- 小さな季節に気づくと、毎日がちょっと特別になる
- “72の季節”が生活に溶け込むと、日々の選択が変わっていく
- 季節にゆだねる生き方”が、心の硬さをほぐしてくれた
- ■ “うまくいかない日”を許してくれた、ある季節の名前
- ■ 自然が教えてくれる、“頑張らなくても進んでいく”という事実
- ■ 「余白」としての季節 ─ 日本人の“生きる知恵”
- ■ 家族にも伝わる“ゆるやかなリズム”
- ■ “小さな季節の変化を味わう”という人生術
- 小さな季節を感じること”が、人生をやさしくしてくれる
- ■ “わたしの人生にも72の季節がある”と気づいた日
- ■ “ゆるす”ということを、季節から学んだ
- ■ “自然と一緒に生きる”という日本の文化が持つ豊かさ
- ■ 家族にも伝えたい、“季節と仲よくなる生き方”
- ■ 結論:72の季節は、人生をより豊かにしてくれる“心の道具”
小さな季節に気づくと、毎日がちょっと特別になる
日本に暮らすようになって、ふとした瞬間に「この国って、季節が細かく動いているんだな」と感じる出来事が多くなりました。
春夏秋冬の4つの季節だけじゃなくて、もっと“ミクロな変化”に、日本人って昔から耳を澄ませてきたんだな、と。
例えば——
朝、庭に出たときに感じる風の冷たさ。
通勤の途中で、梅の花がほころびかけているのを見つけた瞬間。
夕方、ふと草の匂いに“夏の入り口”を感じたとき。
日本には、これらの「ほんの少しの変化」をひとつずつ丁寧に切り取った、「七十二候(しちじゅうにこう)」という昔のカレンダーがあります。
一年を72個に分けているので、ほぼ5日ごとに季節が変わる、という超ミクロな暦。
最初に知ったとき、私は正直びっくりしました。
「日本人、どれだけ自然観察するの!?」って。
でも、暮らしているとその理由がなんとなくわかってきます。
ちょっとした自然の表情の変化って、毎日の生活に静かに寄り添ってくれるんです。
私は特に、子どもが生まれてからこの“微細な季節の移ろい”に敏感になっていきました。
というのも、子どもの成長と同じように、季節もほんの少しずつ変化していることに気がついたからです。
たとえば、ある年の2月の朝。
まだまだ寒いのですが、空気の隅っこに、ほんの少し春の匂いを感じるタイミングがあります。
七十二候では「東風解凍(はるかぜこおりをとく)」という季節なのですが、その名前のまんまの世界が訪れる日があるんです。
冷たい風の中でもふっと優しい風が混ざるあの瞬間。
昔の人がそれを「氷を解かす風」と名づけたと思うと、ちょっとロマンチックですよね。
こういう気づきを重ねていくうちに、私は日常を彩る“観察の習慣”を少しずつ身につけていきました。
洗濯物を干す時に感じる湿気の変化、道端のタンポポの咲き始め、夕焼けの色の違い……。
以前なら気にも留めなかった小さな変化が、まるで季節のメッセージとして届くようになるんです。
日本では四季がはっきりしている、というのはよく言われる話ですが、実はそのさらに奥にある“72の小さな季節”に触れると、自然との距離がぐっと縮まります。
これは海外に住んでいる方にも伝えたいポイントでもあって、日本人の「自然とともに暮らす」スタイルって、ただ季節を楽しむのとはなんだか違うんですよね。
自然のサインを読む、自然に合わせて暮らす、みたいな。
どちらかというと、自然を“先生”のようにして生きている感じ。
たとえば——
● 朝露が増えると「そろそろ虫が活発になるな」とか
● 夕暮れの風が涼しくなると「布団を少し厚めにしておこうかな」とか
● スズメの鳴き声が変わると「季節が一段階進んだな」とか
これって、すごく生活に根ざした知恵なんですよね。
私が特に印象に残っているのは、秋の「蟋蟀在戸(きりぎりすとにあり)」という季節。
夜、家の近くで虫の声がよく聞こえるようになって、「ああ、秋が深まってるんだな」と思った瞬間がありました。
七十二候の存在を知らない頃なら、「虫が鳴いてるな〜」で終わっていたと思います。
でも、その季節の名前を知っているだけで、世界がほんの少し違って見えるんです。
実は、日本の主婦として生活していると、この季節感が家事や食卓にも自然と入り込んでくることがあります。
