パンク寸前!「丁寧な暮らし」とは程遠い、私のリアルな「ニッポン」
海外で頑張る皆さん、こんにちは! 日本はすっかり秋めいて…と言いたいところですが、現実は気候もなんだか落ち着かず、私の毎日も全く落ち着いておりません(笑)。
皆さんが今住んでいる国から、日本は「静かで、調和(Harmony)が取れた国」に見えますか?
最近、海外の方向けの日本の紹介で「Edo Echoes(江戸時代のこだま)」なんていう素敵な言葉を見かけました。そこには、江戸時代の人々が培ってきた「規律(Discipline)」や「相互のつながり(Interconnectedness)」、そして「わびさび(Wabi-Sabi)」や「生き甲斐(Ikigai)」、さらには「武士道(Bushido)」の精神に至るまで、なんだかすごく高尚で、ストレスとは無縁の「スローライフ」を送っていたかのような紹介がされていました。
うんうん、わかります。
日本の「イメージ」って、きっとそういう感じですよね。
「日本の主婦は、きっと朝は静かにお茶を点て、季節の花を愛で、添加物のない手作りの食事(丁寧な暮らし!)をゆっくりと楽しんでいる…」
そんな風に思われているかもしれません。
では、ここで「日本の主婦」代表(自称)として、私のリアルな一日をお届けします。心の準備はいいですか? 多分、皆さんが海外で送るドタバタな毎日と、驚くほど変わらないか、むしろもっとカオスかもしれませんよ。
朝5時45分。
スマホのアラームが、一番聞きたくないビープ音で私を現実に引き戻します。静寂? 禅? そんなものはありません。あるのは「あと5分…」の誘惑と、それを振り払う「ヤバイ、お弁当!」という焦りだけです。
飛び起きて、寝ぐせもそのままにキッチンへ直行。
夫と、中学生の息子のための弁当作りが、私の「戦(いくさ)」の始まりです。日本のお弁当って、海外でも「BENTO」として有名らしいですが、アレ、作る側のプレッシャーが半端ないんですよ。栄養バランス? 彩り? 当たり前。最近じゃ「冷凍食品ばかりじゃ可哀想」みたいな謎の同調圧力まである。
昨日の夕飯の残り(見事に茶色い)を詰めながら、慌てて卵焼きを焼く。ウインナーをタコさんにカットする余裕なんて、我が家には「武士道」の精神より存在しない。ただただ、「隙間を埋める」というタスクをこなすのみ。
同時進行で朝ごはんの準備。
トーストを焼きながら、お味噌汁を温める(昨日の残り)。「和食と洋食がごちゃ混ぜじゃない?」なんてツッコミは不要です。スピードこそが正義。
6時半。
「起きてー! ご飯よー!」
この世の終わりのような顔で起きてくる息子。スマホを見ながらトーストをかじる夫。「ご飯は昨日炊いたやつ?」「昨日の夜、なんで洗濯物取り込んでくれなかったの?(怒)」…朝の食卓に「調和(Harmony)」なんて言葉が入り込む隙間は、1ミリもありません。
7時。
バタバataと家族を送り出す。
「いってらっしゃーい!」と玄関で見送った瞬間、息をつく間もなく第二ラウンド開始です。
洗濯機を回し、掃除機をかけ、朝食の食器を片付け、ゴミをまとめる。
あ、日本のゴミ出しルール、ご存知ですか?
「月曜は可燃ごみ」「火曜はプラ」「水曜は…あれ、古紙だっけ? ビン・カンだっけ?」
地域によって超〜細かく決まっていて、しかも朝8時半までに「指定の場所」に出さないといけない。これを逃すと、家の中にゴミが溜まり続けるという地獄が待っています。江戸時代の人々は「自然へのリスペクト」があったそうですが、現代の私にあるのは「ゴミ収集車へのリスペクト(というか恐怖)」だけです。
9時。
やっと一息…つく間もなく、今度は自分の仕事の準備です。
私も週に4日、近所のスーパーでパートタイムで働いています。「レジ打ち」という、一見シンプルに見えて、実は「武士道」並みの精神力が求められる仕事です(笑)。
1円でも間違えれば大問題。無数のポイントカード、電子マネー、割引券の処理。そして、時には理不尽なクレームにも「申し訳ございません」と笑顔で耐える。これぞ現代の「忍耐」です。
午後3時。
パートが終わり、ダッシュで帰宅。
息子の帰宅より先に家に着かなければ。
帰ったら、夕飯の買い物リストをチェック。ああ、牛乳がない。特売の卵、まだ残ってるかな…?
