完璧バランス神話、崩壊! 日本の「建前」と「本音」の狭間で生きる、私のママプレナー奮闘記

美しいカオスへようこそ!「ちゃんとしなきゃ」神話との決別

日本の「建前」という名のプレッシャー

日本に住んでいると、「ちゃんとしなきゃ」という無言のプレッシャーを至る所で感じるんです。

これ、海外から見るとちょっと不思議に思われるかもしれませんね。

日本では「建前(Tatemae)」と「本音(Honne)」という言葉があります。

「建前」は、社会的な立場や期待に合わせて見せる「表向きの顔」。

「本音」は、自分の正直な気持ち。

そして、日本の「主婦」や「母親」に求められる「建前」のハードルが、まぁ高いこと!

例えば、子どもの持ち物。

保育園や幼稚園に持っていくバッグや上履き入れ。市販のものでも全然OKなのに、SNSなんかを見ると「愛情たっぷり手作りしました!」っていう投稿が溢れてる。ミシンで刺繍までしちゃったりして。

(もちろん、それが好きでやってるママもたくさんいて、それは本当に素晴らしい!)

でも、それがいつの間にか「手作りじゃない=愛情が足りない?」みたいな、謎の空気感を生み出すことがあるんです。

「みんなやってるから、私もやらなきゃ…」

これが、日本の「空気を読む(Kuuki wo Yomu)」文化の、ちょっと厄介な側面かもしれません。

「丁寧な暮らし」ブームも、その一つ。

雑誌を開けば「季節の手仕事(梅シロップ作りとか)」「発酵食品を自宅で」「断捨離されたミニマルな空間」。

もちろん、憧れますよ! 私だって、スッキリした部屋でハーブティーとか飲みたい。

でもね、現実はどうでしょう。

さらに、私のような「ママプレナー(在宅で仕事もしてる主婦)」となると、求められる「建前」はさらに複雑になります。

「子育てもおろそかにせず」

「家事も完璧にこなし」

「仕事もプロとして成果を出す」

これ、全部100点満点でやれって言われてるようなもの。

まるで、水面下では必死に足を動かしてる白鳥が、水上では優雅にスイスイ泳いでる姿を求められているみたい。

日本社会って、この「水面下の努力」を美徳としつつも、そのドタバタした姿はあまり人に見せたがらない傾向がある気がします。

「大変だね」とは言われるけど、「大変そうな姿」を見せると「要領が悪いのかな?」と思われちゃうんじゃないか、とか。

「忙しい」を理由に何かを妥協すると、「母親失格」「プロ失格」のレッテルを貼られちゃうんじゃないか、とか。

そういう「建前」の鎧を、知らず知らずのうちに着込んじゃうんですよね。

「大丈夫です、完璧にやってますよ」って顔で。

ようこそ、我が家の「本音」カオスへ

さて。そんな「建前」の世界から一歩、我が家の玄関(という名の戦場)に足を踏み入れてみましょう。

私の朝は、優雅な瞑想からは始まりません。

「ピピピピ!」というアラームを、ゾンビのように手探りで止めるところから始まります。

そして大抵、二度寝します。

「ママー! お腹すいたー!」「パウパトロール見たいー!」

子どもたちの(全く優雅じゃない)モーニングコールで叩き起こされるのが、AM6:30。

リビングに降り立てば、そこは「美しいカオス」。

昨夜、力尽きて畳むのを諦めた洗濯物の山。

床に散らばる、踏むと激痛が走るタイプのブロック(レゴとは言っていない)。

テーブルの上には、夫が昨夜飲んだであろうビールの空き缶…(こらー!)。

「丁寧な暮らし」は、今、この家にはありません。

あるのは「生きるのに必死な暮らし」です。

朝ごはん?

土鍋ごはん? 焼き魚?

…夢かな?

現実はこうです。

冷凍ごはんをレンジでチン!

冷蔵庫から納豆パックを取り出し、光の速さでかき混ぜる!(タレを入れる前に混ぜるのが、地味なこだわり)

お湯を沸かしながら、昨日の残り物の味噌汁(具は沈殿)を温める。

子どもには、そこにバナナを一本追加。「はい、完璧な朝食!」(と自分に言い聞かせる)

自分は?

