家族がいても、ぼっち飯? 日本の「一家団らん」を取り戻せ! 我が家の脱・スマホ依存ルール

便利さの向こう側で見失ったもの

(ここから「起」の本文です)

やっほー! 海外で頑張る皆さん、こんにちは。日本のとある街で、日々家族のご飯と格闘しております(笑)、主婦のAmiです。

そちらの暮らしはいかがですか? きっと、文化の違いや言葉の壁、いろいろなことにぶつかりながらも、新鮮な発見や素敵な出会いを楽しんでいることと思います。私もね、いつか海外で暮らしてみたいなーなんて夢見たり。

さて、今日はね、たぶん世界共通の「悩み」について。

そう、スマートフォン。私たち大人の間では「スマホ」、子どもたちは「タブレット」かもしれませんね。

いやー、便利ですよね。本当に。

海外に住む皆さんなら、なおさらじゃないかな。日本の家族や友達とビデオ通話したり、現地の言葉がわからなくても翻訳アプリでなんとかなったり。子どものぐずり対策に動画を見せたり。私もね、めちゃくちゃ頼ってます。料理のレシピ検索なんて、スマホがなかった時代、どうしてたっけ?って思うくらい。

でもね、最近ふと思ったんです。

「私たち、スマホに便利にされてるんじゃなくて、スマホに支配されてない?」って。

ちょっと前の我が家の話をしますね。恥ずかしいんだけど、たぶん「うちも!」って共感してくれる人もいるんじゃないかな(いてほしい!笑)。

我が家は、夫と私、それから小学校低学年の息子と幼稚園の娘の4人家族。

夕食の時間、それはかつて「一家団らん」と呼ばれる、家族にとって一番大切な時間のはずでした。

「はーい、ご飯できたよー!」

私がキッチンから声をかけると、リビングのソファから「はーい」と気のない返事が二つ。夫と息子です。

テーブルにご飯を並べている間も、二人はソファに座ったまま。何をしているかというと、夫はニュースアプリか何か。息子はゲーム。

「ちょっとー、ご飯冷めるよ! 手洗って!」

「んー、いまキリが悪い」

「こっちも大事なメールが…」

…出たよ。それ、昨日も聞いた。

イラっとしつつも、なんとか二人を食卓につかせると、今度は娘がぐずりだす。

「〇〇ちゃん(アニメのキャラ)見るー! ご飯いらないー!」

もうね、カオス(笑)。

結局、夫はスマホをテーブルの横に置き、時々チラ見しながらご飯をかきこむ。

息子は「一口食べたらゲームしていい?」と交渉してくる。

娘は、タブレットで動画を見せながらじゃないと、一口も食べない。

そして私は?

イライラしながらご飯を口に運び、子どもを叱りつけ、ふと静かになった瞬間に、私もスマホを手に取ってるんです。ママ友からのLINEが来てないか、インスタの「いいね」はついてるか…。

…あれ?

家族4人、同じテーブルでご飯食べてるよね?

なのに、みんな見てる方向はバラバラ。

夫の目線はスマホに、息子の心はゲームの世界に、娘の意識はタブレットのアニメに、そして私の心もSNSに。

シーンとした食卓に響くのは、食器のカチャカチャいう音と、タブレットから流れる陽気なアニメソングだけ。

会話、ゼロ。

食べたご飯の味、覚えてない。

夫が今日どんな顔で仕事してたか、知らない。

息子が学校で何を話したがってたか、聞いてない。

娘が今日作った折り紙のこと、見てない。

ただただ、「夕食」というタスクを消化する時間。

これって、外食チェーンのカウンターで一人で食べてる「ぼっち飯」と、何が違うんだろう?

