「心のデトックス」は江戸に学べ!忙しい現代に「静けさ」をチャージする、日本の古き良き心の整え方

スマホばかり見てない?現代人が忘れた「心の静けさ」の見つけ方

(※この「起」セクションは約1200文字です)

皆さん、最後に「何にもしないで、ぼーっ」としたの、いつですか?

朝起きたら、まずスマホでニュースとメールをチェック。朝ごはんを作りながら、タブレットで動画を流し見。電車や車での移動中はSNSをスクロール。仕事や家事の合間にも、ひっきりなしに通知が「ピコン!」と鳴り響く…。

気づけば、1日の終わりには目がシパシパ、頭はなんだか情報過多でパンク寸前。「ああ、疲れた…」ってベッドに倒れ込むけど、頭が冴えちゃってなかなか寝付けない。

これ、ちょっと前の私の日常です(笑)。

特に日本は、良くも悪くも「真面目」で「きっちり」していることが求められがちな社会。時間に正確で、周りに気を配って、常に「ちゃんとしなきゃ」というプレッシャーが、空気のように漂っています。

海外にお住まいの方も、きっと「日本人としてちゃんとしなきゃ」とか、「現地のコミュニティに馴染まなきゃ」とか、あるいは「日本にいる家族や友人の期待に応えなきゃ」とか、いろんなプレッシャーを感じているんじゃないでしょうか。

私たちは、便利さを手に入れた代わりに、「心の余白」みたいなものを、どこかに置き忘れてきちゃったのかもしれません。

そんな時、私がふと立ち返りたくなるのが、ハイテクとは真逆の、古き良き日本の考え方なんです。

今回のテーマは、ズバリ「江戸時代の処世術」。

「え、なんで今さら江戸時代?」って思うかもしれませんね(笑)。

でも、考えてみてください。電気もスマホも、もちろんインターネットなんてない時代。人々は、今よりもずっと「不便」な暮らしの中で、自然の移ろいや、人との直接的な関わり、そして自分自身の「内面」と、じっくり向き合って生きていました。

そこには、情報に振り回されずに「今、ここ」に集中するための、すごく実用的(プラクティカル)な知恵が詰まっていたんじゃないか。私はそう思うんです。

最近、私は家のベランダで小さな家庭菜園を始めたんですが、ある雨上がりの朝、シソの葉についた水滴が、朝日を浴びてキラキラ光っているのを見たんです。

たったそれだけのこと。

でも、スマホの画面越しじゃない、本物の「美しい」瞬間に出会った時、昨日の夜まで悩んでいた仕事のモヤモヤとか、ママ友とのちょっとしたすれ違いとかが、なんだか「まあ、いっか」って思えたんですよね。

この感覚こそが、江戸の人たちが大切にしていた「心の静けさ(Inner Calm)」の入り口なんじゃないかなって。

このブログでは、そんな「江戸に学ぶ心のデトックス術」として、私が日常生活で「これだ!」と膝を打った3つのキーワードを深掘りしていこうと思います。

1つ目は、「物の哀れ(Mono no Aware)」。

散っていく桜を「ああ、儚い。でも、だからこそ美しい」と感じる心。物事が永遠ではないと知ることで、逆に「今」を大切にするデトックス法です。

2つ目は、「金継ぎ(Kintsugi)」の知恵。

割れた器を漆と金で修復する、あの技術です。失敗や欠点を「なかったこと」にするんじゃなくて、それを「美しい景色」として受け入れる。 setbacks( setbacks)からの立ち直り方。

3’つ目は、「森林浴(Shinrin-yoku)」。

これはもう言葉の通り!意図的に自然に触れることで、科学的にも証明されている心の浄化作用。これは「江戸時代」というより日本の原風景そのものですね。

これらは、決して難しい哲学じゃありません。今日からでもすぐに、あなたの生活に取り入れられる「ちょっとしたコツ」みたいなもの。

この「起」のパートでは、まず「なんで今、私達には『静けさ』が必要なの?」という問題提起をしてみました。

次の「承」のパートからは、いよいよこの3つの知恵が、具体的にどう私たちの日常を豊かにしてくれるのか、私のドタバタな実体験も(恥ずかしながら)交えつつ、詳しくお話ししていきますね。

まずは、コーヒーでも淹れて、通知をオフにして。ちょっとだけ「ぼーっとする」時間をご一緒しませんか?

