沈黙の「間」は金なり?いいえ、それは魔物です。
海外の皆さんは、日本人のことを「礼儀正しくて、静かな人々」だと思っているかもしれませんね。確かに私たちは、沈黙を「金(Gold)」とする文化を持っています。俳句の余白や、日本画の空間、会話の中にある「間(Ma)」……これらは、言葉にしなくても心が通じ合う、とても高度で美しい日本の美学です。
でもね、声を大にして言いたい。
初対面のデートでの沈黙は、美学でもなんでもない!ただの拷問です!
あれは数年前の冬のことでした。当時、私は「そろそろ人生のパートナーを見つけなきゃ」と少し焦っていました。日本には「適齢期」なんていう少し古い言葉がまだ残っていて、周囲からの「いい人はいないの?」というプレッシャー(これを私たちは「世間体」と呼びます)を、肌で感じていた時期だったんです。
友人の紹介で出会うことになった彼。プロフィールは完璧でした。真面目で、仕事熱心で、趣味は読書。まさに「THE・日本のサラリーマン」。私は期待に胸を膨らませ、新しいベージュのニットワンピースを着て、待ち合わせ場所に向かいました。場所は東京のオアシス、表参道にある少しレトロでおしゃれな喫茶店です。
日本でのデート、特に紹介やお見合いに近い形式の場合、最初の数分間が勝負です。
私たち日本人は、出会った瞬間に相手の「空気感」を読み取ろうとします。これを「空気を読む(Kuuki wo yomu / Reading the air)」と言いますが、まるでWi-Fiの電波を探すように、相手の感情やテンションを察知しようとするんですね。
「初めまして、〇〇です。今日はありがとうございます」
「あ、どうも。〇〇です。こちらこそ」
ここまでは良かったんです。日本の伝統的な「挨拶(Aisatsu)」の儀式。お互いに軽く頭を下げ、控えめな笑顔を作る。ここには型があるので、誰でもできます。問題は、席に着いて、メニューを注文し、ウェイターさんが去った後でした。
……シーン。
突然、世界から音が消えたかと思いました。
目の前にいる彼は、じっと手元の水のグラスを見つめています。
普通ならここで、「今日は寒いですね」とか「このお店、素敵ですね」とか、いわゆる「スモールトーク」が始まるはずですよね? アメリカのドラマなら、ここで気の利いたジョークの一つも飛んでくるでしょう。
しかし、彼は不動明王のように動かない。
え? 怒ってる? それとも、座禅を組んで瞑想に入ったの?
日本には「以心伝心(Ishin-denshin)」という言葉があります。「言葉にしなくても心で通じ合う」という意味ですが、これは長年連れ添った夫婦や親友同士で成立する魔法であって、初対面の男女の間で発動するものではありません。
私は焦り始めました。私の頭の中の緊急警報が鳴り響きます。
(やばい、沈黙が痛い! 何か話さなきゃ! 日本の女性として、場を和ませる「気遣い(Kizukai)」を見せなきゃ!)
日本では、場が盛り上がらない時、女性側が「聞き上手」になって相手の話を引き出すのが美徳とされる傾向が(残念ながらまだ少し)あります。「さしすせそ」の法則って聞いたことありますか?
「さすがですね」「知らなかった!」「すごい!」「センスいいですね」「そうなんですか」
この相槌(Aisatsu / Backchanneling)を駆使して、男性を気持ちよくさせるテクニックです。私は必死でその引き出しを開けようとしました。
「あ、あの……今日は寒いですね。雪が降るかもって天気予報で言ってましたけど」
私は勇気を出して、天気の話題という安全牌を切りました。
彼はゆっくりと顔を上げ、私を見ました。
「……そうですね。冬ですから」
終了。
会話のラリーが、サーブ一発でネットに突き刺さりました。
「冬ですから」って、それはそうでしょうけど! そこで「〇〇さんは寒いの得意ですか?」とか返してくるのがキャッチボールというものでしょう!?