たとえば、朝の肌寒さを感じたら味噌汁の具材をちょっと温まるものにしたり、スーパーに並ぶ旬の野菜を見て「この時期が来たな」としみじみしたり。
こういう小さな選択ひとつひとつに、季節の“気づき”が影響していたりするんです。
そして何より、こうして季節の細やかな変化を感じられると、なんとなく心が整います。
忙しくて気持ちがバタバタしているときほど、自然の小さな変化に触れると「ちょっと深呼吸しよ」と思えるんですよね。
五日ごとに季節が変わる——そんな視点で世界を見ると、同じ毎日が少し軽くなるんです。
七十二候を知っていると、日本の日常はもっと豊かに見える。
仕事でも育児でも家事でも、なんだか慌ただしい生活の中で、季節が寄り添ってくれる。
そんな“暮らしの余白”に気づけるのも、この古い暦のおかげだなと思っています。
“72の季節”が生活に溶け込むと、日々の選択が変わっていく
七十二候の存在を意識しはじめてから、私の毎日は少しずつ変わっていきました。
最初はただ「こんな暦があるんだ、面白いな」くらいの軽い好奇心だったのですが、気づけば家事や買い物、子どもとの会話まで、このミクロな季節感に影響を受けるようになっていたんです。
たとえば、私は毎朝ベランダに出て洗濯物を干すのですが、そのときの空気の匂いや風の質で「今日の季節はどんな表情かな?」と考える癖がつきました。
七十二候では「霜止出苗(しもやみてなえいづる)」という季節があります。春先、田んぼに苗が顔を出し始めるタイミングを表したものなんですが、この頃になると朝の空気が少し柔らかくなるんです。
その“小さなやわらかさ”を感じた日は、「そろそろ冬物を片付けようかな」「薄手の服を出しておこうかな」と自然と家事の判断が変わっていきます。
こういう変化は、海外の私の友人たちに話すととても驚かれます。
「そんなに細かく季節を感じて生活してるの?」とか
「洋服や食べ物の選び方まで季節が関わるのは面白いね」と言われることも多いです。
でも実際、日本では昔から「旬」が生活の中心にありました。
食べ物も、行事も、暮らしのリズムも、すべて季節の小さな変化とつながっています。
■ 食卓に訪れる“小さな季節”
たとえば七十二候の中には「土脉潤起(つちのしょううるおいおこる)」という季節があります。
土が湿り、春の準備が整っていくタイミングです。
この頃スーパーに行くと、菜の花がきれいに並び始めます。
「ちょっとほろ苦いけど、春の味だよ」
と、私は子どもに話しながらおひたしを食卓に並べるんです。
七十二候を知る前なら、ただの“春野菜”で終わっていたかもしれない。でも今は「季節のサイン」として愛おしく感じるようになりました。
また、夏の「温風至(あつかぜいたる)」になると、湿気がぐっと増えて体がだるくなる日があります。
そんなときは「あ、そろそろ身体が夏モードに切り替わる時期だな」と思って、麦茶を作り置きしたり、冷やしきゅうりを常備しておいたりするようになりました。
体調の変化すら、季節の小さなリズムで説明がつく。
これは七十二候と暮らしているからこそ気づけたことです。
■ 子どもの感覚も“季節とともに育つ”
面白いことに、私以上に影響を受けたのは子どもでした。
七十二候の本を一緒にめくっていると、「今日の季節はどれ?」と毎日のように聞いてきます。
「桜始開(さくらはじめてひらく)」の時期には散歩中に桜の木を見上げて「まだ始開してないね!」と言ったり、
「蟬始鳴(せみはじめてなく)」が来ると、朝からベランダで耳をすませて「今日はまだ鳴いてないね」と観察していたり。
大人が忘れがちな“自然に注意を向ける力”を、子どもは私以上に伸ばしていくんです。
「ねえママ、今日の風は夏の風じゃない?」
と言われた日のことを、私は今でもよく覚えています。
確かにその日は、空気の中にほんの少し湿気が混ざっていた。
「よく気づいたね〜!」と言いながら、私自身もハッとしました。
七十二候は、子どもの“感性を育てる教材”としても、とても優れているんだと気づきました。
季節の微細な変化に目を向けることで、日常を丁寧に味わう力が育つ。
これは受験勉強とはまったく違う、“生きる力”に近いような気がします。