欠けたって、終わったって、美しい。「物の哀れ」と「金継ぎ」が教えてくれる最強の「立ち直り」術

(※この「承」セクションは、約3000文字です)

「起」のパートでは、「なんだか私たち、情報ばっかりで疲れちゃってるかも?」というお話をしました。そして、その処方箋として、江戸時代の知恵「物の哀れ」「金継ぎ」「森林浴」の3つをキーワードとして挙げましたね。

この「承」のパートでは、早速そのうちの2つ、「物の哀れ」と「金継ぎ」について、私の実体験を交えながら、たーっぷりと深掘りしていきたいと思います。

1. 「物の哀れ」って、ただの感傷? いいえ、最強の「手放し」術です。

■ 桜が「美しい」本当の理由

まず、「物の哀れ(Mono no Aware)」。

これ、学校の古文の授業で出てきましたよね(笑)。「ああ、なんて趣があるんだろう…」みたいな、ちょっとしんみりした感情?

私、昔はこれが「ただの感傷」だと思っていたんです。平安貴族が「月がキレイ…(涙)」みたいな。

でも、主婦になって、毎日ドタバタと現実を生きるようになってから、これこそが現代人に必要な「最強のメンタル術」なんじゃないかと思うようになりました。

「物の哀れ」の核心は、**「すべてのものは移ろいゆく(=無常、impermanence)」という事実を、悲しいこととしてではなく、「だからこそ、今が美しい」**と受け入れる心のこと。

一番わかりやすいのが「桜」です。

私たち日本人は、なんであんなに桜が好きか。満開の美しさもさることながら、パッと咲いて、数日後には潔くサーッと散っていく、あの「儚さ」に心を揺さぶられるんですよね。

もし桜が1年中咲いていたら?

たぶん、誰もあんなに熱狂しない。「ああ、今年も咲いてるね」で終わり。

「もうすぐ終わってしまう」

「この美しさは、今この瞬間だけ」

そう思うからこそ、私たちは「今」咲き誇る桜の姿を目に焼き付けようとするし、その一瞬の輝きに「美しい」と感じるんです。

■ 実体験:止まらない子どもの成長と、私の「執着」

この「物の哀れ」の感覚、私が最近強烈に感じているのが、子育てです。

海外で子育てされている皆さん、現地の学校に通わせたりすると、お子さんの成長スピードが日本にいるより早く感じませんか?言葉もあっという間に覚えて、文化にもスッと馴染んで…。

我が家も同じです。

ちょっと前まで、あんなに「ママ、ママ!」ってベッタリだった息子が、最近じゃ「あ、それ知ってるし」「友だちと遊ぶから」なんて、すっかり一丁前。

嬉しいんですよ? 嬉しいんです、本当に。自立してくれて。

でも、心のどこかで、ものすごーく寂しい(笑)。

あんなに柔らかかったほっぺ。

私の手をギュッと握ってきた、小さくて紅葉みたいな手。

たどたどしい言葉で「ママ、だいしゅき」と言ってくれた声。

そういうものを思い出しては、「ああ、あの頃は可愛かった…」って、つい昔の写真や動画を見返しちゃう。

これって、完全に「過去への執着」ですよね。

「あの頃の可愛い息子よ、戻ってこーい!」って(笑)。

でも、ある雨の日、息子の部屋を掃除していたら、本棚の奥から、彼が幼稚園の時に描いた「ママの顔」の絵が出てきたんです。ぐちゃぐちゃのクレヨンで、目も鼻も歪んでるんだけど、一生懸命さが伝わる絵。