スーパーでの買い物は、もはやスポーツです。
カートを巧みに操り、最短ルートで必要なものをカゴに入れ、レジの混雑を予測し、少しでも空いている列に並ぶ。ここで重要なのは「生き甲斐(Ikigai)」ではなく「買い甲斐(Kaigai)」です。いかに効率よく、1円でも安く買うか。主婦の腕の見せ所。
夕飯の準備をしながら、洗濯物を取り込む。畳む。
息子の宿題を「横から」監視する。「やったの?」「まだ」「なんで!?」。この不毛なやり取り、世界共通ですよね?
そして、忘れてはいけないのが、日本の主婦を(精神的に)最も追い詰める存在。
そう、「PTA」と「町内会」です。
「来年度の役員決め」「資源回収のお知らせ」「地域の運動会(なぜか強制参加)」…
スマホには、ママ友たちのグループLINE通知が鳴り止みません。
「読みました」の返信一つにも、「あの人はどう思ってるか」「ここで反対意見を言ったら浮くか」…そんな「相互のつながり(Interconnectedness)」が、時として重い鎖のように感じることさえあります。
江戸時代の「相互のつながり」は、きっと助け合い、もっと温かいものだったのでしょう。
でも、現代のそれは、時に「空気を読む」という名の同調圧力となって、私たちを縛り付けます。
夜9時。
夫が帰宅。夕飯(という名の残り物)を温め直し、お風呂が沸いたのを知らせ、息子の明日の時間割をチェックし…
ようやく、リビングのソファに倒れ込む。
…これが、私のリアルな「日本での暮らし」です。
どこに「わびさび(Wabi-Sabi)」がありますか?
どこに「スローリビング」があるんでしょう?
私たちは、江戸時代の知恵とは真逆の、「効率」と「タスク処理」と「マルチタスク」に追われ、規律(Discipline)という名の「締め切り」に首を絞められている。それが現実なんです。
「丁寧な暮らし」なんて、インスタグラムの中だけの幻。
私にとっての「生き甲斐(Ikigai)」は、この全てのタスクを無事に終えた金曜の夜、一人でこっそり食べるハーゲンダッツです(笑)。
…と、ここまでが私の「愚痴」です。
でも、先日、あまりに疲れてぼーっとテレビを見ていた時、まさにあの「Edo Echoes」的な特集をやっていたんです。
不便で、厳しくて、でもどこか「豊か」そうに生きる江戸の人々の姿。
彼らは、電気もガスもスマホも、もちろんPTAのグループLINEも(!)ない世界で、どうやって「調和」を保ち、「生き甲斐」を見つけていたんだろう。
現代の私たちが失ってしまった「何か」が、そこにあるんじゃないか。
このブログシリーズでは、そんな「パンク寸前」の私が、あえて「江戸時代の知恵」にヒントを求めてみようと思います。
「わびさび」って、ただ「古いものが好き」ってことじゃないはず。
「武士道」だって、「我慢しろ」っていう精神論だけじゃないはず。
このカオスな現代日本で、海外で頑張る皆さんのストレスにも通じる、この「生きづらさ」の正体と、それを乗り越える「人生術」を、江戸時代の知恵をフックに、私の「実体験ベース」で探っていきたいと思います。
これは、禅の先生のお説教じゃありません。
同じ「主婦」として、もがき、悩み、時々ハーゲンダッツに逃げながら(笑)、一緒に「心の余裕」を見つけていく、等身大の実験レポートです。
次回、【承】の章では、私たちが抱えるこの「忙しさ」の正体と、江戸の知恵の入り口、「わびさび」について、私のリアルな失敗談(家の片付けとか!)を交えながら深掘りしてみたいと思います。
よろしければ、ぜひお付き合いくださいね。
開けるなキケン!「丁寧な暮らし」の幻想と、「わびさび」という名の“許し”
皆さん、「わびさび」って聞くと、どんなイメージですか?
