「ありがとう」が「すみません」? 日本式「感謝」のフシギと私の大発見
海外で生活している皆さん、誰かに親切にしてもらった時、どんな言葉を使いますか?
やっぱり「Thank you!」とか「Gracias!」とか、その国の言葉で、はっきりと「感謝」を伝えますよね。笑顔で、時にはハグをしたりして。
私も昔、短期留学していた時に、とにかく「Thank you!」を連発する文化に触れて、すごく新鮮だったのを覚えています。カフェでコーヒーを受け取る時、バスを降りる時、ドアを開けてくれた時…。みんな、すごくストレートに、明るく「ありがとう!」って言うんですよね。
でも、日本にいると、ちょっと事情が違ったりします。
この前、アメリカ人の友人ジェシカが日本に遊びに来てくれた時のこと。
一緒にコンビニに入ったんです。私がお財布をごソゴソしている間に、彼女がサッと私の分のお茶も一緒に会計してくれました。
私は「あ、ごめんごめん、ありがとう!」と(ちょっと小声で)言いました。
ジェシカは、レジの店員さんに、満面の笑みで「アリガトウゴザイマース!」と、それはもうハリウッド女優ばりの明るい声で言ったんです。
その瞬間、店員さんは「(ビクッ!)」と、ちょっと驚いた顔をして、私とジェシカを二度見しました(笑)。
日本では、コンビニの店員さんにそこまで大きな声で感謝を伝える人って、あんまりいないんですよね。普通は、会釈(えしゃく)だけとか、小声で「どうも」くらい。
ジェシカの行動は、すごく素敵でポジティブなのに、日本の「普通」からすると、ちょっと「浮いて」しまったんです。私は(あぁ、ちょっと恥ずかしいかも…)なんて思ってしまいました。ひどいですよね、感謝してくれてるのに!
これが、日本で感じる「感謝の違和感」の第一歩。
そして、もっと面白いのが、「ありがとう」の代わりに「すみません」って言っちゃう問題です。
これは海外の皆さんにとって、日本の七不思議の一つじゃないでしょうか?(笑)
なんで感謝してるのに謝るの!?って。
先日、スーパーで買い物をしていたら、前を歩いていたおばあちゃんが、カゴからポンっと玉ねぎを一つ落としちゃったんです。私、すぐに拾って「どうぞ」って渡しました。
そしたら、そのおばあちゃん、私に深々と頭を下げて、こう言ったんです。
「あらぁ、すみませんねぇ…」
「ありがとう」じゃなくて、「すみません」。
もし私が日本語を勉強中の外国人だったら、ここでフリーズしてたと思います。
(え、私、何か悪いことした? なんで謝られたの?)って。
でも、もちろん、このおばあちゃんは怒ってるわけでも、謝罪してるわけでもありません。
これこそが、日本独特の「感謝」の表現なんです。
この「すみません」には、
「(拾うという)お手間を取らせてしまって、申し訳ありません」
「(あなたの時間を奪ってしまって、申し訳ありません)」
という、相手への「負担」を慮(おもんぱか)る気持ちが、まず先に来るんです。
その「申し訳ない」という気持ちの裏側に、「だから、本当に助かりました、ありがとう」という感謝が隠れている。
つまり、日本の「すみません」は、単なる「I’m sorry」じゃなくて、「I’m sorry for your trouble (and thank you for it)」がギュッと凝縮された、ものすごく奥ゆかしい言葉なんですよね。
これ、調べてみたら、やっぱり日本文化の「和を重んじる」「相手に迷惑をかけたくない」っていう心理が強く働いているみたいです。(参考: note / イルカノート, PLAZA HOMES)
相手に何かをしてもらうことを「借り(debt)」のように感じて、「申し訳ない」という謙遜(けんそん)が先に出ちゃう。
この話をジェシカにしたら、「Sachi、それは複雑すぎるよ! なんで素直に『Thank you』って言わないの? 感謝されて怒る人なんていないよ!」と笑われました。
ごもっとも! まったくその通りなんです。
でも、私たちは、この「すみません」文化の中で生まれ育ってきました。
そして、この文化は、言葉だけじゃありません。
私の義理のお母さん(夫の母)が、まさにこの「日本式感謝」の達人です。
義母は、私が何かを手伝ったり、料理を作ったりしても、あんまり「ありがとう」って言葉にしてくれないタイプの人なんです。