再び訪れる沈黙。喫茶店のBGMのジャズが、やけに大きく聞こえます。隣の席の女子高生たちの笑い声が、別世界の出来事のようです。
私はめげずに第二の矢を放ちました。
「プロフィールに、読書がお好きって書いてありましたよね? 最近、何か面白い本、読まれました?」
これは鉄板の質問です。相手の好きなことを聞く。これなら間違いない。
彼は少し考え込みました。その沈黙の時間、約10秒。長い。放送事故ならテロップが出るレベルです。
「……最近は、業務関連の技術書しか読んでないですね。小説とかは、あまり」
またしても壁!
「あ、そうなんですね! お仕事熱心なんですね(笑顔)」
と返しましたが、私の心の中では(じゃあ趣味欄に『読書』って書かないでよ!)とちゃぶ台をひっくり返していました。
この時、私は気づき始めていました。彼は決して意地悪な人ではないんです。ただ、極端に「口下手」で、おそらく私と同じくらい、いや私以上に緊張している。そして真面目すぎるがゆえに、適当な嘘や調子のいいことが言えない。
これは日本人の美徳である「誠実さ」の裏返しとも言えます。でも、初デートでその誠実さは、あまりにも重い!
日本の社会には「和(Wa / Harmony)」を尊ぶ精神があります。その場にいる全員が心地よく過ごせるように、波風を立てないように努力する。私はその「和」を保とうと必死でした。
(私が頑張らなきゃ。この空気をなんとかしなきゃ。相手がつまらない思いをしているとしたら、それは私のホスト力が足りないからだわ)
海外の方には不思議に思われるかもしれませんが、日本の女性はこういう時、なぜか「自分の責任」を感じてしまうことが多いんです。「おもてなし」の精神がDNAに刻まれているからでしょうか。相手が楽しんでいない=私の気遣いが足りない、という思考回路に陥るのです。
私はさらに話題を探しました。食の話題、出身地の話題、最近のニュース……。
まるで千本ノックのように質問を投げ続けましたが、返ってくるのは単語レベルの返答か、曖昧な「はあ、まあ」という日本語特有の濁し言葉だけ。
私の喉は乾ききっていました。注文したコーヒーはまだ来ない。
この「間(Ma)」は、能舞台のような緊張感のある芸術的な「間」ではなく、ただただ息が詰まる真空状態でした。
そして、私は焦りのあまり、自分でも何を言っているのか分からない状態に陥っていきました。
「あの、私、最近漬物を漬けるのにハマってて、ぬか床が生き物みたいで可愛いんですよ、毎日かき混ぜないと酸っぱくなっちゃうんですけど、それがまた人生みたいだなって……あは、あはは……」
何の話をしているんだ、私は。
初デートで、おしゃれな表参道のカフェで、「ぬか床(発酵した米ぬか)」の話? しかも「人生みたい」って何?
完全に空回っています。
でも、沈黙が怖すぎて、口が勝手に動いてしまうのです。沈黙という妖怪に飲み込まれないように、意味のない言葉の壁を必死で築いている状態。
彼は私の「ぬか床人生論」を聞いて、ポカンとしていました。当然です。
「……そうですか。ぬか漬け、ですか」
その時です。
「お待たせいたしました、ホットコーヒーと紅茶です」
救世主、ウェイターさんが現れました!
ああ、これで「コーヒー来ましたね」「いい香りですね」という会話ができる!
飲み物が来るという「イベント」が、この地獄のような沈黙をリセットしてくれるはず!