「古い茶室」「欠けた茶器」「苔むした庭」…
なんだか、ものすごく高尚で、アートで、私たちの日々の生活とはちょっと(いや、かなり)縁遠い世界の言葉に聞こえませんか?
私もそうでした。
「わびさび」なんて、お茶の先生か、意識の高いミニマリストが語るもの。
こっちは「わびさび」どころか「ワビしい(侘しい)」し、「サビつく(錆びつく)」暇もないほど毎日必死なんだよ!と。
そんな私が、最近「これこそが、私が求めていた『わびさび』だったのかも…」と気づかされた、恥ずかしい「事件」がありました。
それは、珍しく夫も息子もいない、一人の土曜日のこと。
「よーし、今日こそ溜まった家事を片付けるぞ!」と意気込んだ私。
特に、目下の悩みは「リビングの物(モノ)の多さ」でした。
皆さんもきっとご経験があるはず。
海外のインテリア雑誌に出てくるような、スッキリと片付いた「何もない」空間への憧れ。
日本でも「断捨離(だんしゃり)」とか「ミニマリスト」っていうのが大流行していて、SNSを開けば、白で統一された完璧なキッチン、モデルルームみたいなリビングが「いいね!」を集めているんです。
「私も、あんな風に『丁寧な暮らし』がしたい…!」
そう思って、リビングに散らかった雑誌、息子のゲームソフト、夫が置きっぱなしの充電コード…それらを片っ端から片付け始めました。
でも、片付けても片付けても、モノが減らない。
それどころか、「これはいつか使うかも」「これは思い出の品だし…」と、迷いばかりが生まれて、全然進まない。
そうこうしているうちに、ピンポーン♪
近所に住むママ友から、「今、近くまで来たから、お茶しない?」と、アポなしの奇襲攻撃(笑)。
「え!? あと10分!? ど、どうぞ…(汗)」
電話を切った瞬間、私の頭はフル回転です。
「ヤバイ、このカオスは見せられない!」
そこからの私の行動は、まさに「武士道」並みの瞬発力でした。
床に散らばったモノというモノを、両腕でかき集め、リビングの端にある**「押入れ(Oshi-ire)」(※日本の伝統的なクローゼット)に、文字通り「全部、叩き込んだ」**んです。
そう。あの「断捨離」しようとしていたモノたちを、一切合切。
雪崩が起きないように、体重をかけて襖(ふすま)を閉める。
ふう…。
我ながら完璧な仕事。
一見、リビングはさっきまでのカオスが嘘のように、スッキリと「片付いて」います。
(押入れの中以外は)
そして、ママ友がやってきました。
「わあ、Ayaの家、いつもスッキリしてて憧れる〜! まるで『丁寧な暮らし』だね!」
…ギクッ。
私、言えませんでした。
「そのスッキリは、今、押入れの中で爆発寸前の時限爆弾によって保たれている」とは。
彼女は、私が淹れたお茶を飲みながら、こう言いました。
「見て、この湯呑み。ちょっとフチが欠けてるけど、Ayaが大事に使ってるのがわかる。なんか、いい『味』が出てるね」
その湯呑みは、私が結婚した時に母が持たせてくれた、安物です。確かに、何度も落としそうになって、いつの間にか小さく欠けていました。
完璧な「丁寧な暮らし」を演出しようと、押入れにモノを詰め込んで罪悪感を抱いていた私。
その目の前で、友人は「欠けた湯呑み」を「いい味」と褒めてくれた。
その瞬間、ハッとしたんです。
もしかして、これこそが「わびさび」の入り口なんじゃないか、と。
私たちがSNSで憧れる「完璧な空間」は、言ってみれば、私が慌ててモノを隠した「押入れ」と同じ。
外側だけ取り繕った、ハリボテの「丁寧な暮らし」です。
そこには「味」も「温かみ」も、本当の意味での「暮らし」もない。
江戸時代の「わびさび」って、「不完全なものを受け入れ、そこに美を見出す」という考え方だそうです。
ピカピカの新品(=完璧)よりも、使い込まれて、少し傷がついたり、色が変わったりしたもの(=不完全)にこそ、その人「らしさ」や「時間の経過」という価値が宿る、と。
そう考えたら、私のこのドタバタな毎日も、少し違って見えてきました。
・息子の食べこぼしでシミがついたダイニングテーブル。
