- 「週末はあえて手間を楽しむ」週末は、出汁を昆布からゆっくり引いたり、子供たちと粉からうどんを打ったりします。非効率を愛でる時間です。
このメリハリがついた時、初めて私のカイゼンは完成しました。
効率化は、無機質な生活を送るためではなく、「心にゆとり(Yutori)」を持ち、人に優しくなるためにある武器だったのです。
「丁寧な暮らし」の嘘と真実
海外のSNSでも「丁寧な暮らし(Teinei na kurashi – Living carefully/deliberately)」という日本のトレンドワードが紹介されることがあります。
美しく整った部屋、手作りの保存食、季節の花。
これを見て、「私には無理だわ」とため息をつく必要はありません。私も以前はそうでした。
でも、今の私が思う「丁寧な暮らし」は、見た目の美しさではありません。
それは、**「自分の時間の使い方を、自分でコントロールできている感覚」**のことです。
カイゼンによって「やらなければならないこと(Have to)」を圧縮し、「やりたいこと(Want to)」のスペースを広げる。
たとえその「やりたいこと」が、ソファでだらしなく昼寝をすることだったとしても、それが自分で選んだ時間の使い方なら、それは立派な「丁寧な暮らし」なのです。
私のキッチンは、相変わらずコックピットのように機能的です。
でも今の私は、そこからおたまを取り出す時、0.5秒の早さを競うのではなく、その使いやすさに一瞬だけ感謝して微笑む余裕を持っています。
効率化の先に見つけたのは、楽園のような完璧な世界ではなく、
**「不完全な自分や家族を、まるごと愛するための時間」**でした。
さあ、長い旅もいよいよ終わりに近づいてきました。
最後に、この「お料理カイゼン」の哲学を、どのようにしてあなたの日常、そして人生全体に広げていけばいいのか。
そして、私たち主婦がキッチンから世界を変える(大袈裟ではありませんよ!)可能性についてお話しして、このブログを締めくくりたいと思います。
キッチンから始まる人生革命、あなたの「聖域」を守るために
キッチンは「心を映す鏡」であり、人生の「道場(Dojo)」である
ここまで読んでくださって、本当にありがとうございます。
私の「お料理カイゼン」の旅、楽しんでいただけましたか?
振り返ってみると、私のキッチンは、単に料理を作る場所ではありませんでした。そこは、私自身の心の状態を映し出す**「鏡(Mirror)」**だったのです。
心が乱れている時は、キッチンも散らかっている。
逆に、キッチンを整えると、不思議と心の嵐も静まっていく。
禅(Zen)の修行僧が、掃除を悟りへの道と捉えるように、私たち主婦にとってキッチンを整える行為は、自分の心をチューニングする「動く瞑想(Moving Meditation)」なのかもしれません。
もし今、あなたが人生の何かに迷っていたり、コントロールできない忙しさに溺れそうになっているなら、まずはキッチンの引き出しを一つだけ整理してみてください。
スプーンの向きを揃える。ただそれだけのことが、驚くほど深い安心感を連れてきてくれます。
「私は、私の世界(この引き出しの中)を完全にコントロールできている」
この小さな自信の積み重ねが、やがて人生の大きな荒波を乗り越える力になります。
そう、キッチンは私たちにとっての**「道場(Dojo)」**なのです。
日本の武道が教える上達のステップ「守・破・離(Shu-Ha-Ri)」
ここで最後に、もう一つだけ日本の古い言葉をプレゼントさせてください。
剣道や茶道などの芸事で使われる、上達のプロセスを表す言葉で**「守破離(Shu-Ha-Ri)」**といいます。
この言葉、実は私たちの「お料理カイゼン」のプロセスそのものなんです。
- 守(Shu)=教えを守るこれは私が【承】でやったこと。先人の知恵や「コックピット理論」「ワン・アクション」といった基本の型を忠実に真似て、徹底的に効率化を学ぶ段階です。型(Form)を身につけることで、無駄な動きがなくなります。
- 破(Ha)=型を破るこれは【転】の段階。効率だけが全てではないと気づき、あえて手間をかけたり、自分なりのアレンジを加えたりする段階。基本があるからこそ、そこから逸脱することの楽しさがわかります。
- 離(Ri)=型から離れるそして今、私がいる場所です。もはや「効率」か「情緒」かという二項対立にとらわれません。その日の気分や家族の状況に合わせて、自由に、無意識に最適な動きができる状態。
多くの人が、いきなり「離(オリジナルな自己流)」をやろうとして失敗します。
