慌ただしい日々にサヨナラ。日本の片隅から見つける「人生の森」の歩き方

森の入り口 — 都会のジャングルと「本当の森」

やっほー!こんにちは!

日本の片隅で、日々家族のごはんと洗濯物と、時々やってくる「私、このままでいいんだっけ?」という漠然とした不安と格闘している、ごく普通の主婦です。

海外で暮らしている皆さん、毎日お疲れ様です!

言葉の壁、文化の違い、お子さんの学校のこと、旦那さんのお仕事のサポート…。日本にいる私とはまた違った種類の大変さ、忙しさの中にいらっしゃるんじゃないかなと思います。

どちらに住んでいても、私たち「主婦」って、なんだかいつも忙しくないですか?

朝、目覚まし時計より先に「今日のお弁当どうしよう」という思考で目が覚めて、家族を送り出したら、掃除、洗濯、買い出し、夜ご飯の仕込み。合間にパートや自分の仕事をねじ込んで。

スマホを開けば、キラキラした誰かのSNS、チェックしなきゃいけない学校からの連絡、世界のどこかで起こっている大きなニュース…。

情報も「やること」も、まるで滝のように上から降ってくる。

カレンダーは予定でびっしり。

「効率よく」「無駄なく」「テキパキと」。

まるで優秀なマネージャーみたいに、家族というチームを、そして自分自身をマネジメントしなきゃいけない。

私たちは、いつの間にか「常に何かに追われている」状態、いわば「ハッスル(Hustle)状態」の真っただ中にいるんですよね。

頑張って、頑張って、走り続けている。

でも時々、ふと立ち止まって思うんです。

「私、今、どこに向かって走ってるんだっけ?」

「この息苦しさ、いつまで続くんだろう?」

それはまるで、高いビルが乱立し、アスファルトで固められた「都会のジャングル」の中で迷子になってしまったような感覚。

道はたくさんあるし、人も車も情報も溢れているのに、自分がどこにいるのか、どこへ行きたいのかが分からなくなる。

そんな時、今回のブログのテーマとして「Navigating Life’s Forest: Wisdom from the Wild(人生という森を歩く:自然界からの知恵)」というフックをもらったんです。

「Wild(野生)?自然界?」

正直、最初ピンと来ませんでした。

だって、私はサバイバル術を知ってるわけでもないし、壮大な大自然の中でキャンプ生活をしてるわけでもない。

スーパーと家と学校を行き来する、ごく普通の主婦ですから。

でも、日本で暮らしていると、意識しなくても「自然」って、実はすごく身近にあるんです。

それは、グランドキャニオンのような圧倒的な「WILD」ではなく、もっと繊細で、日常に溶け込んだ「自然」。

たとえば、日本には「四季(しき)」があります。

春夏秋冬。

当たり前じゃん、って思うかもしれないけど、この「移り変わり」こそが、実はすごい知恵の宝庫なんじゃないかと、最近思うようになりました。

春になると、桜が一斉に咲いて、あっという間に散っていく。

「ああ、今年も綺麗だったね。また来年」

その潔さ、儚さ(はかなさ)に、私たちは「永遠なんてないんだな」という真理を無意識に感じ取ってる。

夏前には「梅雨(つゆ)」という、ジメジimeした雨の季節がやってきます。

洗濯物は乾かないし、気分もどんよりしがち。

でも、この雨の時期があるからこそ、夏の緑が青々と茂り、美味しいお米が育つ。

「今はジタバタしても仕方ない。静かに、内側を整える時期なんだな」

と、半ば強制的に「待つ」ことを教えてくれる。

秋になれば、葉が鮮やかに色づき、そして静かに落ちていく。

冬には、すべてが一度「無」になったかのように、静けさに包まれる。

これって、まさに「自然のリズム」ですよね。

私たち現代人は、「常に成長しなきゃ」「常に生産的でいなきゃ」という「ハッスル」の考え方に縛られがちです。

冬みたいに「休む」ことや、梅雨みたいに「停滞する」ことを、すごく怖がってしまう。

まるで、春と夏だけが「正解」みたいに。

でも、自然界に「無駄」な季節なんて一つもない。

休む時期、育つ時期、手放す時期、そしてまた芽吹く時期。

全部が繋がって、一つの大きなサイクルになっている。

フックにあった「自然のレジリエンス(回復力・しなやかさ)」もそうです。

日本に住んでいると、台風や地震といった、人間の力ではどうにもならない「自然の脅威」に直面することがよくあります。

そのたびに、私たちは打ちのめされそうになる。

でも、嵐が去った後、倒れた木々の隙間から新しい芽が顔を出したり、しなやかな竹が折れずに耐えている姿を見たりすると、「力ずくで戦う」だけが強さじゃないんだな、と思い知らされます。