・家族が何度も触るから、少し塗装が剥げたドアノブ。
・使いすぎて、ちょっと「くたびれた」フライパン。
これら全部、「完璧じゃない」けど、紛れもなく「私たちが生きている証(あかし)」なんです。
これこそが、我が家の「味」であり、「わびさび」なんじゃないか、と。
もちろん、だからと言って「家を片付けなくていい」という話ではありません(あの押入れは、後でちゃんと片付けました。雪崩とともに…笑)。
でも、「完璧じゃなきゃダメだ」という強迫観念から、少し自由になれた気がしたんです。
海外で暮らす皆さんも、きっと同じようなプレッシャーを感じることがあると思います。
「現地語が完璧に話せないと」
「子供の教育も、日本のやり方と現地のやり方、両方完璧にしないと」
「日本食も、現地の料理も、完璧に作れないと」
…そんな「完璧主義」の呪いが、私たちを苦しめている。
江戸時代の知恵「わびさび」は、そんな私たちに**「完璧じゃなくていいんだよ」**と優しく教えてくれる、「心の“許し”」なのかもしれません。
少し欠けてるくらいが、人間らしい。
少しシミがあるくらいが、生きている証。
そう思ったら、あのカオスな毎日も、なんだか愛おしく思えてきませんか?
…とはいえ!
「不完全さを受け入れる」だけじゃ、お腹は膨れません(笑)。
「わびさび」が「心の許し」だとしたら、私たちはもっと具体的な「行動の指針」が欲しいですよね。
「わびさび」と並んで紹介されていた、もう一つの江戸の知恵。
それは**「生き甲斐(Ikigai)」**です。
次回、【転】の章では、この「生き甲斐」について考えてみたいと思います。
「生き甲斐」なんていうと、また「大きな夢」とか「天職」みたいな話に聞こえますが、私たち主婦にとっての「生き甲斐」って、一体どこにあるんでしょう?
押入れの片付けと、スーパーの特売と、PTAの連絡網の「間」に、果たして「生き甲斐」なんて存在するんでしょうか?
次回も、私のリアルな(たぶん、また失敗だらけの)日常から、そのヒントを探っていきます。
ぜひまた、お茶でも飲みながら(欠けた湯呑みで!)、読みに来てくださいね。
それ、誰の「生き甲斐」? 〜タッパーの蓋を探す私が見つけた、半径3メートルの「IKIGAI」〜
皆さん、「生き甲斐」って、どんなイメージですか?
「人生を捧げるほどの、大きな夢」
「寝食を忘れるくらい、夢中になれる仕事」
「世界を変えるような、立派な天職」
…うーん。どれも、めちゃくちゃ「デカい」。
なんだか、自己啓発セミナーのポスターに書いてありそうな言葉たちです。
「さあ、あなたも『本当の生き甲斐』を見つけて、輝く人生を!」みたいな。
海外で「IKIGAI」という言葉がブームになっていると聞きますが、どうやらそういう「自己実現」や「天職探し」の文脈で語られることが多いようですね。
正直、こういう「デカい生き甲斐」論、私たち主婦にとっては、ちょっとプレッシャーじゃないですか?
こっちは今、夕飯の献立と、冷蔵庫の残り物と、息子の部活の送迎時間と、パートのシフトで、頭のCPUが100%フル稼働してるんです。
そんな時に「あなたの天職は?」なんて聞かれても、
「えーっと…とりあえず、キッチンのシンクに山積みの食器を片付けるのが、今日の私の『天職』ですけど、何か?」
としか答えようがない(笑)。
昔、私も焦っていました。
「社会から取り残されているんじゃないか」
「『〇〇さんの奥さん』『〇〇くんのママ』と呼ばれるだけで、『私』の名前はどこに行ったんだろう」
「何か、私にも『これが私の生き甲斐です!』って胸を張って言えるものが欲しい…!」
そう思って、流行りの資格の勉強を始めてみたり、朝活(!)と称して無理やり早起きしてヨガをやってみたり。
でも、どれも続かない。
なぜなら、疲れているから(笑)。そして、それが「誰かのモノサシ」で測った「生き甲斐」に思えて、心がワクワクしなかったから。
そんな時、ふと思ったんです。
江戸時代の人たちって、「私の生き甲斐って何だろう…」なんて、悩んだんでしょうか?