それを見た瞬間、涙がブワッて溢れて。

でも、それは「悲しい」涙じゃなかったんです。

「ああ、そっか。あんなに小さかったこの子は、もういないんだ」

って、ストンと腑に落ちた感覚。

「あの時期」は、もう二度と戻ってこない。

それは「桜」が散ったのと同じ。

これが「物の哀れ」なんだ、って。

そうやって「あの頃はもうない」とちゃんと受け入れられたら、不思議と心が軽くなったんです。

過去に執着するのをやめたら、目の前の「今」の息子に集中できるようになった。

生意気な口をきくようになったけど、よく見ると私が知らない間に難しい本を読んでいたり、妹の面倒を(ぶつぶつ言いながらも)見てあげていたり。

「赤ちゃん」じゃなくなった代わりに、「一人の人間」としての彼が、そこにはいました。

「じゃあ、生意気になった『今』のこの子と、どうやって楽しく過ごそう?」

「最近、彼がハマってるゲームの話でも聞いてみるか」

そうやって、前向きに「今」の関係性を築こうと思えるようになったんです。

■ 海外生活のモヤモヤにも「物の哀れ」が効く

これ、海外で暮らす主婦の皆さんにも、すごく役立つ考え方だと思うんです。

慣れない土地での生活は、まさに「変化」の連続ですよね。

言葉が通じないストレス。文化の違いへの戸惑い。新しく築かなきゃいけない人間関係。

「日本にいた頃は、もっとラクだったのに」

「あの頃は、友達もたくさんいて、自由だったのに」

そうやって「過去の日本での快適な暮らし」に執着してしまうと、今の生活がどんどん色褪せて見えて、苦しくなっちゃう。

でも、そこで「物の哀れ」の出番です。

「そうか、あの頃の私はもういないんだ」

「あの快適だった状況も、もう『散った桜』なんだ」

そうやって、一旦「過去」を手放してみる。

そして、「今」の状況もまた、永遠には続かないんです。

「この大変な状況も、いつかは変わっていく(移ろいゆく)」

「いつか日本に帰るかもしれないし、逆に、もっとこっちの生活に馴染んで、今の苦しさが嘘みたいになるかもしれない」

そう思うことで、今の環境への「過度な期待」や「過度な不満」から、フッと距離を置ける(emotional detachment=感情的な分離)んです。

「物の哀れ」は、変化を恐れるんじゃなくて、変化を「自然なこと」として受け入れる、心のストレッチ。

「今」にしっかりと軸足を置くための、すごく実用的な「手放し」術なんです。


2. 割れた器、どうする?「金継ぎ」に学ぶ、失敗を「景色」に変える方法

■ 「隠す」のではなく「輝かせる」美学

さて、2つ目の知恵は**「金継ぎ(Kintsugi)」**です。

これは聞いたことがある方も多いかもしれませんね。

割れたり、欠けたりした陶磁器を、漆(うるし)で接着して、その継ぎ目を「金」や「銀」で美しく装飾する、日本独自の修復技術です。

この「金継ぎ」の何がすごいって、その発想の転換!

普通、物が壊れたら「あーあ、もうダメだ」って捨てちゃうか、あるいはバレないように「隠そう」としますよね? 傷跡やヒビは、ネガティブなもの、価値が下がった証拠として扱われる。

でも、金継ぎは真逆。

「割れた? 欠けた? おめでとう!」

「その傷こそが、この器を世界に一つだけのものにする『景色』なんですよ」

そう言って、その傷跡をあえて「金」でピカピカに目立たせるんです。

そして、修復された器は、「割れる前よりも美しく、価値のあるものになった」と、さらに大切にされる。

これって、すごくないですか?

失敗や欠点を「なかったこと」にするんじゃなくて、それをその人の「歴史」であり「個性」として受け入れ、むしろ「輝かせる」という美学。

■ 実体験:「キャリアのブランク」という名の「ヒビ」

私自身、この「金継ぎ」の考え方に、めちゃくちゃ救われた経験があります。

私、結婚して子どもを産む前は、それなりに仕事にやりがいを感じて、バリバリ働いていたんです。でも、出産を機に退職。いわゆる「専業主婦」になりました。

最初のうちは、子育てに必死で楽しかったんです。

でも、子どもが少し手を離れて、ふと「社会」と切り離されたような感覚に陥った。

「私、このままでいいのかな?」

「旦那はどんどん出世していくのに、私は毎日、家事と育児だけ…」

焦りを感じて、パートでもいいからと再就職しようとしたんですが、これがもう、うまくいかない。

面接に行っても、「〇〇さん、ブランクが5年ありますね」「パソコンのスキル、古いですね」なんて言われて。

「ああ、私にはもう価値がないんだ」

「『主婦』っていうのは、社会から見たら『何もしてない人』なんだ」

完全に自信喪失。心がポッキリ折れて、自分自身が「割れた器」になった気分でした。

私の「5年間のブランク」は、修復不可能な「大きなヒビ」に見えました。

そんな時、たまたま地元のカルチャーセンターで「簡単・金継ぎ体験」という講座を見つけたんです。

「割れた器、か…今の私みたい」と、自虐的な気持ちで参加しました(笑)。

先生は、わざと欠けさせた小さなお皿を私たちに配り、「さあ、この欠けを、あなたの好きな『景色』にしてください」と言いました。

最初は「えー、難しい」なんて言っていたんですが、漆(もどき)の接着剤を塗って、その上に金粉をそっと蒔いていく作業に、無心で集中しました。

そして、出来上がったお皿。

いびつな金の線が、なんだか不格好だけど、愛おしい。

先生が言いました。

「いいですね。この傷があるから、このお皿は特別なんです。あなたの『金継ぎ』ですよ」

その瞬間に、ハッとしたんです。

私の「5年間のブランク」というヒビ。

これ、隠すものじゃなくて、私だけの「景色」なんじゃないか?

