止まらない通知、見えないタスク。日本在住主婦が明かす「現代ストレス」の正体と、暮らしの「お休み」のさせ方

なんだか、ずっと忙しい?「現代型ストレス」の正体】

皆さん、朝、何で起きていますか?

昔ながらのジリリリ!と鳴る目覚まし時計?それとも、小鳥のさえずり…?

私は、残念ながら(?)スマホのアラームです。ピピピ、という無機質な音で一日がスタートします。

そして、アラームを止めるためにスマホを手に取った瞬間、もう「 mayhem(メイヘム)=大混乱」の始まりです。

画面には、寝ている間に届いた通知がズラリ。

LINEの通知、ニュース速報、天気予報、X(旧Twitter)のトレンド、Instagramのおすすめリール、そして…来ました。学校の「連絡網アプリ」からの通知。

「本日、〇年生は体操着(たいそうぎ)が必要です」

「PTA役員会の日程調整のお願い」

ああ、そうだった。今日は長男が体操着の日だ。

慌ててベッドから飛び起きて、リビングに向かいながら、今度は夫のスマホが「ピコン!」と鳴るのが聞こえます。会社からの緊急連絡でしょうか。

海外にお住まいの方から見ると、「日本人は働きすぎ(ワーカホリック)」というイメージが強いかもしれません。

満員電車に揺られて、夜遅くまでオフィスで働く…。それはもちろん、今も根強く残る日本の「ストレス」の一つの姿です。

でも、今日私がお話ししたいのは、そういう「わかりやすいストレス」とはちょっと違う、もっと静かに、でも確実に私たちの日常に忍び寄っている「現代型ストレス」についてなんです。

それは、私のような「主婦」の生活にも、深く、深く入り込んでいます。

例えば、先ほどの「通知」。

私が子どもの頃、母がやっていた「主婦の仕事」は、もっとアナログでした。ご近所さんとの連絡は、家の前で会ったときの「立ち話」か、黒電話。学校からの連絡は、わら半紙(!)に印刷された「おたより」。

それが今、どうでしょう。

学校の連絡はアプリ。

PTAの連絡は専用のLINEグループ。

子どもの習い事のスケジュール調整も、ママ友同士のチャット。

さらに、住んでいる地域の「町内会(ちょうないかい)」からのお知らせは、また別のメーリングリスト…。

これらすべてが、さっき言った「スマホ」という一つの小さな箱に、24時間365日、お構いなしに飛び込んでくるんです。

もちろん、すごく便利になりました。

わざわざ学校まで行かなくても、プリントを無くしても、スマホ一つで情報が手に入る。海外の家族とも、時差さえ気にしなければ、いつでも顔を見て話せる。

でも…便利さと引き換えに、私たちは「オフライン」になる時間を失ってしまったんじゃないか。

そんな気がしてならないんです。

フック(きっかけ)でお見せした「絶え間ない通知、混雑した通勤、厳しい締め切り」。

これを、私(日本在M主婦)の日常に置き換えてみると、こうなります。

1. 絶え間ない通知(Endless notifications)

これはもう、先ほどお話しした通り。

恐ろしいのは、「仕事の通知」と「プライベートの通知」の境界線が完全に消え去ったことです。

朝、家族の朝食を作っている最中に「ピコン!」(PTAの連絡)。

子どもと公園で遊んでいる最中に「ピコン!」(スーパーの特売情報)。

夜、やっと一息ついてお風呂に入ろうとした瞬間に「ピコン!」(明日の習い事の集合場所変更)。

そのたびに、思考が中断される。

「あ、返信しなきゃ」「あ、覚えておかなきゃ」

この小さな「あ、」の積み重ねが、脳をじわじわと疲れさせていく感じ。

これ、海外で子育てしている皆さんも、きっと同じですよね…?