■ 家事が“作業”から“儀式”に変わる不思議
さらに、季節を細かく感じるようになると、毎日の家事にちょっとした意味が生まれました。
たとえば「涼風至(すずかぜいたる)」になると、私は自然とキッチンの窓を少し長めに開ける時間が増えます。
風が通る日って、それだけで部屋の空気がきれいになるんです。
窓拭きをするタイミングも「あ、そろそろ夏が終わるから一度リセットしよう」みたいな気持ちになってくる。
「鷹乃学習(たかすなわちわざをならう)」の季節には、夏休みの宿題を手伝うことも多いし、
「草露白(くさのつゆしろし)」になると、朝起きたときにベランダの手すりがひんやりしていて、秋の始まりを実感します。
その瞬間、「そろそろ秋用の布団を出そうかな」と自然と生活の段取りが進むんです。
こうしてみると、七十二候って“生活のナビゲーション”みたいなものだな、と感じます。
5日ごとに小さな季節の切り替えがあるから、気持ちも家事もリセットしやすい。
「忙しくて気持ちがごちゃついてしまう」という日でも、季節の名前をひとつ思い出すだけで、なぜかスッと心が整っていくんです。
■ 七十二候がくれる“精神的な余白”
私はよく、海外の友達に「日本って住んでるとすごく季節を感じる国なんだよ」と話すのですが、七十二候はその最たる例だと思います。
四季よりずっと繊細で、五感に寄り添う自然観。
これが日々の暮らしを柔らかく支えてくれるんです。
心が疲れているときでも、
● 夕方の風の変化に気づく
● 庭の草に朝露がついているのを見つける
● コオロギの声を聞く
そんなささいな出来事が、ふと「今日も季節は動いているんだな」と思わせてくれる。
七十二候は、忙しい日々の中で“立ち止まるきっかけ”をくれる存在でもありました。
まるで自然がそっと背中を撫でてくれるような、そんな静かな優しさを感じられるんです。
季節にゆだねる生き方”が、心の硬さをほぐしてくれた
七十二候と暮らすようになってしばらくした頃、私はふと気づいたことがあります。
それは、季節のミクロな変化に目を向けるようになってから、生き方そのものがやわらかくなったということ。
大げさに聞こえるかもしれませんが、実はこれ、私にとってけっこう大きな気づきでした。
というのも、私は昔から「やるべきことはしっかりやらないと」「家事も子育てもちゃんとしなきゃ」と、どちらかというと“きっちり型”の性格でした。
海外で暮らす友人からは「日本人って真面目だよね」と言われることがありますが、たしかに私自身もそのタイプ。
小さなことでも気になってしまう、いわゆる“自分に厳しめな人間”だったんです。
でも、七十二候に触れながら暮らすようになって、こういう気持ちが少しずつ解けていきました。
そのきっかけになったのは、ある年の梅雨の時期のことでした。
■ “うまくいかない日”を許してくれた、ある季節の名前
その年の梅雨は、本当に雨が多くて、家の中がずっとジメジメしていました。
洗濯物は乾かないし、子どもは外で遊べなくて不機嫌になるし、私は私で気圧の変化にやられて頭痛まで出る始末。
そんな日が続くと、なんだか「今日も何もできなかった…」みたいに落ち込んでしまうものです。
でもその頃、七十二候では「腐草為蛍(くされたるくさほたるとなる)」という時期でした。
なんとも不思議な名前ですよね。
ちょっと湿気が多くてジメジメして、草が蒸れやすいこの時期。
昔の人は、それを“ホタルが生まれる季節”として捉えていた。
私はその名前を知ってから、梅雨の嫌なジメジメが、なんとなく“必要な時間”のように思えてきました。
「そうか、これはホタルを育てるための湿気なんだ」
「私が今日うまくいかないのは、季節のせいなんだ」
そんなふうに思えるだけで、心がスッと軽くなる。
それまでは“自分がだらしないから”“頑張りが足りないから”と、自分を責めがちだったのですが、七十二候は私に“自然と同じリズムで生きていいんだよ”と教えてくれた気がしました。
■ 自然が教えてくれる、“頑張らなくても進んでいく”という事実
さらに気づいたのは、季節って人間の都合とは関係なく、淡々と進んでいくということです。