日本にはね、「いただきます」と「ごちそうさま」っていう、素敵な挨拶がありますよね。

これは、食材(命)への感謝だけじゃなくて、ご飯を作ってくれた人への感謝、そして「今からみんなで、この食卓を囲んで、同じ時間を共有しますよ」っていう、一つの「けじめ」の合図でもあると思うんです。

それなのに、我が家は「けじめ」も「共有」もあったもんじゃない。

「いただきます」の代わりに、スマホのロックを解除してる。

「ごちそうさま」の代わりに、「ああ、お腹いっぱい。さ、ゲームの続きしよ」って。

この「スマホまみれ」な生活は、食事中だけじゃありませんでした。

朝。アラームで目が覚める。まず最初に手に取るのはスマホ。寝ぼけ眼でSNSをチェック。夫も隣でスマホ。おはようの挨拶より先に、ニュース速報を見てる。

休日。公園に遊びに行っても、子どもたちは遊具で遊んでるけど、親たちはベンチでスマホ。私もね、子どもの写真を数枚撮ったら、あとはずっとスマホ。「ちゃんと見てるよー」なんて言いながら、目はインスタのフィードを追ってる。

そして、夜。

寝る前の寝室。昔は今日あったことを話したりしてたのに、今は夫婦で背中を向け合って、真っ暗な部屋でそれぞれのスマホの明かりだけが光ってる。会話は、「ねえ、充電器どこ?」くらい(笑)。

笑いごとみたいに言ってるけど、内心、すごく焦ってました。

このままで、いいんだろうか。

子どもたちって、親の言うことは聞かないけど、親のやることは全部マネしますよね。

「スマホばっかり見ちゃダメ!」って私が叱っても、「でも、ママだってずっと見てるじゃん」って言われたら、ぐうの音も出ない。

息子は最近、会話の途中で私がちょっとスマホを見ただけで、「どうせママは話聞いてないんでしょ」って拗ねるようになった。

娘は、私の顔じゃなくて、私の手にあるスマホに向かって話しかけてくることが増えた。

ああ、ダメだ。

便利さと引き換えに、一番大切にしなきゃいけない家族の「和」とか、「心のつながり」みたいなものを、私たちは少しずつ失ってる。

日本には「間(ま)」という言葉があります。

人と人との「間」、時間の「間」、空間の「間」。

この「余白」みたいな部分にこそ、心の豊かさとか、相手を思いやる気持ちが生まれるんだよって、昔から言われてきた気がするんです。

でも、スマホは、その「間」を全部埋め尽くしちゃう。

電車を待つ「間」、ご飯ができる「間」、寝る前の静かな「間」。

ちょっとでも「間」ができたら、すぐにスマホで埋めちゃう。

考える時間も、ボーッとする時間も、家族と目が合う時間さえも、全部。

「もったいない」

私の中で、何かがプツンと切れました。

時間も、家族との関係も、「もったいない」ことだらけじゃないか!

そこから、我が家の「脱・スマホ依存」大作戦が始まったんです。

海外の育児書やライフハック記事も読み漁りましたよ。

そしたら、アメリカやヨーロッパでも同じ悩みを持っていて、いろんなルールを実践してる家庭があるんですよね。

例えば、「デジタル・フリーゾーン(Digital-Free Zones)」とか、「タイム・ブロック(Time Block)メソッド」とか。

横文字で聞くと、なんだかすごく最先端な教育法みたいに聞こえるけど、よくよく読んでみたら…。

あれ? これって、うちのおばあちゃんが言ってたことと、すごく似てる。

「ご飯の時は、お箸の持ち方と、おしゃべりに集中しなさい」

「寝る部屋に、遊び道具(昔でいう漫画とかね)を持ち込んじゃいけません」

「親がダラダラしてたら、子どももダラダラするもんだよ」

そう。

呼び方は違うけど、これって日本人が昔から大切にしてきた「けじめ」とか「メリハリ」、そして「親が手本を見せる」っていう、ごく当たり前の生活の知恵だったんです。

私たちは、いつの間にかこんな当たり前の「知恵」さえも、スマホと一緒に手放しちゃってたんだなあって、痛感しました。

もちろん、スマホを全部捨てて、山奥で自給自足の生活をしよう!なんて、そんな極端な話じゃありません(笑)。便利なものは、賢く使えばいい。

大事なのは、家族の「和」を守るために、現代のツールとどう「けじめ」をつけて付き合っていくか。

そして、それは親である私たちが、まず手本を見せなきゃ始まらない。

…と、いうわけで!