2. 混雑した通勤(Crowded commutes)

私は幸い、毎日あの悪名高い「満員電車」に乗っているわけではありません。

でも、朝、夫を「いってらっしゃい」と玄関で見送るとき、彼の少し強張った顔を見ると、「ああ、これから戦場(いくさば)に行くんだな」と、私までキュッと身が引き締まる思いがします。

そして、私にとっての「混雑した通勤」は、夕方のスーパーです。

特に、雨の日や給料日後の週末。

カート同士がぶつかり合い、タイムセールの声が響き渡り、レジには長蛇の列。

「早くしないと夕飯の準備が間に合わない」

「あ、〇〇が安いけど、こっちのメーカーの方がいい?」

「ポイントカードは…あ、スマホのアプリ開かなきゃ!」

情報、情報、情報。

選択、選択、選択。

スーパーでの買い物は、私にとって静かな「戦い」です。

ただ食材を買いに行くだけなのに、店を出る頃には、なぜかぐったりと疲れている。

この感覚、わかってくれる方、いませんか?

3. 厳しい締め切り(Demanding deadlines)

会社員じゃなくても、「締め切り」はあります。

主婦の仕事は、「見えないタスク」と「見えない締め切り」の連続です。

・朝食、昼食(お弁当)、夕食の「締め切り」。

・子どもの「お風呂の時間」と「寝る時間」の「締め切り」。

・「今週中」に出さなければいけない学校の書類。

・「今日中」に振り込まないといけない習い事の月謝。

・「季節が変わる前」にやっておきたい、衣替え(ころもがえ)。

一つ一つは小さなこと。

でも、これが365日、途切れることなく続く。

しかも、会社員と違って「納期に間に合わせました、お疲れ様!」と誰かが評価してくれるわけでもない。達成感よりも、「ああ、明日もこれが続くんだな」という、静かな疲労感だけが残ることも。

フックには「従来のストレス解消法は、今日の超接続社会ではしばしば役に立たない」とありました。

まさに、その通りだと感じています。

日本には、昔から素晴らしいストレス解消法がたくさんあります。

ゆっくりとお風呂に浸かる(湯治:とうじ)、

緑茶を静かに淹(い)れる(茶道:さどう)、

季節の花を愛でる(華道:かどう、お花見)。

私も、毎晩お風呂に浸かるのは大好きです。

でも…

湯船に浸かりながら、結局スマホをチェックしてしまったり。

お茶を飲んでいても、頭の中では「明日の夕飯、何にしよう…」と考えていたり。

体が「オフ」になっていても、脳が「オン」のまま。

これが、「現代型ストレス」のいちばん厄介なところだと思うんです。

私たちは、気づかないうちに「慢性的なストレス」に蝕まれているのかもしれない。

いつもどこかピリピリしている。

ちょっとしたことでイライラしてしまう。

夜、ぐっすり眠れない。

肩はいつもガチガチ。

これって、ただ「疲れている」だけなんでしょうか?

それとも、この「大混乱(Mayhem)」の時代を生きる私たちにとって、避けられない「新しい病」なんでしょうか。

…と、ここまで書いたら、なんだかすごく暗い話になってしまいましたね(汗)

でも、大丈夫です。

このブログは、ただ「大変だー!」と叫ぶだけでは終わりません。

この「現代型ストレス」だらけの日本で、一人の主婦として毎日を暮らす中で、

「あれ?これって、もしかして昔の人の知恵なんじゃない?」

「この考え方、ちょっと楽になるかも」

と気づいたことが、たくさんあるんです。

それは、大掛かりな「禅の修行」とか、高尚な「哲学」とかではありません。

もっと日常的な、例えば「台所の片付け方」だったり、「ご近所さんとのおしゃべり」だったり、「子どもの叱り方」だったり。

このどうしようもなく忙しい「現代」だからこそ、日本の暮らしに昔から根付いている「小さな知恵」や「人生観」が、私たちを救ってくれるヒントになるんじゃないか。

私は、そう信じています。

お風呂に入っても、脳が休まらない?「気疲れ」の正体】

前の記事(【起】の部分)で、「伝統的なストレス解消法が効かない」という話をしました。

その象徴が、私にとって「お風呂」なんです。

日本に住んでいると、お風呂は単に体の汚れを落とす場所ではありません。

「湯船(ゆぶね)に浸(つ)かる」という行為は、一日をリセットし、「ふぅ」と息を吐いて心身の疲れを癒やす、大切な「儀式」のようなものです。海外にお住まいの皆さんも、あの熱いお湯が恋しくなることがありませんか?