彼らには、私たちのような「職業選択の自由」はほとんどありませんでした。
武士は武士、農民は農民、職人は職人。
生まれた時から、自分の「役割」がだいたい決まっていた。
彼らにとっての「生き甲斐」とは、「天職を探すこと」ではなかったはずです。
それはきっと、**「与えられた役割を、誠実に果たすこと」そして、その役割を通じて「誰かの役に立っている」**と実感すること。
もっと言えば、「私は、この『つながり』の中で、ちゃんと息をしている」という、ささやかな実感だったのではないでしょうか。
それって、あの「Edo Echoes」のフックにあった「相互のつながり(Interconnectedness)」という言葉に、そのまま通じますよね。
この「デカい生き甲斐」の呪いから私を解放してくれた、二つのささやかな「事件」があります。
一つは、相変わらずバタバタな、ある平日の朝のこと。
前夜に作り置きしておいた、いつもの「茶色い」お弁当(笑)。その日は息子の好きな「ちょっと甘い卵焼き」を入れました。
朝、寝ぼけ眼で「いってきまーす」と出ていく息子の背中に、「弁当忘れるなよー!」と声をかける、いつもの風景。
その日の夕方。
学校から帰ってきた息子が、空っぽの弁当箱をキッチンに「ガチャン!」と置きました。
(もうちょっと静かに置いてくれ…)
「ただいま」も言わずに部屋に行こうとする背中に、私が「おかえり。あ、今日さ…」と何か言いかけた、その時。
息子が、ボソッと、でも私にはハッキリと聞こえる声で言ったんです。
「今日の卵焼き、なんか、めっちゃ美味かった」
…え?
え? 今、なんて?
振り返った息子は、もうとっくに部屋に行ってしまいました。
でも、私の手は、洗おうとしていたお米を研ぐのを、止めていました。
(…そっか。美味かったか。)
たった、それだけ。
誰に褒められたわけでもない。表彰されたわけでもない。
もちろん、1円のお金にもならない。
でも、私の心は、なんだかすごく「満たされた」んです。
ああ、私、ちゃんと「お母さん」やってるな、と。
もう一つの事件は、あの「魔のPTA」でのこと(笑)。
その年は、一番面倒だと言われる「地域のお祭り」の担当になってしまいました。
ただでさえ忙しいのに、毎週末のように集まって、出店の準備だの、パトロールの当番決めだの…。
「なんで私、こんなことやってるんだろう…」と、不満タラタラでした。
お祭り当日。
幸い天気には恵まれたけど、私はもうクタクタ。
「早く終わって、ビール飲みたい…」
そんなことばかり考えていた時、一緒に中心になって動いていた、別のクラスのママさんが私に駆け寄ってきました。
「Ayaさーん! お疲れ様です! あの、ここのブースの配置、Ayaさんが『こっちの方が子供たち通りやすい』って変えてくれたじゃないですか。あれ、大正解! みんな、すごく楽しそうに回ってる!」
見ると、確かに子供たちが、私たちが配置した動線通りに、笑顔で走り回っていました。
「Ayaさんが、あの面倒なシフト表、全部Excelで作り直してくれたから、引継ぎもめっちゃ楽だったって、みんな感謝してましたよ! 本当に、ありがとう!」
…泣きそうでした。
いや、ちょっと泣いた(笑)。
「デカい生き甲斐」を探していた私。
でも、私を本当に満たしてくれたのは、
「息子の『美味かった』の一言」であり、
「ママ友の『Ayaさんのおかげ』の一言」でした。
それって、まさに江戸時代の人たちが感じていたであろう、
「私は、この『つながり』の中で、役に立ってる」
という、あのささやかな実感そのものだったんです。
「生き甲斐」って、探すものじゃなかった。
「生き甲斐」って、大きなものじゃなかった。
それは、自分の日々の行動が、半径3メートル以内の誰かに届いて、その人から「ありがとう」や「美味しかった」や「助かった」という、小さな「こだま(Echoes)」として返ってくること。
その「こだま」を、自分の心でちゃんとキャッチすること。
それこそが、現代を生きる私たち主婦にとっての、リアルで、一番温かい「IKIGAI」なんじゃないでしょうか。