私は安堵のあまり、前のめりになっていました。
緊張でこわばっていた体が、ふっと緩んだその瞬間。
運命の歯車が、ガリガリと音を立てて逆回転を始めたのです。
そう、この後の「コーヒー」こそが、単なる飲み物ではなく、このデートを決定的に「伝説」へと変えるトリガーになることを、私はまだ知りませんでした。
覆水盆に返らず、コーヒーもカップには戻らず。
「お待たせいたしました。ホットコーヒーと、アールグレイです」
ウェイターさんのその声は、私にとって天使のラッパのように聞こえました。
この気まずい沈黙の空間に、第三者が介入してくれた! そして「飲み物を飲む」という動作をすれば、数秒間は話さなくて済む!
カップから立ち上る湯気。香ばしいコーヒーの香り。
私は心の底から安堵しました。この温かい液体が、私の凍りついた喉と、この場の空気を溶かしてくれるはずだと信じて疑いませんでした。
「あ、ありがとうございます」
私は精一杯の上品な微笑み(のつもり)を浮かべ、ウェイターさんに会釈をしました。
そして、彼(デート相手)の方を見ます。彼もまた、無言でコーヒーカップに手を伸ばそうとしていました。
「やっと温まれますね」
そう言いながら、私も自分のアールグレイのソーサー(受け皿)に手を伸ばした、その時です。
私の指先は、まだ緊張で微かに震えていたのかもしれません。
あるいは、沈黙を埋めようと前のめりになりすぎていた姿勢が災いしたのかもしれません。
それとも、新品のニットワンピースの袖が、テーブルの上の何かに引っかかったのか。
ガシャン!!
静かな喫茶店に、あまりにも不釣り合いな破壊音が響き渡りました。
スローモーションというのは、映画の中だけの演出だと思っていました。でも、人間は本当に危機的状況に陥ると、脳の処理速度が上がりすぎて世界が遅く見えるんですね。
私の右手が、あろうことか彼の注文した「満タンのホットコーヒー」のカップの縁にクリーンヒットしたのです。
優雅な白い陶器のカップが、物理の法則に従って傾きます。
中に入っていた黒褐色の液体が、まるで生き物のようにカップから飛び出し、宙を舞いました。
美しい放物線を描くコーヒー。
白く清潔なテーブルクロス。
そして、その先にある、彼のグレーのスラックス(ズボン)。
「あ……」
私の口から出たのは、言葉にもならない空気の漏れる音だけ。
次の瞬間、バシャッという音と共に、熱いコーヒーがテーブルクロスに広がり、そして滝のようにテーブルの端から流れ落ちました。
大・惨・事・発・生。
「ああっ! すみません! すみません!!」
私はバネ仕掛けの人形のように飛び起きました。
日本人がパニックになった時に発する言葉、それは「No」でも「Oh my god」でもありません。
**「Sumimasen(すみません)」**です。
この言葉は魔法であり、呪いです。「Excuse me」「I’m sorry」「Thank you」すべての意味を含んでいますが、この時は「私の存在がご迷惑をおかけして申し訳ありません、穴があったら入りたいです、むしろ消えたいです」という全力の謝罪の意味でした。
私は慌ててテーブルの上にあった紙ナプキンを鷲掴みにしました。
しかし、皆さんご存知でしょうか? カフェのおしゃれな紙ナプキンというのは、水滴を拭くためのものであって、洪水となったコーヒーを吸い取るようには設計されていないのです!
拭いても拭いても、茶色の液体は広がるばかり。
「あわわ、どうしよう、服! 服は大丈夫ですか!?」
私は半狂乱で彼に詰め寄りました。
ここで日本の「おしぼり(Oshibori)」文化が登場します。
日本の飲食店では、着席時に必ず湿ったタオル(おしぼり)が出されます。私は自分の手付かずのおしぼりを引っ掴み、彼の膝元へ……行こうとして、ハッと止まりました。
待って。
初対面の男性の、股間付近のズボンを、私が必死にタオルで拭く?
それは、社会的にも倫理的にも、そしてデートの作法的にも、完全なるアウトではないか?
