それって「家事」? それとも「芸術」?
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やっほー! こんにちは!
海外で暮らす皆さん、お元気ですか? こちらは日本。今日も変わらず、朝ごはんの支度とお弁当作り、そして洗濯機を回す音で一日がスタートしました。
海外に住んでいると、「日本」ってどう見えているのかな?
アニメやハイテクなガジェット、美しい京都のお寺、それともSUSHI? もちろん、それも全部「日本」なんだけど、今日は、日本でごくごく普通に主婦として暮らしている私から見て、「これぞ日本の知恵だなぁ」と感じる、もっと身近な、でもすっごく奥深い話をシェアしたいなと思っています。
突然だけど、皆さんは「日本の主婦」って聞くと、どんなイメージが湧きますか?
「すごくキレイ好き」「効率的」「毎日手の込んだ料理を作ってそう」…そんな感じかな?
うんうん、そういう側面も確かにあるかもしれない(笑)
でもね、私がここで伝えたいのは、そういう「スキルの高さ」みたいな表面的なことじゃないんです。
それは、**「日々の家事を『作業』ではなく、『作品作り』や『自己表現』、もっと言えば『道』に近いものとして捉えている」**っていう、ちょっとしたマインドセット(考え方)の話。
大げさだって笑われちゃうかもしれないけど、これが結構、日本の生活の知恵や人生観につながってる気がするんですよね。
このブログのフック(きっかけ)になった英語のフレーズが「Unveiling Japan’s Domestic Artistry」— つまり「日本の家庭に隠された芸術性を解き明かす」ってこと。
まさにこれ!って思わず膝を打ちました。
「芸術(Art)」っていうと、普通は美術館に飾ってある絵画とか、立派なコンサートホールで聴く音楽を想像しますよね。
日本で言えば、「茶道(Sado)」や「華道(Kado)」、「書道(Shodo)」みたいな、いわゆる「お稽古事」の世界。型があって、先生がいて、何年もかけて習得する…みたいな。
もちろん、それも素晴らしい日本の伝統文化。
でも、そういった「道(どう)」のつく世界で大切にされている精神— 例えば、「無駄をなくす」「バランスを重んじる」「道具を大切にする」「季節を感じる」「相手(おもてなし)を思う」— こういう考え方って、実は特別な場所じゃなくて、日本の「ふっつーの家庭」の、毎日の「家事」の中に、当たり前のように溶け込んでいるんです。
例えば、私のおばあちゃん。
もう亡くなってしまったけど、おばあちゃんが作る「おにぎり」って、本当に絶妙だったんです。
アツアツのご飯を、絶妙な塩加減で、ふんわりと、でも崩れないように握る。使っているのは普通のお米と普通の塩。でも、その手つきはリズミカルで、見ていて飽きない。まるで職人技。
そして、野菜の皮。
大根や人参の皮を、きんぴらにしたり、お味噌汁の出汁に使ったり。「もったいないから」の一言で、食材を使い切る。これは節約っていう側面だけじゃなくて、食材の「いのち」を全部いただく、っていう感覚に近い。
これって、ただの「料理」や「節約術」なんでしょうか?
私は、これを「家庭の芸術(Domestic Artistry)」って呼びたい。
おばあちゃんは、別に華道の師範でもないし、料理研究家でもない。ごく普通の主婦でした。
でも、彼女の日常の立ち居振る舞い、特に台所仕事には、一貫した「美学」があったんです。
それは、誰かに見せるためでも、お金をもらうためでもない。ただ、日々の暮らしを丁寧に、気持ちよく、そして無駄なく行うための「知恵」であり「型」。
海外の皆さんから見たら、「なんでそんな細かいことにこだわるの?」って思うかもしれません。
確かに、今の時代、もっと効率的に、もっと「タイパ(タイムパフォーマンス)」良く家事をこなす方法はいくらでもあります。冷凍食品も便利だし、お掃除ロボットも優秀。
でも、あえて「ひと手間」かける。
スーパーで買ってきたお惣菜を、そのままパックで出すんじゃなくて、ちゃんとお気に入りの「お皿」に移し替える。
それだけで、食卓の雰囲気ってガラッと変わりますよね?