私が疲れていても、怒っていても、悲しくても、季節は毎日すこしずつ変化していく。
その静かなペースに触れていると、自分も“無理に早く進まなくていい”と思えるようになりました。
特に心に残っている季節の名前があります。
秋の始まりに訪れる「天地始粛(てんちはじめてさむし)」です。
空が澄んで、風がすっと冷たくなる頃、不思議と気持ちが落ちつく時期。
この頃になると私は、夏の疲れがどっと出て、少し気分が沈むことが多いんです。
でも、この七十二候の名前を知ったとき、胸の奥で何かカチッとはまったような感覚がありました。
「そうか。私が静かになっていくのは、季節が静かになっていくからなんだ。」
自分の気持ちを“季節の流れの中に置き直す”と、意味がつくんです。
それが私の心を、何度も助けてくれました。
■ 「余白」としての季節 ─ 日本人の“生きる知恵”
海外の友人から「日本人って自然と共に暮らしてる感じがする」と言われることがあります。
その理由は、まさにこういうところじゃないかな、と私は思っています。
七十二候は、生活に“余白”を作ってくれるんです。
たとえば——
● 今日は雨だから家事が進まなくてもOK
● 今日は夏の入り口だから身体が重くても普通
● 秋が来て気分が落ち着くのは自然なこと
● 冬に人が早く眠くなるのは太陽のせい
私たちはつい、自分の気持ちを“自分のせい”にしてしまいます。
でも、七十二候の世界に触れると、心の動きを“自然の一部”として受け止められるようになる。
これは日本人が昔から持っていた、“自然と調和して暮らす知恵”だと思います。
海外の生活は合理的で効率的で、目標に向かって進む文化が強いもの。
でも日本の暮らしには、どこか“流れに身をゆだねる柔らかさ”があります。
その代表が、この七十二候なのかもしれません。
■ 家族にも伝わる“ゆるやかなリズム”
私が季節に寄り添う生活をしていると、家の中の空気も変わりました。
子どもが落ち込んだ日には
「今日は“暑さの疲れが出る季節”だよ」
と言うだけで、気持ちを切り替えられたり、
夫が仕事で疲れて帰ってきた日には
「今は“体が重くなりやすい時期”なんだよ」
というと、安心した顔をしたり。
季節を言葉にするだけで、家族の心がほどけていくのを何度も見てきました。
言葉に“自然の力”が宿るって、こういうことかもしれません。
七十二候は、ただの古い暦に見えるけれど、実は家庭の空気をやわらかくし、人の気持ちを救ってくれる力を持っています。
■ “小さな季節の変化を味わう”という人生術
そして私は、七十二候と暮らすことはひとつの“人生術”だと思うようになりました。
大きく変わろうとしなくていい。
人生を劇的に改善しなくてもいい。
ただ、5日ごとに訪れる小さな季節の変化に気づくだけで、心はずっと軽くなる。
毎日は同じように見えて、実は少しずつ変化している。
その変化に気づけるかどうかで、人生の味わい方がまったく違ってくる。
七十二候は、日本の暮らしに染み込んだ“しなやかな生き方”そのものなんです。
小さな季節を感じること”が、人生をやさしくしてくれる
七十二候の世界を知ってから、私は日本の日常の風景がまったく違って見えるようになりました。
そして、この小さな季節たちが、ただ自然の変化を表すだけではなく、私たちの心の動きや、生き方そのものと深くつながっていることに気づきました。
この結のパートでは、そんな気づきから生まれた私の「七十二候と暮らす人生観」をお話しして締めくくりたいと思います。
■ “わたしの人生にも72の季節がある”と気づいた日
ある日ふと、こんなことを思いました。
「季節が5日ごとに変わるように、自分の心の状態も細かく変化しているんだな」
たとえば—
● 今日はなんだか元気
● 明日は少しだけ気持ちが沈む
● 2日後にはやる気が出てくる
● 次の日にはまたゆっくりしたい気分になる
昔の私は、こういう気持ちの揺れを「不安定だ」と思っていました。
でも、七十二候の存在を知ってからは、こう感じるようになりました。
「揺れるのは当たり前。だって自然も毎日ゆらいでる」
たとえば「霜始降(しもはじめてふる)」という季節。
その名の通り、霜が降り始める時期なのですが、実際には霜が降りたり降らなかったりします。
