ただ「生き延びる」だけじゃ足りない。日本の小さな部屋で見つけた、心のサンクチュアリ(聖域)としての「我が家」。
こんにちは!日本で子育てをしながら暮らしている、いち日本人主婦です。
今日、私の住む街では少し冷たい風が吹いていて、どこからか焼き魚の香ばしい匂いや、お風呂の準備をする給湯器の音が聞こえてきます。そんな日本の夕暮れ時から、このブログを書いています。
突然だけど、毎日を「ただなんとなくやり過ごしている」って感じること、ありませんか?
朝起きて、子供のお弁当を作って(日本のお弁当文化ってクレイジーなほど細かいのよ!)、仕事や家事に追われて、気づいたら夜になってる。まるでマラソンコースを全速力で走り続けているような感覚。まさに「サバイバルモード」。
特にここ日本では、社会全体に「きちんとしなきゃいけない」という無言のプレッシャーが強く漂っています。電車の中は驚くほど静かだし、街は清潔だけど、その分、私たち主婦にかかる「完璧でいなきゃ」という重圧もなかなかのもの。
でもね、ある日ふと思ったんです。「ただ生き延びる(Survival)」だけじゃ、人生もったいないなって。私たちはもっと、この日常を「楽しむ(Thriving)」権利があるはずだって。
今日は、そんな私が日本の小さなアパートで実践している、心を豊かにするための「隠れ家(Haven)」づくりと、そのマインドセットについてお話ししたいと思います。
日本の家は「ウサギ小屋」?それとも「宝箱」?
海外の皆さんが日本の家を見ると、そのコンパクトさに驚くことがよくあります。
よくジョークで「Rabbit hutch(ウサギ小屋)」なんて言われた時代もありましたが、私たちにとってこのサイズ感は、実はとっても心地よいものになり得るんです。
私が住んでいるのも、決して広くない典型的な日本の集合住宅。リビングと小さな寝室、そして子供部屋にもならないようなスペースがあるだけ。
でも、この限られた空間こそが、私の「サンクチュアリ(聖域)」なんです。
日本には古くから「居場所(Ibasho)」という言葉があります。
直訳すると “A place to be” ですが、これは単なる物理的な場所を指すだけじゃありません。「自分の心が安心して存在できる場所」「自分が自分らしくいられる場所」という、精神的な意味が強く込められているんです。
外の世界(社会)は、ルールやマナーで溢れていて、時には息苦しくなることもあります。
日本では「建前(Tatemae – Public face)」と「本音(Honne – True feelings)」を使い分ける文化があるから、外にいる間は常に少し緊張している状態。だからこそ、靴を脱いで家に上がる「玄関(Genkan)」という境界線を越えた瞬間、私たちは鎧を脱ぎ捨てて、本当の自分に戻る必要があるんです。
広い豪邸に住んでいても、心が休まる「居場所」がなければ、それはただの箱。
逆に、どんなに狭いアパートでも、そこにお気に入りのクッションと、温かいお茶、そして子供の笑い声があれば、そこは世界で一番贅沢な「隠れ家」になります。
「サバイバル」から「スライビング(繁栄)」へのシフト
私が「サバイバルモード」から抜け出そうと決めたのは、子供とのある些細な出来事がきっかけでした。
ある雨の日、部屋中におもちゃが散乱していて、洗濯物は乾かないし、夕飯のメニューも決まらない。私のイライラはピークに達していました。「どうして日本の家はこんなに狭いの!」「もっと収納があれば片付くのに!」って、環境のせいにばかりしていたんです。
その時、子供が狭い部屋の隅っこ、ソファと壁の隙間に自分の気に入ったぬいぐるみを持ち込んで、小さなブランケットを被ってニコニコしているのを見つけました。
「何してるの?」って聞くと、子供は得意げにこう言ったんです。
「ここは僕の秘密基地だよ。狭くてあったかくて、最高なんだ」
ハッとしました。