私の手は空中で行き場を失い、おしぼりを握りしめたままフリーズしました。
その間にも、コーヒーの雫はポタポタと床に落ちていきます。
「きゃっ、大丈夫ですか!?」
騒ぎを聞きつけたウェイターさんが、すごい勢いで飛んできました。日本の接客業(Omotenashi)のプロ意識は凄まじいです。私の10倍の速さでダスター(布巾)を持って駆けつけ、的確にテーブルを拭き始めました。
「お客様、お洋服は!?」
「あ、いや、少し掛かっただけなんで……大丈夫です」
彼が初めて、まとまった言葉を発しました。低い声で、感情が見えません。
周囲の視線が痛い。
痛いほど突き刺さります。
先ほどまで楽しそうに笑っていた女子高生たちも、優雅に読書をしていた老紳士も、全員がこちらを見ています。
日本の社会には「恥(Haji / Shame)」の文化があります。人前で失敗すること、他人に迷惑をかけること、そして「場の空気」を乱すことに対する強烈な恥の感覚。
この時、私は顔から火が出るほど恥ずかしかった。比喩ではなく、本当に体温が2度くらい上がった気がしました。
(終わった……)
私の頭の中では、終了のゴングがカーン、カーンと鳴り響いていました。
「おしゃれなカフェでの素敵な出会い」というシナリオは、コーヒー色のシミと共に完全に破棄されました。
残されたのは、汚れたテーブルクロスと、おしぼりを握りしめて立ち尽くす、ベージュのニットを着た女(私)だけ。
「本当に、本当にすみません。私、弁償します。クリーニング代も出します。あの、新しいコーヒーも頼みますから!」
私は壊れたレコードのように謝り続けました。
日本人は謝る時、何度も頭を下げます。ペコペコと。それはまるで、首が座っていない赤ちゃんのようです。私は無意識に何度も浅くお辞儀を繰り返していました。
ウェイターさんが手際よくテーブルクロスを取り替え、新しいおしぼりを持ってきてくれました。
「お怪我はありませんでしたか? 熱くなかったですか?」
店員さんの優しさが、逆に辛い。私の不注意のせいで、彼らにも余計な仕事を増やしてしまった。この「申し訳なさ」で、私は押しつぶされそうでした。
嵐のような清掃タイムが終わり、再び静寂が訪れました。
しかし、先ほどの「気まずい沈黙」とは質が違います。
今の沈黙は、「大失敗した後の、いたたまれない沈黙」です。
目の前には、拭き終わったとはいえ、どこかコーヒーの香りが強く漂うテーブル。
そして、少し濡れたスラックスをハンカチで押さえている彼。
私は席に座り直しましたが、背筋を伸ばすこともできず、小さく縮こまっていました。
(もう帰りたい。今すぐここから走って逃げ出して、布団の中に潜り込みたい)
涙目になりながら、私は恐る恐る彼を見ました。
きっと怒っているだろう。あるいは、呆れてものが言えないだろう。
「君とはもう無理だ」と言って、席を立つかもしれない。
しかし、この後。
彼の口から出た言葉と、とった行動は、私の予想をはるかに超えるものでした。
それは「怒り」でも「慰め」でもなく、私が今まで出会ったどの人類の反応とも違う、あまりにもユニークすぎるものだったのです。
彼はその時、何をしていたか?想像の斜め上を行く反応。
時が止まったような静寂の中、私は処刑台に立つ囚人のような気分でした。
私の目の前には、コーヒーまみれのテーブルと、濡れたズボン。
そして、その被害者である彼。
彼は、濡れた自分の太ももあたりをじっと見つめていました。
怒鳴られるか? 溜息をつかれるか? それとも無言で立ち去られるか?
私はどんな判決も受け入れる覚悟で、ギュッと目を閉じかけました。
その時です。彼の口が動きました。
「……素晴らしい」
え?
今、なんて言いました?
「素晴らしい(Subarashii / Wonderful)」?