昔は、私も(あれ、喜んでくれてないのかな…)って、ちょっと寂しく思ったりもしました。
でも、ある時、私が風邪を引いて寝込んでいたら、義母は何も言わずに、すりおろしたりんごと、温かい生姜湯(しょうがゆ)を部屋の前にそっと置いていってくれました。
またある時、私が仕事でクタクタになって帰ってきたら、何も言わずに、お風呂がピカピカに掃除されてて、一番風呂が沸かしてあったり。
言葉はないんです。
でも、その**「行動」こそが、義母からの最大の「ありがとう」であり、「いつもお疲れ様」のサインなんですよね。
これぞ、日本の「察する」**文化。
言葉で「ありがとう!」と100回言われるよりも、その「そっと置かれた生姜湯」の方が、心に沁みることがある。
ジェシカの「直接的で明るい感謝」も、おばあちゃんの「謙遜まじりの感謝(すみません)」も、義母の「行動で示す感謝(察して)」も、全部、形は違うけれど、中身は同じ「ありがとう」なんですよね。
私は、この経験を通じて、自分の「感謝のモノサシ」がすごく狭かったことに気づかされました。
私は「言葉にしてくれない=感謝してない」って、勝手に思い込んでいたんです。
海外で暮らしていると、日本とは違う「当たり前」に戸惑うことがたくさんあると思います。
もしかしたら、「なんであの人はお礼を言ってくれないんだろう」とか、「なんでこんなに大袈裟にお礼を言うんだろう」とか、モヤモヤすることもあるかもしれません。
でも、それって、もしかしたら私たちが持っている「感謝のレンズ」が、ちょっと曇っているだけかも?
その国なりの「すみません」や「生姜湯」が、どこかに隠れているのかもしれない。
そう思ったら、異文化コミュニケーションって、相手の「ありがとう」を探す宝探しみたいで、ちょっとワクワクしてきませんか?
私はこのブログを通して、皆さんと一緒に、そういう世界中のいろんな「ありがとう」の形を見つけるための**「グローバル感謝レンズ」**を育てていきたいなって思っています。
次回(承)は、この「察して」文化の最たるもの(?)、日本人がなぜか夏と冬に贈り物を送り合う「お中元・お歳暮」の習慣について、私の実体験を交えながら深掘りしてみたいと思います。あれこそ、言葉にしない感謝のカタマリなので(笑)。
今日も最後まで読んでくれて、ありがとうございました!
言葉より重い? お中元・お歳暮に隠された「察して」の心と、感謝の作法
(前回からの続き)
まず、この「お中元・お歳暮」が何かを、ジェシカ(前回登場した友人)にもわかるように説明してみますね。
<サチのざっくり解説>
- お中元(Ochuugen):
- いつ?:夏の真ん中(7月〜8月頃)。
- 何を?:そうめん、ビール、ゼリー、洗剤、タオル…(夏っぽいもの、日持ちするもの)。
- 誰に?:お世話になった人(会社の偉い人、取引先、親戚、恩師など)。
- なんで?:「暑いですね、お元気ですか?」「半年の感謝です」「夏を乗り切ってくださいね」という気持ちを込めて。
- お歳暮(Oseibo):
- いつ?:年の暮れ(12月)。
- 何を?:ハム、カニ、お酒、高級なお菓子、洗剤、タオル…(年末年始っぽいもの、日持ちするもの)。
- 誰に?:お中元と大体同じ。
- なんで?:「今年も一年、お世話になりました!」「来年もよろしくお願いします」「良いお年を」という感謝と挨拶。
…と、こんな感じです。
そう、要は**「夏と冬のご挨拶ギフト」**。
一年の「節目」に、「いつもありがとう」「これからもよろしくね」という気持ちを、言葉の代わりに「品物」に乗せて贈る習慣なんです。
これね、私が新婚ホヤホヤの頃、大失敗というか、大パニックになった思い出があるんです。
結婚して初めての冬、12月に入った頃。
あの、義母(「察して」の達人)から電話がかかってきました。
義母:「サチさん、お歳暮のリスト、もう作った?」
私:「(えっ…?)リ、リスト…ですか?」
義母:「あら、太郎(夫)から聞いてない? 毎年、お世話になってる〇〇さんと、××さん(夫の会社の元上司とか、遠い親戚とか)に送ってるのよ。今年はサチさんたち(私たち夫婦)の名前で送らないと」
私、頭が真っ白です。(パニーーーーーック!!)