確かに、会社員としてのキャリアは止まってた。

でも、この5年間で、私は「金」を得ていたんじゃないか?

  • 育児で身につけた、予測不能な事態に即対応する「マルチタスク能力」。
  • 幼稚園のPTAで、意見の違うお母さんたちの間に入って調整した「交渉力」。
  • 地域のコミュニティで、ゼロから人間関係を築いた「サバイバル能力」。

これって、会社員を続けていたら、絶対に得られなかった「金」だ!

そう思えたら、あの「ブランク」という名のヒビが、急に輝いて見えたんです。

「私、割れてなんかない。むしろ、新しい景色を手に入れたんだ」って。

私が今、こうしてブログを書いているのも、まさにその「金継ぎ」の一環。

「主婦」としての経験、「ブランク」という名の挫折。それらすべてを「景色」として、こうして発信できているんですから。

■ あなたの「失敗」は、世界に一つの「景色」

海外で生活していると、日本にいる時よりも「失敗」や「挫折」を経験しやすいかもしれません。

言葉が通じなくて、お店で大恥をかいた。

文化の違いを知らなくて、よかれと思ってやったことが、相手を怒らせてしまった。

「完璧な奥さん」「完璧な母親」になろうとして、空回りして、孤独を感じた。

そういう「ヒビ」や「欠け」、たくさん抱えていませんか?

でも、それは「恥」でも「失敗」でもない。

それこそが、あなたがその土地で、必死で根を張ろうと格闘した「証」。

「金継ぎ」の知恵は、私たちに教えてくれます。

「完璧」を目指さなくていい。

「傷つくこと」を恐れなくていい。

その傷こそが、あなたという器を、他の誰でもない、深く、美しく、強いものにしてくれる「金色の景色」なんだから。


(承のまとめ)

どうでしょう?

「物の哀れ」で、「今」に集中し、「過去」を手放す。

「金継ぎ」で、「失敗」を「個性」として受け入れ、自分を肯定する。

この2つ、どちらも根底にあるのは「ありのままを受け入れる」という、しなやかな強さです。

「こうあるべき」という固定観念から自分を解放して、「まあ、そんな時もあるよね」と流れに任せてみる。

これぞ、情報過多で「べき論」に溢れた現代を生き抜くための、江戸の知恵だと思いませんか?

さて、「承」では、主に自分の「内面」との向き合い方についてお話ししました。

次の「転」のパートでは、がらっと視点を変えて、外に目を向けます。

3つ目のキーワード、「森林浴(Shinrin-yoku)」。

「自然が体にいいなんて、当たり前じゃない?」

いやいや、これがすごいんです。

私たちが本能的に持っている「自然とのつながり」が、いかに科学的に私たちの心をデトックスしてくれるか。

「近くに森なんてないよ!」という方でも大丈夫。

ベランダのプランター一つ、窓から見える空一つでできる、超簡単な「江戸式・自然チャージ術」について、これまた私の実体験を交えて熱く語りますね!

どうぞ、お楽しみに!

森に行けない?なら「ベランダ」でOK!五感でチャージする「なんちゃって森林浴」のススメ

(※この「転」セクションは、約3000文字です)

いやあ、「承」のパート、熱く語ってしまいました(笑)。

「物の哀れ」で過去への執着を手放し、「金継ぎ」で自分の失敗やブランクを「美しい景色」として肯定する。

この2つ、かなり「心」にグッとくる、内面的なアプローチでしたよね。

でも、皆さん、こう思ったことありませんか?

「頭ではわかってる。わかってるけど、心が追いつかない!」

「理屈じゃなくて、もう、今すぐこのモヤモヤをどうにかしたい!」

…はい、私です(笑)。

特に主婦の仕事って、365日休みなし。

「物の哀れ」を感じる間もなく次の家事が襲ってくるし、「金継ぎ」で傷を愛でる前に、子どもの新しいトラブル(=新たなヒビ)が発生する。

心が「内省モード」になんて、なかなかなれないんですよね。

そんな時、私たちのご先祖様、江戸の人々はどうしていたか。

彼らは、理屈抜きで「心と体のバランス」を取る方法を、本能的に知っていました。

それが、3つ目のキーワード。

**「森林浴(Shinrin-yoku)」**です。

1. なぜ今、「Shinrin-yoku」が世界で注目されるのか?

「森林浴」って聞くと、どんなイメージですか?

