【日本からの手紙】2025年の私たちへ:コントロールできない「波」に身を任せる、という生き方

完璧な日常という名の「幻想」と、悲鳴を上げる心

1. 2025年の晩秋、スマートフォンの光とため息

みなさん、こんにちは。日本の私の住む街では、ようやく木々が色づき始め、朝晩の空気に冬の匂いが混じるようになってきました。そちらの国ではいかがお過ごしですか?

今日は少し、私の(そしておそらくあなたの)心の中にある、言葉にできない「重り」についてお話しさせてください。

今は2025年の終わり。私が子供の頃に夢見た「未来」そのものです。

キッチンにはAIが献立を提案してくれる冷蔵庫があり、リビングではロボット掃除機がけなげに働き、手元のスマートフォン一つあれば、地球の裏側のニュースも、友人との会話も、今夜の夕食のデリバリーも、すべて一瞬で完結します。

便利ですよね。本当に、魔法のように便利です。

でも、不思議だと思いませんか?

これだけテクノロジーが進化して、家事の時間を短縮してくれるツールに囲まれているのに、なぜ私たちはこんなにも「時間がない」と感じているのでしょうか。

昨夜、私はキッチンで洗い物をしながら(食洗機に入りきらなかったお気に入りの和食器を手洗いしながら)、ふと涙が出そうになりました。

特に悲しいことがあったわけではありません。家族は元気だし、住む家もある。

ただ、頭の中が常に「次にやること」で埋め尽くされているのです。

「明日の朝食の準備、子供の学校のプリント確認、週末の予定の調整、あ、そういえば友人のSNSに『いいね』を返さなきゃ、来週の仕事のプレゼンの資料も……」

私の頭の中には、目に見えない巨大な「To-Doリスト」が常に張り出されていて、それを一つ消しても、またすぐに新しい項目が三つ増えるような感覚。

「常にオンの状態(Constantly “on”)」であること。

まるで、回し車の中で走り続けるハムスターのようです。

皆さんも、ベッドに入って目を閉じても、頭の奥がジンジンと冴えていて、休んだ気がしない……なんてこと、ありませんか?

2. 「タイパ」社会の罠と、すり減る感覚

日本には最近、「タイパ(タイム・パフォーマンス)」という言葉が流行っています。

かけた時間に対してどれだけの効果が得られるか、つまり「時間対効果」を極限まで追求する考え方です。映画を倍速で見たり、ランチを栄養ゼリーで済ませたり。

この考え方は、私たち主婦の生活にも静かに、でも確実に浸透してきています。

「いかに効率よく家事をこなすか」

「いかに隙間時間で自分磨きをするか」

「いかに子供の才能を最短で伸ばすか」

私たちは、自分の人生のCEO(最高経営責任者)であるかのように振る舞うことを求められています。

1分1秒たりとも無駄にしてはいけない。

生産性のない時間は「悪」である。

そんな見えないプレッシャーが、日本の空気の中には漂っています(もしかしたら、あなたの国でも同じかもしれませんね)。

でも、正直に言わせてください。

私はもう、疲れ果ててしまいました。

先日、スーパーマーケットからの帰り道、夕焼けがあまりにも綺麗だったんです。

日本の秋の夕暮れは「釣瓶(つるべ)落とし」と言って、あっという間に日が沈んでしまうのですが、その一瞬の紫とオレンジのグラデーションが、涙が出るほど美しかった。

でも、私はその景色をゆっくり眺めることができませんでした。

「早く帰って夕飯を作らなきゃ」「冷凍食品が溶けてしまう」

そんな焦りが、感動する心を上書きしてしまったのです。

自然の美しさや、季節の移ろいを感じ取る「センサー」が、効率化という名のノイズにかき消されてしまっている。

これは、ただの「忙しさ」ではありません。もっと根深い問題です。

私たちは、自分のエネルギーの自然な波——今日は元気だとか、今日は少し休みたいとか——を完全に無視して、機械のように一定のパフォーマンスを出し続けることを自分自身に強いているのです。

3. コントロールという名の幻想(The Illusion of Control)

ここで一つの仮説をお話ししたいと思います。

私たちが抱えているこの息苦しさの正体。

それは**「人生のすべてをコントロールできる」という思い込み(The Illusion of Control)**ではないでしょうか。

私たちは信じてきました。

努力すれば報われる。

計画通りに進めれば成功する。

テクノロジーを使えば時間を支配できる。

健康管理をすれば病気にならない。

もちろん、努力や計画は大切です。でも、2025年の私たちは、それを少し「信じすぎている」のかもしれません。

予定通りにいかないとイライラする。

子供が思うように動かないと不安になる。

自分の体調が優れないと、自己管理が足りないと自分を責める。

まるで、自分が人生という車のハンドルを握り、道路状況も天候もすべてコントロールできるドライバーだと思っているようです。

でも、実際はどうでしょう?