「お世話になった人」って言われても、その範囲がわからない!
何を贈れば「失礼」にならないのかも、わからない!
そもそも、なんでわざわざ品物を…? 電話やカードじゃダメなの…?
夫に聞いても、「うーん、なんか毎年実家からハムとかビールとか送ってたなぁ。よくわかんない」とか言うし!(こらー!)
結局、その年は義母にリストを全部作ってもらって、デパートのカウンターで「これと同じものを、この住所に…」と、ロボットのように注文しました。
当時の私には、この習慣が、ただただ「面倒くさい、お金のかかる、謎のルール」にしか思えなかったんです。
ジェシカにも「Why? どうしてハムなの? なんで『ありがとう』って直接言わないで、デパートに頼むの? 理解不能!」と全開で言われました(笑)。
でも、それから何年も主婦をやって、自分も「贈る側」と「受け取る側」の両方を経験して、わかってきたことがあるんです。
この「お中元・お歳暮」の核心も、やっぱり**「察して」**なんですよね。
確かに、これは「義務」みたいになってる部分もあります。
ぶっちゃけ、「あ〜、今年もこの季節か…面倒くさいな…」「出費が痛いな…」って思う日本人は、私だけじゃないはず(笑)。
最近は「もうやめましょう」と、会社同士で禁止したり、個人でもやめる人が増えてるのも事実です。
でも、です。
ある年の夏、私、第二子を出産したばかりで、本当にボロボロだったんです。寝不足と疲れで、家の中もぐちゃぐちゃ。
そんな時、ピンポーンと宅配便が。
届いたのは、近所に住む、ちょっと年上のママ友からのお中元でした。
中身は、高級な「そうめん」と「めんつゆ」のセット。
その荷物を受け取った瞬間、私、泣きそうになっちゃって。
そこには、手紙も、メールも、何もありません。
ただ、「お中元」という「のし(熨斗)」が貼られた箱が届いただけ。
でも、私には、その「そうめん」がこう語りかけてくるように思えたんです。
「サチさん、赤ちゃんおめでとう。でも、毎日大変でしょ」
「暑い中、ご飯作るのもキツいよね」
「そうめんだったら、サッと茹(ゆ)でるだけで食べられるから」
「これ食べて、ちょっとは休んでね。無理しないでね」
…全部、私の**「勝手な妄想(察し)」なんですけどね(笑)。
でも、彼女は私の状況を知っていて、あえて「夏のご挨拶」という名目で、一番私が必要としている「手軽に食べられるもの」を贈ってくれた。
これが「お見舞い」だと、私は「お返ししなきゃ!」って焦っちゃう。
でも、「お中元」という「季節の挨拶」というオブラート**に包んでくれたから、私も素直に「ありがたい…」って受け取れたんです。
これぞ、言葉より重い、日本の「察して」コミュニケーションの極み!