「週末にリュック背負って、本格的なハイキング?」

「奥多摩とか高尾山とか、そういう『森』に行かないとダメ?」

そう思うと、特に海外にお住まいの方にとっては、ちょっとハードルが高いかもしれません。

「住んでるのが大都市のど真ん中で、公園すらない」

「車がないとどこにも行けない」

「治安的に、女性一人で森や公園を歩くなんてとんでもない」

「そもそも、うちの周り、砂漠(あるいはコンクリートジャングル)ですけど!?」

わかります。

でも、大丈夫。

この「森林浴」という言葉、今や “Shinrin-yoku” “Forest Bathing” として、世界中のビジネスエリートや研究者たちから、ものすごく注目されているんです。

なぜか?

それは、**「科学的に、めちゃくちゃ心身に効く」**ことが証明されてきたから。

日本の研究では、森の中を歩くだけで、

  • ストレスホルモンと呼ばれる「コルチゾール」の濃度が明らかに下がる
  • 免疫機能(NK細胞)が活性化して、病気になりにくくなる
  • 血圧や心拍数が安定し、リラックス状態になる

といった効果が確認されています。

江戸時代の人々は、もちろんこんな「コルチゾール」なんて言葉は知りませんでした。

でも、彼らは「体感」として知っていた。

「なんだか、心がささくれてるな」

「仕事(商い)で行き詰まったな」

そんな時は、ちょっと仕事をサボって(笑)、近所の寺社の森や、隅田川のほとりを散歩して、草の匂いを嗅ぎ、風の音を聞けば、スーッと頭がクリアになる(Mental Clarity)ことを。

つまり、私たちが今「森林浴」に求めるべきは、「歩く距離」や「山の標高」じゃない。

ご提示いただいたフックにもあった、**「deliberate engagement with nature(自然との、意図的な関わり)」**こそが、その本質なんです。

2. 私の失敗談:「スマホ片手」の森林浴もどき

この「意図的な関わり」という点が、ミソ。

これを理解していなかった私、盛大に失敗しました。

数年前、まさに「私、疲れてる…自然が足りない…」と、育児ノイローゼ寸前だった私。

ある週末、「私、森林浴してくる!」と家族に宣言し、一人で近所のそこそこ大きな公園に出かけたんです。

でも、その時の私、何をしていたか。

耳にはお気に入りの音楽を入れたイヤホン。

片手にはスマホ。

「せっかく一人時間だし、溜まってたSNSの返信しなきゃ」

「あ、あの木、ちょっと『映え』そう。写真撮ってストーリーにあげよ」

公園を1時間ぐるっと歩き回って、カフェでラテを買って帰宅。

で、どうだったか。

……全然、スッキリしてない(笑)。

むしろ、目と頭はスマホでさらに疲れ、耳は音楽で情報過多。「森林浴」に行ったはずが、「場所を変えてスマホ作業をしただけ」という結果に。

私、公園の「何を」見ていたんでしょう?

葉っぱの色? 土の匂い? 風の音?

まったく、覚えていない。

私は「自然」に触れに行ったんじゃなくて、「自然という背景」の前で、「いつもの日常(スマホ)」を繰り返していただけだったんです。

これじゃあ、コルチゾールも下がるわけないですよね(苦笑)。

江戸の人が、スマホ見ながら桜を愛でることは、絶対に、なかった。

3. 発見!「ベランダ」こそが最強の癒やしスポットだった

そんな失敗を経て、私がたどり着いたのが、

「最強の森林浴スポットは、森ではなく、我が家のベランダ(の片隅)である」

という真実です。

海外のお住まいでも、小さなバルコニーや、窓辺のスペースなら、きっとありますよね?

ある日の午後。

家事は終わらない、子どもは言うことを聞かない、夫からの連絡はない(笑)。

もう、何もかもが嫌になって、床に転がっていたい…そんな時でした。

ふと、ベランダで放置気味だったプランターが目に入りました。

春先に植えたシソとミントが、水不足でちょっとシナシナになっている。

「あ…ごめん」

本当に、無意識でした。

ヤカンに水を汲んで、ベランダに出たんです。

その時、たった一つだけ、いつもと違ったこと。

「スマホを、リビングのテーブルに置いていった」

たったそれだけ。

シーンとしたベランダ。

ジョウロじゃなくてヤカンから(笑)、水を「ジョー」っと注ぐ。

乾いた土に、水が染み込んでいく音。

その時、ふと、気づいたんです。

「風の音」がする。

(いつもはイヤホンか、部屋の中のテレビの音で聞こえてなかった)

「土の匂い」がする。

(いつもは柔軟剤か、料理の匂いしか意識してなかった)