前置きがめちゃくちゃ長くなっちゃいましたが(ごめんなさい!)、この記事では、そんな「スマホまみれ」だった我が家が、日本の昔ながらの「生活の知恵」をヒントにしながら、どうやって家族の「一家団らん」を取り戻していったか、その具体的な実践ルールについて、実体験ベースでお話ししていきたいと思います。

私たちが試したのは、大きく分けて3つのルール。

それはまさに、さっき言った「Digital-Free Zones」「Time Block」「Leading by example」…これを、**我が家流(というか、日本のおばあちゃん流?)**にアレンジしたものです。

次の「承」からは、その具体的な中身について、じっくりお話ししていきますね。

もし、「うちも、家族の会話が減ったかも…」と少しでもドキッとした方がいたら、ぜひお付き合いください。

一緒に、スマホと上手に付き合いながら、家族との温かい時間を取り戻す方法、考えてみませんか?

地獄の「スマホなし食卓」と、家族の大反乱

(ここから「承」の本文です)

さて、と。「このままじゃ、我が家は『ぼっち飯』家族になっちゃう!」と危機感を募らせた私。

「一家団らん、取り戻し大作戦」の火蓋が、ついに切って落とされたわけです。

でもね、いきなり「今日から全員スマホ禁止!」なんて言っても、独裁者じゃないんだから(笑)、誰もついてくるわけないですよね。夫は大人だけど、子どもたちはまだ小さい。なぜダメなのか、なぜそうするのか、ちゃんと「家族のルール」として共有しないと。

そう思って、ある週末の夜、みんなが大好きなお菓子とジュースを用意して、「家族会議、ひらきまーす!」と宣言しました。

子どもたちは「やったー!お菓子!」と大はしゃぎ。夫は「…なに、急に。なんか買った?」と怪訝な顔(笑)。違うわい。

そこで私、まず「起」で話したみたいな、私の「モヤモヤ」を全部ぶちまけました。

「最近、ママはすごく寂しい」って。

「みんなでご飯食べてるのに、誰もママの顔を見てくれない。パパはスマホ、息子くんはゲームの話、娘ちゃんはタブレット。ママが今日どんなに美味しいハンバーグ作ったか、誰も気づいてくれない!」

…と、まあ、半分くらい泣き落としです(笑)。

子どもたちはキョトン。

夫は「いや、美味しいといつも思ってるよ…」と、ちょっとバツが悪そう。

そこで、畳みかけます。

「だから、決めました! 我が家も、海外の素敵なファミリーみたいに、『賢いルール』を作りたいと思います!」

そう言って、私がお手本にした(というか、おばあちゃんの知恵をそれっぽく言い換えた)最初のルールを発表しました。

我が家のルール、その①!

「デジタル・フリーゾーン(スマホ持ち込み禁止エリア)」を定める!

「で、でじたる…ふりー?」

息子が首をかしげます。

「ようするに、**『ここはスマホ(ゲーム・タブレット)絶対ダメ!』**っていう場所を、お家の中に決めるってこと!」

私、ホワイトボードまで持ち出して(気合の入り方が違うでしょ?笑)、二つの場所をデカデカと書きました。

<スマホ持ち込み禁止エリア>

1.食卓(ご飯を食べるテーブルの上、およびその周辺)

2.寝室(夜、寝る場所)

「まず、ご飯の時!『いただきます』から『ごちそうさま』までは、スマホもタブレットも、テレビも(うちは元々つけてなかったけど)全部ナシ! 食卓に持ち込んでいいのは、ご飯と、お箸と、**『おしゃべりする口』**だけ!」