私の聞き間違いでしょうか。「すさまじい(Terrible)」の間違いでしょうか。
私がキョトンとしていると、彼は鞄から何かを取り出しました。ハンカチではありません。
小さなルーペ(拡大鏡)です。
なぜ、デートにルーペを?
彼は濡れたズボンの生地にルーペを近づけ、まるで宝石の鑑定士のような真剣な眼差しで、コーヒーのシミを観察し始めたのです。
「あの……怒って、ますよね……?」
私が恐る恐る尋ねると、彼は顔を上げずにつぶやきました。
「いや、驚きました。このスラックス、最新のナノ撥水加工が施された繊維なんですよ。理論上、水滴は表面張力で球体になって弾かれるはずなんです。それなのに……」
彼はキラキラした目で私を見上げました。さっきまでの死んだ魚のような目はどこへやら。
「熱いコーヒーの熱エネルギーと、微量に含まれる油分が、ナノ構造の隙間を突破したんですね! まさか、この短時間で浸透圧が勝つとは……! 実験室のデータと実地はやっぱり違うなぁ!」
……はあ?
私は開いた口が塞がりませんでした。
この人は、デート中にコーヒーをぶっかけられた怒りよりも、「撥水加工が破られた物理現象」への感動の方が勝っているというのですか?
彼はハンカチで拭くことすら忘れ、ブツブツと独り言を続けました。
「接触角(Contact angle)が予想より低い……ということは、界面活性作用が……いや、温度か?」
ここで、日本人のある国民性について説明させてください。
皆さんは「オタク(Otaku)」という言葉をご存知ですよね。アニメやゲーム好きを指す言葉として世界中に広まっていますが、本来の意味はもっと広くて深いんです。
ある特定の分野に対して、異常なほどの熱量と「こだわり(Kodawari)」を持ち、周囲が見えなくなるほど没頭する人たち。
彼は、どうやら「繊維・素材オタク」だったようなのです。
「あ、すみません。僕、化学繊維メーカーの開発部にいまして」
彼はやっと我に返り、照れ臭そうに頭をかきました。
「いつも社内で『この生地は無敵だ』なんて議論してるんですが、まさか初対面の女性に、しかも表参道のカフェで、その『無敵』を論破されるとは思いませんでした」
そう言って、彼は初めて笑いました。
営業スマイルや愛想笑いではありません。心からの、少年のように無邪気な笑顔です。
「あなた、すごいですよ。僕の自慢の盾を、コーヒー一杯で貫いたんですから」
状況が、カオスです。
私は加害者。彼は被害者。
なのに、なぜか私は「最強の盾を破った英雄」みたいな扱いを受けているのです。
さっきまでの「重苦しい沈黙」は、嘘のように消え失せました。
代わりに始まったのは、彼による「繊維と液体の関係性」についての熱烈な講義です。
「いいですか、ウールという素材は本来水を弾くんですが、加工段階で……」
「へぇ、そうなんですか!」(今度の私の反応は、演技ではなく本心からの驚きです)
「そうなんです! だから、このシミの広がり方は、芸術的と言ってもいい!」
彼は私のことなど見ていませんでした。彼はただ、目の前の現象(シミ)に夢中でした。
でも、不思議なことに、私はその時、とても楽になったのです。
日本社会では、常に「建前(Tatemae / Public facade)」という仮面をつけて生きることが求められます。「良い人に見られたい」「常識的な振る舞いをしなきゃいけない」。
【起】の部分で私たちが苦しんでいた沈黙は、お互いが分厚い「建前」の鎧を着て、探り合っていたからこそ生まれたものでした。
しかし、私のドジ(コーヒーこぼし)というハプニングが、その鎧を物理的に粉砕してしまったのです。
彼の中から出てきたのは、「スマートなデート相手」ではなく、「ちょっと変わった繊維マニアの理系男子」という「本音(Honne / True self)」でした。
「あ、でもこれ、洗濯大変ですよね……」私が現実に引き戻すと、