シナシナだったミントの葉を、そっと指でこすってみました。

ツン、と鼻を抜ける、あの青臭くて、最高に爽やかな香り。

顔を上げたら、ビルとビルの間に、ちゃんと「空」がありました。

雲が、ゆっくりだけど、動いていました。

たった、5分。

いや、3分も経ってなかったかもしれません。

でも、その3分間、私の頭の中をグルグルしていた「どうしよう」「ムカつく」「面倒くさい」という思考が、**ピタッ!**と止まっていたんです。

これだ、と。

これが「deliberate engagement(意図的な関わり)」だ、と。

「森林浴」って、「森」に行くことじゃなかった。

「五感」のスイッチを、「人工物(スマホ、テレビ、PC)」から「自然物(土、葉、風、空)」に、意図的に切り替える「行為」そのものだったんです。

4. 海外でも今日からできる!「江戸式・五感チャージ術」

この「ベランダ森林浴」の発見から、私の「自然との関わり方」は劇的に変わりました。

海外で、思うように「日本の森」にアクセスできない皆さんにこそ、この「江戸式・五感チャージ術」を全力でお勧めしたい!

森がなくても大丈夫。必要なのは、あなたの「五感」と、「意図的にスマホを置く3分間」だけです。

【視覚:空を見て「ぼーっ」とする】

一番簡単で、どこでもできるのがこれ。

窓を開けて(あるいは窓越しでもOK)、空を3分間、ただ眺める。

「雲の形、面白いな」「今日は青が濃いな」

それだけ。PCやスマホの「青色」じゃない、本物の「空の青」は、目の疲れと思考の疲れを一緒に吸い取ってくれます。

【聴覚:ノイズじゃなくて「音」を聞く】

朝起きたら、テレビや音楽をつける前に、5分だけ窓を開けてみてください。

最初は「車の音うるさいな」と思うかもしれない。

でも、その「うるさい」の奥に、必ず「自然の音」が隠れています。

鳥のさえずり。風が葉っぱを揺らす音。雨だれが落ちる音。

それを「探す」ゲームだと思って、耳をすましてみて。

【嗅覚:最強の「アロマ」は生(ナマ)です】

アロマディフューザーも素敵ですが、「生の植物の香り」の力は絶大です。

海外のスーパーでも、小さなハーブの鉢植え(ミント、ローズマリー、バジルなど)が売っていませんか?

それをキッチンの窓辺に一つ置くだけ。

イラッとしたら、その葉っぱを指で「こすっ」て、その香りを深呼吸。脳に直接ガツンと効いて、思考がリセットされます。これは本当に効く!

【触覚:指先で「地球」を感じる】

もし、小さくてもプランターが置けるなら、ぜひ「土いじり」を。

「土」って、私たちの「体」の元ですよね。

指先に土の感触が戻ってくるだけで、私たちは本能的に「安心」するんです。

それが無理なら、公園の(安全が確認できるなら)芝生を裸足で歩いてみる。あるいは、木の幹や、道端の葉っぱ一枚の「葉脈」を、そっと指でなぞってみる。

自分の「手」が、今、何に触れているか、意識するだけでOK。

【味覚:ちゃんと「味わう」】

「食べる」ことも、自然とのつながりです。

「ながら食べ」をやめて、例えばリンゴ一個を食べる時。

その「形」「色」「重さ」「香り」を、まずしっかり観察する。

そして、一口食べた時の「音」「食感」「広がる酸味と甘み」を、舌の上で全部感じる。

これだけで、立派な「食べる瞑想」であり、「森林浴(自然の恵みを頂く)」になります。


(転のまとめ)

どうでしょう?

「森林浴」って、全然、大袈裟なものじゃなかったでしょう?

「物の哀れ」や「金継ぎ」が、過去の出来事や自分の内面と向き合う「心」のメンテナンスだとしたら、

この「森林浴」は、私たちの「五感=体」を通して、「今、ここ」の感覚を取り戻す、超・即効性のある「体」のメンテナンス。

私たちは、特に海外で頑張っていると、「ちゃんとしなきゃ」と頭(思考)ばかりがフル回転しがち。

でも、私たちの「体」は、ずっと前から「自然が足りないよー!」ってサインを出してくれていたのかもしれません。

「疲れたな」と思ったら、「根性が足りない」んじゃない。

「自然との接続が、ちょっと切れてる」だけ。

そう思えば、すごく気が楽になりませんか?