子どもに食べさせながら、立ったまま食パンをかじります。アゴにジャムがついてることも気づかずに。

これが日本のリアルな(少なくとも私の)朝です。

さあ、ここからが「デュアル・キングダム」の本番。

子どもを保育園に送り出す準備と、自分のシゴトの準備が同時進行します。

「歯磨いたのー?」「まだー!」

「靴下はいてー!」「(YouTube見てて聞こえてない)」

「あー!牛乳こぼしたー!」

その横で、私はパジャマ(上だけ着替えた)姿でノートPCを開き、クライアントからの緊急メールに返信。

「承知いたしました。本日10時までに第一稿をお送りします(キリッ)」

(((今、9時半ですけど!?)))

頭の中は、保育園の連絡帳に書く「昨日の検温」と、クライアントに送る「修正案AとB」がごちゃ混ぜ。

まさに、頭の中で二つの王国が同時に戦争を始めた状態。

「いってきまーす!」と子どもと夫を玄関から(文字通り)押し出し、嵐が去ったリビングで、私は戦闘服(ヨレヨレの部屋着)のまま、シゴト王国の王(という名の奴隷)に戻ります。

テーブルの上には、食べかけのパンと、こぼれた牛乳を拭いた雑巾。

でも、もう気にしない。

完璧なバランス? 理想のママ?

そんなものは、このカオスな「本音」の前では、無力です。

「完璧」じゃなくて「最適」を探す旅

どうでしょう。

これが、日本で「ママプレナー」として生きる私の一つの現実です。

「建前」としての「丁寧で完璧な両立」と、「本音」としての「ドタバタでカオスな日常」。

このギャップに、以前はすごく苦しみました。

「なんで私は、みんなみたいに『ちゃんと』できないんだろう」

「日本の主婦として、母親として、失格なんじゃないか」って。

でも、ある時気づいたんです。

もしかして、「完璧なバランス」を目指すこと自体が、間違いなんじゃないか?って。

白鳥が水面下で必死に足を動かしているように、みんな見えないところではドタバタしてる。

SNSのキラキラした写真は、その人の人生の「0.5秒の奇跡」を切り取っただけ。

日本の「ちゃんとしなきゃ」という空気は、もちろん素晴らしい「質」を求める文化の表れでもあるけれど、それに縛られて自分を追い詰める必要はない。

私が目指すべきは、「完璧」なバランスじゃなくて、私と家族にとっての「最適(ベストではなく、オプティマル)」なバランスなんじゃないか。

この「二つの王国」—ママ業とシゴト業—は、天秤にかけるものじゃない。

どっちも「私」の王国なんだから。

今日はこっちの王国を優先、明日はあっちの王国を緊急対応。

それでいいじゃないか。

この「美しいカオス」こそが、私のリアルであり、私の人生そのもの。

そう思えるようになってから、少しだけ、生きるのが楽になりました。

…とはいえ。

口で言うほど簡単な道のりじゃありませんでした。

この「完璧じゃなくていいや」と思えるようになるまでには、それはそれは大きな「やらかし」と、クライアントを巻き込んだ(今思い出しても冷や汗が出る)大事件があったんです。

というわけで、次回【承】では、この私が経験した「デュアル・キングダム」史上最大のピンチ—そう、あれはクライアントとの超重要なオンライン会議中のことでした…—について、具体的にお話ししたいと思います。

このカオスから、私がどんな「日本の生活の知恵」…いや、「サバイバル術」を学んだのか。

ぜひ、また読みに来てくださいね!