子供は「狭さ」を「窮屈」ではなく、「包み込まれる安心感」として楽しんでいたんです。
私たち大人は、つい「何かが足りない(Lack)」ことに目を向けがち。もっと広いキッチンがあれば、もっと大きな庭があれば……。
でも、日本には「足るを知る(Taru wo shiru)」という禅(Zen)の言葉があります。「自分がすでに持っているものの豊かさに気づく」という意味です。
私が必死で「サバイバル」していたこの場所は、見方を変えれば、必要なものがすべて手の届く範囲にある、コックピットのような快適な空間だったんです。
散らかったおもちゃも、裏を返せば「子供が元気に遊んだ証拠」。乾かない洗濯物は「家族が生きている証拠」。
そう意識を変えた瞬間、部屋の空気が変わりました。
完璧に片付けることよりも、このカオスな日常の中に「小さな喜び」を見つけること。
それが、私が目指すべき「Beyond Survival(サバイバルのその先)」だったんです。
日常を儀式化する日本の知恵
じゃあ、具体的にどうやってこの「サバイバル」な日常を「心安らぐヘイヴン」に変えていくのか。
ここで役立つのが、日本人が昔から大切にしてきた生活の知恵です。
例えば、「季節感(Seasonality)」を取り入れること。
日本の家は、襖(Fusuma)や障子(Shoji)で部屋を仕切る文化があり、自然と共生するように作られてきました。現代のアパートでもその精神は生きています。
スーパーで数百円で売っている季節の花を一輪飾るだけ。あるいは、夕食の箸置きを季節のものに変えるだけ。
そんな本当に小さな「儀式」が、ただ過ぎ去る時間を「意味のある瞬間」に変えてくれます。
また、お風呂(Ofuro)の文化も欠かせません。
海外ではシャワーで済ませることも多いかもしれませんが、日本人にとってお湯に浸かる時間は、1日の汚れを落とすだけでなく、心についた澱(おり)を洗い流す瞑想の時間です。
狭いバスタブだとしても、そこにお気に入りのバスソルトを入れれば、そこはもう私だけのスパ。
「あぁ、今日も一日頑張ったな」と自分を労う時間を持つこと。これが、明日へのエネルギーをチャージする、日本流のセルフケアなんです。
完璧な母親像との決別
海外の皆さんの中には、「日本のママはキャラ弁(Character Bento)を作ったり、家の中をピカピカにしたりしてすごい!」と思っている方もいるかもしれません。
でも、断言します。SNSで見かけるキラキラした日本生活は、ほんの一部の切り取りに過ぎません(笑)。
現実の私たちは、スーパーの見切り品(Discount stickers are our best friends!)を狙って買い物をするし、掃除機をかけ忘れる日だってあります。
でも、それでいいんです。
「Beyond Survival」というのは、スーパーウーマンになることではありません。
むしろ、自分の弱さを認めて、その中で心地よく過ごす工夫をすること。
「今日は疲れたから、夕飯は冷凍餃子でOK!その代わり、子供とゆっくりアニメを見よう」と割り切る勇気を持つこと。
このブログシリーズでは、そんな私が日本の小さな生活空間で実践している、具体的な「心地よさの作り方」をシェアしていきたいと思っています。
インテリアの工夫から、子供との関わり方、そして何より、自分自身の心をどう守り、どう喜ばせるか。
次の章からは、いよいよ実践編です。
狭い空間だからこそ生まれる家族の密なコミュニケーションや、子供にとっての「安心基地」の作り方について、もっと深く掘り下げていきますね。
日本の湿気や夏の暑さ、冬の底冷え……そんな厳しい環境の中で、先人たちが培ってきた「住まいの工夫」は、きっと世界中のどこの国に住んでいても、あなたの暮らしをちょっとだけ豊かにするヒントになるはずです。
さあ、お茶でも飲みながら、一緒に「サバイバル」の向こう側へ行ってみませんか?
