帰国ブルー?懐かしさと違和感のあいだで揺れる“日本の我が家”

はじめに

——玄関を開けた瞬間、懐かしい匂いがした。

湿った畳の香り、玄米を炊く匂い、そして母の「おかえり」の声。
空港で感じた疲れが、一気にほぐれていく。
「やっぱり日本、最高!」
そう思わず声に出して笑ってしまった。

数年ぶりの帰国。
海外生活でたまった「日本成分」を全身で浴びるように、
コンビニに寄っては「え、まだ新しいスイーツ出てるの?」と目を輝かせ、
100円ショップで「こんな便利グッズいつの間に?」と感動。
スーパーで並んだ野菜の整然とした美しさに、
「やっぱり日本の“きめ細やかさ”は世界一だよね」と思わず独り言。

夫と子どもたちも、日本に帰る飛行機の中でわくわくしていた。
「温泉行こう!」「おじいちゃんちで花火できる?」
家族みんな、心は“日本の夏休みモード”。
海外生活の疲れを癒す“ご褒美時間”が始まるはずだった。

でも、日が経つにつれて、少しずつ空気が変わっていく。
どこかで、何かが噛み合わない。

たとえば、朝。
海外ではパンとコーヒーでさっと済ませていた朝食が、
実家では「味噌汁に焼き魚、納豆、卵焼き」。
母が早起きして準備してくれるのはありがたいけど、
「ご飯多くない?」「洗い物増えるなぁ…」と、
心のどこかで“時短リズム”が乱されていく。

そして、街に出ると、目に入るのは「ルール」「マナー」「気づかい」。
スーパーでは「カートはきちんと戻してください」、
電車では「静かにお過ごしください」、
マンションでは「ごみ出しルール厳守」。
一つひとつの丁寧さに感動しつつも、
「ちょっと息苦しいかも…」と思ってしまう自分に気づく。

海外では、多少ズレていても笑って流せた。
でも日本では、「周りに合わせる」ことが当たり前。
その空気に、心がじわじわと締めつけられていく。

夜、時差ボケで寝つけず、スマホを手に取る。
SNSには、海外の友人たちが青空の下でピクニックしている写真。
「また戻りたいな…」と、胸の奥が少し痛む。

——あれ?
帰国って、もっと幸せなものじゃなかったっけ?

懐かしさに包まれていたはずの“我が家”が、
いつの間にか少し違って見える。
温かいはずの空気に、ほんの少し“違和感”が混ざり始める。

それが、“帰国ブルー”のはじまりだった。


💡ちょっとした日本的「時短術」メモ:

久しぶりの日本で生活リズムが合わないときは、
「完璧な日本の朝食」を作ろうとしないのがコツ。
例えば、冷凍味噌汁キューブや“そのまま納豆パック”を使えば、
“手抜き”じゃなく“時短の知恵”に変わる。
「朝は10分で済ませる」と決めるだけでも、
“海外リズム”と“日本リズム”のギャップをゆるやかに埋めてくれる。

2

次の日の朝、炊飯器のタイマー音で目が覚めた。
「朝ごはんできてるわよ〜」と母の声。
まだ少し眠い目をこすりながら食卓に座ると、
味噌汁の湯気がふわっと上がり、まるで実家の香りそのものだった。

けれど、そこに座った瞬間——少しだけ、居心地の悪さを感じた。

母のペースで用意された朝食。
箸の並べ方、テレビのチャンネル、食器を洗う順番。
どれも懐かしくて、でもどこか「自分の家」ではない。
海外での生活で身についた“自分流のリズム”が、ここでは浮いてしまう。

たとえば、朝食後の片づけ。
私はシンクに入れる前に、サッと紙タオルで油を拭き取る派。
でも母は「もったいない」と苦笑いしながら止める。
「日本では、そういうのは流しちゃっても大丈夫よ」
——ああ、そうだった。
日本では、水もガスも“豊かに”ある国。
海外で節約してきた感覚が、ちょっと異質に感じられる。

日中は久しぶりに街へ出る。
銀行での手続き、スーパーでの買い物、コンビニでの支払い。
どこに行っても、サービスが行き届いていて感動する反面、
“丁寧すぎて疲れる”という感覚も覚えた。

「こちら、○○ポイントはお持ちですか?」
「袋はご利用ですか?」
「お箸はお付けしますか?」
——1つ1つは親切だけど、たった5分の買い物に10分かかる。
海外ではレジでの会話なんて「Hi」「Thank you」で終わっていたのに。

そんな小さな違和感が積み重なっていく。

夜、夫と話していても、何かが噛み合わない。
「やっぱり日本は便利だね!」と彼は言う。
でも私は、心の中で少しモヤモヤしていた。
——便利なんだけど、息苦しい。
——懐かしいんだけど、自由じゃない。