突然の雨もあれば、予期せぬ渋滞もあります。

今の私たちは、渋滞の中で「なぜ車が進まないんだ!」とハンドルを叩き、クラクションを鳴らし続けているような状態ではないでしょうか。

進まない車の中でエネルギーを浪費し、目的地に着く頃にはもうヘトヘトになっている。

「コントロールしなければならない」という執着が、皮肉なことに、私たちから心の自由を奪っているのです。

日本には古くから、この「コントロールできないもの」とどう向き合うかについて、とても興味深い知恵や言葉がたくさんあります。

それは、諦めることとは少し違います。

むしろ、もっとしなやかで、もっと強い生き方です。

私がこの「コントロールの幻想」に気づき、そこから抜け出すヒントを得たのは、皮肉にも、最もコントロールが効かないある日本的な体験を通してでした。

それは、ある雨の日に訪れた、古びた日本庭園での出来事から始まります。

雨音に耳を澄ませて――日本人が大切にしてきた「諦め」という名の解放

1. 鎌倉、雨の日の失敗と「予定調和」の崩壊

前回の最後にお話しした「古びた日本庭園」での出来事についてお話ししますね。

それは、私が久しぶりに「完璧な休日」を計画した日のことでした。

私はその日、古都・鎌倉にある美しい庭園を訪れる予定でした。天気予報は晴れ。私は完璧なスケジュールを組みました。午前中に庭園を散策し、有名なカフェで限定の抹茶スイーツを食べ、午後は海岸で夕日を見る。Instagramに投稿するための「映える」写真も撮るつもりでした。まさに、私のコントロール下にある最高の一日になるはずだったのです。

ところが、駅に着いた途端、空が急に暗くなり、予報外の激しい雨が降り出しました。

私の心は一瞬で曇りました。「どうして? 予報は晴れだったのに!」「せっかくの予定が台無しだわ」「新しい靴が濡れてしまう」

私の頭の中は不平不満でいっぱいになりました。雨宿りのために駆け込んだ庭園の東屋(あずまや)で、私はスマートフォンの天気予報アプリを何度もリロードしながら、通り過ぎない雨雲を呪っていたのです。

ふと横を見ると、同じように雨宿りをしている年配の日本人女性がいました。着物を着た上品な方でした。

彼女は私のようにスマホを睨みつけることもなく、ただ静かに、庭の木々を打つ雨を眺めていました。そして、私と目が合うと、ふわりと微笑んでこう言ったのです。

雨のおかげで、苔(こけ)が生き返りましたね。晴れの日より、ずっと緑が鮮やかだわ

私はハッとしました。

私の目は「台無しになった予定」しか見ていなかった。でも、彼女の目は「雨に濡れて輝きを増した苔の美しさ」を見ていたのです。

確かに、雨に濡れた庭園は、晴れの日には見られないほど深く、艶やかな緑色に包まれていました。雨音が周囲の雑音を消し去り、そこには静寂という音楽がありました。

私が「理想の休日」をコントロールしようとしてイライラしている間に、目の前にある「現実の美しさ」を取りこぼしていたことに気づかされた瞬間でした。

2. 「仕方がない」という魔法の言葉(The Magic of “Shikata ga nai”)

ここで、皆さんにどうしてもお伝えしたい日本語があります。

それは**「仕方がない(Shikata ga nai)」**という言葉です。

もしかしたら、どこかで聞いたことがあるかもしれません。英語に翻訳すると “It can’t be helped” となり、しばしば「諦め」や「消極的な態度」としてネガティブに捉えられがちです。

でも、私たち日本人が使う「仕方がない」には、もっと深く、そしてもっと優しいニュアンスが含まれています。

それは、「自分の力ではどうにもならないことを受け入れ、その苦しみから心を解放する」という知恵です。

あの雨の日、私は天気をコントロールできませんでした。

いつまで経っても止まない雨に対して「なんで!」と怒り続けることもできましたが、それでは私の心はずっと嵐のままです。

そこで「雨が降ったのは仕方がない」と口に出してみる。すると不思議なことに、肩の力が抜け、「じゃあ、この雨の中で何を楽しもうか?」という新しい視点が生まれるのです。