もちろん、海外から見たら「遠回しすぎる!」「面倒くさい!」って思うかもしれません。
でも、この「直接言わない」ことで、相手に「お返しのプレッシャー」を与えないようにしたり、「(助けてあげるよ、という)恩着せがましさ」を消したりする。
そういう、超・高度な「気遣い」の文化でもあるんだな、って。
義母が毎年送っていたハムにも、「言葉にはしないけど、太郎(夫)がいつもお世話になってます。感謝してますよ」という、深い深い「察して」の心が込められていたんだなと、今ならわかります。
海外で生活していると、こういう「儀礼的な風習」って、日本よりずっと少ないかもしれないですよね。
感謝はハグで。お祝いはカードで。もっとシンプルで、ストレートかもしれない。
どっちが良いとか悪いとかじゃなく、感謝の「表現方法」がこんなに違う。
この「お中元・お歳暮」文化は、まさに日本人の「人生観」や「人付き合いの知恵」が凝縮された、一つの「儀式(Ritual)」なんだと思います。
さて、こんな「察して」文化の中で育った私(サチ)が、いざ海外の「ストレートな感謝」の文化に飛び込むと、どうなると思いますか?
次回(転)は、私が留学中にやらかした、感謝の「大失敗」エピソードと、この「察して」文化が、海外で「えっ!?」と誤解されてしまった、ちょっとヒヤッとするお話をしたいと思います。
文化の違いって、本当に面白いけど、時には怖い(!?)ですよね。
お楽しみに!
「ありがとう」が言えない私。異文化の壁にぶつかって見えた本当の共感
(前回からの続き)
「察して」の文化。
「すみません」に隠された感謝。
「お中元」に込められたエール。
これらは、確かに美しい日本の文化です。でも、もし、この**「日本式の感謝」**を、そのまま海外に持っていったら、どうなると思いますか?
…はい。
今日は、皆さんのご想像通り、この「察して」文化の中で生きてきた私(サチ)が、海外で盛大にやらかした**「感謝の大失敗」**について、白状したいと思います(笑)。
今思い出しても、顔から火が出るくらい恥ずかしい…。
あれは、私がまだ独身で、カナダに短期留学していた時のことです。
私は、とっても親切なホストファミリーのお家に、お世話になっていました。ホストマザーのキャロル、ホストファーザーのマイク、そして小学生の娘さんが二人。
みんな、本当に私を家族のように迎えてくれて、毎日が楽しくて仕方がなかったんです。
私は、この溢れる「感謝」を、どうにかして伝えたい!と思いました。
でも、当時の私は、英語も拙(つたな)いし、何より「Thank you!」って毎日言うだけじゃ、この「深い感謝」は伝わらない気がしたんです。
(だって、日本で育った私にとって、言葉はちょっと「軽い」もの、という感覚があったから…)
そこで、私が取った行動は…。
そう、**「日本(サチの義母)式・察して感謝術」**です!
- みんなが寝ている早朝に起きて、キッチンのシンクをピカピカに磨き上げる。
- ホストファミリーが脱ぎっぱなしにした洗濯物を、こっそり畳んでおく。
- キャロルが作ってくれた夕食の後は、誰よりも早く食器を片付け、食洗機に入れる。
私は、義母が私に「生姜湯」をそっと置いてくれたように、
ママ友が私に「そうめん」を贈ってくれたように、
**「言葉にはしないけど、行動で示す」**ことこそ、最大の感謝だ!と信じて疑いませんでした。
(あぁ、あの時の私に「それはローカルルールだ!」って言ってあげたい…)
私は、内心(キャロル、気づいてくれるかな…? 私の感謝、”察して”くれるかな…?)と、ワクワクしていました。
でも…。
私の「感謝」を受け取ったキャロルの反応は、私の予想とは全く違うものでした。
ある日の午後、キャロルが、ちょっと困ったような、心配そうな顔で私に話しかけてきたんです。
「サチ…ちょっといい?」
「(ドキッ)はい、なんでしょう?」
「あのね、サチ。あなたはゲストなのよ。そんなに毎日、朝早くから掃除したり、洗濯物を畳んだりしなくていいのよ」
「えっ、あ、でも、私は…」
私は「感謝してるから!」と言いたかった。
でも、キャロルは、さらに心配そうに続けました。
「もしかして…うちでの生活が楽しくない? ホームシックになっちゃったの?」
(ガ——————ン!!!)