それを見た家族が「あ、美味しそう」って思うかもしれない。その瞬間の「心の動き」を大切にする。
玄関の「たたき(靴を脱ぐスペース)」を、毎朝サッと掃き清める。
「誰か来るわけでもないのに?」って?
ううん、違うんです。玄関は家の「顔」だから、そこをキレイにすると、自分自身の気持ちが「スッ」と整う。外から帰ってきた家族も、キレイな玄関だとホッとする。
これって、すごく小さなことだけど、立派な「おもてなし」であり「空間演出」じゃないかな。
そう、日本の主婦(もちろん、主婦だけじゃなく、家事を担う人全般!)が日々やっていることって、実はすごくクリエイティブで、哲学的。
それは、教科書には載っていないし、テストで点数がつくわけでもない。
だからこそ、長年「見過ごされてきた(overlooked)天才性」だと思うんです。
このブログでは、そんな日本の家庭に昔から息づく「名もなきアート」— 料理、掃除、片付け、やりくり、近所付き合い… そういった日常の「当たり前」に隠された知恵や人生観を、私自身の体験や失敗談も交えながら(笑)、解き明かしていきたいと思っています。
なぜ今、この話がしたいのか?
それは、世界中がスピードと効率を求める時代だからこそ、この「ゆっくり」「丁寧に」「心を込める」っていう日本の家庭的な価値観が、皆さんの毎日をちょっと豊かにするヒントになるかもしれない、って思うから。
次回は、もっと具体的に、例えば毎日のお弁当作りやお掃除の中に、どうやって「道」の精神が隠れているのか、深掘りしていきますね!
お弁当からお掃除まで。日常に潜む「道」の精神
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さてさて、前回の「起」では、「日本の家事はアートだ!」なんて、ちょっとカッコつけたことを言っちゃいましたが(笑)、
「えー、具体的にどういうこと? 料理がアート? 掃除がアート?」
って、首をかしげている方もいるかもしれませんね。
そう、今日はその「具体的な中身」について、ググッと深掘りしていきます。
海外にいる皆さんにも馴染みのあるものといえば…やっぱり**「BENTO(お弁当)」**かな?
今や「BENTO」って、世界共通語になりつつありますよね。
カラフルで、栄養バランスが良くて、ヘルシー。
もしかしたら、タコさんウィンナーとか、アニメのキャラクターを模した「キャラ弁(Kyaraben)」を想像する人も多いかも。
もちろん、あのキャラ弁の技術は本当にすごい! あれこそ「アート」の極みだと思います。
でも、私がここで話したい「お弁当のアート」は、必ずしもあの超絶技巧のことだけじゃないんです。
もっと普通の、毎日のお弁当箱の中にこそ、日本の主婦の「知恵」と「美学」がギュギュッと詰まってるんですよ。
お弁当箱は「小さな宇宙」
私、お弁当作りって「小さな宇宙をデザインする作業」だと思ってるんです。
…またまた大げさな(笑)。
でもね、考えてみて? あの手のひらサイズの四角い(あるいは丸い)箱の中に、何を、どうやって詰めますか?
ただ、おかずを「詰め込む」だけだと、どうなる?
お昼に蓋を開けた時、茶色いおかずばっかりだったら…ちょっとテンション、下がりません?(笑)
それに、ご飯とおかずの味が混ざっちゃったり、汁気が漏れてベチャベチャになったり…。
ここで登場するのが、日本の家庭で昔から(たぶん、お母さんのお母さん、そのまたお母さんの代から)受け継がれてきた「知恵」なんです。
①「バランス」のアート:彩り(いろどり)
日本のお弁当には、よく「五色(ごしき)を入れなさい」っていう暗黙のルールがあります。
**「赤・黄・緑・白・黒(または紫)」**の5色。
例えば…
- 赤:トマト、ニンジン、梅干し、鮭
- 黄:卵焼き、コーン、かぼちゃ
- 緑:ほうれん草のおひたし、ブロッコリー、ピーマン
- 白:ごはん、大根
- 黒:昆布、ひじき、黒ゴマ、のり
これ、単に「見た目をキレイにするため」だけだと思いますか?