「ごめんなさい」じゃ進まない! デュアル・キングダム最大の危機

その「事件」は会議室で起きていた

「完璧じゃなくて『最適』でいいや」

なんて、今でこそ(ちょっと)悟ったふうに言っていますが、数年前の私は「建前」の鎧をガッチガチに着込んだ「ちゃんとしなきゃ」教の信者でした。

「ママだから」を言い訳にしたくない。

「在宅だから」とクオリティを疑われたくない。

クライアントには、家で子どもがギャーギャー泣いていようが、洗濯物がエベレストになっていようが、そんな「本音」は微塵も感じさせない「完璧なプロ」としての私を見せなければ。

そう強く思い込んでいたんです。

そんなある日の午後。

私にとっては、その年のシゴトを左右するかもしれない、非常に重要なクライアントとのオンライン会議がありました。

新規プロジェクトの最終プレゼンの日。

夫はもちろん仕事。

当時2歳だった息子は、運悪く(!?)お昼寝タイムを逃し、なんだかご機嫌ナナメな空気を醸し出していました。

「(頼む…! あと1時間、いや30分でいいから静かにしていてくれ…!)」

私は祈るような気持ちで、息子の前に、彼がその時一番夢中だった電車のオモチャ(音は出ないタイプ)をそっと差し出し、アンパンマンの小分けボーロを小皿に山盛りにしました。

これが私の「お供え物」です。

どうかご機嫌を損ねませんように、と。

PCのカメラをオン。

「ワタコさん、よろしくお願いします」

画面の向こうには、スーツ姿のクライアントさんたちがズラリ。

「はい! よろしくお願いいたします! 本日は…」

完璧な笑顔(の建前)を貼り付け、私がプレゼン資料の1ページ目をめくった、その瞬間でした。

「ギャーーーーーーーッ!!!」

鼓膜が破れるかと思うほどの絶叫。

2歳児がこの世の終わりのように泣き叫ぶ声が、部屋中に響き渡りました。

原因は、些細なこと。

積み上げていた電車のオモチャが、バランスを崩して倒れた。

ただ、それだけ。

でも、2歳児にとっては、それが世界の崩壊に等しいのです。

「(ヤバいヤバいヤバい…!!)」

私は一瞬、PCのマイクをミュートにしました。

冷や汗が背中をツーッと伝わります。

「ワタコさん…? どうかされましたか?」

クライアントが怪訝そうな顔をしています。

「あ、い、いえ! 失礼いたしました。少々、家の外が騒がしいようで…。ええと、続きまして、こちらのスライドですが…」

私は、必死で平静を装いました。

背後では、息子が床を転げ回りながら「うわーん! でんしゃー! なおしてー!」と泣き叫んでいます。

((頼む! 頼むから静かにしてくれ! ママの人生かかってるんだよ!!))

心臓はバクバク。

プレゼンの内容なんて、もう半分も頭に入ってきません。

「神話」が崩壊した瞬間

「ですので、このプランBのメリットとしましては…」

私がそう言った時、ついに息子が最終手段に出ました。

ミュートにし忘れた、ほんの一瞬の隙。

「ママーーー!! うんち!! うんちでたーーーーー!!!」

…シーン。

オンライン会議室が、凍りつきました。

私は、時が止まるってこういうことを言うんだな、と本気で思いました。

血の気が引いて、頭が真っ白に。

画面の向こうのクライアントさんたち(主にオジサマ方)は、明らかに「聞いてはいけないこと」を聞いてしまった…という顔で、視線を泳がせています。

終わった。

私のキャリアも、このプロジェクトも、全部終わった。

「ちゃんとしなきゃ」の鎧が、音を立てて崩れ落ちました。

「完璧なプロ」の建前は、息子の「うんち出た」コールによって、木っ端微塵に破壊されたのです。

もう、取り繕うことなんてできませんでした。

私は、PCのカメラに向かって、深々と、それはもう深々と頭を下げました。

「…っ、申し訳ありません!!!」

そして、続けました。

「…今、息子が、あの…おむつに…。大変恐縮ですが、5分だけ、お時間をいただけないでしょうか! 必ず、すぐに戻ります!!」

もうヤケクッソでした。

「家の外が騒がしい」なんていう見え透いた嘘も、完璧なプロのフリも、全部捨てました。

これが私の「本音」であり、「現実」だと。

クライアントさんたちは、一瞬ポカンとした後、一人がフッと笑い出し、そして全員が爆笑し始めました。

「あはは! そうですか、うんち! それは一大事だ!」

「ワタコさん、どうぞどうぞ! 5分と言わず、10分でも! うちも昔そうだったよ」

私は、呆然としながらも「ありがとうございます!」と叫び、カメラオフ&マイクオフ!