頭を金槌(かなづち)で殴られたような衝撃でした。
「た、楽しいです! すごく楽しい!」
「でも、サチはいつも静かに家のことばかりやってる…。私たちは、もっとサチにリラックスしてほしいのよ。あなた、何か不満があるんじゃないかって、マイクも心配してたわ」
…信じられますか?
私が「最大の感謝(ありがとう)」のつもりでやっていた「察して」の行動は、
彼らには「不満」「不安」「ホームシック」のサインとして、180度、真逆に伝わっていたんです。
「(掃除をしてくれて)ありがとう」どころか、「(心配させて)ごめんなさい」の世界。
私の「生姜湯」は、カナダでは「心配のタネ」にしかならなかった…。
これが、私が体験した**「感謝のすれ違い」**です。
「文化が違う」って、こういうことなんだ、と、この時ほど痛感したことはありません。
そして、この「すれ違い」は、これだけじゃなかったんです。
私、実は、キャロルたちに対しても、失礼な「誤解」をしていました。
(キャロル、本当にごめんなさい…!)
私を混乱させていたのは、彼らの「Thank you」の軽さでした。
カナダの生活では、とにかく「Thank you」が飛び交います。
朝、「Good morning!」「Thank you!」
パンを渡して、「Here you go.」「Thank you!」
ドアを開けてくれて、「Thank you!」
バスを降りる時も、運転手さんに「Thank you!」
日本人からすると、「え、そんなことでも『ありがとう』って言うの!?」っていうくらい、1日100回くらい「Thank you」を聞くんです。
私の「察して」文化で育った感覚からすると、正直、この「軽いThank you」が、どうにも**「薄っぺらく」**感じてしまったんです。
(こんなに連発する「ありがとう」って、本当の感謝なの?)
(「お歳暮」に込めるような、あの「重み」が全然ないじゃない…)
ひどいですよね。
私は、自分の「モノサシ」で、彼らの文化を「薄っぺらい」と勝手にジャッジしていたんです。
私は、私の「察して」を理解してもらえないことにショックを受け、
私は、彼らの「ダイレクトな感謝」を、薄っぺらいと誤解していた。
お互いにお互いの「感謝」が、全く見えていなかった。
これこそ、「感謝レンズ」が曇りまくっていた状態です。
この「すれ違い」と「居心地の悪さ(Discomfort)」こそが、私が「感謝」ってなんだろう?と本気で考えるキッカケになりました。
「察して」も「Thank you」も、どっちも「ありがとう」のはずなのに。
どうして、こんなにすれ違っちゃうんだろう?
「察して」文化で育った日本人の私が、この「Thank you」だらけの世界で生きていくには、どうしたらいいんだろう?
私は、この「すれ違い」という、とても居心地の悪い場所で、自分だけの「答え」を探し始めることになりました。
次回(結)は、そんな「どん底のすれ違い」を経験した私が、どうやって自分なりの**「グローバル感謝レンズ」**を育てていったのか。
そして、その「レンズ」を手に入れたことで、皮肉なことに、あの「察して」の達人である義母との関係まで変わっていった(!?)という、私の「人生術」について、お話ししたいと思います。
あなただけの「感謝レンズ」を育てよう。日常に隠れた「ありがとう」を見つける旅
(前回からの続き)
キャロル(ホストマザー)に「ホームシックなの?」と心配され、私はパニックになりながら、拙(つたな)い英語で必死に弁解しました。
「No! No! I’m so happy!(違います! すごく幸せです!)」
「I am…えーっと…Thank you! だから、だから、Cleaning!(感謝してるから、掃除を…!)」
もう、文法も何もあったもんじゃありません(笑)。
私の必死の剣幕に、キャロルはきょとんとしていましたが、やがて「オー、サチ…!」と、私を優しくハグしてくれました。
この「すれ違い事件」の後、私は自分の部屋で考え込みました。
(私の「察して」は、ここでは通じない)
(私の「モノサシ」は、日本のローカルルールでしかない)
(じゃあ、どうしたら伝わるの?)