「片付けなんて苦手」「私はズボラだから」
そう言って諦めてしまうのは、まだ「守(基本の型)」を知らないだけかもしれません。
まずは騙されたと思って、あなたのキッチンに「コックピット」を作ってみてください。
基本の型(守)があなたの体を楽にしてくれます。そして、体が楽になれば、心に余裕が生まれ、そこからあなただけのオリジナルの家事スタイル(離)が花開くのです。
お母さんは家庭の「太陽」であるために
日本では昔から「お母さんは家庭の太陽(The mother is the sun of the family)」と言われてきました。
この言葉、プレッシャーに感じますか? 「いつもニコニコ輝いていなきゃいけないの?」って。
私は、少し違う解釈をしています。
太陽が雲に隠れてしまったら、世界は暗くなりますよね。
家庭の中で、司令塔である私たちが、不便なキッチンや終わらない家事に疲弊して「曇り顔」になっていたら、家全体がどんよりしてしまうのは事実です。
だからこそ、「カイゼン」は、誰のためでもなく、あなた自身のために行うのです。
あなたが楽をするため。
あなたがご機嫌でいるため。
あなたが、キッチンで鼻歌を歌うため。
私が効率化を追求した最終的な目的は、美味しい料理を作ること以上に、**「私が笑顔で食卓に座ること」**でした。
どんなに豪華なディナーも、作った本人が疲れ果てて不機嫌な顔をしていたら、味は半減してしまいます(これは世界共通ですよね?)。
逆に、シンプルなトーストとスープだけでも、ママが「あー、いい匂い!」と笑っていれば、それは最高のご馳走になります。
カイゼンによって生まれた「余白の時間」で、私はキッチンの窓辺に小さな花を飾るようになりました。
かつての「戦場」にはなかった、一輪の花。
それが目に入るたびに、私は自分自身を取り戻すことができます。
今日からできる、あなたの「カイゼン」への招待状
さあ、物語をあなたのキッチンへとバトンタッチしましょう。
ここまで読んで、「よし、私も!」と思ってくださったあなた。
いきなりキッチン全体をひっくり返す必要はありません(それは大変すぎて、きっと挫折してしまいます)。
**「スモール・ステップ」**でいいのです。
日本には「千里の道も一歩から(A journey of a thousand miles begins with a single step)」ということわざがあります。
今日、このブログを読み終えたら、次の3つのうち、どれか1つだけ試してみてください。
- 「捨てるカイゼン」: キッチンの引き出しを開けて、「1年以上使っていない道具」を1つだけ手放してみる。その空白が、新しい運気を呼び込みます。
- 「配置のカイゼン」: 毎日使うツール(例えばピーラーやキッチンバサミ)を、引き出しから出して、一番手の届きやすい場所に「吊るして」みる。ワン・アクションの快感を味わってください。
- 「心のカイゼン」: 今日の夕食作りで、野菜を洗う時、一度だけ深呼吸をして「水の冷たさ」を感じてみる。「作業」を「感覚」に戻すスイッチです。
たったそれだけでいいのです。
その小さな変化が、明日のあなたを少しだけ楽にします。
そしてその積み重ねが、1年後、あなたのキッチンを、そしてあなたの人生を、想像もしなかった素敵な場所へと連れて行ってくれるはずです。
終わりに:国境を越えて繋がる、私たちの「台所哲学」
日本に住む私も、海外に住むあなたも、
言葉は違っても、毎日家族の健康を願い、キッチンに立つ「同志」です。
時には、シンクに溜まった洗い物にため息をつくこともあるでしょう。
献立が思いつかなくて、スーパーの通路で立ち尽くすこともあるでしょう。
でも、大丈夫。
私たちには**「カイゼン」**という魔法の杖があります。
「今日より明日、ちょっとだけ良くする」
その前向きな意志さえあれば、私たちの毎日は必ず愛しいものに変わっていきます。
いつか、あなたが「お料理カイゼン」で手に入れた「余白の時間」を使って、日本に遊びに来てくれる日を夢見ています。
その時は、ぜひ私のキッチンで、一緒に不格好な餃子を作りましょう。
効率的ではないけれど、世界で一番温かい時間を共有するために。
あなたのキッチンに、心地よい風(Flow)が吹きますように。
日本から、たくさんの愛とエールを込めて。
Itterasshai! (行ってらっしゃい – Have a wonderful day!)

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