光の速さで息子のオムツを替え、ボーロの代わりに新しいアンパンマンのDVDをセットし(最終兵器投入)、両手をパンパンと合わせて拝み倒し、猛ダッシュでPCの前に戻りました。

所要時間、ジャスト4分。

「お待たせいたしました!! 申し訳ありません!!」

再び深々と頭を下げる私に、クライアント(一番偉い部長さん)は、ニコニコしながらこう言ったんです。

「いやー、ワタコさん、すごいね。**『5分ください』**って、なかなか言えないよ」

え?

「普通、ああなったら『すみません、今日はもう無理です。日を改めて…』ってなるか、パニックになってそのまま会議がグダグダになるか、どっちかだ。

でもワタコさんは、『5分で戻る』って具体的な解決策を提示した。

それって、すごいリスク管理能力ですよ。

うんちっていう最大のアクシデント(笑)に対して、最短でリカバリーする。

それ、うちが今度のプロジェクトで求めてるスキルと、全く同じじゃないですか」

キョトンとする私に、彼は続けました。

「プレゼン、もういいです。ワタコさんと仕事がしたい。ぜひ、お願いします」

…こうして。

私のキャリア史上最大のピンチは、息子の「うんち」のおかげで(?)、まさかの大成功で幕を閉じたのです。

これは「ママの問題」ではなく「戦略」の問題

この「うんち事件」(我が家ではこう呼ばれています)は、私にとって大きな転機でした。

会議が終わった後、私はしばらく放心状態でした。

そして、じわじわと気づいたんです。

私が今まで必死で隠そうとしていた「ママである」という現実。

子どもがいることによる「突発的なアクシデント」。

それって、「ダメなこと」でも「言い訳」でもなかったんだ、と。

クライアントが評価してくれたのは、「完璧なフリ」をした私ではなく、「アクシデントが起きた時、それを隠さず、正直に開示し、具体的なリカバリー案(5分で戻る!)を提示した」という問題解決の姿勢だったんです。

これは、日本のビジネスシーンで昔から言われている「報・連・相(ほうれんそう)」—報告・連絡・相談—の、究極の形だったのかもしれません。

悪い状況(=うんち)ほど、早く「報告」し、現状を「連絡」し、どうしたいか(=5分欲しい)を「相談」する。

私は「ママだから」という現実にフタをして、「完璧なビジネスパーソン」という「建前」を演じようとしていました。

でも、本当に大事だったのは、「ママである私」と「シゴトをする私」という二つの王国を、どうやって連携させ、同時に運営していくかという「戦略」だったんです。

子どもが泣き叫ぶ。これは「ママの問題」じゃない。

仕事中にアクシデントが起きる。これは「シゴトの問題」じゃない。

これは、**「私」というプロジェクトマネージャーが対処すべき、一つの「課題(イシュー)」**なんだ、と。

「建前」で隠すんじゃなくて、「本音」の課題を直視する。

そして、その課題に対して、今の自分が持てるリソース(息子のオムツ替えスキル、アンパンマンDVD、クライアントへの交渉術)を総動員して、「最適」な解決策を探す。

これって、別にママプレナーに限った話じゃないですよね。

介護をしながら働いている人。

自分自身の体調と付き合いながら働いている人。

副業や学び直しで、複数の「王国」を同時に運営している人。

誰だって、人生と仕事が複雑に絡み合う中で、予測不可能な「うんち(=アクシデント)」に見舞われる可能性がある。

大事なのは、完璧を装うことじゃない。

アクシデントが起きた時、「ごめんなさい」で終わらせず、どうやって「じゃあ、こうします」という次のアクションを示せるか。

この事件は、「ちゃんとしなきゃ」という日本の「建前」文化の中で、私が自分らしい「人生術」—「正直な状況開示」と「迅速なリカバリー戦略」—を見つける、大きなきっかけとなったのです。