私も、もちろん毎晩、湯船に浸かります。

ラベンダーの香りの入浴剤なんか入れちゃったりして。

「あ〜、極楽、ごくらく…」

と、体が温まって、筋肉がほぐれていくのが分かります。

…でも、その時。

私の「脳」は、何を考えているか。

(あ、明日の朝、ゴミ出しの日だ)

(そういえば、子どもの上履き、洗ってない)

(PTAのLINE、Aさんだけ返信ないけど、どうしたんだろう)

(晩ごはん、ちょっと塩辛かったかな。夫、何も言わなかったけど)

(ていうか、この入浴剤、もうすぐなくなる。Amazonでポチらないと…)

…はい。

お察しの通り、体は「オフライン」でリラックスしているつもりなのに、脳だけは「オンライン」でフル回転。

タスクリストの確認、対人関係のシミュレーション、明日の段取り…。

まさに、フックにあった「超接続社会(hyper-connected world)」から、お風呂の中にまで逃れられていないんです。

これって、なんなんだろう?

この、ずーっと頭の片隅がザワザワしている感じ。

「ストレス」という言葉で片付けるには、あまりにも地味で、でも、しつこい。

この正体こそが、日本人が昔からとても敏感に感じ取ってきた、**「気疲れ(きづかれ)」**なんじゃないか。

私は最近、そう強く思うようになりました。

海外の皆さんに、この「気疲れ」のニュアンス、伝わるでしょうか。

日本語には「気(Ki)」という言葉を使った表現が、本当にたくさんあります。

  • 元気(Gen-ki):健康なこと。元の「気」。
  • 天気(Ten-ki):空模様。天の「気」。
  • 気持ち(Ki-mochi):「気」を持つこと。フィーリング。
  • 気をつける(Ki-o-tsukeru):注意すること。「気」を(そこへ)付ける。
  • 気が利く(Ki-ga-kiku):配慮ができること。「気」が(そこへ)効く。
  • 気になる(Ki-ni-naru):心配だ、関心がある。「気」が(そこへ)在る。

「気」というのは、西洋医学でいう「エネルギー」とも、心理学でいう「アテンション(注意)」とも少し違う、もっと曖昧で、でも私たちの生活に深く根付いている「意識の流れ」のようなもの、と私は解釈しています。

そして、「気疲れ」とは、文字通り、その「気」が疲れてしまうこと。

「肉体疲労(にくたいひろう)」は、体を動かして疲れること。

例えば、運動会で思いっきり走ったり、大掃除で窓を全部拭いたりした後。これは、疲れているけれど、どこかスッキリしていて、夜もぐっすり眠れます。

でも、「気疲れ」は違います。

体は動かしていないのに、どっと疲れている。

「気」を、あちこちに使いすぎた結果、消耗してしまっている状態です。

では、私たち日本の主婦は、日常生活で、どこにそんなに「気」を使っているんでしょうか。

それはもう、朝から晩まで、全方位です。

1. 「見えないタスク」への気配り

これは、世界中の「家事育児をメインで担当する人」に共通する「メンタルロード」と呼ばれるものに近いかもしれません。

でも、日本の場合、そこに「先読み」や「配慮」という、独特の「気配り(きくばり)」が強く求められる気がします。

  • 家族が「お腹すいた」と言う前に、献立を考え、冷蔵庫の中身と格闘する。
  • 家族が「寒い」と言う前に、気温をチェックして、厚手の布団を出しておく。
  • 子どもが「あれ忘れた」とパニックになる前に、学校の持ち物を先回りしてチェックする。
  • 夫が機嫌よく仕事に行けるよう、彼の「気」の状態を朝の表情で察知する。
  • トイレットペーパーが、シャンプーが、味噌が、「なくなる直前」で補充する。