ドアを開けて、靴を脱いで。リラックスして聞いてくださいね。
狭いからこそ深まる絆。6畳一間で子供と育む「安心感」と、空間を味方につける日本の知恵。
前回の記事で、「日本の小さな家は、実は最高のコックピットだ」というお話をしました。
今回は、その小さなコックピットの中で、私たち親子がどのようにして「安心感(Security)」と「所属感(Belonging)」を育んでいるのか、もう少しディープな実体験をお話しします。
海外の友人、特にアメリカやオーストラリアの広い家に住むママ友が日本に遊びに来ると、決まってこう言います。「寝室はどこ? 子供部屋は? え、ここで全部やるの!?」って(笑)。
そう、私たちの生活スペースは、欧米の基準からすれば信じられないほどコンパクト。壁は薄いし、プライバシーなんてあってないようなもの。
でもね、この「物理的な距離の近さ」こそが、子供の情緒を安定させる魔法のスパイスになっているとしたら?
今回は、6畳一間(約10平方メートル)のリビングが教えてくれた、日本流「愛の育て方」についてシェアします。
「川の字」で眠るという魔法
日本の子育て文化において、最もユニークで、そして私が最も愛している習慣の一つが「川の字(Kawa no ji)」で寝ることです。
これは文字通り、漢字の「川」の字のように、両親の間に子供を挟んで、家族全員が同じ部屋、同じ布団で並んで眠るスタイルのこと。
欧米では、自立心を促すために「赤ちゃんのうちから別室で一人寝」がスタンダードだと聞きます。私も最初は育児書を読んで「そうすべきなのかな?」と迷った時期がありました。
でも、日本の住宅事情(部屋数が少ない!)もあって、結局私たちは和室に布団を敷き詰めて、みんなで寝ることを選びました。そして今、それが大正解だったと確信しています。
夜、電気を消して真っ暗になった部屋。
すぐ隣から聞こえる子供の安らかな寝息。時々、寝相の悪い子供の足が私の顔に飛んでくるハプニング(これは本当によくある!)。
でも、その体温を感じられる距離感が、子供に絶対的な「安心感」を与えているんです。
子供が保育園や学校で嫌なことがあった日も、言葉で「どうしたの?」と問い詰める必要はありません。ただ隣に寝転がって、手を繋いだり、背中をトントン(トントン=gentle patting)したりするだけ。
この非言語のコミュニケーション(Skinship)が、子供の心のタンクを満タンにしてくれるんです。
「ママとパパは、僕が眠っている間も、絶対にすぐそばにいてくれる」
この確信こそが、子供が外の世界へ冒険に出かけるための最強のセーフティネットになります。狭い寝室だからこそ、私たちは物理的にも心理的にも、決して離れることがありません。
空間をシェアする知恵:ちゃぶ台と「気配(Kehai)」
日本のリビングには、大きなダイニングテーブルの代わりに「ローテーブル(低い机)」、昔でいう「ちゃぶ台(Chabudai)」が置かれていることが多いです。
そして、この一つのテーブルが、魔法のように役割を変えます。
朝は朝食のテーブル。
昼は私がパソコンを開いて仕事をするデスク。
夕方は子供が宿題をするスタディコーナー。
夜は家族で鍋を囲む団欒の場。
専用の「書斎」も「勉強部屋」もありません。全てがこの一つの空間で行われます。
これを「不便」と捉えるか、「共有の美学」と捉えるかで、人生の質は大きく変わります。
私が特に気に入っているのが、日本語にある「気配(Kehai)」という概念です。