子どもたちはというと、まったく違うペースで馴染んでいく。
「ママ、日本の公園ってきれい!」「トイレがすごい!」「お菓子の種類多い!」
目を輝かせてはしゃぐ姿を見て、うれしい反面、どこか取り残された気分になる。

夕食の支度をしていても、そんな感情がふと顔を出す。
母は手際よく“和食の定番”を用意してくれる。
でも私は、海外で覚えた“10分クッキング”の癖が抜けない。
「とりあえず全部オーブンに入れて終わり!」が私の時短スタイル。

だから、実家の台所で「揚げ物の衣をつける」とか「出汁をとる」とか、
その丁寧な工程を見ていると、思わずつぶやいてしまう。
「お母さん、それ、時間かかりすぎじゃない?」

母は笑って「時間をかけることも、楽しみのひとつなのよ」と言う。
だけど、私はその“余裕”をうまく取り戻せない。
時計を見るたびに、なんとなく焦ってしまう。

「せっかく帰国したのに、なんで落ち着かないんだろう?」
夜、洗面所の鏡の前でそうつぶやく。
海外では、“できるだけシンプルに生きる”ことが当たり前だった。
でも日本では、“きちんとしていないといけない”という空気がある。
その切り替えが、思っていた以上に難しい。

——帰国して一週間。
私は“日本の暮らし”に再び順応しようと必死になっていた。
朝ごはんは和定食スタイルにして、
スーパーのポイントカードもちゃんと作って、
ご近所さんには丁寧に挨拶をして。

でも、それを続けるうちに気づいた。
「日本の暮らし」に合わせようとすればするほど、
“海外で得た私らしさ”が少しずつ削られていく。

たとえば、海外で身につけた“効率優先”の時短術。
買い物リストをアプリで共有したり、
一週間分の献立をざっくり決めておいたり。
日本では「ちゃんとしてない」と見られることもあるけれど、
私にとっては、それが「家族の笑顔を守る時間の使い方」だった。

ある日、母に言われた。
「あなた、なんだかせわしないわね。もっとゆっくりすればいいのに」

その言葉に、少しカチンときた。
——ゆっくりしてる時間なんて、どこにあるの?
洗濯して、料理して、子どもの宿題見て。
“主婦の一日”は、どの国にいても目が回るほど忙しい。

でも、その夜、湯船につかりながらふと思った。
「たぶん、私は“ゆっくりする方法”を忘れていたんだ。」

海外では、“効率”がすべてだった。
けれど日本では、“手間の中に心がある”という考え方が根づいている。
それを“無駄”と思うか、“豊かさ”と感じるか。
きっとそこに、今の私の“違和感”の正体がある。

翌朝、少しだけ考え方を変えてみた。
朝食をすべて手作りする代わりに、
「メインだけ母に任せて、私は味噌汁担当」と分担。
料理中は、スマホのタイマーをセットして“15分でできる範囲”と割り切る。
完璧じゃなくてもいい。
「家族で一緒に食べる時間」があれば、それでいい。

そうすると、少しずつだけど、
“日本の暮らし”がまた心地よくなっていった。

きっと帰国ブルーって、
「どちらの国が良いか」という問題じゃなくて、
「自分がどこに立っているか」に気づくプロセスなのかもしれない。

私は、海外の効率と日本の丁寧さ、
その両方を行き来しながら、
ようやく“自分のリズム”を取り戻し始めていた。


💡ちょっとした時短の知恵:

  • 「全部自分でやらない」勇気:母や家族に“分担してもらう”ことで、心のゆとりが生まれる。
  • “15分ルール”の導入:家事も料理も、タイマーをセットして「完璧じゃなくてOK」と割り切る。
  • “やらないことリスト”を作る:たとえば「朝は掃除しない」「夜の洗濯は翌朝まわす」など、“手放す勇気”も時短の一部。

3

ある日の午後。
子どもを公園に連れて行った帰り道、
道端の金木犀の香りがふわりと鼻をくすぐった。

「あ、日本の秋だ」

その瞬間、胸の奥で何かがほどけた気がした。
海外では、季節の移ろいなんて気にする余裕もなかった。
“忙しさ”と“効率”がすべてで、
朝から晩までタスクをこなすことが、生きるリズムのすべてだった。

でも、日本に戻って初めて気づいた。
この国は、“香り”や“音”や“空気”で季節を感じる場所だということ。
金木犀、虫の声、炊き立ての新米の湯気。
どれも「丁寧に生きる」という文化の一部なんだ。