もちろん、それもあります。蓋を開けた瞬間に「わぁ、美味しそう!」って思ってもらうのは、作る側として最高の喜びですから。
でも、この「五色」、実は**「栄養バランス」の知恵**でもあるんです。
五色の食材を意識して入れると、自然と「タンパク質、ビタミン、ミネラル、炭水化物」がバランス良く摂れるようになってる。昔の人は、難しい栄養学を知らなくても、経験則で「彩り良く=体に良い」ってことを知ってたんですよね。これってすごくないですか?
②「季節」を閉じ込めるアート
そして、もう一つ大事なのが「季節感」。
春だったら、ご飯に桜の塩漬けをポンと乗せたり、ニンジンを桜の型で抜いてみたり。
夏なら、枝豆やトウモロコシで鮮やかに。
秋なら、キノコご飯にしたり、紅葉の形の何かを添えたり。
ほんの「ちょっと」したことなんです。
でも、その「ちょっと」で、お弁当を食べる人は「あ、もうそんな季節か」って、忙しい日常の中でも「季節の移ろい」を感じることができる。
限られた空間に「時間(季節)」の感覚まで盛り込む。これが日本の「Domestic Artistry」なんです。
③「思いやり」のアート
結局のところ、お弁当作りって、究極の**「おもてなし」**だと思うんです。
食べる人の顔を思い浮かべながら、「今日は何が好きかな?」「昨日は疲れてたから、ちょっとサっぱりしたものがいいかな?」「どうやったら食べやすいかな?」って考える。
うちの息子が小さかった頃、ものすごい偏食で…。
野菜なんて絶対食べてくれない!
その時、私、やりましたよ(笑)。ピーマンを星型に抜いてみたり、ハンバーグにコーンで顔を作ってみたり。
それはもう「家事」っていうか「工作」であり、「どうしたら息子の口にこの野菜を運べるか」っていう「戦略」でした。
でも、その根底にあるのは「元気に育ってほしい」っていう「思い」だけ。
だから、日本の主婦(主夫も!)は、毎朝どんなに眠くても、家族のためにその「小さな宇宙」をデザインするんです。それって、家族への見返りを求めない「ラブレター」みたいなものじゃないかな。
「お掃除」は「場を清める」儀式
さて、お弁当の話が長くなっちゃったけど、もう一つ。
「お掃除」について。
「掃除」って、ぶっちゃけ面倒くさいですよね(笑)。私も大好き!ってわけじゃない。
でも、日本の「お掃除」には、ただ「汚れを取る」以上の、ちょっとスピリチュアルな意味合いが込められている気がするんです。
それは**「場を清める」**という感覚。
例えば、神社やお寺に行くと、朝早くからお坊さんや神主さんが、長い竹ぼうきで広い境内を掃いていますよね。あれって、ゴミを集めるだけじゃなく、「場」を浄化する「儀式」的な意味合いがあるんです。
もちろん、家庭の掃除はそこまでストイックじゃないけど(笑)、その精神は受け継がれてる気がします。
特に**「玄関」**。
私、毎朝じゃなくても、気づいた時には玄関の「たたき(靴を脱ぎ履きするスペース)」を水拭きするようにしてるんです。
玄関って、家の「顔」であり、「外(社会)」と「内(家庭)」の境界線ですよね。
「行ってきます」と家族を送り出し、「ただいま」と迎える場所。
そこがホコリっぽかったり、靴が散らかっていたりすると、なんとなく「気」が淀む感じがする。
だから、たたきをサッと拭いて清める。
そうすると、不思議と自分の心も「スッ」と整うんです。「今日も一日、家族が安全に過ごせますように」って、小さな祈りを込める感じ。
これって、汚れを落とす(マイナスをゼロにする)っていうより、**空間を「整える」(ゼロをプラスにする)**感覚に近い。
「道具」を「育てる」という感覚
そして、掃除や料理に使う「道具」への接し方。
今、日本でも「使い捨て」の便利なお掃除グッズはたくさんあります。私も使います。
でも一方で、「道具を大切に手入れして、長く使う」ことを「美徳」とする文化も根強く残ってる。
例えば、鉄のフライパン。