日本は、地震や台風など自然災害が多い国です。四季の変化もはっきりしています。

私たちは何千年も前から、「自然(Nature)」という巨大でコントロール不能なものと共存してきました。自然に逆らって堤防を高く積み上げる努力もしつつ、それでも溢れてしまった水に対しては「仕方がない」と受け入れ、また一から積み直す。

このしなやかな強さこそが、日本人の精神性(Spirituality)の根幹にあります。

現代の私たちは、人生のあらゆることを「コントロール可能」だと思い込んでいます。

・子供がレストランで泣き叫ぶこと

・夫が家事を忘れること

・頑張って準備したプロジェクトが評価されないこと

・そして、自分自身が突然、理由もなく落ち込んでしまうこと

これらが思い通りにいかない時、私たちは「自分の管理能力が足りないせいだ」と自分を責めます。

でも、よく考えてみてください。

子供も、パートナーも、そして私たちの感情さえも、本来は「自然(Nature)」の一部なんです。

天気と同じで、晴れる日もあれば、嵐の日もある。それを人間の小さな「To-Doリスト」で管理しようとすること自体が、そもそも無理な話だったのかもしれません。

3. 「思い通りにならない」を楽しむ余白

日本の茶道や華道の世界には**「不完全の美(Beauty of Imperfection)」**という考え方があります。

完璧に左右対称に作られた茶碗よりも、少し歪んでいたり、色が不揃いだったりする器に、深い味わいと美しさを見出す心です。

これは「わび・さび(Wabi-Sabi)」としても知られていますね。

私たちの人生も同じではないでしょうか?

Googleカレンダー通りに分刻みで進む「左右対称の完璧な人生」よりも、予期せぬ雨に降られたり、道に迷ったり、時には立ち止まって苔を眺めたりする「歪んだ人生」の方が、振り返った時に味わい深い物語になるはずです。

私が「コントロールの幻想」から少しずつ目覚め始めたのは、あの日、東屋で雨音を聞いてからです。

「すべてを思い通りにしなくていい」

「波が来たら、それに乗ってしまえばいい」

そう思うようになってから、日常の景色が少し変わって見え始めました。

例えば、夕食の準備中に子供が牛乳をこぼした時。以前なら「もう!忙しいのに!」と叫んでいたでしょう。

でも今は、一呼吸おいて心の中で呟きます。「仕方がない」。

こぼれた牛乳は元には戻らない。だったら、子供と一緒に雑巾掛け競争をしてしまおうか。

そう切り替えた瞬間、トラブルは「イライラする時間」から「子供との予想外のイベント」に変わります。

私たちが苦しいのは、目の前の現実と戦っているからです。

「こうあるべきだ(It should be)」という理想と、「こうなってしまった(It is)」という現実。このギャップを埋めようと必死にもがくことで、私たちはエネルギーを消耗し、バーンアウト(燃え尽き)してしまう。

日本人が古くから持っている「自然と共に生きる感覚」を取り戻すこと。

それは、エアコンの設定温度を変えるように世界を変えることではなく、暑い日には風鈴を吊るし、寒い日には温かい鍋を囲むように、**「環境に合わせて自分の身の処し方を変える」**という知恵です。

4. 私たちの「切断(Disconnect)」の正体

ここで、今回のテーマである「Disconnect(切断)」についてもう一度考えてみたいと思います。

私たちが感じている孤独感や焦燥感。それは、私たちが「自分の内なる自然」から切断されてしまっているからではないでしょうか。

スマホの画面の中にある世界は、編集され、フィルターがかけられ、コントロールされた世界です。そこでは誰もが輝き、時間は効率的に使われています。

一方、私たちの肉体は、眠くなったり、お腹が空いたり、ホルモンバランスでイライラしたりする、とても「生々しい、コントロールしにくい生き物」です。

デジタルな理想と、アナログな身体。

この二つの間の亀裂が広がれば広がるほど、私たちは苦しくなります。

「もっと効率的に動け」と脳が命令しても、身体は「もう休みたい」と悲鳴を上げている。

その悲鳴を「怠け」だと断罪して無視し続けること。これが、2025年の私たちが陥っている最大の罠なのです。

でも、安心してください。

この「切断」を再び「接続(Connect)」する方法は、実はとてもシンプルで、日本的な日常の中に隠されています。

特別なリトリートに行く必要も、高価な瞑想アプリを買う必要もありません。

次の章では、私が実践している、日常の中で「コントロールを手放し、流れに身を任せる」ための小さな儀式——日本の家庭に根付く「行事」や「習慣」を通じたアプローチ——について、具体的にお話ししたいと思います。