さて、こうして「建前」の鎧を脱ぎ捨て、ちょっとだけ身軽になった私。

でも、もちろん「最適」なバランスを探す旅は、まだまだ続きます。

「建前」と「本音」を使い分けることは、やっぱり日本で生きていく上で必要な「知恵」でもあるんです。

次回【転】では、この「うんち事件」を経て、私が日本の「本音と建前」の文化をどう捉え直し、それをどう「シゴト」と「生活」の武器に変えていったのか、その具体的な「人生術」について、さらに深く掘り下げてみたいと思います。

「建前」の鎧を脱いだら。「本音」を武器に変える、人生の「金継ぎ」術

「隠すべきもの」から「活かすべきもの」へ

あの「うんち事件」が起きるまで、私は「建前」と「本音」を、こんなふうに分類していました。

  • 建前(Tatemae):
    • プロフェッショナルな私。
    • きっちりした、完璧な姿。
    • 人に見せるべき「表」の顔。
    • = 善、というか「正解」
  • 本音(Honne):
    • ドタバタなママの私。
    • 疲れてる、焦ってる、みっともない姿。
    • 絶対に隠すべき「裏」の顔。
    • = 悪、というか「不正解」

日本の「空気を読む」文化の中で、この「本音」の部分、特に「生活感」や「弱さ」みたいなものは、ビジネスの場に持ち込んではいけない「ノイズ」だと、固く信じていたんです。

水面下でどんなに必死に足をバタつかせていても、水上では優雅な白鳥の顔(建前)をしていなければ、プロとして失格だ、と。

でも、あの事件で、クライアントに評価されたのは何だったでしょう?

私の完璧なプレゼン(建前)ではありませんでした。

「うんち」という抗いようのない「本音(アクシデント)」が起きた時、

それを隠さず(「家の外が騒がしい」という嘘を諦め)、

「5分ください」と具体的な解決策を提示した(リカバリー戦略)。

この「本音の開示」と「現実的な対処」こそが、彼らに「信頼できる」と思わせたんです。

そこで私、ハッとしたんです。

もしかして「本音」って、隠すべき「弱点」じゃなくて、使い方次第では、最強の「武器」になるんじゃないか?

日本社会はよく「ハイコンテクスト(文脈依存)だ」と言われます。

言葉にしなくても「察する」「空気を読む」ことが求められる。

だからこそ、私たちは「建前」という名の滑らかなコミュニケーションを重んじます。

でも、アクシデントは「ローコンテクスト(言葉通りの意味)」で、突然やってくる。

「うんち」は、「察して」なんていう猶予をくれません(笑)。

その時、従来通りの「建前」でフタをしようとすると、必ず歪みが生まれる。

「なんか、この人、挙動不審だな」「何か隠してるな」って、逆に不信感を与えてしまう。

あの日、もし私が「うんち」を隠し通そうとして、パニックになりながら意味不明なプレゼンを続けていたら…?

間違いなく、あの仕事は失注していました。

私が無意識にやったこと。

それは、「建前」の土俵(=完璧なプレゼン)から、**「本音」の土俵(=今、起きた問題の最短解決)**へと、クライアントを強制的に引きずり込むことだったんです。

「すみません、今、家でトラブルが起きました!(本音の開示)」

「でも、私はプロとして、この会議を成功させたい(意志の表明)」

「だから、5分ください(具体的な戦略の提示)」

これは、単なる「泣きつき」や「甘え(Amae)」とは違います。

「もうダメです、ごめんなさい…(感情)」ではなく、

「問題発生。対策はコレ。再開は5分後。(ロジック)」です。

「本音」を感情論ではなく、**「戦略的な情報」**として開示する。

これこそが、「建前」文化の中で生きる私たちが、カオスな現実(デュアル・キングダム)を乗りこなすための、新しい処世術なんじゃないか。

そう気づいたんです。

これは「ママの問題」ではなく、「全員」の問題

この気づきは、「ママプレナー」としての私を救ってくれただけではありませんでした。

これって、**人生と仕事(あるいは、複数の役割)を両立させようとする全ての人に共通する「戦略的課題」**なんだ、と視野が広がったんです。

例えば、このブログの読者さんの中にも多いかもしれない、海外で働くITエンジニアの方。(←私の勝手なイメージですが!)