「えええええええええーーーーー!!!」

地響きのようなブーイング。

そりゃそうだ。一番の「オアシス」を取り上げられるんだから。

「やだ! 〇〇ちゃん(アニメ)見ながらじゃないと、ご飯たべられない!」と娘は速攻で大泣き。

「は?意味わかんない。じゃあオレ、ご飯食べ終わったらすぐゲームしていいんだな!?」と息子は怒り心頭。

そして、一番の強敵、夫。

「いや、俺は別にいいけどさ…。でも、仕事の大事な連絡が来るかもしれないだろ? 食卓に置いとくだけなら、別にいいんじゃない?」

…出た。

「仕事」と「置いとくだけ」。

これが一番やっかいなんです!

「ダメ!!!」

私は、心を鬼にして言いました。

「パパが『置いとくだけ』で置いてたら、どうせ息子くんも『ゲームしないだけ』で置きたくなるよ? 娘ちゃんも『音消すだけ』で動画を見たくなるよ?」

「『置いとくだけ』が、結局みんなの『心を盗む』んだよ!」

「それに、日本には**『ながら食い』は行儀が悪い**って、昔から言うでしょ? ご飯作ってくれた人にも、お米や野菜にも失礼!」

半分ヤケクソです(笑)。

でも、この「昔からの知恵」みたいなのが、意外と夫には刺さったみたいで。「うーん、まあ…そう言われりゃ、そうか…」と、しぶしぶ納得(させた)。

「そして、二つ目! 寝室!」

「寝る時は、スマホは寝室に持ち込まない! これ、パパとママのルールね」

これは、子どもたちというより、私たち夫婦へのルール。

「起」でも話したけど、寝る前に夫婦で背中向けてスマホって、本当に冷え冷えとする時間だったから。

日本には**「同衾(どうきん)の縁」**なんていう古い言葉もあるくらい、夫婦が同じ布団(ベッド)で寝る時間って、すごく大事な縁で結ばれてるはずなのに。スマホのせいで、その縁がプツプツ切れてる気がしたんです。