それはきっと、あなたの忙しいキッチンや、散らかったリビングルームでもすぐに始められる魔法です。

あえて「手間」という贅沢を。非効率の中に隠された「時間を取り戻す」魔法

1. 「タイパ」の逆を行く——出汁(Dashi)の香りが教えてくれたこと

「承」でお話ししたように、私は雨の庭園で「コントロールできないものを受け入れる」心地よさを知りました。

でも、家に帰ればまた戦場のような毎日が待っています。洗濯物の山、鳴り止まない通知音。

そこで私は、ある一つの「実験」を始めました。

それは、現代の最強の敵である「非効率」を、あえて生活に取り入れてみるということです。

具体的に何をしたかというと、「毎朝、鰹節(かつおぶし)と昆布で出汁(Dashi)をとる」ことでした。

今の日本には、お湯に溶かすだけの優秀な「顆粒だし」がたくさんあります。2秒で美味しいお味噌汁が作れます。

それをあえて、前の晩から昆布を水に浸し、朝一番に火にかけ、沸騰直前に昆布を取り出し、鰹節を入れて濾(こ)す……。

この工程にかかる時間は約15分。

「タイパ」至上主義の観点から見れば、これは「最悪の時間の無駄遣い」です。15分あれば、メールを5通返信できるし、洗濯機を回せます。

でも、やってみて驚きました。

鍋から湯気が上がり、鰹節の黄金色の香りがキッチンいっぱいに広がるその数分間。

私は、スマホを見ることも、今日の予定を考えることもできません。ただ、鍋の中の液体が美しい金色に変わるのを見つめ、香りを胸いっぱいに吸い込む。

その瞬間、私の頭の中の回転し続けていた「ハムスターの回し車」が、ピタリと止まったのです。

これは、ただの料理ではありませんでした。

一種の**「瞑想(Meditation)」**だったのです。

デジタルな時間の流れ(1分1秒を刻む直線的な時間)から抜け出し、アナログな時間の流れ(香りや温度を感じる感覚的な時間)に身を浸すこと。

手間(Time and Effort)をかけることで、皮肉なことに、私は「時間に追われる感覚」から解放され、むしろ「豊かな時間の中にいる」という感覚を取り戻したのです。

これを日本語では**「手間ひま(Tema-hima)」**と言います。

単なる「労力」ではありません。「相手や物事のために、心を込めて時間を使うこと」への敬意が含まれた言葉です。

2025年の私たちが失ってしまったのは、この「手間ひま」を愛でる心の余裕だったのかもしれません。

2. 「旬(Shun)」を食べる——自分の身体を地球の時計に合わせる

海外にお住まいの皆さんの国には、どんな季節の野菜や果物がありますか?