これらすべて、「言われてから」やってもいいんです。

でも、日本の主婦(私だけ?)は、なぜか「言われる前に」やろうとしてしまう。

それは、家族の「気」を乱したくないから。スムーズな日常という「空気」を守りたいから。

そのために、自分の「気」をアンテナのように360度、常に張り巡らせているんです。

2. 「人間関係」への気配り(=空気を読む)

そして、これが「気疲れ」の最大の要因かもしれません。

日本特有のコミュニケーション、「空気を読む(くうきをよむ)」です。

「起」でも書いた「PTAのLINEグループ」。

これが、現代の「気疲れ」の象徴的な場所です。

「今度の土曜日、公園掃除の出欠確認です」

という連絡が、リーダーのAさんから入ったとします。

さあ、ここから「気疲れ」の始まりです。

  • (すぐ返信したら、「暇な人」って思われる?)
  • (でも、返信が遅いと、「見てない」って思われる?)
  • (「行けます!」だけだと、冷たい?)
  • (「行けます!いつもありがとうございます😊」…この絵文字、ちょっと馴れ馴れしい?)
  • (BさんとCさんは「既読」がついてるのに、まだ返信してない。様子見かな…)
  • (あ、Dさんが「その日は子どもの習い事で行けません、すみません😭」と返信した。ああ、行けない理由も書くべき?)

…どうですか?

たかが「出欠確認」一つで、これだけの「気」が使われているんです。

誰も、私に「今すぐ返信しろ」とも「絵文字をつけろ」とも言っていない。

でも、その場の「空気」を読み、調和(ハーモニー)を乱さないよう、無意識に、膨大な「気」を消費している。

これ、海外の(特に欧米の)合理的なコミュニケーションに慣れている方から見たら、「考えすぎ!」「バカみたい!」と思うかもしれません。

でも、これが「和(わ)を以て貴しとなす」国、日本のリアルです。

3. 「情報」への気配り

そして、現代ならではの「気疲れ」が、これ。

「起」で書いた、スーパーでの買い物もそうです。

  • Aスーパーの「ポイント5倍デー」は今日。
  • Bドラッグストアの「トイレットペーパー特売」は明日。
  • C店で配っていた「10%オフクーポン」の期限は今週中。
  • 新発売の「〇〇(健康食品)」、本当に体にいいの? ネットの口コミは?
  • 子どもが欲しがってるゲーム、中古で探した方がいい?

情報が多すぎるんです。

選択肢が、多すぎるんです。

「より良く」「より安く」「より正しく」あろうとして、「気」が情報の大海原で遭難してしまっている。

お風呂に浸かりながら、私が考えていたこと。

(ゴミ出し、上履き、PTA、晩ごはん、入浴剤…)

これ、全部「気疲れ」のタネですよね。

体が疲れているなら、休めば治る。

でも、「気」が疲れている時は、ただ休んでも治らない。

なぜなら、休んでいる間も、脳が「気」を使い続けているから。

伝統的な日本の癒し(お風呂、お茶、温泉)は、素晴らしいものです。

でも、それは「アナログな時代の疲れ」を癒やすためのものだったのかもしれない。

スマホという「無限の気疲れ発生装置」を24時間手に持ってしまった私たち。

肉体疲労とは比べ物にならない、この静かで、しつこい「気疲れ」という病。

じゃあ、どうすればいいの?

「気」を使わずに、日本で生きていくなんて無理。

スマホを捨てる? PTAを辞める?