「受け流すこと」

「しなやかに曲がること」

「変化に適応していくこと」

それこそが、私たちが都会のジャングル、いや、「人生の森」を生き抜くために必要な「本当の強さ」=「Wild(野生)の知恵」なんじゃないか。

このブログでは、そんな大げさな話ではなく、私がいち主婦として、日本の日常…たとえば、ベランダの小さな植木鉢や、近所の公園の木々、スーパーに並ぶ「旬」の野菜たちから学んだ、「人生の森」を上手に歩くためのヒントを、実体験ベースでお届けしたいと思っています。

「こうあるべき」という固定観念や、「常に頑張らなきゃ」という焦り。

私たちが勝手に作り上げた「都会のジャングル」のルールから一旦離れて、もっと大きな「自然のリズム」に身を委ねてみる。

この【起】のパートでは、まず「私たち、ちょっと忙しすぎる森で迷子になってない?」という「現在地」の確認をしてみました。

ここから先、【承】【転】【結】で、じゃあ具体的にどうやって日本の自然観を日々の生活に取り入れて、私たち自身の課題(チャレンジ)にしなやかに対応していくか、一緒に探検していけたら嬉しいです。

竹のように、柳のように — 日本の自然が教えてくれる「折れない」生き方

やっほー!【起】の記事から読んでくれてありがとうございます!

前回の【起】では、「私たち、なんだかいつも忙しくない?」「情報も『やること』も多すぎて、『都会のジャングル』で迷子になってるよね」というお話をしました。

「常に生産的でいなきゃ」

「常に頑張らなきゃ」

そんな「ハッスル」な空気に、知らず知らずのうちに飲み込まれて、息苦しくなってしまう。

海外という慣れない環境なら、なおさらかもしれません。

「ここで私がしっかりしなきゃ!」って、余計に肩に力が入っちゃいますよね。

分かります。私も日本で「ちゃんとやらなきゃ」の呪縛に、しょっちゅう囚われていますから(笑)。

でも、その「ちゃんと」って、一体なんでしょう?

「弱音を吐かないこと?」

「いつも笑顔でいること?」

「スケジュール通りに完璧にこなすこと?」

それって、まるで自分に分厚い「鎧(よろい)」を着せているみたい。

ガチガチに固めて、弱さを見せないようにして。

でも、重い鎧を着て全力疾走したら、どうなりますか?

すぐにバテて、動けなくなってしまいますよね。

それに、硬いものって、ある一定以上の力が加わると、どうなるか。

そう。「ポキッ」と、折れちゃうんです。

頑張って、頑張って、我慢して我慢して…。

ある日突然、心が「ポキッ」と。

何もやる気が起きなくなったり、訳もなく涙が止まらなくなったり。

海外生活のストレスや、日本にいる家族への心配、子育ての悩み。私たち主婦が抱えるプレッシャーって、想像以上に重たい。

それを全部「硬い鎧」で受け止めていたら、いつか折れてしまうのは当たり前なんです。

そこで、思い出したいのが、今回のテーマである「自然界の知恵」です。

特に、日本人が昔から「強さ」の象徴として見てきた、ある植物たち。

それが、サブタイトルにもした**「竹」「柳」**です。

皆さん、竹林を思い浮かべてみてください。

竹って、真っ直ぐ天に向かって伸びていて、すごく「強い」イメージがありますよね。

でも、竹の本当の強さは、その「硬さ」じゃない。

日本は台風がよく来ます。

ものすごい強風が吹くと、森の太くて硬い木々が、根こそぎ倒れたり、幹の途中から「ポキッ」と折れてしまったりすることがあります。

でも、竹はどうでしょう?