日本との時差がある中で、深夜にミーティングが入る。

「建前」は、「大丈夫です、いつでも出ますよ!(タフな私)」

「本音」は、「正直、夜11時の会議は思考力が落ちて、翌日のパフォーマンスにも響く…(疲労困憊)」

この「本音」を、ただの「愚痴」や「甘え」として抑え込むと、いつか自分が壊れてしまう。

でも、これを「戦略的情報」として開示したら?

「皆さんとの連携のため、会議の重要性は理解しています。ただ、深夜の会議では私のパフォーマンスが100%発揮できません(=本音の開示)。

そこで提案ですが、アジェンダを事前に共有してもらい、私のアウトプット(意見)はドキュメントで会議前に提出し、会議自体は録画でキャッチアップする、という形でもよろしいでしょうか?(=戦略の提示)

その代わり、皆さんが朝一番で確認できるよう、日本時間の早朝までに追加の作業をコミットします(=代替案・メリットの提示)」

…どうでしょう?

これはもう「甘え」ではなく、立派な「業務改善提案」ですよね。

自分の「本音(弱点)」を起点に、チーム全体の生産性を上げる「戦略」になっている。

他にも、

親の介護をしている人。

自分自身の持病と付き合っている人。

副業や大学院で、もう一つの「王国」を持っている人。

誰もが「完璧な建前(=何の問題もなく、100%の力を発揮できる私)」と、「ままならない本音(=生活や体調という名の制約)」の狭間で揺れています。

その「本音」を、「隠すべき恥ずかしいこと」と捉えるか、「開示すべき戦略的情報」と捉えるか。

たったそれだけで、働き方、いや、生き方そのものの「風通し」が、全く変わってくるんだと思います。

人生の「金継ぎ(Kintsugi)」という知恵

「建前」という、なめらかで美しい器。

「本音」という、予測不可能なアクシデント。

私の「うんち事件」は、まさに「建前」という名の美しい器に、盛大な「ヒビ」が入った瞬間でした。

日本には**「金継ぎ(Kintsugi)」**という、素晴らしい伝統技術があります。

割れたり欠けたりした陶磁器を、漆(うるし)と金(きん)を使って修復する技術です。

金継ぎの面白いところは、**ヒビや割れ目を「隠さない」**こと。

それどころか、その「傷跡」を「金」で美しく装飾し、その器が持つ「歴史」の一部として、むしろ際立たせるんです。

これだ!と思いました。

私の人生術は、これだ。

「建前」という完璧な器を、ヒビ一つない状態で保とうとビクビクすることじゃない。

(どうせ、生きてりゃヒビくらい入る!)

ヒビが入ったら(=アクシデントが起きたら)、

それを隠そうとボンドで雑に貼り付けて「割れてませんよ」という「嘘の建前」を作るんじゃない。

そのヒビ(=本音)を、正直に開示し、

「戦略」という名の「漆」でしっかり固め、

「信頼」という名の「金」で装飾する。

「うんち事件」という名のヒビは、

「5分ください」という「漆」で固められ、

「この人、信頼できるな」というクライアントの「金(=信頼と契約)」によって、私のキャリアの「美しい模様」になったんです。

「デュアル・キングダム(二つの王国)」を生きるということは、この「ヒビ」が入りやすい、スリリングな人生を選ぶということ。

ママ業とシゴト業は、必ず衝突します。

人生と仕事は、必ず干渉し合います。

だったら、もう、完璧な「建前」の器を目指すのはやめよう。

ヒビが入ることを恐れるのは、やめよう。

むしろ、たくさんのヒビと、それを修復した美しい「金継ぎ」の跡こそが、その人の「深み」であり「強さ」であり「信頼」の証になる。

そう信じられるようになったんです。

「完璧なバランス」なんていう神話(建前)から、「カオスな現実(本音)を乗りこなす戦略(金継ぎ)」へ。

この「転」換が、私のデュアル・キングダム運営の、本当の始まりでした。

さて、こうして「ヒビ、上等!」というマインドセットを手に入れた私。

では、具体的に、このカオスな二つの王国を運営していくために、どんな「仕組み」や「知恵」を日常に取り入れていったのか。

次回、いよいよ最終章【結】にて、私が日々実践している「ワタコ流・デュアル・キングダム運営術」—日本の知恵と現代の戦略をごちゃ混ぜにした、リアルなサバイバル術—をお話ししたいと思います。