…いいえ、そういう「極端な」話ではありません。

スマホを置いたら、見えてきたもの。「あえて何もしない」という知恵】

さて、「気疲れ」まみれの毎日。

体がだるい、頭が重い、ささいなことでイライラする…。

この状態から抜け出したくて、私もいろいろ試したんです。

それこそ、「ストレスに効く!」と言われるものを、片っ端から。

アロマオイルを焚(た)いてみたり、

「癒やし」の音楽をかけてみたり、

流行(はや)りのヨガの動画を見て、5分で挫折してみたり(笑)。

近所のカフェで、ちょっとお高いコーヒーを飲んでみたり。

でも…どれも、その場しのぎ。

カフェで「ふぅ」と一息ついていても、結局スマホでPTAの返信をチェックしている自分に気づく。

アロマの香りに癒やされながら、頭の中では「今晩の献立」を検索している。

「あぁ、もう! ダメだこりゃ!」

と、ある日、ぷつんと何かが切れました。

そして、思ったんです。

私、間違っていたかもしれない。

「気疲れ」しているのに、そこから回復するために、さらに「何かを足す(add)」ことばかり考えていた。

ヨガを「足す」。アロマを「足す」。カフェタイムを「足す」。

でも、私の脳は、もうパンパンなんです。

これ以上、何かを「足す」余裕なんて、どこにもない。

じゃあ、どうする?

答えは、逆でした。

「足す」のではなく、「引く(subtract)」。

これこそが、この「超接続社会(hyper-connected world)」の大混乱(Mayhem)から、自分の「気」を守る、たった一つの方法なんじゃないか。

そう気づいたんです。

そして、この「引く」という考え方こそ、実はとても日本的な「知恵」だったんです。

皆さんは、**「余白の美(よはくのび)」**という言葉を聞いたことがありますか?

日本の絵画(水墨画:すいぼくが など)や、書道、ポスターデザインなんかでよく使われる言葉です。

紙の端から端まで、ビッシリと何かを描き込む西洋の絵画とは対照的に、日本の作品は、意図的に「何も描かれていない部分」=「余白」を多く残します。

でも、その「余白」は、単なる「空白(ブランク)」ではありません。

その「何もなさ」が、かえって見る人の想像力をかき立て、描かれているものの存在感を際立たせる。

「余白」こそが、作品の「主役」になることさえある。

もう一つ、**「間(ま)」**という感覚もあります。

音楽における、音と音の「間」(休符)。

演劇における、セリフとセリフの「間」(沈黙)。

建築における、柱と柱の「間」(空間)。

日本人は、モノとモノが「詰まっている」状態をあまり良しとせず、そこに適切な「間」があることを「美しい」「心地よい」と感じてきた文化があります。

私は、この「余白」と「間」こそが、「気疲れ」した現代の私たちを救うヒントだ!と直感しました。

私のパンパンになった脳に、今必要なのは「アロマ」や「ヨガ」という新しいタスクではなく、「余白」と「間」なんだ、と。

そうと決まれば、さっそく「実体験」です。

とはいえ、いきなり「スマホを捨てます!」みたいな大それたことはできません。

(PTAからも町内会からも、即、捜索願が出されます…笑)

私が始めたのは、ごくごく小さな「引き算」でした。

■ 私の「主婦的デジタルデトックス」3つの実践

1.「湯船」は聖域(サンクチュアリ)である。

まず、一番の問題だった「お風呂」から。

「お風呂にスマホを持ち込まない」

たったこれだけです。

「え、当たり前でしょ」と思う方もいるかもしれませんが、「起」で書いた「通知」が気になって、防水ケースに入れて持ち込んでいた時期も、恥ずかしながら、ありました。

それを、キッパリやめた。

スマホは、脱衣所の、手が届かない場所に裏返して置いていく。

最初の2〜3日は、正直、ソワソワしました。

(ピコン!って鳴ってるかも…)

(夫から「帰るコール」かも…)

「気」が、スマホに残っているんです。

でも、4日目くらいから、変化が訪れました。

「シーン…」

お風呂場に響くのは、お湯が「チャポン」と揺れる音と、自分の「ふぅ」というため息だけ。

他に、情報が何もない。

やることが、何もない。

そのとき、初めて、私の脳が「あ、今、休んでいいんだ」と理解した気がしました。

これが、「余白」か…!

頭が空っぽになるって、こういうことか!