「Presence」や「Sign」と訳されますが、もっと感覚的なもの。姿は見えなくても、誰かがそこにいる雰囲気を感じることです。
日本の家は、襖(ふすま)や障子といった薄い仕切りが多いので、隣の部屋の音がよく聞こえます。
私がキッチンで野菜を切るトントンという音。
洗濯機が回る音。
夫がページをめくる音。
子供にとって、この「生活音(BGM)」は、母親の胎内にいた時のような心地よいノイズなんです。
「ママが見えなくても、音でそこにいるとわかる」
だから、子供は一人で遊んでいても孤独を感じません。
広い家で、子供部屋が2階の奥にあって、シーンと静まり返っている状況を想像してみてください。子供は不安になって、何度も「ママー!」と叫ぶかもしれません。
でも、狭い我が家では、キッチンから「もうすぐご飯だよー」と普通の声量で言うだけで届く。
この「常に繋がっている感覚」が、子供の自己肯定感(Self-esteem)の土台を作っている気がしてなりません。
「コタツ」という名のブラックホール
冬になると登場する日本の最強アイテム、「コタツ(Kotatsu)」についても触れないわけにはいきません。
これはテーブルの下にヒーターがついていて、その上から布団をかけた暖房器具なんですが、一度入ると二度と出られないことから、私たちは親しみを込めて「人をダメにする装置」と呼んでいます(笑)。
でも、家族の絆を深めるという意味では、コタツ以上の発明品はないでしょう。
狭いコタツの中に、家族全員が足を突っ込む。
「あ、蹴らないでよ!」なんて言い合いながら、みんなで一つの暖かさを共有する。自然と、全員の顔が中心に向き合います。
物理的に逃げ場がない(笑)ので、必然的に会話が生まれます。
テレビを見ながら、みかんを剥いて半分こしたり、今日あった出来事を話したり。
個室があってセントラルヒーティングが完備された家では、夕食後はみんな自分の部屋に散らばってしまうかもしれません。
でも、日本の冬の寒さと家の狭さは、私たちをコタツという一つの「ホットスポット」に強制集合させます。
この「不可抗力の団欒」こそが、思春期に近づいてきた子供との距離を繋ぎ止める重要なアンカーになっているんです。
狭いからこそ、ぶつかり合う。ぶつかり合うからこそ、体温が伝わる。
これが、日本の「ウサギ小屋」流のコミュニケーション術です。
「何もない空間」が育む想像力
最後に、もう一つ。日本の狭い家には、あえて「余白」を残す文化があります。
和室(Tatami room)には、基本的に家具をあまり置きません。
昼間は何もないただの空間。だからこそ、そこは何にでもなれます。
子供たちは、この「何もない6畳間」をキャンバスにして遊びます。
座布団を並べて「橋」を作ったり、押し入れ(Closet)を開けて「秘密基地」にしたり、布団を積み上げて「お城」に見立てたり。
専用のプレイルームや、大型の遊具が置けないからこそ、子供たちは自分の頭を使って、空間をハッキングする力を身につけます。
「ないなら、あるもので工夫する」
この精神は、これから予測不能な未来を生きていく子供たちにとって、何よりのギフトになるはずです。
豪華なおもちゃ部屋を与えられないことに罪悪感を感じる必要はありません。
ガランとした狭い部屋と、いくつかの座布団があれば、子供の想像力は無限に羽ばたくのですから。
実践編:今日からできる「隠れ家」づくり
もしあなたが、「今の家は狭すぎる」と嘆いているなら、少し視点を変えてみませんか?