——“丁寧”って、時間をかけることだけじゃない。
“感じる余裕”を持つことなのかもしれない。

それからの私は、少しずつ意識を変えていった。
朝の味噌汁も、あえて即席ではなく、
前日の夜に昆布を水に浸しておく。
ただそれだけで、翌朝の香りがまるで違う。

「うん、この手間、悪くない」
そう思えた瞬間、どこかにあった焦りが、少し静まった。

もちろん、全部を“日本流”に戻すわけじゃない。
海外で学んだ“時短術”も、ちゃんと活かしている。
たとえば夕食づくり。
一汁三菜にこだわらず、“おかず2品+味噌汁”をルールにした。
そして週末に下味冷凍をまとめて仕込み、平日は焼くだけ。

結果的に、平日のキッチン時間が30分も短縮された。
空いた時間で子どもとトランプをしたり、
夜に少し読書をする余裕ができた。
——“時短”は、心の空白を取り戻すための手段なんだ。

気づけば、あの“帰国ブルー”の影が少しずつ薄れていった。

でも、すべてが順調だったわけじゃない。
一度、日本の社会に戻ると、
周りのスピードと「同調圧力」に圧倒される瞬間もある。

たとえば、ママ友とのランチ。
話題は子どもの習い事、学校行事、夫の会社のこと。
私は海外では、「子どものペースで育てよう」と思っていたけど、
日本では「早いうちに始めたほうがいい」「みんなやってるよ」の嵐。

最初は流されそうになったけれど、
ある日、息子がぽつりと言った。
「ママ、ぼく、また海外の学校みたいに、自分で決めたい」

——その言葉で、ハッとした。

私はいつの間にか、
“周りに合わせること”に必死になって、
自分の選択を忘れかけていた。

その夜、夫と話した。
「私たち、せっかく海外で“自分の生き方”を見つけたのに、
また“みんなと同じ”に戻ろうとしてるね」

彼も頷いた。
「うん。でも、それを気づけたのは日本に帰ってきたからだね。」

——そうか。
帰国ブルーって、単なる“カルチャーショック”じゃない。
それは、“自分をもう一度見つけ直す時間”なんだ。

そこから、私は意識して暮らしを整え始めた。

朝は5分だけベランダに出て、空気を吸う。
家事を始める前に、深呼吸して「今日もありがとう」とつぶやく。
スマホの通知を切って、1日の最初の1時間は“静かな時間”にする。

それだけで、心が驚くほど穏やかになる。
同時に、あの頃の「海外生活の自由さ」も少し取り戻せる。

たとえば洗濯。
日本では毎日洗うのが常識だけど、
私は「天気がいい日だけ」に変えた。
“頑張りすぎない暮らし”を選んでもいいじゃないか。

スーパーでも、すべてを手作りしようとせず、
「冷凍野菜」や「カット野菜」を堂々と使う。
母に「手抜きね」と笑われても、
「これは“時短の知恵”だよ」と言えるようになった。

そうやって、自分らしい“日本での暮らし方”を再設計していくうちに、
少しずつ、心が軽くなっていった。

季節は冬。
こたつに入って、みかんを食べながらテレビを見る時間が、
なぜかとても心地よく感じた。
「ここも、悪くないな」
心の中でそうつぶやいたとき、
ようやく私は、“日本のリズム”と“自分のリズム”を調和させられた気がした。

——“帰国ブルー”は、消えるものじゃない。
でも、向き合い方を変えれば、それは“新しい暮らし方”の入口になる。

私は、日本の静けさの中で、
“ちょっとした不便”や“余白”の中にこそ、
豊かさがあることを思い出した。

それはまるで、
忙しい毎日の中にふと立ち止まり、
「この瞬間を味わおう」と言ってくれるようだった。


💡暮らしの中の「心を整える時短術」:

  • “感じる時間”をスケジュールに入れる
    → 朝5分の深呼吸、夕方のティータイムを“予定”として確保する。
  • “ゆとり家事”の導入
    → 家事を“こなす”から“味わう”に変える。香りや音を意識するだけで、作業が“癒し”になる。
  • “完璧を目指さない日”をつくる
    → 週に1日は「家事を70%で終わらせる日」。残り30%は“自分のための余白”にする。

4

春の気配が近づくころ、
庭の梅がほころびはじめた。
久しぶりに、朝日が差し込むキッチンでお弁当を作っていると、
窓から入る風がやさしく頬を撫でていく。

「もうすぐ1年経つんだな」
そうつぶやいたとき、胸の奥に小さな感謝の灯がともった。

帰国したばかりの頃は、
何もかもがちょっと違って見えた。
便利すぎる社会、人の目を気にする文化、
“きちんとしなきゃ”という空気。

でも、あの違和感も今では、
「日本という国が持つリズム」の一部なんだと感じられる。

海外にいた頃の私は、
「時間は自分でコントロールするもの」だと信じていた。
だから、スケジュールを詰め込み、
家事を効率化し、
“自由”を最大化することが幸せの形だと思っていた。