風の力をもろに受けて、信じられないくらい「ぐにゃー」っとしなります。

「もう折れちゃう!」ってくらい、地面すれすれまで曲がる。

でも、風の力に逆らわないんです。しなって、しなって、力を受け流す。

そして、嵐が過ぎ去ると、またゆっくりと元の真っ直ぐな姿に戻っていく。

これって、すごくないですか?

硬い木が「折れる」中で、竹は「しなる」ことで生き延びる。

冬の雪も同じです。

湿った重たい雪が積もると、竹はまた「ぐにゃー」っとしなって、雪の重みを下に落とします。

雪を抱え込んだまま「耐える」んじゃなくて、「受け流して、落とす」。

もう一つ、「柳に風」という言葉があります。

ゆらゆらと垂れ下がった柳の枝に、風が吹いている。

柳の枝は、その風に一切逆らわず、ただ「さらさら〜」と揺れているだけ。

風が強ければ強く吹かれるままに。弱ければ弱く。

でも、柳の「幹」は、ちゃんと大地に根を張って、どっしりと立っている。

「硬い鎧」で風に立ち向かってポキッと折れるのではなく、「しなやかさ」で風を受け流す。

これこそが、日本の自然が教えてくれる「レジリエンス(回復力・しなやかさ)」であり、私たちが「人生の森」を生き抜くための、すごく大切なヒントだと思うんです。

「なーんて、壮大な話されてもねぇ」

「それが日常と何の関係があるの?」

って思いますよね(笑)。

めちゃくちゃ関係あるんです!