さて、これまで「起」「承」「転」と、「物の哀れ(手放し)」「金継tugi(受容)」「森林浴(接続)」という、3つの江戸の知恵を見てきました。

これらは、バラバラのテクニックではありません。

最後の「結」のパートでは、これら3つがどう繋がり、私たちの日常を「本当に豊か」にしてくれるのか。

そして、これらを実践した先に待っている、本当の「内なる静けさ(Cultivating Inner Calm)」とは何なのか、私なりの「結論」をお話ししたいと思います。

いよいよ次が最終回。

最後まで、ぜひお付き合いくださいね!

嵐の中でも「私」は大丈夫。江戸の知恵がくれた、最強の「心の軸」

(※この「結」セクションは、約3000文字です)

「起」で始まり、「承」「転」と、私の長い長い(笑)ブログにお付き合いいただき、本当にありがとうございます!

「起」では、「スマホ疲れ、情報疲れの私たち、ちょっと『心の余白』なくしてない?」という問題提起から、江戸の知恵という処方箋を提示しました。

「承」では、「物の哀れ」で過去への執着を手放す心のあり方(=子育ての寂しさ)と、「金継ぎ」で失敗やブランクを「美しい景色」として受け入れる受容力(=私のキャリア中断)について、私の恥ずかしい実体験と共にお話ししました。

そして「転」では、「森に行けなくても大丈夫!」と、ベランダや窓辺でできる「五感」を使った超・即効性のあるデトックス術、「なんちゃって森林浴」をご紹介しました。

さて、いよいよ「結」。

これら3つの知恵、「物の哀れ」「金継ぎ」「森林浴」は、一見するとバラバラのテクニックのように見えるかもしれません。

でも、私、このブログを書きながら気づいたんです。

これ、全部つながってる、と。

これらは、私たちが「内なる静けさ(Inner Calm)」を育むための、最強の「お守りセット」なんです。

1. イラッとした時、あなたならどうする?

例えば、皆さんもきっと経験があるはず(私だけじゃないと信じたい)、あの瞬間。

夕飯の準備で、片手で玉ねぎを炒めながら、もう片方の手で子どもの宿題の丸付けをして、さらに頭の中では「あ、明日の朝のパンがない!」とか考えている、あのカオスな時間。

そこに、子どもがジュースを「バーッ!」とこぼす。

……はい、来ました。

以前の私なら、ここで「火山大噴火」です。

「もーーーーー! 何やってんの!! ママがどんなに忙しいかわかるでしょ!!」

と、怒鳴って、自己嫌悪。

子どもは泣く、私はイライラが収まらない、夕飯は焦げる。最悪のループです。

でも、「江戸の知恵」というお守りセットを手に入れた今の私は、ちょっと違います。

(イラッ! 怒鳴りそう!になった、その瞬間)

■ Step 1:【転】の知恵「森林浴」で緊急停止!

まず、脳内で「森林浴」のサイレンが鳴ります(笑)。

「ヤバい、コルチゾール出てる!」

ここで、怒鳴る代わりに、まず**「五感」**に意識を飛ばします。

「あ、玉ねぎ焦げてる匂いがする(嗅覚)」

「ジュースが床に広がる音がする(聴覚)」

そして、キッチンに置いたミントの鉢植えの葉を、**指でグシャッ!**と潰す。(触覚・嗅覚)

ツーン、とくるミントの香りで、カッとなった頭に、ほんの少し「隙間」ができる。

これが、「転」でご紹介した、五感による「今、ここ」への緊急着陸です。

これで、ひとまず火山の「大噴火」は回避。中噴火くらいには抑えられます(笑)。

■ Step 2:【承】の知恵「金継ぎ」で自己受容

でも、イライラはまだ残ってる。

「ああ、また怒りそうになっちゃった…」「こんな忙しい時にこぼすなんて…」

自分を責めたり、子どもを責めたりする思考がグルグル。

ここで、**「金継ぎ」**の出番です。

「そうよ、私だってイライラするよ。人間だもの」

「完璧な母親になろうとしてたな、私」

「この『イラッとした』っていうヒビも、今日の私のがんばりの『景色』の一部」

失敗(=怒りそうになったこと)を、「なかったこと」にしたり、「ダメなこと」とジャッジしたりするのをやめる。

「はい、イライラしましたー。これも私ー」と、ちょっとふざけた感じで「受容」するんです。

これで、自己嫌悪に陥って、さらに自分を追い詰めるループから抜け出せます。

■ Step 3:【起】の知恵「物の哀れ」で客観視

さて、クールダウンして、自分も受け入れた。

最後に登場するのが、真打ち**「物の哀れ」**です。

ジュースをこぼして、ビクッとしている子どもの顔を見る。

(ああ、この子も、いつかこんな風にジュースをこぼさなくなるんだな…)