「ああ、大丈夫です。会社に持っていって、どの溶剤で落ちるか実験しますから。むしろいいサンプルが手に入りました」
と、彼は嬉々として言いました。
変な人。
間違いなく、変な人です。
普通の女の子なら、「キモい」「空気読めない」と引いてしまう場面かもしれません。
ズボンが濡れているのに、それを「サンプル」と呼ぶなんて、ロマンスの欠片もありません。
でも、私はその時、彼の中に強烈な「人間味」を感じていました。
完璧なプロフィール、完璧な挨拶、完璧な沈黙……それら全ての完璧さが崩れ落ちた瓦礫の下から、不器用だけど嘘のない、愛すべき変人が顔を出したのです。
「じゃあ、その実験結果、後で教えてくれますか?」
私がそう言うと、彼は今日一番の大きな声で答えました。
「もちろんです! レポートにまとめて送りますよ!」
……デートの後に送られてくるのが「お礼のLINE」ではなく「シミ抜き実験レポート」だなんて、世界中のどの恋愛マニュアルにも載っていないでしょう。
こうして、私たちの「地獄のデート」は、誰も予想しなかった方向へと転がり始めました。
気まずい沈黙は、マニアックな科学談義へ。
お見合いの緊張感は、奇妙な連帯感へ。
そして私は気づき始めました。
「失敗しないこと」が正解じゃない。
むしろ、盛大に失敗して、メッキが剥がれた後にこそ、その人の本質が見えるのだと。
次回、いよいよ最終話**【結】**です。
この「実験レポート」から始まった奇妙な縁が、私に教えてくれた日本の「夫婦の在り方」や「人生の受容(Akirame)」について。
そして、この変な彼と私が、その後どうなったのか?
感動の(?)フィナーレをお見逃しなく!
「完璧」を手放した時に見えた、本当の相性と人生の知恵。
あの日、彼と別れた帰り道、私は疲れ果てていましたが、不思議と足取りは軽くなっていました。
普通なら「もう二度と会えない」と落ち込むところですが、私の頭の中は「彼は本当にあのシミを落とせるのか?」という好奇心でいっぱいだったからです。
そして3日後。
私のスマートフォンに、彼からメッセージが届きました。
件名は**「12月〇日の被服汚染に関する考察と処置報告」**。
……仕事か!
色気もムードもへったくれもありません。PDFファイルが添付されていました。
恐る恐る開いてみると、そこには驚愕の内容が記されていました。
「今回付着したコーヒーにはミルクが含まれていなかったため、タンパク質の凝固は回避された。しかし、焙煎による油分がナノ撥水層の微細な隙間に浸透。これに対し、界面活性剤AとBを混合し、40度のお湯で……」
A4用紙2枚にわたる、シミ抜きプロセスの詳細なレポート。
そして最後には、新品同様に綺麗になったスラックスの写真と共に、一言だけ添えられていました。
『おかげさまで、我が社の繊維の弱点が判明しました。貴重なデータを提供していただき、感謝します。つきましては、お礼に食事でもいかがですか?(今度は僕がご馳走します。こぼしても大丈夫な安い居酒屋に行きましょう)』
私はスマホの画面を見ながら、部屋で一人、声を出して笑いました。
あんなに緊張していたお見合い相手に対して、こんなに爆笑できるなんて。
その瞬間、私の中で何かが「カチッ」と音を立ててハマった気がしました。
これが、日本で言う**「縁(En / Fate)」**というやつです。
西洋のロマンチックな「Destiny」とは少しニュアンスが違います。「縁」はもっと不可思議で、理屈では説明できない巡り合わせのことです。
良縁もあれば悪縁もある。でも、コーヒーをこぼしたことさえも、私たちを繋ぐための「必要なハプニング」だったのだと、この時確信しました。
それからの私たちは、嘘のようにスムーズでした。
2回目のデートは、彼の提案通り、煙モクモクの騒がしい焼き鳥屋(Yakitori bar)でした。