そして、私は、まず**「自分の当たり前」を捨てることから始めました。
これが、私が今も実践している「グローバル感謝レンズ」**の育て方の、第一歩です。
皆さんに、私が見つけた「レンズの育て方」を3つ、シェアさせてください。
🔰 サチ流「グローバル感謝レンズ」の育て方 3つのヒント
ヒント1:「Thank you」を「ありがとう」と訳すのを、やめる。
まず、私がやったのは、これです。
私たちは、学校で「Thank you = ありがとう」と習いますよね。
でも、これが「誤解」の始まりだったんです。
カナダの「Thank you」は、日本の「ありがとう」とは、重さも、使う場面も、全然違う飲み物でした(お茶とコーラくらい違う!)。
日本で私が使っていた「ありがとう」は、相手に「手間をかけさせた」という「すみません」のニュアンスを含んだ、ちょっと「重たい」言葉でした。だから、連発できなかった。
でも、彼らの「Thank you」は、もっと「呼吸」に近い。
「あなたが今、私のためにパンを取ってくれた事実を、私は認識しましたよ!」
「あなたがバスの運転をしてくれたおかげで、私はここに時間通りに着きましたよ!」
という、**「ポジティブな事実確認」であり、「コミュニケーションの潤滑油」**だったんです。
そこに「重さ」や「申し訳なさ」はない。
だから、私がまずやったこと。
それは、彼らの「Thank you」を、いちいち日本の「ありがとう(重)」に翻訳して、「薄っぺらい」とか「軽い」とかジャッジするのを、完全にやめました。
「Thank you」は「Thank you」という、カナダの文化。
ただ、それだけ。
そう思ったら、すごく心が軽くなったんです。
ヒント2:相手の「感謝の儀式(Ritual)」を、徹底的に観察する。
じゃあ、彼らにとっての「本当の感謝」って、どういう形をしてるんだろう?
私は、ホームシックと誤解された「掃除(行動)」の代わりに、「観察(Observing)」を始めました。
(まさに、フックで書いた「Observing customs」ですね!)
キャロルたちは、どうやってお互いに感謝を伝えてる?
- マイク(父)が車で学校に送ってくれると、娘たちは降りる時に必ず「Thanks, Dad! Love you!」と**「言葉」**にする。
- キャロル(母)が夕食を作ると、みんなで「Yummy! This is great, Mom!(美味しい!最高だよ!)」と、**「言葉」**で具体的に褒める。
- 私が拙い英語で何かを話すと、キャロルは必ず私の目を見て、頷きながら最後まで聞いてくれる(Active listening)。
そう。
彼らにとっての「感謝の儀式」は、私の得意な「察しての行動」ではなく、
**「(1)目を見て、(2)言葉にして、(3)笑顔やハグで伝える」**ことだったんです。
ヒント3:恥を捨てて、「相手の儀式」を丸ごとマネしてみる。
観察して、わかった。
でも、日本人の私にとって、これを実行するのは、めちゃくちゃハードルが高かった!
「Love you!」なんて家族にも言ったことないし!
「Yummy!(美味しい!)」って大声で言うのも、なんか大袈裟で恥ずかしい!
でも、「ホームシック」に間違われるよりはマシだ!