最初は焦げ付いたりして扱いにくいけど、ちゃんと油をなじませて「育てて」いくと、テフロン加工とは比べ物にならないくらい、愛着のある「自分だけの道具」になります。
あるいは「ふきん」。
台所用の「ふきん(布巾)」って、日本の家庭には絶対あります。
最初は「食器用」、少し古くなったら「台拭き用」、最後はボロボロになるまで「雑巾(ぞうきん)」として床掃除に使う。
一枚の布を、その役割を変えながら、最後まで使い切る。
これぞ「もったいない」精神の表れ。
この「道具を大切にする」っていうのは、単なる節約じゃないんです。
その道具を作ってくれた人へのリスペクト。そして、その道具を選んだ自分自身へのリスペクト。
道具を丁寧に扱うと、自分の「所作(しょさ)=動き」も丁寧になる。
そういう「心の在り方」を、日々の家事を通じて学んできたのが、日本の主婦の知恵なんじゃないかな。
お弁当の「バランス」と「おもてなし」。
お掃除の「場を清める」意識と「道具を育てる」感覚。
これらは全部、誰かに強制されたルールブックじゃありません。
でも、日本の家庭の中で、母から子へ、姑から嫁へ(時にはぶつかりながらも!笑)、なんとなく受け継がれてきた「暮らしの美学」であり、「道」の精神なんです。
ただ…
こんなに手間ひまかけて、心を込めてやってきた「家事」ですが、
「それって、今の時代に合ってるの?」
「主婦ばっかりが、そんな『道』を極めなきゃいけないの?」
って、思いますよね?
そう、時代は大きく変わってきています。
次回は、その「変化」と、そんな時代だからこそ、この「家庭の芸術(Domestic Artistry)」がどう輝き始めているのか、お話ししたいと思います!
時代は変わる、でも「芯」は変わらない。主婦の知恵が今、輝く理由
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「承」でお話しした「五色のバランス弁当」や「道具を育てる」お話。
あれは、正直に言えば、私のおばあちゃんの世代、あるいは母の世代が「当たり前」として背負ってきた「型」です。
皆さんもご存知の通り、今の日本は激変しています。
「主婦(Shufu)」という言葉から連想される「専業主婦(一日中、家のことをする女性)」は、今や少数派。
多くの女性が、私のようにパートタイムで働いたり、あるいはフルタイムで男性と同じようにキャリアを築いたりしています。
そう、「共働き」がスタンダード。
そうなると、どうなるか?
朝は、それこそ「戦場」です(笑)。
「五色のバランス弁当? 無理無理! とりあえず冷凍食品詰めて、彩りはミニトマトに任せた!」
「玄関の水拭き? 無理無理! お掃除ロボットのスイッチ押すので精一杯!」
これが、多くの現代の主婦の「リアル」じゃないかな。
私もそうです。お掃除ロボット、大好き(笑)。食洗機、愛してる。
「家事の芸術」が「呪縛」になった時代
ここで、ちょっとシリアスな話をします。
「起」と「承」で讃えてきた「日本の家庭の芸術(Domestic Artistry)」。
これ、一歩間違えると、ものすごく重たい**「呪縛(じゅばく)」**にもなってきたんです。
「母(主婦)たるもの、こうあるべき」
「料理は手作りじゃなきゃ、愛情がない」
「家は常にピカピカにしておくべき」
こういった「べき論」が、長い間、日本の女性たちを苦しめてきた側面も、絶対に無視できません。
だって、その「芸術」は、誰にも評価されず、お給料も発生しない「当たり前の労働」として扱われてきたから。
どんなに素晴らしい「小さな宇宙(お弁当)」を作っても、どんなに「場を清め」ても、それは「主婦の仕事」として、社会的な価値を認められてこなかった。
「あんなに頑張ってきたのに、私って、結局『家事をする人』でしかないの?」
そういう虚しさや自己犠牲の上に、あの「芸術」が成り立っていたとしたら…それはちょっと、悲しいですよね。
だからこそ、今。「解放」されたアート
…と、暗い話になっちゃいましたが、ここからが「転」です!