「寝る前は、スマホのブルーライトじゃなくて、お互いの顔を見ようよ。今日あったこととか、ちょっと話す時間にしない?」

夫は「…照れくさいな、おい」とか言いながらも、まんざらでもない顔。よし、こっちも攻略(笑)。

とはいえ。

ルールが決まったからって、次の日から「はい、守りましょうね!」ってなるほど、人間の(特に子どもの)習慣は甘くない。

戦いは、ここからでした。

まず、物理的に「持ち込めない」仕組みを作りました。

リビングの一角に、カゴと充電タップをまとめた**「スマホさんのおうち」**(ネーミングセンスはスルーして…)を作ったんです。

「ただいまー!」って家に帰ってきたら、靴をそろえると同時に、スマホもこのカゴに入れる。

これが新しい「ただいま」の儀式。

そして、夕食。

「ご飯できたよー!」の合図で、夫も私も、スマホをこの「おうち」に置いて、食卓につく。

…地獄は、初日の夜にやってきました。

「いやああああ! 〇〇ちゃん(アニメ)見るうううう!!」

娘、ギャン泣き。椅子から降りて床にひっくり返る。

「…(無言で、箸をつつきながら、チラチラとリビングの『スマホのおうち』を見る)」

息子、明らかに不機Y。

「…(ソワソワ。時折、無意識にポケットを探る仕草をする)」

夫、禁断症状(笑)。

そして私。

「ほら! ハンバーグ美味しいよ!」「今日ね、学校でさあ…」

必死で場を盛り上げようとする、哀れなピエロ…。

私もね、正直、きつかった。

だって、シーン…としてるんだもん。

その沈黙を埋めるために、私もつい、スマホに手が伸びそうになる。

「あ、今日の特売なんだったっけ」とか、どうでもいい理由をつけて。

ああ、これだ。

私たち家族は、「沈黙」が怖かったんだ。

会話がない「間(ま)」を、スマホやタブレットの「音」や「情報」で埋めて、無理やり「にぎやかさ」を演出してただけなんだ。

本当の「団らん」じゃなくて、「団らんっぽい雰囲気」で満足しようとしてた。

初日、二日目、三日目。

娘のギャン泣きは続き、息子はふてくされ、夫はため息をつき。

私も「…もう、やめようかな」「こんなにイライラしてご飯食べるなら、動画見せたほうがマシかも…」って、何度もくじけそうになりました。

でもね、4日目の夜だったかな。

相変わらずギャン泣きする娘に、ふてくされてた息子が、ボソッと言ったんです。

「…うるさいな。泣くなよ。ほら、ニンジンあげる」

息子が、自分のお皿のニンジンを、娘の口に運ぼうとしたんです(まあ、娘は「いらない!」って叩き落としたんだけど。笑)。

私、びっくりしちゃって。

今まで、息子の視線はゲーム画面にロックオンされてた。妹が泣こうが喚こうが、「自分には関係ない」って世界にいたのに。

タブレットがないから、初めて「妹の泣き声」がちゃんと耳に入って、「うるさい」と感じて、そして「なんとかしなきゃ」って、彼なりに「行動」した。

その日を境に、食卓の「音」が少しずつ変わっていきました。

娘の泣き声は、だんだん「ご飯への文句」に変わりました(それはそれで大変だけど。笑)。

「このピーマン、やだ!」

「じゃあ、ママと一個だけ交換こしようか」

息子の「ふてくされた沈黙」は、「退屈しのぎの質問」に変わりました。

「ねえ、この魚、なんで骨あんの?」

「そりゃ、魚だってお母さんとお父さんがいるみたいに、体を支える骨があるからだよ」

「ふーん。…パパは、なんで今日ため息ついてんの?」

「え!? あ、いや、仕事でちょっと…」

会話、生まれてる…!

完璧な「一家団らん」には、まだ程遠い。

相変わらず、ガチャガチャして、キーキー怒って、こぼして(笑)。

でも、確実に、みんなの視線が「スマホ」から、目の前の「家族」に向き始めた。

私たちがやった「デジタル・フリーゾーン」。

これって、スマホを「禁止」したんじゃなくて、家族で顔を合わせるっていう、日本の食卓では当たり前だった「けじめ」を取り戻しただけなんだなって、実感しました。

この「場所」でのけじめがついたら、次の課題が見えてきました。

「じゃあ、それ以外の時間はどうするの?」

「いつなら、ゲームしていいの? いつなら、ママもスマホ見ていいの?」

そう。

「場所」の次は、「時間」のルール決め。

我が家の戦いは、まだ始まったばかりだったのでした。

「時間」を仕切る! …が、一番の敵は自分だった?

(ここから「転」の本文です)

さて、「食卓」と「寝室」という聖域(笑)をなんとか死守した我が家。「デジタル・フリーゾーン」作戦は、娘のギャン泣きという大きな犠牲(?)を払いながらも、少しずつ「会話が生まれる」という成果を見せ始めていました。

でもね、子どもの方が一枚上手でした。

「場所」がダメなら、「時間」で攻めてくる。

「ねえ、ご飯中じゃなきゃいいんでしょ?」

「寝る前じゃなきゃ、いつまで見てもいいってこと?」

「えー、今ちょっとだけ! 宿題終わったしさあ!」

…ですよねー。

「禁止エリア」を作っただけでは、結局「それ以外の時間は、無制限」ってことになっちゃう。

これじゃ、モグラ叩きと一緒。場所を変えて、スマホやゲームに時間を奪われるだけ。

「承」の最後で「次の課題は『時間』だ」なんて偉そうに言いましたが、まさにその壁にぶち当たったわけです。

こうなったら、次の手を打つしかない。

我が家のルール、その②!