例えば、子育て。

「今日は○時に公園に行って、帰ったらお昼寝させて、その間に夕飯の仕込みをして…」

完璧なスケジュール(=硬い枝)を立てたとします。

でも、子どもって「自然界の塊」みたいなものじゃないですか(笑)。

いきなり公園で帰りたくないと泣き叫ぶ(=台風発生)。

全然お昼寝しない(=大雪警報)。

こんな時、「スケジュール通りにこなさなきゃ!」とガチガチの鎧で立ち向かったらどうなるか。

「早くしなさい!」「なんで寝ないの!」

イライラが爆発して、自己嫌悪。子どもも泣いて、最悪の雰囲気。

こちらの心が「ポキッ」と折れます。

でも、ここで「竹」や「柳」を思い出してみる。

「そっかー、今日は帰りたくない気分なのね(風を受け流す)」

「寝ないなら、まあいっか。夕飯は冷凍うどんにしよう(しなる)」

スケジュールという「硬い枝」にしがみつくのをやめて、目の前の「今」という風にしなやかに対応する。

これって「逃げ」や「サボり」じゃないんです。

だって、私たち主婦の「幹」であり「根っこ」である「家族が(最終的に)笑顔でいること」「自分も倒れないこと」という一番大切な部分は、守られているから。

ポキッと折れて、イライラしたお母さんでいることこそが、一番「根っこ」を揺るがすことになっちゃう。

海外生活でのカルチャーショックも同じかも。

「日本ではこうなのに!」「なんでこんなにテキトーなの!」

と、日本の常識(硬い枝)で真正面からぶつかっていくと、自分が疲弊するだけ。

「へえ、この国ではこれが普通なんだ(風を受け流す)」

「理解はできないけど、そういうルールなのね(しなる)」

全部を好きになる必要はないんです。

でも、真正面から戦うんじゃなくて、柳のように「ふーん」って受け流すスキル。

それこそが、慣れない土地で自分を守る「しなやかな強さ」なんだと思います。

私自身、日本で主婦をしていると、「完璧な家事」のプレッシャーに押しつぶされそうになることがあります。

義理のお母さんが来る日なんかは、もう大変(笑)。

ピカピカにしなきゃ、美味しい手料理を何品も作らなきゃって、ガチガチの鎧を着込んじゃう。

でも、そんな時に限って、子どもが熱を出したりするんですよね…。

昔はパニックになって、イライラして、旦那さんに八つ当たりして、ポキッと折れてました。

でも最近は、「竹」を思い出すんです。

「ああ、重い雪が降ってきたな」

まず、深呼吸。

そして、しなる。

「ごめんなさい、子どもが熱で。お料理、デパ地下で買ってきたものでもいいですか?」

「掃除も完璧じゃなくてごめんなさい」

プライド(硬い枝)を一旦曲げて、しなってみる。

そうすると、意外と相手も「当たり前じゃない!お子さん大丈夫?」って、優しい風に変わったりする。

私たちが守るべき「根っこ」は、「完璧な主婦を演じること」じゃなくて、「家族の健康と、自分自身の心の平穏」のはず。

【起】で話した「ハッスル」状態は、「常に硬い枝でいなきゃ!」と自分を追い込んでいる状態です。

でも、自然界は「しなってもいいんだよ」「時には受け流していいんだよ」と教えてくれる。

ポキッと折れて再起不能になる前に、ぐにゃーっとしなって、力を逃がす。

そして、嵐が去ったら(問題が解決したら)、またゆっくりと自分のペースで立ち上がればいい。

私たちが目指したいのは、ダイヤモンドみたいな「硬さ」じゃなくて、竹や柳のような「しなやかさ」。

これが、日本の自然が私に教えてくれた、日々のチャレンジ(課題)に対する一つの「答え」です。

とはいえ、「分かっちゃいるけど、それが難しいんじゃん!」

「どうやったら、そんな『しなやかさ』や『リズム』を日常に取り入れられるの?」

そうですよね。

そのヒントこそが、私たちが毎日立っている「キッチン」、もっと言えば「スーパーの野菜売り場」に隠されているんです。

え?野菜売り場?

はい(笑)。

次の【転】では、私たちが日々触れている「旬」という自然のリズムが、いかに「ハッスル」な思考から抜け出すためのブレイクスルーになるか、具体的なお話をしていきたいと思います。

スーパーの野菜売り場は「森」だった? — 日常で見つける「旬」というブレイクスルー

やっほー!【承】の記事も読んでくれて、ありがとうございます!

【起】では「私たち、忙しすぎて迷子になってない?」という問題提起を。

【承】では「ガチガチの鎧で折れちゃうより、竹や柳みたいにしなやかに生きようよ」という、日本の自然観に学ぶ心の持ち方についてお話ししました。

「しなやかさ、大事よね〜」

「受け流すの、分かるわ〜」

うんうん、頭では分かりますよね。

でも、いざ日常に戻ると、目の前のタスク(やるべきこと)に追われて、また「ハッスル」モードに逆戻り。

「ああもう!なんでこう上手くいかないの!」

「結局、私が我慢するしかないじゃない!」

って、気づいたらまた「硬い枝」を握りしめてイライラ…。

そんな自己嫌悪のループにハマっちゃうこと、私もしょっちゅうです(苦笑)。

「自然のリズム」なんて言われても、私たちはビルやアスファルトに囲まれて生きてるし、海外の都会にいればなおさら、「自然」なんて遠い存在に感じてしまいますよね。

どうしたら、あの「竹」や「柳」のような、しなやかな「自然のリズム」を、私たちの日々の生活に取り入れられるんでしょう?