その狭さを「Intimacy(親密さ)」に変える小さなアイデアをいくつか提案します。
- リビングに「子供の特等席」を作る子供部屋がなくても、リビングの一角に小さなラグやテントを置くだけでOK。そこを「彼/彼女だけの聖域」と名付けましょう。ただし、必ず親の視線が届く(気配が感じる)場所に。
- 「床(Floor)」での生活を取り入れるソファに座るのではなく、ラグの上にクッションを置いて、子供と同じ目線(低い位置)で過ごしてみてください。天井が高く見え、空間が広く感じるだけでなく、子供との心理的な距離もグッと縮まります。
- 「音」を共有するドアを開け放して、生活音を共有しましょう。あなたが料理する音、本を読む気配。それが子供にとっての最高のアロマテラピーです。
私たちの家は、雑誌に出てくるような広くて洗練された空間ではないかもしれません。
でも、ここには「体温」があります。
狭いからこそ、笑い声が反響し、悲しい時はすぐに抱きしめられる距離にいる。
そう、この小さなアパートは、ただの居住空間ではありません。
家族の物語を、ギュッと凝縮して醸造するための「樽」のようなもの。
時間が経てば経つほど、その味わいは深く、濃厚になっていくのです。
さて、ここまで「狭さのメリット」や「理想的な家族の絆」について熱く語ってきましたが……
現実はそんなに美談ばかりではありません(笑)。
狭いということは、逃げ場がないということ。
散らかった部屋にイライラし、一人の時間が欲しくてトイレにこもる(これ、ママあるあるですよね?)ことだって日常茶飯事です。
次は、そんなカオスな現実の中で、私がどうやって心のバランスを保ち、小さな幸せ(Joy)を見つけているのか。
完璧じゃない、泥臭いけれど愛おしい「転(Twist)」の部分をお話ししようと思います。
完璧じゃなくていい。スーパーのお惣菜と散らかった部屋の中で見つける「小さな勝利」と「足るを知る」心。
さて、ここまで「日本の小さな家は、愛を育む最高のコックピットだ」なんて、ちょっとカッコいいことを書いてきました。
もしあなたがこれを読んで、「わあ、日本の生活ってなんて禅(Zen)でミニマルで美しいの!」と目を輝かせているなら……ごめんなさい。ここで少し、魔法を解かなければなりません(笑)。
現実のコックピットは、常に乱気流の中にあります。
夕方6時の我が家は、優雅な「サンクチュアリ」というよりは、まさに「戦場(Battlefield)」です。
狭い玄関には脱ぎ散らかされた靴。
リビングの床には、踏むと死ぬほど痛いレゴブロックの地雷原。
そして、「お腹空いたー!」「お風呂入りたくないー!」と叫ぶ怪獣(子供)たち。
私の頭の中には「丁寧な暮らし」なんて言葉は1ミリも残っていません。「どうやってこのカオスを生き延びて、全員を寝かしつけるか」というサバイバル本能だけが支配しています。
この「転」の章では、そんなドタバタな現実の中で、私たちがどうやって正気を保ち、むしろそのカオスの中に日本的な美学(?)を見出しているのか。
泥臭くて人間らしい、リアルな「スライビング(繁栄)」の姿をお見せします。
「手抜き」は「悪」か? スーパーのお惣菜という救世主
日本の主婦文化には、根強い呪いがあります。それは「手作り信仰(Handmade myth)」です。
「食事は出汁(Dashi)から取るべき」「冷凍食品はお弁当に入れない」「掃除は毎日」……。
この見えない社会的プレッシャーは、本当に強力です。
私も以前はそうでした。仕事でクタクタになって帰ってきても、「ちゃんとした母親でいなきゃ」と必死でキッチンに立ち、イライラしながら野菜を切っていました。子供が話しかけてきても「ちょっと待って!今忙しいから!」と邪険にしてしまう。
そして食卓には、苦労して作った栄養満点の料理が並ぶけれど、ママの顔は般若(Hannya – scary demon mask)のように怖い。
これって、本末転倒だと思いませんか?
家族の幸せのために料理しているはずが、その料理のせいで家庭の空気が凍りついているなんて。
そこで私は、ある日決心しました。「白い旗」を揚げよう、と。
そして、日本のスーパーマーケットが誇る最強の武器、「お惣菜(Sozai – Ready-made dishes)」と同盟を結ぶことにしたのです。
日本のスーパーの夕方の光景は、ある種のエンターテインメントです。
午後6時を過ぎると、店員さんが「半額(Half Price)」や「20%引き」と書かれた黄色いシール(Yellow Stickers)を貼って回ります。
私たちはこれを「シールハンティング」と呼びます(笑)。
かつての私は、パックに入った唐揚げやコロッケをカゴに入れる時、少し罪悪感を感じていました。「ああ、今日は手抜きをしてしまった」と。
でも今は違います。この黄色いシールは「勝利の証」です。
「300円でコロッケを買った」のではありません。
「300円で、野菜を切って揚げ物をして片付けをするという『1時間の労働』をアウトソーシングした」のです。
そして、その浮いた1時間で何をするか?