日本には**「旬(Shun)」**という、食におけるとても大切な概念があります。

その食材が最も美味しく、栄養価が高くなる時期のことですが、それ以上の意味があります。

それは、「その季節に人間の身体が必要としているエネルギーを摂り入れる」という考え方です。

春には、冬の間に溜め込んだ毒素を排出するために、苦味のある山菜を食べる。

夏には、体を冷やすために、水分の多い瓜(うり)類を食べる。

秋には、冬に備えてエネルギーを蓄えるために、栗や芋を食べる。

スーパーマーケットに行けば、一年中トマトもキュウリも売っています。いつでも好きなものが手に入る世界は「コントロールされた世界」です。

でも、私はあえて「今、旬のもの」しか買わないというルールを作ってみました。

するとどうでしょう。

「あぁ、もうイチゴの季節は終わりか、次は桃が楽しみだな」

食卓を通して、自然の移ろいを感じられるようになったのです。

自分の身体が、Googleカレンダーの予定表ではなく、地球のリズム(Earth’s Rhythm)と同期(Sync)し始めたような感覚。

これが、冒頭で触れた「Disconnect(切断)」を解消する鍵でした。

私たちは頭(Head)だけで生きています。でも、旬のものを食べる時、私たちは身体(Body)と、そして大地(Nature)と再接続(Reconnect)します。

海外に住んでいて、日本の食材が手に入らなくても大丈夫です。

あなたが住んでいるその土地の、その季節に採れたものを食べてください。

ファーマーズマーケットに行き、不揃いな泥付きの野菜を買ってみる。

それは「不便」かもしれません。でも、その泥の匂いこそが、私たちをデジタルな幻想から引き戻してくれる「命のアンカー(錨)」なのです。

3. 「ハレ」と「ケ」——毎日がスペシャルじゃなくていい

最後に、もう一つ、私を救ってくれた日本の古い概念を紹介します。

それは**「ハレ(Hare)」と「ケ(Ke)」**というリズムです。

  • ハレ(Hare): お正月やお祭り、結婚式などの「非日常」。
  • ケ(Ke): 何も特別なことがない、淡々とした「日常」。

SNS、特にInstagramやTikTokの世界を見ていると、毎日が「ハレ」であるべきだというプレッシャーを感じませんか?

映えるランチ、完璧なインテリア、幸せそうな家族のイベント。

「私の人生、もっと輝かせなきゃ(Make it sparkle)」

そうやって毎日を「ハレ」にしようと頑張りすぎることが、私たちの「ケ(日常)」を枯渇させています。これを「気枯れ(Ke-gare)」=「穢れ(Kegare)」と言う説もあるほどです。エネルギーが枯れてしまうのです。

日本古来の知恵は教えてくれます。

「人生の9割は『ケ(日常)』でいいんだよ」と。

地味なご飯でいい。散らかった部屋でもいい。何もしない退屈な一日でいい。

その淡々とした「ケ」の積み重ねがあるからこそ、たまに来る「ハレ」の日が輝くのです。

私は、毎日をスペシャルにする努力をやめました。

「今日は『ケ』の日だから、夕飯は納豆ご飯とお味噌汁だけでいいや」

そう割り切った時、どれだけ心が軽くなったことか!

そして不思議なことに、その「何でもない日常」の中にこそ、家族との何気ない会話や、夕風の心地よさといった、本当の意味での幸せが隠れていることに気づいたのです。

4. 逆転の発想:コントロールを手放すことで、主導権を得る

ここで、最大のパラドックス(逆説)をお伝えします。

私たちは、時間を管理し、効率化し、全てをコントロールしようとして、逆に「時間」と「タスク」に支配されていました。

しかし、「手間ひま」をかけ、「旬」に身を委ね、「ケ(日常)」を許容することで——つまりコントロールを手放すことで——初めて「自分の人生を生きている」という主導権を取り戻すことができたのです。

柔道(Judo)をご存知ですか?