その答えを探して、私がたどり着いた意外な場所。

それが、なんと…

「スーパーマーケットの野菜売り場」

だったんです。

「え?どこ?」

「野菜売り場?森じゃなくて?」

はい(笑)。森じゃなくて、野菜売り場です。

もちろん、海外のスーパーだと、日本のスーパーとは品揃えも雰囲気も全然違うと思います。

でも、きっとそこにも「ヒント」はあるはず。

私がなぜ野菜売り場に「自然のリズム」を見出したのか、ちょっと聞いてください。

日本に住んでいると、野菜売り場って、ものすごく「季節」を主張してくるんです。

春になると、入り口の一番目立つところに、タケノコや菜の花、ふきのとうなんかが並び始めます。

夏になれば、色鮮やかなトマト、キュウリ、ナス、トウモロコシが山積みになる。

秋は、キノコ類、サツマイモ、カボチャ。

冬になれば、白菜、大根、ネギ。

もちろん、今の時代、技術のおかげで一年中キュウリだってトマトだって手に入ります。

でも、その「旬(しゅん)」の時期に採れた野菜は、まず**「安い」。

そして、「美味しい」(栄養価も高い!)。

何より、「生命力に満ち溢れている」**感じがするんです。

私、以前は料理があまり得意じゃなくて、献立を考えるのがすごく「苦痛」でした。

「クックパッド(レシピサイト)で人気のメニュー」とか、「テレビでやってたお洒落な料理」とか、「栄養バランスを考えた完璧な献立」とか…。

それこそ「硬い枝」=「理想の献立」をガチガチに決めて、スーパーに行ってたんです。

「今日は絶対にこのレシピを作るぞ!」って。

でも、いざスーパーに行くと、

「うわ、このレシピに必要な〇〇、めちゃくちゃ高い!」

「なんか、使いたい野菜がしなびてて美味しくなさそう…」

それでも「決めたから」と無理やり買って帰り、高い割にイマイチな味の料理を食卓に出して、家族の反応も微妙…。「頑張ったのに!」って、またイライラ。

これって、完全に「ハッスル」状態ですよね。

「自然のリズム」に真っ向から逆らってる。

ある時、疲れ果てた私は、もう考えるのをやめました。

「献立を決めてから行く」のをやめて、「スーパーの野菜売り場に教えてもらう」ことにしたんです。

ガラガラとカートを押しながら、野菜売り場を眺める。

「ふむふむ、今日は大根と白菜が、私を買って!と叫んでいるな」

「あ、こっちではピーマンが安売りでピカピカしてる」

その日、一番「安くて」「美味しそう(=旬)」な野菜を、まずカゴに入れる。

大根が安ければ、「今日のメインはぶり大根にしようか。お味噌汁も大根の葉っぱで」。

ピーマンが安ければ、「じゃあ、青椒肉絲(チンジャオロース)にしよう」。

「私が献立を決める」んじゃなくて、「旬の野菜が献立を決めてくれる」

この発想の転換こそが、私にとっての「ブレイクスルー(突破口)」でした。

これ、まさに【承】で話した「竹」や「柳」の生き方だと思いませんか?

「〇〇を作らねば!」というガチガチの「硬い枝(=固定観念)」で、高い野菜(=逆風)に立ち向かうのをやめる。

「今日はこっちが安いよ」という「旬(=自然のリズム)」の風を、柳のように「さら〜」っと受け入れる。

そうしたら、どうなったか。

まず、食費が劇的に安くなりました(主婦には超重要!)。

だって、旬の安いものしか買わないから。

次に、料理が美味しくなりました。

旬の野菜は、余計なことをしなくても、切って焼くだけ、蒸すだけで美味しい。

私の料理の腕が上がったんじゃなくて、野菜が持ってる「旬」のパワーに助けられてるだけ(笑)。

そして何より、献立を考えるストレスが激減したんです。

「どうしよう」って悩むんじゃなくて、「今日は何が旬かな?」って、スーパーを「森」に見立てて「宝探し」をする感覚。

これって、「常に生産的でいなきゃ」という「ハッスル」な考え方とは、真逆だと思いませんか?