子供とソファでゴロゴロしながら今日あったことを話したり、絵本を読んだりする。
ママが笑顔で「このコロッケ、サクサクで美味しいね!」と言いながら食べる夕食の方が、イライラして作った手料理よりも、家族にとってはよっぽど栄養になるんです。
日本ではこれを「手抜き(Te-nuki – Cutting corners)」と言いますが、私は「手間抜き(Te-ma-nuki – Skipping hassle)」と呼んでいます。
愛を減らしているわけじゃない。手間を減らして、愛を注ぐ時間を増やしているんだ、と。
散らかった部屋に見る「わび・さび(Wabi-Sabi)」
次に、どうしても片付かない部屋の問題です。
狭い家だからこそ、少し散らかっただけですぐにカオスになります。Instagramで見るような「ミニマリストの部屋」なんて、夢のまた夢。
でも、ここでも日本古来の美意識「わび・さび(Wabi-Sabi)」が私を救ってくれました。
「わび・さび」とは、不完全なもの、未完成なもの、移ろいゆくものの中に美しさを見出す心です。
ある時、壁に子供が油性ペンで落書きをしてしまったことがありました。
賃貸アパートだし、普通なら発狂する場面です。
でも、ふと冷静になってその線を見た時、思ったんです。「これ、今のこの子にしか描けないアートかもしれない」と。
ピカピカの新築モデルルームは美しいけれど、そこには「生活の匂い」がありません。
傷ついたフローリング、取れなくなったシミ、散乱したおもちゃ。
これらはすべて、私たちがここで懸命に生きている証、家族の歴史が刻まれた「経年変化(Aging)」なんです。
散らかった部屋を見てため息をつく代わりに、こう考えるようにしました。
「このカオスは、永遠には続かない(Impermanence)」
いつか子供たちは成長し、家を出て行く。その時、部屋は嫌になるほど静かで、完璧に片付いているでしょう。
そう思うと、足の踏み場もない今の床が、急に愛おしく、期間限定の貴重な光景に見えてくるから不思議です。
完璧じゃなくていい。ひび割れた茶碗を金で修復して芸術にする「金継ぎ(Kintsugi)」のように、私たちの生活も、失敗やカオスがあるからこそ、味わい深くて美しいのです。
「小さな勝利」を祝う:コンビニスイーツという儀式
「Beyond Survival」を実現するために欠かせないのが、自分自身へのご褒美(Reward)です。
でも、忙しい主婦にはエステに行く時間も、高級レストランに行く余裕もありません。
そこで登場するのが、日本の「コンビニスイーツ(Konbini Sweets)」です。
日本のコンビニのクオリティは、世界一だと言っても過言ではありません。
たった200円(約1.5ドル)で買えるプレミアムロールケーキやシュークリーム。
これこそが、私の日々の「小さな勝利(Small Victories)」のトロフィーです。
子供たちがようやく寝静まった夜10時。
シンクには洗い物が残っているし、洗濯物は畳まれていないけれど、とりあえず電気を少し暗くします。
そして、冷蔵庫の奥に隠しておいた(ここ重要!見つかったら食べられるから!)プリンを取り出し、キッチンで立ったまま一口食べる。
この瞬間、私はただの「母親」でも「妻」でもなく、「私」に戻ります。
「今日もお弁当作った。お迎えに行った。誰も怪我させずに1日を終えた。私、すごくない?偉くない?」
そう心の中で自分を称賛するこの儀式が、明日の活力を生みます。
大きな成功や、劇的な人生の変化なんて必要ありません。
日常の中に転がっている、本当に些細な喜び。
・スーパーのレジが空いていたこと。
・夕焼けが綺麗だったこと。
・子供が「ママ大好き」と言ってくれたこと。
・プリンが美味しかったこと。
こうした小さな「Good」を集めていくことこそが、幸福度のベースを上げていくコツなのだと気づきました。
これは、日本の「改善(Kaizen)」の精神にも通じます。一気に100点を目指すのではなく、昨日の自分より1ミリでも心地よく過ごせたら、それでOKとする考え方です。
「良い加減」という人生術