(いつか、「ママ、あの時怒ってたよね」なんて、笑い話にする日が来るんだろうな…)

そう、この「ジュースだだ漏れ」のドタバタな「今」も、永遠には続かない。

10年後には、懐かしくて泣きたくなるくらい「儚い」一瞬なんです。

「すべては移ろいゆく(Mono no Aware)」

そう思えたら、さっきまであんなに腹が立っていたことが、なんだか急に「ちっぽけ」で、「愛おしい」ものにさえ思えてくるから不思議です。

「はいはい、わかった。じゃあ、雑巾持ってきて。一緒に拭こう」

ここまで来れたら、もう完璧。

あなたは「内なる静けさ」を、完全に取り戻しています。

2. 「静けさ」とは、「何も感じない」ことじゃない

どうでしょう?

「森林浴(五感で今に接続)」

「金継ぎ(失敗や欠点を受容)」

「物の哀れ(変化を受け入れ、手放す)」

この3つのお守りセット、最強じゃないですか?

私がこの「江戸の知恵」を生活に取り入れ始めて、一番変わったこと。

それは、「イライラしなくなった」とか「悩み事がなくなった」ことでは、ありません。

(相変わらず、イライラもするし、悩みも尽きません!)

一番の変化は、

「あ、私、今、荒れてるな」

「あ、私、今、過去に執着してるな」

「あ、私、今、五感が死んでるな」

と、**「自分の状態に、すぐに気づけるようになった」**ことです。

以前の私は、嵐(ストレスや悩み)が来ると、その嵐に飲み込まれて、自分がどこにいるかもわからなくなって、パニックになっていました。

でも、今は違う。

嵐(イライラ)が来ても、

「お、嵐が来たな」

と、嵐の「外側」に、ほんの少しだけ「意識」を置くことができるようになった。

そして、「よし、ミントの葉を触ろう(森林浴)」とか、「これも景色(金継ぎ)」とか、自分が「今」できる対処法(お守り)を、ちゃんと知っている。

嵐を「なくす」ことはできない。

でも、嵐の中で、パニックにならずに、ちゃんと「立っている」ことはできる。

これこそが、フックにあった**「Cultivating Inner Calm(内なる静けさを育む)」**ということなんじゃないか、と私は思うんです。

「静けさ」とは、波一つない「無」の状態のことじゃない。

外がどんなに荒れていても、自分の「中心(軸)」がどこにあるかを知っていて、そこに戻ってこられる「しなやかさ」のこと。

江戸の人々が、不便で、自然の厳しさ(台風、地震、飢饉)と隣り合わせの生活の中で培ってきた知恵は、まさにこの「しなやかな軸」を作るための、心のトレーニングだったんだと思います。

3. 海を越えて頑張る、あなたへ

この長いブログをここまで読んでくださったあなたは、きっと、海外という慣れない土地で、日々、本当に頑張っていらっしゃる方だと思います。

日本の「当たり前」が通じない場所で、日本の「主婦」として、あるいは「一人の女性」として、見えないプレッシャーや孤独と戦っているかもしれない。

「ちゃんとしなきゃ」

「現地の文化に馴染まなきゃ」

「日本にいる家族を安心させなきゃ」

そんな「べき論」に疲れた時、この記事が、あなたにとっての「ベランダのミント」のような存在になれたら、こんなに嬉しいことはありません。

完璧に実践する必要なんて、まったくないんです。

「物の哀れ」なんて、わからなくてもいい。

ただ、夜寝る前に、「ああ、今日も大変だったけど、この大変さもいつか終わるか」と、フッと息を吐くだけでいい。

「金継ぎ」なんて、できなくてもいい。

失敗して落ち込んだら、「これが私の景色、ってあのブログに書いてたな(笑)」と、ちょっと自分を笑ってあげるだけでいい。

「森林浴」なんて、大袈裟にやらなくていい。

朝、コーヒーを飲む一口目だけ、スマホを見ずに「香り」と「温かさ」に集中する。

その「3秒」が、あなたの「心の軸」を、少しずつ、でも確実に、育ててくれます。

私たちは、ハイテクな時代に生きているけれど、私たちの「心」と「体」は、何百年も前から変わらない「自然」の一部。

日本の古い知恵は、私たちがその「本質」に立ち返るための、優しくて、とてつもなく強い「お守り」です。

あなたの海外での毎日が、あなただけの「美しい景色」に溢れ、「今」の五感を味わい尽くす、豊かなものでありますように。

日本から、心より応援しています!

最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。

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