自然の変化って、きっちりカレンダーどおりにはいかないんです。
それはまるで、私たちの心そのもの。
一定ではない。
揺れることが普通。
変化し続けていることが自然。
この考え方は、私の生き方を本当に楽にしてくれました。
■ “ゆるす”ということを、季節から学んだ
主婦として暮らしていると、つい自分に厳しくなりがちです。
家事も育児も仕事も、全部自分の力で整えようと頑張ってしまう。
でも、あるとき気づきました。
「季節を許せるなら、同じように自分も許していい。」
たとえば、冬至の頃。
日没が早くて、夕方になると急に眠くなるんです。
以前は「なんでこんなに疲れるんだろう?」と自分を責めていました。
でも、七十二候の「冬生(ふゆしょうず)」という季節を知ってからは、
「そっか、この時期って人間もエネルギーを溜める時期なんだ」
と受け入れられるようになりました。
すると、心がとても軽くなりました。
自然にできていないんだから、私ができなくてもいい。
この考え方は、私の日常の判断基準になりました。
■ “自然と一緒に生きる”という日本の文化が持つ豊かさ
海外の人に日本の暮らしについて説明するとき、私はよくこう言っています。
「日本の文化は、自然と暮らすというより、自然に教わりながら暮らす文化だよ」
たとえば——
● 草木の伸び方で季節を感じる
● 野菜の旬を見て献立を決める
● 虫の声で秋の深まりを知る
● 雨の匂いで明日の天気を予感する
こんなふうに、自然の小さなサインを読み取りながら生活するスタイルが、日本には昔からあるんです。
七十二候は、その象徴のような存在。
海外の暦が“時間の整理”だとしたら、七十二候は“自然の物語”なんですよね。
そしてその物語が、現代の私たちの生活にもちゃんと息づいています。
洗濯物の乾き具合、買い物カゴに入れる旬の食材、朝の空気の温度、夕方の風の匂い……
そのすべてが、七十二候の延長線上にある。
日本に住む私たちは、知らないうちにこの“自然との対話”をしているんです。
■ 家族にも伝えたい、“季節と仲よくなる生き方”
私は最近、家族の会話に七十二候の感覚を入れるようにしています。
たとえば—
● 子どもが「疲れた〜」と言ったら
→ 「今は“夏の疲れが出る季節”だからね」
● 夫が「なんかやる気が出ない」と言う日は
→ 「今は“体を休める時期”みたいね」
● 自分が落ち込んだ日には
→ 「季節が変わる前だから、揺れやすい日なんだ」
たったこれだけで、家の中の空気がまるくなるんです。
季節というのは、“言い訳”ではありません。
むしろ**“自然に従うことで、自分を大切にするための知恵”**なんです。
七十二候は、家族の心を守るための優しいツールにもなってくれる。
それを実感しながら暮らしています。
■ 結論:72の季節は、人生をより豊かにしてくれる“心の道具”
七十二候の世界を知る前と後では、私の日常の見え方が本当に変わりました。
✔ ちょっとした自然の変化が嬉しくなる
✔ 気持ちの揺れを受け入れられるようになる
✔ 自分にも家族にも優しくなれる
✔ 生活のリズムに無理がなくなる
✔ 日本の文化をより深く味わえる
つまり、
「72の小さな季節を知ることは、72の小さな幸せに気づくこと」
なんです。
日本の暮らしは、派手ではないかもしれない。
でも、その分、静かで、細やかで、しみじみとした美しさがある。
七十二候は、その美しさに気づかせてくれる“レンズ”のような存在。
ただ毎日を生きるだけでは見えなかった景色が、このレンズを通すとふっと浮かび上がってくるんです。
海外に暮らしている人にも、これをぜひ体験してほしい。
日本に来たとき、あるいは今住んでいる国でも、
ふとした自然の変化に耳を澄ませるだけで、世界はやさしく変わります。
最後に、私の好きな言葉を添えます。
「季節は、私たちの心のリズムそのもの。」
七十二候とともに暮らすということは、
自分の人生のリズムを受け入れるということ。
そんな日本の“静かな知恵”を、これからも大切にしていきたいと思っています。

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