私はおしゃれなワンピースではなく、洗濯機でガンガン洗えるシャツとジーンズで行きました。
彼もまた、スーツではなく、少しダサい(ごめんね!)チェックのシャツで現れました。
もう、「沈黙」は怖くありませんでした。
会話が途切れても、彼は焼き鳥の串の繊維を観察しているし、私はそれを生温かい目で見守りながらビールを飲む。
その静けさは、かつて私を苦しめた「気まずい沈黙」ではなく、心地よい**「間(Ma)」**へと変化していました。
日本には**「金継ぎ(Kintsugi)」**という伝統技法があります。
割れてしまった陶器を捨てるのではなく、その割れ目を漆と金粉で繋ぎ合わせ、修復する。
そして、「割れた傷跡」さえも、その器の「景色(個性)」として愛でるのです。
私たちの関係は、まさにこの「金継ぎ」でした。
初対面で「コーヒーをぶっかける」という、関係性の「破壊」から始まりました。
普通ならゴミ箱行きです。
でも、彼はその失敗を責めるどころか、面白がって研究対象にし、笑い飛ばして修復してくれた。
傷があったからこそ、私たちは他のお見合いカップルよりも強固な絆で結ばれたのです。
「完璧であること」を求めていた頃の私は、欠点を隠そうと必死でした。
「良き妻」「良き母」にならなければならないという、日本社会特有のプレッシャー(呪いとも言えます)に縛られていたんです。
でも、彼との出会いが教えてくれたのは、**「諦め(Akirame)」**のポジティブな意味でした。
「諦める」という言葉は、現代ではネガティブに使われがちですが、本来の仏教用語では「明らめる(明らかにする)」、つまり「真実をありのままに見る」という意味が含まれています。
「自分は完璧な女性にはなれない」と諦め、「相手もまた、完璧な王子様ではない」と認めること。
お互いの「ポンコツな部分」を明らかにし、それを許し合うこと。
これこそが、長く続くパートナーシップの秘訣であり、日本人が大切にしてきた「足るを知る(Taru wo shiru / Be content with what you have)」という精神なのかもしれません。
さて、あの事件から数年が経ちました。
あの時の「繊維オタク」の彼は今、私の隣で、相変わらず何かの成分表を熟読しながら朝食を食べています。
そう、彼は私の夫(Otto / Husband)になりました。
今でも私は時々、お皿を割ったり、調味料をこぼしたりします。
そのたびに彼は、「おっ、今日は派手にやったね。物理的衝撃の角度が……」なんてブツブツ言いながら、片付けを手伝ってくれます。
私は「すみません」の代わりに、「ありがとう」と言って笑います。
海外の皆さんに伝えたい、日本の生活の知恵。
それは**「完璧を目指さなくていい(Wabi-Sabi Life)」**ということです。
日本人は一見、規律正しく、完璧主義に見えるかもしれません。
でも、その仮面の下には、失敗を笑い飛ばし、不完全さを愛する心が隠れています。
もしあなたが、日本人のパートナーや友人との関係で悩んだり、沈黙が怖いと感じたりしたら、思い出してください。
思い切って、心のコーヒーをこぼしてみればいいんです。
(物理的にこぼすのはお勧めしませんが、もしこぼしてしまったら、クリーニング代は払ってくださいね!笑)
その時、眉をひそめずに一緒に笑ってくれる人。
あるいは、ルーペを取り出して観察し始めるような変な人。
そんな人がいたら、逃してはいけません。きっとその人は、あなたの人生の「金継ぎ」のパートナーになるはずですから。
長い長い「デート事件簿」にお付き合いいただき、ありがとうございました!
皆さんの日常にも、素敵な「失敗」と、良い「ご縁」がありますように。

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