日本語には「いい加減(Ii-kagen)」という言葉があります。
悪い意味で「無責任(irresponsible)」として使われることもありますが、本来は「良い加減(Just the right amount / Good balance)」という意味です。
お湯の温度が「いい湯加減」であるように、人生にも「ほどほど」のバランスが必要です。
真面目な人ほど、100点を目指して「Too much」になりがち。
でも、弦楽器の弦も、張り詰めすぎれば切れてしまいます。少し緩んでいるくらいが、いい音が鳴るんです。
部屋が汚くても死なない。
夕飯がお惣菜でも、笑顔ならそれが正解。
洗濯物を畳まずに山から引っ張り出して着ても、誰も気づかない。
この「あきらめ」にも似たポジティブな開き直りこそが、狭くて忙しい日本の生活を「楽しむ」ための最大の秘訣かもしれません。
私たちは、スーパーウーマンになるために生きているのではありません。
人間らしく、時には弱音を吐き、時には手抜きをして、それでも家族と笑い合うためにここにいるのです。
さあ、カオスな日常を受け入れた私たちは、もう無敵です(笑)。
最後に、この旅の締めくくりとして、これら全ての経験が私たちに教えてくれる「普遍的なレッスン」についてお話ししたいと思います。
それは、国境も文化も超えて、すべての頑張る女性たちに共通する、愛とレジリエンスの物語です。
レジリエンスは日常の中に。国境を超えて伝えたい、愛と再生のユニバーサルなメッセージ。
ここまで、日本の小さなアパートで繰り広げられる私のドタバタな日常にお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
「ウサギ小屋」での暮らし、川の字で寝る夜、そしてスーパーの割引シールを勝ち取った日のガッツポーズ。
そんな些細なエピソードの数々から、私が皆さんにお伝えしたかったこと。それは、家の広さや国籍に関係なく、私たち母親(そしてすべてのケアギバー)が日々紡いでいる「営み」の尊さです。
この旅の終わりに、私たちが作り上げてきた「Haven(隠れ家・安息地)」の正体と、そこから学ぶ人生のレッスンについて、最後の考察をシェアさせてください。
竹のようにしなやかに:日本流レジリエンスの正体
「レジリエンス(回復力)」と聞くと、皆さんはどんなイメージを持ちますか?
嵐の中でもビクともしない、太くて硬い樫の木(Oak tree)のような強さでしょうか?
日本には、少し違った強さの定義があります。それは「竹(Bamboo)」のような強さです。
竹は中は空洞で、一見すると頼りなく見えます。でも、強風が吹いても、雪が積もっても、しなやかに曲がることで折れることを防ぎます。そして嵐が去れば、またスッと元の姿勢に戻る。
「柔よく剛を制す(Ju yoku go wo seisu – Softness controls hardness)」という言葉があります。
私がこの狭い家での子育てから学んだのは、まさにこの「しなやかさ(Flexibility)」でした。
完璧なスケジュールが崩れたら、すぐにプランB(お惣菜!)に切り替える。
部屋が散らかっていたら、「今日は探検ごっこの日」と定義を変える。
自分の弱さや疲れを否定して立ち向かうのではなく、「今はそういう時期」と受け流して、やり過ごす。
私たちが日々実践している「サバイバル」は、決して歯を食いしばって耐えること(Gaman)だけではありません。
状況に合わせて形を変え、嵐をやり過ごし、また明日笑って起き上がる。
その「しなやかな適応力」こそが、私たち母親が持つ最強のスーパーパワーではないでしょうか。
もしあなたが今、理想通りにいかない現実に押しつぶされそうになっているなら、思い出してください。
あなたは折れたのではありません。今はただ、嵐の中でしなやかに身を屈めているだけ。
必ずまた、真っ直ぐに伸びる時が来ます。竹のように。
「あるがまま」を受け入れる勇気
ブログの冒頭で、「Haven(隠れ家)」を作ろうという話をしました。
物理的なインテリアや工夫の話もしましたが、最終的に「最高の隠れ家」とはどこにあるのでしょうか?