「ハッスル」な考え方は、「常に前へ!成長!効率!」です。

一年中、同じパフォーマンス(春や夏の勢い)を自分に要求する。

でも、自然界はそうじゃない。

【起】でも話したように、自然には「旬」がある。

つまり、「エネルギーが爆発する時期(夏)」もあれば、「じっと力を蓄える時期(冬)」もある。

私たち人間だって、自然の一部です。

一年中、元気いっぱいの「夏」モードでいられるわけがない。

なんとなくやる気が出ない日(=梅雨)。

疲れが溜まって、とにかく休みたい日(=冬)。

そんな時、ハッスルな思考は「ダメだ!こんなんじゃ!」「もっと頑張らなきゃ!」と自分を責めます。

でも、「旬」のリズムを知っていると、こう思える。

「ああ、今、私、心が『冬』なんだな」

「今は無理して『夏』のトマトみたいにならなくていいや」

「今は『冬』の白菜みたいに、じーっと甘みを蓄える時期なんだな」

そうやって、自分の「心の旬」を認めてあげる。

やる気が出ない日は、無理に手の込んだ料理なんて作らない。旬の野菜(安くて美味しい)と、お肉でも焼いておけば、それで十分。

「今は休むのが仕事」と割り切って、早く寝ちゃう。

これが、フックにあった「『自然のリズム』を生産性や休息に適用する」ってことじゃないかな、と私は思うんです。

「常に頑張る」んじゃなくて、「頑張る時期」と「休む時期」の波(リズム)を、自分でちゃんと作ってあげる。

そのお手本が、スーパーの野菜売り場に、分かりやすく並んでいる。

海外のスーパーだと、日本ほど「旬」が明確じゃないかもしれません。

一年中、いろんな国の野菜が並んでいるかもしれない。

でも、きっと「今日のお買い得品」とか、「やたらと瑞々(みずみず)しい果物」とか、あるはずなんです。

それは、その土地の「今」のリズムが教えてくれているサイン。

「こうあるべき」という固定観念(鎧)を脱ぎ捨てて、目の前にある「旬」という自然の恵みを、しなやかに受け取ってみる。

私にとって、スーパーの野菜売り場は、壮大な大自然に行かなくても「自然のリズム」を体感できる、一番身近な「人生の森」なんです。

さあ、ここまで「迷子だよね(起)」「しなやかさが大事だよね(承)」「ヒントは野菜売り場にあったよ(転)」とお話ししてきました。

でも、一番大事なのは、「じゃあ、明日からどうする?」っていう、具体的な一歩ですよね。

最後の【結】では、野菜売り場の話も踏まえつつ、海外で頑張る皆さんが、それぞれの場所で「私だけのリズム」を見つけるための、小さな小さな「始めの一歩」について、お話ししたいと思います。

私だけの「森のリズム」を見つける — あなたの場所で始める小さな一歩

やっほー!長い長い「人生の森」探検、ここまで一緒に歩いてくれて、本当にありがとうございます!

【起】では、「私たち、情報とタスクの『都会のジャングル』で迷子になってない?」と、息苦しさの正体を探りました。

【承】では、「ポキッと折れる『硬い鎧』はもう脱ごう!」と、日本の「竹」や「柳」に学ぶ「しなやかな強さ」についてお話ししました。

【転】では、「そのヒントは『スーパーの野菜売り場』にあった!」と、日々の「旬」こそが「ハッスル」な思考から抜け出すブレイクスルーだと気づきました。

思えば、私たちは「こうあるべき」という目に見えないルールに、ずっと縛られてきたのかもしれません。

「主婦なんだから、家事も育児も完璧に」

「海外にいるんだから、日本の恥にならないように」

「いつも笑顔で、生産的に、効率よく」

まるで、誰かが作った「正しい森の歩き方マップ」を渡されて、その決められたルート(=ハッスル)を、息を切らしながら必死で走ってきたような。

でも、そのマップ、本当に「あなたの」行きたい場所がゴールになっていますか?

そのルート、歩いていて「楽しい」ですか?

【転】で気づいた「旬」の野菜を選ぶ楽しさ。

それは、「こうあるべき(レシピ通り)」という「外側」の基準を手放して、「こっちが美味しいよ(旬)」という「内側」のサイン(自然のリズム)に従ってみる、という小さな小さな革命でした。

これって、人生も同じだと思うんです。

「自然の知恵(Wisdom from the Wild)」って、何もアマゾンの奥地に行かなくても、グランドキャニオンに立たなくても、私たちのすぐそばにある。

それは、**「自分の内側から聞こえる声」**のこと。

「ああ、今日はなんだか疲れてるな(=心の梅雨)」

「今は、この子とゆっくりくっついていたいな(=心の旬)」

「あの人の言葉、なんかモヤっとするな(=風が吹いてきた)」

その小さな声こそが、あなたが「人生の森」を歩くための、一番正確なコンパス(方位磁石)なんです。

でも、私たちはあまりに忙しすぎて、周りの騒音(情報や「べき論」)が大きすぎて、そのコンパスの針が指す「微かな声」を、ずっと無視し続けてきたんじゃないでしょうか。

だから、「ハッスル」なマップを捨てて、自分だけの「森のリズム」を取り戻すために。

海外で頑張る皆さんに、今日から、いや「今この瞬間」からできる、小さな小さな「最初の一歩」を提案させてください。


「私だけの森のリズム」を取り戻す、3つの小さな一歩

1. 「イラッ」としたら、「竹」になる(深呼吸3回)