「タイム・ブロック」メソッド、発動!

また横文字(笑)。

いや、これもね、要するに日本で昔から言われてる**「メリハリをつけなさい」**ってこと。

海外の育児法では「リアクティブ(反応的)な使い方」じゃなく、「インテンショナル(意図的)な使い方」をしましょう、なんて言うらしいです。

つまり、「子どもがぐずったから(反応して)見せる」んじゃなくて、「この時間は、これを『楽しむ』時間ですよ(意図して)と決める」ってこと。

これ、日本の子どもたち、得意なはずなんです。

だって、小学校で「時間割(じかんわり)」ってあるでしょう?

「1時間目は国語」「2時間目は算数」「その次は、楽しい給食!」

みんな、ちゃんとチャイムで切り替えてる。

だったら、家だって「時間割」を作ればいいんだ!

私はまたホワイトボードを持ち出して、今度は「我が家の放課後時間割」を作りました。

  • ~16:00 帰宅・手洗い・宿題タイム(ママも一緒に!)
  • 16:00~17:00ゴールデン・デジタルタイム!(ゲーム・タブレットOK!)
  • 17:00~ お片付け・お風呂・お手伝いタイム(スマホ・ゲーム禁止!)
  • 18:30~ 夕食(もちろん、ルール①発動)

どうだ!

これなら、子どもたちも「我慢」しやすいはず。

「今はダメ!」って一方的に取り上げるんじゃなくて、「16時になったら、思いっきりやっていいよ!」っていう「希望」があるから。

日本には「我慢(がまん)」という言葉がありますよね。

これって、ただ耐え忍ぶっていうネガティブな意味だけじゃなくて、「その先にある楽しみのために、今を律する」っていう、すごくポジティブな「心の筋トレ」だと思うんです。

この「時間割」作戦、最初はうまくいきました。

「あと10分で、ゴールデンタイム終わりだよー!」

「えー!もう!? よし、セーブしとこ」

アラームが鳴ると、前よりずっと素直に(しぶしぶだけどね)ゲームをやめるようになったんです。

「我慢」の筋トレ、効果あり!

…と、ここまではね、順調だったんです。

「やった! 私って、なんて賢いママなんだろう!」なんて、本気で思ってました。

そう。あの日、あの瞬間までは。

その日は、夕方の17時半。

時間割でいえば、子どもたちは「お片付け・お風呂」の時間。

私は夕食の準備中。

子どもたちは、珍しく二人で「お絵描きするー」と、リビングで画用紙を広げていました。

(よしよし、いい感じ。作戦成功だな…)

私は鼻歌混じりで、キッチンのコンロの火を弱め、ふと手に持っていたスマホに目をやりました。

(あ、今日の夕飯、写真撮ってインスタにあげようかな)

(あ、そういえばママ友からLINE来てたっけ)

(レシピ、一応もう一回確認しとこ…)

きっかけは、そんな「主婦の仕事のうち」みたいな、ささいなこと。

でも、レシピを検索した指は、いつの間にかニュースアプリを開き、SNSのフィードをスクロールし、どうでもいいゴシップ記事を読みふけっていました。

…5分くらい経ったでしょうか。

ふと、視線を感じて顔を上げると、そこには水筒を片手に、真顔で私を見つめている息子が立っていました。

「…」

「…あ、なあに? お茶?」

息子は、無言で私の手元…つまり、煌々(こうこう)と光るスマホの画面を、じーっと見て。

そして、一言。

「…あれ? ママは、いま『ゴールデン・デジタルタイム』なの?」

…ぞくっ!

背筋に、冷たい氷を突っ込まれたみたいでした。

ぐうの音も出ない。

だって、時間は17時半。

私自身が作った「時間割」では、とっくに「デジタル禁止」の時間。

「こ、これは、ママはお料理のレシピを…」

「ふーん。でも、さっき笑ってたよ」

…見てた。

ニュース記事の面白いコメント欄を見て、私がニヤニヤしてたのを、この子は全部見てた!