それは、建物の中ではなく、私たちの「心の中」にあります。
日本には「あるがまま(Aru ga mama – As it is)」という言葉があります。
これは、良いことも悪いことも、飾らずにそのまま受け入れるという境地です。
狭い家も、泣き叫ぶ子供も、イライラする自分も、全てをひっくるめて「これが私の今の人生だ(This is my life right now)」と肯定できた時、その場所は最強のサンクチュアリに変わります。
私たちはよく、「もっと広い家なら幸せになれるのに」「もっと良いママなら子供は幸せなのに」と、「たら・れば(What if)」の世界に逃げ込みたくなります。
でも、幸せの青い鳥は、未来のどこかにある理想郷にはいません。
散らかったリビングで、コンビニのプリンを食べている「今、ここ(Here and Now)」にしかいないのです。
「完璧ではないけれど、悪くない」
「カオスだけれど、愛がある」
そう思えた瞬間、あなたの住む場所がどこであれ、そこは世界で一番安全で、温かい「ホーム」になります。
一期一会:日常という奇跡を慈しむ
最後に、もう一つだけ日本の言葉を贈ります。
茶道(Tea Ceremony)の精神から生まれた「一期一会(Ichi-go Ichi-e)」です。
「この瞬間は二度と巡ってこない、一生に一度の出会いである」という意味です。
毎日同じことの繰り返しに見える育児や家事。
でも、今日の子供の笑顔は、昨日とは違います。
今日、スーパーの帰り道に感じた風の匂いは、明日にはもうありません。
6畳一間で家族とひしめき合って寝るこの窮屈さも、子供が成長すれば、二度と戻らない愛おしい記憶に変わります。
私たちが「サバイバル」だと思って必死に駆け抜けているこの時間は、実は、人生の中で最も輝いている「奇跡の連続」なのかもしれません。
そう思うと、散らかったおもちゃを片付ける手つきも、少しだけ優しくなれる気がしませんか?
読者のあなたへ:国境を超えた「お互い様」
海外に住むあなたと、日本に住む私。
住んでいる場所も、文化も、言語も違います。
でも、私たちは同じ空の下で、同じように悩み、笑い、家族のために奔走している「同士」です。
日本には「お互い様(Otagai-sama)」という美しい言葉があります。
「お互いに苦労や恩恵を分かち合っている仲間ですね」「持ちつ持たれつですね」という共感の気持ちを表す言葉です。
あなたが世界のどこかで、今日もお弁当を作り、子供を抱きしめ、自分のための時間を少しだけ確保しようと奮闘しているなら、私は日本から全力でエールを送ります。
「お疲れ様(Otsukaresama – Thank you for your hard work)!」と。
あなたの家が広くても狭くても、片付いていても散らかっていても、それは些細なことです。
あなたがそこにいて、家族を想い、自分を大切にしようとしている。その事実だけで、あなたはもう十分すぎるほど素晴らしい「Haven」の創造主です。
さあ、ドアを開けて
このブログシリーズを通じて、日本の小さな暮らしの知恵が、あなたの日常にほんの少しの彩りや、心の平穏をもたらすヒントになれば、これ以上の喜びはありません。
サバイバルを超えて、その先にある「スライビング(繁栄)」へ。
完璧を目指すのではなく、カオスの中にある「小さな光」を見つける旅へ。
今日、この記事を読み終えたら、ぜひ実践してみてください。
自分のお気に入りの飲み物を淹れて、5分だけ座る。
そして、目の前にある「あるがまま」の景色を眺めて、「まあ、いっか(It’s okay)」と呟いてみてください。
そこから、あなたの新しい「豊かな日常」が始まります。
日本から愛を込めて。
また次の記事でお会いしましょう!

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