私は、恥を捨てました。
朝起きたら、まずキャロルとマイクの目を見て、「Good morning!」
パンを取ってもらったら、大袈裟なくらい「Thank you!」
夕食を食べたら、「Carol, This is so yummy!(キャロル、これ、すっごく美味しい!)」
最初は、ロボットみたいにぎこちなかったと思います(笑)。
でも、私が「言葉」にするたびに、キャロルもマイクも、本当に嬉しそうに「You’re welcome!」って笑ってくれるんです。
この時、私は、あの「すれ違い」の夜に言えなかった、本当の感謝を伝えることができました。
「私は、あなたたちの家族になれて、本当に幸せです。いつもありがとう」と。
もちろん、ハグ付きで。
私の「察して(掃除)」は伝わらなかったけど、私の「たどたどしい言葉(Thank you)」は、ちゃんと伝わったんです。
【結果】私の世界は、どう変わったか?(個人の成長と共感)
この「グローバル感謝レンズ」を手に入れて、カナダでの生活が劇的に楽しくなったのは、言うまでもありません。
「Thank you」を連発することに、何の抵抗もなくなりました。
それは、私が「薄っぺらく」なったんじゃなくて、「共感の引き出し」が増えたってことでした。
そして、面白いのは、ここからです。
この「レンズ」を持って日本に帰国したら、なんと、あの**「察して」の達人である義母との関係**まで、劇的に変わったんです!
以前の私は、義母が「言葉」で感謝してくれないことに、ちょっと寂しさを感じていました。
義母がそっと置いてくれる「生姜湯」や「ピカピカのお風呂」を、「ありがたいな」と思いつつも、どこかで「察する」ことに疲れてもいたんです。
でも、カナダで「言葉にする」大切さを学んだ私は、自分から変わってみることにしました。
義母が、例の「生姜湯」を置いてくれた翌朝。
私は、義母のところに行って、ちゃんと目を見て、こう言いました。
「お義母さん。昨日の生姜湯、本当に美味しかったです。すっごく温まりました。ありがとうございました!」
義母は、一瞬「えっ!?」と驚いた顔をしました。
たぶん、義母の「察して」文化圏では、あの生姜湯は「ありがとう」という言葉を必要としない、暗黙のやりとりだったから。
でも、私は続けました。
煮物を作ってもらったら、「お義母さん、この煮物、味が染みてて最高です! いつもありがとうございます!」
子供の面倒を見てもらったら、「おかげで助かりました! 本当にありがとう!」
カナダで覚えた「Yummy!」や「Thank you!」のノリを、全部、義母にぶつけてみたんです(笑)。
最初は、
「あら…そう…(照)」
と、戸惑っていた義母。
「察して」の達人は、「言葉」でストレートに感謝されることに、慣れていなかったんですね。
でも、私がそれを続けるうちに、義母も少しずつ変わっていったんです。
「サチさん、この前のおかず、太郎(夫)も喜んでたわよ。ありがとうね」
「サチさんも、いつもお仕事と家事、お疲れ様」
…義母が、「言葉」で返してくれた…!!!
あの「察して」の義母が、私に「ありがとう」と「お疲れ様」を、言葉にしてくれたんです。
義母が、私の「ありがとう」の儀式(言葉にする)に、合わせてくれた。
この時、私は確信しました。
「グローバル感謝レンズ」って、海外で生活するためだけのツールじゃない。
育った文化が違う人(それは外国人に限らず、義母だって「違う文化」の人!)と、心地よく生きていくための「人生術」なんだって。
「察して」の文化も、もちろん素敵です。
でも、その「察して」に、ほんの少し「言葉」をプラスするだけで、
「ストレートな感謝」の文化に、ほんの少し「行動(生姜湯)」をプラスするだけで、
私たちの世界は、もっともっと豊かに、温かくなる。
海外で暮らしていると、きっとたくさんの「すれ違い」や「居心地の悪さ」にぶつかると思います。
でも、それは、あなたの「感謝レンズ」をアップデートする、最高のチャンスです。
ぜひ、皆さんも、周りの人の「ありがとう」の形を、今日はちょっとだけ「観察」してみませんか?
きっと、そこには「Thank you」でも「すみません」でもない、その人だけの温かい「感謝」が隠れているはずですから。

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