海外で暮らす皆さんは、私なんかよりずっと「デカい」役割を担っていると思います。
異国の地で、家族の「安全基地」になること。
言葉の壁と戦いながら、子供の「通訳」であり「代弁者」になること。
日本の文化を、現地の友人に伝える「民間大使」になること。
それは全部、お金にはならないかもしれない。
SNSで「いいね!」がつくわけでもないかもしれない。
でも、皆さんがいるから、旦那さんは安心して働ける。
皆さんがいるから、子供たちは新しい世界で根を張れる。
それって、どれだけ「デカい」生き甲斐か。
だから、もし「私、何もしてないかも…」なんて不安になったら、思い出してください。
皆さんの「生き甲斐」は、「天職」という名前じゃなく、「家族の笑顔」や「日々の暮らし」という名前で、もうすでに、皆さんの手のひらの上にあるんです。
(ついでに言うと、キッチンのタッパーの蓋を探し出せた瞬間とか、そういう超・小さな達成感も、立派な「生き甲”蓋”」だと私は思ってます!笑)
さて。
「わびさび」で「完璧じゃなくてOK」と自分を許し、
「生き甲斐」で「日々の小さな『こだま』に満足してOK」と、自分を満たす。
なんだか、だいぶ「生きるのが楽」になってきました。
でも、現実には、どうしても「許せない」ことや、「小さな『こだま』」なんかじゃ追いつかないほどの、大きな「ストレス」が襲ってくる時があります。
理不尽な要求。
どうにもならない焦り。
「もう、全部投げ出して逃げたい!」と思うほどの、プレッシャー。
そんな時、江戸時代の知恵は、何を教えてくれるんでしょう?
そう。残された、最後にして最強(?)の概念。
**「武士道(Bushido)」**です。
え? 武士道?
「主婦に『武士道』って、切腹でもしろって言うの!?」
…違います、違います(笑)。
次回、最終章【結】。
この「武士道」という、一見私たちとは最も縁遠い言葉の中に隠された、「現代のストレス社会」を生き抜くための、「折れない心の『軸』」の作り方について、私なりに探ってみたいと思います。
これが、このブログシリーズの「結論」になります。
最後まで、お付き合いいただけたら嬉しいです!
刀は捨てて、エプロンを締めて。〜私が(勝手に)見つけた、主婦のための「武士道」という“心の軸”〜
「え? 武士道?」
「Ayaさん、ついに私たちに『切腹』でもしろと!?(笑)」
…違います、違います!
もちろん、そんな物騒な話じゃありません。
正直、私もこの「武士道」という言葉が、一番「私たち主婦」とは縁遠いと思っていました。
だって、イメージが「男社会」「我慢」「忠誠」「死」…なんだか、厳しくて、堅苦しくて、息苦しい。
「Edo Echoes」のフックにあった「規律(Discipline)」という言葉も、どっちかというと「締め切り」とか「PTAのルール」みたいな、ネガティブなものでしたよね。
でも、ある日、パート先で「Geki-Oko(激おこ)」(←古い?笑)な出来事があって、私の「武士道」観は、180度変わったんです。
その日、私はレジで、あるお客さんから理不尽なクレームを受けていました。
「この前買った野菜が、すぐ傷んだじゃないの!」「あなたの店の管理はどうなってるの!」
…私、レジ担当なんですが(涙)。
ひたすら「申し訳ございません」と頭を下げる私。でも、そのお客さんの怒りは収まらない。
その時でした。
いつもは物静かな、ベテランのパートリーダー(私より10歳は年上の、まさに「日本の母」的な方)が、スッと私の前に立ったんです。
そして、そのお客さんに、深々と、でも一度だけ頭を下げて、こう言いました。
「お客様、大変申し訳ございませんでした。ですが、〇〇さん(私)は、売り場の担当ではございません。そして、彼女は今、お客様のお言葉を全て受け止めて、誠心誠意、謝罪しております。
これ以上、彼女を責めるお言葉は、私が、お聞きするわけにはまいりません」
…シーン。
店内が静まり返りました。