でも日本に帰ってきてわかった。
この国では、“時間に流される”ことにも、
“意味”があるのかもしれない。

たとえば、スーパーでの小さな会話。
「今日は寒いですね」
「この野菜、旬なんですよ」
ほんの数秒のやりとりなのに、
そのたびに心が少しだけあたたかくなる。

効率を追い求めていた頃の私は、
こういう“ゆるやかなつながり”を
置き去りにしてきたのかもしれない。

——帰国ブルーを乗り越えるというのは、
“日本に戻ること”ではなく、
“新しい自分で、日本と向き合い直すこと”なのだと思う。

たとえば、以前は「家事=やるべきこと」だった。
でも今は、「家事=暮らしを整える時間」と考えるようになった。

料理も、掃除も、洗濯も、
ただのタスクではなく、
「今日を丁寧に過ごすためのリズム」だ。

そしてその中には、
“時短”もちゃんと生きている。
手抜きではなく、“賢い省略”。
省くことで、心の余裕が生まれる。

たとえば、
朝の味噌汁は昆布水を前夜に仕込むだけ。
夜ご飯の献立は3パターンをローテーション。
「今日はこれでいい」と言える日は、
「今日もよく頑張った」と同じくらい価値がある。

少し前まで、
私は“完璧な主婦”を目指していたのかもしれない。
でも今は、“心が満たされる主婦”でありたい。

時短と丁寧。
効率と余白。
海外と日本。

それらは相反するものではなく、
どちらも「私」を作ってくれる、大切な要素だった。

——“The Homecoming Haze”。
あのぼんやりした霧のような感覚は、
もうすっかり晴れた。

それどころか、
霧の中でしか見えなかった“自分の輪郭”が、
今ははっきりと見える気がする。

便利さの中にも、不便さの中にも、
その国ならではの美しさがある。
そして、どんな国にいても、
自分のリズムを見つけることが、
心地よく生きるいちばんのコツなんだと思う。

ある夜、子どもが寝る前に聞いてきた。
「ママ、日本の暮らしって好き?」

少し考えてから、笑いながら答えた。
「うん、好きになってきたよ。
 でもね、“完璧”じゃないから、もっと好きかも。」

子どもが笑って、「ママらしいね」と言った。
——その言葉に、
1年間のすべての葛藤が、報われた気がした。

次の日の朝。
カーテンを開けると、陽がやわらかく部屋を包んでいた。
その光の中で、私はもう一度、
“日本の暮らし”をゆっくり味わうことにした。

湯気の立つ味噌汁、
庭で聞こえる鳥の声、
遠くから響く通学の子どもたちの足音。

そのすべてが、「おかえり」と言ってくれているようだった。

——帰る場所は、国じゃなくて、
“自分の心が落ち着くところ”なのかもしれない。

私は今、
日本の中に、“私のペース”を見つけて生きている。
それが、帰国してから見つけた
いちばんの“時短”であり、いちばんの“豊かさ”だと思う。


💡今日からできる「自分らしい暮らし」を取り戻す3つのヒント

1️⃣ 朝の3分間マインドフル家事
 歯磨き中に深呼吸を3回。湯気や香りを感じるだけで、“今ここ”に戻れる。

2️⃣ 「やめる勇気リスト」をつくる
 毎日の中で“やらなきゃ”と思い込んでいることを、週にひとつ手放してみる。

3️⃣ “小さな喜びログ”を残す
 1日の終わりに、「今日のうれしかったこと」をメモアプリにひとつ書く。
 それが自分らしい暮らしを取り戻す第一歩になる。

✨エピローグ

日本に戻ってからの一年は、
まるで“自分ともう一度出会う旅”だった。

時に迷い、時に焦り、
それでも小さな一歩ずつ、自分の暮らしを再構築していく。

——そして今、ようやく言える。
「帰るって、悪くない。」
「変わるって、思ったより優しい。」


この物語を読んでくださっている海外在住の主婦の方へ。
もし、あなたがいつか帰国したとき、
「何かが違う」と感じたとしても、それは悪いことじゃありません。

それはきっと——
“あなたが成長した証” です。

だから、焦らず、比べず、
少しずつ“あなたの日本”を作っていってください。
その暮らしの中にこそ、
きっと“本当の帰る場所”が見つかります。

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