「八分目」で回す、わが家のデュアル・キングダム。カオスこそが、私の「金継ぎ」だ。

「完璧な両立」は、今日でゴミ箱に捨てましょう

まず、皆さんに(そして私自身に)毎日言い聞かせたいこと。

それは、「仕事と家庭の『完璧な両l立』」という言葉を、今すぐ辞書から削除することです。

両立って、天秤(てんびん)みたいに、左右が「均等」で「ピタッと」静止しているイメージがありませんか?

仕事50%、家庭50%…みたいな。

でも、考えてみてください。

子育てという王国は、予測不可能なゲリラ豪雨だらけ。

シゴトという王国は、突然の仕様変更や緊急対応という名の隕石が降ってくる。

こんなダイナミックすぎる二つの王国の間で、ピタッと静止できるわけがないんです!

天秤が「ピタッ」としてる状態を目指すから、「グラッ」と揺れた瞬間に「ああ、私はダメだ…」と落ち込んでしまう。

私たちが目指すべきは、「静止したバランス」じゃありません。

常に揺れ動き、傾きまくっている天秤の上で、**「落ちないように必死に踊り続ける」**こと。

そう、私たちは「バランサー」じゃなくて「サーカス団員」なんです(笑)。

この「踊り続ける」ために、私がたどり着いた日本の知恵が、三つあります。

1. 「腹八分目(はら はちぶんめ)」の精神

これ、日本の食養生でよく言われる「満腹まで食べず、八割くらいでやめておくのが健康に良い」という考え方です。

これを、私は家事とシゴト、その全てに応用しています。

「完璧(100%)を目指さない。常に『八分目(80%)』で御の字(おんのじ)とする」

これ、鉄則です。

かつての私は、シゴトも100%(完璧な資料!)、家事も100%(ピカピカの床!)、育児も100%(常に笑顔で!)を目指していました。

結果、どうなるか?

キャパシティ300%で、毎日ショート。イライラして家族にあたり、シゴトでミスをする。最悪です。

でも、「八分目」ルールを導入してからは、こう考えます。

  • シゴト(今日は勝負プレゼン!): 100%の力を出す。
  • 家事(その代わり): 20%でOK。(夕飯は冷凍餃子! 洗濯は明日に回す! 床のブロックは踏まないように歩く!)
  • 育児(その代わり): 60%。(子どもに「今日はママ、戦ってるからDVD見てて!」と正直に頼む。その代わり、寝る前に5分だけ全力でギューする)