私は、この「何もない」時間を取り戻すために、今日一日、家事と育児を頑張ってきたんだ。

そう思えたら、体の芯から、本当に「気」が回復していくのが分かりました。

2.「通知」は、私(わたくし)が選ぶ。

次に、あの憎き(?)「通知」です。

もちろん、学校の緊急連絡網とか、夫からの「子ども熱出た」みたいな重要なものは、オフにできません。

でも、それ以外、全部オフにしました。

  • LINEニュース
  • ドラッグストアの特売情報
  • インスタの「いいね!」
  • ネットショッピングのおすすめ
  • そして…PTAやママ友の「即レスしなくても、たぶん大丈夫」なグループLINE

これも、最初は怖かった。

「情報に乗り遅れるんじゃないか」

「感じ悪いって思われるんじゃないか」

でも、気づいたんです。

私が「既読」をつけなくても、世界は回る。

PTAの「公園掃除、行けます!」の返信は、朝のバタバタが終わった「午前10時」にまとめて返信する、と自分で「間」を決めた。

スーパーの特売情報は、スーパーに行く直前に、自分から「見に行く」。

通知に「振り回される」のではなく、私(主婦)が、情報を「見に行く」という、主導権を取り戻す。

これだけで、「気」が散らされる回数が、10分の1くらいに激減しました。

3.家事に「間(ま)」をつくる。

「承」で書いた、夕方のスーパーでの「情報戦」や、家での「マルチタスク」。

あれも、「気疲れ」の大きな原因でした。

これも、「引く」ことにしました。

具体的には、「ながら作業」をやめたんです。

  • 料理中は、料理のことだけ考える。(今までは、料理しながら明日の学校のプリントを読んでいた)
  • 洗濯物をたたむ時は、たたむことだけに集中する。(今までは、たたみながらテレビのニュースを見て、ザワザワしていた)
  • 子どもの話を「うんうん」と(スマホ見ながら)聞くのをやめて、手を止めて、目を見て聞く。

一見、効率が悪くなったように見えますよね?