そう、時代は変わった!
現代(いま)は、その「呪縛」が解き放たれつつある、すっごく面白い時代なんです。
なぜか?
理由は大きく二つ。
一つは、さっきも言った**「テクノロジーの進化」。
そしてもう一つは、「SNS(ソーシャルメディア)の登場」**です。
ご提示いただいたフック(きっかけ)の言葉に、「modern societal shifts are opening doors for these talents to shine(現代の社会変化が、それらの才能が輝くための扉を開いている)」とありました。
まさに、これ!
① テクノロジーは「敵」じゃなく「相棒」
お掃除ロボットや食洗機、便利なミールキット(食材セット)は、「手間暇かける」という伝統的な美学の「敵」だと思いますか?
私は、逆だと思っています。
あれは「相棒」。
面倒で、毎日繰り返さなければならない「作業(タスク)」の部分を、彼ら(テクノロジー)が引き受けてくれるようになった。
その結果、どうなったか?
私たち主婦は、「時間」と「心の余裕」を手に入れたんです。
その余裕で、何をするか?
そう、**「本当にやりたい『アート』の部分だけ」**をやれるようになったんです!
毎日の床掃除はロボットに任せるけど、週末は、お気に入りの花瓶に季節の花を「活ける(いける)」。
毎日のご飯はミールキットに頼るけど、時間のある日は、おばあちゃんに習った「ぬか漬け」を丁寧にかき混ぜる。
これって、最高じゃないですか?
「やらなきゃいけない(Have to)」家事から、「やりたい(Want to)」家事へ。
テクノロジーのおかげで、私たちは「家事」の中から「芸術」の部分だけを、純粋に「趣味」や「自己表現」として楽しめるようになったんです。
② SNSが「名もなき芸術」にスポットライトを当てた
そして、これが最大の「転」!
SNSの登場です。Instagram、YouTube、TikTok…。
昔は、どんなに美しいお弁当を作っても、それを見てくれるのは、蓋を開ける家族だけでした。
どんなに効率的な掃除の裏ワザを編み出しても、それはその家の「秘伝のタウ」でしかなかった。
でも、今は?
主婦が、スマホで「カシャッ」と撮る。
「#今日のお弁当」「#作り置きおかず」「#丁寧な暮らし」「#掃除術」
…そんなハッシュタグをつけて投稿する。
すると、どうなる?
世界中から「いいね!」がつく。
「そのアイデア、すごい!」「真似したい!」「美しい!」
あの「こんまりさん(近藤麻理恵さん)」を思い出してください。
彼女が世界的に有名になった「片付け術」。あれって、まさに日本の家庭で培われてきた「Domestic Artistry」の塊ですよね。「モノに感謝して(ときめきを基準に)手放す」っていう考え方なんて、日本古来のアニミズム(八百万の神)的な感覚そのもの。
彼女がやったことは、日本の主婦(あるいは几帳面な人)が家の中でひっそりとやっていた「片付け」という「技術」と「哲学」を、世界中の人がアクセスできる「メソッド」に変えたこと。
SNSやメディアがなかったら、彼女の「才能」は、一家庭の「片付け上手な奥さん」で終わっていたかもしれない。
今や、たくさんの主婦が「暮らし系インフルエンサー」として活躍しています。
自分が長年培ってきた「やりくりの知恵」や「時短レシピ」、「収納術」を発信することで、それが「価値」になり、多くの人に感謝され、時には「仕事」にさえなっている。
これって、革命的だと思いませんか?