合計180%。…あれ? まだ多いですね(笑)。

要は、「全部を80点」じゃなくていいんです。

「ここは100%」を決めたら、「ここは20%」と「意図的に手を抜く」。

トータルで、自分のキャパシティの「八分目」くらいに収まるように、リソース配分を毎日調整するんです。

「丁寧な暮らし(建前)」から見たら、冷凍餃子の日は「失格」かもしれません。

でも、「生き残り戦略(本音)」から見たら、これは立派な「戦略的撤退」です。

100%を目指して自爆するより、80%で「持続可能(サステナブル)」であること。

これこそが、デュアル・キングダムを運営する王(=私)の、一番大事な知恵だと思うんです。

2. 「仕方がない」は、「諦め」ではなく「切り替え」の呪文

海外から見ると、日本人は「仕方がない(Shikata ga nai)」という言葉をよく使う、諦めの早い国民に見えるかもしれません。

でも、私はこの言葉を「諦め」とは捉えていません。

これは、「コントロールできないこと」と「コントロールできること」を瞬時に仕分けするための、最強の「切り替えスイッチ」の言葉だと思っています。

あの「うんち事件」の時。

息子が「うんち!」と叫んだ。

これは、私には「コントロールできない」ことです。

ここで「なんで今なの!」とパニックになっても、事態は悪化するだけ。

だから、心の中で「はい、うんち! 仕方がない!」と唱える。

これで、まず「コントロールできないこと」への執着を、強制的に断ち切ります。

そして、次の0.5秒で「じゃあ、コントロールできることは?」に思考を切り替える。

「クライアントに謝罪し、5分の時間をもらうこと」

「光の速さでオムツを替えること」

これが、あの時私が無意識にやったことです。

「仕方がない」は、思考停止の言葉じゃない。

**「無駄な抵抗をやめ、今すぐ次の最適な一手(=リカバリー戦略)を打て」**という、日本古来の超合理的な「人生の号令」なんです。

子どもが熱を出す。→ 仕方がない! →(対策)クライアントと夫に即連絡。

電車が遅延する。→ 仕方がない! →(対策)遅延証明書をもらい、到着時刻を即連絡。

この「仕方がない」スイッチを使いこなせるようになってから、私は「建前」が崩れた時のリカバリー速度が、爆発的に上がりました。

3. 「戦略的本音(Honne)」を、ルーティンに組み込む

そして最後が、あの「金継ぎ」術の実践編です。

「ヒビ(本音)は、隠さず、戦略的に開示する」

これを、事件が起きてからやる(=金継ぎ)だけじゃなく、**事件が起きる前にやる(=予防的金継ぎ)**ようにしました。

つまり、あらかじめ「私、ヒビが入る可能性ありますよ」と、先手を打って開示しておくんです。

例えば、新しいクライアントとの最初の打ち合わせ。

昔は「お子さんいるの? 大変ね」と言われるのが嫌で、子どもの話は一切しませんでした。「私に任せておけば完璧です(建前)」という顔で。

でも、今は違います。

自己紹介で、堂々と言ってしまいます。

「ワタコです。在宅で、やんちゃな2歳児の育児と両立しながら働いています(=本音の開示)。

そのため、日中、突発的なアクシデント(病気など)で一時的に連絡が途切れる可能性がゼロではありません(=リスクの開示)。

その代わり、納期は必ず厳守しますし、万が一の際のリカバリープラン(例:深夜に作業します、他のメンバーと連携します等)も常に用意しています(=戦略と覚悟)。

このカオスな環境で培った『問題解決能力』こそが、私の強みです(=金継ぎのアピール)」

…どうでしょう?

先に「本音」と「リスク」と「対策」を全部開示してしまう。

これは、海外で働くITエンジニアの方が「時差があるので、会議は録画参加させてください。その代わり、誰よりも早くドキュメントでアウトプットします」と提案するのと同じです。

これをやると、相手は「ああ、この人は『うんち事件』が起きても、ちゃんと『5分ください』って言える人だな」と、「完璧さ」ではなく「誠実さと問題解決能力」を信頼してくれるようになります。

「建前」で固めた完璧な(でも、いつ割れるか分からない)器より、「こういうヒビが入るかもですが、直し方(漆)は用意してますよ」という「金継ぎ」済みの器の方が、よっぽど信頼できると思いませんか?

結論:カオスこそが、あなたの「金継ぎ」になる

日本で生きる私たち、そして海外で日本の「良さ」を背負いながら生きる皆さんは、常に「ちゃんとしなきゃ(建前)」というプレッシャーにさらされています。

それは、日本の「質」を支える素晴らしい文化であると同時に、私たちを縛る呪いにもなります。

でも、もうその呪いからは、自由になっていい。

あなたの「デュアル・キングダム(二つの王国)」が、どんなにカオスでも。

床にブロックが散らばっていても、クライアントとの会議中に子どもが乱入してきても、

それは「失敗」でも「恥」でもありません。

それは、あなたが「完璧な建前」という幻想と戦い、**「生きる」という生々しい「本音」**と向き合っている、何よりの証拠です。

そのヒビを、隠さないで。

「仕方がない」と受け入れ、「八分目」の力で乗りこなし、「戦略」という名の漆で修復しましょう。

その一つ一つのヒビこそが、他の誰にも真似できない、あなたの「信頼」と「深み」を示す、美しい「金継ぎ」の模様になるんですから。

さあ、今日も一緒に、この美しくもカオスな王国を、必死に、泥臭く、そして笑い飛ばしながら運営していきましょう!

あなたの「金継ぎ」の物語も、また聞かせてくださいね。

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