相手の力を利用して投げる武道です。力で対抗しようとすると負けますが、流れに合わせて動くことで、小柄な人でも大きな相手を制することができます。

人生も同じです。

押し寄せるタスクやプレッシャーという波に対して、真正面から壁を作って止めようとしないでください。

むしろ、その波に乗ってください。

「仕方がない」と力を抜き、「まあ、お茶でも一杯」と急須にお湯を注ぐ。

その一見「負け」に見える行為こそが、実はこのカオスな2025年を生き抜くための、最も高度でしなやかな「勝利のテクニック」なのです。

私たちは「スーパーウーマン」になる必要はありません。

ただの、季節を感じ、お茶の香りに癒される「人間」に戻ればいいのです。

さて、いよいよ物語は結末へと向かいます。

これらを踏まえて、明日から私たちが具体的にどんな一歩を踏み出せばいいのか。

世界中の主婦の皆さんに送る、最後のメッセージを綴りたいと思います。

余白(Ma)を恐れない勇気と、一期一会の日常へ

1. 「何もしない」という最高の贅沢 ——「間(Ma)」の魔法

ここまで、コントロールを手放し、不便さを愛する方法についてお話ししてきました。

最後に、私が最も大切にしている、そして最も難しい日本的な概念をお伝えします。

それは**「間(Ma)」**です。

日本の伝統的な音楽や絵画には、必ず「空白」が存在します。

音と音の間の静寂。何も描かれていない白い空間。

西洋的な感覚だと、空白は「Empty(空っぽ・欠如)」と捉えられ、何かで埋めたくなるかもしれません。

しかし、私たち日本人は、その空白こそが、想像力を広げ、余韻を楽しむための「Meaningful Space(意味のある空間)」だと捉えます。

2025年の私たちの生活には、この「間」が致命的に不足しています。

エレベーターを待つ10秒間、信号待ちの30秒間。私たちは無意識にスマホを取り出し、情報の洪水でその隙間を埋めてしまいます。

スケジュール帳に空白があると不安になり、予定を詰め込んでしまいます。

だから、提案があります。

「意図的に『空白』を作ってみませんか?」

明日、たった5分でいいのです。

スマホを置いて、テレビを消して、音楽もかけず、ただ椅子に座ってぼーっとしてみてください。

または、あえてスケジュール帳に「何もしない時間」という予定を書き込んでブロックしてください。

最初は怖いかもしれません。「時間を無駄にしている」という罪悪感が襲ってくるでしょう。

でも、その恐怖を乗り越えた先にある静寂(Silence)の中で、あなたの心はようやく深呼吸ができるのです。

泥水が入ったコップをかき混ぜ続けても、水は濁ったままです。でも、かき混ぜるのをやめて(コントロールをやめて)しばらく置いておけば、泥は沈殿し、水は澄んでいきます。

「間」を作ることは、この「沈殿の時間」を自分に与えることなのです。

2. ルーティンを儀式に変える ——「一期一会(Ichigo Ichie)」

もう一つ、明日からの家事に対する視点を変える言葉を贈ります。

茶道の世界に**「一期一会(Ichigo Ichie)」**という言葉があります。

「この出会いは一生に一度きり。だから最高のおもてなしを」という意味で知られています。

でも、これは人と人の出会いだけに限ったことではありません。

「この瞬間」そのものが、二度と戻らない一生に一度の時間なのです。

私は以前、洗濯物を畳むのが大嫌いでした。終わりのない単純作業。時間の浪費。

でも、ある時、ふと思ったのです。

「この子供の小さなTシャツを畳むという行為、そしてこのサイズ感。これは今、この瞬間だけのものだ」と。

来年には子供は大きくなり、この服はもう着られないかもしれない。あるいは、私自身が病気になって、洗濯ができなくなる日が来るかもしれない。

そう考えた瞬間、ただの「処理すべきタスク」だった洗濯が、愛おしい「儀式」に変わりました。

一枚一枚の服の手触り、洗剤の香り、家族が今日一日を無事に過ごして帰ってきた証。

それを味わいながら畳むことは、決して時間の無駄ではなく、人生を味わう豊かな時間になりました。

「今、目の前のことに心を込める」

これが、過去の後悔や未来の不安から私たちを解放する唯一の方法です。

洗い物をする時、お皿のぬくもりを感じてください。

掃除機をかける時、床が綺麗になっていく爽快感を感じてください。

日常のルーティン(Routine)を、マインドフルな儀式(Ritual)に変える。

それだけで、退屈だった景色が、色鮮やかな「一期一会」の瞬間の連続に変わります。

3. あなたは「庭師」であって「機械工」ではない

最後に。

私たちは自分自身や人生を、修理可能な「機械」のように扱ってきました。

壊れたら部品を交換し、オイルを注し、24時間稼働させようとする。

でも、本当の私たちは「庭」のような存在です。

晴れの日もあれば、台風の日もある。雑草が生えることもあれば、花が枯れることもある。

庭師(Gardener)は、天候をコントロールしようとはしません。

ただ、雨が降れば雨音を楽しみ、冬が来れば土に肥料をやって春を待つ。

植物(自分自身や家族)が自然に伸びようとする力を信じて、少しだけ手助けをする。

あなたの人生という庭は、雑草だらけで、少し荒れているかもしれません。

でも、それでいいんです。

整然とした人工芝よりも、色々な草花が勝手気ままに生えている庭の方が、蝶や鳥がやってくる豊かな場所になります。

「完璧じゃなくていい(It doesn’t have to be perfect)」

「コントロールできなくていい(It’s okay not to be in control)」

そう自分に許可を出した時、あなたの肩の荷は下り、本当の意味での「強さ」と「優しさ」が湧いてくるはずです。

結び:同じ月を見上げて

日本は今、夜です。窓の外には美しい月が出ています。

もしかしたら、数時間後、あなたの住む街の夜空にも同じ月が昇るかもしれません。

遠く離れた国に住んでいても、文化や言葉が違っても、私たちは「母」として、「妻」として、そして「一人の人間」として、同じような悩みを抱え、同じ月を見上げています。

私たちは一人じゃありません。

だから、今日はもうTo-Doリストを閉じて、温かい飲み物でも飲んで、ゆっくり休みましょう。

明日は明日の風が吹きます。

日本風に言うなら**「なんとかなる(It will work out somehow)」**。

このブログが、あなたの心の凝りを少しでもほぐす「温かいおしぼり」のような存在になれたなら、これ以上の幸せはありません。

日本から、愛と祈りを込めて。

コメント

タイトルとURLをコピーしました