お客さんは、一瞬キョトンとした後、何か言いたそうでしたが、リーダーの「静かな、でも絶対に引かない」オーラに押されたのか、「…もういいわよ」と、帰っていかれました。
その夜、私は帰り支度をしながら、リーダーにお礼を言いました。
「〇〇さん、今日は本当にありがとうございました…! かっこよかったです…!」
すると、リーダーは笑いながらこう言ったんです。
「あー、お恥ずかしい。でもね、Ayaさん。私たち主婦(パート)だって、守るべき『一線』はあるのよ」
「自分を安売りしちゃダメ。理不G尽なことから、自分の『心』と『仲間』を守るのも、私たちの大事な仕事。それが、私の『武士道』みたいなものだから(笑)」
…「武士道」。
雷に打たれたような衝撃でした。
そうか。「武士道」って、「Gaman(我慢)」することじゃなかった。
「死ぬこと」でも、「自分を殺すこと」でもない。
「武士道」とは、「自分が『守る』と決めたもののために、絶対に『折れない軸』を持つこと」。
武士が「刀」を持って「お殿様」を守ったように、
私たちは「エプロン」を締めて(時に「フライパン」を振り回して!笑)、「家族」と「自分の心」という、何よりも大切な「お城」を守っている。
そう考えたら、私たち主婦こそ、現代に生きる「武士(もののふ)」じゃないですか!
私が勝手に見つけた、この「主婦のための武士道」。
それは、江戸時代の高尚な教えとは違うかもしれないけれど、こんな感じです。
一、 「義(Gi)」:正しさ
それは、「世間の正しさ」に合わせることじゃない。
「〇〇ちゃんママがこう言ってるから」でもない。
「私(たち家族)にとって、何が本当に大切か」という「我が家の軸」を持つこと。
「よその家はよその家、うちはうち!」。これぞ、主婦の「義」です。
二、 「勇(Yu)」:勇気
それは、戦いに行く勇気じゃない。
「完璧じゃない」ことを恐れない勇気。(←「わびさび」と繋がった!)
SNSの「キラキラした暮らし」を見て、比べない勇気。
そして何より、異国の地で、「助けて」と声を上げる勇気。
三、 「仁(Jin)」:思いやり
これこそが、最強の「武士道」です。
家族を思いやる。遠い日本にいる両親を思いやる。
そして、どんな時よりも、**「こんなに頑張ってる、私自身を思いやる」**こと。
理不尽なことから自分を守る、あのリーダーの「仁」です。
この1ヶ月(という設定ですが)、私たちは「江戸のエコー」を聴く旅をしてきました。
「わびさび」は、**「盾」**でした。
「完璧じゃなきゃ!」という外からの攻撃を、「欠けててOK」と受け流してくれる、優しい盾。
「生き甲斐」は、**「燃料」**でした。
「息子の『美味かった』」「友達の『ありがとう』」という、小さな炎を集めて、明日も走るためのエネルギー。
そして、「武士道」は、私たちの**「背骨(軸)」**です。
理不尽な嵐が吹いた時、他人や世間のモノサシに振り回されず、「私は、これを守る」と、大地にしっかり立つための、心の背骨。
「盾(わびさび)」で身を守り、
「燃料(生き甲斐)」を燃やし、
「背骨(武士道)」で、自分らしく立つ。
これこそが、江戸時代の知恵が現代の私たちに教えてくれる、最強の「人生術(じんせいじゅつ)」なんじゃないでしょうか。
海外という「異国のフィールド」で、家族の「城」を守る皆さん。
皆さんは、私が想像する以上に、ずっとずっと「武士」です。
毎日、言葉や文化の「見えない敵」と戦い、家族の笑顔を守っている。
その姿は、誇張でもなんでもなく、本当に「かっこいい」です。
私は、日本のこの小さなキッチンから。
同じようにカオスな毎日と戦う「戦友」として、皆さんのことを、心から応援しています。
「Edo Echoes」シリーズ、最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました!
また、日本の片隅から、ドタバタな日常をお届けしますね(笑)。

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