私もそう思いました。

でも、違ったんです。

料理に集中すると、不思議と「あ、この野菜、こんな色だったんだ」とか「この匂い、いいな」とか、五感が研ぎ澄まされてくる。

洗濯物を丁寧にたたむと、それだけで心が「整う」感覚がある。

子どもの話をちゃんと聞くと、子どもが(そして私も)すごく満足して、その後の「ママ、ママ!」が減ったりする。

一つ一つの家事に「間」を作ることで、タスクが「作業」から「暮らし」に変わっていく。

そんな不思議な感覚でした。

「スマホを置く」

「通知を切る」

「目の前のことだけ、やる」

私がやったのは、この3つの「引き算」だけです。

でも、これを続けただけで、私の日常は劇的に変わりました。

「余白」ができたことで、パンパンだった脳に、新しい「気」が流れ込むスペースができた。

「間」ができたことで、消耗し続けていた「気」が、回復する時間ができた。

ストレスを解消するために、何か特別なことを「足す」必要はなかったんです。

むしろ、この情報過多な時代だからこそ、意識的に「引く」こと。

「あえて何もしない」という「余白」を、自分の生活の中にデザインすること。

それこそが、日本人が古来から知っていた、この「大混乱(Mayhem)」の時代を生き抜くための、最強の「人生術」だったんだ。

私は、そう確信しています。

大混乱(Mayhem)の真ん中で、自分の「機嫌」をとる方法】

「スマホをお風呂に持ち込まない」

「ムダな通知はオフにする」

「料理中は、料理に集中する」

「転」でお話しした、私なりの「余白」と「間(ま)」を取り戻すための「引き算」生活。

これを続けてみて、今、どうなったか。

結論から言うと…

もちろん、あの「大混乱(Mayhem)」が、私の生活から完全に消え去ったわけではありません。

相変わらず、朝はバタバタだし、

PTAのLINEグループは今日も活発だし(笑)、

スーパーの特売情報は、やっぱり気になっちゃう。

日本で主婦として、母として暮らしている以上、「気」を使う場面がゼロになることなんて、あり得ないんですよね。

でも、確実に変わったことがあります。

それは、パンパンだった私の脳に「余白」ができたことで、ザワザワとした「ノイズ」が減り、今まで聞こえなかった「小さな声」が聞こえるようになったことです。

例えば、

夕飯の準備中、ふと窓の外を見て、「あ、今日の夕焼け、すごくきれいだな」と感じる余裕。

子どもが、学校での出来事をたどたどしく話している時、「ふんふん」と、その言葉の奥にある「気持ち」に集中できる余裕。

そして何より、自分自身の「あ、私、今ちょっと疲れてるな」という「気」のサインに、すぐに気づけるようになりました。

「引き算」をしたことで、「気疲れ」が「疲労」に変わる前に、自分でキャッチできるようになったんです。

これって、日本に昔からある**「足るを知る(たるをしる)」**という感覚に近いのかもしれません。

仏教の言葉らしいのですが、難しく考えなくても、

「これ以上、情報を『足さ』なくても、私はもう十分、知っている」

「これ以上、モノを『足さ』なくても、今あるもので十分、幸せだ」

と、自分の「外側」に答え(=通知や情報)を求めるんじゃなくて、自分の「内側」にある「満足」に気づく、という知恵。

「余白」ができたことで、その「内なる満足」に気づきやすくなったんです。

フック(お題)には、「慢性的なストレスが、いかに私たちの心と体に影響を与えているか」とありました。

その通りだと思います。

「気疲れ」を放置していると、それはやがて「イライラ」になり、家族に当たってしまったり、自己嫌悪に陥ったり、最後には本当に体を壊してしまうかもしれない。

でも、私は「引き算」を実践する中で、もう一つ、大切な日本の「人生術」に気づきました。

それは、**「完璧(パーフェクト)を目指さない」**という、最強の知恵です。

日本には「もったいない(Mottainai)」という素晴らしい言葉があります。モノを大切にする精神ですね。

でも、私たちはいつの間にか、「時間」まで「もったいない」と思うようになってしまった。

1分1秒もムダにしたくない。

料理しながら、ニュースもチェック。

お風呂に入りながら、連絡もチェック。

(…はい、全部、昔の私です)

でも、その「完璧な時間管理」が、私たちの「気」をすり減らしていた。

だから、私は決めました。

「完璧な主婦」や「完璧な母」を目指すのを、やめる。

(そもそも、そんなもの、幻想ですよね?笑)

家事が「完璧」に終わらなくても、

情報に「完璧」に追いつけなくても、

PTAの返信が「完璧」なタイミングじゃなくても、

家族が笑っていて、私自身が「ご機嫌」なら、それで100点満点。

そうなんです。

「気疲れ」だらけのこの「大混乱(Mayhem)」の時代を生き抜く、最強の「人生術」。

それは、小難しい哲学なんかじゃなく、

「自分の機嫌(きげん)は、自分でとる」

こと。

たった、これだけなんだと思います。

私の「機嫌」をとる方法。

それは、アロマを焚くことでも、高級なコーヒーを飲むことでもなく(もちろん、それも素敵ですが!)、

「スマホを置いて、湯船に5分浸かる」という「余白」の時間であり、

「家事をしながら、好きな音楽に集中する」という「間(ま)」の時間でした。

あえて「何もしない」という「引き算」をすることが、

結果的に、私の「気」を回復させ、私の「機嫌」を良くしてくれたんです。

海外で暮らす皆さんも、きっと、日本に住む私とは違う形の「気疲れ」と戦っている毎日だと思います。

文化の違い、言葉の壁、そしてもちろん、世界共通の「スマホからの絶え間ない通知」。

でも、どんなに環境が違っても、

どんなに時代が「大混乱(Mayhem)」でも、

意識して「余白」を作り、自分の「機嫌」をとることは、きっとできるはず。

このブログが、遠い国で頑張っているあなたの「気」を、ほんの少しでも軽くするヒントになれたら、こんなに嬉しいことはありません。

さあ、今日はこの辺で。

私も、スマホをリビングに置いて、ゆっくりお風呂に入って、「ご機嫌」になってこようと思います(笑)

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

また、日本の暮らしの知恵、お届けしますね。

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