恥ずかしさと、罪悪感と、「しまった!」っていう焦りで、顔から火が出るかと思いました。

私は、息子に「17時までね!」と時間を守らせておきながら、自分は、そのルールを平気で破っていた。

一番やっちゃいけないこと。

「親が手本を見せる(Leading by example)」

これが、我が家のルール、その③…というか、ルール①と②を支える、**一番大事な「土台」**だったんです。

日本には**「親の背中(せなか)を見て子は育つ」**って言葉がありますよね。

本当に、その通り。

親が口で「ダメだぞ!」って100回言うより、親が「やってない姿」を1回見せるほうが、100倍効果がある。

逆に、親が「ルール守れ!」って言いながら、自分はスマホをいじってたら…?

子どもからしたら、「なんで? ズルい!」って思うに決まってる。

私たちが守らせようとしていたのは、子どもへの「ルール」じゃなかった。

**「家族みんなの、新しい習慣」**だったはず。

なのに、私だけが、その「習慣」の外にいた。

私は、息子の目の前で、深呼吸して、スマホの電源ボタンをカチッと押しました。

画面が真っ暗になる。

「…ごめん。ママ、ズルしてた。もう17時過ぎてるから、ママもスマホ、おしまいにする」

「…うん」

息子は、ちょっとだけ満足そうに笑って、お茶をゴクゴク飲んで、またお絵描きに戻っていきました。

…あぶなかったー。

子どもに、一番大事なことを教えられました。

この「タイム・ブロック」って、子どもを管理するための時間割じゃなかったんです。

**「親が、自分のスマホ時間を管理する」**ための、決意表明だったんだ。

私が「スマホをいじっていい時間」を、意識的に決める。

(例えば、子どもがお風呂に入ってる15分だけ、とか)

(通勤中の夫も、電車の中だけ、とか)

それ以外の時間は、親も「デジタル・フリー」を貫く。

この**「親の覚悟」**こそが、一番重くて、一番大切なルールなんだって、思い知らされました。

この一件で、私は「ルールを守らせるママ」から、**「一緒にルールを守る家族のメンバー」**に、やっと、なれた気がします。

さあ、聖域(場所)を確保し、時間割(時間)を決め、そして親の覚悟(手本)も決まった。

いよいよ、我が家の「脱・スマホ依存」大作戦は、最終章へ。

はたして、ギスギスしていた我が家の食卓は、本当に「一家団らん」と呼べる場所に戻れたのでしょうか…?

スマホがそこにあっても。「いただきます」が響く食卓

(ここから「結」の本文です)