まず、一番即効性があるのがこれです(笑)。

お子さんがジュースをこぼした時。旦那さんが脱いだ靴下をそのままにした時。異国の地で理不尽な対応をされた時。

私たちの心に「カッ!」と風が吹き荒れる瞬間、ありますよね。

そこで「硬い鎧」で「なんでよ!」と戦う前に。

ぐっとこらえて、【承】で話した「竹」を思い出してください。

(ああ、今、台風が来たな)

(ここで折れたら負けだ。しなろう、しなろう)

そして、ゆっくり**「3回」**だけ深呼吸してみてください。

息を吸って、全部吐き切る。

たった10秒です。

これは「我慢」とは違います。

これは、風の力をまともに受けて「折れる」のを避けるため、意図的に「しなる」ための「間(ま)」を作る作業。

嵐が過ぎ去るのを待つ、柳の知恵です。

10秒後、あなたは「ポキッと折れて怒鳴り散らす私」ではなく、「しなやかに受け流して、冷静に対処法を考えられる私」になっているはず。

(まあ、たまには怒鳴ってもいいんですけどね!人間だもの!)

2. 1日1回、「私の旬」を味わう

【転】で話した「旬」。

何も、野菜の話だけじゃありません。あなた自身の「旬」=「今、これが心地いい」を、意図的に味わう時間を作ってみてください。

そんな大げさなことじゃなくていいんです。

・子どもを送り出した後の、たった5分の熱いコーヒー。

・お気に入りのカップで飲むハーブティー。

・好きな音楽を1曲だけ、家事を止めて聴く。

・窓を開けて、外の空気を「美味しい」と感じてみる。

「あれもやらなきゃ」「これもやらなきゃ」という「To Do リスト」の嵐の中で、たった1つでもいいから、「私のための時間(=旬)」を、カレンダーに赤丸つけるくらいの勢いで、確保するんです。

それが、あなたの「心の根っこ」に水をやる時間になります。

根っこが元気なら、少しくらい風が吹いても、しなやかに立っていられますよね。

3. 「冬眠」をスケジュールに入れる

これが一番大事かも。

私たちは「常に活動しなきゃ(夏)」と思い込みすぎています。

でも、自然界に「冬」があるように、私たちにも「休む時期」は絶対に必要です。

「疲れたな」と感じる前に、スケジュールに「何もしない時間」=「冬眠」を、先に書き込んじゃいましょう。

それは、1週間に1時間かもしれませんし、1日30分かもしれません。

ポイントは、「罪悪感を持たない」こと。

「こんなに休んでていいのかな…」じゃなくて、

「今、私は白菜みたいに甘みを蓄えてるんだ」

「次の春にキレイな芽を出すために、今は土の中でじっとしてるんだ」

と、堂々と休むこと。

冬のない森が(あったとしても)、常に青々としていられないのと同じで、休息のない人生は、必ずどこかで枯れてしまいます。

「休む」のは、「サボり」じゃない。しなやかに生きるための「自然のリズム」そのものなんです。


あなたのいる場所が、あなたの「森」

今回のテーマ「Navigating Life’s Forest: Wisdom from the Wild(人生という森を歩く:自然界からの知恵)」。

私なりの「答え」は、こうです。

「人生の森」とは、誰かが作った「完璧な地図」をなぞることじゃない。

たとえ迷っても、道がぬかるんでいても、

「竹」のようにしなやかに風を受け流し、

「旬」の恵みに感謝しながら、

自分だけの「心地よいリズム」で歩く、その「道のり(プロセス)」そのもの。

海外という、日本とは違う「森」の中で、皆さんは日々、本当に頑張っています。

だからこそ、日本の「こうあるべき」という硬い鎧も、海外の「こうじゃなきゃ」という新しい鎧も、一旦ぜんぶ脱ぎ捨ててみませんか?

ポキッと折れそうになったら、いつでもこの記事を思い出して、「あ、いかんいかん、しなきゃ」って、深呼吸してみてください。

完璧じゃなくていいんです。

むしろ、完璧じゃない自分を「まあ、いっか」と受け流せる「しなやかさ」こそが、最強の「Wild(野生)の知恵」なんだと、私は信じています。

あなたのいる場所が、今日からあなたの「森」の入り口です。

さあ、一緒に、自分だけの心地よいリズムで、この「人生の森」を歩いていきましょう!

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