長い間、「当たり前」として家庭内に閉じ込められ、社会的に「見過ごされてきた(overlooked)」主婦たちの才能(ジーニアス!)が、テクノロジーとSNSという「扉」を通って、一気に外の世界へ解放されたんです。
「主婦」から「ジェンダーレス」な知恵へ
もう一つ、大きな変化があります。
それは、この「家庭の芸術」が、もはや「主婦(女性)」だけのものではなくなったこと。
「料理男子」なんて言葉もすっかり定着しましたよね。
男性が、趣味として「スパイスからカレーを作る」とか、「燻製(くんせい)を自作する」とか。
あるいは、家族のために「パパが作るキャラ弁」がSNSでバズったり。
これは、家事が「労働」から「クリエイティブな趣味」へと変化した、何よりの証拠です。
「承」で話した「お弁当の美学」や「道具を育てる」楽しみを、性別に関係なく誰もが享受できる時代になったんです。
そう、「Domestic Artistry」は、「主婦の呪縛」から解き放たれ、ジェンダーレスな**「生活の知恵(ライフハック)」であり「人生術(ライフスタイル)」**として、今、再発見されている。
かつては「自己犠牲」の象徴でさえあった「手間暇」が、
今や、AIやスピードが支配するこのデジタルな時代だからこそ、
人間らしさを取り戻すための「最高に贅沢な時間」として、輝き始めているんです。
時代は変わりました。
でも、不思議ですよね。
どんなに時代が変わっても、「美味しいものを食べてほしい」という「おもてなし」の心や、「気持ちいい空間で過ごしたい」という「美学」…その「芯」の部分は、全く変わっていない。
変わったのは、その「表現方法」と、それを受け取る「社会の目」なんです。
あなたの「暮らし」もアートにしよう
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ここまで、日本の「Domestic Artistry(家庭の芸術)」を巡る長いお話に付き合ってくれて、本当にありがとう!
「家事」っていう、ともすると「面倒くさい」「退屈」「誰かやって」の三拍子(笑)が揃いそうなものに、「芸術」だの「美学」だの…ちょっと(いや、かなり?)大げさなテーマでしたよね。
でも、私がこのブログで一番伝えたかったこと。
それは、「起承転」で語ってきたような**「超絶技巧(テクニック)」の話じゃない**んです。
もちろん、「五色のお弁当」や「ピカピカの玄関」は、それ自体が素晴らしい日本の文化です。
でも、それを「やらなきゃ!」って義務にするのは、もうやめよう、って「転」でも話しましたよね。
じゃあ、この「家庭の芸術」の「芯」にあるものって、一体なんだったんだろう?
私は、それはたった二つのことだと思うんです。
一つは、**「今、ここに心を込める」というマインドセット。
もう一つは、「自分と、自分の周りの人を『おもてなし』する」**という視点。
これって、別に日本じゃなくても、専業主婦じゃなくても、男性でも女性でも、誰にでもできることですよね?
「家事」を「作業」から「儀式」へ
海外で暮らす皆さん。
皆さんの国にも、きっと「おばあちゃんの知恵」みたいなもの、ありませんか?
例えば、イタリアの「マンマ」が何時間もかけて煮込むラグーソースとか、フランスの家庭で代々受け継がれるタルトのレシピとか。
あるいは、北欧の「ヒュッゲ(Hygge)」みたいに、キャンドルを灯して空間を整える習慣とか。
それらも全部、立派な「Domestic Artistry」だと思うんです。
やっていることは「料理」や「しつらえ」なんだけど、その根底には「家族に美味しいものを食べさせたい」「この時間を心地よく過ごしたい」っていう「愛」や「美学」がありますよね。
そう、私たちがやっている「家事」って、本来はそういうすごくクリエイティブで、温かいものだったはず。
私自身、日本で暮らしていて、フルタイムで働いていた時期は本当に悲惨でした(笑)。
家事はもう「作業」でしかなくて、いかに効率よく「処理」するか、そればかり。
部屋は散らかってるし、ご飯は買ってきたお惣菜をパックのまま食卓にドン!