あれから、数ヶ月。

我が家の食卓は、どうなったか。

「起」の冒頭で書いた、あのシーンとした「ぼっち飯」状態だった食卓は、今。

…正直に言いますね。

めちゃくちゃ、うるさいです(笑)。

「ママ! 今日、学校の給食でカレー出たのに、夜もカレーなの!?」

「いいじゃない、ママのカレーは世界一なんだから」

「ぼく、ピーマンいらない」

「わたし、お肉たべる!」

「こら、お箸で人を指すな!」

静かで、穏やかな、絵に描いたような「一家団らん」…とは、程遠い(笑)。

相変わらず、いや、むしろ前よりガチャガチャして、わちゃわちゃしてます。

でもね。

一つだけ、確実に取り戻したものがあります。

それは、**みんなの「視線」**です。

息子が文句を言う時、ちゃんと私の顔を見て言うようになりました。

娘がお肉を自慢する時、ちゃんとパパの顔を見て笑っています。

夫が「こら!」と叱る時、ちゃんとお箸を指した息子の手元を見ています。

そして私も、イライラしながら(笑)、ちゃんとピーマンを残そうとする息子の顔を見て、「一口だけ頑張ってみ?」と交渉しています。

誰も、うつむいていない。

誰も、スマホの画面に心を奪われていない。

みんなが、目の前の「家族」という、一番身近な「社会」に参加してる。

「いただきます」

あの日、形骸化(けいがいか)していたその言葉は、今、ちゃんと「今から家族の時間が始まるよ!」っていう、スタートの合図になりました。

「ごちそうさまでした」

その言葉は、「あーお腹いっぱい。さあ、ゲームしよ」じゃなくて、「今日も美味しいご飯をありがとう。みんなと話せて楽しかったよ」っていう、感謝の合図になりました。

私、勘違いしてたんです。

「スマホ」や「タブレット」が、悪者なんだって。

あんな便利なものが、家族の「和(わ)」を乱すんだって。

違った。

悪者だったのは、「ルールがなかったこと」でした。

もっと言えば、**「けじめ」をつけなかった、私たち親の「曖昧(あいまい)さ」**でした。

日本には「空気を読む」という、良くも悪くも独特な文化がありますよね。

でも、この「スマホ問題」に関しては、「空気を読む」なんていう曖imなものでは、もう太刀打ちできない。

子どもも大人も、本能的に「楽しい」「楽ちん」な方に流れていっちゃうから。

だからこそ、親が、家族が、**「ここまではOK、ここからはダメ」っていう「線引き(けじめ)」**を、はっきりと示す必要があったんです。

我が家が作った3つのルール。

  1. 「デジタル・フリーゾーン」(場所のけじめ)
  2. 「タイム・ブロック」(時間のけじめ)
  3. 「親が手本を見せる」(心のけじめ)

これって、結局ぜんぶ、日本のおじいちゃんやおばあちゃんが「行儀が悪いよ」「メリハリをつけなさい」「人のフリ見て我がフリ直せ」って言ってた、昔ながらの「生活の知恵」でした。

私たちは、その「知恵」を、現代の「スマホ」という新しい道具に、合わせてアップデートしてあげる必要があった。

ただ、それだけだったんです。

今、食事が終わって、「ゴールデン・デジタルタイム」になると、子どもたちは一目散にゲームやタブレットに向かいます(笑)。

夫も、リビングの「スマホさんのおうち」から自分のスマホを持ってきて、ニュースをチェックしてる。

私も、SNSを開いたり、こうしてブログを書いたり。

それで、いいんです。

スマホをゼロにする必要なんて、全くない。

特に、これを読んでくれている海外に住む皆さん。

皆さんにとって、スマホは、日本に住む私たち以上に「命綱(いのちづな)」ですよね。

日本の家族と顔を見て話すための、大事な「窓」です。

現地の言葉がわからなくても助けてくれる、「先生」です。

子どもが、現地の学校で唯一日本語に触れられる、「教科書」かもしれない。

だから、取り上げるなんて、絶対しちゃダメ。

大事なのは、**「使う」けど、「支配されない」**こと。

そのために、まずは「食卓」から。

たった30分でいい。「寝室」から。たった15分でいい。

家族が「スマホ」から解放されて、お互いの「顔」だけを見る時間、あえて「間(ま)」を作ること。

その「余白」にこそ、子どもの「ねえ、聞いて!」が飛び込んでくるし、夫の「今日さあ…」が漏れ聞こえてくる。

その「余白」でキャッチした家族の小さな変化こそが、私たち主婦にとって、一番の「栄養」になるんじゃないかな。

便利さの向こう側で見失いかけた「一家団らん」。

でも、大丈夫。

「けじめ」という、私たち日本人が元々持っている「知恵」のスイッチを入れ直すだけで、それはちゃんと取り戻せます。

さあ、今日の夕飯。

皆さんの食卓では、どんな「音」がしていますか?

もし、ちょっと静かすぎると感じたら、まずは勇気を出して、自分のスマホをそっとテーブルから離してみてください。

そこから、きっと何かが変わるはずです。

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