「丁寧な暮らし」なんて、雑誌の中だけのファンタジーだと思ってました。
でもね、ある時、ふと気づいたんです。
忙しくて心がささくれ立っている時ほど、家の中も荒れてる。そして、家の中が荒れてるから、さらに心がささくれ立つ…っていう、最悪の負のループ!
そのループを断ち切ってくれたのが、本当に小さな「アート」でした。
例えば、スーパーで特売だった、たった300円の花。
それを、とりあえず空いてるコップに挿して、キッチンの隅に置いただけ。
でも、その一輪があるだけで、殺風景だった台所の空気が「フワッ」と変わったんです。
それを見た私の気持ちも、ちょっとだけ「フワッ」と明るくなった。
「あ、これだ」って。
「丁寧な暮らし」っていうのは、たくさんの時間をかけて、高価な道具を揃えて、完璧な家事をすることじゃない。
今の自分ができる範囲で、ほんの「ひと手間」を、自分の「ご機嫌」のために加えてあげること。
それこそが「アート」なんだ、って。
あなたの日常を「アート」に変える魔法
だから、海外で忙しい毎日を送る皆さんに、私から提案です。
難しく考えないで。
まずは、いつもの日常に「小さなアート」を一つだけ、取り入れてみませんか?
それは、
朝、どんなにバタバタしていても、コーヒー(紅茶でも)を淹れる3分間だけは、その「香り」や「湯気」に集中してみること。
使っているマグカップの「手触り」を、ちゃんと味わってみること。
買ってきたパンやお菓子を、袋のままじゃなくて、一枚だけ持ってる「一番お気に入りの、ちょっとイイお皿」に乗せてみること。
あるいは、夜、寝る前に5分だけ。
キッチンのシンクだけ、キュキュッと磨き上げてみる。
ピカピカになったステンレスを眺めて、「うん、私、今日も頑張った!」って自分を褒めてあげること。
やっている「行動」自体は、全部「家事」です。
でも、そこに「自分の五感を喜ばせる」とか「自分をねぎらう」っていう意識が乗っかった瞬間、それは「退屈な作業」から、**「自分を大切にするための豊かな儀式」**に変わるんです。
「暮らし」こそが、あなたの「人生」そのもの
「起」から「結」まで、ずっと「家事」の話をしてきました。
でも、本当に伝えたかったのは「人生」の話。
私たちは、毎日「暮らし」ています。
その「暮らし」って、結局は「食事」「掃除」「片付け」「睡眠」…そういう地味で、当たり前なことの「積み重ね」でできていますよね。
その「積み重ね」である日常を、「どうでもいい時間」として雑に扱ってしまうのか。
それとも、「私(たち)が心地よくあるための大切な時間」として、心を込めて味わうのか。
どちらの人生が、より豊かで、幸せだと思いますか?
日本の主婦たちが昔から培ってきた「家庭の芸術」は、特別な才能じゃありません。
それは、**「日々の暮らしをどう面白がり、どう愛でるか」**という、一種の「人生術」なんです。
時代は変わって、「転」で話したように、面倒なことはテクノロジーに任せればいい。
私たちは、その「アート」の「美味しいところ」だけ、楽しめばいいんです。
あなたの暮らしは、あなたのもの。
あなたの家は、あなた(と家族)の「ギャラリー」。
そこに飾る「アート作品」は、他の誰でもない、あなた自身が日々生み出していくんです。
さあ、今日から一緒に、毎日の「暮らし」を「アート」にしちゃいましょう!
あなたの「Domestic Artistry」が、海を越えて輝き出すのを、日本から応援しています!

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